鉄道雑感 2001/10/5(金)から公開

 ここでは旅行記・乗車体験記・所有の鉄道模型以外についての雑感を扱う。鉄道についての想いは、それこそいくらでもあるが、書く気分になったものだけ適当に記す。行く前の旅行についてなどの“判断ネタ”もここで記す事にする。鉄道模型および語りのコーナーから移転してきた記述もある。なお、鉄道模型ネタについては、20109月に鉄道模型のコーナーに再び振り分けた。

 ここは、ただの一方的な独り言であるから気にする必要はない。ここの内容についてのメールは受け付けていない。

 誤解の無いように明記しておく。鉄道会社の関係者から聞いた事前の情報や内部情報を、ここを含むネット上では絶対に公開しない。また、第三者へ開示する事も無い。

  

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 鉄道趣味の区切りにあわせ、「さようなら鉄道趣味」以後にこのコーナーで公開したネタをブログへ移し変えました。

 

 本日発車する青森発札幌行きを最後に「急行はまなす号」が引退する。14系・24系客車による定期列車の最後だ。異論はあるだろうが、ブルートレインの最後だ。何をもってブルートレインと定義するかという話もあるだろうが、今更どうのこうの言う気はない。「北斗星」の最後を見送れなくて悔しい思いがあったが、その時には“まだ「はまなす」があるではないか”という意識があった。

 3192021日の三連休に、「急行はまなす号」の惜別乗車を検討していた。18日までキャンセル待ちしていた19日発下りも20日発上りも取れなかった。これにより「みなみ北海道フリーきっぷ」での旅程は潰えた。ラストランとなる21日発下りもついに取れなかった。2月に寝台車に乗れてよかった。

 

 私の鉄道趣味の原点であった標準的な14系・24系客車の運用が終わり、本当に気持ちが沈んでいる。

 晩年の「急行はまなす号」は、「14系・24系寝台車+14系座席車」という編成だった。さて、「14系寝台車+12系座席車」の「急行ちくま号」の座席車に京都から大阪まで乗ったことがあるが、これにブルートレインという感覚は無かった。「全車青い14系座席車」の「ムーンライト九州/山陽など」もブルートレインという感覚は無かった。しかし、「青い14系座席車」の「急行雲仙・西海号」や「急行ニセコ号」がブルートレインとして紹介されていた事例もあった。少なくとも、「寝台特急なは号」のレガートシートよりも「急行はまなす号」の寝台車の方がブルートレインらしさがあったと私は思う。今更だが、登場時の「急行はまなす号」は「全車青い14系座席車」であった。

 私の寝台客車の旅は、198712月の大阪駅から始まり、20162月の札幌駅で終わった。どちらも急行列車でオハネ250番台車両であった。28年以上離れた年月を経て、最初と最後がどちらもオハネ250番台車両というのがおもしろい。

 

 「さようなら鉄道趣味」とはさすがに言い過ぎかもしれないが、強い思いを抱いて追い求める対象が本当に無くなった。好きな機関車であるEF65DD51EF81だってまだ残っているが、ブルートレインの長大編成の先頭に立つ美しい姿はもう見られない。「南海10000系」や「土讃線2000系特急」や「サロンカーなにわ」のように今後も気になる旅客車両が無いわけではないが、ラストランの時にでもならない限り強く求めるほどの気持ちは無い。特定の車両や列車、および、特定の座席や寝台等の設備を求めて“乗り鉄”することは、もしかするとこの先一生無いかもしれない。

 

 何らかのきっかけを機に鉄道趣味をやめたものの再び戻ってきたという人もいる。今後の私がどのように行動するのかはわからない。しばらくは懐古系の趣味として継続するだろう。また、鉄道趣味仲間に誘ってもらえるのは大歓迎である。

 ところで、今年の夏にTOMIXDD51(品番2219)を買うように予約している。よほど希望の品でも製品化されない限り、鉄道模型もこれで一区切りの予定だ。

 

 ありがとう、さようなら、青い14系・24系客車列車!

 ありがとう、さようなら、美しき青い流れ星たちよ!

 

 20151030日、近畿圏の381系電車が定期営業運転を終えた。

 ありがとう! さようなら!  「381系 特急くろしお号」!

 

 930日に定期営業運転を終え、本日の団体臨時運用を最後に、南海電鉄7000系が引退した。

 自宅の近くを京王電鉄や小田急電鉄が走っているにもかかわらず、私が最も好きな私鉄は南海電鉄だ。やはりこればっかりは、どの年齢で関わったかが影響するだろう。また、そもそもロングシートの通勤形電車には関心が薄いのだが、例外的に南海電鉄の7000系、7100系、1521系は趣味的にも好きだった。密着自動連結器を持ち、客車のような顔つきが好きだったようにも思う。

 さて、1521系を思い出して気になったのだが、そういえば南海電鉄の形式の下1桁は1であり、7000系ではなく7001系、7100系ではなく7101系だったような事を思い出した。過去の書籍を見てみたところ、1979年の鉄道P誌10月増刊号南海電鉄特集では7001系だの20001系だのと記されている。1986年には10000系と表記されている。その後の書物も見てみても、〜0系が主体であるが〜1系の記載も混在している。10001系や50001系は聞かないが、一方、20000系は違和感がありまくる気がする。

 件の1979年の書籍は、元南海電鉄の駅長だった方が、私が中学生の頃にくれた本のうちの1冊だ。それ以外にも電車のメカニズムや運転の教本、さらに南海電鉄関係のたくさんの記念品をいただいた。

 いまさら7000系でも7001系でもいいけど、お疲れ様でした。

 

 悔しいことに、「特急北斗星号」のラストランを待ち受ける823日は調子が悪すぎて上野駅まで有終の美を見に行けなかった。翌日ぐらいになって悔しさがこみあげてきて、ラストランの動画を見ながら涙を流していた。動画をネット上にUPしてくださった皆様には感謝だ。本当にネットはありがたい。

 最後を見送るのがEF510というのは私には違う気がする。615日に見送った札幌行きのオハネフ2524系寝台特急最後の姿ということで、物は考えようかな。遠くて行かないのも、体調が悪くて行かないのも、行けないという点では同じか…。納得のいく言い訳をさがしている自分が見苦しい。

 ラストランがせめて1週間前か後ろだったら行けたのだが、ラストランを夏休みの終わりギリギリの1週間後ろにしなかったのは9月の時刻表から完全に消すためではないかと思う。いかがなものだろうか。

 

 さて、案の定、「はまなす」と「カシオペア」の注目度が急上昇だ。来春以降も「カシオペア」が年に数回臨時列車として北海道まで行くとの話もあるようだ。そのスジで24系寝台特急が運転されたらうれしいのだが。

 92日には尾久車の廃車回送があり、914日には室蘭で北海道車の解体が始まった。もはやリバイバルなんて絶望的だ。お名残運転とも言えた「臨時北斗星」にすら乗れなかったことが本当に残念だ。列車廃止後に何百万円も出して車両や内装を手に入れるよりはましだと考えて、ツインDXを一人で乗ろうとしてきっぷの入手を何度か試みたが、ダメだった。

 

「急行はまなす号」…2回乗ったことがある。青い14系・24系の最後、かつ、従来の2段寝台の最後、R27改座席や一般的な14系座席車の最後だ。いろいろ廃止になるJR北海道をからめて再訪したいと思う半面、寝台車の乗車時間が短いのが難点だ。今更言っても仕方が無いが、新幹線+「はまなす」の寝台車に乗るぐらいならば「北斗星」の方がよかった。

単機牽引と重連牽引…「はまなす」と言えば、DD51が単機で長い編成を牽く繁忙期には機関車の強さを感じる。私は単機牽引が好きなので、この点において重連の寝台特急よりも好きであった。「トワイライトエクスプレス」なんかは編成がさほど長くないのだから、単機で牽けばいいのにと思っていたぐらいであった。

 

「北斗星」ラストランが上野着…苦しい。行けなかった。私の趣味の根幹であるブルートレイン、その24系寝台特急の終焉であり、上野駅へ行く予定にしていた。ところが今月はストレスで心身の調子が悪く、どうしても出かけられなかった。上野駅へ行く夢を見ながら、どうやら寝ながら泣いていたみたいだ。ストレスの原因に対して一生恨みそうで困るなぁ。

 

近畿地区の381系は1030日(金)で終了…なぜ翌日の31日(土)まで運転してくれないのか。葬式鉄への対応が面倒なのだろうな。

 

 しんどくて書くのが進まない。では後日…。

 

 南海電鉄130周年と7000系の引退を記念して、613日より「懐かしの緑色 特急サザン」が運転されている。昨日、特急サザン自由席車として運用される緑色の7000系に乗ってきた。

 

 今回はずっと速度も見てきた。運転する人に失礼にならない程度で記しておく。今回乗った「サザン32号(和歌山市13:29発)」は和歌山市を発車後、紀ノ川駅を通過する際に80km/hだった。昔はここで急行でも90km/hを超えていたはずだ。孝子峠では意外に速く70km/hほどで、国道26号線の自動車よりも速かった。ここでは60km/h程度で自動車に抜かれる事も多かったのだが、今回は圧倒的に速かった。尾崎まででも最高86km/hほどであり、ローカル線の気動車でも出すような速度だ。いつもの事だが、なぜか停車駅である泉佐野の手前で速度を上げ、羽倉崎の車両基地の横を高速で駆け抜ける。今回は100km/h程度だ。昔はここを110km/hで通過していたように思う。羽倉崎駅を95km/hで通過するが、それでもそれまでが遅いので速く感じる。泉佐野発車後と、岸和田発車後には105km/h程度の走行が見られた。運転席の速度計は75km/hのところに赤い印がつけられており、その前後の速度での走行が多い。和歌山市から難波まで所要60分、表定速度64.2km/h…速達性はあきらめたのかな? 30年ぐらい昔は阪和線快速と競っていたように記憶しているのだが…。

 

 

 みさき公園での「妖怪ウォッチ」のイベントは本日までであり、南海電鉄「特急サザン妖怪ウォッチ号」の運行も本日で終了した。

 

 622日に亡くなった和歌山電鐵貴志川線貴志駅の「たま駅長」の社葬が、本日行われた。3000人も集まったらしい。超人気列車のラストランに匹敵する集客ではないか。ご冥福をお祈りします。

 

名称は重要…「トワイライトエクスプレス」の名称は、大阪⇔札幌間の特急列車からの引退をもって封印してもらいたかった。「トワイライトエクスプレス」が復活だの再び走り出しただの言われるが、「それじゃない感」がいっぱいだ。寝台特急列車の名称なのか、車両の名称なのか…。「寝台特急トワイライトエクスプレス」が現役の頃、当該車両を使ったシュプール号や団体列車にも「トワイライトエクスプレス」の名称が冠されていた。しかし、「寝台特急トワイライトエクスプレス」が華々しく引退した後の今、すぐに復活しただの閉店商法だの引退詐欺だの言われるのは当該列車のファンだった私としては腹立たしいし残念だ。

 もう10年以上前の話だが、「寝台特急さくら」が廃止された。「さくら」の当該車両は翌日から「はやぶさ・富士」の運用に就いた。だからといって“「さくら」が再び走り出した”とは誰も言わなかったはずである。この時は、車両としては「はやぶさ」と「富士」の24系部分が廃止された。みんなが涙ながらに見送ったのは消え行く「さくら」であり、かつ、現役続行の14系客車だったのだ。何を言いたいかというと、名称で分けるということがいかに大事かということだ。

 

 さて、実際の「トワイライトエクスプレス」に第何編成という縛りが無くなり、模型で自由な編成を組む気になってきた。そこで今週、スシ24の単品を購入した。もっと前の製品のスロネ25の単品も見つければ買いたいところだ。

 鉄道とは話が逸れるが、立秋という名称もやめた方がいい。毎年毎年「立秋とは名ばかりの暑い日が続いておりますが」…って、だったら立秋なんて言わなければよいではないか。名と体が合わない変な名が世の中にはいっぱいだ。

 

南海電鉄7000系が秋に引退…非冷房車として登場した昔の車両だし、もうそんな時期なのかと思う。20年以上昔は阪和線と違って乗り心地がいい車両として7100系と共に評判が良かったぐらいだが、近年では悪口を言われまくっているのが腹立たしいほどだ。私にはなじみの車両であり、613日発売予定の鉄コレをほしいぐらいだ。座席指定車10000系の併結相手は7100系か7000系なので、10000系や7100系もこの先が長くなさそうだ。

 

南海電鉄10000系旧塗装復元…7000系の引退を記念して、613日より「懐かしの緑色 特急サザン」が運転される。10000系の旧塗装といえば、全車が先頭車だった2連の時代だ。ゆえに緑色の10000系中間車がどのように表現されるのかが楽しみだ。100004連の中間2両は、今では1編成を除いて窓の形状が異なる増備車だ。頼むから4両の窓が揃った編成で旧塗装にしてほしい。「それじゃない感」は勘弁してほしい。

 南海10000系といえば、登場した当時の座席の色が好きだった。ドリンクホルダーを撤去してほしいとまでは望まないが、あの赤い座席を再現してくれないだろうか。

 

南海電鉄特急列車の塗装…5月の連休に特殊な塗装の「こうや号」を見た。ここしばらく、特別な塗装の「ラピート」とか、「妖怪ウォッチ 特急サザン」とか、変わった特急車がたくさん走っている。贔屓目かもしれないが、センスがいい塗装だとは思う。

 キャラクターとのコラボは別に嫌いではない。ただし、車両とキャラクターの双方に魅力がある場合に限る。「JR北海道のドラえもん」と「JR四国のアンパンマン」は秀逸だったと思う。リラックマは好きだが、山手線電車に関心が無かった。さて、妖怪ウォッチに全く関心が無かったのだが、「妖怪ウォッチ 特急サザン」の登場に際して妖怪ウォッチを調べてみて、ちょっと引き込まれた。ジバニャンの設定がかわいそうすぎる。“トラックに轢かれて”とか“地縛霊”とか“耳の傷がどうのこうのとか”…実際の交通事故を思い出して涙が出てきた。ジバニャンがかわいそうだという話を姪にしたら、「マンガだからいいの」と笑われた。

 

南海電鉄和歌山市駅活性化計画…当該計画が発表された。あの威容を誇る駅ビルが無くなるみたいだ。今は2階に改札口があるが、1階が改札口になるらしい。昔は改札口が地下にあったらしいが、私はその時代を知らない。

 活性化というか縮小だ。利用者が少なくなった事は私自身が実際に体感している。昔、「特急四国号」が走っていた1984年頃、現在の2倍の利用者がいて、本当に活気があった。ピーク時には現在の2.5倍もの利用者がいたらしい。

 旧1番のりばの遺構も消え行くだろう。改札階から旧1番のりばへの階段は、トイレの前の目立たない位置に現在も残っている。

 

「くろしお」から381系が引退…阪和間や紀州路ではこれが最大の関心事だ。これこそ、現行のクロとサハを含めてもいいから国鉄色9連を復元してもらえないだろうか。

 

京王電鉄に有料座席車が登場予定…京王電鉄は身近な鉄道なのだが、趣味的に関心を持った事がほとんど無い。JRや南海や近所の小田急のような華やかな車両が無いからだ。京王電鉄には、特急の速さや通勤通学需要に応える高頻度運転など尊敬する面は多いのだが、なんといっても華が無い。心惹かれる車両が登場する事を願っている。1編成ぐらいはリラックマとコラボしてくれたらうれしいのだが。

 

 

 本日のダイヤ改正は、218日に記したとおり、私にとって非常に大きな改正であった。しかし、お見送りやお出迎えといった行動はついにしなかった。313日に新大阪駅にて大阪行き最終の「寝台特急トワイライトエクスプレス号」を見送り、椿まで「特急くろしお13号」に乗る構想もあったが、それらは中止にした。

 想いは下記のコーナーにて記している。

特急くろしお号 パノラマ型グリーン車クロ380 (20152月 3連続惜別乗車)

特急スーパーくろしお号 パノラマ型グリーン車クロ380 (20107月乗車)

寝台特急トワイライトエクスプレス号 (20145月乗車)

寝台特急トワイライトエクスプレス号 (20091230日乗車)

 「トワイライトエクスプレス」は、これからも私の心の中や自宅の中で走り続けるのである。

 

 さて、「寝台特急北斗星号」の定期運行が最後になるのも知っていたが、4月から先、最後の輝きとも言える超豪華編成で運転されるのでそちらに注目している。報道されるほどのラストランでもないと思ったが、それでも上野駅着にはおよそ2500人が集まったらしい。たしかにJR北海道車両とのお別れではあるが、見に行こうとは思わなかった。臨時化後の「寝台特急北斗星号」にはぜひ乗りたいと思う。しつこいようだが、誰かツインデラックスに一緒に乗ってくれないだろうか。

 寝台特急列車が消えるたびに、“ゆっくりとした旅”がどうのこうのと言われる事があるが、これには違和感がある。元々特急列車は速さを売りに登場した存在であり、それより速い手段が登場すれば、自ずと相対的に速達性が下がるわけだ。“ゆっくりとした旅”がそんなにいいのならば、歩いて行けよといつも思う。「寝台特急北斗星号」は速達性も重視した列車として登場した。登場前夜まで走っていた電車寝台特急よりも速かったのだ。その速さを確保するために編成を短くして牽引定数を小さくしていたぐらいだ。その後、重たい「カシオペア」にあわせた足並みとなり今日に至ったのである。

 

 好きだった列車や車両がどんどん消えていくが、だからと言って新しい列車や車両を嫌ったり貶したりはしない。興味を失せればそっと立ち去ればいいと思う。関西との往復に北陸新幹線に乗ってみたいと考えている。

 

 20153月のJRグループのダイヤ改正が近づいてきた。いよいよ鉄道趣味の終わりの時期が近づいてきた。さすがにそれは言いすぎかもしれないが、“トワイライトエクスプレスの運行終了”、“381系くろしおの順次撤退”、“寝台特急ブルートレイン北斗星が8月で終焉”…もう何も残らないといった感じだ。

 ダイヤ改正前日の313日や、その前日に寝台特急が最後の発車をする時にはどのように過ごすのか、鉄道趣味仲間達に尋ねてみようかと考えていた。私は、313日に関西へ行こうかと考えていた。新大阪駅では「くろしお13号」が入線する前に「トワイライトEXP」が見られる。

 鉄道趣味の大きな節目の日だから、313日は仕事を休みたいと思っていた。しかし、今週末に行く事にした。さすがに来月に休みを入れるのはきついし、今週末は11日の代わりに13日が休みなので3連休だし、また、先日親族が倒れたということもあって、313日をやめて213日に行く事にした。

 

 長年ウェブサイトを続けていると、質問のみならず、ありがたい事にものすごく貴重な情報をいただく事がある。だが、自分の知識になった事だからといって、なんでもかんでも公開してもよいとは考えていない。世間に出ていない情報は、信頼関係があるからいただけるのであり、私がそれらを簡単に公開したり第三者に漏らしたりするような人間であればそのような情報はいただけないはずである。

 乗車体験記をはじめ長年いろいろ書いてきたが、公開していい事とそうでない事を考えながら記しているので、知っている事の全てを余す事無く公開しているわけではない。

 では、知っていたけど書かなかった事の一例を挙げておこう。それは、トワイライトエクスプレスのサロンカーの座席に使われている布の納入業者がどこかという事である。「なんだ、そんなの知ってるよ」という人もいるかもしれない。あまりも知れ渡っている事ならば公開しても問題ないが、これは言い広めていいような事ではない。私が知る限りにおいて、書物等で正式に出回った情報は無い。知っているからといって、乗車体験記などで公開していれば、当該業者に多大な迷惑がかかる事になったのである。

 布織物の業界は、どこへ納入しているとかを業界外の人間には漏らさない事が慣例になっているらしい。布織物に関しても、私への信頼があるから話をしていただけたのだと思う。もっと言ってしまえば、宮内庁や迎賓館などへどこの業者が何を納入しているのかも私は一部を知っている。また、他の業界においても、「○○に関係している事は公表してはならない」といった事が多々ある。

 私は、信義則に反する事はしない。何を言いたいかというと、知っていても答えられない質問があるという事だ。

 

 20153月のJRグループのダイヤ改正が発表された。

 「寝台特急北斗星」の運転取り止めが公式発表されたが、125日に報道各社がいっせいに報じたので驚きは無い。

 「急行はまなす」については、運転日こそ減るものの、定期列車からの陥落ではなさそうだ。「はまなす」が無くなると、JRグループにおいては“普通急行がなくて特別急行ばかりがある”という状態になるので、整合を図るために廃止を先伸ばしにしたのではないかと勘ぐった。思い切って大多数の特急を急行や準急へと変換すればいいではないかと思う。変換であり格下げとまでは言わない。路線や地域によっては特急料金と急行料金が同額になってもいいと思う。「ひたち」と「ときわ」なんて料金扱いを同じの特急と急行にすればわかりやすいではないか。また、大きな時刻表には特急のページがあるが、速達性の無い特急を別仕立てのページに載せる必要があるのかと常々思っている。

 上野東京ラインの開業により、東京駅の東海道線ホームが途中駅になってしまうことが衝撃的である。

 上野東京ラインの開業により、長距離運転の普通列車が増える。そのようなご時世において、東京⇔君津間でしか運転されなくなる「特急さざなみ」ってなんなの?って思ってしまう。

 北陸新幹線の金沢への延伸により、毎度の事だが、JRから離籍する路線がある。なぜに貴重なインフラをぶつ切りにするのか。そうは言うものの、関西への帰省に際して北陸新幹線には乗ってみたいと思う。

 紀勢本線では、椿駅が特急停車駅から陥落する。また、車内販売もなくなる。何よりも、ダイヤ改正後に381系が順次消えていくらしい。私にとってはこの冬、「“381系くろしお”の引退」が最も衝撃的な発表であった。「くろしお13号」に乗る案を、ダイヤ改正までに実現したいところだ。

 

 ダイヤ改正ではないが、先日ラストランを迎えたはずの371系電車が富士急行に購入されるらしい。毎日900kmの過酷な運用でもう限界だと言われていたのは何だったのか。

 

 JR東海の371系電車が、本日の松田発浜松行き「臨時急行 御殿場線80周年371 号」の運用を最後に引退した。

 当該車両にそれほど強い思い入れがあるわけではないが、1編成だけの存在であり、いつ見ても当該車両なので、個性を感じさせる存在ではあった。それにしても、松田発着というところがJR東海の371系らしいというか、おもしろいところだ。

 出発式が行われる松田から、見送り式が行われる御殿場まで乗車した。松田駅では鉄道趣味仲間と再会した。また、始発から終点まで乗る人が意外と多く、新幹線で東京方面へ戻る人や関西から来ている人もいた。

 車内では記念品が配られるのだが、御殿場までに降りる人には先に配られた。売店は長い行列ができており、2号車通路にまで伸びていた。

 御殿場に数分遅れで着いた。見送り式の会場では、すぐに発車するとの注意が何回も入った。もっともだと思う。引き続き乗るのであれば車外に出るのは良くないだろう。

 

 新車だと思っていたのに、引退なんだね。年月の過ぎ行くのが速い事…。さようなら371系電車。

 

 昨日箱根へ行ったので、せっかくなのでデビュー当日の新型車両アレグラに乗ってきた。

 この車両は運用スケジュールが公開されている。初日は11時台からの登場で遅いように思えたが、実際は強羅10:18発の招待客のための団体臨時列車として運用を開始した。当該団臨はアレグラの2両編成であったが、以後は、アレグラ1両とサンモリッツ2両による3両編成で運用に着いたようだ。

 アレグラは3連の運用に入る場合、併結相手はサンモリッツとなる。モハ1形等の旧型車との共演も見たかったものである。

 箱根登山鉄道にいい車両が入るのは結構だが、夏場に非冷房の旧型車両が来るとついつい避けてしまう。休日にはかなり混雑する路線だし、著名な観光地なので、全体の底上げを願いたいところだ。

 

 旧型車と並ぶ、件の団体臨時列車。私は通常の営業列車に塔ノ沢から箱根湯本まで乗車した。

 

 

 JR東海の371系電車が、20141130日の松田発浜松行き「臨時急行 御殿場線80周年371 号」の運用を最後に引退する。

 当該ラストランの列車はイベントも企画されている。それゆえに指定券なんて取れないだろうと思っていたところ、なんとあっさりと取れてしまった。

 当該車両にそれほど強い思い入れがあるわけではないが、1編成だけの存在であり、いつ見ても当該車両なので、個性を感じさせる存在ではあった。最近の私は箱根方面に行く事が多いので、日時を調整して371系を見送りに行こうかと思う。それにしても、松田発着というところがJR東海の371系らしいというか、おもしろいところだ。

 (200952日の371系乗車記)

 

