愛車
MERCEDES-BENZ ディーラー車 1991年式 560SEL最終モデル長年憧れてやっと購入し、三十年ぐらい乗り続けている。
(2003/4/26
土_写真交換)
後部ドアの大きさが際立つロングボディー“
SEL”。(2002/11/30土_写真交換)
私と愛車の記録
…メルセデスベンツにはオーナー表彰制度があり、同一車両を10年以上所有している場合などがその対象になる。写真は10年、15年、20年、10万kmの記念品だ。この先も愛車との時間を大切にしていきたい。なお、写真右下はメルセデスとは無関係のスーパーゴールドSDカードである。運転免許取得以来、事故や違反の記録は一切無い。これも愛車との大切な記録である。(2013/3/24日公開)
【 冒頭説明
(本文はもっと下の方です。) 】
また、前期・中期・後期という分け方もある。これは
なお、年式による細かな違いも存在する。また、年式とデビュー年が別物である事も考慮してもらいたい。
(2009/12/21
月)番外:模型…ついに揃った私の好きなメルセデス(写真手前から)
・560SEL…2005年1月29日入手
・
450SEL6.9…2004年1月18日入手・
600プルマン…2009年12月8日入手 「600プルマン」と検索しても出てこない商品。やっと入手できた。
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【 本文
(2023年6月、多くを削除)】
車両のネタというよりは、またまた安全運転のネタだ。先日、愛車にドライブレコーダーを取り付けた。もしもの時に私の運転こそが絶対に正しいと客観的に証明する為にドライブレコーダーを取り付けたのであった。尤も、「もしも」の時が来ない事が最も良い事なのだが。
最近、車のテレビ
CMを目にして不思議に思う事がある。運転中によそ見をしても車が危険を察知して自動的にブレーキをかけるなどのサポートをしてくれる機能が宣伝されている。私が運転免許を取得した当時には“運転中によそ見をしてはいけない”と習ったものだが、今は違うのだろうか? 車は物理的に大きな力を有するきわめて危険な物のはずなので、そもそも安全運転する意思のないバカは運転席に座ってはいけないのではないかと私は常々思っている。さて、ドライブレコーダーを実際に取り付けてみると、この装置は意外にも運転者自身に自覚を促す効果があるものだと思った。運転の仕方が常に見張られている仕組みというのも、民に対してなかなか有効かもしれないと感じたのであった。
私は、記録上、運転免許取得以来無事故無違反である。その話をするとたいていは、「そんなのは捕まらなければ当たり前だ」だの「周囲がよけてくれる車だから」という意地悪な反応が返ってくる。しかし私は意図的に安全運転を行っている。捕まらなければいいとか、見つからなければいいなどという下品な考えは持っていない。民が過敏に反応しがちなメルセデスベンツであるが、私のように真面目な運転をするメルセデスオーナーもいるという事を
1人でも多くの人に理解してもらいたいと常々思っている。安全運転に対する私の考え方は、このコーナーでネタにする事ではないと思っていた。しかし、このコーナーはメルセデスベンツに関する反響が大きいので、ここで記すのが最も効果的かもしれない。
私は、道路上で見かける子供の姿を黄信号や赤信号だと思っている。実際、減速したゆえに飛び出してきた子供を撥ねずに済んだ事もあったぐらいだ。また、高速道路でも過剰な速度は出さない。一度も
100km/hを出さない時だってあるぐらいだ。「排気量の大きいメルセデスに乗るとスピードを自制する事が難しい」などと記された外車本が散見されるが、下品な運転を煽るような記述はやめてもらいたいものだ。秘めたるパワーを全開にせずに余裕ある運転をする事こそがカッコイイと私は思っている。
ところで、特定の事件について自身のサイトで話題にするのは避けたいし、軽に乗っている友人もいるので黙っていたが、数ヶ月前に登下校中の児童の列や交差点に車が突っ込んで死傷者が出る事件が相次いだ時、事件の度に「また軽か…」と私は思った。メルセデスばかりが危険視される筋合いは無いのだ。
