国鉄末期からJR初期に登場した車両たち (本四備讃線界隈を中心に考察)

20024月取材 (2002717日 やっと公開)

※各事象の細かい年月までは記述に盛り込んでいない。今後気が向いたら更新する。

 

 南海道は、なんかいーぞー…こんな事を書く為に四国に行ったのではない。

 本四備讃線およびその界隈で活躍する車両を中心に、国鉄末期からJR初期に登場した車両たちについて記す。

今回のテーマは

    1. 国鉄末期からJR初期に登場した車両たち
    2. JR四国キハ185系特急形気動車
    3. 本四備讃線 & 快速マリンライナー号
    4. JR西日本100系新幹線電車

 

 

1. 国鉄末期からJR初期に登場した車両たち

 国鉄末期には各地に新車が登場した。短編成化に向けた改造車が多数登場したのもこの頃である。また、JR発足後には新車や改造車の登場ラッシュが起こり、鉄道各誌は毎号特別増大号になるという盛況振りであった。さて、ここでひとつひとつ丁寧に記しているときりが無いので、国鉄末期からJR初期にかけてを“この頃”と一括表記することにする。

 この頃には、後述のJR四国キハ185系の他、JR北海道キハ183500番台やJR東海キハ85系ワイドビュー、あるいはJR九州783系ハイパーサルーンなど、今後、JR各社の主役になるかと思われる車両が続々と登場した。

 しかし、この頃に登場した車両の中で現在でも旗艦主役車両(いわゆる“フラッグシップ”)と呼べるのはJR東海特急形気動車キハ85系ぐらいではなかろうか。JR四国とJR北海道の特急形気動車はその後に登場した振り子式車両に特急形気動車の主役の座を譲り渡してしまった。JR九州の特急形電車はどれが主役なのかさっぱりわからない。787系が後輩車両よりも一歩抜き出ているかと思った時期もあったが、これも新幹線の南進によりフィーダーサービス特急仕様に改造されてしまうようである。少なくとも783系ハイパーサルーンが主役でないことは確かである。この頃に登場した車両の凋落はかなり早く訪れた気がしてならない。

 近年の鉄道車両に時代を代表する“看板車両”ってあるのだろうか? 別に無くても構わないのだが、あまりにも車種エントロピーが急速に増大し過ぎていて、長きにわたって夢中になれるような車両にお目にかかれないのが残念である。彼らもやがて引退の時期を迎えるであろう。しかし、“国鉄形”のように共通認識としての時代背景と共に語られる事は少ないような気がする。

 最近、日本の多くの鉄道は“商品性”が意識的に高められたと感じる。しかし、鉄道は社会資本であり、車両は高頻度に更新される存在ではないと思う。おっと、これは古い価値観を持つ人間の単なる懐古趣味に過ぎないのだろうか。

 

 

2. JR四国キハ185系特急形気動車

 この車両は瀬戸大橋の開業の頃に華々しくデビューした。バスと同じ部品や市販品、および廃車再生部品を使用することによりコストダウンが図られた。キハ185250PS×2500PS級の出力である。これは、昭和43年に500PSエンジンを搭載して誕生した国鉄時代を代表する高出力特急形気動車キハ181系と出力面で大きな違いは無い。しかし、軽量車体化などにより、スピードアップや低騒音化を実現した。

 その後、JR各社は新車の導入や在来車のグレードアップ改造など独自の路線を歩むようになった。JR四国では新車が積極的に投入されていった。特急用として制御振り子装置を搭載した高出力の2000系が登場した。振り子式なので、カーブに強く、また、350PS×2700PS級の高出力により、土讃線の連続勾配曲線区間でも高速走行を維持できるのである。

補足:気動車の高出力といっても一般的な電車の性能には及ばない。700PS級でようやく平坦な幹線鉄道で電車並みのダイヤを設定できるようになる。電車と同等の性能を保持するには900PS級の機関を供える必要がある。それも各車にである。1M2Tで高加減速や登坂および130km/h走行を行う電車がいかに高性能かお分かりいただけよう。数年前、「電車よりも気動車の方が強い。だから山岳路線には電車ではなく気動車を投入している。」と言いきったバカがいたので、これ以上バカを殖やさないためにも補足しておく。