 20141018日(土)に南海電鉄のダイヤ改正があり、「和歌山大学前(ふじと台)駅」にも特急が停車するようになった。それに伴ってなのか、特急が和歌山市を発車する時刻が毎時29分や59分になった。羽倉崎以南の一部区間でのノロノロ運転を切り詰めてでも和歌山市の発車時刻を0分や30分にできなかったのであろうか。

 それにしても、阪和間の速達型列車は、JRも南海も停車駅が増える一方だ。「特急サザン」が登場した当時は和歌山市から泉佐野までは無停車だったのだが、今昔の感がある。

 ここまでの記述だと単なる批判になってしまう。では、南海電鉄は和歌山市付近をどうしたいのだろうか。行政も思惑があるみたいだ。

 しばらく前に、加太線沿線にて大阪方面への利用に和歌山大学前駅を使いたいか否かというアンケートがあったらしい。(どこが主導のアンケートかは知らないのだが。) 確かに、特急が停まってパークアンドライドができれば加太線や和歌山市駅を使うよりははるかに便利そうだ。

 南海電鉄が南海線の南端を切りたがっているという話がある。具体的には、巨額を投じてまで紀ノ川を渡る利点が乏しいという事だ。紀ノ川(駅名や市名ではなく、ここでは川の名前)以南には和歌山市駅と和歌山港駅の2駅がある。和歌山港駅は四国連絡の使命が昔とは比べ物にならない。また、和歌山市駅も周辺がどんどん寂れており、行政としては今後は和歌山駅の方面を重点的に発展させたいようだ。20148月末で和歌山市駅の高島屋が消えた事は衝撃的かつ象徴的な出来事であった。

 ところで、南海線(加太線)、紀勢本線の和歌山市⇔和歌山間、および和歌山電鐵を直通運転させるような意見も以前から出ている。あの辺りをどうしたいのだろうか。

 

 もう6年も前になるが、20086月にこのコーナーにて「サロンカーなにわ」に乗りたい旨を記した。もう半ば諦めていたのだが、今月乗る予定だ。

 時々「サロンカーなにわ」のツアーが販売されているのは知っていたが、旅程や日程が合わなかったので手を出せなかった。いくらなんでも岡山・広島・山口方面まで行ったり、泊りがけのツアーに参加したいとは思わなかった。しかし今回、日帰りで京都・滋賀地域で運転される。関西への帰省と組み合わせて乗るには好都合である。

 

 私は夏至の前後にバイクで里山を走るのが好きだ。多摩丘陵の山奥某所にて鉄道関係の組織が行うボーリング調査に出くわした。「こんなところに鉄道の何?」と思ったが、調べてみると地下深いところにリニアが計画されているみたいだ。多摩丘陵の真下をリニアの本線や避難路が計画されている。購入した自宅の真下にトンネルができると知らされた多くの人々が困惑しているらしい。

 

 

 これを見た時には、小田急ロマンスカーで現役最古参のLSEでも看板列車の「スーパーはこね」に充当されるのだな、という程度にしか思っていなかった。鉄道誌を見て、検査中のVSEの代走である事を知った。撮影しておいて良かった。

 

 今月上旬に乗ったところだ。乗って楽しかっただけに、今回の発表は悲しい。乗った月内に廃止を知るとは…。また、来春の廃止にしては発表が早すぎる。夏休み明けの発表でも良かったのではないかと思う。

 ショックと体調不良で今日はこれ以上記せない。今月の旅行記はまだ作成中で全面的な公開をしていないので、それに「トワイライトエクスプレス」への思いを盛り込もうと思う。

 

 江差線の木古内と江差の間が廃止される。本日が最終営業日だ。私は52日に訪ねてきた。旅行記は近日公開する。

 この路線が廃止になるという事は、特定の振興局管内から鉄路が消える事を意味しており、それは衝撃的だと思う。

 

 

 湯ノ岱でのスタフ交換

 

 

 江差駅の裏側には臨時駐車場が設けられていた。この場所もかつては側線で賑わっていた事だろう。

 

 

 国鉄末期から登場した、貨車を転用した駅舎。この種の駅舎も老朽化で姿を消しつつあるが江差線ではよく残っていた。ただ、駅舎というよりは“顔がある車両”の廃車体なので、煌々と光が出ているのがなんとも不気味だ。

 

 2014328日(金)夜から30日(日)まで、関西へ帰省した。

 

2014329日(土)

小田原0:31→名古屋5:20 臨時快速ムーンライトながら号 クハ185-207

 185系電車の営業列車に乗るのはこれが初めてだ。窓の開閉ができる車両ゆえに、すれ違いの時には窓が大きな音を立てる。こういうところにも遜色車両らしさが垣間見えた。普通列車にも使える汎用車両として1981年に登場した185系特急形電車だが、特急列車どころか現在の夜行列車としても遜色だと思った。別に悪い車両だとは言っていない。

 編成が丸ごと方向転換されており、10号車には、1号車の表記が消された痕跡を見て取れる。

 

交通科学博物館

 46日をもって閉館する交通科学博物館へ行ってきた。鉄道関係の博物館や展示会に行く事は特に珍しい事ではなく、いちいちネタにしていない。“以前行った事がある”と思っていたら、なんと30年ぶりだ。“この前行った”と思っていたら10年以上経っている事が何かと多い。歳を取ったなぁと思う。30年前に一緒に行った友人は今でも親友だ。

 閉館間際という事で、入り口の動線(入館者の並び方)が変えられており、弁天町駅からの歩道橋は通行禁止にされていた。

 

 

 今回、交通科学博物館ですごい物を見た。それは国鉄バス「ドリーム号」の座席だ。なんと、在来線特急のグリーン車と同じローズストライプの段付きモケットではないか。保存車両の為にモケットを張り替えたとは考えにくいので、これが仕様ではないかと察する。そういえば40年ぐらい前の国鉄バス「ドリーム号」はリクライニングシート装備である事を売りにしていた。いくらなんでも特急グリーン車と同じモケットというのがおもしろい。当時の国鉄がリクライニングシートに対して特別な思いがあった事を物語っているのではないかと思った。

 ナシ20の中で食事した。テーブルは昔の物だが、椅子は現役時代の物ではない。また、職場で見られる古いエアコンが目の前に鎮座しているのが興ざめであった。展示車両というのは、電気系統等が民生用に取り替えられる事例がある。なんだか延命治療で無理やり生かされている状態と重なってしまう印象が少なからずある。

 

阪和線山中渓駅

 この駅の周辺の風景が好きであり、何年か前には実家からバイクで訪ねた事がある。都市路線の中にある無人ローカル駅であり、駅前の道は熊野古道である。この時期は桜の名所になっており、他にも行楽客の姿が見られた。

 

 

2014330日(日)

 この日は朝から雨だ。その予報を知っていたので、29日に用事を詰め込んだ。残念だが、今回の帰省では関西の友人に会うのは見送った。

 

 大阪駅に1245分頃に着いたので、北海道からの「トワイライトエクスプレス」の到着を待って撮影した。先頭の機関車を撮影する人や客車内を覗き込む人が多い。そこで思った事が二つある。一つ目は、先頭車両は列車の顔とも言える存在であり、EF81は優れた被写体だと思ったという事だ。二つ目は、「トワイライトエクスプレス」の窓の暗さが気になったという事だ。車内を覗き込む人たちは、窓に顔をつけるようにして目の周りを手で囲って覗き込んでいた。「トワイライトエクスプレス」は前回乗って感激したので再び乗りたいと考えていた。しかし、それとは別に、私は窓の暗い車両が好きではない。「トワイライトエクスプレス」の残念な部分に気づいてしまった。

 

 

新大阪13:30→品川15:56 新幹線特急のぞみ164号 727-3415

 3月の終わりだからなのか、春からの新しい生活へ向けての移動なのだろうと思える人を何人か見かけた。大分県から三重県、あるいは愛知県から青森県など、近隣の乗客の乗車券には驚いてしまった。

 

きっぷ

 一体どんなきっぷを使っているのか不思議に思われるかもしれない。関西への往復は、通常は往復割引乗車券であるが、今回は青春18きっぷと金券ショップで購入した新幹線の回数券だ。

 

 金券ショップで購入した新幹線の回数券は、自由席並みの価格でありながら春休み期間の繁忙期料金の指定席にも乗れるところがすばらしい。実質的に1000円ぐらい安い事になる。

 青春18きっぷがバラ売りされていた頃は、青春18きっぷへの関心が無かった。しかし、1996年春に青春18きっぷのバラ売りが無くなった時に考えが一気に変わり、それ以来愛用するようになった。大学生の頃の私は、旅行という娯楽の為だけに乗車券相当のきっぷを買う事に抵抗があったので帰省の際に用いる周遊券や所用の際の乗車券以外のきっぷを買う事は無かったのであったが、青春18きっぷが5日分で1枚のきっぷに変わると、これ1枚でいろんなところに行けると思い、帰省の時期に追加して旅行もするようになったのである。ところが、やがて時は行き過ぎ、1年前から1日分とかを購入するようになった。人間って変わるものだなと思う。青春18きっぷの1シーズンに5日というのは多すぎる。利用期間に制限があってもいいので、有効期間が1年ぐらいあればうれしいと思う。

 この春は青春18きっぷを5日分使う構想もあったが、結局は予定を絞り込んだ。構想どおり出かけていれば“鉄道旅行記”として単独コーナーにしていたところだ。

 

 来春のダイヤ改正等が発表された。それにしても、「見直し」だの「増」などの前向きな表現が使われる。「見直し」と言われても、各地で列車本数が削減される場面が見受けられる。「増」と言われても、特急列車の停車駅が増える事がすばらしいとは思えない。

 

 「寝台特急あけぼの号」が臨時化される。これについて特に驚きは無い。「あけぼの号」は名前こそ今日まで残っていたが、福島・山形を経由しなくなり、上越線経由の従来の「鳥海号」を「あけぼの号」へと名称変更した時点で別の列車になってしまった感がある。昔からブルトレが好きな私としては「あけぼの号」にはあまり華やかな印象が無い。車両はいつもお古ばかりで、20系客車が定期特急として最後まで使われていたのも「あけぼの」だ。また、「北斗星」が登場した後は、上野⇔福島間において、両者の間で明確な速度差さえあった。何事も後回しにされてきた「あけぼの」ゆえに廃止さえも後回しにされたのであろうか。そうは言うものの、別路線を経由する列車のダイヤを乗っ取ってまで名称が継続された事は評価されてもいいだろう。

 

 大阪→草津間に特急が新設される。このあたりを走る普通列車たちよりもはるかに短い走行距離だ。もう、新快速に指定席なりグリーン車なりを付けた方がいいのではないかとさえ思う。大阪→草津間は、全区間が複々線以上の電化区間だが、189系気動車による運転みたいだ。

 

 高崎線には、全席指定の新しい概念の「特急スワローあかぎ号」が登場する。全席指定の、いわゆる私鉄ロマンスカーのような扱いだ。自由席主体で気軽に飛び乗れる事に主眼を置いたかつての近距離特急とは全く概念が異なり、特別料金を払っていただくお客様には着席サービスを提供していく事に方向が向けられている。

 実を言うと、業界関係者から別路線において全席指定の特急の案を聞いていた。ここで誤解の無いように明記しておくが、鉄道会社の関係者から聞いた事前の情報や内部情報をここでは絶対に公開しない。さすがに全席指定という事で料金設定に工夫が必要になるだろうと思っていたが、案の定、「スワローあかぎ料金券」という新種の券が登場した。

 「スワロー」は「座ろう」だってさ。国鉄のシンボルが燕だった時代がある。燕→スワロー→座ろう。これ、私も同じ事を考えていた。…考えるだけならば誰でもできる。先に形にされて悔しい思いだ。

 

 さて、それこそ、特急列車の存在自体を「見直し」してはいかがなものか。例外ばかりを増やさずに、既存の急行料金の体系が生き残っている今、急行列車への移行等も含めて大幅な見直しを期待したい。変な特別急行が多数存在し、普通急行が11往復だけって、そもそもそれ自体が変ではないか。大部分の特急列車の急行列車への格下げを、いつやるか? 今…(略)…。

 

 ダイヤ改正ではないが、東海道区間の新幹線車両から飲料の自動販売機を撤去していくと報じられた。文字通り、ますますドライになっていく感じだ。

 

 消費増税に伴う運賃値上げに際して、JR旅客6社のうちJR東日本だけがICカードでの運賃が安くなるらしい。昔から消費税導入や、3%から5%への増税など変遷があったのに、ついに来春から足並みが揃わなくなった。スイカは10円未満のお金の扱いがものすごくイライラするので、私はコンビニ等では使わないようにしており、現時点では1の位の数字は0を保っている。しかし運賃改定後は、コンビニ等でもスイカを使おうと考えている。それにしても、JR特有の10円未満切捨てのルールに大きな例外ができた事になる。

 

 北陸新幹線の延伸に伴い、信越本線の長野⇔直江津間、北陸本線の金沢⇔直江津間が廃止されるらしい。JRからの分離だ。鉄道の大きな使命は、高速鉄道と都市内の大量輸送、この2つしか無いのかもしれない。地方の在来鉄道は、この先寂れていく一方だろう。

 

 現在では2日間有効の自由席特急券と急行券の有効期間が、来春から1日だけに変更されるようだ。実際はそれでじゅうぶんなのだろうが、現実的に2日間有効である事を活用してきた私としては不便な改定だ。それよりも、急行自由席グリーン料金の制度や2段式のA寝台料金を廃止する方が先では無いのか。なぜにこの2つが今なお時刻表に記載されているのか理解に苦しむ。

 

 それにしても、どんどん複雑になっていく。興味が薄れていけば変遷を追う気すらなくなるであろう。早めに国内旅行業務取扱管理者の資格を取っておいてよかったとさえ思う。

 

 2013125日(木)午後から7日(土)まで、所用のために和歌山県、兵庫県、大阪府へ行ってきた。2013年は旅行回数が乏しいので、単なる関西往復だが記しておこう。

2013125日(木)

東京17:10→新大阪19:43 新幹線特急のぞみ53号 787-2070

 N700Aに乗るのは、おそらく初めてだ。

 

新大阪20:03→和歌山21:10 特急くろしお27号 モハ286-15

 もう一本前の38125号に乗りたかったのだが、東京を出発した時刻が遅くてそれは叶わなかった。

 この27号は阪和間では日根野と和泉砂川に停車する。日根野→和泉砂川→和歌山の停車間隔は昭和国鉄時代の快速以下だ。しかも和泉砂川→和歌山の所要時間は18分で、昭和国鉄時代の103系快速と変わらない。この区間を17分で走る快速もあったぐらいなのだが。

 287系クモロハは、グリーン客室側に乗降扉がある。グリーン客が乗降しやすい構造と評価すればよいのか、あるいは普通客がグリーン客室を通り抜けすると言えばいいのか。興味が無い車両だからどうでもいいけど…。

 

2013126日(金)

和歌山市9:30→新今宮10:24 南海特急サザン16号 10909

 

神戸

 大阪から三ノ宮まではJRの快速に乗った。この間では新快速に抜かれない。新快速ほども混んでいない。

 鉄道で三ノ宮あたりを訪れるのは震災後初めてだ。震災といっても東日本の事ではない。阪神淡路の事である。

 神戸市営地下鉄に初めて乗った。

 三ノ宮の地下をあちらこちら歩いていると、ある区画を境に突然きれいになっている所とかを見かけた。震災復興時の施工の違いとかが随所に見られた。1995117日からもう20年近く経つのだな…。力強く復興した神戸でさえ今なお傷跡が見えるぐらいだから、東日本たるや言うに及ばずだ…。

 

阪神電車 直通特急

 三ノ宮から別の手段で大阪に向かうべく、生まれて初めて阪神電車に乗った。阪神タイガースとかに全く興味が無い私としては、大阪生まれでありながら阪神電車に乗る機会すらなかったのであった。ここは車窓を楽しんでおいた。

 

 この後、JRで交野市へ行った。

 

新今宮19:42→和歌山市20:41 南海特急サザン51号 10104

 この車両は2号車である。2号車と3号車が初期車からの改造車なので、座席指定車4両の窓がきれいに揃った美しい編成である。

 それにしてもこの列車、難波から和歌山市まで61分も要している。4半世紀前の急行の速いのよりも遅い。南海本線の特急も随分遅くなってしまったものだ。

 

2013127日(土)

和歌山18:50→新大阪19:50(実際は5分ほど遅れ) 特急くろしお30号 サハ283-2

 もう一本前の38128号に乗りたかったのだが、用事が長引いてしまい、出発した時刻が遅くてそれは叶わなかった。283系はきのくに線で最も速く走れる車両であり、今では古くなったとはいえ華々しく登場した車両でもあり、最新の287系よりも華があると思う。

 それにしてもフリースペースのラウンジがなぜに3号車自由席にあるのか。私は283系の自由席に乗る場合は、座席が少ない3号車を避けるようにしている。きのくに線特急はいずれも、2号車と3号車を自由席にするのは絶対におかしいと思う。

 この列車は阪和間では日根野に停車して43分で走破するはずだが、ウトウト寝ていると、列車がやたら遅い。どうやら先行列車が遅れていたらしく、天王寺と新大阪へは5分遅れで着いた。

 

新大阪20:00→品川22:26 新幹線特急のぞみ56号 786-516

 土曜日のこの時間帯は山陽からの直通ばかりでどうせ席を選べそうにないので、「くろしお」の車内放送で案内された次の20:17発の「のぞみ58号」へゆっくり乗り換えようとはせずに、4分ほどで「のぞみ56号」に乗り込んだ。B席にしか座れなかったが、京都からD席に移れた。

 

関西地区の友人知人の皆様へ

 今回は携帯の容量の関係でこちらからメールできませんでした。どれもこれも消せない記録ばかりなので、そろそろ新機種に交換しないとだめだね。

 

 来春、竜飛海底駅と吉岡海底駅が廃止になる。吉岡海底駅は1998年夏に見学した事があるが、2006年夏以来長期休止扱いだ。一方の竜飛海底駅の見学コースは明日1110日までだ。一般客が訪問可能なのは明日までなのである。

 江差線、竜飛海底駅、津軽今別駅、寝台特急「北斗星」、この4つを目的にした三連休乗車券の旅程を構想していたが、都合がつかずに流れてしまった。トンネルに対する関心が1998年頃よりも高まった今ならば、もっと違った感動があったかもしれない。残念だが行けなかったのは仕方が無い。少なくとも1回は海底駅を見学しておいて良かったと思う。

 青函トンネルは、青函連絡船時代よりも旅客需要が少ないぐらいだ。これは同じ1988年春に開業した瀬戸大橋の活況とはあまりにも対照的だ。トンネル開業当初は12両編成だった「快速海峡」の編成が段々と短くなっていったし、海底駅の見学コースも段々と縮小されてきた。

 鉄道トンネルとしての青函トンネルが持てる能力を発揮するためにも、東京から直通する新幹線を早く通すのが正解であろう。あまりにも遅きに失した感さえある。

 

 今秋、JR九州に豪華列車「ななつ星in九州」が登場する。車両形式にイが付く事に驚いた。A寝台車やグリーン車のロを上回る豪華列車と評する向きもあるようだが、私の感想としては、またまたJR九州が独自な事をやりだしたとしか思えなかった。JR四国のように車両形式にロやハといったカタカナを用いなくなった会社もあるくらいなので、イを復活させる会社があっても不思議ではない。

 なぜ今イなのか? 昭和30年代のクロ151は、三等級制から二等級制への移行を見込んでクイではなくクロとして登場した。また、この当時のイネやロネも、ABCの違いを持たせた上で一律にロネとされた。このようにして旧一等のイは消えていったのであった。

 通勤電車と長距離特急列車の接客設備を同列に論じる意味は無いので、特急形のような優等列車の車両を基準として思うところを述べてみる。

 イを復活させる機会は今までにもあったのではないか? 開放二段式のオロネ24と個室のオロネ25は、どちらも同じ時代に寝台特急のA寝台車として活躍した車両だが、とても同じ等級とは思えない。オロネ251977年当時に突出した車両だったので、オイネ25として登場しても良かったのではないかと思う。

 つい昨年まで長年に亘って、開放二段式からロイヤルやスイートまでもがロネを名乗っていたのだ。ロイヤルだのカシオペアだのって、イネではないか。

 

 開放二段式のロネとB個室ハネのソロやツインが長年に亘って同じ時代に活躍していた事も不思議だ。どう考えてもロとハが逆転しているではないか。

 従来のハネが三段式だった1974年に登場した二段式の25形ハネなんて、全車ロネではないのかとさえ思う。同じ時代に活躍した車両同士で比較しても何がハで何がロなのか整合が取れていない事が多々ある。尤も、それが趣味的におもしろい点でもあるのだが。

 

 2011年に営業を開始したJR東日本の新幹線のグランクラスも、わざわざ別のクラスという扱いにする必要があったのかと思う。車両形式を見るとグリーン車と同様に、十の位の数字が1であり、二等級制時代の一等車→グリーン車の系譜に含まれるものと解する事ができる。JR九州のデラックスグリーンのように、グリーン車の中の上級席という扱いでよかったのではないのか。グランクラスよりもかつての100/200系グリーン車の個室の方が確実に上だと思うのだが。

 グランクラスが登場した時、“一等車が復活、グリーン車は旧二等車”という報じられ方がされたが、これは違う。横4列でフルリクライニングシートが並ぶ特急グリーン車の始祖となるスロ60は、一等車スイ60として計画されていた。ところがGHQがこれを一等とは認めず二等にしたために、従来の二等とは異なる特別二等という扱いになったのである。つまり、現在の特急グリーン車は、元をただせば旧一等なのである。

 

 「リゾ−トやまどり」や「リゾートあすなろ」がハというのもわけがわからない。東京圏の普通列車のロと比べる性質のものではないが、同じJR東日本管内の特急のロをも凌駕する設備ではないか。

 私は長年“二階級制”に馴染んできたので、上級車のロやロネにバリエーションがあるのに違和感は無い。しかし、これをイとロに分けるとなると違和感だらけだ。そこまで細分化を目指すのであれば三等級に分けたぐらいでは収拾がつかないのではないかとさえ思う。だからといって、九等車や十等車と呼ばれる惨めな名前の車に気分よく乗れる人もいないのではないかと思う。尤も、イロハの次のニは四等ではなく荷物なのだが…。

 

 先日98日に、「北斗星」で出かけたい旨について公開した。この3連休については望むきっぷを得られなかったので、結局出かけなかった。そうこうしているうちに台風18号がやってきて、旅程として計画していた15日夜の「北斗星」が運休になった。

 夜間に眠っている間に長距離を移動できる夜行列車の運休について思う。自宅から遠方へ向かう夜行列車が運休になれば、出発を変更すればいいだけだからたいした損害にはならない。一方で、旅先から乗る予定の夜行列車が運休されたらひどく困ってしまう。今回も、15日夜に函館から上野に向けて乗る計画だったので、本当に出かけなくて正解であった。今から思えば、4時間遅れで運転された「はやぶさ」や、冬季の運休が珍しくない「トワイライトエクスプレス」によく乗れたものだと思う。私のこれまでの旅行体験のほとんどは、“運が良かった“と言えよう。

 東京在住の私が「トワイライトエクスプレス」に札幌から大阪まで乗るのは難しそうだ。いくらなんでも「トワイライトエクスプレス」に乗る為に、その日の朝に運休か否かを確認したうえで飛行機で北海道に向かうという旅程は好まない。

 実を言うとここ数年は、何日も前から高額な指定券を用意しておく旅程よりも、気が向いた時間帯に自由席に飛び乗ればいいような気軽な旅程の方が心地良いと思っている。

 ところで、新幹線の北海道への延伸に向けて、海峡線や江差線で見ておきたいところがたくさんある。いずれの目的の場所へも過去に実際に訪ねたことがあるので、何が何でもというほどの強い思いは無いが、機会が得られたら11月上旬までには出かけたいと考えている。 

 

 

 2013825日(日)、所用のために夜行日帰りで大阪府へ行ってきた。特記事項は無い予定であったが、大雨の影響で大変な事になっていたので記しておこう。

 

東京23:10824日)→名古屋5:20825日) 臨時快速ムーンライトながら号 クハ189-509

 823日(金)の「ムーンライトながら」の指定券を幸運にも入手できたのだが、諸般の事情で乗り損ねてしまった。翌日、824日(土)の「ムーンライトながら」の指定券も幸いな事に入手できた。本当は日曜日は出歩きたくないのだが、事情があって関西まで行く事にした。

 この夜の「ムーンライトながら」は、今季の下り最終運行列車である。

 えきねっとで予約した指定券はJR東日本の駅で23時までに入手しなければならない。そのような事情もあって、今回は、「ムーンライトながら」を小田原駅からではなく東京駅から乗った。

 東京駅では「ムーンライトながら」を撮影する人が多かった。列車そのものが最終運行になるのか、あるいは189系での運転がこれで見納めになるのか…。

 なんとグレードアップ車の10号車だ。えきねっとでは号車まで指定できない。以前はお気に入りの旅行会社で10号車を頼めたのだが、その旅行会社の近くの店が無くなってからはそういうわけにはいかなくなった。

