鉄道旅行記
青春18きっぷ 2004年夏 (2004/8/1日〜 公開)
今年の夏も“青春
しかし今夏は、鉄道と言うよりも目的地志向の旅を予定している為、このコーナーの扱いを大きく変更するかもしれない。
今回の主なテーマは、
第
目的:
銀山温泉(山形県尾花沢市)(銀山温泉 別公開化も検討中)
第
2旅程(2004/8/11(水)〜2004/8/12(木)) (2004/8/16月 公開)目的:帰省(首都圏→関西)
奈良線・和歌山線北宇智駅・
五新鉄道未成線第
3旅程(2004/8/15(日)) (2004/8/20金 公開)目的:
Uターン(関西→首都圏) 特記事項無しのはずが…。第
4旅程(2004/8/21(土)) (2004/8/29日 公開)目的:只見線
E231
系グリーン車・上越線・只見線第
5旅程(2004/9/5(日)) (2004/9/7火 公開)目的:残り回数消化?
ネタはたくさんあるので、主要テーマは本文中で
色を変えて両端に★印をつけておく。列車ネタのほか、地域視察記やキモイ旅行者見物記、および地元民観察記なども満載。
第
1旅程(2004/7/23(金)〜2004/7/24(土)) 目的:銀山温泉(山形県尾花沢市) (2004/8/1日 公開)2004/7/23
(金)首都圏 →新潟(翌朝)
私が普通列車で北へ向かうときの定番の列車である。日付が変わってからの最初の停車駅である高崎までは普通乗車券で乗る。近年、ホームライナー的に利用する帰宅客を排除する為か赤羽通過になったのだが、大宮や高崎まで空席を求めて乗り込んでくる人が見受けられる。満席を告げる車内放送を聞いて乗車を諦める人も多い。
「快速ムーンライトえちご号」は
485系特急形電車に変わり、運転区間も村上まで行かずに新潟止まりとなった。乗降口のステップは金具でふさがれていた。「快速ムーンライトえちご号」についての注意書きが車体に貼られており、快速運用に転じてしまった栄光の特急形電車の悲哀を感じてしまった。それにしても、ロハ車のハ室に乗るのはあまり気分のいいものではない。そう、「快速ムーンライトえちご号」は
485系化に際してグリーン席が登場したのである。面白い事だが、以前の165系電車時代の全普通車の座席とこのグリーン席は同じR27系列の座席を1,160mmのシートピッチで並べたものである。これは、居住性の向上の為にグリーン車の廃車発生座席を165系に流用したからである。165系時代は後年になってからフットレストが撤去されたが、それ以前は今のグリーン車と同等の居住性を誇っていたわけである。さて、青春
18きっぷ利用者の私はハ室なわけだが、国鉄時代のR51を改造した座席が910mmのシートピッチで並んでいる。座席下部にはヒーターがある為、前席の下に足を入れる事ができないにもかかわらず、シートバックが分厚く改造されている。こんなふざけた改造はやめてもらいたいものだ。窮屈さが気になって仕方が無かった。運転区間の縮小、繁忙期における定員の減少、居住性の低下…この先「快速ムーンライトえちご号」はどうなるのだろう。
高崎では「急行能登号」に追いつかれる。あちらは
489系特急形電車である。往年の名特急形電車が急行・快速に姿を変えて並ぶのである。2004/7/24
(土) 青春18きっぷ 1日目…1日目と言っても、深夜の高崎から使用を開始している。水上では
いつも地下鉄に乗っていてもちっとも面白くないにもかかわらず、上越線の湯檜曽や土合は楽しいと感じる。やはりこれが旅なのだと実感する。
長い新清水トンネルを抜けた頃に上りの「快速ムーンライトえちご号」と行き違う。なぜ深夜帯の事を覚えているかと言うと、よく眠れなかったからである。いつもの通勤電車の座席よりも快適な筈だが、暑さと足元の窮屈さが気になりだして身体がだるくなってきたのである。
新潟
4:57→村上5:50 白新線・羽越本線3921M 快速6連 クハE126-5この快速は、かつて村上まで運転されていた「快速ムーンライトえちご号」のスジを受け継いだものである。「快速ムーンライトえちご号」の反対側のホームに停まっており、「快速ムーンライトえちご号」の
