最後の東海道・山陽ブルートレイン「寝台特急はやぶさ・富士号」 4時間遅れの名演 2008817日(日)

「鉄道旅行記2008年夏」からのシングルカット       20081012日公開

 

主なテーマは、

・「はやぶさ号」、「富士号」への思い

・旅行記、4時間遅れの運転

 

 

★★★「はやぶさ号」・「富士号」への思い★★★ ここからは主に元号表記とする。

 東海道・山陽ブルートレインとは、東京・関西⇔山陽・九州を結ぶブルートレインの事である。九州発着の場合、「九州特急」や「九州ブルートレイン」とも呼ばれる。かつては長距離旅客輸送の主要な柱として栄華を誇った東海道・山陽ブルートレインであるが、自身の陳腐化や他の交通機関の発達による利用の低迷等で年々姿を消し、平成203月に「あかつき号」と「なは号」が廃止されてからは、この「はやぶさ号」と「富士号」の併結列車が九州発着の最後のブルートレインになった。その「はやぶさ号」と「富士号」も平成213月には廃止になる予定だと各方面で報じられている。

 

「はやぶさ号」・・・現存最古の寝台特急列車名である。「寝台特急はやぶさ号」といえば、二十数年前は、鉄道愛好家でなくとも誰もが知る最長距離列車の名称であった。現在でこそ「つばめ」や「かもめ」に追い立てられているが、いかにも勇ましく速そうな名称である。「寝台特急はやぶさ号」の廃止後について述べるのは不謹慎かもしれないが、願わくば、山陽新幹線と九州新幹線を直通する上級列車として名称が復活して欲しいものだと思う。

 

「富士号」・・・戦前から日本を代表する特別急行列車名であり、戦後に特別急行列車の運転が再開された時点においても「富士号」の名称の使用には慎重を期されたという経緯すらある。我が国を代表する列車にふさわしい名称だと思う。「富士号」は廃止と復活を繰り返しており、現行の寝台特急の「富士号」は三代目にあたる。「寝台特急富士号」の廃止後について述べるのは不謹慎かもしれないが、願わくば、東海道区間の最上級列車として名称が復活して欲しいものだと思う。例えるならば、登場した当時の「新幹線特急のぞみ号」のような特別扱いの列車である。現行の「のぞみ号」は一般的過ぎて特別な列車ではないが、東海道に特別な列車が登場する度にそれを「富士号」と名付けてはどうだろうかという気がする。ただし、「富士号」の名称を1社だけが独占するのは良くないと思うが…。

 

 ブルートレインの頂点を極めた「殿様あさかぜ」は別格として、「はやぶさ号」や「富士号」にも風格があった。昭和50年代の前半、「寝台特急富士号」は我が国の最長距離旅客列車であった。日豊本線経由で東京⇔西鹿児島間を結んでいて、その所要時間は24時間を超えていた。一方、「寝台特急はやぶさ号」は鹿児島本線博多・熊本経由で東京⇔西鹿児島間を結んでいて、2番目に長い長距離列車であった。やがて昭和55年に「富士号」の運転区間が東京⇔宮崎間に短縮されると、それまで2番手だった「はやぶさ号」が最長距離旅客列車の座に躍り出たのであった。「はやぶさ号」は延長によって1番になったのではなく、それまで1番だった「富士号」が順位落ちしたから1番になれたのであり、私としてはどうも最長距離旅客列車の印象が希薄である。

 その当時の「あさかぜ14号」、「はやぶさ号」、「富士号」、および「出雲14号」の編成は共通運用であり、当時の最上級旅客車両オロネ25形と食堂車オシ24形が組み込まれた下記のような最上級編成であった。「あさかぜ14号」、「はやぶさ号」、「富士号」は14連、「出雲14号」は12連で運転されていた。

カニ24、オロネ25、オハネ25、オハネ25、オハネ25、オハネ25、オハネフ25、オハネフ25、オシ24、オハネ25、オハネ25、オハネフ25、オハネ25、オハネフ25(東京⇔下関間の牽引機はEF65-1000