 ここ数年、「ムーンライト○○」に乗ると体があまりにだるくて「こういう旅行はそろそろやめよう」と思うぐらいであった。足元の窮屈さが苦痛なのか、温度や湿度が体に合わないのか、換気がよくないよどんだ空気が苦しいのか原因はわからなかった。しかし今回、そのだるさが無かった。脚の動きが支えないのが良かったのかもしれない。シートピッチを60mm広げて足元のヒータを撤去しただけで取れる姿勢に大きな差が出る。やはり10号車は快適であった。

 下りの「ムーンライトながら」は名古屋駅では、中央本線乗り場の7番線に入る。3月に乗った時には驚いてしまった。

 

関西本線→片町線→阪和線→大阪駅→新大阪駅

 まずは片町線沿線に用事があるので関西本線に乗る。亀山到着前に、伊賀上野⇔加茂間が大雨で運休である事が告げられた。もっと早く知っていれば名古屋から先も東海道本線を進んでいたところだ。柘植で草津線に乗り換えようかと考えていたところ、伊賀上野⇔加茂間は代行バスが出るとの事だ。JRさんには気の毒だが、このような非常事態は急がない旅人の私としては楽しい…。

 関西本線231Dは定刻どおり亀山を出発し、伊賀上野行きとして運転された。洗車しながら走っているのか、と言いたくなるような激しい雨の中運転された。伊賀上野駅ではなんと4番線に着いた。

 代行バスの左側の一番前の席を確保する為に急いで乗り換えた。雨の影響で関西本線が止まり、伊賀上野駅から代行バスに乗るのは1997年夏以来である。

 伊賀上野駅からは、23人の乗客を乗せて8:03に代行バスが発車した。みやま観光の代行バスは、途中の各駅や駅近くの集合場所へ立ち寄りながら進んだ。

 

 初めて通る国道163号線に旅行気分が高揚する。

 加茂駅での放送によると、関西本線のこの区間の運休は朝の4時台には決まっていたみたいだ。

 

 奈良線の快速等も運休しており、片町線から近鉄京都線に乗り換えるように案内があった。

 

 さて、長尾駅は、以前駅舎があったところが工事中であった。かつての気動車ホームの遺構は完全に消えており、ここが昔は乗換駅であった事を今の姿から想像するのは難しいであろう。

 

 11時頃の京橋駅はすさまじい雨であった。大阪環状線ホームには当然屋根があるのだが、排水管の容量が追いつかなくてホームが水浸しになっており、女性駅員氏が水を線路へと掃き出していた。JR神戸線が運休だと案内があった。

 

 ところで、三国ヶ丘駅が工事中だ。97日から南海の改札口や通路とかが変わるらしい。

 

 17時台の大阪駅は、JR神戸線が運休していた影響で上り電車がきわめて少なく、阪急や地下鉄への振り替え輸送が案内されていた。京都まで行ける電車がしばらく来ないという状況であった。唯でさえ巨大な駅なのに、上り電車乗り場はすごい混雑であった。やってきた7連の電車で新大阪駅まで向かったがこれまたすごい混雑であった。

 新大阪駅構内のみどりの窓口もかなり混んでいた。今回は珍しく、新大阪駅に来るまでに復路の新幹線のきっぷを入手していなかった。日曜日ゆえに早く帰ってしまいたいのだが、窓口に並ばなければ仕方が無い。18:10当駅始発の「のぞみ248号」に乗る事にした。

新大阪18:10→新横浜20:24 のぞみ248号 786-2538

 新しい27番乗り場は初めてだ。また、今回は極めて珍しく新横浜駅で降りた。片道切符の利便性だけで考えた場合、品川駅や東京駅まで行くよりも自宅へ早く着くし、運賃も少し安い。新横浜駅で乗降するのは、19981月以来だ。新横浜駅は自宅から遠くはないのだが、利便性やらを考慮すると小田原駅よりも縁が薄い不思議な駅なのである。

 自宅の最寄の駅へは、出発した時と同じホームに、ちょうど24時間ぶりに到着した。そう、出発と帰着が全く同じ列車だったのである。

 単なる関西への往復であったが、いろいろとおもしろい旅程であった。

 

 

 車両運用の都合により、定期特急列車が他の車両で運転される場合がある。古くの“かえだま”や“うばざくら”の例も含めて、興味を引くところだ。

 さて、JR北海道で頻発する車両火災の影響で、この夏はJR北海道内の特急ダイヤが大きく変わった。JR北海道には気の毒だが、興味深い事例がかなり多い。

 一部の「特急北斗号」の代替として臨時の特急が運転される。車両の性能の違いゆえに同じ時刻に発車する臨時特急同士でも運転日によって所要時間が異なる。それでも特急は特急なのだ。ニセコ車両で運転される「臨時北斗号」は、最高速度が120km/hなので、定期の「北斗号」よりも所要時間が延びている。ノースエクスプレス車両は130km/hで運転できるから「北斗号」の代替が可能のようである。ニセコ車両もノースエクスプレス車両自体もNN183系の機能であるが、これらは運転見合わせの対象車両にはならないのか? 出火した車両も、臨時特急列車として代替する車両も、いずれもキハ183系なのである。また、キハ183系はあまりにも仲間が多すぎて最高速度をはじめとする性能に大きな違いがある。なにゆえに同一系形式を名乗っているのか不可解な系列なのである。

 

 「特急サロベツ号」の代替臨時快速に驚いた人は多いのではなかろうか。「特急サロベツ号」は札幌⇔稚内間の運転であるが、当該の臨時快速は旭川⇔稚内間の運転である。なんとこの快速、普通列車用のキハ40系であり、しかも特急とほとんど所要時間が変わらない。ここでは二つの見方があると思う。一つは、特急形車両を用意できなかったからキハ40にがんばらせてでも特急のダイヤを提供したいという見方だ。もう一つは、多くの人の反応だと思うが、「特急サロベツ号」って遅いんじゃないのかという見方だ。

 旭川⇔稚内間の営業キロは259.4キロである。この区間の「特急サロベツ号」の下りの所要時間は4時間3分で、上りの所要時間は3時間48分だ。件の臨時快速の下りの所要時間は4時間9分で、上りの所要時間は4時間13分だ。列車の行き違いなどに大きく影響を及ぼさないためか、上りの旭川側を除けば時間帯もほとんど同じだ。距離が短ければ所要時間に大きな違いが無くても理解できるが、260kmもの距離を特急とキハ40がほとんど同じ所要時間というのがなんともおもしろい。宗谷本線の名寄以北の最高速度がだいたい85km/hだからこのような結果になるのだろうが、特急とは何なのかと思ってしまう。

 198612月、14系客車による客車急行が最優等だった宗谷本線に一際速い「急行礼文号」が登場した。急行仕様のキハ54500番台による列車だ。この列車の運転区間は旭川⇔稚内間であり、下りの所要時間は4時間10分で、上りの所要時間は4時間6分だった。はっきり言おう、2013年時点の下りの「特急サロベツ号」は、昔の急行と大差が無いではないか。確かに、北海道のキハ54は高性能だが、旭川⇔名寄間の高速化工事がなされた後の2013年の特急がそれとあまり変わらないというのもおもしろい話だ。

 ちなみに、198612月ダイヤ改正当時の旭川⇔稚内間における客車急行の所要時間は、「宗谷号」が4時間半前後、天北線経由の「天北号」が5時間10分ぐらい、夜行の「利尻号」が5時間40分程度であった。

 

 それにしても、快速で代替される特急って何なのだろうと思う。

 以前、磐越西線で「特急ビバあいづ号」が運休の日には同時刻の快速が運転された。“同時刻”で“快速”ってなんなの? この事例では距離も短いし、そもそも特急と「快速ばんだい号」とで所要時間にほとんど違いが無かったので大して違和感は無かった。

 これも以前の話だが、2007年秋、「特急はやとの風号」が踏切事故の影響で、自由席車が一般のキハ40系で置き換えられた。この際には、自由席車は特急料金が不要という扱いであった。

 昨年5月、新潟駅付近の工事の際には一部の「特急いなほ号」が新潟発着とならず、似たような時間帯の臨時快速に置き換えられた。この快速は特急よりも遅かったが、数分程度遅いぐらいならば、特急料金不要の快速の方が地元の利用者には喜ばれるかもしれない。

 特急のすぐ下は快速なのか? 特急が特急形以外の車両で運転される場合には特急料金が半額払い戻しになる。件の「サロベツ」はそれではだめなのか? あるいは、臨時急行として仕立てるわけにはいかなかったのか? たしかに、冷房が無いキハ40やキハ54を優等列車として扱うのは難しいであろう。青春18きっぷの期間という事もあるし、サロベツ代替の快速に喜んで乗る人も多いのではないかと思う。

 

 特急とは何だろう。接客設備さえ良ければ特急なのか。たとえば、JR四国の2000系や8000系の特急を、その地区における他の車両で代替する事は性能的に無理であろう。130km/h140km/h以上で走る電車特急(もちろん新幹線も含む)、130km/hで走る気動車特急、振子式特急…このような代替不能な特急こそ、本当に速い“特急”なのだろうと思う。路線の最高速度が低ければ高性能な特急車両といえども速度は出せないが、…「サロベツ」おもしろすぎる。 北海道に行きたくなってきた…。

 

 

@関西日帰り紀行

 昨日、2013720日(土)、所用のために日帰りで大阪府と和歌山県へ行ってきた。下りの夜行寝台急行が残っていてくれればとまたまた思ったのであった。

 東京駅へ行くまでの路線でダイヤの乱れがあり、思ったよりも遅い時間帯になってしまった。

 

東京7:30→新大阪10:06 のぞみ11号 787-45 (博多行きの速達便、徳山停車)

 東海地区が曇っており、富士山を見る事ができなかった。富士山は東京の自宅からでも見えるが、世界遺産登録後に東海道からはまだ見た事が無い。

 新大阪駅にて「みずほ号」の実物を初めて見た。

 

和歌山16:47→新大阪17:49 特急くろしお26号 モハ286-11 (白浜発京都行き、287系なのに速達型)

 昔から「特急くろしお号」に親しんできた私としては、この26号は何もかも異例の列車だ。和歌山以南よりも和歌山以北の走行距離の方が長い。以前は京都発着と言えば新宮発着の長距離運用だったのだが、287系は白浜以北の運用である事に加え、白浜以南の列車本数が削減されたのでこのような運転形態が登場したのだろう。

 また、26号は287系でありながら紀勢本線内での停車駅が少ない速達型である事も特徴的だ。287系はカーブに強い振子装置こそ持たないが高い加速性能を活かして停車駅の多い列車に主に充当されている。速達型ゆえに283系や381系との性能差が目立ってしまう。283系ならばかつては紀伊田辺から1時間で和歌山に達していたが、今の287系の場合は紀伊田辺から1時間で海南にしか達しない。表定速度でいえば95km/h85km/hの差だ。

 阪和線内も残念な有様だ。かつては無停車38分の特急もあったが、今では往年の快速や新快速よりも遅い特急がたくさん走っている。26号は阪和線内を無停車43分(土曜休日44分)だ。阪和間38分と44分、こちらの表定速度もおよそ95km/h85km/hだ。なお、日根野に停車する本数が見直され、阪和間無停車で快適になった列車が増えたのはありがたい。

 あの尼崎の事故以来、JR西日本はすっかり牙を抜かれた感じだ。85km/hは決して低い数字ではないが、「特急くろしお号」が本当に速かった時代が懐かしい…。

 

 この日は京都の親友と何度かメールでやり取りしていた。やはり381系を薦められた。私だってこの先の機会を考慮して381系を選びたいとは思っていたが、時間帯の都合で287系の列車になった。そうは言うものの、この区間の特急に乗るのは2011年の秋以来だ。決して頻繁に乗るわけではないので、287系だって機会を捉えないとこの先乗れないかもしれないのである。

 

 

 車窓で気になるのは、今年3月に役目を終えた梅田貨物駅の跡地である。更地になるまでは数年かかるようである。

 

新大阪18: 00→品川20:26 のぞみ44号 787-58 (博多発の速達便、新山口停車)

 新大阪から自由席に余裕で乗り込めた。

 

A夏の北海道旅行は中止の予定

 上記@とも関連するが、この夏は関西への往復を優先させる。

 GWの前に、この夏の江差線と「トワイライトエクスプレス」の旅程の構想を公開したが、それは中止する事にした。元々のきっかけは、GWの帰省に際して新津から「トワイライトエクスプレス」を考慮していた。それが、どうせならば昨年夏の「日本海」のように長い時間乗りたいというように構想が大きくなり、さらに廃線予定の江差線も含めて旅行しようというように構想がさらに大きくなった。加えて、函館本線の臨時特急「ヌプリ」や「ワッカ」にまで考えが及ぶようになってしまった。また、皮膚の都合でシャワーを好きな時間帯に使えるように「トワイライトエクスプレス」ではロイヤルにしないといけないなどと考えているうちに構想が大きくなりすぎて面倒臭くなってきた。意外に思われるかもしれないが、私はロイヤルにはあまり関心が無い。

 また、贅沢旅行は昨年夏が最後という意識があった。大阪行きの「トワイライトエクスプレス」を新津から乗るのと、札幌から乗るのとでは旅程の規模があまりにも違う。JR北海道で頻発する車両火災の影響で、乗車を検討していた「特急北斗5号」が運休する事により、完全に諦めがついた。尤も、北海道に行かないまでも、「トワイライトエクスプレス」には乗るかもしれない。

 

 

 諸般の事情により、詳細は希望者にのみ公開。2014311日より一般公開 

 

 

 東松江では、1630分頃に5分ほどいてくれた。加太線に10000系がいるという事だけで、もう大興奮だ。

 今回のツアーを企画していただいた南海電鉄の皆者に感謝の意を表しておきたい。

 

 10005、昨年引退した1000610007、この3編成は、先頭車だけで登場した初期車を中間車へと改造して中間に取り込んだ編成であり、4両の窓が揃っていて美しくて好きだった。全車指定席の編成で8両全ての窓が揃っているとなんともうれしく思えたものであった。なお、今では全車座席指定の「サザン」は存在しない。また、加太線での運転に際しては中間車を外した2連にされる予定である。

⇒特急サザン 10000系乗車記録 (2004年公開) 

 

 今季の改正で私が最も気になっていたのは、梅田貨物駅の終焉である。昔は、アクティ大阪の27階展望ロビーから眺める大阪駅と梅田貨物駅が好きだった。今の大阪駅は大きく覆われていて俯瞰する楽しみは無い。貨物駅が廃止される前にもう一度訪ねてみたかったが、それは叶わなかった。この貨物駅が更地に変わるまでは数年かかるみたいなので、「特急くろしお号」の車窓から向こうしばらくは跡地の変化を見られそうである。

 32日に自家用車で熱海に行って来たが、この春に関西へ帰省する事がもっと早くに決まっていれば青春18きっぷを購入して、その内の1日分で熱海へ行く事を検討していた。人に会う事が目的だったゆえに特に時間の指定は無かったので、185系電車による普通列車521Mに乗りたいと考えていた。結局この案も潰えたまま、185系電車による521Mはダイヤ改正で廃止されてしまった。

 JR東日本の新幹線で大きな話題がある。世界最高速度に並んだのはうれしい話題だ。理論上でもいいのであと5km/h上げて、世界最速とするわけにはいかなかったのだろうか。このようなところにも、他国に遠慮ばかりしている日本らしさがにじみ出ているように感じた。

 新幹線と言えば、200系が定期運用から退いた。私にとっての200系新幹線とは、215形グリーン車のR31形リクライニングシートである。よって、すでに私の中では過去の存在なのである。この先にリバイバル企画が予定されているが、一般的にこれらの復活系の企画は、外装が昔風にされただけの車両で運用されており、内装はそのままである。鉄道会社にお金を払わない撮影するだけの人にとってはリバイバルかもしれないが、鉄道会社にお金を払って乗車する客にとってはリバイバルでもなんでもないのである。

 

 一方で、日本国内の鉄道について、一体どこの国の鉄道なのかと思う事がある。なぜに4ヶ国語の案内表記がなされるのだ。近隣国からやって来る犯罪者の手助けをしているようにしか思えない。日本は観光立国を目指しており、外国人が訪れやすい国を目指している。日本を訪れる外国人を年間1千万人にするのが目標みたいだが、誰がそんな事を望んだの? 恐怖や迷惑を感じる人も多いのではないか。鉄道とは関係ないが、はっきり言って東京オリンピックなんかも要らないから…。

 

 20123月のダイヤ改正で「あさぎり号」の御殿場⇔沼津間は廃止される。華々しく沼津まで延長されて特急に格上げされたのがついこの前のように思えるが、1991年の出来事だ。もう20年も経っていたのだ。

 HiSEは交通バリアフリー法の影響で運用を離脱した編成が多く、終焉は近いと思っていた。しかし、まさかRSEまで同時に引退するとは思っていなかった。私は特別席を有する華のある車両が好きなので、RSEの引退は残念だ。

⇒小田急ロマンスカー RSE「特急はこね号」・「特急あさぎり号」乗車記録 (2008517日乗車) 

 

★★夜行列車★★

 「寝台特急日本海号」と「急行きたぐに号」が廃止される。これは10月から知っていた事で、今さら特に言及する事でもない。両列車か、あるいは片方だけかもしれないが臨時列車として残るらしい。「急行きたぐに号」には2回乗った事があるが、できれば「寝台特急日本海号」にも乗ってみたかった。

 ⇒「急行きたぐに号」乗車記録(200613日乗車)

 

★★JR東海★★

 新幹線300系と在来線371系が引退する。新しい時代を切り開いた車両達だが、もう引退の時期なのだ。両方とも乗った事がある。

 300 乗車記録(2007810日乗車) 

 JR東海371系 乗車記録(200952日乗車)

 

★★JR四国 「特急あしずり号」★★

 前から思っていたのだが、「特急あしずり号」はわざわざ別に仕立てる必要があるのだろうか。岡山・高松方面の特急と接続しない時間帯に運転されるのならば理解できるが、高知駅で「南風号」や「しまんと号」と接続させるぐらいならば、はじめから「南風号」や「しまんと号」を直通させればいいだけではないのか。このダイヤ改正では、「あしずり号」が大幅に増やされる(乗り換えを強いられる)。

 

★★JR西日本 「特急くろしお号」★★

 「特急くろしお号」の一部の列車に新車(287系)が投入される。いたる所で話題になっているように、振り子式車両ではない。曲線に強い振り子式の高速電車である381系の後継車としては寂しい感じがする。ここ20年ぐらいは九州北部や四国や北海道など、各地で振り子式車両が登場している。経営事情が苦しい会社でさえも高価な振り子式特急車を投入している事を考えると、「くろしお号」への287系投入は退化のような印象を受ける。そうはいうものの加速性能の高い新型特急車であり、停車駅の多い列車に充当される場合には381系の所要時間と大きな差は無いはずである。ここで誤解の無いように記しておくが、振り子式車両だけが高い曲線通過速度が許されるのは安全上の理由ではない。横方向の強過ぎる揺れをもたらさない為である。振り子式でない車両で本則プラス15km/h等の高速運転を実施してスピードアップを実現させた事例もあるのだ。

 海南駅に全ての特急が停車するようになる。都市の規模や駅の利用状況を考えれば当然だと思う。

 「オーシャンアロー号」と「スーパーくろしお号」は「くろしお号」という名称に統一される。これは急に知った事なので大変驚いた。北陸系統の特急の名称が「雷鳥号」から「サンダーバード号」へと変わっていって残念な思いがあったが、一方、きのくに線特急は「くろしお」の名称が残ってよかったと思う。私は「特急スーパー○○」という二重形容かつ品の無い名前が嫌いだ。ただし、「スーパーくろしお号」はパノラマグリーン車が好きであり、「くろしお」よりも乗るには楽しい列車であった。

 余談だが、「スーパーくろしお」、「トワイライトエクスプレス」、「ゆうゆう東海」、これらは同時期に登場した。いずれも198910月号の鉄道誌で大きく取り上げられた。新時代の到来を予感したものであった。もうそれほども月日が流れていたのだ…。

 さて、ここしばらくは「日本海」の事ばかり考えていたが、きのくに線特急の事が急に気になってきた。私は「オーシャンアロー」は乗った事があるが、列車名が記されたきっぷを持った事が無い。

 この年末年始、関西へ帰省しようかとふと思った。13日の300系上り新幹線のグリーン車のきっぷを一応入手しているが、それよりも、きのくに線特急の今の姿を記録したくなった。

⇒「特急くろしお号」への思い (20107月)

 

 13日のUターンに用いる為の「ひかり早特きっぷ」を、いつもの旅行会社で本日購入した。家庭の事情もあるので年末年始に帰省するかどうかはわからないが、もしも帰省する場合に備えてきっぷを用意したのである。

 さて、私が東海道区間の新幹線のグリーン車を趣味で乗ったのは、1999年に引退した0162000番台車両のR32形座席までである。その後も東海道区間の新幹線のグリーン車に乗る事はあるが、R32形座席程の熱い思いは無く、機会があるから乗っているような感じである。関心が薄いような記述なんか読んでいる方も面白くないかもしれないが、今回は300系の引退が近いので記しておこう。

 20123月に300系が東海道・山陽新幹線から姿を消すという事で、それまでに東京⇔関西間を移動する機会があれば300系にしてみようかと考えた。過去の乗車記録を見て気づいたのだが、私は300F編成(JR西日本編成)には乗った事が無い。そのようなわけで、300F編成が充当されそうな「ひかり482号」を選択したのであった。

 朝からたびたびパソコンを覗いて、13日の上りの空席状況を見ていた。新大阪を昼頃に発車する列車の普通車から順にどんどんと満席になっていった。朝や夜の列車は普通車でも余裕があるみたいだが、経験上、それらも明日の夜にはほとんどが満席になっているであろう。

 私が帰省しない場合は別だが、13日の「ひかり482号」が300系以外で運転されたら腹立つだろうな…。

 

 ところで、1230日青森発の「寝台特急日本海号」で関西へ向かいたかったのだが、1130日の時点でA寝台は満席になっており、B寝台の空席もわずかになっていた。本日の時点ではA寝台もB寝台も満席になっていた。キャンセル待ちをお願いしたが、いつもの旅行会社では最近ではそれを受け付けていないらしい。…お気に入りの旅行会社もだんだんとサービスの範囲が狭くなってきたものだ。

 そういえば本日発車の「寝台特急日本海号」は強風の影響で運休らしい。実は、今週末は関西へ行く予定があり、今夜の「日本海」に乗ろうかと考えていた。しかし、一昨日の時点でその用事が中止になり関西へ行く事が無くなった。これで今夜青森まで行っていたら怒り爆発だっただろう。大雪、大雨、強風で夜行列車はよく運休する。寝台特急の乗車計画には天候も考慮しなければならない。遠方から乗車するのは危険である。

 件の「ひかり482号」は新大阪17:40発である。あと20分ぐらい遅ければ、「寝台特急日本海号」を見送る事ができるのだが…。なんだか「日本海号」には縁が無さそうである。

 

 「寝台特急日本海」については私も乗る方法を何度か考えていた。スリーデーパスで直江津から青森まで乗る旅程を考えていたが、震災の影響等により、それは「北斗星」もあわせて廃案にした。

 また、「日本海」のダイヤは、関西への帰省にも使いにくくてちょっと困っているところだ。大阪行きの「日本海」は新津2:28発であり、深夜の新津で3時間ぐらい待たなければならない。これは鶴岡以東から乗ればいいだけの話なので、いっそ青森からA寝台に乗ろうかとも考えてみた。しかし、日本海縦貫線の列車は真冬にはよく運休するので、青森から乗る案も不安だ。青森まで行って「日本海」が運休だなんて発表されたらあまりにも困るのである。

 一方、大阪発の場合、新津1:28着で、1:34発の上野行き「寝台特急あけぼの号」に乗り継ぐ事ができる。しかし、ダイヤが乱れたら新津で朝まで放置される危険性がある。また、直江津あたりで「日本海」から「臨時急行能登号」へ乗り継ぐ事もできる。いろいろ考えてみたが、深夜に下車したくないので、「あけぼの」や「能登」に乗り継ぐ案はあまり実行したいとは思えない。

 さて、私は「日本海」の発展版といえる「トワイライトエクスプレス」には乗った事がある。それで良しという事にしておこうかなとも思う。

 それにしてもこの時期、「日本海」と名の付く物を無くしていいものだろうか。まさか、近隣国からの圧力を理由に「日本海」の名称を消すなんて事はないと思うが…。

 

(2011/11/14)「国鉄グリーン車の続報」について… (20111223削除)

(2011/11/5)国鉄グリーン車の続報… (20111114削除)

 

 右手前が、何度か紹介してきたR26形リクライニングシートであり、奥が今回やってきたR27形リクライニングシートである。今は施工の関係でこの場所に置いているが、しばらくすればこの2脚をシートピッチ1,160mmで並べる予定である。

 今後の増備予定だが、改修できる職人さん達がかなりの高齢なので、決断するならば急がねばならない。R27を売ってくれる所を知っているので、そこからもう1脚買ってきてR26と同じ臙脂のモケットに張り替えようかと考えている。だが、この冬までに新幹線用のR31/R32が見つかればそちらを入手したいと考えている。自宅に置けるのは3脚が限界だろうと思う。

 新幹線用のR31/R32形リクライニングシートを譲ってくださる方からの連絡をお待ちしております。⇒メール

 なお、国鉄グリーン車への熱い思いは、こちらで公開している。

 

 

 

新幹線のページ…やはり、東海道・山陽と山陽・九州が分けられている。列車本数も歴史的背景も異なるので当然であろう。

 「つばめ」、「みずほ」、「さくら」だけのページもある。いつの時代の時刻表を見ているのか…という錯覚に陥りそうだ。

 東北の「はやぶさ」と山陽・九州の「みずほ」は運転本数が少なく、特別列車らしくてすばらしい。現在の「のぞみ」のように安っぽくならないでほしいものだ。現行ダイヤを見る限り、東海道においても山陽においても「のぞみ」を別に仕立てる必要があるのだろうか?