1号車からはこの快速の先頭車両に乗り継ぐ事ができる。この快速はロングシート車である。さすがに夏以外は厳しいであろう。「快速ムーンライトえちご号」はなぜ新潟で打ち切ったのだろうか。せっかくの交直流電車なので酒田まで走らせて欲しいという意見もある程なのだが…。
この快速は全面展望が良く、主要駅の配線や美しい朝日を観る事ができた。
村上は
2番線に到着する。この先乗り換える列車は、なんと同じホームの前方からの乗り換えとなり、既に入線している。つまり、私は乗り換えに最適な位置に乗っていたわけだ。以前のように1番ホームからの集団地下道ダッシュが無くなったわけである。
村上
5:59→余目7:57 羽越本線821D 4連 キハ47-1513ここは左側の風景が好きなのだが、今回は残念ながら右側に座る事になった。
夏休み期間中の土曜日だというのに制服高校生が多い。うれしい…。
前から
2両目のキハ47の後ろの扉が、余目での乗り換え最適場所である。既に入線していた2両編成の陸羽西線152Dを目指して数人の集団ダッシュが見られた。
余目
8:00→新庄8:50 陸羽西線152D 2連 キハ111-220左側の
1人掛け座席の場合でも、後ろ向けに座れば直射日光を避ける事ができる。並走する国道
47号線の車列を95km/hで抜いてゆく。陸羽西線古口駅…最上川舟下りの拠点であり、
3本走っている「快速最上川号」も全列車が停車する。
新庄
9:11→大石田9:32 奥羽本線 2連 クハ719-5004★奥羽本線新庄以南初乗車★
奥羽本線新庄以南は新在直通特急「つばさ号」運転の為に標準軌化されている。
1,435mm幅の奥羽本線と1,067mm幅の陸羽東線の線路が長らく並ぶ。陸羽東線の南新庄を過ぎてからもしばらく併走する事になる。奥羽本線の新庄⇔山形間はほとんどが単線区間である。110km/h走行が見られる。新在直通特急にあわせた駅の改修跡が面白い。多くの駅が、改札口のあるホームと隣のホームにおいて、車体の同じ側のドアが開く構造となる。つまり、改札口のあるホームの向かいの“旧
2番線”が撤去されているのである。ここを走る普通列車は狭軌
(一般的なJR在来線に見られる1,067mmの線路幅)でも見られる719系であるが、標準軌用に5000番台と区分されている。仕様が大きく異なるのに、なぜ別形式にならなかったのか不思議である。
★
銀山温泉を訪れた★
大石田
14:05→山形14:34 奥羽本線118M「特急つばさ118号」 400系電車7連 422-4本当はこの先、奥羽本線の普通列車を乗り継いで板谷峠を経由しても理論上は帰宅できるわけだが、事故などの影響で自宅に辿り着けなかったら困る為、山形まで特急列車でワープして、未乗区間の仙山線経由で帰宅する事にしていた。
ローカルな佇まいの駅に「
17号車」の乗り場表示が…。「特急つばさ号」は新在直通特急である。山形新幹線と呼ばれているが、正確には、福島以北は在来線の奥羽本線であり、この区間の最高速度は在来線らしい
130km/hである。当然ながら定義上の「新幹線」にあてはまらない。新在直通特急の在来線区間に乗るのは初めてである。走りに余裕が感じられるのは気のせいだろうか。しかしながら、大石田→山形
39.8kmを3駅停車29分。表定速度は標準的なローカル特急並みの80.5km/hであった。車番を控えてメモしようとした時に悲惨な現実に直面した。愛用の
ROLEXが白くなっていたのだ。ステンレスやゴールドは化学的に安定しており、今まで温泉で傷んだ事が無かったのだが、ついに化学的にやられたのかとパニックになった。美しい光沢が戻らないのではないかと心配になり、きれいな水を用いて必死に拭き続けた。おかげでこの「特急つばさ118号」乗車車両の車番を失念してしまい、帰宅後に編成運用を調べて「L4(422-4)」である事を突きとめる事になった。山形では
4分の慌しい乗り換えである。花笠音頭の発車メロディが流れていた。“新幹線改札”できっぷを記念に貰い、仙山線5826M乗り場に急いだ。山形