 

 その最長距離運転・最上級編成を誇った両雄が、今ではともに運転区間も編成も小さくなり、併結して6+6連の12連で運転されているのである。今回はこうして往年の名優ブルートレインに乗れる事自体はうれしいのだが、あこがれた当時とは程遠い姿になってしまっているのがなんとも残念である。「はやぶさ号」や「富士号」が眩いばかりに輝いていたあの時代にぜひ乗りたかったものだ…。

 

 

★★★旅行記★★★

 今回の旅程の当初の予定では、「(下り)SLやまぐち号」に乗って、三江線と福塩線に乗った後で入浴して、福山から「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗ろうと考えていた。「(下り)SLやまぐち号」の指定券は取れず、「(上り)SLやまぐち号」の指定券が先に取れたので門司からの寝台特急券を買い求める事にした。

 

門司からの寝台特急券にした理由・・・

 「(上り)SLやまぐち号」を降りて山陽本線を西へと向かうと、ちょうど門司にて「(上り)寝台特急はやぶさ・富士号」に出会うダイヤである。「寝台特急富士号」と「寝台特急はやぶさ号」は門司にて併結されるので、キャンセル待ちをお願いするにあたって、“門司から”と指定しておけば迷う事無くどちらかの寝台券を発券してもらえそうだと考えたのである。

 1人用B個室ソロにはいくつか種類があるのだが、「はやぶさ・富士号」のように居住空間が広いソロがあると、A寝台車に乗る気にならない。また、私はA寝台車は始発から終点まで乗らないと気が済まないのだが、今回は寝台の種別を選択する余地も無い状況だったのでA寝台車でもかまわない。そのような訳で、門司からの寝台券ならば長く乗れるので、それならばそれで良いと考えたのである。

 結局、乗車予定の前日に1人用B個室ソロの寝台券が入手できたのであった。

 

★★★3時間以上の大遅延★★★

2008816日(土)

 A寝台車ならばできるだけ長く乗る旅程を考えたが、B寝台車なので、新山口よりも東側から乗り込む事を考えた。入浴できそうな駅まで行って、入浴と食事を済ませてから「寝台特急はやぶさ号」に乗り込もうと考えたのだ。この日の旅程は不確定な要素が大きかったから、簡単な事前調査しかしておらず、岩国以外で入浴できそうな所を見つける事はできなかった。そのような訳で、岩国駅前で入浴と食事を済ませて発車予定時刻の22時前に駅へ向かった。その時点でとんでもない事を知らされた。九州地区の大雨の影響で「寝台特急はやぶさ・富士号」が3時間遅れているとの事である。

 なぜ所定の発車時刻間際に案内されるのか。3時間も遅れているならば、もっと早く案内があってもいいはずだし、新山口にて「(上り)SLやまぐち号」を降りた17:30頃に案内があってもよかったはずである。この夜は運転されるからいいものの、運休だと言われたらどこかに宿泊しなければならない。17:30頃の新山口にて運休の案内があれば、山陽地区で宿泊せずに当日中の新幹線で東京の自宅まで帰る選択ができるのである。今回は運休ではなく大遅延であるが、新山口にて案内がなされなかった事がかなり不満である。新山口にて遅延がわかっていれば、もっと西から「寝台特急はやぶさ号」に乗り込む選択ができたのである。

 さすがに岩国で3時間も待つのはきつい。もう少し早く寝台車に乗り込む為に、岩国をもって使用を終えたはずの青春18きっぷを使って山陽本線を西へと戻る事する。「寝台特急はやぶさ・富士号」の遅れを考慮すると、ダイヤ上は下松か徳山まで戻っても大丈夫そうである。しかし、そこまでに向かう段階で前夜の「臨時快速ムーンライト九州号」のような大遅延のトラブルに巻き込まれると困るので、とりあえず安全も考慮して柳井まで戻る事にした。少なくとも、当初の予定通りに福塩線経由で福山まで行ってなくてよかったと思った。