 それにしても、新幹線の愛称を増やす必要はあるのか。東日本の新幹線は延伸に伴って愛称も増えてきた。八戸へ延伸された際に「はやて」を別に仕立てる必要はあったのだろうか。一方、東海道・山陽は、岡山や博多へ延伸された際でも「ひかり」、「こだま」の2本立てのままであった。

 しかし、このダイヤ改正では、新幹線の博多駅においては6つの列車名が行き交う事になる。さらに愛称を持たない博多南線の列車も行き交う。東海道・山陽・九州をあわせて3つぐらいの愛称に整理すればいいのではないかと思う。

 

「特急はまかぜ号」…関西地区の特急列車にも関心が向く。昨秋に新車に置き換わった「特急はまかぜ号」だが、なんと速度向上はなされないようである。大阪⇔姫路間では「特急スーパーはくと号」並みの高速運転になるのかと思いきや、走行区間全域にわたってキハ181系時代と変わりがない。なんなの?

 

きのくに線特急…きのくに線特急の凋落ぶりには驚いた。従来は速達便の2往復を含む3往復だけで運用されていた「オーシャンアロー」が、鈍足特急や和歌山止まりの短距離特急にも運用される事になった事が印象的である。

 きのくに線特急は、このダイヤ改正で白浜以南が9往復から7往復へ減便される。それに伴い、古座や太地に停車する列車が増やされる。その結果、古座に全特急が停車する事になる。一方、減便によって椿に停まる特急は1往復だけになる。往年の「特急くろしお号」を知る私としては、周参見や古座に全特急が停車するのが納得いかない。

 ところで、南紀方面へ向かう「特急くろしお号」はかつて天王寺を00分に発車していた(臨時便等は30分発)。その後、「関空特急はるか号」の登場によって、「特急くろしお系統」の天王寺発車は原則として20分に変更された。しかし、8時台の「1号」だけは8:00発のままであった(少しずれた時代もあった)。この天王寺8:00発車の「1号」は昔から阪和間で遅く、阪和間を50分以上かけて走る。その「1号」がこのダイヤ改正で、なんと「オーシャンアロー」に置き換わるのだ。もはや「オーシャンアロー」は、速達便に重点的に運用される看板列車ではないのだ。希少な高性能電車をなんという扱いにするのだ…。

 また、和歌山止まりの短距離特急は、「はんわライナー」の一部を格上げした列車である。これは和泉砂川のみならず和泉府中にも停車する。この列車も、このダイヤ改正で「オーシャンアロー」に置き換わるのだ。この列車の阪和間の所要時間は、35年前の新快速や戦前の阪和超特急の45分よりも長い。そうは言うものの、阪和間は、45分以上がかかっている特急は決して少なくないのだ。往年の阪和線が例外的に速かったのは事実だが、現在の阪和特急や阪和快速はあまりにも後退し過ぎである。

 停車駅が増やされる事や「オーシャンアロー」が速達便に重点的に充当されなくなる事により、きのくに線特急は総じてずいぶん所要時間が延びてしまう事になる。また、2012年夏には振子機能を持たない287系電車が「くろしお系統」に投入される予定である。JR西日本はこの線区の特急の高速運転を諦めてしまったのであろうか。余談だが、この新車の特急には新しい名称が付けられるのであろうか。あるいは「くろしお」の名称を踏襲するのであろうか。新車投入にあわせて「特急南近畿号」なんて名付けたりしたら面白いであろうに…。

 きのくに線の紀勢本線部分は、毎年数%ずつ利用者が減少しているという深刻な状況に置かれている。御坊以南の普通列車は、増便する事も無く2両編成で事足りる程度である。高規格道路が田辺まで伸び、人口減少社会に転じた今、きのくに線はきわめて厳しい状況に直面しているのである。国鉄屈指の高速列車だった「特急くろしお号」はどこへ向かおうとしているのだろうか…。

⇒ 関連コーナー:(2010年夏公開)  紀勢本線「特急くろしお号」の停車駅設定や速度について

 

 東北新幹線E5系車両に「グランクラス」というグリーン車の上のクラスが登場する。それはファーストクラスとも表現されている。元より、「グリーン車」という呼称はよほど日本に詳しい外国人でなくては理解できず、グリーン車を英訳するには「Green car」ではなく「First class」である。

 さて、意地悪な見方であるが、JR東日本はグリーン車より上のグランクラスを登場させる為に、ここ数年の間に社内のグリーン車の質を低下させてきたのであろうか? E5系車両のグリーン車の質が低いとかではなく、新在直通車両や在来線特急のグリーン車の質が低いという意味である。新在直通車両や在来線特急のグリーン車は、横3列座席だった系統でさえも横4列座席化の方向に進んでいる。グリーン料金のみならず質をも下げたのである。山陽・九州新幹線の普通車がどんどん良くなっていくのとはあまりにも対照的である。

 そもそもA寝台車だってかなりの差がある。「グランクラス」であれ「E655系ハイグレード車両」であれ従来のグリーン車であれ、車両形式を見てもわかるとおりいずれも“1等扱い”でいいのではないのかと思う。A寝台車同様に、1等座席車の中にいろいろあってもいいのではないかと思うのである。

 ところで、グリーン車の質や料金は、JRに分社後にそれぞれの方向へと進んでいった。JR九州はグリーン料金を値下げした上に、質を向上させた。さらに「デラックスグリーン席」という上級席をも設けた。

 JR東日本では、「リゾートしらかみ」のようにシートピッチが1,200mmもある特急グリーン車級の普通列車用の普通車も続々登場している。階級分けも難しいものだな…。

 

 35日には東北新幹線に「はやぶさ」が登場し、312日には山陽・九州新幹線に「みずほ」・「さくら」が登場する。新青森から鹿児島中央までが新幹線で繋がるという、新時代の到来である。

 一方、去り行く列車達もある。関西に実家がある私としては、阪和線の変化や「特急北近畿号」の改称に関心がある。

 「特急北近畿号」…国鉄末期の1986年に各地の485系電車を寄せ集めて、従来の急行群を置き換える形で登場した。運転距離は短いし、停車駅も多く、特急らしからぬ名称をも含めて、登場した時から「遜色特急」の代名詞的な存在であった。しかし、登場から四半世紀経った今では、南九州や四国や常磐線ではもっと見劣りする特急がたくさん走っており、「北近畿号」がきわだって遜色であるとの印象は薄くなった。「北近畿号」はこの度、車両が変わって「特急こうのとり号」へと改称される事になった。よくよく考えれば、短命に終わる列車名が多い中、25年とは長い歴史である。なお、このダイヤ改正において「北近畿ビッグXネットワーク」は大きく改編され、「特急文殊号」や「特急たんば号」が廃止される。私は「特急文殊号」には乗った事があるが、「北近畿号」には乗った事が無い。「北近畿号」…具体的なのか抽象的なのかよくわからないおもしろい名称だと改めて思う。

 「特急雷鳥号」…「特急雷鳥号」のうち、車両の置き換わったものが「特急サンダーバード号」へと改称されていき、485系電車による「雷鳥号」は1往復だけが残される状況になっていた。その1往復もついに姿を消す事になったのだ。それにしても、車両を置き換えるぐらいでなぜに名称まで変えるのか。何度も言うが、「雷鳥」を英訳しても「サンダーバード」にはならない。歴史と栄光ある「雷鳥号」が消えるのが残念だ。車両を全面的に置き換えるのを機に、「サンダーバード」を「雷鳥」に改称すればいいと思うのだが。

 乗りに行くかどうかは別として特急券を購入しようかと考えて空席情報を見てみた。最終日の「特急北近畿号」の新大阪着の列車はいずれも指定券が余裕で余っているみたいだ。一方、「特急雷鳥号」は大阪発車時点の指定券は完売している。

 さて、私の地元の阪和線も激変する。日中の紀州路快速が熊取以南で各駅停車になるらしい。特別料金不要の快速電車が本当に速かった時代の阪和線とはずいぶん変わってしまうものだとしみじみ思う。阪和線は、快速電車が速かった歴史的背景がある。実際、国鉄時代においては103系電車にとって有数の高速運転路線でもあったぐらいなのだ。また、113系電車の新快速が阪和間を45分で走っていた時代もあったぐらいだが、現在の紀州路快速は最高速度こそ120km/hに向上しているものの、停車駅は多く、日根野での解結作業もあって、阪和間で60分以上かかっている。

 他には、「はんわライナー」と「やまとじライナー」も姿を消す。ここ数年で「はんわライナー」は勢力を縮小させてきた。人口減少社会においては、着席制通勤列車の需要が小さくなったという事なのだろうか。

 

 いろんな惜別をも兼ねてダイヤ改正までに関西へ帰省しようかとも考えていたが、実現しなかった。キロ180形車両が引退した201011月に関西へ行ったが、年末年始は帰省しなかった。この文を書いている3連休も結局東京の自宅にいる。先週まで激務が続いていて疲れているし、先般のキロ180形車両の引退ほどの大きな動機も無いのだ。そうは言いつつ、「北近畿号」が気になっているのだ…。

 

 

201011月の大阪地区の鉄道 

新幹線「みずほ」、「さくら」の名称について

 昨年まで、JR東日本から「三連休パス」というきっぷが発売されていた。今年7月に私個人の4連休があるので、今年も「三連休パス」が発売されるのであれば、それを初めて使いたいと考えていた。そのきっぷは、新幹線の自由席にも乗り放題で利便性は高いのだが、利用できる他社路線が年々増えてきてそれに伴ってだんだん高額になっていったという経緯がある。

 「1,000円高速道」との苦戦により、JRグループがどのような企画きっぷを打ち出してくるのか楽しみにしていた。本日発表されたのだが、今夏よりJR東日本から「スリーデーパス」というきっぷが発売されるみたいだ。従来の「三連休パス」に比べてずいぶん安価だと思いきや、自由席特急料金さえ別払いみたいだ…。このきっぷを使う気が失せたので、「ブルートレイン三連泊」の旅程の構想が潰えた。15,000円や16,000円でJR東日本管内を自由に行き来できた「ウィークエンドフリーきっぷ」を懐かしく思う。

 

 私は日本の国土や地理が好きで、高校時代は「○○県△△市、人口○十○万○千人」というのを日本全国全て覚えていた。最近では自治体の合併が進んでわけのわからない地名も増えて、その変化も追っていない。当然ながら都市の種類にも興味があり、政令指定都市にも多大な関心を抱いていた。政令指定都市は一部の行政事務において都道府県並みの権能を持つ。以前は自身のサイトの中にこのような国土ネタを扱うコーナーを持っていたが、そのコーナーを以前廃止したので、今回は政令指定都市の代表駅・中心駅に着目してこのコーナーで扱う事にする。

 平成の近年になって、市町村合併支援プランなどによって政令指定都市が急増した。昭和に制定された政令指定都市よりもあきらかに小粒な政令指定都市もあり、言い方は悪いが、「なんちゃって政令指定都市」のような市もあるように思う。今月、近所の神奈川県相模原市が政令指定都市になった。相模原市は津久井地区の4町を合併する以前からも人口が多い市である事は認識していた。長年、面積の面で基準に及ばなかった様だが、ようやくいろんな面で政令指定都市になる要件を満たせたようである。

 

 かつて、政令指定都市の国鉄線の駅では、都区内駅や市内駅として大都市特有の取り扱いがあった。例外的に川崎駅などは横浜市内駅という扱いであった。今でもこの区分は残っている。

 神戸市の実質的な中心駅である東海道本線三ノ宮駅はポイントレールの無い24線の途中駅の構造に過ぎないが、神戸駅はポイントレールもあり、始発終着駅としての機能も有する36線のやや立派な駅である。

 JRの、札幌駅、仙台駅、横浜駅、名古屋駅、京都駅、大阪駅、広島駅、小倉駅、博多駅は、どうみても見た目の立派な駅である。横浜駅と三ノ宮駅・神戸駅は運転上の拠点駅にはなっていない。川崎駅は、東海道本線の駅が開業してからも普通列車の大半が通過していた時代もあり、夜行列車を除く全ての普通列車が停車するようになったのは1980年になってからである。

 

 今月政令指定都市になった神奈川県相模原市だが、JTBの時刻表の索引地図では、なんと、JR東日本横浜線の相模原駅が市の代表駅として扱われている。だが、どうみても、実質的には橋本駅か相模大野駅が市の代表駅であろう。相模原駅は、駅前から各方面にバスが出ている交通の拠点であるが、それは橋本駅や相模大野駅も同じ事である。橋本駅はJRの臨時特急が停車するが相模原駅には停車しない。橋本駅は横浜線の他に相模線、および京王相模原線も接続している。一方、相模原駅は、横浜線だけの22線の単純な構造である。利用客数も橋本駅や相模大野駅に及ばず、政令指定都市の代表駅としては日本一ショボイ駅として間違いないだろう。また、駅の裏側は広大な米軍基地であり、今後の発展も見込めないだろう。

 大阪府堺市の代表駅は、以前は阪和線の堺市駅だとされていた。JTBの時刻表は交通公社の時代から国鉄が監修していたという歴史的背景があるので、JR贔屓なのは仕方が無かったのかもしれないが、今では実態に合わせて南海高野線の堺東駅が代表駅だとされている。堺市内のJRの駅といえば、今春のダイヤ改正で鳳駅に「特急くろしお号」が停まらなくなり、堺市内の全駅をJR特急が素通りするようになった。何なのだろうこの政令指定都市は…。堺といえば、日本史の教科書にもよく登場する重要都市であるし、以前は今の奈良県をも含めて堺県だった時代もあったのだ。過去の行政区分けまで言及してしまうときりが無いので、この辺りで止めておこう。

 岡山市や新潟市は、その地方の中でもずば抜けた存在なので政令指定都市なのは理解できる。一方、ちょっとわけのわからない政令指定都市が多すぎる気がする。川崎市、相模原市、千葉市、さいたま市は、東京圏が巨大化したものに過ぎないように思う。また、浜松市や静岡市の人口が多い事も知っているが、浜松駅や静岡駅における「のぞみ号」や「ひかり号」の停車具合、および駅全体の利用状況や接続路線を見ていると、名古屋駅や京都駅とはあきらかに違う気がするのだが…。

 駅の違いだけでも上述のような関心がある。自治体の権能や駅の規模等、国土への関心は尽きないのである。

 

 上野と金沢を結ぶ2つの夜行列車が2010313日のダイヤ改正で姿を消した。前夜の最後の旅立ちを上野駅まで見送りに行って来た。上野駅にはおよそ3,000人が集まったらしい。一方の金沢駅にはおよそ1500人が集まったそうだ。

 

★さようなら、ブルートレイン「寝台特急北陸号」★

 

 22:45頃、「寝台特急北陸号」がゆっくりと入線してきた。上野発の客車列車特有の推進バック運転を初めて見た。この様子を録画しておいた。今回は動画を主に撮影してきたので、静止画はあまり撮れていない。

 「寝台特急北陸号」については、尾久や金沢の車両基地で編成を見かけた事はあったが、営業運転の実物を見たのは初めてである。「北陸号」にとりわけなじみや思い入れがあるわけではないが、やはり私の鉄道趣味の原点であるブルートレインが消え行くのは寂しいものである。

 「寝台特急北陸号」については乗車する計画があった。2009年夏、「寝台特急北陸号」に乗車する旅程を考えていたが、パソコンの故障対応や、衆議院選挙の対応等で週末が2つ潰れてしまい、その乗車計画は潰えてしまったのであった。20109月にその旅程を実行しようと予定していたのに残念な事になってしまった。いつまでもあると思うな…、という事なのだ。

 自分でもおかしな事だと思うが、自分が乗った「はくつる号」や「ブルートレイン出雲号」の最終の見送りは考えていなかった。一方で、思い入れも乗車経験も無い「北陸号」は見送りに行ったのである。さすがにブルートレイン自体の最終局面という事なのだろうと自分で思う。

 

 

★さようなら、ボンネット形先頭車両「急行能登号」★

 「急行能登号」は、通常ならば構内改札が設けられている特急乗り場の16番線から発車するのだが、この夜は、前述の「寝台特急北陸号」と同様に13番線から発車した。なお、この夜の「能登号」は、5号車も指定席となった。

 「宇都宮線」という表記が誤りである旨の放送もあった。

 23:14頃、489系編成は「ホームライナー」のヘッドマークを掲げて、座席の向きもバラバラのまま入線してきた。ここで車内の清掃が行われて「急行列車 能登号」へと整えられるのである。前後のボンネット形先頭車両の付近はものすごい人盛りの様子だが、私はグリーン車サロ489形の横にいた。私がいた辺りはそれほどの混雑も無く、枕カバーや肘掛カバーを取り替える様子をゆったりと見る事ができた。

 いよいよ発車の段。最後尾の1号車は女性専用車の指定席であるが、この車両は上野発車の時点では他の車両ほども混んでいなかった。しかし、この車両にも半分以上は乗っており、ホームにいる見送り客たちに手を振っていた。

 

 

(番外) ★この頃の引退車両、 ★ヲ夕の蛮行、 ★ブーム 

 昨年の「はやぶさ・富士」の終焉によって「さようならブルートレイン」の熱気も一応の区切りがついたであろうから上野駅に集まる人は2,000人ぐらいだろう、と予想していた。ところが、312日の上野駅は何人集まるか予想がつかない事もあってかなりの厳戒態勢が敷かれる事になった。結局、上野駅にはおよそ3,000人が集まったらしい。さすがに今や希少なブルートレインやボンネット形特急車両の最後という事なのか。また、最近は鉄道がブームらしいし、さらに、「撮り鉄」なるものの蛮行が問題視されて報じられるぐらいなのだ。

 

 最近は東京圏でも引退する列車や車両が多いが、私はそれら全てに関心があるわけではない。228日は「500系のぞみ」が最終日であり、これは気が向けば見に行きたかったが、別件があって行けなかった。あれでも東京駅に1500人集まったそうだ。“「のぞみ」も「500系」も残るのに意外と集まったものだ“、と驚いたのが私の率直な感想であった。0系が東海道を去る時ほどの思いは無かった。たしかに500系はなじみは薄いが、世界的な名車だし、格好も良く、鉄道愛好家以外からも人気が高かった。

 4月には会津鉄道からキハ8500系が引退する予定だが、これには驚いた。一方、京王6000系は、乗る機会が多かったにもかかわらず、これの引退にはあまり関心が無い。通勤車両の功績や重要性はわかるが、どうも趣味的には惹かれない。

 1月に209系が京浜東北線から撤退したようだが、全く関心が無かった。209系の終焉に群がるヲ夕どもの蛮行がネット上に公開されていてドン引きした。こいつらは鉄道に対する愛情なんて無く、何かブームにでも便乗して騒ぐきっかけが欲しいだけではなかろうかと思えた。プロ野球やサッカーのファンと大して変わらないみたいに見えた。

 

 それにしても、ヲ夕の蛮行は眼に余る。鉄道会社に勤める私の親友も奴らの振る舞いに嘆くぐらいだ。昨夜の「寝台特急北陸号」のEF64形機関車の辺りは酷かった。激しい怒号罵声以外に、実際の物理的な押し合いもあった。「カメラが壊れるので押さないで下さい」と丁寧に言っているガキがいた。カメラが壊れるのがイヤならそんな所へ行かなければいいのに…。一方で、押される方向に逆行してでも思いの場所を目指すキ千ガイもいた。

 階段の横は通路が狭いので立ち止まる事を禁止されていたのに、「止まって下さい」と言って通行人を止めさせて車体側面の表示を撮影しているバカが警官に咎められていた。

 自分が満足な写真を撮る為なら周囲を省みない奴が多い。一定年齢以上になってもこんな状態だという事は、発達障○ではないのか? 一方、乱闘や騒ぎを面白がって撮影する者もいる。

 列車が走り去ると拍手が沸き起こるのだが、「拍手の意味がわからねぇ」と大声で言って場をシラけさせる者もいた。

 人の心は人それぞれだが、こいつら何しに来たんだろう…。満足な写真が撮りたいなら、混雑する最終日を避けて空いている日に来ればいいのに…。

 こんな事を書いている私だって、客観的に見れば多くのキモヲ夕の中の一人なのだろう。ヲ夕を見るのがイヤなら最終列車の見送りになんか行かなければいいのにって、逆に突っ込まれてしまいそうだ。とりあえず、刑事責任能力が希薄そうな連中が大挙して押しかけるので、事故や事件には要注意である。

 

 最近は鉄道ブームらしいが、鉄道に詳しくない出版社から出ている安易な書物が多すぎる感がある。また、女性の鉄道愛好家も多いらしいが、彼女達は、今までファンである事を隠していた真のファンなのか、あるいはブームに乗っかっただけのにわかファンなのか判別しがたいところだ。昨夜の「さよなら北陸・能登」にも女性がたくさんいた。趣味の度合いは人それぞれなので、にわかファンを批判しているわけではないという事は明記しておこう。

 

 さて、好きになった当時の鉄道風景が年々消えていくが、鉄道趣味がだんだんと縮小されてくるような気持ちである。「キロ180」と「14系・24系」が無くなったら、実物の鉄道への関心は一気に低下しそうな感じだ。

 

 

 最も注目を集めているのは、「寝台特急北陸号」と「急行能登号」の廃止であろう。ところが本日、2月の時刻表を見て知ったのだが、「能登号」が臨時急行として残るみたいだ。私が12月中旬に捉えた情報によると、「北陸」が臨時列車化され、「能登」が廃止になるとの事であった。その後の情報によると、「北陸」・「能登」は両方とも廃止になり、多客期には電車による臨時急行が設定されるとの事であった。いろいろ情報が交錯していた。しかし本日、「急行能登号」が臨時ながら残る事を知った。

 驚いた事に、「急行能登号」は定期列車として廃止された直後からも継続的に運転されるようである。“廃止、廃止”って騒がれ過ぎではないか。“臨時列車化”と発表すれば十分であったろうに…。私は「急行能登号」には先日惜別乗車したばかりであり、まるで転校や退職に際しての重々しい別れの挨拶を終えた直後に再会してしまった時のような気恥ずかしい気持ちにさえなった。

 そもそも「急行能登号」は多客期以外の需要が少ない11往復だけの夜行列車なので、多客期だけの臨時列車になるといったところでそれほどの変化とは思われにくいであろう。一般人からは「あれっ? 能登ってまだ残ってるじゃん」って言われてしまうそうである。廃止という点においては“NOT”と言えそうだ。そうは言うものの、夜行列車の臨時化は消滅への歩みである事に変わりは無い。数年内には事前の告知も無くひっそりと消えていくのではないかと思う。なお、臨時列車化後の「能登号」は、現行の金沢の489系ボンネット型電車から新潟の485系電車に変更される。

 

 他に私が着目したのは、「特急くろしお号」と「特急はるか号」の停車駅についてである。JRグループはダイヤ改正のたびに特急の停車駅を増やしていく傾向がある。“便利になります”なんて謳っているが、何の為の特急なのかと思ってしまう。ところが、今回は珍しく一部の停車駅の削減が行われる。

 「特急はるか号」の西九条停車が取りやめになるが、こんなの当たり前だ。そもそもアーバンネットワーク内の短距離特急なのに阪和線内でもチョコチョコ停まるのが理解できない。「特急はるか号」は和歌山方面との接続に関係無いのになぜに日根野によく停まるのだろう?

