20151030日 さようなら「381系 特急くろしお号」   (2015114日 公開)

 

今回のテーマは、下記の通りだ。

1. ラストラン当日に行くか行かないか迷っていた

2. 旅程

    特急くろしお3号 京都→新宮 クハ381-504

    特急くろしお28号 新宮→白浜 クロ380-3

    特急くろしお34号 紀伊田辺→新大阪 モハ380-503

3. 「381系 特急くろしお号」の思い出

 

 1.  ラストラン当日に行くか行かないか迷っていた

 20151030日(金)を最後に、近畿圏の381系特急形電車が定期運用から引退。

 私は1031日(土)から113日(火)まで4連休であり、1030日(金)を休むと5連休になってしまう上に、月末には月末特有の業務だってある。よりによって休みにくい日だ。

 また、自費で11月に関西へ行く回数が増えるかどうかが決まるのが1028日なので、行くか行かないかを決めるのが1028日であった。さらに言うと、ここ数年、自身の趣味のためにお金を使うことに後ろめたさを感じるようになってきていた。

 

 結局11月に関西へ行く回数が増えるのだが、お金の問題か? 381系の模型を予約しようとしていたではないか。

 また、ラストランが土曜日の1031日(土)だったら問題なく出かけていたはずではないか。

 それほど大事な仕事か? 人間の葬儀の場合に行けないなんて言えるか?

 行かないと決めてからの1日ほど、なんだかものすごく気持ちが重くなってきた。

 もう後悔はしたくない。行くことに決めた。すっきりした。何を迷っていたのだ!

 

 “葬式鉄”という言葉がある。これは廃止になる列車や路線に群がる鉄ヲタのことだ。あまり良い意味では使われない言葉だが、便利な言葉だと思った。「明日葬式なので休ませて下さい。」と言えば余計な気を使う必要も無く休暇を取れる。実際に嘘は言っていないわけだし。

 それにしても、なぜ、月末かつ土曜日の1031日まで走らせてくれないのか。JR各社はヲタをよほど嫌いなのだろう。ラストランを土曜日にやれば一日中警備しなければならなくなるだろうし。

 

 

 2.  旅程

 京都在住の親友が「くろしお3号」に誘ってくれていた。いくらなんでも「3号」だと朝が早く、せいぜい「13号」が現実的だと思っていた。私としては2月の旅程の復路を後ろにずらすぐらいの旅程を考えていた。

 「のぞみ3号」からだと「くろしお3号」へは、新大阪では余裕を持って乗り換えられるが、京都では数分しか時間がなく、それは危険だ。以前は私の東京の自宅からどんなに早くても東京駅や品川駅から「のぞみ3号」にしか乗れなかったのだが、よく調べてみると、「のぞみ1号」に乗れるではないか。

 行かないと思っていたものを急に行くと決めたものだがら、旅程が全く決まっていない。仕事で帰宅が遅くなった上に、出発の準備や旅程の調整で夜遅くなってしまった。2時に就寝して3時半に起床というハードスケジュールだ。しかも旅程を考えながら寝ていたみたいだが、一応寝つけていたみたいだ。

 京都から乗車ということなので、いっそ最長距離を乗り通して終点の新宮まで行きたくなった。親友は白浜での解放を見たくて7号車をとっていてくれていたのだが、4時頃にメールで一応希望を申し出てみた。

 

 みどりの窓口が早朝から開いている駅や時刻などを考慮し、渋谷経由で出発した。

 品川を5:55に到着した山手線から多くの人が小走りで新幹線へ向かっていた。私もその一人だ。品川600始発の「のぞみ99号」に乗り込むことができた。

 

品川6:00→京都8:02 「新幹線特急のぞみ99号」99A 787-2019

 新横浜までに親友と電話連絡にて旅程やきっぷをかためた。

 この先の変更の可能性等も考慮して、3号の京都→新宮、34号の白浜→新大阪の券を用意してもらった。新宮→白浜については、左右どちらの窓側を選ぶか、グリーン車に乗るか、現地で考えようと思った。