 

岩国2250→柳井2322 山陽本線567M モハ114-3009

 

 

★★柳井★★

 柳井では、「寝台特急はやぶさ・富士号」が3時間半の遅れだと案内された。下松あたりまで戻ってもよかったわけだ…。

 2時間以上の遅れなので特急料金の払い戻しは必至であるが、この夜の「寝台特急はやぶさ・富士号」は運休せずに客扱い運転に踏み切ったようである。駅員氏が言うには、通常ならば運休するような事態だが、この時期はUターンの新幹線も満席なので、「寝台特急はやぶさ・富士号」を運休してしまうと、乗客達には新幹線自由席に乗ってもらわなければならなくなるとの事だ。

 それにしても、柳井の駅員M氏はとても対応が素晴らしかった。私の青春18きっぷの券面を見て驚いていたようで、どこを出発点としてどのような旅行をしてきたのかを尋ねられた。私の「はやぶさB個室」のきっぷを見て「いいきっぷを持ってるね」と言っていた。「“はやぶさ”の車掌も忙しいだろう」と言って、わざわざマルスを再起動させて東京までの乗車券を発券してくれた。他にも、駅前にコンビニがある事や、柳井の見所なども教えてくれた。また、この夜に柳井から「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗る予定の人が他にも7人いるらしく、そのきっぷを持った人達に列車が遅れている旨を連絡したとも話してくれた。

 

2008817日(日)

 

 白壁の町並みこそ見られなかったが、深夜の静まり返った駅前の商店街にて金魚提灯をたっぷり見てきた。

 

 「寝台特急はやぶさ・富士号」の遅れは、3時間38分にまで延びていた。深夜帯で列車本数が少なくなればフルスピードで走れるのではないかと考えたが、そうでもないらしい。駅員氏によると、主要駅では運用を終えた普通列車の編成の入れ換え等もあり、主本線が常に空いているという訳でもないようなのである。ちなみにこの柳井駅も始発終着となる列車が設定されており、プラットホームが3面もある。

 駅員氏達は、大幅に遅れている「寝台特急はやぶさ・富士号」の発車まで窓口にいるとの事である。

 1時頃になると、乗客や見送りの人達が集まってきた。駅員氏達は乗客を乗車位置まで案内していた。私も発車のベルが鳴らされない旨の説明を受けた。私は丁寧に礼を言っておいた。本当に対応のいい駅であった。

 「寝台特急はやぶさ・富士号」が遅れたおかげで、予定外に訪れた柳井を楽しめた。また、「おいでませ山口へ」キャンペーン中の山口県を長く楽しめて良かったのではないかと思えた。

 

 

★★★4時間遅れの名演★★★

柳井(実際)113→品川(実際)1415 山陽本線・東海道本線2レ「寝台特急はやぶさ・富士号」 12連 オハネ15-2001

運転区間(所定) 

2レ「寝台特急富士号」 大分1643→東京(翌日)958

42レ→2レ「寝台特急はやぶさ号」 熊本1557→東京(翌日)958  寝台特急としては先輩の「はやぶさ号」の列車番号が変わる

 

113、 3時間38分程遅れて柳井に到着する「寝台特急はやぶさ・富士号」

 検札に来た車掌氏に、この列車が東京まで行くかを尋ねたところ、未定との答えが来た。少なくとも、早朝の新大阪駅あたりで運転を打ち切られて叩き起こされるのは勘弁願いたいものだ。私としては無理に東京駅まで行って欲しいとは思わないが、品川駅まで行ってくれればじゅうぶんだと思った。

 

★★★個室B寝台車 オハネ152000番台★★★

オハネ152000番台…定員わずか18名で、広い占有空間を持つ個室B寝台車である。これで開放B寝台と同じ寝台料金なので超人気の乗り得車両なのである。

 この車両は、従来のオハネ25B寝台車の改造によって、「はやぶさ号」と「富士号」用の個室B寝台車オハネ251000番台として平成元年に登場した。その後、「富士号」の14系部分と「さくら号」に移されるにあたって14系へと編入改造された。