メディアの報じ方もひどいものだ。上述の死亡事件
2件の後には、「若者は想像力が欠如している…」という論調が出てきた。その直後に格安高速バスの事故で多数の死傷者が出たのだが、その運転者は若者ではなかった。当該運転者がアチラの国の人だとわかると日本の労働事情が悪いかのように報じられた。報道内容は実にご都合主義だ。さらに、数年前に乗用車が店舗に突っ込んだ事故では「銀座でベンツが…」と報じられた。なぜこういう時だけ車名を出すのか。マスコミ潰れろ!無免許運転事故車、飲酒運転車、居眠り運転車、キチガイ改造車、…こういうのこそきっちり車種と車名を晒してほしいものだ。メルセデスばかりが危険視される筋合いは無い! そもそもバカやキチガイに運転させるな! 自動車は本質的に危険な物なのだから、知能の低い者が操ってはいけないのではないか。
全長が
5mを超える560SELを停められる駐車場は、市街地ではなかなか見つからない場合がある。さすがに今時、全長4.8mで区切る駐車場は少ないが、5mで区切る駐車場ならば結構ある。また、地方都市に行くと「外車お断り」というわけのわからない駐車場が今でも実際にあるのだ。今年のゴールデンウィークには
560SELで四国まで行ってきたのだが、それ以前に私が自分の560SELで泊りがけで出かけた先は、実家と親戚宅だけであった。旅行会社においては、宿泊施設が駐車場を有しているか否かの情報はあるが、その駐車場がメルセデス
Sクラスに対応できているか否かまではわからないらしい。私は、宿泊先を決める際に車名を出さずに車の寸法を示して相談してみたが、「ご自身であたりをつけて下さい」という対応をされた。まぁ、そんなもんだろうけど…。旅行会社の人を困らせてしまったようで申し訳なかった。数件のホテルに直接問い合わせて宿泊先を決定し、
東京から四国まで行ってきたのであった。
私は何かと物持ちがいい方であり、あまり物を買い換える事は無い。それゆえに、たまに最新機種に触れると、その進化に驚く事がある。
年末に多人数で長距離を走る予定があるので、先日
560SELを点検してもらった。点検の待ち時間にYANASEの人に声をかけてみたところ、買う意思が無い旨を伝えたにもかかわらず最新車両に試乗させてくれた。さすがに、最新型は、最終年式であっても
20年も昔になる126系とは隔世の感がある。触れただけで開けられるドアには驚いた。鍵を持っている人が近くにいれば、ドアハンドル触れただけで開錠できるようだ。しかし、私はドアハンドルを引っ張って施錠確認をする習慣があり、あのような機能はどうも不安である。なお、その機能は電波法をクリアするのが大変だったらしい。さらに驚いたのはエンジンオイルの交換時期である。なんと、
1年に1回でいいらしい。ずばり、12ヶ月点検や車検の時だけで良いという訳ではないか。つまり、エンジンオイルの交換の為だけに時間を要する事が無いという事だ。さらに突っ込んで質問したところ、車両もオイルも共に性能が上がってきたかららしい。その日説明してくれた営業担当者は、私が買う意思が無い旨を伝えていたにもかかわらず実に丁寧に説明してくれた。自動車は本質的に危険を伴う物であり、安全性能がより高められた最新型も魅力的だと思えた。
話は大きく変わるが、件の営業担当者が言うには、今でも良質の
126系を探す問い合わせがあるらしい。私にはこれからも長く560SELに乗り続けてほしい、とも言われた。新型はいつでも買えるが、好きな物はいつでも買えるわけではないのだ。最新型の魅力に触れたと同時に、大好きな560SELに乗り続けていられる事に改めて喜びを感じた。
ついに車検の見積もり価格が、基本料金以外に
3年前までは、年間に1,000km前後しか走っていない年が続いた事があった。これは2007年5月の鉄道模型の引越しに備えて当該重要部品を温存する為に愛車の走行距離を短く抑えていたのであった。関西の実家から東京の新居への鉄道模型の引越しという大役を無事に終えてからは、年間走行距離がだんだん伸びてきた。ほとんどトラブルも無く走ってきたのであった。