 親友は3号で白浜まで乗車。よりによって外せない会議のために紀伊田辺から18号で折り返し、夜にはお子さんを一人連れて25号で和歌山まで来て、34号で新大阪へ戻る予定だ。25号に間に合わなければ、天王寺から34号とのこと。

 親友はJR西日本のカードを持っており、指定席をうまく選んだ上で手配してくれた。乗継割引並みの安い価格で特急券を買えるこのカードに驚いてしまった。

 

京都駅

 「のぞみ99号」京都802着。

 親友が2番のりばの大阪寄りにいるという。回送編成を狙うべく、我々以外にも同業者がいた。

 回送車両を見て、新宮→白浜について決定した。記録に残していないクロ380-3だ。グリーン車に乗ろう。これで「くろしお」のクロ380形グリーン車全5両の乗車記録が揃うことになる。もしかして乗ったことがあるのかもしれないが、残念ながら昔は車両番号を記録に残していなかったのだ。

 京都駅にて新宮→白浜の指定券を購入した。入線数分前ということで私は焦っていたが、親友が当該券売機の使い方を熟知していたので、助かった。

 

 これにより、京都-新宮間の全ての区間でグリーン車に乗ったことになる。さらに言うと、新宮行の特急に椿より先に乗るのは初めてである。馴染みの特急でありながら、最終日にしていろんなことの初体験だ。

 

京都8:36→新宮13:13 「特急くろしお3号」53M  クハ381-504

 

 クハの場合、座席番号1番がどちらから付けられているのか気になっていた。扉の位置で見た場合、6号車や9号車のクハは他の車両とは反対向きだからだ。今回はそういうところも実際に確かめられて本当に良かった。

 

 京都から東海道本線を行く。110km/hを超える速度ではあるが、内側線を行く快速の方が速い瞬間もある。

  

 貨物線に入ってからは、「特急サンダーバード4号」に圧倒的な速度差で抜かされ、快速にも抜かれた。

 新大阪でも席が埋まるほどではなかった。天王寺でもたくさん乗り込んできたが、満席になるほどではなかった。和歌山県での地元列車だから和歌山からの惜別乗車が多いかもしれないなどと話していた。また、ラストランの日だと知らない一般乗客も多かった。

 オーシャンアロー編成の「くろしお10号」とすれ違った。京都側がグリーン車の変則編成だ。

 

 和歌山駅の紀伊田辺寄りでは横断幕を持った社員たちが発車を見送っていた。

 和歌山発車後などに381系ラストランの案内が入った。1回目に聞いたときは涙が出そうになった。

 

 それにしても撮影者が少ないことが話題になった。JR西日本の思惑通りだろう。土曜日にラストランなんてやったら一日中警備しなければならない。

 小中学生の頃に一緒に旅行した話や、紀勢本線のかつての準急停車駅の話など、話題は尽きない。

 

 御坊の直前のカーブに高速で突っ込むのを楽しみにしていたのだが、今回はおとなしい走りだ。

 この先の安全確認のために御坊の発車を少し遅らせたみたいだ。

 御坊を発車後の放送だが、「ご迷惑おかけしますが、グリーン車へはグリーン車のお客様以外の立ち入りはご遠慮ください」とのこと。ご迷惑って、グリーン車へ立ち入った普通車の乗客の存在こそが迷惑ではないのか。

 

 御坊→紀伊田辺間で記念乗車証が配られた。

 

 紀伊田辺駅の白浜寄りでも横断幕を持った社員たちが発車を見送っていた。

 

 朝来で行き違った287系「くろしお16号」は気の毒なぐらい乗客が少なかった。速度面の進化を放棄した今後の「くろしお号」はどうなるのであろうか。キハ80系の頃は当然ながら381系よりも遅かったのだが、当時は道路事情がよくなく、週末には大阪から白浜まで自動車で7時間ぐらいかかったらしい。その時代の国鉄の列車は速度面で圧倒的な優位性を持っていたのだろう。高規格道が南へと伸びてきた紀伊半島西側において、「くろしお号」はより苦しい状況に追われていくだろう。近いうちには、白浜以南は3連になるのではないかとさえ思う。