14:38→仙台15:52 奥羽本線・仙山線5826M 4連 クハ718-13羽前千歳までは先程の奥羽本線を戻る形となる(もちろん狭軌の別線路)。
★仙山線初乗車★
仙山線は
60km程の単線電化路線である。山寺などの観光地も有しローカル然とした車窓風景を展開するが、実は県庁所在都市内しか走っていない。ずばり仙台市内と山形市内だけを走っているのである。かつての急行「仙山号」は、高頻度運転の快速列車に姿を変えて都市間輸送に活躍している。この路線は今でこそ優等列車が走っていないが、都市間輸送を担う重要幹線なのである。仙山線作並駅…交流電化発祥の地。昭和
30年頃に北仙台⇔作並間において、我が国の鉄道の交流電化試験が行われた。
仙台からは東北本線経由で首都圏に戻った。
東北本線を積極的に選択した。今秋のダイヤ改正で東北本線(俗称:宇都宮線の区間)などの普通列車にグリーン車が登場するのだが、ダイヤ改正前日まではサロ
今回の旅程は天気に恵まれていたのだが、例外的に黒磯では激しい雷雨に見舞われた。
宇都宮では
20:13着の1594Mからすぐに接続となる20:27発の2542Mにサロが無かったので、餃子を食べに行く事にした。宇都宮で乗り換える度に名物の餃子を食べに行っている。今回で3度目である。宇都宮
21:02発の684Mにもサロが無かった。21:16発の221系3552M「快速ラビット号」を選択した。大宮では高崎線からの列車も合流する為、大宮でサロを狙おうかとも考えた。結局、浦和まで寝過ごしてしまい赤羽で乗り換えてみたのだが、これもサロ無しの列車だった。立ち客も居るサロ付きの下り列車を途中で2回も目撃したのに、本当に不運である。何をやってもうまくいかない自分自身が嫌になってきた。再び気分が沈んできた。
第
2旅程(2004/8/11(水)〜2004/8/12(木)) 目的:帰省(首都圏→関西) (2004/8/16月 公開)2004/8/11
(水)首都圏 →大垣(翌朝)
今回はグレードアップ車両を狙って指定券を取った。
JRが発足した当時には特急普通車指定席の座席をグレードアップする事例が見られた。この頃は事実上の3クラス制が見られたわけである。今回狙ったのはその当時のグレードアップ指定席充当車両である。グレードアップ車両の事は以前から知っていたが、特急形普通席に特にこだわりも無かったので、特に目当にする事はなかった。しかし、少しでも寝心地が良い方がよいと考えてグレードアップ車両を狙った。シートピッチは60mmほど広いだけだが、足元に障害物が無いので足を伸ばせて快適であった。他にも天井の改装や自動ドア化、およびリトルハイデッカー構造化が見られる。なお、満席だと案内されていたが、私の隣は終点まで空いたままだった。よくある事であるが、本当に利用したい人には迷惑な事でもある。
2004/8/12
(木) 青春18きっぷ 2日目…2日目と言っても、深夜の横浜から使用を開始している。私が乗っていた「快速ムーンライトながら
関西本線経由でもよかったのだが、今回は積極的に東海道本線を選択した。今年
5月2日に「快速ムーンライトながら91号」から乗り継いだ列車が、柏原、近江長岡、醒ヶ井と3駅連続で高速貨物を追い抜いた。それがよくある事なのかどうなのか確認したかったのである。大垣駅では階段を走らないように注意書きが出されている。今はまさに、西へと向かう“ながら客”による「大垣ダッシュ」の季節である。
さて、近年は高校生に乗車マナーの向上を呼びかける広告類がよく目につく。
JR西日本管内でも見られたのだが、これには長澤まさみさんが起用されていた。数年前にはJR西日本の広告に酒井美紀さんが出ていた。JR西日本は静岡出身の美形アイドルを起用するのが好きなのだろうかと少し思えた。★奈良線★
京都で奈良線に乗り換える。黄緑色の