さて、
100万円を超える見積もりが出てから車検を正式に依頼するまでは、あまりに考える事が多くて、眠れない夜もあった。その間も愛車をヤナセに預けたままであり、気になって日中の仕事中に泣きそうな気持ちになる事もあったほどであった。100万円を超える出費はそれほど楽なものではない。しかし、お金だけの問題なのか? 重要部品を載せ換えてまで走らせる事は、車にとっていい事なのか? あるいは、老体に鞭打つようなひどい仕打ちなのだろうか? そのような事も考えた。鉄道模型の引越しという大役も果たしてくれたし、2007年と2009年には福島県や三重県へ行く重要な用事も数回果たしてくれた。乗る機会が少なくなった事や総走行距離等も考えれば、もうじゅうぶん走ってくれたではないかという考えも頭をよぎった。
しかし、十数年間乗り続けてきた元気なこの愛車の命をここで断ち切る気にはなれない。願わくば乗り続けたい。友人達やヤナセの人とも相談した。ヤナセで聞くところによると、手の施しようの無い車の見積もりや、
200万円を越える見積もりは基本的に出さないらしい。124系や129系といった古い車を趣味で乗っている人達は普通に車検代として100万円ぐらい出すとの事だ。私の126系も古いとはいえ、調子が悪い車というわけではないとの事である。今回は当該重要部品が高くつくだけで、それ以外の費用はいつもの車検や12ヶ月点検と変わらないのだ。結論は出た。お金に困っているわけでもないのに、何を迷っていたのであろうか。
100万円ぐらい出して現役を続行させる事にした。見積もりが出てから車検を正式に依頼するまでは眠れない夜もあったのだが、それゆえに今回、現役続行を決めた時と車検を終えた愛車に対面した時は、今までとは全く異なる晴れやかな気持ちであった。やはり好きなものは好きだ。これからは交換した重要部品に過度に気を使う事も無く乗る事ができそうだ。
それにしても、自動車に関心を持たなければずいぶんお金がたまっていたであろう。青春期に自動車に興味が無かった私が、よりによって、大学生ぐらいから
560SELに惹かれてしまって・・・。ところで、私の家族は古い
560SELが不安なのか、新車をもう一台持てばどうかと時々勧めてくる。私は560SELと原付と自転車があればじゅうぶんなのだが、家族と一緒に暮らすようになれば、次は趣味とは関係なくSクラスの新車を買う事になるだろう。ヤナセからは600の下の500ぐらいのSクラスを勧められるが、家族は1千万円程度の一番安いのでいいと言う。いずれにせよ、お金がたまらなくなるんだよなぁ…。
車載・宇宙・医療・大量輸送機関といった分野は、人命に直結したり重大な事態を引き起こす危険性が高い為に品質が厳しく問われる。受動部品の一つにいたるまで過酷な開発過程を経ている。部品の開発過程において冷熱衝撃試験や各種寿命試験も行われているが、実は寿命の予測は簡単ではない。それこそ一つの素子について試験を
意匠系の技術者ならば、物を永く愛用してもらえる事はうれしいかもしれない。一方、機器系の技術者は、できれば車載品としては出荷したくない、あるいは、故障モードが出てくる前に信頼性が高い製品に買い換えて欲しいといった気持ちが本当のところではないだろうか。
我が愛車の部品のメーカーにしても、出荷
20年後に発生しうる故障モードなんておそらく正確にはわからないだろう。温度変化に耐え、膨張収縮の繰り返しに耐え、静電気に耐え、振動にも耐え続けて正常に動き続けるという事は、非常に大変な事なのである。そのあたりを考慮しても、メルセデスベンツSクラスは信頼性が高くて非常によくできたクルマだと思う。
この車を購入した当初は、
それこそ昔は
5万円のハイウェイカードを頻繁に買っていたぐらいだが、やがてそれらも余るようになり、ETCに至っては先般の法定定期点検の際にようやく設置したぐらいである。ETCを試してみる為に100km程度出かけてきたのだが、それがなければ年間走行距離は700km台だったという事になる。毎週
