和歌山市の鉄道取材
2006年春 取材日 3月20日・4月1日 (2006年4月9日公開)
今年は珍しく“
春の青春18きっぷ”を購入した。関西へ2度帰省することができたので、和歌山市の鉄道取材に出かけた。
今回のテーマは、
1.
変わりゆく紀和駅周辺紀和駅のすぐ西側に国道
24号線の踏切がある。国道の交通に支障をきたさないように鉄道を高架化するとの事である。しかし、この理屈には疑問を感じる。この踏切は信号機が設置されており一時停止の義務が無い。それ以前にここは列車の本数が少ない。この鉄道路線を長い距離にわたって高架化するぐらいならば、紀の国大橋を南伸する形で国道を高架化すればよかったのではなかろうか。非常にばかげた理由の高架化工事であるが、始まってしまった以上は仕方がない。
紀和駅の姿(
2006年4月1日)大きな駅舎はすでに無くなっている。線路もプラットホームも、そこへ至る通路も全て仮設である。プラットホーム上のベンチは昔から紀和駅にあった物が用いられている。
ほぼ同じ場所から撮影した、以前の紀和駅の姿(
2005年8月13日)
紀和駅ののりば変更案内
2
月10日の10時から通路が変更になる事が告知されている。(これは和歌山市駅構内の写真です。駅構内設置物や表現物の著作権およびその他の権利を侵すものではありません。)
北側へと振られた線路
南海本線の車窓より紀勢本線紀和
-和歌山市間を望む。阪和線と立体交差する所から和歌山市駅構内の直前まで線路が北側へと振られているのである。線路が北側へと振られている事は、道床の色を見れば判る。
2.
さようなら、南海電鉄貴志川線 / 運行開始、わかやま電鉄貴志川線南海電鉄としての貴志川線は
2006年3月31日が最終となる。翌日4月1日からはわかやま電鉄貴志川線になる。2003年、南海電鉄が貴志川線の廃止を表明した。しかしながら、沿線道路の慢性的な渋滞などの問題も多く、路線の存廃問題が大きく持ち上がった。結局この路線は、岡山電気軌道株式会社100%出資の和歌山電鐵株式会社による「わかやま電鉄貴志川線」へと転換される事になった。南海電鉄は貴志川線の車両全12両と施設などを和歌山電鐵に無償譲渡し、用地を沿線自治体に有償で譲渡してそれを和歌山電鐵が無償で借り受ける事になった。
それにしても、岡山電気軌道株式会社という遠く離れたところの会社に救ってもらう事になろうとは…。
ちなみに、私が初めてこの路線に乗車したのは、高校時代の遠足の時であった。
沿線の道路事情
貴志川線沿線は道路事情が良くない。並走する道路は和歌山市の市街地へ向かう通勤路線でもあり、現在も毎日渋滞が発生している。都市交通政策的に考えても貴志川線を廃止してしまう事は大きな社会的損失であると思うのだが・・・。(平日夕方撮影・前方が和歌山市街地)
さようなら、南海電鉄貴志川線
南海電鉄から離籍間際の貴志川線電車には「ご愛顧ありがとうございました」のヘッドマークが掲げられた。この種のヘッドマークは全
5色が用意された。(貴志駅(和歌山県紀の川市)にて撮影)
伊太祁曽駅
和歌山電鐵株式会社の本社が置かれる伊太祁曽…車両基地もあり、以前より貴志川線の運転の要衝である。
開業、わかやま電鉄貴志川線
開業初日…きっぷ売り場では初日の日付が入ったきっぷを求める客が数人いた。(和歌山駅にて撮影)
車体はまだ南海色だが、順次「いちご電車」へと塗り替えられていく予定である。
和歌山駅前では開業記念入場券(
450円)を購入した。どうやら限定2,000部らしい。一方、記念乗車券は伊太祁曽駅でのみ販売されている。
3.
番外編…取材後記取材や旅行の時にはその場にいる人々と接する機会が少なからずある。小学生集団に取り囲まれて話し込んでしまう事だってあるくらいだ。せっかくなので、今回の取材について記しておこう。
「さよなら」や「開業」の時期に取材していても不審に思われないが、単なる工事中の時やなんでもない日常において取材をしていると変な奴だと思われる場合がある。少なくとも変質者だと誤解されるのは避けたいものだ。