103系の4連が主力である。稲荷駅までは旧東海道本線である。大正10年に線路切り替えがなされた。単線ながら列車行き違いの為の長時間停車も無く、単線を感じさせない運転が行われる。運転頻度も高く単線のひとつの理想形ではなかろうか。線路沿いには「みんなで乗って複線化」という看板が見える。弱冷房車に乗ったのだが、クーラーに加えて扇風機もかかっている為に寒かった。
それにしても、奈良線と名乗っているが、この路線は正式には京都⇔木津間の京都府内しか通っていない。ちなみに、京都⇔奈良間を結ぶ鉄道は
2つある。JRの奈良線と近鉄の京都線である。一方、京都線と言ってしまうとJRと近鉄ではまったくの別物になってしまう。
奈良駅では曳家工事による保存がなされる旧駅舎がチラッと見えた。
王寺から乗り換えた和歌山線の
105系はどれも全て暑かった。
★和歌山線北宇智駅★
和歌山線北宇智駅 近畿唯一のスイッチバック駅
我が国は国土のおよそ
7割が山地なため、急峻な地形を克服する為に鉄道敷設においてさまざまな工夫がなされた。その工夫のひとつがスイッチバックである。スイッチバックとは、駅や信号場で列車の進行方向を変えて運転する事や、急勾配を折り返しながら登るしくみの事を指す。しかし、動力の近代化に伴ってスイッチバックも解消されていった。ここは最大でも
20‰程度なので、電車化された現在ではスイッチバックを解消してもよいはずである。写真の最も左が本線である。奥が五条・和歌山方面であり、五条に向けて最大
20‰の下り勾配になっている。中央が2番線ホームであり、高田・王寺方面乗り場である。最も右が駅舎のある1番線ホームであり、五条・和歌山方面乗り場である。駅構内では「和可山」と書かれた案内表示が見られた。また、この写真の反対側には、本線とは別にスイッチバック用の引込線がある。運転士は側窓から顔を出して後方確認する形で、
25km/hでバック運転を行う。
和歌山線は簡素な架線の吊下げ方式を採っている為に最高速度は
85km/hである。それにもかかわらず、激しく揺れる。さて、高野山や紀伊山地の霊場が世界遺産に登録されたのだが、和歌山線は風光明媚な所や観光資源が豊かな地を走るわりに、観光路線としての魅力には程遠い。かつての「急行紀ノ川号」とは言わないまでも魅力ある列車を設定できないものだろうか。まぁ、
JR西日本から冷遇されている路線だから無理だろう。京都から奈良を経由して和歌山に至る国道24号線沿いには重要な観光資源が多いのだが、そこを走るJR路線は残念ながらしょぼい。
★鉄道未成線★
五新鉄道未成線を訪れた。
第
3旅程(2004/8/15(日)) 目的:Uターン(関西→首都圏)(2004/8/20金 公開)関西から首都圏への
Uターンである。出発時間帯とダイヤの都合により、単なる東海道本線の移動となる。特記事項無しの筈だったが、いくつかネタを得たので記しておこう。さて、今回は上り夜行の「快速ムーンライトながら(
大阪駅では、
1・2番線ホームが工事中の為に使用停止となっている。
★米原⇔大垣間★
米原⇔大垣間、ここは青春
18きっぷ旅行者にとって東海道本線の難所である。低頻度短編成激混み区間である。半時間立ったまま乗るか、半時間次の列車を待つか結構迷う。また、編成もまちまちで、米原駅8番線ホームの6番△印の所で待っていても2両編成がやってきては着席ができない。今回、この区間で初めて見送った。「特急しらさぎ8号」に乗ろうかとも考えたぐらいだった。最近なぜだかしんどくて、もう新幹線に乗り換えようかとも考えた。私が乗った14:43発の224Fはロングシートの211系3連だった。弁当を購入した客は困惑気味だった。さて、これの次の15:14発の5114Fは乗り換え無しで浜松まで行ける特別快速となる。本当に変なダイヤである。
大垣で乗り換えた特別快速は、終点豊橋到着前に飯田線のトロッコ列車を追い抜いた。なんと先頭には古豪
EF58の姿が見えた。豊橋にて
EF58の到着を捉えた。
今回はゆったりと乗り継いだ。はっきり言って、米原の発車時刻を
1時間半ぐらいずらしても、自宅への到着時間帯に大きな違いは無い。★
373系普通列車★静岡
19:35→首都圏 東海道本線366M 373系電車9連 クハ372-2静岡では、