 「特急くろしお号」の鳳停車が取りやめになるが、これには驚いた。今でこそ日根野の躍進が目立っているが、鳳は阪和線の主要駅であり乗降客も多い。1972年から1977年までは途中鳳のみに停車する阪和間の新快速も走っていたぐらいだし、1986年に阪和線内で「特急くろしお号」の停車が初めて設定された駅も鳳なのである。よく知る特急停車駅が特急停車駅でなくなるという事態に初めて直面した。200710月に鳳から新大阪まで「特急くろしお号」に乗ったのだが、いい経験をしておいたものだと思う。

 

 

 

 30万円ぐらいかけて座席をリニューアルした。 (後日、別途公開予定)

 全体清掃、フレームの歪みの矯正、錆の除去、再塗装、クッション材交換、モケット張替え。さらに、リクライニングして体重をかけても倒れないように安定化。

 

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 「寝台特急はやぶさ・富士号」の上り最終列車を東京駅まで出迎えに行って来た。昨夕出発した「はやぶさ・富士号」は、上下列車ともに運輸障害の影響や事件などで遅延が生じてしまった。爆破予告によって途中駅で足止めされたのは残念な出来事であった。

 13日の夜は巨大掲示板にてずっと列車の動向を見守っていた。14日に備えて2時半頃には就寝したのだが、不眠ぎみの影響で5時頃に目が覚めた。さすがにこの日は特別な日なので、再び「はやぶさ・富士号」の動向を見守る事にした。上り最終列車9002レは東京到着が所定ならば1003であったが、11:10頃という見方がほぼ固まりつつあるようであった。

 実を言うと、私自身出かけようかどうしようか迷っていた。関東地方は強風で運輸障害が多発しており、天候はかなり悪いし、「はやぶさ・富士号」が東京駅まで来るかどうか不明だし、また、東京地区の到着時間帯も想像がつかなかったのである。

 しかし、今回は“東京駅最終”というのも主題なので、出かける事にした。なお、到着時間帯に特別番組があるというのは私の勘違いであった。私が東京駅に着いたのは11:10頃であった。強風の影響で自宅近所の路線にも遅延が発生していたのだ。東京駅では「はやぶさ・富士号」を出迎える為に多くの人が集まっていた。新聞報道によると約2,000人集まったとの事だ。しかし、私の印象では前夜の2/3もいるようには思えなかった。さて、「はやぶさ・富士号」の遅延はさらに延びたらしく、88分遅延だと繰り返し案内された。鶴見や品川の通過状況も案内された。大遅延だが、終着の東京駅まで運転されるようである。

 11:27頃、「はやぶさ・富士号」の姿が見えてきた。何度も汽笛を鳴らしながらゆっくり入線し、1130頃、東京駅10番乗り場に当駅最後のブルートレインが到着した。前夜同様の気忙しい撮影大会が始まった。私は元より9番乗り場側にいたので、機回しもよく撮影できた。

 

 

 最後は4号車の傍らで見送る事にした。車両には何度も触れる事ができた。私の隣にいた女性は何度も車体に触れていた。11:50頃、「はやぶさ・富士」の役目を終えた回送編成の発車の段となった。通常ならば「回送列車」と案内されるはずだが、「寝台特急富士号・はやぶさ号・回送列車」という言い回しが印象的であった。

 

 「寝台特急富士号・はやぶさ号・回送列車」は、拍手と歓声と涙に見送られ、東京駅を後にした。まさに東京駅からブルートレインが消え行く時である。…目の前がかすんできた。私の隣で何度も車体に触れていた女性も涙を流していた。

 

 私は、11:53発の東海道本線熱海行き793Mで品川を経由して帰宅の途についた。793Mは所定の2分遅れで発車しているが、「はやぶさ・富士編成の回送列車」の直後を走る。品川の車両基地の横を通過する際に「はやぶさ・富士」の大役を終えた12連の14系客車の写真を撮った。私の横にいた乗客も同じ事をしていた。

 本当に終わったのだなぁ…。

 ありがとう、さようなら、栄光のブルートレイン「寝台特急はやぶさ号」。

 ありがとう、さようなら、栄光のブルートレイン「寝台特急富士号」。

 

 東京駅まで見送りに行って来た。この日の私は運良く休みをもらえていた。平日の夕方6時頃なので2,000人にも達しないぐらいだろうと予想していたのだが、ものすごい混雑である。なんと3,000人を超える人が集まったらしい。末期的な姿になってしまったとは言え、さすがに名門の2大寝台特急の最後という事なのか。

 

 

 1号車方面に行ってみたが、車両に近づけないほどであった。激しい怒号と罵声が飛び交っていた。向かい側の新幹線20番線に列車が入線するとものすごいブーイングが起こっていた。

 東京駅10番乗り場は身動きが困難なほどの大混雑であった。私は3号車の傍らで見送る事にした。車両には何度も触れる事ができた。

 いよいよ発車の段になって歓声と拍手が大きくなったのだが、ちょうどそこへ20番線に新幹線がタイフォンを鳴らしながら入線し、その時にも歓声と拍手が大きくなった。なんというタイミングの悪さ…。EF66の汽笛と勘違いしてしまった人も多いのであろうか。その後、EF66の長い汽笛が鳴り響いた。あまりにも歓声が大きすぎて汽笛の鳴り終わりを確認できなかった。発車の案内が始まる頃から私の隣にいた女性は涙を流していた。

 さて、明朝は東京駅に最後の「はやぶさ・富士号」が到着する予定である。早朝ではないのでこれを出迎えに行こうかと考えていたのだが、鹿児島本線内の運輸障害の影響で遅れが出ているらしい。東京駅に出入りする最後の機関車牽引旅客列車になり得るのだろうか。

 また、東京に最後の「はやぶさ・富士号」が到着する時間帯には特別番組があるみたいなのでそちらも見たい。どうしようかな。それにしても、昨年の「銀河号」と異なってニュースにあまり出てこないのはなぜなのだ。栄光の「はやぶさ・富士号」なのに…。

 

 ありがとう、さようなら、栄光のブルートレイン「寝台特急はやぶさ号」/「寝台特急富士号」。

 20088月 「はやぶさ号」大遅延の乗車体験記

 

牽引機(我が心のEF651000番台)…大人になると数年前でもたいして昔に感じないが、子供の頃には物事が数年で変化してしまう事が衝撃的な場合もあった。1985年、「はやぶさ号」にロビーカーが連結されて14連から15連になる事に伴い、東京⇔下関・九州間の全寝台特急における東京⇔下関間の牽引機がEF651000番台からEF66形に交代した。この変化は、私にとって長らく鉄道趣味史上最悪の出来事であった。私にとっては、ヘッドマークを掲げたEF651000番台こそが、“正調ブルトレ牽引機”だったのだ。そうはいうものの、EF66が担当した期間は24年近くになり、ブルートレイン牽引専用機として誕生したEF65500番台の在任13年や、後継のEF651000番台の東京⇔下関間における在任7年をも大きく上回っている。

 私が鉄道を好きになった当時、ヘッドマークを掲げていたブルートレイン牽引機は、「出雲32/紀伊号」を除く東京発着の寝台特急のEF651000番台だけであった。その後、1985年に全国的にヘッドマークが復活し、ED75形やED76形やEF81形、およびDD51形にもヘッドマークが付くようになって華やいだ感じがしたものであった。しかし、ブルートレインの長い歴史においては、ヘッドマークが付かない時期の方がはるかに短いぐらいなのである。業務合理化の一環としてヘッドマークの取り付けを廃止していたとの事だ。私がいまだにヘッドマークを掲げたEF651000番台こそが“正調ブルトレ牽引機”だという印象を持ち続けているという事は、子供の頃に受けたブルートレインの印象がよほど強烈だったのだろう。

 そういえば、かつては主に「日本海号」と「つるぎ号」を牽引していたEF81形だが、当時は地味な存在だった。しかし、今では全ての客車寝台特急の先頭に立っており、また、我が国を代表する豪華3列車の専用牽引機としての地位までも確立しているのだ。時代って変わるものだな。

 

美しいブルートレイン、栄光の15両編成…私には、オロネとオシを含む14連の編成をEF65形やEF30形やED76形が牽引していた頃の記憶があるので、現在の「はやぶさ・富士号」の6+6連で12連というのはかなり寂しい。言い方は悪いが、「はやぶさ・富士号」は、現存するブルートレインの中で最もみすぼらしい姿で走っていないか。つぎはぎだらけの短い編成、九州島内での鈍足運転…、もう、栄光のブルートレインだと言ってもらえる今のうちにきれいに引退する方がいいのかもしれない。往年の姿に憧れた私にとって、今の「はやぶさ・富士号」に狂おしいほどの名残惜しさは感じられない。

憧れた当時の姿は、もはや模型でしか再現できない。

 

名称復活、さくら号…226日に発表されたが、2011年に新大阪⇔鹿児島中央間に登場する新しい新幹線新列車の名称が「さくら号」に決まったそうな。実は私は、JR九州のサイトにて新列車名を「はやぶさ号」と投票した。鹿児島発着で「さくら号」というのもどうも納得がいかない。だからと言って、政治色が強い「なは号」と名付けるわけにもいかないだろう。本当ならば、東京⇔鹿児島中央間の列車に「はやぶさ号」と名付けたいところであるが、JR東海が仕様の異なる8連の編成を東京まで乗り入れさせる事なんてまずはありえないだろう。

 「はやぶさ号」が「つばめ号」や「かもめ号」に負けっぱなしのまま消え行くのは残念でならない。一方、「富士号」と「さくら号」は我が国を代表する列車名称であり、廃止されても何らかの形で復活するのである。

 

さようなら、栄光の九州ブルートレイン(1)…書店に行くと、ブルートレイン関連の書物が多数発行されているのを目にする。しかもそれらの書物はブルートレインの栄光の半世紀を称えるような物も多く、まるでブルートレインそのものの終焉であるかのような印象さえ受けるほどである。やはり、どんなに凋落しても、ブルートレインの原点である東京発着の九州ブルートレインの存在は絶大なのだと思い知らされた。「はやぶさ・富士号」が引退してもブルートレインそのものが消えてしまうわけではない。しかし、この先最後まで残るブルートレインにどれほどの華と栄光があるのかは、…あまり触れるべきではないかもしれない。もしかしたら、ブルートレイン関連の書物が多数発行されるのは、大削減が行われた2008年と、「はやぶさ・富士号」が引退する2009年だけかもしれない。

 20093月、「はやぶさ・富士号」の引退によって東海道山陽九州ブルートレインが完全に姿を消す。「寝台特急あさかぜ号」、「寝台特急さくら号」、「寝台特急はやぶさ号」、「寝台特急みずほ号」、「寝台特急富士号」…これら東京発着の九州ブルートレイン達が往年の鉄路の華であった事に異論を挟む余地は無いだろう。さようなら、栄光の東京発着の九州ブルートレイン。最後は東京駅まで見届けに行く予定である。

 

さようなら、「(373系定期便)快速ムーンライトながら号」…今月はダイヤ改正前に帰省しようかと考えていたが、心身の不調が快復しないので帰省を中止した。「(373系定期便)快速ムーンライトながら号」に乗り納めする計画は潰えた。

 20073月のダイヤ改正で、下り定期「快速ムーンライトながら号」の東京発車時刻が23:43から2310に変更された。この時点で、「寝台急行銀河号(2300発車)」もしくは「快速ムーンライトながら号(2310発車)」のいずれかが近い将来消滅するのではないかと私は予想していた。予想は見事に的中し、20083月のダイヤ改正で「寝台急行銀河号」が引退し、さらに、20093月のダイヤ改正では「(373系定期便)快速ムーンライトながら号」までもが引退する事になった。仕事を終えた後に一度帰宅してからゆっくりと帰省や旅行に出発できる夜行列車が立て続けに無くなり、なんとも寂しい限りである。

 ちなみに、現行ダイヤでは、定期便の「快速ムーンライトながら号」のスジで東海道を下ると、大阪駅では程良い待ち時間で大好きな「特急はまかぜ1号」に乗り継ぐ事ができる。しかし、残念ながら今月は出かける事ができなかった

 

開業、南武線西府駅…この3月のダイヤ改正で開業する南武線西府駅…府中市まで行く用事があったので立ち寄ってみた。工事中みたいなのであまり近くまでは行けなかった。

 

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 この春、西日本方面の「ムーンライト」シリーズの臨時列車が全く設定されていない。この冬までは青春18きっぷの時期のうちの多客期において、「ML九州」、「ML高知」、「ML松山」が設定されていた。いよいよ西日本山陽方面において客車夜行列車の本格的な最後の時が訪れたようである。「ML高知」はかつて、グリーン車3連で毎週末や休日および休前日に運転されていた準定期列車のような存在であった。やがて運転日は縮小され続け、車両の老朽化もあいまって相方の「ML松山」とともについに消え行くようである。「ML九州」については今後の事は不明だが、今年夏に設定が無ければその後復活する事も無いだろう。いずれも臨時列車なので特別の告知も無く姿を消しそうである。一昔前の西日本方面の「ムーンライト」シリーズには上記3列車の他に「ML山陽」や寝台車付きの「ML八重垣」もあった。他にお座敷の臨時夜行快速さえもあった。なお、「ムーンライト○○号」が「ふるさとライナー○○号」と名前を変えて運転された時期もあった。

 「ML山陽」には2回、「ML松山」には1回乗った。「ML高知」と「ML九州」にはよく乗った。私のかつての山陽・九州方面の旅行は「ML九州」と「ML山陽」がなければいずれも成り立たないものばかりである。「ML九州」は山陽本線を寝台特急並みの所要時間で駆け抜けるので利便性が極めて高かった。九州方面は今改正で寝台特急が全廃になるので、手間のかかる客車臨時列車をわざわざ設定する事はこの先期待できないだろう。九州ブルートレインと「ML九州」が無くなろうとしている今、九州がすごく遠い地に思えてきた。九州ブルートレインと「ML九州」が消えると九州までの旅程におもしろさを見出す事が全くできないのである。私にとって「ML九州」の存在がいかに重要であったかを今更ながら認識した。

 さて、今改正では「MLながら」と「MLえちご」が臨時列車へと格下げされる。「MLえちご」は、近接する時間帯に他の旅客列車が走っているから存続しやすいかもしれないが、一方の東海道の「MLながら」はどうだろうか。「MLながら」は「寝台特急サンライズ」や貨物列車の運転とは別個の負担が問題になってくれば消え行くのは早いかもしれない。そもそもこの列車の前身は1968年に実際に廃止されかけていたのである。

 「MLながら」は青春18きっぷでよく乗った。新幹線や寝台列車と並んで、東海道の移動に重宝した。品川を2355に発車していた頃の91号は出発時刻の遅さが魅力であった。それゆえに一度だけだが普通乗車券でGWに乗った事もある。

 「MLえちご」もよく乗った。北海道旅行や東北旅行に重宝した。下り列車は私にとって北海道旅行の定番であり、北海道の「快速ミッドナイト号」と組み合わせて愛用していたが、200212月に「ミッドナイト」が無くなるとこの旅程を選ぶ旅行者が減ったようである。165系時代はR27系統のリクライニングシートがうれしかった。

 さて、「ML信州」は在来線特急でも3時間前後で行けてしまう行程を営業範囲にしており、際立って利便性が高いとは思えない。無ければ無いなりにそれに近い旅程が組めそうな気がする。

 ところで、私が初めて乗った夜行普通列車は大垣夜行であり、19926月に大垣から東京までサロ165に乗った。165系といえば19971月に紀勢本線の夜行列車で新宮まで行った事もあった。他に165系といえば、200010月には「夜行臨時快速尾瀬ハイク号」で新宿から越後湯沢まで行った事があった。この列車は夜行としてはさすがに運転距離が短すぎ、新前橋でかなり長く運転停車していた。他には、19998月に激混みの169系臨時大垣夜行に乗った事もあった。あれは一度で懲りた。

 青春18きっぷで愛用してきた夜行快速列車群も寝台列車と同様に目立って少なくなってきた。上述の「夜行臨時快速尾瀬ハイク号」のような変わった臨時列車が時々姿を現した事も趣味的におもしろかった。さて、安価な高速バスが活況を呈している今日、長距離夜行普通列車に活路は見出せないのだろうか。客層の悪さとかは別として、旅程としての魅力や趣味的なおもしろさがあった。時代の趨勢とはいえ、私に幾多の楽しみをもたらしてくれた列車達がどんどん姿を消していく事は誠に寂しい限りである。

 

 

 

 さて、東海道スジのブルートレインは我が国を代表する列車群でもあり、名門列車が廃止される度に大きく報じられてきた。廃止の報道においては世相を反映する表現が用いられていた気もする。私は全ての新聞や番組に目を通したわけではないが、記憶にある分について、“廃止”という表現以外の文言を拾ってみる。

 199412月「寝台特急みずほ号」廃止…臨時列車への格下げとの事であったが、実質的に廃止であった。この時の報道では「ブルトレ リストラ」という言葉が用いられ、ブルートレインの削減がリストラの嵐が吹き荒れる世相になぞらえて報じられた。なお、この改正では「つるぎ号」とブルートレインの始祖「博多あさかぜ」も臨時格下げという名目で実質的に廃止された。

 20053月「寝台特急あさかぜ号」廃止…この時の報道では「あさかぜ 定年」という言葉が用いられ、「古参あさかぜ」の廃止が団塊の世代の大量定年退職の世相になぞらえて報じられた。なお、この改正では「さくら号」と「彗星号」も廃止された。

 20083月「寝台急行銀河号」廃止…この時の報道では「引退」という言葉が用いられた。ごくごく普通の表現だと思う。なお、この改正では「なは号」と初めての関西発着の九州ブルートレイン「あかつき号」も廃止された。

 「はやぶさ号」と「富士号」の廃止について今のところ「引退」という表現は耳にしているが、今後も様々な報道がなされるであろう。いくらなんでも「みずほ号 リストラ」の時のような後味のよくない表現は慎んでもらいたいものである。

 

 現在、食堂車は対北海道の豪華寝台特急だけにしか残っていない。20年ぐらい昔は、「ひかり号」では当然のように実用的な食堂車が営業されていた。その当時は、日本食堂、帝国ホテル列車食堂、都ホテル列車食堂、ビュフェ東京の4社が受け持っていた。また、30年ぐらい昔は、在来線の長距離特急でも当然のように実用的な食堂車が営業され、サシやキシやオシといった車両が長大編成に彩を添えていた。在来線は日本食堂が受け持っていた。

 まるで旅行記みたいだが、まずはその食堂車を利用した旅程を公開しておく。19871222日、大阪から「寝台急行銀河号」オハネ25形で初めて上京。翌23日、東京715発の「急行東海1号」サロ165形で目的地へ向かう。「ひかり29号」に乗る為に小田原から東京までサロ110形の特急サロ格下げ車に乗る。この旅程はあらゆるものにこだわっており、物心がついてから初めての新幹線という事で、東京駅00分発の博多行き「最速ひかり号」のグリーン車にしたのであった。ブルートレインやR27系統リクライニングシートもこの旅程が初体験となった。

 折り返し「ひかり29号」となる編成が入線する際、グリーン車の扉の所にタンカが運ばれていた。病人でも出たのか何か詳細はわからなかった。車内清掃の様子を見ていたが、R25形リクライニングシートのヘッドレストの存在を初めて知った。なお、床を掃く箒が1番席の座面に置かれていたのはいただけなかった。発車間際になって多くの人が乗り込んできた。私の隣にもおじさんが来てセンターアームレストを京都まで取られてしまった。

 新横浜を通過する頃から食堂車の営業を始めるをいう案内が入った。本当ならば、高価なグリーン車に乗っているわけだから長くグリーン車に滞在しておけばよさそうなものだが、この旅程にはありとあらゆる要素を盛り込んでいた。そう、わずか3時間の乗車時間のうち、半時間程度を食堂車で過ごしたのだ。

 奥のソファの席で相席になった。タバコの煙が辛かった。この「ひかり29号」では帝国ホテル列車食堂が営業しており、焼肉定食が1,800円だったように記憶している。後からデザートとコーヒーが出るという事を知らずに退席しようとしたところ、指摘を受けた。時間差でメニューが出てくる食堂自体が初めての体験だったような気がする。なお、1万円札で支払ったのだが、釣銭が無いから後から持ってくるという事で下車駅と座席番号を聞かれたのであった。…新大阪まで11号車グリーン車の9D席。

 車内販売には驚いた。なんとグラスに注がれたお酒がトレーに載せられて、そのトレーが片腕で担がれて販売に回っていたのである。在来線の車内販売とはあまりに異なるその光景に度肝を抜かれてしまった。私は、車内販売では赤福を購入した。なお、グラスに注がれたお酒の車内販売を見たのは、この時が最初で最後だったような気がする。食堂車を営業している列車の車内販売は種類が豊富だと認識していたような気がするが、想像以上であった。

 その昔、三等級まであった時代は、一・二等客のみが食堂車を使えたという事もあったらしい。食堂車は上級車両なのである。やがて特別急行列車や食堂車も大衆化されるようになると内装の簡素さが指摘される時代もあったが、やはり長距離列車の中で自席とは別の専用車両で食事をするという事は優雅な事だったのだ。私が食堂車に行った時はかなり利用率が高かったように記憶している。特別ではなく一般的に利用されていたような気がする。やがて時は行き過ぎ、列車の運行時間が短くなった事や、コンビニや売店の拡充、および食堂車運用に伴う赤字の増大などもあり、現在では実用的な一般の特急列車に食堂車は付いていない。長距離列車の華であった食堂車も今となっては昔の事なのだ。また、私が食堂車を体験したこの旅程で乗った車両たちのほとんどもすでに過去の存在なのである…。

 

 国鉄時代の車両は大きなモデルチェンジが少なかったせいか、長年にわたって活躍したような印象を受ける車両が多い。0系新幹線もその一つである。20年ぐらい昔の鉄道誌を見てみれば、そこには当たり前のように0系新幹線の姿がある。それゆえか、それらの車両が引退するにあたっては、“一つの時代との離別”を意識してしまうような極めて大きな別れの印象を受ける。

 意外に思われるかもしれないが、かつての新幹線は、今で言うところのリニアモーターカーのように、鉄道趣味の範疇に感じていない人も多かったと聞く。在来線とは異なり、あまりにも優等生過ぎて趣味として人気が無かったとの事だ。やがて時は行き過ぎ現在では、0系新幹線には愛嬌があるだの人間臭さがあるなど言われるようになった。結局のところ、なじみのものなのか、あるいは、更に無機質な物ばかりが世の中にあふれるようになったから相対的に愛嬌や人間臭さを感じるのであろうか。理由はさておき、世の中の評価も流動的である。

 0系新幹線の完全な引退については一般的なニュース等でも報じられている。しかしながら、私にとっての0系新幹線は、1999918日に東海道区間から撤退した時点で最後である。なんと言っても、グリーン車が付いた長大編成で東海道メガロポリスを行く姿が格好良く思えたのだ。山陽区間で現在まで残っていた車両は、内装は大きく変わっており、つい先日までは外装さえ変わってしまっており、長年親しんできた0系新幹線とは思えなかったのである。こういう言い方は申し訳ないが、現代的な座席に取り替えられた普通車のみの6連になってしまった山陽の0系の最終運転にはいまひとつ興味がわかなかったのだ。最近は在来線においても国鉄時代の外装の復活が見られるが、内装は現在のままなので、座席へのこだわりがある私としてはいまひとつ面白みに欠けるのである。

 私にとっての0系新幹線は、東京駅毎時00分発の博多行き「最速ひかり号」、および、グリーン車のR32形リクライニングシートの印象が強い。19999月に東海道区間から撤退した時から、東海道の日中の移動における私の最大の楽しみが無くなったぐらいである。ところで、物心が付いてから初めて乗った0系新幹線は、19871223日東京駅1600分発の「ひかり29号」グリーン車11号車、ゴールデンイエローのR25形リクライニングシートであった。最後に乗った0系新幹線は、東海道最終日の「こだま414号」グリーン車、R32形リクライニングシートであった。グリーン車にはじまり、グリーン車に終わる…これが私にとっての0系新幹線という事にしておきたい。19999月頃に自身のウェブサイトを開設していたらかなり熱い思いを公開していたに違いない。

 栄光の名車両0系新幹線様、お疲れ様でした。残り3日間も無事に走り抜き、乗客死亡事故ゼロのまま引退の時を迎えるという輝かしい記録が後輩車両たちにも受け継いでいかれる事を祈念いたします。ありがとうございました。

 

 さて、今の北海道の鉄道旅行に魅力はあるのだろうか? 今回は、青春18きっぷの旅程、道内夜行列車、「寝台特急北斗星号」への思いについて記しておこう。

 数年前に「快速ミッドナイト号」と「快速海峡号」が廃止になってしまい、青春18きっぷでの北海道との往来が困難になった。さらに、本州内においては「快速ムーンライトえちご号」の下り列車が新潟止まりになってしまった事、および、東北本線の一部区間がJRを離籍した事も青春18きっぷでの北海道との往来を困難にした。また、個人的な事であるが、東北や奥羽越自体にほとんど行った事が無かった頃には東日本地区を通る事も楽しみの一つであったが、それも回数が増えれば段々とネタが無くなってきた。つまり、青森と首都圏の間において片道に丸一日ぐらいずつかけるのが億劫になってきたという事だ。そのようなわけで、次に北海道に行く時には「ぐるり北海道フリーきっぷ」を使って本州内をさっさと通ってしまいたいと考えるようになっていた。しかし、そのきっぷはGWや盆の頃、および年末年始には使えないので仕事の長期休暇の時には使えないのである。