 個室B寝台車は、旅客離れが進む寝台特急に新たな魅力を与える必要から国鉄末期より次々登場したものである。ものによっては定員が半分近くに減るのだが、寝台料金は据え置かれた。「カルテット」は別としても、「デュエット」や「ソロ」では一般の開放B寝台車との差がありすぎる。そのような訳で、設備の良い個室B寝台車が付いている列車では他の車両に乗ると損した気分になりそうなのである。

  

いわゆる2階席…上り列車では、進行方向に向いて座れる。私は天井の低い所が苦手なのだが、この型のソロ2階席は階段の下だと背を屈めずに立てるので大丈夫である。また、R部にもかかわらず大きな窓が付いており、圧迫感は少ない。

 

 隣室の1階席が空いていたので撮影した。寝台部分以外は背を屈めずに立てるので居住性は抜群である。また、この型のソロは足元がオロネ15A寝台車よりも広いのである。大遅延の影響でキャンセルが出たのかも知れないが、この席は翌朝まで無人のままであった。せっかくの超人気席なのにもったいない事だ。

 ちなみに、この車両の便所は和式のままである。こういうところではA寝台車との差がある。

  

★★朽ちていく設備★★

 個室A寝台車オロネ15形には14室の個室があるが、個室13番の扉にはテンキーが取り外された跡がある。車掌氏に尋ねたところ、テンキーは故障が多く、しかも部品がもう入手できないので、「はやぶさ・富士」に使われている全てのオロネ15形の個室13番をシリンダーキーに取り替えたとの事である。今ある部品について場所を付け替えて使っているとの事だ。ブルートレインの車両の寿命を意識してしまうような会話内容であった。このオロネ15(全車3000番台)は、元々は往年の最上級旅客車両オロネ250番台)であり、「はやぶさ号」と「富士号」を14系の共通編成にするにあたって、14系へと編入改造された車両である。往年の名車も末期的な姿なのだ…。ちなみに、「はやぶさ・富士」に運用される客車の所属は、JR九州の熊本車両センターである。

 

★★★日中の東海道本線を行く、客車特別急行列車★★★

 朝、目が覚めた。駅の様子からして姫路らしい。すでに外は明るく、この先の神戸からの東海道本線を日中に走る事になる。次に米原で目が覚めた。乗務員交代の為の停車だと案内が入った。どうやら所定の停車駅どおり、名古屋まで客扱い停車は行わないようである。次に岐阜通過中に目が覚めた。希望者へは名古屋から9:27発の「新幹線特急こだま540号」に振替輸送を行うとの事だ。また、遅延による特急料金の払い戻しについての案内もあった。

 

 調整が混乱しているらしく、名古屋と次の浜松については到着予定時刻が案内された。

 

 910頃、名古屋を発車した。名古屋から「新幹線特急こだま540号」に乗り換えた人は、「はやぶさ号」から12人ぐらい、「富士号」からはそれより多くとの事である。

 乗客の多くは、特に急ぐ事の無いUターン客であろう。埼玉県へ戻るという幼い兄弟と知り合った。私の部屋を見て、「なんで階段があるの?」と尋ねてきた。その子達の両親はどちらもB個室の1階席が取れていた。この繁忙期に一家で2室も取れるなんて幸運である。

 

 名古屋から車内販売の営業が始まった。この日は、乗客があまりに多い為に6号車にて営業するとの案内が入った。つまり、乗客の多さに対応した車内販売体制ではないという事だ。7号車では車内販売への行列ができていた。

 

 インターネットの巨大掲示板で知ったのであろうか、沿線や名古屋駅では多くの人が「寝台特急はやぶさ・富士号」を撮影していた。この地域で明るい時間帯にこの列車が見られる事は珍しいのである。後で知ったのだが、関西地区でも盛んに撮影されていたようである。

 