373系特急形電車による静岡19:35発東京行きの普通列車366Mに乗るのにちょうど良い時間となった。今秋のダイヤ改正では、JR東日本管内の東海道本線の普通列車はほとんどが熱海折り返しとなる。静岡から東京まで乗り換え無しで行けるのはありがたい。静岡からは女性の車掌、熱海からは
JR東日本の車掌となった。「携帯電話はデッキにて…」という案内が入るのは、普通列車らしくなくて面白い。また、「優先席付近では…」という案内も聞かれたが、この列車の優先席ってどこなのさ? 熱海小田原・平塚などの発車時には、「特急形車両で運転しているが普通列車であり、乗車券・定期券・回数券で乗車できる」という事が告げられた。進むにつれて、お盆の時期の日曜夜の上り列車にもかかわらず結構混んできた。座席定員が少ないのはかえってサービス低下かもしれない。2席を独占して寝ているアホも居る。横浜からは更なる乗車があり、川崎や品川では降車可能なのだろうかと思ってしまうぐらいであった。9両編成端の1号車でさえこのような状況なのだから、編成中ごろの車両はさぞ込んでいた事だろう。373系ワイドビュー特急車両はJR東海所属である。客室内の電光掲示板には「特急ワイドビュー東海号」の宣伝が流れるのだが、「大船-静岡間 最速1時間37分」という案内が流れる。JR東海の本音と、相互乗り入れ他社との微妙な駆引きが見て取れた気がした。
それにしても快適であった。普通列車のグリーン車と同じシートピッチの快適なリクライニングシートに身を沈め、弁当も食べられて、スリッパに履き替えて足を伸ばして眠る事もできた。もう最高である。ちなみに、食事をする為に洗面所のある車両を選んだ。さて、東北本線で普通車扱いのサロに乗れなくて悔しい思いをしていたのだが、これで帳消しになった思いである。
第
4旅程(2004/8/21(土)) 目的:只見線 (2004/8/29日 公開)赤羽
8:43→桶川9:12頃 東北本線・高崎線847M E231系電車15連 サロE231-1002★
E231系 普通車扱いのグリーン車★赤羽
8:49発の「快速アーバン号」に乗る予定であった。しかし赤羽駅での案内が、8:43発の普通が4ドア、8:49発の快速が3ドアと出ていた。8:43発の普通はE231系であり、普通車扱いのグリーン車が付いているかもしれないと思ってホームへ急いだ。ついにめぐり合えた、今秋のダイヤ改正までは普通車として運行されるサロに。乗客が殺到しているのかと思いきや、そんな事は無かった。みんな目の前に停車した車両に乗り込んだようである。車内放送では、「グリーン車が連結されているが、普通車として運用しているので、ぜひご利用ください。」という事が告げられた。しかし、その放送を聞いて乗客がグリーン車に流れ込んでくるという気配は無かった。
さて、
2階建てなのだが、私は階下席を選択した。平屋部分は天井が通常の高さなので荷棚もある。2階席は天井に圧迫感があってあまり好きになれない。JR四国の例を持ち出すまでも無いが、同様の設備の場合は階下席よりも2階席の方が“上級”として扱われやすい。しかし、特殊な眺めを堪能すべく階下席を選択した。いい眺めだ、いろんな意味で…。シートカバーはついていない。また、シートバックについてある、荷物を入れる網が壊れている座席もあった。せっかく乗れてうれしい事はうれしいのだが、本来のグリーン車運用に入る前に傷んでしまった部品などが気の毒に思えてくる。
この車両に乗れて喜んでいるので、矛盾しているように思われるかもしれないが、私は、グリーン車を普通車として扱う事を快く思っていない。中学生の時、“特別料金を支払ってグリーン車に乗った”という思いがあったから、グリーン車開放という事実を初めて知った時には相当な衝撃を受けたものだった。
快速と緩急接続を行う桶川でこの列車を改めてじっくり見てみたのだが、グリーン車の隣に連結されているロングシートの普通車には意外と多くの乗客が乗っていた。あんなに設備が違うのに、皆さんすぐ隣のグリーン車に関心が無いのだろうか?