 道内においては、道内のみの夜行列車が全廃になるのが残念でならない。私は稚内に行ってみたいと長年思っていたのだが、良い旅程を組めずに先送りしているうちに夜行「利尻号」が廃止になってしまった。宗谷本線は行って帰ってくるだけの長大路線なので、できれば片道は夜行にしたいと思っていたのである。「利尻号」も夜行の「オホーツク号」も臨時列車に格下げされた後に今春廃止された。また、道内のみの夜行列車としては最後まで残っていた「まりも号」もこの夏を最後に廃止される。それこそかつては周遊券族等が宿として利用した道内のみの夜行列車が完全に無くなるわけだ。旅行スタイルもずいぶん変わりゆくものである。なんだか、北海道旅行の魅力が急激に失せてきた気がする。そもそも、上記の3つの夜行列車は400km程度の運行であり、列車の速度が低かった蒸気機関車の時代には優等列車でありえたわけだが、晩年は表定速度が低いながらも夜行特急として運転されてきた。いずれも気動車と寝台客車の混結というものすごい編成であり、編成を見るだけでもおもしろい。1999年の夏、休暇があと1日長ければ「急行利尻号」で稚内に向かう旅程を組んだのだが…。

 「寝台特急北斗星号」が華々しく登場した事がつい先日のように感じられるが、もう20年以上昔になる。この春のダイヤ改正ではついに1往復を残すのみになってしまった。この列車については、ロイヤルやソロではなくツインDX(二人用個室A寝台)に乗りたいと願っていた。「寝台特急北斗星号」に乗るならばツインDXでなければいやだと思っていた。「北斗星のツインDX」は内装が好きな車両であり、この車両には熱い思いがある(すでに運用を離脱した特殊な1両を除く)。この車両に愛する女性と乗れたならば…と思い続けて20年以上…結局私は、一緒に乗ってくれる女性にめぐり合えるほど立派な人間にはなれなかった。正直言って心残りである。

 この夏、「まりも号」の廃止前に北海道に行こうかどうしようか思案中である。いろんな意味でタイムリミットが迫りつつある……。

 

 「マイテ49」はこの夏も山口線のSL列車に連結される。また、今年は8月初旬には同SL列車に「サロンカーなにわ」が運用される。両者ともに定期運用に入らない特別な車両だけに、一般の臨時列車として乗車できる機会があるのは素晴らしい事だ。しかし、なぜに山口線なのか。「サロンカーなにわ」も「マイテ49」も大阪が拠点なのだから大阪近郊で乗る機会を得たいものである。私は首都圏在住で実家が近畿なので、さすがにひと夏に2回も山口まで行くのは気が進まない。そのようなわけで、夏の鉄道旅行の計画立案に苦戦している真っ最中である。実は、旧国鉄が蒸気機関車の復活に際して山口線を選んだ理由のひとつは、東京や大阪からの距離である。つまり、高い運賃や料金を払って遠路はるばるブルートレインや新幹線で来てもらいたいという思惑があったのだ。

 ところで、「マイテ49」についていつも思うのだが、フリースペース的な使い方はやめてもらいたい。わざわざ復活させたぐらい文化的価値の高い往年の特別車両であり、現在でも特別車両として運用するのが妥当であろう。青春18きっぷで乗れるような車両ではないはずである。

 さて、「サロンカーなにわ」も「マイテ49」も20年ぐらい前は紀勢本線のような大阪近郊の線区でも一般的な臨時列車としてよく見られた。さすがに当時小中学生ぐらいだった私は100km程度の距離でさえもそれほど気軽に出かけられるものではなかったので、それらに乗る機会を得る事は無かったのであった。あんなに近くにいたのに乗る機会を得られなかった事が悔やまれてならない。

 実際問題として、「サロンカーなにわ」も「マイテ49」も客車である。実は今、旅客列車の機関車を運転できる職員が年々減っている。つまり、機関車の運転がなされる線区でなければ実質的に運転が難しいのであろう。せっかくだから機関車を運転できる職員がいる今のうちに、東京と大阪を夜間に結ぶ「臨時急行サロンカー銀……」…おっと、冗談はこれくらいにしておこう。 実際に存在する列車の中から実現可能な旅行計画を組み立てる事も、鉄道旅行の楽しみのひとつなのである。ただ、やはり願いとしては、「サロンカーなにわ」と「マイテ49」を大阪近郊で乗車できる機会を得たいものである。

 

 急行形仕様のエンジの座席に白いカバー …なんて美しいんだ! 背もたれカバーも肘掛カバーも思いのままにできる。

 

 

 ところで、312日朝には、「なは・あかつき」のヘッドマークが盗まれたというニュースで目覚める事となった。その数日前には、「銀河」において方向幕が盗まれたり、扉にいたずらされたりという事件もあった。それらは、悪質なマニアのいたずらではないかと報じられたが、鉄道マニアに対する世間の目とはそのようなものだろう。名列車たちの最後をなぜに傷つけるような事をするのか、キ千ガイどもの神経が理解できない。

 さようなら「寝台特急あかつき号」、さようなら「寝台特急なは号」。明日の夜は「寝台急行銀河号」の最後の旅立ちを見送る為に私は東京駅へ行く。最終日の指定券はまだ入手できずにいるので、見送るだけになってしまうだろう。

 昨夜には、「書籍/寝台急行「銀河」物語(JTBパブリッシング)」が手元に届いた。「寝台急行銀河号」最終乗車への強い願いは届かぬものか…。

 

 1983年、欧風客車のジョイフルトレイン「サロンエクスプレス東京」が14系座席車の改造によって登場した。この「サロンエクスプレス東京」はその当時、特急を題材とした書籍にも登場していた。実際に「臨時特急サロンエクスプレス踊り子号」などでも活躍していた。私としてはワインレッドの美しい車体色が印象的であった。また、この「サロンエクスプレス東京」とEF5861号機の組み合わせはあまりにも有名であった。EF5861号機とは、昭和天皇の御召列車用機関車として1953年に誕生した車両であり、光り輝く深紅色の車体と車体側面を飾るステンレスの帯が特徴である。「サロンエクスプレス東京」は、1997年に7両編成のうち6両が外観はそのままにお座敷編成「ゆとり」へと改造され、残りの1両が別のジョイフルトレインに組み入れらた。今改正においては「ゆとり(旧サロンエクスプレス東京)」とEF5861号機が両方とも引退する。どちらもスーパースターだった車両であり、車両の引退としては衝撃的である。私が実物に接した機会は、どちらも品川駅で展示されているのを1回見ただけであった。

 さて、ブルートレインについては、「銀河号」、「なは号」、「あかつき号」が廃止になる。東海道夜行急行、および関西発着の九州ブルートレインが全廃という事なる。かつて夜行優等列車の出発で賑わった夜の新大阪駅18番のりばや東京駅の情景は、もはや過去のものとなってしまうのである。

 他にもブルートレインと言えば、「日本海号」と「北斗星号」が削減されるわけだが、こちらの車両の動向がなんとも興味深い。「日本海号」については、「銀河号」と客車を共用しているJR西日本編成が姿を消し、古参プルマン式A寝台車が付いているJR東日本編成が残る事になった。JR東日本には「北斗星号」の削減で余剰になる大量の個室寝台車があるのだが、なぜかそれらを「日本海号」に転用する事はないのである。なぜに人気が高い車両で運転するように変更しないのか理解に苦しむところだ。また、「北斗星系統」の24系客車の運転削減に伴い、今改正において「夢空間」が姿を消す。「夢空間」とは、次世代の寝台列車の方向性を検討する為にJR化後の1989年に試作新造された超豪華仕様の3両の24系客車である。内装は有名百貨店等によって手がけられた車両であり、その登場は24系客車の新時代の到来を予感させた。「夢空間」の登場はつい最近のように思っていたのだが、いつの間にか20年近くが経過していたのだ。「夢空間」は団体列車や臨時列車としてしか運用されておらず、また、標準的な鉄道車両の寿命としてはあまりにも短い方である。よくよく考えれば、復活後のマイテ49の方が長く活躍しているぐらいの年数である。「夢空間」のような超人気車両を20年未満で廃止してしまうとは、それこそがJR東日本の表した寝台列車に対する姿勢なのだろう。日本一の豪華列車と言われる「E26系カシオペア号」と言えどもあと10年もすればあっさり廃止されているのではないかと私は思っている。

 また、今改正での寝台列車の削減に伴い、EF65形電気機関車やEF81形電気機関車の一部も運用から離脱する。

 さようなら名車両たち、さようなら名列車たち…。14系、24系、EF65EF81EF58-61、これらはいずれも私が模型でも愛している車両たちだ。20083月のダイヤ改正は、私にとってはきわめてさみしい内容なのである。

 

 初めて乗ったブルートレイン、「銀河号」。初めて上京した時の列車、「銀河号」。大人になった今でも乗る前に緊張してしまう列車、「銀河号」。勤務地東京と故郷大阪を結ぶブルートレイン、「銀河号」。最終日は、東京駅で見送るだけの別れになってしまうのか…。あまりにも切ない…。

 

 かつて夜の新大阪駅18番のりばから踵を接するかのように立て続けに発車していった「なは号」・「明星5号」・「あかつき3号」・「彗星3号」といった関西発着の九州ブルートレインは、今では「なは・あかつき」の併結運転1往復を残すのみになってしまった。その「なは・あかつき」も来春のダイヤ改正でついに姿を消す事になった。新幹線や航空機で2時間程度で行けてしまう関西-九州間においては、速度面でも設備面でも30年前の水準を引きずった寝台特急はもはや時代にそぐわないのである。

 「北斗星」の凋落も象徴的だ。「北斗星」は、青函トンネルの開通と同時にJR生まれの寝台特急として登場し、豪華ブルートレインとして世間の耳目を集めた。当初は臨時扱いだった1往復も豪華車両を組み込んでさっそく定期化し、3往復の定期便が運行されるまでに成長した。そのような「北斗星」も凋落がささやかれるようになり、今では1往復を隔日運転の「カシオペア」に振り替えられて「北斗星」は2往復になっているが、それも来春で1往復を残すのみとなる。

 今でも2往復以上の定期列車が走るブルートレインは、「北斗星」と「日本海」だけである。「日本海」は昔から派手な存在ではなかったが、新幹線が無い地域を長距離走る事もあってか、凋落が著しい夜行列車群にあっては好調な方だったと聞く。今でも開放B寝台を主体とした長大編成であり、国鉄ブルートレインの面影が最も色濃く残っていると言えよう。東海道・山陽においては二つの愛称を併結して1往復にしたような寝台特急しか残っていないようなご時世にもかかわらず、単独愛称で今まで2往復も残っていた事はよくがんばったと言えよう。

 「銀河」廃止…これはきつい。20年ほど前、24系化された当初は増結で寝台車が12両という事も珍しくなかったが、今の通常編成では寝台車は6両だけである。さすがに東京-大阪間を新幹線が2時間半前後で高頻度に走る区間においては、寝台列車はもはや時代にそぐわないのである。さて、「銀河」の客車の基地は大阪なので、最終日の大阪発は、オロネ242両つけて予備車も多く動員して寝台車13両の長大編成で有終の美を飾ってはいかがだろうか。それにしても「銀河」は個人的に最も思い入れの強いブルートレインであった。なんだか自分にとって大切なものがだんだんと消えていく…。

 ブルートレインは私の鉄道趣味の原点である。もうかれこれ20年以上昔の話であるが、私はブルートレインの美しさに惹かれて鉄道が好きになった。そのようなブルートレイン達も今ではそのほとんどの列車がつぎはぎだらけで窓の高さや帯の色などがちぐはぐのみすぼらしい姿へと転じてしまった。ブルートレインが華やかだった時代までは、長距離に対するある種の畏怖や憧憬のような思いがあった気がする。国内の長距離移動に対する日本人の意識もここ2030年ほどで大きく変貌を遂げたのではないかと思う。新幹線や航空機が便利になり、夜間の就寝時間帯を移動の時間にあてる必要が無くなった現在においては、夜行の乗り物で移動する事自体が実用的ではないのである。

 この冬の旅行や帰省においては「寝台特急あかつき号」に惜別乗車し、「寝台急行銀河号」にも乗る予定である。「さようなら開放型A寝台客車」という事で、大阪から東京へのUターン時には「寝台急行銀河号」をやめて「寝台特急日本海3号」で青森を経由しようかとも考えていたのだが、「銀河号」廃止の事実を目の当たりにしてしまうと今ひとつ踏み切れない思いだ。

 ブルートレインへの熱い思いは日を改めて吐露する事にする。本日はさすがに悲しくて疲れてきた。

 

期間限定でリンク→  http://www.asahi.com/life/update/1117/TKY200711170276.html 

300系のぞみ189号 博多行き」 東京駅にて

 485系特急形電車は国鉄時代からの車両であり、日本各地の電化幹線で長年にわたって多数の車両が活躍した系列である。元々両数が多いゆえに、今でも各地で見られても不思議ではないし、485系電車のうちのいずれかの車両が事故に遭遇する確率だって高いのである。それにもかかわらずテレビ番組にて、国鉄時代の車両は危ないだとか、この車両が使われている路線を調べ上げる必要があるとかいっているバカどもがいた。485系電車が充当されている列車なんて鉄ヲタのガキにでも尋ねればすぐにわかるような事なのに、何をエラッソウに言っているのだ。挙句の果てには、最近の新型車両は横風対策ができているというわけのわからない発言まで飛び出した。車体が丸いだって? 国鉄特急車両の2,900mm級の広幅車体の断面形状も知らないくせに何をぬかしているのだ。また、特急形車両が何の為に屋根や重心を低くしているのかわからないのだろうか。なぜこのような無知な連中をテレビに出すのかわからない。鉄道事故が起きる度に力学を理解していないおバカさんのコメントが報じられるのが我慢ならない。私の方がまともなコメントができるぞ。

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 発言者個人についてとやかく言いたい訳ではなく、寝台列車に対する一般人の思いを記しておきたいだけである。夜行列車や寝台列車に対する需要が完全に無くなった訳ではない。しかし、残されたわずかな需要は帰省や旅行などの非日常的な移動における選択肢の一つとしてであり、かつてのように出張などの用務で頻繁に使われる事は無いのである。豪華クルージングトレインとしての需要が着目される昨今であるが、実用品としての寝台列車に栄光の日々が戻る事はもう無いのである。

  

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 「彗星号」は、昭和25年に「銀河号」のような東海道夜行急行列車群の一員として誕生した。定期列車から不定期列車になり、再び定期列車になったが、昭和39年の東海道新幹線開業時に廃止された。昭和43年には関西と九州の日豊本線側を結ぶ寝台特急列車として復活した。昭和49年には長大編成で5往復も走っていた「彗星号」であるが、現在では通常4両編成で運転されている。繁忙期といえども6両編成である。乗客の減少が続く寝台特急列車群は、どんどん編成が短くなり、併結運転や廃止が増えてきた。

 夏の旅行記では、二十余年前の夏の新大阪駅におけるブルートレインの思い出についても記す事にしたい。

 「あいづ号」リニューアル485系の車番を見て驚いた。なんと私が昨年夏に乗車した「快速あいづライナー号」に充当されていた車両である。私が乗った時には、トイレは6両編成中の2箇所しか残されておらず、更に、客室の窓の一部には「優先席」の表示が貼られていた。もはや特急列車として運用される事は困難であろうと悲哀を感じずにはいられなかったほどであった。しかし今回、シートピッチ1,100mmの豪華特急車として復活してきた。この編成は東武とJR東日本の相互乗り入れ用改造車ではないかと言われている。シートピッチ1,100mmというのは、東武の豪華特急「スペーシア」と同じである。それにしても経年廃車になったのかと思っていた車両が、華麗に変身したのだから驚きである。廃車が進む国鉄時代の名車485系だが、今回のような華やかな進化も止まる事がない。すごいぜ485系!

 さて、昨年1023日(土)に発生した新潟県中越地震の直撃を受けて脱線した新幹線を覚えているだろうか。そう、「新幹線特急とき325号(200K25編成)」である。心無い無知な連中から「安全神話崩壊」などと叩かれていたが、乗客乗員にけが人の一人すら出さなかった伝説の列車である。その功績と伝説ゆえにキャラクターにまで成長し、多くの人が復帰を願っていた。しかしながら、更新車とはいえ最古参の200系である。未更新車の多くの200系とともに10両全てが325日付で廃車されてしまった。私も残念に思えた。あの地震より後に、宿毛・竹ノ塚・尼崎のような衝撃的な鉄道事故が多かったから、「けが人ゼロ」の実績がより一層際立ったものに感じられた。

 それにしても、これほど愛された廃車前の車両も珍しいのではなかろうか。例えば、今年3月のダイヤ改正では、寝台特急「あさかぜ」・「はやぶさ」・「富士」から24系客車が撤退した。彼ら24系寝台客車に新たな用途などあるはずもなく、現在は保留車となっているものも近いうちに廃車になることは容易に想像がつく。しかしながら、「さよなら、あさかぜ・さくら」は大いに盛り上がったものの、役目を終える24系客車それ自体に着目した人はあまり多くなかったのではないだろうか。

事故で原形をとどめないほどになって廃車される車両はかわいそうに思う。また、人知れず運用を終えてひっそりと解体を待つ車両もどこかさみしそうであり、ねぎらいの言葉の一つでも投げかけたくなる。そう考えると、英雄伝説にまで昇華した200K25編成はある意味幸せだったかもしれない。そうは思うものの、やはり残念でならない。

 

2003812日の宿毛駅と2008

 

  ついにこの日がやってきた。

 この光景も、過去のものとなる。2005228日夕方、東京駅10番線ホームは祭の場と化した。

 17:49、「さくら・はやぶさ」入線。

 今夜の「さくら」はもう長崎まで行かない…。車両運用が理由とはいえ、末期には個室A寝台車をつないで花道を飾ることになった。

 また、「さくら」と併結されている「はやぶさ」のロビーカーや24系客車も本日発が最終となる。カニ24には新聞などの荷物が積まれていた。最後まできっちりと役目を果たすのである。

 珍しく汽笛を鳴らして発車した。多くの人が黄色い線からはみ出していたので、発車は12分遅れたようである。駅毎に遅れが増幅されなければよいのだが…。発車後には拍手が沸き起こった。

 「さくら」が去った後に、涙目の鉄道職員と目が合ってしまった。長年の想いがあるのだろうな…。

 

 多くの人が別れを惜しむべく集まっていた。新幹線ホームの乗客も、何の騒ぎなのかという視線を向けていた。思い出を語る人々もいた。自分の定年退職の時と重ね合わせて話している人もいた。

 さて、ホームの黄色い線に沿うように並んで「あさかぜ」を待っていた。私は3号車付近にいたのだが、大声で話すキチガイの二人組みに挟まれてしまい、不愉快なので場所を移すハメになった。こういう○○者のヲタがいる事は知っていたが、迷惑を被ったのは初めてである。気持ち悪いし迷惑だし、刑事責任能力も無いので本当に社会から隔離してもらいたい。「ありがとう」と叫ぶぐらいのヲタはかわいいものであろう。また、廃止直前期にはヘッドマークを盗んだアホや、列車運行を妨害したバカな撮影ヲタもいた。本日は入線する列車へのフラッシュを使っての撮影を禁止する構内放送が繰り返されたにもかかわらず、多くのバカがフラッシュを使っていた。本日はどうなる事かと思っていたのだが、件のキチガイとフラッシュ以外にヲタの奇行蛮行を見かけることはなかった。

  

 18:50、「あさかぜ」入線。

 「あさかぜ」の1号車付近の光景である。今夜の「あさかぜ」の9号車は、オハネフではなくオハネであった。最盛期を彷彿させる13号車にも行ってみた。なんと13号車には、鉄道ライターのM氏が乗車していた。発車する車内のM氏と目が合ってしまい、会釈しておいた。

 ここでも発車後には拍手が沸き起こった。

 「さくら」よ、「あさかぜ」よ、終点まで無事に走り抜いてくれ。そう願わずにはいられなかった。

 

 速さや便利さを売りに登場した寝台特急であるが、やがて時は行き過ぎ、遅くて不便なのが理由で引退を迫られることになった。これも時代の流れなのである。

 さて、世の中には実用性の観点から言えば無くなってもおかしくないものが他にもある。しかし、巧みな営業によって価値無き物が商品に仕立て上げられ、欲しくも無い人々に売りつけられるような世の中である。そのような事を考えると、本来の使命を終えて去りゆくブルートレインたちは、偽りを押し付けない真の勇者たる存在と言えるかもしれない。

 「あさかぜ」も「さくら」も、戦後日本の経済や文化を力強く引っ張ってきたんだよね。多くの人々の人生を乗せて走ってきたんだよね。えらかったよね。長年楽しませてくれてありがとうね。おつかれさま。…そして、さようなら。

 私は、ブルートレインの美しい姿に惹かれた事が鉄道に興味を持つきっかけであると記憶している。本日はブルートレインの思い出に浸ろう。

 私がブルートレインを好きになった当時、東海道・山陽筋のEF651000番台だった。この頃、書店によっては、EF65-500の頃のブルートレインの本が残っていた。それらの本では、最長距離列車は「富士」であった。おっと、年齢がバレそうだな。

 所有する鉄道模型もほとんどがブルートレインである。初めて買ってもらった車両はEF65-10002番目がカニ243番目がオハネフ25といった具合である。

 

 初めてブルートレインの実物を見たのは、昭和50年代、小学校低学年の夏休みであった。家族に車で連れられて新大阪駅と京都駅へ行った。その日のことを記しておこう。

 夜の新大阪駅18番線からは、九州へと向かう新大阪始発の寝台特急が多数発車していった。実はその頃、私は鉄道車両の実物の大きさを知らなかったので、あまりの大きさにすっかりびびってしまった。また、機関車の辺りにいたので、発車時の汽笛もすごい迫力であった。

 初めて目にしたのは583系電車の「なは」であった。これにはあまり関心が無かった。EF65-10002425形の「明星」を牽いて入線してきた時はこの上なく興奮していたように記憶している。客車の「明星」を2本、客車の「彗星」を1本、新大阪始発の「あかつき」を1本見た。

 この当時の「あかつき」は2往復体制であった。最新型の1415形で運転されるのは「あかつき」だけであり、大阪発着や筑豊本線経由など、何かと気になる列車であった。

 他には、遠くの上りホームに2424形の列車が見えた。お隣、17番線で見かけたボンネットタイプのクハ481の迫力には圧倒された。「京成スカイライナー」がノンストップで駆け抜けて行くなあと思っていたのだが、117系の新快速だと後に知った。

 この当時、寝台特急でヘッドマークが付くのは、東京発着の「あさかぜ」・「さくら」・「はやぶさ」・「みずほ」・「富士」・「出雲14号」を牽引するEF65-1000に限られていた。当然、これらがブルートレインの中でも最も人気があった。私がEF65-1000の牽引するブルートレインに熱い思いを抱くのも、このような時期にファンになったからである。これらの栄光の列車と対面すべく京都駅へと向かった。

 京都駅6番線、EF65-100014系の「さくら」を牽いて右カーブを入線してきた。ここでも機関車の辺りにいた。この当時、ブルートレインの停車駅では多くの人が撮影していた。小中学生がブルートレインの為に深夜まで出歩く事が問題視されていた。

 京都駅を去りゆく西鹿児島行き「はやぶさ」の、オハネフ25の後姿が例えようも無く美しかった事を今でもはっきりと覚えている。あぁ、美しいブルートレイン…。

 東京発の列車で0時前後に京都駅で客扱いを行うのは「みずほ」が最終であった。

 大人になった今でも、大阪駅や東京駅、および東海道本線などでブルートレインを見かけることがある。小学校低学年の夏の日にブルートレインを見た時の感激を今でも時々思い出す。

 

 昭和50年代頃のその他の話に移ろう。

 「明星」や「彗星」において、カヤ24の後ろに、顔を前に向けたオハネフ25-0がつくなど、各列車名ごとに固有の印象があった。また、「瀬戸」と「あさかぜ32号」は窓が揃っていて大変美しかった。

 「明星6号」だの「ゆうづる14号」だの、ものすごい数の寝台特急が走っていたものだった。それらを補完する急行列車の存在も大きかった。

 「紀伊」もよく覚えている。那智⇔紀伊勝浦間2.1kmは当時の国鉄特急停車駅間最短距離であった。

 昭和60年に、東京⇔下関・九州間の寝台特急の本州部の牽引機は、EF65-1000からEF66に交代した。これは私の鉄道趣味史上最悪の出来事であった。EF66を嫌っているのではない。EF65-1000が牽くブルートレインの美しい姿が死ぬほど好きだったのである。高速貨物機として登場したEF66は、東京⇔下関間の寝台特急牽引機としての在任期間は史上最長となる。