 

 6号車ということもあって、白浜到着が近づくと乗降口に人が殺到した。白浜での解放を見届ける人たちだ。7,8,9号車は白浜までである。

 

 双子山信号所では381系「くろしお18号」と行き違った。18号が停車で、こちらが通過だ。

 

 串本では多くの下車が見られた。

 太地は11線の特急停車駅だ。駅は高台にあり、エレベータがつけられている。

 紀伊勝浦では、ほとんどと言っていいぐらいごっそり下車した。

 三輪崎-新宮間には25km/hの制限区間がある。どうやら8月に台風16号の高波の影響で土砂が流出する災害が発生した現場だろう。

 

 時折スマホのアプリで速度を見ていたのだが、白浜-新宮間は60km/h台や70km/h台の走行が主で、時折90km/h以上出し、区間によっては40km/h台、という印象を受けた。

 

新宮駅

 新宮駅の改札口にて特製キーホルダーをもらえた。「研修生」という名札をつけた女性2人が手渡していたが、服装からして女子高校生っぽく見えた。

 

 381系への寄せ書きを車両と並べたいという希望者がおり、その願いに応じていた。新宮駅はJR東海との境界の駅だが、JR西日本の管轄で良かったと思える場面だ。

 

 あまりにも人が多いことに驚いている一般客もいた。

 

 新宮駅構内に後継特急車両の姿はまだない。

 1番のりばに着いた3号の編成はそのまま折り返しとはならず、入れ換えの後、14:0928号として再度1番のりばに入線する。

 

 

新宮14:27→白浜16:20 「特急くろしお28号」78M  クロ380-3

 これで「くろしお」のクロ380形グリーン車全5両の乗車記録が揃うことになる。

 

 紀伊勝浦にて、朝阪和線ですれ違ったオーシャンアロー編成と再会した。

 せっかくのラストラン当日だが、放送の際に鉄道唱歌のチャイムを鳴らさない車掌氏だ。

 

 双子山信号所では381系「くろしお13号」と行き違った。13号が通過で、こちらが停車だ。

 

 クロ380形グリーン車の洗面台では容器に入れられた液体石鹸が用いられているが、普通車の洗面台の石鹸には資生堂のサボンドールが用いられている。私は資生堂のサボンドールが好きなのだが、今ではもう製造されていないらしい・・・。消えゆく国鉄型車両と消えゆく石鹸。どちらも世間を席巻したのに。

 

 せっかく南紀まで来たので白浜と紀伊田辺に立ち寄る。実はどちらも私の縁ある地だ。

 白浜到着の際には、増結車に連結してから扉が開く。時刻表では16:16着だが、指定券に記された到着時刻は16:20だ。増結の有無によって時刻が異なるのであろう。

 

白浜

 白浜では停車中に381系ラストランの案内放送があった。放送の原稿が改札口に置かれていた。

 

 白浜駅の南側で見た速度標識…こういうところからも381系の実力を窺い知ることができる。

 

 白浜にて、阪和線と紀伊勝浦で行き違ったオーシャンアロー編成とまたまた再会した。

 

白浜17:42→紀伊田辺17:56 2238M  クモハ105-30

 

紀伊田辺

 白浜に続いて田辺の街を散策した。

 

 紀伊田辺駅は、駅舎の取り壊しが予定されている。あぁ、親友との思い出も多い駅舎が…。

 

  

紀伊田辺19:39→新大阪21:50 「特急くろしお34号」84M  モハ380-503

 ラストラン34号が紀伊田辺に入線する直前に、和歌山方面より289系の回送が到着した。翌日から「くろしお」に就任する289系と、本日が最終の381系が顔を合わせる。世代交代を象徴する名場面!