 2000系の増備が進むと、キハ185系は四国の2大幹線ともいえる予讃線や土讃線から撤退していくことになった。更に、高徳線の高速化と2000系のなる増備が進むと「特急うずしお号」からの撤退も進み、現在は徳島線の特急仕業が残された数少ない聖域となった。

 キハ185形の一部は座席背面のテーブルの撤去やリクライニング機構の廃止を行い、普通列車専用仕様に改造されてしまった車両もある。これらの車両は座席配置とキハ185という名前だけを見ると一見特急形に見える。はっきり言って、急激に凋落したかわいそうな車両である。一方、そんな中、4両がキロ1862両を含む“アイランドエクスプレス四国U”に改造された。これら4両は幸せな車両といえよう。

 ちなみにJRの電車や気動車の形式に見られる十の位の“8”は特急形である事を示している。この国鉄時代からのルールを打ち破って2000系などを登場させたのは、他でもないJR四国であった。

 

高松発多度津行きの「特急いしづち21号」運用に就くキハ185系。

 本来、「特急いしづち21号」は高松から松山へ向かう列車である。通常は8000系電車3両で運転され、宇多津にて岡山発の「特急しおかぜ19号」と併結して、8両編成となって予讃線を進むことになる。しかし、多客期などに岡山発着の「特急しおかぜ号」の乗客を優先させるために「特急しおかぜ号」を8000系最大の8両で岡山に発着させ、高松方面の「特急いしづち号」の乗客は、「“高松⇔多度津に仕立てられた”特急いしづち号」と「“本体の”特急しおかぜ号」を宇多津などで乗り換えさせる運用をとっている。理由はどうであれ、“四国の首都”高松もずいぶん冷遇されているものである。

 JR四国では「しおかぜ号」と「いしづち号」および「南風号」と「しまんと号」など特急列車同士の併結運転が盛んに行われている。これは、JR四国路線のほとんどが単線のために列車密度を上げられないからである。ちなみに、高頻度サービスのために特急列車を増発すると、単線での行き違い停車時間の増大に伴い、特急全体のスピードダウンに繋がるという苦しみも抱えている。

 

 

 キロハ186のグリーン室内の座席…登場時には装備されていた肘掛カバーや肘掛に付いていたテーブルは今では無い。また、臨時列車として運用される時には普通車と同じ扱いを受ける場面が多い。この座席は、キロハ186のグリーン室の他、同時期の登場したキロ182500やジョイフルトレインなどにも使われ、国鉄末期には次世代の在来線特急形グリーン車の標準形になるかと思われた。

 JR四国のキロハ186は定期運用が早々と消滅した。平成8年ごろに「特急うずしお号」のグリーン車として一時的に復活したのだが、再びすぐに消えてしまった。やはりその後に登場した2000系や8000系に用いられている横3列のグリーン席との格差が大きいからであろうか。狭い四国内にあっては格差が際立ってしまうのであろう。あるいは当該線区のグリーン需要が著しく低いことも考えられる。なぜなら、国鉄時代に四国・九州地区では利用率の低い急行グリーン車は全廃され、それらの車両は普通車指定席として用いられるようになったという経緯すらあるからである。

 JR九州は山岳路線を走る急行の出力増強の為にキハ65JR四国から購入したが、その後、それらの急行を特急化すべく、JR四国で余剰気味だったキハ185系をJR四国より購入した。この時にキロハ186はエンジンの2機化、および普通席を新幹線廃車発生品の転換シートからリクライニングシートへの交換を行い、なんと“普通車キハ186”として特急「ゆふ号」・「あそ号」で再デビューすることになった。この車両は普通車指定席として扱われることになったわけだが、グリーン席時代の座席は、モケットこそ張り替えられたものの、形状はグリーン席時代のまま運行されることとなった。その後、これらの特急列車の指定席は編成端に移った。この時、キハ186は普通車自由席になったのではないかと察する。ちなみにこれらの特急は前身の急行の頃から普通車だけの編成である。少し前述したが、国鉄時代に四国・九州地区ではキロ28はキハ28へと格下げされ、それらの車両は急行普通車指定席として用いられるようになったという経緯がある。