 ダイヤの調整がついたらしく、この先の到着時刻がしっかりと案内された。浜松10:35、静岡11:46、熱海12:52、横浜14:00、品川1415との事である。実際に、浜松は当初の見込みの1020頃よりも遅れての到着となる。終点の東京までは行かず、品川までの運転である。

 

 これで食堂車があれば、奇しくも再現された“東海道本線昼行客車特別急行列車の旅”を存分に楽しめるであろうが、もう食堂車は無いのである。眠くなってきたので再び寝た。気ままに過ごせる個室はうれしい。浜松あたりから熱海到着まで眠っていたので、途中駅の富士や沼津の様子はわからない。寝台列車でゆっくり眠るのは初めての体験である。今迄私が乗ったのは早朝に到着してしまう列車がほとんどであった。

 

 小田原から先も貨物線へと追いやられずに旅客線を行き、横浜にも停車した。

 

品川到着

 本来は停車しない品川にて運転が打ち切られた。そうは言うものの、都内まで運転してくれたのだからありがたいものだ。名古屋や熱海あたりで打ち切られるのと大違いである。客車列車は東京駅では機回しの必要があるので、ダイヤが乱れた場合には東京発着を品川発着に変更される場合があるのだ。

 

 「富士号 東京行き」のこの表示を初めて見た。わざわざ「日豊線経由」と記されているではないか。大分発東京行きだから常識的に考えて日豊本線経由に決まっているのだが、これは西鹿児島発着の頃の名残だろうか。往年の最長距離旅客列車の幻影を見た気がした。

 

後回しになってしまったが、ここで編成を紹介しておこう。

・下関からの牽引機 EF66-47

・「はやぶさ号」 12号車〜7号車

スハネフ15-1、オハネ15-2、オハネ15-1102、オハネ15-2001、オロネ15-3006、スハネフ14-101

・「富士号」 6号車〜1号車

スハネフ14-11、オハネ15-6、オハネ15-1202、オハネ15-2003、オロネ15-3004、スハネフ15-2

 なお、併結の際には前が「はやぶさ号」で後ろが「富士号」となる。つまり、「はやぶさ号」として上ってきた編成がその夜の「富士号」として下っていくのである。

 

 

 さて、遅延による特急券の払い戻しは希望しなかった。払い戻しの場合はきっぷを回収されてしまうようだ。「繁忙期・はやぶさ号・ソロ・大遅延」のきっぷなんて今後絶対に入手できないであろう。3,150円が戻ってこない事を選択したわけだが、これは自身で納得した上での選択であって散財ではないのである。日中の東海道在来線のほぼ全区間を特急列車で、しかも客車特急で行くという経験は、この先いくらお金を積んでも実現しないであろう。十分過ぎる価値があった。

 優先度と重要性が低くなった近年の寝台特急はすぐに運休してしまうが、かつて国鉄が輸送の主役だった頃は、寝台特急をはじめとする主要優等列車は何が何でも終点まで走らせるように努められていた。今では考えられないような迂回運転をしてまで運転され、五能線、花輪線、小浜線、肥薩線にさえ迂回特急が走った。そのような時代もあったのだ。今回の「寝台特急はやぶさ・富士号」はお盆なので代替交通を手配できないゆえに、運休にはせず客扱い運転したようである。かつて寝台特急を何が何でも終点まで走らせようとした時代の幻影に触れる事ができたような気がした。また、近年は遅延が発生した寝台特急は普通列車よりも後回しにされる事さえあるぐらいなのだが、今回の東海道区間では普通列車を待避させてこちらが悠然と通過する場面も見られた。日中の東海道在来線を優等列車で行くという、昭和30年代の東海道本線黄金期を思わせるような貴重な体験ができたのであった。

 不眠不休の車掌さん、遅延ダイヤを調整した皆様、それに対応した当該列車や待避列車の運転に関わった皆様、本当にお疲れ様でした。

 

 「寝台特急はやぶさ号」よ、乗せてくれてありがとう。2008年夏の旅が終わった。

 

 

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