 

 余談だが、せっかくなので、名称復帰についても述べてみたい。

 以前、日本縦貫線に在来線昼行特急最長距離の「白鳥」という列車が走っていた。重厚な印象の「白鳥」が東北新幹線接続の特急として生まれ変わった事を、訝しく思う向きも見られた。

 さて、「さくら」という列車は、戦前にも「櫻」として運転されていた。伝統もあり、我が国にふさわしい特急列車名であることに異論は無いであろう。「さくら」のマークは大井川鐵道の蒸気機関車に付けられる事もあるぐらいなので、春の花見の行楽列車としても差し支えないのではないかと思う。

 一方の「あさかぜ」だが、これはこの度終焉を迎える初代寝台特急につけられた名称である。伝統と格式がある。もしも、「おはようとちぎ」のような通勤特急や朝の「ホームライナー」に「あさかぜ」という名前を与えたら、激しい反発を招くに違いないだろう。「あさかぜ」は名門のままでいてほしい。

 

 「あさかぜ」・「さくら」に先立って引退した「みずほ」についても語りたい。

 北海道行きの豪華寝台特急が登場するまでは、ブルートレインを扱う本の先頭を飾っていたのは、東京発着の「あさかぜ」・「さくら」あるいは「はやぶさ」・「富士」であった。「さくら」・「はやぶさ」の補完列車的な位置づけであった「みずほ」は10年前に姿を消している。

 さて、「さくら」と「はやぶさ」の併結、今後は「はやぶさ」と「富士」の併結といった具合に、かつての長大列車が小さくなって併結運転する姿へと落ちぶれていくわけだ。それを考慮すると、オロネとオシを組み込んだ単独での長大編成のまま引退した「みずほ」は、きれいな姿のまま見送られて幸せだったと言っても差し支えが無いかもしれない。ちなみに、長崎発着の「さくら」と熊本発着の「はやぶさ」の併結運転は、実質的にかつての「みずほ」である。

 

 今回のダイヤ改正は強烈である。よく考えれば、EF66とカニ24の組み合わせはもう見られなくなるのである。また、スハネフ14の顔に「はやぶさ」・「富士」のテールマークがつくことがなんとも不思議な気分である。「はやぶさ」「富士」のハネフはオハネフ25100番台の印象が今なお強い。それにしても、20年以上昔の子供向け鉄道誌に記述があったオロネ15が、こんな形で実現する事になろうとは…。

 

 「さくら」は199612月に鳥栖から佐世保までオロネをグリーン車扱いでヒルネ利用した事があった。「あさかぜ」は今年の1月に惜別乗車した。ちなみに、初めて乗ったブルートレインは「銀河」であった。

 

 なお、今夜が最終の長崎行き「さくら」である。明日東京を発つ「さくら」は長崎まで行かない。鹿児島本線の鳥栖にて運行を終了する。

 明日は東京駅へ行く。以前からこの日の休暇は確保していた。通常は鉄道のイベントが理由で仕事を休むような事は無いが、明日だけは特別の中でも特別なのだ。長年にわたって私に感動を与えてくれたブルートレイン、そのフラッグシップである「あさかぜ号」と「さくら号」の最後の旅路をしっかりと見送りたいと思う。

 さすがに事故後には新幹線の安全性を叩く報道番組などが目についた。鉄道や航空機で大きな事故があると、とにかく大々的に叩かれる。得意げに叩きまくっている愚民どもに対して逆に問いのだが、無事に定刻に到着した時にその乗り物に対して感謝しているのか? 日常の無事に感謝もせずに非常時にだけ叩くような人間はどういう思考回路を持っているのだ!

 対向列車が来なかったことやボディーマウント構造など、いくつかの幸運が重なったのは事実だ。しかし、奇跡なんてものは、何の備えも無いところにはやってはこない。200km/h超の速度で走行中に震度6強の直下型地震に見舞われたにもかかわらず、けが人の一人も出なかったという輝かしい記録は、厳然たる客観的事実である。壊れたのがボロい車両で良かったという腹立たしい意見も散見されたが、200系新幹線は、史上最高の鉄道車両の一つであると証拠をもって断言する事ができる。

 死傷者を一人も出さなくて本当に立派だった。それにしても線路や枕木などの設備は激しく傷ついた。これは世界の高速鉄道の事故の事例と照らし合わせれば、車体が大破崩壊してもおかしくないほどの状況である。しかし、車体に大きな変形は見られない。なんとすごい事か。でも、痛かっただろう、かわいそうに。被災車両の救出作業が本格化し、本日1110日から1日に1両ずつ救出され、2両ずつ基地へと向かうらしい。とりあえずはゆっくり休んでもらいたい。

(小田急電鉄)来る1211日(土)、小田急がダイヤ改正を行う。まぁ、多数の変更があるのだが、ここでは2点だけ取り上げる。

 「サポート号」という特急列車名が消える事になった。私は「特急ロマンスカー サポート号」は今秋2回乗車した。不評な名称だったから消える事になったのだろうか?

 

 多摩線はるひ野駅の新設工事が進んでいる。2004/10/31撮影)

 

 

(東武鉄道)20041019日に東武鉄道野田線のダイヤ改正が行われた。この改正では春日部⇔東岩槻間の複線化が行われた。9月に乗車した時に、複線化工事現場の様子を撮影した。

 

 

(関東鉄道)20049月に関東鉄道に初乗車した。水海道以遠は塗装復元車のキハ102に乗車した。これの車内の扇風機には「JNR」マークが健在であった。

 

 水海道⇔取手間は、「複線・高頻度、なのに非電化」というきわめて珍しい形態である。

 

 国鉄特急色を纏い、特急のシンボルマークも残されていた。特筆に価すべきは「特急あいづ号」時代から受け継いだヘッドマークである。

 まさか突然消え去るなんて思わなかった。特急から格下げされて1年足らずであった。そのわずかな期間に乗車する機会を得られた事には大いに感謝している。特急時代と変わらない所要時間での運転を披露していただいた。今さら言うのもおかしな話だが、ありがとう。そして、おつかれさま。

(これは大阪駅構内の写真です。駅構内設置物や表現物の著作権およびその他の権利を侵すものではありません。)

 JR九州の特急の動きが面白い。なんと言っても改造されたキハ147系による「特急はやとの風号」が気になっていた。普通列車形のキハ40系列もついに特急に進出である。しかも元々はデッキのないキハ47…。JR西日本の「急行つやま号」がキハ47化された時の騒ぎも記憶に新しい。昨日、時刻表を買ってきて九州地区をよく見てみたのだが、もっと驚くべきものを見つけた。それは「特急きりしま126号」である。何あれ? 鹿児島中央⇔国分間33.7kmの運転で通過駅はわずか2つ。しかもそのうちの1つは普通列車でも通過するような駅である。さすがにこれにはビックリした。このダイヤ改正で九州新幹線が登場し、「ソニック号」のように本当に速い在来線特急も走っているJR九州内において、とんでもない特急もたくさん登場することになった。いくら料金を安くしたとはいえ、「特急」という列車種別を使う必要は無いと思う。“特別料金を要する「快速」”として扱っても良いのではなかろうかと思える列車も多い。九州、面白すぎるぞ。

特急形車両以外で運転された(国鉄・JR)特急…さて、「特急はやとの風号」の事を記したついでに「特急形車両以外で運転された(国鉄・JR)特急」について記しておく。これらは国鉄時代に車両の新製が間に合わなかった時などに見られ、元より100円引きなどの措置が取られた。また、不都合が生じた事によって特急形車両以外で運転される事になった特急は、着駅で半額払い戻しというのが基本である。しかし時々、急行形や普通形なのに減額無しの特急が見られる。今はなき「ユートピア和倉号」、「秋田リレー号」…。キハ58も活躍した「エーデル北近畿号」には本当に驚いたものだった。いくら改装された車両とはいえ、非特急形なのにこれらの特急料金が安くなるということはなかった。ところで、最近は代替が不可能なほど高性能な車両により高速運転を行う特急も多いから、非特急形車両で特急の代走ができない線区も多いだろう。

 

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 20031226日、「のぞみ号」に初めて乗った。そう、今まで「のぞみ号」に乗ったことが無かったのである。理由は二つある。一つは、首都圏⇔関西圏間において、特急料金の大きく異なる「のぞみ」と「ひかり」の所要時間の差が大して気になるような状況が無かった事である。つまり、特急料金は異なるが、2時間半も3時間前後も大して変わらない気がしていたのである。ちなみに、出張旅費も「ひかり」相当の金額しか支給されなかった。二つ目に、「のぞみ」に自由席が無かった事である。ほとんどの特急列車が、グリーン車指定席・普通車指定席・普通車自由席で編成されている。このような編成において、私は普通車指定席を一般的なきっぷで利用する事はほとんど無い。私にとって基準となる料金はあくまでも普通車自由席相当の料金であり、指定席といえども同じ普通車に更なる料金を払う気がしないのである。「のぞみ」に自由席が登場する以前の東海道・山陽新幹線に例えれば、「のぞみ」の普通車にお金を出すぐらいならば、「ひかり」の自由席か「こだま」のグリーン車に乗った方がいいとさえ思っていたぐらいである。さて、このダイヤ改正にあわせて「のぞみ」の指定席の料金も値下げされたわけだが、それでも「ひかり」・「こだま」よりも高額となっている。しかし、自由席は「のぞみ」・「ひかり」・「こだま」同額である。それゆえに「のぞみ」の自由席はものすごくお得だと思う。

 私はグリーン車が大好きでよく利用しているが、いつでもグリーン車というわけではない。私にとってグリーン車は心ときめく対象であり、とりわけ快適さだけを求めているわけではない。普通車でも快適な列車においては、とりわけグリーン車だから快適だとも思っていない。JR東海区間で営業運転する新幹線の普通車は、シートピッチが1,040mm500系は1,020mm)もあり、足も伸ばせてなかなか快適である。食事して2時間ほど眠るだけならば十分だと思える。しかも、016形が引退してからは東海道・山陽新幹線のグリーン車にあまり心がときめかなくなってしまった。心がときめかない事に出費する必要は無い。ましてや、年金不安などもあり、将来のためにお金は温存しておいた方がいい。

 上述のような理由により、往復とも「のぞみ号」の自由席を利用した。とりわけこの時期の普通車指定席は繁忙期料金であり、それゆえに通年同額の普通車自由席のお得感が増すのである。

 20031226日に乗車した700系「のぞみ123号」は東京13:13発・新大阪15:49着であり、品川・新横浜・名古屋・京都に停車する。これは私にとって新幹線品川駅初体験である。また、車内放送のチャイムが「アンビシャスジャパン」のテーマソングになっていた。これは録音しておいた。

 頻繁に乗っていれば違いがわかるのかもしれないが、「ひかり号」に比べてはっきりわかるほど劇的に速いとも思えなかった。従来から「ひかり号」でも「のぞみ号」並の速度で走る区間もあったし、「こまち号」で275km/hを経験しているためかもしれない。また、所要時間も体感できるほど短くは感じなかった。十数分違えば新幹線の一駅間ぐらいの走行距離差が生じる事ぐらいは理解できるが、乗っている人間から見れば、最速220km/h運転時代の「ひかり最速便」と比べても、東海道区間の新幹線全駅間の平均で1分程度の差しかない。これでは劇的に速いとは思えないかもしれない。さて、ここで誤解の無いように言っておくが、最高速度を向上させる事が容易ではないという事は理解している。例えば在来線でも、110km/h区間と120km/h区間では枕木に必要な杭の数が倍違うのである。220km/h270km/hの技術の差は言うまでもなかろう。

 200413日には700系「のぞみ130号」に乗車した。新大阪1440始発・東京1716着であり、京都・名古屋・新横浜に停車する。激混みのJR特急列車というものを初めて体験した。この日の「のぞみ号」・「ひかり号」の上り指定券はグリーン車も普通車も完売であった。新大阪駅の自由席乗り場は長蛇の列だった。こんな光景を生で見たのは初めてである。どこが列の最後尾なのかも判別しがたく、合流や分流も珍しくなかった。これは土地柄なのだろうか? また、家族で別々の列に並び、携帯電話で座席の確保を連絡しあっている光景も多く見られた。「ひかり○号」も「のぞみ○号」も関係なく、列の前から順に24番線始発の列車に乗り込んでいった。私も24番線で2本見送って700系「のぞみ130号」に乗車した。次の列車を待とうかと迷うような位置にいたが、一席をかろうじて確保できた。ここが一人旅の気楽さである。千円得した気分であった。

 さて、今までの経験では新大阪→(米原)→名古屋間で乗客が多かったのだが、今回は違っていた。京都でまとまった乗車があった。まぁ、これはいつもの事だ。名古屋で“通路”がすいてきたら手洗いに行こうと考えていた。しかし、名古屋では下車が少なく、逆に大量の乗車があり、通路を往来する事も不可能になった。客室の中央辺りに席を確保したのでもはや身動きは取れない。「こだま号」にしておけばよかったかなとちょっぴり思った。新横浜まで激混みであった。また、年が変わったこの日でも車内放送のチャイムは「アンビシャスジャパン」のテーマソングだった。

 特急券は品川・東京までの分を持っていたが、実は今回は、できれば新横浜で下車したいと考えていた。ちょうど通勤定期の期限が切れており、せっかくなので少々高くなっても別経路で帰宅したいと思ったからである。なぜなら、関西からUターンしてきて、東京駅で快適な新幹線から降りて、いつも目にする激混みの通勤形電車に乗り換える時が毎回なんとも辛いのである。東京駅や通勤形電車が嫌いなわけではないが、Uターン時のこの時間は毎回毎回本当になんとも言えないのである。そのようなわけで、せっかく新横浜に停車するのでそこで降りようと思っていた。しかし、終点東京まで乗ることにした。東京到着時の乗り換えアナウンスが気になったからである。従来は「……品川方面は5番線・6番線……」と案内されていたが、新幹線品川駅が開業してからはどうなったのか確かめるために終点東京まで乗った。なんと、従来のままだった。定型放送だから仕方が無いのか? この列車が品川通過だから? おそらく前者の理由だろう。

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301系電車…301系電車は地下鉄東西線直通用として昭和41年に登場した特別仕様の通勤形電車である。何が特別かと言うと、先頭の“3”が示すようにアルミ車体なのである。しかも、空気バネ付きである。当時の通勤形電車としては非常に珍しかった。それゆえに製造価格が高かったので大量生産にはいたらなかった。301系電車は、国鉄を代表する通勤形電車103系を基準にしているため、両者は外観も性能もよく似ている。実際に、大量生産できなかった301系の後継量産車は103系の地下鉄仕様車だった。

301系電車の思い出…上述のように、301系電車は非常に珍しい電車なので、中央本線の緩行線でめぐり合えるととてもうれしい思いをした。

通勤電車考(通勤形電車考)…通勤形電車は、国鉄形の20m級車両を例にとれば、片側4ドア・ロングシートが基本的な形である。多くの人間を詰め込んで走るだけであり、見た目にもはっきり言って“華”は無い。しかし、地味で華は無いが、立派だと思う。多くの人命を預かり、停車発車や高加減速および扉の開閉を高頻度に繰り返すのである。100km/h前後の高速運転だって珍しくはない。通勤形電車には特急形車両とは異なる通勤形電車特有の強度と信頼性が要求されるのである。定員の少なさを売りにしている豪華列車とは反対に、“実用品の美学”が通勤形電車にはあると私は思う。

 通勤電車は多くの“人生”を乗せて走っている。私はそう思っている。都会では多くの人が通勤に電車を利用している。仕事は総じて辛さが伴うものである。それゆえに、休日は仕事を思い出したくないので通勤路線や電車に乗りたくないという人もいるぐらいである。ひどい混雑・仕事のストレスなど、通勤電車には苦い感情を抱く人の方が多いであろう。車内で考えている事も深刻な事が多いのではなかろうか。だからこそ、通勤電車は多くの“人生”を乗せて走っていると思えるのである。乗客が1人しかいない特急グリーン車と超満員の通勤電車は、人命や人生を預かるという点においては全く重みが異なると思う。

 近年のJR東日本の通勤形電車は15年程で使い捨てる設計のものが多いが、国鉄の在来線車両はおよそ35年以上現役で走れるように造られていた。本日最終を迎えた301系電車も37年間活躍した。また、国鉄時代の車両には前述の103系電車のように基本設計が他形式にも受け継がれていくものもある。それゆえに、数十年単位の時代の顔として認識される事もある。実際に社会人生活のほとんどをある特定の形の電車で通勤したという例は私鉄をも含めて珍しい事ではない。よほど嫌すぎる思い出が無い限り、通勤電車に人生の軌跡を思い起こす人もいるであろう。その為だろうか、本日のイベントには単なるヲタではなく、去り行く301系を愛しむような人たちも散見された。…私の思い過ごしかもしれないが…。 私だって、いつも乗っている通勤電車が消滅する時には何かしら特別な思いがあるであろう。

 301系電車様、37年間お疲れ様でした。

さよなら運転・さよならイベント…私はさよならイベントの為だけにわざわざ遠方まで行くということは今のところ無い。昔、大阪勤務時代に関西地区で某名車のさよなら運転があったのだが、東京への3週間出張の為に見に行けなかったという苦い思い出がある。

165系電車…本日のイベントの主役は301系だが、去り行く往年の名車165系急行形電車も展示されていた。ここでひどいものを見た。クハ165-166の客室の運転席寄りの荷棚の上に“保護具収納箱”が固定されていた。新幹線グリーン車などで荷棚の上に毛布が置かれている例は珍しくないが、“保護具収納箱”とは初めてである。開けてみて酷く後悔した。汚れた白い袋があった。「もしかして人×事故の時の…」。JRの社員に尋ねてみた。本日は複数の車掌区や電車区から社員が来ている為、2人に尋ねてみた。2人とも「人×事故の時の…」という話になりそうだったので、そのような物を客室に置いているのかと尋ねた。すると、「1人は懐中電灯なんかが入っているのではないかな?」という回答であり、もう1人は、用具は乗務員室に置けない場合は客室に置くという回答であった。おふたりともこの車両の所属基地の職員ではないのでよく知らないようであった。いずれにせよ嫌なものを見てしまったのではなかろうか。(夢に出てきそうだ。)

鉄ヲタのイベント…詳述はしないが、予想通り変な奴が多かった。ところで、鉄ヲタ界で有名な人物を実際に目撃した。私のすぐ横にいた。…彼の状況を実際に知ってしまうととても嘲う気にはなれない。晒し上げにするのは気の毒である。イジメの様な陰湿な晒し上げなんてやめろよなぁ。

 それにしてもものすごく暑かった。日陰の無いところで延々と並ばせられた。私は、長袖の上着を頭の上に翳して直射日光を遮っていた。7月の涼しさが恋しくなるぐらいであった。並んでいるだけで汗が吹き出てくる。飲料を持ち合わせていない事がひどく悔やまれた。ぐったりしている子供も多くて気の毒だった。それにしても、すごい行列だった。アイドルの握手会の比ではなかった。

高尾駅…高尾駅のJR側の駅舎は、管理をしているのはJR東日本だが、所有しているのは宮内庁らしい。この事は、6年ほど前に駅員さんから直接聞いたように記憶している。実際に、この駅舎は大正天皇の大喪の時に建造された建物である。現在はこの地に移されて高尾駅駅舎となっている。また、多摩御陵参拝の玄関となる駅のため、貴賓待合室もある。

国定公園明治の森高尾…余談だが、せっかく高尾まで来たので国定公園観光をする事にした。京王電鉄で高尾山口まで行き、日本一の急勾配を誇るケーブルカーに乗って高尾山を登った。ちなみに私が乗ったのは、15:30発の「あおば号」である。下山時はリフトに乗った。

 なんて美しいんだ…。枕部、座面、肘掛、フットレスト…総じて美しい意匠を生み出している。窓枠のすぐ下までカーペットが張りめぐらされており、最高の空間を演出している。着目すべきは肘掛のカバーである。昔は回転クロスシートの在来線特急の普通車でさえも肘掛に真っ白なリネンのカバーが掛けられていたのだが、近年では、新幹線グリーン車も含めてリネンのカバーの着かない肘掛がほとんどになってきた。もちろん、新しいグリーン車の座席にはよく研究された立派なものが多く、それに比べると、5段階メカニカルロック式の座席は古めかしいものかもしれない。しかし、私は、白いカバーが掛けられた座席が好きである。昔のグリーン車の座席には大きなカバーが掛けられていた。肘掛にカバーが無くなった近年の座席は、省力化を感じてしまい、特別車両らしさが弱まった気がしてならない。座席には、人間工学的な優秀さの他に視覚的な素晴らしさも大切だと思う。まぁ、座席の意匠の好みは人それぞれだろう。私はこの形状が好きでたまらない。廃品を入手したいとさえ思っているぐらいだ。

 上掲の写真は、76日に東京駅のホームから撮影したものである。残念ながら乗ったわけではない。休日出勤だった私は、関西から旅行に来ていた長い付き合いの友人とその妻子との4人で東京駅へ列車を見に行った。友人の幼い息子さんがMAXを見たいと言うから東京駅まで行ったのだが、実は、この写真を撮影した私も喜んでいた。

 この系列の座席は何回も乗ったことがあるのだが、消え去る前に乗っておきたいと常々思っていた。7月の12日か13日にホリデーパスを使って乗りに行こうかと決めていたのだが、11日からの体調不良が回復しないので見送る事にした。来週末からは三連休パスの期間が始まるため、グリーン車の乗客がいつもより多くなって車内の撮影も困難になるだろう。また機会を見つけて乗りに行きたい。

 車掌に対する不満については2点挙げておいた。

1.特急列車の車内放送でオルゴールを鳴らさない車掌への不満…まるでヲタみたいだ

2.グリーン車の無札客を放置する、検札に来ない車掌への憤り

 その他の不満は2点だけ挙げておいた。紙面の都合上、多くは書けなかった。別紙を添付する事も考えたのだが、そこまでしなかった。

1.グリーン車の扱い

    • 愚民の排除(安売り反対・検札をしっかり行うように・場合によってはグリーン車の一部廃止)
    • 団臨や一部のライナーで普通車と同じ扱いにしている事への苦言を呈しておいた。
    • 低グレード化なのに高額なままの「特急成田エクスプレス号」のグリーン車について苦言を呈しておいた。

2.新設新幹線に並行する在来線の切り捨て、および、直通運転不可能化

    • たしかに収益も大切だが、鉄道は社会資本であり有事においては軍事施設になるので、冗長度を低下させるような事には反対である。
    • 奥羽本線に見られるように、在来線を直通不能な継ぎ接ぎ状態にするアホみたいな“新幹線”をこれ以上増やさないように苦言を呈しておいた。

 次に喫煙・禁煙についてである。長距離客輸送を担うJR東日本では完全に禁煙にするのは現実的ではないので、強力な換気装置を有する喫煙室を提案しておいた。この喫煙室は優れた設備ではなく、喫煙者を隔離する事を目的としたものである。便所の一種なので、当然ながらベンチやエアコンは不要である。

「成田エクスプレス号」…3月から一部のグリーン車の普通車化が行われる事になった。少なくとも、過渡期においてグリーン車用座席を普通席として扱う事態が起こらない事を願う。

「はるか号」…3月から和泉府中にも停車する事になった。

 両者とも、時代の要請に従ったものと言うわけでも無さそうな気がする。元より設定に無理があったように感じていた。「成田エクスプレス号」はグリーン車比率があまりにも高すぎた。しかも、列車自体が偉っそうな料金設定である。一方、「はるか号」は有料の新快速レベルだと思っていた。

 さて、関空特急にはJR西日本の「はるか号」の他に南海電鉄の「ラピート号」がある。「ラピート号」も今年2月のダイヤ改正で停車駅が増えるようだ。南海特急は近年、驚くほど停車駅が増え続けている。なんなのさ。

 

 実は、この度のグリーン料金値下げにはグリーン車の利用率が少しずつ下がってきているという背景があるようだ。そもそもそんなに安売りしてまでグリーン車を維持する必要があるのだろうか? バブル期には東海道区間の新幹線をはじめグリーン車は活況を呈していた。たしかに現在でも繁忙期やどうしても着席したい乗客にとってグリーン車は必要なものだが、これらの乗客も普通席が十分にあるならばわざわざグリーン車に流れてこないと察する。グリーン車の利用率や設備などの現状を考えると、グリーン車は現行のほとんどの特急列車に設ける必要性がある程のものではないと考えられる。旧国鉄もグリーン車の利用率低迷には苦慮していた。グリーン車の需要の低い四国・九州地区では急行列車のグリーン車が普通車に格下げされた。また、グリーン車の利用率低迷の打開策として、高齢夫婦向けのグリーン車に乗れる企画きっぷなどが売り出された。その結果、企画きっぷのためにわざわざグリーン席を設定しなくてはならない列車が登場する本末転倒の事態さえ発生した。