 

 

3. 本四備讃線 & 「快速マリンライナー号」 JR西日本クロ212形展望グリーン車

 瀬戸大橋は青函トンネルと同時に一本列島として昭和63年に開業した。両者は前後の在来線が規格の高くない単線であるという共通の弱点を持ってスタートした。瀬戸大橋は6つの海上吊橋と小島上の陸上橋の総称であり、ここを走る鉄道路線の正式名称は本四備讃線という。同時に開業した津軽の海峡線とは対照的に、本四備讃線は活況を呈している。輸送需要の高まりにより、本四備讃線に隣接する宇野線の複線化整備が望まれた。しかし、宇野線の複線化整備は、利益を享受するのは四国側であるにもかかわらず、負担を負うのはJR西日本や岡山県の自治体であるというとんでもない行政上の問題をも抱える事になった。

 クロ212形展望グリーン車および「スーパーサルーンゆめじ」もこの頃に華々しく登場した。「快速マリンライナー号」で活躍する展望グリーン車は当初、(乗り込んだときに)座席は横の窓を向いているようにされていた。もちろん、進行方向に向けることも可能である。しかし、JR側の思惑は外れてしまい、乗客は進行方向に向かって座ることを好んだ。すぐさま、前向きにされるように変更された。ところで、空港アクセス特急など、JRの思惑のはずれたものは結構多い。今後、これらの特集をやってみても面白そうである。さて、クロ212形展望グリーン車は普通列車のグリーン車としてかなりあこがれた車両であった。そんなこの「快速マリンライナー号」も2003年度内に新車に置き換えられることになった。グリーン席は2階建て車両の2階部分になるようである。私は在来線の2階建て車両は好まないが、せっかく登場するのならクロ212形に負けないぐらい素敵な車両を期待したい。

 

 

4. JR西日本100系新幹線電車 

 昭和60年に登場した100系新幹線電車も国鉄末期に登場した車両である。2階建ての食堂車やグリーン車、さらには個室のグリーン車をも有し、史上最高の居住性を備えた新幹線車両と称えられるほどの誉れ高き車両であった。普通車のシートピッチが1,040mmに拡大されて、3人がけの座席も集団離反方式から進行方向に向けられるように改められたのもこの車両からである。

 この100系新幹線電車は更なる発展が構想されていた。その一例が山陽区間を他の車両より10km/h高い230km/hで疾走していた2階建て4両を含む「グランドひかり」である。この編成は新関門トンネル内の下り勾配を利用して300km/h運転を実施する案もあったのだが、所要時間が1分しか縮まらないために、安全を優先して見送られた経緯もあった。

 さまざまな期待を背負って登場した100系新幹線電車だったが、凋落は意外と早く訪れた。平成4年、食堂車や個室グリーン車等を一切廃して高速移動マシーンに特化した300系「のぞみ号」の登場である。その後、東海道・山陽新幹線は700系新幹線電車などの高速移動マシーンが主役になっていった。最高速度で圧倒的に劣る100系新幹線電車は「こだま号」運用へと転じていった。豪華編成も組み替えられ、普通車のみの短編成の列車も登場するようになった。

 

JR西日本100系新幹線 2&2シート…JR西日本の100P編成の2&2シート化が進んでいる。一部座席はG編成のグリーン車の座席からフットレストとオーディオ装置を取り外して流用している。またもやグリーン車座席の普通車座席への格下げである。財の有効活用としては評価すべきかもしれないが、座席が大好きでグリーン料金を何回も払ってきた私としては複雑な心境である。

 

 

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