「平城遷都
1300年」奈良観光 / 大阪地区の鉄道取材 (2010年11月) (2010年11月21日 公開)2010年11月6日、キハ181系が最後の定期運用だった「特急はまかぜ号」から引退した。これにより、キロ180形グリーン車が運用を終えた。私は、その日の上り最終、「はまかぜ6号」のグリーン車に乗ってきた。それにあわせて、「秋の関西1デイパス」で朝から出かけていた。当日の行動を結論から先に言うと、奈良を観光し、その後おおさか東線に乗り、16時半頃から“はまかぜ祭”に参加した。
主なテーマは、
(旅行記) 平城遷都
(鉄道雑感
/鉄道旅行) 大阪地区の鉄道取材
★★平城遷都
1300年祭で盛り上がる奈良★★実家が関西だが、関西でも行ってみたい所が結構ある。「秋の関西
1デイパス」を使うので琵琶湖方面も考えてみたが、その日は「特急はまかぜ6号」に乗り込む姫路から遠いと困るので、今回は奈良に行く事にした。
★★世界文化遺産 法隆寺★★
世界文化遺産だからという理由で訪ねたわけではない。中学生か高校生の頃、歴史の教科書だか史料集だかで法隆寺の写真を見て、その建物の配置の美しさに感心した。機会があれば行ってみたいと長年思っていたのだ。
事前に調べて行ったのだが、どうやら私が美しいと感じたのは西伽藍のようだ。それは法隆寺の一部であり、実際に法隆寺といわれる部分はかなり広い。
多数の観光客がいた。観光バスが続々とやってきていた。
大講堂が工事中のようだし、全体の雰囲気もわかったので、長居せずに引き返す事にした。これにより、もう一箇所観光の場所を増やせる。
法隆寺駅
12:25のバスで行って、法隆寺門前12:53のバスで戻ってきた。法隆寺門前12:53のバスは待ち客が凄く多かったのだが、続行便があり、すぐに出るとの案内があった。前を行くバスはすごい混みようであったが、続行便は私を含めて乗客が2人だけであった。道が狭い為か、小さいバスで運行されている。
★★平城遷都
1300年祭/平城宮跡会場★★平城遷都
1300年祭/平城宮跡会場は、訪問日の翌日である2010年11月7日が最終日であった。事前に調べたところ、最終日にはいろいろな舞台とかもあるみたいなので、その日に行こうかとも考えていた。せっかく「秋の関西
1デイパス」を持っているし、前述のように法隆寺での滞在時間が短かったので、ここまで来てみたのだ。夥しい数の人、人、人、…。絶え間なくやって来る観光バスやシャトルバス。周辺道路も渋滞であった。
会場は広く、隣の建物や広場まで
800mだの1,000mだのの案内が出ていた。風景の変化に乏しい広大な原っぱであり、歩くには遠すぎる。しかも暑い。全体を見渡せたので、近鉄線の踏切を渡った辺りから引き返す事にした。会場内は右側通行に整理されているが、それでも踏切は見てのとおり大渋滞であった。各種イベントは満席であり、平城京歴史館の整理券もすでに「配布終了」であった。イベントも資料館も体験できそうにないので、最終日である翌日には行かずに、この日だけの訪問にした。
平城宮跡会場は
11月7日で終わりだが、平城京遷都1300年祭は奈良県内全域で12月31日まで開催される。平城京遷都
1300年祭で盛り上がる奈良の観光ネタはここまでである。この先は鉄道旅行ネタである。
★★★大阪地区の鉄道取材★★★
まずは旅程を記しておこう。
11月5日(金)夕方の新幹線で関西へ帰省し、11月6日(土)は「秋の関西1デイパス」で出かけ、11月7日(日)夕方の新幹線で東京へ戻ってきた。ここでは、
2010年11月5日から7日の時点における大阪地区の鉄道の様子を公開しておこう。
★変身中の大阪駅★
2010年11月1日から「のりかえ専用連絡通路」の供用が開始された。真新しいその通路を通ってみた。
★おおさか東線
(11月6日)★上述の奈良観光の後、おおさか東線を訪問した。 (久宝寺
15:22→放出15:36)おおさか東線に乗るのは初めてであるが、ここを通る鉄道路線に乗るのは初めてではない。
1986年8月、城東貨物線だった時代にミステリー列車で乗った事があったのだ。当時は単線非電化であったが、今では複線電化の近代的な旅客路線に生まれ変わっていて驚いた。貨物線時代の遺構は放出駅の少し手前で見られた程度であり、貨物線を行く時の独特の高揚感はなかった。昔の久宝寺駅は上下線がかなり離れていたが、こちらもずいぶん変わったものである。