桶川
9:15→高崎10:12 東北本線・高崎線3921M「快速アーバン号」 211系電車10連 クハ211-3053結構混んでいた。
高崎
10:20→水上11:23 上越線731M 115系4連 クハ115-1105行楽客でかなり混んでいた。都会の通勤電車で着席に慣れていたので、進行方向右側に席を見つける事ができた。
高崎問屋町駅の新設工事が進んでいるようである。渋川を過ぎると山岳風景の度合いが高くなり、旅行気分が一気に高まる。
沼田や後閑でも観光客のまとまった下車が見られた。
私が乗っていた先頭車両は、水上での乗り換え最適場所である。既に入線していた
3連の8735Mを目指して集団ダッシュが見られた。
水上
11:31→小出13:02 上越線8735M→1735M 115系3連 モハ114-119?この列車は、閑散区間の水上→越後中里間を
またもや混んでいる。後ろ向きながら進行方向右側に席を見つける事ができた。
ループ線も見えて、山岳路線気分がますます盛り上がる。下り線の新清水トンネル内には
2つの駅がある。土合駅はホームから改札まで486段の階段があり、下り列車の改札は発車10分前に打ち切られる。この駅には1997年4月に訪れた事があった。今回も多くの訪問客がホームで写真を撮っていた。上越線自体は何度か乗っているのだが、土合⇔越後湯沢間、六日町⇔小出間を日中に乗るのは初めてである。
越後中里では、スキー場の休憩所として旧型客車が置かれているのだが、編成の長さに驚いた。
1本は6連だが、もう1本は、なんと堂々の12連、迫力ある“静態保存”である。越後湯沢で弁当を購入して車内にて食べた。やはりクロスシートはありがたい。
小出では、只見線の
2連の気動車をめがけて集団ダッシュが見られた。
小出
13:17→会津若松17:20 只見線432D キハ48-550+キハ40-542★只見線初乗車★
スタンプを押したり駅周辺の写真を撮ってから列車に向かうと席を見つけるのが大変であった。乗り換えを優先すべきかもしれないと思った。ロングシート化されたキハ
40-542に空席を見つけた。2両とも非冷房車である。自席近くの扇風機は私が点けた。近年では非冷房車は珍しい存在であるから、扇風機の点け方を知らない人が多いのだろうか。なお、非冷房車とはいえ、トンネル内の走行中だけは涼しかった。
小出の隣の薮神から数十人規模の大量の乗車があった。旅行客が多い路線だとは聞いていたが、想像を絶する混雑である。非冷房の車内が更に暑くなった。
★六十里越峠★
只見線に平行する国道
252号線は、冬季には六十里越区間が通行止めなる。この為にこの只見線は廃止を免れているとも聞く。そんなすごい所を走るのである。六十里越峠を
30km/hほどで登る。ここで県境を越えるのだが、越境通学生も居るとの事である。混雑の為、速度計を見にいくのは2回だけにした。非冷房ゆえに窓が開いており、エンジンの咆哮がトンネルの内壁に反射して車内に容赦なく飛び込んでくる。耳栓を持っていて正解であった。車内の混雑の為に、冬季閉鎖となる秘境駅である田子倉駅を見る事はできなかった。さて、只見線を乗るにあたって、事前に
1977年の「急行奥只見号」の停車駅を調べておいた。この田子倉も「急行奥只見号」の停車駅だった。
只見で大量の下車があり、セミクロスシートのキハ
48-550に乗り移った。ワンボックスを独り占めしようとする座り方をするバカが少なくとも4人居た。このような愚民どもは公共の場から隔離すべきである。それにしても、沿線風景をビデオ撮影している人があまりにも多かった。
★只見⇔会津川口間★
只見⇔会津川口間は
1日3往復である。只見⇔会津川口間は電源開発の為に昭和32年に開通した区間であり、昭和38年から国鉄による旅客営業が開始された。この両駅の間にある駅は1両分のホーム長しか持たない。この区間は1977年の「急行奥只見号」はノンストップだった。本名付近で東北電力の大型プラントが見られたが、進行方向右側に乗っていた私は、会津横田以外で側線などは見かけなかった。なお、この区間では行き違いができない。
さて、どんな所を走るのだろうと思っていたのだが、意外と民家があった。降車も
1名見られた。北海道の石北本線の秘境地帯的な風景を予想していたのだが、人の営みが感じられる沿線である。驚いた事に、警報機が鳴っている踏切もある。なお、首都圏在住の私が、青春
18きっぷを用いて日帰りでこの区間に乗る為には、この432Dしか選択肢が無いのである。
会津川口では、
3連の小出行き427Dと行き違う。閉塞方式も昔のままであり、写真のようにタブレット授受が行われている。それゆえに、超閑散路線ながら主要駅は有人となっている。更に、豪雪地帯ゆえに冬にはラッセルも出動する。また、旅客列車には車掌も乗務しており、かなり人手がかかっている路線であると言えよう。会津川口駅構内ではターンテーブルも見られた。