 国鉄時代の特急形グリーン車には次のような特徴があった。プラットホームから車内に入り、車内扉を“2枚”通ってやっと客室にたどり着く設計になっていた。これは客室の静粛性の向上を図った設計であった。ただし急行形グリーン車や新幹線16形のように乗降用扉が片側に2枚ある車両は事情が異なる。このような一般には気づかれにくいところにも特別車両の特徴があった。ところが国鉄末期に企画きっぷのためにわざわざグリーン席を設定しなくてはならない列車が登場するようになると、短編成化の流れと相まって中途半端な改造ロハが大量に生み出されるようになっていったのである。

((解説:全室グリーンでは過剰供給。→高頻度運転の為に短編成化が進められ、グリーン車をも含む中間車が捻出された。先頭車化改造がなされた車両も多い。→企画きっぷのためにわざわざグリーン席を設定しなくてはならなかった。→改造により半室グリーン車が生み出されるようになっていった。……もちろん、本来のグリーン車需要が無くなってしまったとは言っていない。))

 昭和44年に運賃が一本化されるに際して1等車がグリーン車になったわけだが、1等車時代に比べると現在のグリーン車は総じて随分乗りやすい価格になったものである。1等は総じて2等の2倍ぐらいの金額が必要であった。また、昭和52年の時刻表を見てみると、100kmまでの特急・急行グリーン料金は2,000円だった。現在の標準的な料金が1,240円であるから、物価の変動を考慮してみてもロザが元々はいかに高価な乗り物だったかがわかる。ところで、私がグリーン車に嵌りだした頃、特急・急行グリーン料金が100kmまでは1,300円で、200kmまでが1,300円の2倍を超える2,800円であることに大変違和感を感じた。しかし、現在では短距離の特急料金の値下げなどの事例もあり、そのようなことも珍しいとは思わなくなった。その種の知識を生かして特急券や乗車券を分割して購入することはよくあることである。

 そもそも、現在の日本において一つの編成内に特別車と普通車を設けることにどのような理由や価値があるのだろうか。近年、再びグリーン車と普通車の設備格差が縮まりつつあるという事実がある。また、企画きっぷの客の為にわざわざグリーン車を残さなければならない列車があるという現実もある。これならばいっそのこと、昭和35年に3等級制が2等級制に移行したように思い切ってグリーン車(グリーン席)を廃止するというのも一つの考え方かもしれない。さて、ここで視点を変えて考えてみる。かつて、等級は身分階級を表していた。自動車が普及する以前にはローカル線の普通列車でさえも2等車(3等級制時代)が付いていた。これの実態は地元の名士なんかが利用するためのものであったらしい。現在のグリーン車はお金さえ払えば誰でも乗れるものである。企画きっぷなどで安売りされたグリーン車の客層は確実に下がっている。ヲタ集団に占拠されたグリーン車は、“グリーン車”というよりも“愚民車”と呼んだ方が適切かもしれない。元より、特別料金必要車両だから乗客の質が高いと言い切れる訳ではないが、やはり何かしらの因果関係は見て取れる。公共の場における階級意識についてはさまざまな世論が飛び交っているようである。とりわけ近年は、同じ空間に居たくない程のどうしょうもない連中が殖えており、愚民禁止の車両を要望する声もあるぐらいである。最近は私もそのように思えてきた。それにしてもグリーン車には現実的にいろいろな需要があるのだろう。快適な車両や座席を求める乗客、何でもいいからとにかく着席したい乗客、落ち着いた空間を求める乗客、贅沢な気分を求める乗客、首都圏で殺人的ラッシュを回避する通勤客や圧殺事故防止の為に利用する低学年小学生、成金趣味者、鉄ヲタ、あるいはフットレストの好きな鉄道愛好家など。

ここで現在の私の見解を記しておく。私にとってグリーン車の望ましい姿は、座席や設備が私好みであり、安売りされず、加えて変な奴らが乗ってこない車両である。元々はR27形リクライニングシートの形状に惹かれてグリーン車大好きっ子になったわけだが、近年は居住性について“場”や“環境”も含めて意識するようになってきた。

 

 

 

周遊きっぷ“ゾーン券”設定の縮小…周遊きっぷの“ゾーン券”がいくつか廃止されるらしい。周遊きっぷは衰退の方向に向かうであろうことは予測していた。第一にルールが煩雑過ぎやしないだろうか。また、ゾーン券の有効日数が一律5日間というのも問題があるだろう。かつての周遊券が現行の周遊きっぷへと大きく改変された経緯はよく知っている。しかし、私は以前の周遊券の方がよかったと思う。ワイド周遊券・ミニ周遊券・特注の周遊券はそれぞれに有効日数・周遊範囲や特急自由席の利用可否など特徴があり、用途に応じて選択することができた。ちなみに、私は周遊きっぷを使ったことが無い。はっきり言って、一週間ぐらいの帰省には全く適さない。やはり、ルールの煩雑さとゾーン券の有効日数が一律5日間であることは問題だと感じる。

「臨時快速ミッドナイト号」運転取りやめ…この「快速ミッドナイト号」は、通常は利用者が少ないので季節運転に格下げされていたが、このたび運転が取りやめになった。18キッパーズの為にわざわざ設定する必要はないと思っていたが、そのとおりになった。今年の夏に恩恵にあずかっておいてよかった。

「快速海峡号」廃止…海峡線から普通列車が消える為、蟹田〜木古内間相互発着で特急自由席を利用する場合は乗車券のみで乗車できる特例が設定される。さて、「ミッドナイト号」と「海峡号」が消え去った後でも、内地の遠方からはるばる北海道まで青春18きっぷでやってくる人はいるだろう。海峡線は石勝線と同様に特例設定区間となるわけだが、海峡線は石勝線とは異なり、本州⇔北海道間の鉄道利用者が集中する為に繁忙線区となりうるのである。海峡線に新たに登場する特急列車や特急の本来の乗客が気の毒でならない。自由席の通路には18ヲタどもが座り込んで身動きすら取れない事態が予想される。私は、「ミッドナイト号」と「海峡号」が消え去った後には北海道へ青春18きっぷで行こうとは思わない。

「寝台特急はくつる号」廃止…東北新幹線の八戸延伸、および東北本線一部区間のJR離籍により、東北本線寝台特急の去就が心配されていた。予想通り「はくつる号」は消え去ることになった。初めてオロネ25に乗った列車なだけに残念でならない。あのオロネ25はどうなるのだろうか。同じJR東日本の「寝台特急日本海32号」のオロネ24を置き換えることも予想される。どちらにしても私には寂しいことである。さて、驚いたことに、「寝台特急北斗星号」や「寝台特急カシオペア号」は現行ルートのまま運転を継続するそうである。つまり、東北本線のJR離籍区間も今後乗る可能性が著しく低下するわけではなさそうなのである。

新幹線特急の「はやて号」と「こまち号」は一部の例外を除いて全席指定に…東北新幹線特急の「はやて号」と「こまち号」は一部の例外を除いて全席指定になるとのことだ。JR東日本の新幹線は東京から見て遠方を走るか否かで愛称を分けている。この観点から察するに、「はやて号」と「こまち号」は指定席客主体の長距離列車と判断されたのだろう。全席指定についての所感は後述する。

JR東日本管内新幹線乗継割引適用駅を大幅削減…JR東日本管内では新幹線乗継割引を適用する駅を利用実態に合わせて削減する。なぜ、元々あるルールを乗客が不利になるように“わざわざ”改悪するのか理解に苦しむ。郡山・仙台・高崎などで在来線特急と乗り継いでいた乗客からの反発は避けられないであろう。なぜ、わざわざ…。

JR東日本 特急列車の愛称整理…JR東日本では特急列車の愛称の整理を行う。本来は愛称の“整理”といえば、運転系統ごとに愛称を統一することを意味するのだが、今回はそういう意味ではない。

 「L特急」や「新特急○○号」といったわけのわからない名称が廃止されることになった。私のホームページでも散々指摘してきたが、JR東日本はようやく私の意見に従う気になったようである。せっかくだから「スーパー○○号」という名称も廃止した方がよい。

 新幹線特急は、「あさま号」との誤乗を避けるために「あさひ号」が往年の上越新幹線各駅停車特急の愛称であった「とき号」に改名されることになった。

 「特急ビバあいづ号」は「特急あいづ号」に戻されることになった。

「特急あいづ号」…それにしても、「特急ビバあいづ号」ってひどいよな。地元民は喜んでいるのだろうか。専用編成が1本しかないので、それが検査の時には“同一時刻の快速列車”として運転されていたのを初めて時刻表で見たときには仰天した。定期特急列車では極めて珍しい事例である。地元民にとっては特別料金不要の快速の方がうれしいだろう。また、磐越西線線内列車となった今では運転距離も短く、「快速ばんだい号」との間にどれほどの使命の差を設けたいのか全く理解できない。はっきり言って、沿線自治体などが“優等列車ブランド”を欲しているのだろう。これは津山線の「急行つやま号」にも言える事である。さて、そんな「特急あいづ号」だが、前述のとおり郡山での新幹線乗継割引が適用されなくなる。ますます痛い列車となる。ところで、磐越西線の特急料金も改定される。ちなみに、磐越西線は国鉄時代に初めて特定特急料金が設定された線区でもある。

リバイバル運転…近年リバイバル運転が盛んに行われている。以前、臨時客車快速列車と全く同じダイヤで運転されるリバイバル電車特急列車の存在を知ったときには閉口してしまった。さて、今期もリバイバル運転が盛んだが、国鉄グリーン車大好きっ子だった私としては、ストライプモケットのR27形リクライニングシートを再現してほしい。何も外観だけが文化や郷愁ではないのである。

「特急成田エクスプレス号」…「特急成田エクスプレス号」ほど乗車エリアと降車エリアのはっきりした昼行特急列車も珍しい。朝の東京方面行きと夕方以降の成田空港行きの列車は千葉や成田に停車するものの、原則として、成田空港と東京駅およびそれ以遠を結ぶのがこの列車の使命となっている。

 「特急成田エクスプレス号」は、中央本線に直通して特別快速すら停まらない駅に停まったり、渋谷にも停車するなど、東京駅より“西側”では停車駅拡大が目に付く。もとより、東京⇔新宿間は中央本線よりも時間のかかる山手線を経由して、しかも速くない速度で走行しているので、山手線内で貨物線にホームの有る駅のいくつかにも停めてよいのではないかと思っていた。それにしても、停車駅拡大の流れの中で、県都や県内での利便性を「特急成田エクスプレス号」に無視され続ける千葉県民はどのような思いを抱いているのだろうか。県都を無視する特急列車自体は珍しくないが、「成田エクスプレス号」のように当初の思惑をかたくなに維持しようとする列車は珍しい。

思惑の外れた列車たち…さて、ここで今年のネタに限定せず、登場当初の思惑が思いっきりすべった列車たちについて記してみよう。実は以前から特集したいと思っていた。

空港直結JR特急「成田エクスプレス号」と「はるか号」…どちらも全席指定で空港直結型のダイヤで登場した。現在では、千葉・成田および日根野から都市部への通勤客にも利用できるような停車駅設定になっている。「はるか号」はさらに某テーマパークへの利便性向上の為に西九条にも停まるようになった。

「成田エクスプレス号」…今年はクロ253200が登場した。「成田エクスプレス号」のグリーン料金は他の特急グリーン料金に比べて特別高額に設定されている。しかし、クロ253200ってあれはなんなのさ。在来線の横4列規格の座席を12列で配置して定員を増やしたらしい。これは他の在来線グリーン車の12列のように座席の幅が広いのではなく、「関空快速」や「紀州時快速」のように通路が広いのである。しかもシートピッチはクロ2530と同様の1,090mmである。ちなみに国鉄時代から特急・急行グリーン車の標準的なシートピッチは1,160mmである。クロ2530は一人掛のゆったりした座席だが、クロ253200は前述のとおりである。結論から言うと、クロ253200の開放室は特別高額なくせに日本一居住性の悪い特急形グリーン車である。ここで誤解の無いように言っておくが、私は酷評は好まない。また、何かを褒める時に別の何かをけなすような表現を用いる人も好まない。しかし、クロ253200はいただけない。往年の名車クロ151を彷彿させるクロ2530とあまりにも違いすぎる。私は、複数のタイプの座席が混在する場合には、座席を見てからグリーン車に乗るかどうか決める。他の特急グリーン車よりも高い金額を支払ってクロ253200に乗せられた乗客や「成田エクスプレス号」のグリーン車の常連客の中には違和感を覚える人もいるのではなかろうか。

 クロ253200と同時に増備された253系の普通車は他のJR特急普通車同様にロマンスシートで登場した。従来の253系の普通車は向かい合わせの座席だった。これは、折り返し時間を短縮できることや座席の後ろを大型荷物の置き場にできること、およびヨーロピアンスタイルであることから採用に到った。しかし、いくら急行形よりもシートピッチが広く、座席の後ろに荷物が置けるとはいえ、さすがに評判はよくなかった。進行方向に向いて座りたがるのは日本人の国民性らしい。ヨーロッパでは優等列車の1等車であっても集団見合い方式の座席配置を採用しているものさえあるが、ここは日本である。特急形で向かい合わせの座席を採用するとどのような反応が来るかは581系・583系で経験があるはずなのだが…。

 結局、「成田エクスプレス号」は向かい合わせ座席の普通車も定員の少なすぎたグリーン車も共に失敗だったのだろう。海外からの客を迎える日本の鉄道の顔として、かなり思い切った設計をしたようだが見事にこけたようである。なにもヨーロピアンスタイルを導入して海外に阿る必要はない。なんと言っても、ここは日本なのである。

「はるか号」…これも全席指定で登場したのだが、現在では自由席も設けられ、停車駅も増やされた。この列車は、アーバンネットワーク内しか走らない。現在のこの列車の姿を見ていると、この列車はアーバンネットワーク内の他線区ならば新快速として近郊形電車で運転される程度のものではないかと思う。はっきり言って、設備が立派で料金が必要なだけの新快速にしか思えない。誤解の無いように言っておくが、新快速が高頻度運転されるアーバンネットワーク内を走る特急列車の存在意義を否定しているわけではない。また、「特急はるか号」はダイヤの作成が極めて大変であることも理解している。加えて言うと、特別料金必要列車や特別料金必要車両の存在意義というものも理解している。ただ、空港直結専門から脱皮した現在の「特急はるか号」は新快速程度の使命しか持ち合わせていないように感じる。

全席指定…上記の空港特急や新幹線特急の「のぞみ号」のように全席指定の定期特急列車が時折出現する。ここでは、国民大移動期の全席指定列車や行楽志向列車、および高頻度運転線区における通勤ライナーなどを話の対象にしていない。通常の実用的なビジネス特急を対象にしていると言った方がわかりやすいかもしれない。全席指定の特急列車は孤高の存在ぶって登場することが多いが、当然ながら利便性や料金に難点があるため、多くは自由席設置の方向へと向かう。

停車駅 激少…新設の特急列車の中には、特別急行がエリート列車だった時代のようにやたら停車駅を切り詰めたものが時折登場する。今は無き北陸特急「きらめき号」のように愛称や設備で差別化を明確にするものもあれば、以前、途中1駅しか停まらなかった「特急スーパー北斗2号」のように系列内で1本だけ速くするものもある。後者のような例は、その所要時間が「特急----号 ○○⇔■■間 最速△時間××分」という宣伝に使われることが多い。いずれにせよ、当然ながら利便性に難点があるため、多くは停車駅を増やす方向へと向かう。「きらめき号」は、当初こそ全席指定で停車駅も厳選されていたものの、やがて自由席も登場し「特急加越号」と停車駅も変わらなくなり、「加越号」に吸収される形で北陸特急から愛称が消滅した。また、現在では「特急スーパー北斗2号」も停車駅を増やしている。

 東海道・山陽新幹線の東京⇔新大阪間における「のぞみ号」も随分変わった気がする。当初は何が何でも東京⇔新大阪間を2時間30分で走らせるために、新横浜に停車する朝の下り1本は名古屋と京都を低速ながら通過させていた。しかし現在では、新横浜・名古屋・京都に停車して所要時間が2時間30分を超える列車も珍しくない。かつての名古屋・京都通過の大騒動は何だったの?という気がする。

 アーバンネットワークの新快速も随分停車駅が増えたものである。かつて、京阪神間の速達性向上の為に快速が登場した。快速の停車駅が増えたので新快速が登場した。新快速の停車駅が増えたので、再び停車駅を減らした新種別を作る案が有るとか無いとか言われていた記憶がある。もうアホかと。

 特急の停車駅や利用形態も時代と共に随分と変わったものである。何につけても変遷は当然だろう。しかし、思惑がはずれまくったものも多い。これらについて考察するのも楽しみではある。

 

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 ところで、映画ではないが、ドリフターズのコントにも国鉄グリーン車タイプのフットレスト付きリクライニングシートが登場する場面がある。ここではなぜか窓は急行形のハザなのだが、別にこれを突っ込むつもりはない。そのコントを見るたびに、あれと同じ系列の座席を何とか入手することはできないだろうかと思う。国鉄末期からJR初期にかけてR27形座席の大量余剰が出たようだが、その時に頼んでいたら鉄道会社から譲ってもらえたのだろうか? 今非常に気にかかるのはJR東日本200系新幹線車両の初期のグリーン車用座席である。現在、座席更新や後継車の登場で大量に廃棄品が出ている事と察する。今後時間ができたら本気で行動を起こしてみようかと考えている。  R27系列・R31R32…たまらんわ。

 さて、ロザに限った話ではないが、古い邦画では往年の名列車にお目にかかれることがある。スクリーン上を駆け抜ける名車両の姿も素敵だが、私は車内の光景の方がより興味を持つ。一般的に言って、車体外側の写真に比べると車内の写真は圧倒的に少ない。「映画/喜劇 急行列車」で20系ロネの車内を見た時はかなり感動したものだった。

 近年、鉄道のイベントにおける“鉄ヲタ”の蛮行が衆知のものとなり、社会問題の様相をも呈するようになってきた感がある。さて、片町駅やJR東海0系新幹線の最終日には多くの一般の方が来ていた。もちろん、一般の女性もたくさん来ていた。水軒駅のさよならイベントだって例外ではないだろう。「見たいのはみんな同じ。写したいのもみんな同じ。」という簡単な事さえもわからないようなおバカさんには、水軒駅に限らず全ての公共の場に行かないことをお勧めしたい。

2段化ハネ…旧上段を撤去し、中段を高い位置に持ってきて2段化した北海道内の一部の2段化ハネは上段の“高さ”の方が高いようである。一方、旧中段を撤去し、上段を低い位置に持ってきて2段化した大部分の2段化ハネは下段の“高さ”の方が高い。また、元より2段のハネは下段の“高さ”の方が高い。大形時刻表に掲載されている“高さ”は標準的な25形のものだと察する。

B寝台個室…私は、「特急北陸号」のB寝台個室はおそらく耐えられないだろう。B寝台個室にもいろいろあり、「特急富士号」などに使われているタイプの「ソロ」なら乗れるが、「特急北陸号」などに使われているタイプの「ソロ」は避けたい。「特急北陸号」の場合、狭い空間を壁で囲まれたB寝台個室よりは大きなカーテンを開ければすぐに高い天井にありつける開放B寝台の方が何倍もよい。「ソロ」よりも発電エンジン稼動中のスハネフ14の方がよいぐらいである。開放2段ハネを息苦しいと感じた事は無いが、在来線の2階建車のように“常時”頭のつかえそうな乗り物は息苦しさを感じて好きになれない。まして、天井の低い“個室”なんて絶対にイヤだ。ついでに言うと、バスや飛行機の一般席のようにシートピッチの狭い乗り物も好きになれない。普通に満員電車やエレベーターにも乗れるので病気ではない。ただ、居住性の悪い乗り物が嫌いなだけである。

 昔の私は「(犯罪的でなければ)趣味に貴賎なし」と本気で思っていた。鉄道マニアや他の特定のオタクが馬鹿にされている事は知っていたが、私は単なる偏見だと思っていた。しかし、実を言うとそれよりも昔から、鉄道マニアに変な奴が多いとは実感していた。数年前にインターネットを本格的にやり始めるようになってから疑惑が確信に変わったのである。また、近年ではいろいろ社会を知るうちに、趣味と性格の関係などが科学的根拠に基づいて分析されている事も知るようになった。もう私は社会生活において鉄道が趣味だなんて公言する事はないだろう。今後は鉄道仲間を増やすつもりはなく、なにか鉄道について語りたい事があれば、件の関西の友人などの善良な鉄道愛好仲間と話するか、あるいは自分のHPに思いを綴るようにする事にした。職場のPCのスクリーンセーバーに「カニ24 オロネ25 オハネ25 …」などと記す事もないだろう。

 よく「同好の士」なる言葉があり、昔は旅先での鉄チャンたちとの語らいも楽しんだ。今から思えば奇跡である。今は鉄ヲタとはかかわりたくないし同類とも思われたくない。ついでに言うと、「青春18きっぷ旅行者」も痛いよなぁ。私は「青春18きっぷ」で普通列車の旅行も好きなのだが、最近は「鉄ヲタ・マナーが悪い・貧乏臭い」などのイメージが先行してきてちょっとだけ抵抗も感じるようになってきた。古い例だが、1996年に「ムーンライト九州号」車内で、マナーの悪さや不正乗車など“蛮行の自慢大会”をやっている連中を見た時にはさすがに腹が立った。当時の私は、彼らは特殊なのだと思っていたが、最近ではこれが“鉄道マニアの客観的な姿”だと認識している。繰り返すが、もう私は社会生活において鉄道が趣味だなんて公言する事はないだろう。鉄ヲタは鉄道を愛する者でなく、鉄道を己の欲求を満たす対象としてしか見ていないのである。一般的に“趣味”や“好き”というのもいろいろな形態がある事を知っておく必要があるだろう。

 このコーナーに関してのメールを受け付けていないのは、“鉄ヲタ”とかかわりたくないからである。

 ちょっと突っ込むが、JR東日本の14系座席車は全車が引退ではない。14700番台ロザだって座席車である。また、JR東日本の14系そのものは寝台車が今後も残るのである。このたび14系座席車を特別に取扱う理由は何なのさ?そういえば、“「14系プルマン式A寝台車」お別れ運転”って行われなかったぞ。上記の諸々の事柄を考慮すると、今回“14系座席車お別れ運転”を企画するとは、これはいかがなものかと…。

 今後、国鉄時代の車輌の引退が加速する事が予測される。各社でバラバラに“さよならイベント”を乱発して、しらけさせてくれるような事態は勘弁願いたいものである。

@先頭車両を意識した意匠

 JRの東京駅の乗換え案内は各線区の車両が描かれていて楽しいものである。山手線のように単一系列で運転されている線区なら納得するが、複数系列で運転されている路線の意匠については、「あれが代表か」と思ってしまう。

 おもしろいのは新幹線である。東海道・山陽新幹線は主力が700系になって久しいが、東京駅では100系の意匠を見る事ができる。

 もっと強烈なのは0系である。この写真は20016月に撮影した。0系が東海道区間から撤退したのは19999月である。にもかかわらす、この写真では、撤退車両0系と非主力車両となった200系が登場している。

 

 この写真は20017月に甲府駅で撮影した。注目すべきは「あずさ号」と記された特急乗車口案内である。2001年度内には183系(189系)の後継車両が登場するが、この表記も183系(189系)と運命を共にするのだろうか。

Aかつての列車のなごり

 プラットホームにはとっくの昔に廃止になった列車の乗車口案内が残っている事がある。しかし、これらもホームの嵩上げ工事などで消え去ってしまうので記録するなら早いに越した事はない。

山陽本線宮島口駅1番線ホーム(19978月)…ホームの端の方では「しおじ」などの懐かしい名前が見られた。

紀勢本線周参見駅2番線ホーム(19971月)…「きのくに」の表記が見られた。

 今の子供たちに「新幹線を描いてみて。」といったらどんな絵を描くのだろう?私の子供の頃は新幹線といえば、0系(および200系)だけがスターであった。300系・MAX・あさま・500系のぞみ・つばさ・700系…、新幹線を代表する顔ってどれなのだ。…べつにそんなこと決する必要はないのだが…。

 昔の国鉄特急は日本全国似たような姿だった為、私鉄特急には地域限定の特有性があったものだ。しかし、近年ではJR特急の御当地化がますます進行しており、私鉄特急に対しても特別に“地域限定”という意識を抱かなくなってきた。

 踏切の道路標識に見られる蒸気機関車など、鉄道意匠を捜し歩くのもおもしろいかもしれない。

 

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