2回の用事が無くなった事と、昨年春から原付に再び乗り出した事、および、この冬に自転車を購入した事が走行距離の縮小に拍車をかけている。決して乗らずに放置しているわけではない。放置するとダメになってしまうのでこまめにエンジンをかけている。むしろ、車の調子を維持する為だけに動かしているような状況だ。文化財的なすばらしい車両を動態保存しているような状況とも言えるだろう。
正規ディーラー輸入車と並行輸入車
並行輸入車は、正規ディーラー輸入車に比べて整備環境を得るのが難しい。一昔前のディーラーは敷居が高く、並行輸入車の修理は受け付けてくれなかったと聞く。また、一般的な整備工場でも並行輸入車を断っている所がいまだに多い。いつでも駆け込める修理工場を見つけておくことが肝心だろう。
並行輸入車は、日本仕様車に比べて弱い面がある。日本は自動車にとって過酷な環境の国だ。日本仕様車は日本の運転事情に合わせて調整されている。高温多湿の日本の夏は北国ドイツ生まれの車にとってはもともと苦手とするところだ。発車停車を繰り返す都市の道路、据え切りをする日本人など、車にとってはしんどい事ばかりである。
外車雑誌では“本国仕様(メーカー所在国仕様)こそが外車だ”という趣旨の記事を時折見かけるが、私はこの意見には賛成しかねる。整備環境も得にくいし、日本で走らせる上での不安が大きい。ただし、並行輸入車は安いという点で魅力がある(らしい)。他国仕様車によほどのこだわりが無い限りは正規輸入の日本仕様車を購入する事をお勧めする。
せっかくだから他国仕様車についても触れておこう。
私は
ただし、なんでもかんでも過保護にすればいいというものではない。
たかが機械に気を使うのはバカらしいと思う読者もいるだろう。モノとの接し方は人それぞれだ。機械物は大切にすればいつまでも良好でいてくれるからかわいいのだ。と、私は思う。
日本は右ハンドル社会である。かつての私は、右ハンドル社会の日本に対して左ハンドル車を輸出してくる国外諸メーカーに対してちょっとした反感を持っていた。なぜなら、我が国に対する市場植民地的な発想が垣間見えたからである。一方で、そのような左ハンドルの“外車”をありがたく信奉する拝外的な日本人どもに対しても侮蔑の念を抱いていた。
しかし、よくよく考えてみると、車が左側を通行する我が国においては左ハンドル車の方が適しているのではなかろうか。私は車に本格的に興味を持つようになった頃からこのように感じていた。
左ハンドル車の有用性を感じたのは道路状況について考察した時であった。右側は、一方通行路や隘路などを除けば、原則的に車線を越えない事だけを注意すればよい。一方、左側は、ガードレール、電信柱、二輪車、自転車、歩行者、違法駐車の車、といった具合に状況が次々と変化する。左側を見やすいようにする方が得策ではなかろうか。
また、私は
次に、対向車を見る感覚について述べる。率直に言って、たまに右ハンドル車を運転すると、対向車と至近距離でのすれ違いを繰り返す事でかなり疲弊してしまう。運転者の疲労は事故に直結しやすいので要注意である。さて、至近距離でのすれ違いについてもう少し述べてみる。歩行者は右側通行である。右側通行のベビーカーに乗った赤ちゃんは、自分の目のすぐ横を車が高速ですれ違っていく事に大きなストレスを感じているらしい。これは当然だろう。私はこの事を知っていたので、昔からベビーカーや小さな子供と至近距離ですれ違う時は可能な限り減速してきた。
ところで、左ハンドル車の方が不利な状況だってある。それは、未熟な同乗者が危険度の高い右側のドアを不注意に開けてしまう確率が右ハンドル車に比して大きくなる事である。
さて、私の“左ハンドル車有利説”については、右折や追越しがしにくいという反論がある。私に言わせれば、無理な右折や追越しなんかしなければよい。その方がバカな事故が起こらなくて結構ではないか。
我が国においては各種料金所などの設備は右ハンドル対応が基本となって作られている。完全な左ハンドル社会にしろとまでは言わないが、右でも左でも違和感無く使える車社会にならないだろうか。日本車にも当たり前のように左ハンドル車が登場するほどになれば結構だと思うのだが…。