キハ
48-550の便所使用灯は変わった仕掛けであった。施錠開錠によるものではなく、室内のセンサーにより人がいるかいないか感知しているのである。会津柳津からはまとまった乗車があり、会津若松が近づくにつれて乗降が多く見られるようになった。
会津若松
18:31→郡山19:29 磐越西線1216M「快速あいづライナー6号」 485系特急形電車6連 モハ484-1058「快速あいづライナー号」は、昨年
10月のダイヤ改正で特急列車を格下げして登場した快速列車である。これにより磐越西線から優等列車が消える事になった。また、今秋のダイヤ改正で、急行時代からの愛称である「ばんだい」という磐越西線の快速の愛称が消える事になった。同時に他線区では「仙山」・「うみかぜ」という愛称も消滅する事になった。さて、この列車は、検査日以外は特急時代からの
485系電車で運転されている。指定席車両だけシートカバーが被せられている。なお、トイレは6両編成中の2箇所のみ残されており、更に、客室の窓の一部には「優先席」の表示が貼られていた。この車両は、もはや特急列車として運用される事は困難であろう。往年の名特急車両の悲哀を感じずにはいられなかった。東長原付近では東京電力のプラントが見られた。只見線に興味を持った為なのか、電力の設備に目が行くようになったようだ。
中山宿のスイッチバックの遺構は今でも見られる。
郡山にて…。
この先も何回か乗り換えるわけだが、比較的時間に余裕があるので郡山にてきっぷを買う事にした。新白河→那須塩原間の乗車券・新幹線特定自由席特急券を購入した。
ちょうどこの時間帯は黒磯まで行く普通列車が無い。次の黒磯行きは
これで
1時間早く帰宅できる事になる。旅行には余裕と安心も大切だ。今回はサロや485系にも乗せてもらえたので、1,320円ぐらい払っても足りないぐらいである。
郡山
18:47→新白河(所定では)19:26 東北本線1146M 719系電車(おそらく)6連 クモハ719-33この日は須賀川市釈迦堂川全国花火大会の為に臨時列車「須賀川花火号」も運転されているのだが、残念ながら都合が良い黒磯行きなんて無かった。郡山駅では大きな往復乗車券が販売されていた。
さて、乗り場に向かうのだが、乗客が足止めされていた。乗車制限でも発生したのかと思って一瞬あせったのだが、その固まりは、次の臨時列車に乗る人達であった。
それにしてもすごい混雑である。最後尾の車両にようやく乗り込んだ。安積永盛で更なる乗車があり、都会の通勤ラッシュ並みの混雑となった。
須賀川は、かつての特急停車駅である。
結局
3分遅れになり、新白河には2分ほど遅れて到着した。
新白河
19:32→那須塩原19:44 東北新幹線2164B「新幹線特急MAXやまびこ164号」 E4系8連 E455-12519:30には既に入線していた。全2階建ての編成である。平屋部分の空席を求めた。E4系の自由席車両の2階席は、基本的に横6列の座席なので乗る気がしない。一方、平屋部分は天井が高く、かなり機能的な座席が備えられていて快適である。
那須塩原
19:52→宇都宮20:32 東北本線1596M 211系5連 サハ211-3038かなり空いていた。
宇都宮
20:48→赤羽22:26 東北本線682M E231系10連 サロE230-1006宇都宮では「グリーン車が連結してあります。」という表示を目撃。これを見た女子高校生
2人組は喜んでグリーン車へと走って行った。ただ、多くの乗客が目の前の車両に乗り込み、グリーン車への興味を示さなかった。私はもちろんグリーン車に乗り込んだ。生きていれば得する事もあるものだ。私だけがとりわけ得しているわけではないのだが、なんだかうれしかった。各停車駅において、グリーン車をめがけて乗り込んでくる人はあまりいなかった。せっかく宣伝しているのにあまり乗ってくれないと、JR東日本も甲斐が無いであろうに…。朝はサロ
E231に乗車したので、今回はサロE230を選択した。私の後ろに座る人達はすぐに席替えをした。確認してみたのだが、シートバックを最大限に倒すと後ろの席の人にはかなりの圧迫感があった。車内が空いていて良かった。大宮では、青森行きの「寝台特急あけぼの号」を目撃した。少し気になったので高崎までの所要時間を調べてみた。無停車でありながら、快速よりも数分長い
1時間14分もかかっている。かなり余裕を見込んであるようだ。
その後…。
自宅へと向かう路線で、非常事態が発生して途中駅で足止めを食らった。これが自宅から遠い
それにしても只見線は良かった。非ワンマン化・ラッセル・秘境・タブレット・産業鉄道の趣…。かなり濃い見所がある。また乗りたいと思った。
第
5旅程(2004/9/5(日)) 目的:残り回数消化? (2004/9/7火 公開)中央本線
夕方から、最近