 紀伊田辺では34号の入線中に381系ラストランの案内放送があった。

 

 それにしても、車内や駅での381系ラストランの案内放送においては、“さんびゃくはちじゅういちけい”、“さんはちいちけい”、“さんぱぁいちけい”などが聞かれた。私は“さんびゃくはちじゅういっけい”派だ。“さんぱぁいちけい”は初めて聞いたし、どうもいただけない。

 

 いつもグリーン車か自由席にしか乗らないので、増結車の指定席に乗るのは初めてだ。

 モハ380500番台がこのようになっているのを初めて知った。

 サハ381にも乗りたかったと思いつつ、その機会は無かった。それにしても、同じサロ381形グリーン車として生まれておきながら、人気のクロ380形パノラマグリーン車へと改造されて活躍を続ける車両がいる一方、サハ381形普通車へと格下げ改造されて多客期の増結しか運用が無い車両もいた。まるで人間の人生みたいだ。

 

 紀伊田辺→御坊間で記念乗車証が配られた。放送ではない直接の挨拶があり、大きな拍手に包まれていた。記念乗車証は往路とは異なる意匠だ。3号でもらったのはクロ380側の写真、34号でもらったのはクハ381側の写真だ。

 

 平日といえども夜ともなると見送りの人が増えてきた。

 

 和歌山発車の際には長い警笛が聞かれた。なかなか加速しないなと思ったら、ホームの天王寺寄りには多数のお見送りの人がいた。この車両が「特急くろしお号」として紀勢本線を走る日は二度と来ない。阪和線へと進み、和歌山県に別れを告げる。

 

 親友は25号には間に合わなかったらしく、天王寺から乗るとのことだ。

 驚いたことに、終点新大阪を目前にして天王寺からたくさんの乗車があった。車掌氏は懸命に検札にあたっていた。当たり前のことなのだが、みんな真面目に指定席の特急券を持っており、私は感心した。

 終点新大阪に着く。本当にお別れだ。どうしようもなく寂しくなってきた。

 

 「特急くろしお34号」の回送を見送った。やや長めの警笛が印象的であった。

 関西へ行く時の楽しみがまた一つ消えた。好きだった物がだんだん無くなっていく。この先、何を楽しみに生きていけばいいのだろうか。

 

 別れの場面はこれで終わりではない。この後、22:06に国鉄色381系の「特急こうのとり28号」がやってくる。

 

 それにしても、37年間381系が活躍していた地に縁がある私としては、近年少しだけ走っていたような福知山が381系のラストランで盛り上がっていることに違和感を覚える。

 

 そもそもラストランとは何ぞや。定期運転を終了した車両が後に団体臨時列車としての運用に就くこともある。中央東線の189系や183系のように臨時特急として運用される事例もある。元々臨時列車にしか使われない車両ならば最後の運用がラストランであろう。日本国内での運用を終えて海外で活躍する車両もあるが、それは私の趣味の範囲外だ。近畿圏の381系は11月や12月に団体臨時列車が予定されているが、定期列車用の車両が当該定期運用を離れるのをラストランと見ておこうと思う。

 

【総集編の動画】

 

 

 3. 「381系 特急くろしお号」の思い出

  

 私が初めて「特急くろしお号」に乗ったのは昭和57年(1982年)だ。新宮からおそらく紀伊田辺までの乗車だったと思う。母ときょうだいとお金持ちのおばと一緒に乗った。当時は特急列車といえばまだまだ贅沢な感があり、おばがお金持ちなのを実感したのであった。新宮駅では「寝台特急紀伊号」の14系寝台車が見られて大変うれしかったことを覚えている。その時の写真もある。

 昭和61年(1986年)の「紀州路4人きっぷ」のテレビCMが好きだった。

 12歳でグリーン車の座席に興味を持つようになり、物心ついてから初めて乗ったグリーン車が「特急くろしお号」のサロ381だった。

 「381系 特急くろしお号」の思い出は帰省や旅行だけではない。大学受験もグリーン車で行った。父が危篤の時も381系で駆けつけた。

 そして20151030日、ラストランを見送るために東京から駆けつけた。親友が強く誘ってくれたおかげで後悔せずに済んだ。

 

 ありがとう! さようなら!  「381系 特急くろしお号」!

 

 

 

トップページ 乗車体験記 鉄道雑感 メール