★北新地駅
/大阪駅★11月6日の北新地駅では、ICOCAキャタクターのイコちゃんとの記念撮影が行われていた。主にスタンプを集める子供向けのようだが、私も写してもらった…。
このあたりで食事にし、
16時半頃から、メインイベントの“はまかぜ祭”に参加した。
★★★さようなら国鉄グリーン車
(特急はまかぜ6号 キロ180形グリーン車 R28形リクライニングシート)★★★(
2010年11月6日) ⇒独立コーナー★★名優競演! 「古豪キハ
181系 はまかぜ」と「国鉄色485系 雷鳥」★★大阪駅では、
17:10着の「特急はまかぜ4号」と17:12発の「特急雷鳥33号」が並ぶ。「特急雷鳥号」はもう1往復しか残っておらず、来春には廃止される予定である。こちらも貴重な存在であり、「古豪キハ181系 はまかぜ」と「国鉄色485系 雷鳥」の並びも重要な祭なのだ。大阪駅に到着する「特急はまかぜ
4号」…このヘッドマークもこの日で見納めだ。隣が485系「特急雷鳥33号」。この後、「特急はまかぜ
6号」に乗る為にすぐさま姫路へ向かった。
★★ 姫路
19:05→大阪20:10 6D 「特別急行はまかぜ6号」 キハ181系気動車6連 キロ180-13 ★★惜別で盛り上がる時期のはずだが、キハ
181系定期運用末期のここしばらくでも6両編成での運転が続いていた。これは所定より2両増結した姿であり、往年の7両や8両よりも短いぐらいだ。
私がなぜ「
6号」を選択したかというと、6号を大阪まで乗った客と、5号を鳥取まで乗った客こそが、当該車両の最後の乗客だからである。当日の1号や4号、および2号や3号に喜んで乗った人達には申し訳ないが、私の考えでは、最終日の最終列車を終点まで乗る事にこそ価値があるのだ。
★「南海特急サザン」
25周年★
車体にはこのような物が貼られていた。
★東岸和田駅★
★★山陽・九州新幹線直通運転が目前の新大阪駅★★
新大阪駅では、来春九州との直通運転する新幹線車両の座席が展示されている。配色は、写真右側の普通車指定席の方が好きだな…。
★「みずほ」降臨★
2010年10月20日に、山陽・九州直通の最速列車を「みずほ」にするとの公式発表があった。山陽・九州直通列車の名称は、公募を経て2009年2月26日に「さくら」と発表されたが、「みずほ」という名称は突然舞い降りてきた。
九州関連の新幹線の序列は「みずほ」>「さくら」>「つばめ」となる。「みずほ」も「さくら」もかつて存在した列車名であり、歴史的背景からすればこの
3列車の序列は全く逆である。かつての「みずほ」は、東京発着の九州ブルートレインの一員であり「さくら」や「はやぶさ」を補完する地味な存在であった。言うまでもなく、「あさかぜ」、「さくら」、「はやぶさ」、「みずほ」、「富士」の5列車の中で一番早く廃止されたのは「みずほ」であった。また、「みずほ」がかつて熊本発着の寝台特急であった事を知った鹿児島県知事が、「新幹線みずほ」の命名に不満を漏らしたそうだが、そのような事を言い出すと、「さくら」は長崎特急であり、「はやぶさ」は東北特急ではなく鹿児島特急でなければならなくなる。ちなみに、消え去った名門ブルートレインのうち、「みずほ」、「さくら」、「はやぶさ」が2011年春に新幹線特急として復活する。今回の「みずほ」の躍進についてはざまざまな反応が見られる。私はすばらしい事だと思う。かつての「みずほ」は東京発着の九州ブルートレインの中では地味な存在であったが、優等車と食堂車を組み込んだ長大編成の長距離特急であり、いわゆる一流の特急列車であった事に変わりはない。我が国にふさわしい美しい名称であり、最上位に位置づけられて復活してもなんら不思議はないと思うのである。
余所者の疑問だが、鹿児島県と熊本県は仲が悪いのか? 上述の鹿児島県知事の件もそうだが、一方で熊本県民は、熊本県内を貫く路線が「鹿児島本線」という名称だという事が気に入らないらしい…。
★あとがき★
今回の関西週末帰省の最たる目的は、
2010年11月6日にラストランを迎えた「キロ180形グリーン車 R28形リクライニングシート」の惜別乗車であった。グリーン車趣味の原点の座席が消え去り、鉄道趣味の火がまた一つ消えた。私が乗車したキロ180-13は、11月12日に下関へと廃車回送された。