車で長い時間かけてようやく到着するような所でも、列車ならすぐに着いてしまう。見覚えがある風景の中を列車に乗って進んでいると、車の場合ではほとんど前しか見ていないという事に気づく。また、列車の場合は、来た道を延々と引き返す時のしんどさも少ない。
中央本線は、今でこそ電車が軽快に走っているが、実はかなりの山岳路線である。スイッチバックの遺構や旧線跡を見るのも楽しい。また、その急峻な地形ゆえに、人や文化の流れ、および管轄する鉄道管理局の移り変わりにも特徴があった。
八王子
15:49の小淵沢行き551Mに乗り込んだ。スカ色の115系の6連であった。日曜日の夕方という事もあり、遠くまで行くつもりは無かった。特に甲府駅は、何度か乗り換えた事があるので今回は避ける事にした。それにしても、休日夕方の上り列車は実に種類が豊富である。特急列車とすれ違った直後に再び特急列車とすれ違った。定期特急列車はもちろんの事、「ビューエクスプレス」の他に
185系の「はまかいじ号」、183系の臨時快速や団体ともすれ違った。実ににぎやかである。帰りの列車の時刻を睨みながら、石和温泉で下車する事にした。今年は石和温泉のみならず、各地の温泉でいろいろな事が明るみに出た。
石和温泉駅の裏を
車で通った事があるが、駅前に降り立つのは初めてである。タクシーがたくさん待機していた。しかし、さすがに夏休みも終わっており、「こころはシーズンオフよ♪」といった感じもある。17:37の558Mで高尾まで戻ってきた。ところで、
JRは毎時何分というパターンを崩す事が多いダイヤなので、列車毎に特急を通過待ちする駅が異なるといってもよい。単線路線における行き違い駅にしても然りである。毎度の事ながら、それらの駅には一期一会の思いを抱いてしまう。
取りやめた旅行たち(
2004/9/7火 公開)それにしても、今年の夏は、予定を取りやめた旅行が多かった。やめた旅行と理由を記しておこう。
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月7日(土)立山黒部アルペンルート実際に行こうと以前から考えていたのだが、実は最近、何をやっても楽しいとは思えない。「立山黒部アルペンルート」はルート内の片道運賃だけでも
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月12日(木)高知よさこいまつり今年は夏休みが短い為、
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月21日(土)友人たちとの旅行
この日はこれの代わりに只見線に行ったわけだが、予定使用回数がいきなり減ったので、
8月15日(日)に関西からUターンする時には、2日分使って「臨時快速ムーンライトながら92号」にしておけばよかったと後悔した。これだから休日に仕事以外の約束を入れるのは嫌なのだ! 結局、この夏はこれ以外にもいくつかの週末を空振りさせてしまった。こういう事が無ければ、青春
18きっぷ全5日分を有効に使えたのだが…。9
月4日(土)帰省もしくは赤沢森林鉄道とりあえず実家に帰る方法を確保しておけば、なにかと安心である。今夏の青春
「快速ムーンライトながら号」の指定券を抑えておけば、赤沢森林鉄道の訪問も可能である。気が向いたら行こうと考えていた。
さて実際は、
9月4日(土)は所用の為に出かけられなかった…。9
月5日(日)残り
一部区間がダムに沈む予定の吾妻線を再訪しようかと考えていたのだが、しんどくて起きられなかった。しかし、吾妻線は大雨の影響で上り下りともに遅れが生じているとの事だった。今月
2日の浅間山の噴火で火山灰が降り注いで大変であろう沿線住民が、更に気の毒に思えた。大雨が火山灰を洗い流してくれればよいのだが…。起床したのが昼なので、未乗区間の小海線に行こうかとも考えた。しかし、小海線は往復にかなり時間がかかる。また、別に出費してまで佐久平や小諸で別の路線に乗り換えようという気も起きなかった。
熱海の某
M○A美術館を再訪しようかとも考えたのだが、見る時間があまり取れそうになかったので、これもやめた。このきっぷでもう十分すぎるほど乗ったのだが、なんだか
1日分を余らせる気も無かった。大好きな旅行のせっかく機会を棄てるのはもったいない。夕方から、最近車で行かなくなった方面へ出かける事にした。中央本線の西の方へ行って帰ってきた。
取りやめだのしんどいだの、暗い事を記してしまい申し訳ない。大好きなはずの旅行への熱意が薄れてきたというわけでもないのだが…。せっかく好きな季節に大好きな鉄道旅行の機会を得たのだが、日常生活でいろいろな問題が飛び込んで来た為に、なんだか例年程の高揚感が得られなかった。そうは言うものの、
銀山温泉や五新鉄道未成線、および只見線への訪問も果たせて、有意義ではあった。この旅行記を少しずつ公開している間に感想をお寄せいただいた皆様、ありがとうございました。今後は面白いネタを公開できるように心身ともに整えておきます。