さようなら国鉄グリーン車 R28形リクライニングシート

「特急はまかぜ6号」 キロ180形グリーン車 定期運用最終日     (20101110日 全面公開)

 

 2010116日、キハ181系が最後の定期運用だった「特急はまかぜ号」から引退した。これにより、キロ180形グリーン車が運用を終えた。私は、その日の上り最終、「はまかぜ6号」のグリーン車に乗ってきた。

 

 このコーナーは、キロ180形グリーン車のラストランのおよそ1ヶ月前の2010109日に公開を始めた。以下に、公開した順序のまま掲載しておく。

 

1.惜別乗車について 2010109日 公開)

2.R28形リクライニングシートへの熱い思い 20101016日 公開)

-1.R27系統リクライニングシート 20111223日 改定)

-2.R27系統リクライニングシートの思い出 20101023日公開)

-3.自宅にあるR26形リクライニングシートの改修記 20101030日 公開)

3.キハ181系の思い出 2010113日 公開)

4.ラストラン当日の様子 20101110日 公開)

 

 

2010109日公開 ここから)  

 来る2010116日、「特急はまかぜ号」からキハ181系が引退する。これにより、キハ181系は定期運用から撤退する。私は、その日の「特急はまかぜ6号」のグリーン車に乗る予定だ。 

 

 

1.惜別乗車について

 キロ180形グリーン車の惜別乗車の機会についてはいくつか案があった。

@1016日(土)に「サロンカーなにわ」のツアーがあり、そのツアーと豊岡からの「特急はまかぜ6号」を組み合わせる案があった。「サロンカーなにわ」のツアーは販売開始からすぐに売り切れてしまい、キャンセル待ちの機会もうかがったが、結局入手する事はできなかった。また、翌1017日(日)に重要な用事が発生しそうな事情が発生し、当該キャンセル待ちの問い合わせを再度行うのは108日(金)まで保留にせざるを得なかった。実際、当該ツアーの最終申し込み期限も108日(金)であり、しかも満席だったのでこの案は完全に流れてしまった。

Aもう一つの案としては、この文を書いている3連休である。3連休があれば青森方面にも行ってみたいとも考えていたが、108日にかなり疲弊してしまい、関西方面も青森方面も、どこにも出かける気がうせてしまったのであった。

B1016日がどうなるかわからないので、最終運転日の116日の指定券を事前予約していた。しかし、10610時の時点で満席ゆえに入手できなかったのであった。108日の夜にネットを見ていたところ「はまかぜ6号」のグリーン車に空きが出たので、某サイトにて申し込もうとしたら回線エラーの表示が出て結局入手できなかった。イライラした。昨日108日はいろんな意味でストレスフルな最悪級な一日であった。本日109日、午前10時過ぎから空席情報サイトときっぷ購入サイトを同時に開いて見ていたところ、なんと116日の「はまかぜ6号」のグリーン車を確保する事ができたのであった。

 

 

 

白い肘掛カバーがまぶしい国鉄グリーン車

  

 ラストランまで1ヶ月を切った今、このようにキロ180形グリーン車の客室を独り占めする事なんてもうできないだろう。

 

 今までに公開した「特急はまかぜ R28形リクライニングシート」の乗車体験記

特急はまかぜ6 キロ180-12 2005814日乗車)

特急はまかぜ1 キロ180-13 2009327日乗車)

特急はまかぜ3 キロ180 2010813日乗車)

2010109日公開 ここまで)  

 

20101016日公開 ここから)  

2.R28形リクライニングシートへの熱い思い

 幼少の頃の私が鉄道に興味を示すきっかけになったのは、ブルートレインの美しさであったと記憶している。しかし12歳の時、転機が訪れた。図鑑においてR27形リクライニングシートの横からの写真を見た瞬間に、その意匠の美しさと機能美に心を奪われてしまった。なんといってもフットレストが強烈であった。仕掛け満載の座席に、少年の頃の私は激しく萌えたものであった。これ以来、グリーン車や座席にとてもこだわるようになったのであった。R27系リクライニングシートは、私のグリーン車趣味の扉を開いた、まさにその形状の座席なのである。

 そもそも「さようなら国鉄グリーン車」というこのコーナーの表記に違和感を抱く人もいるかもしれない。現にサロ581形車両やサロ185形車両は現役を続けているし、485系のクロハだって残っている。だが、私にとってグリーン車で大切な事は、車両形式よりもむしろ座席なのである。

 私は、鉄道の出来事があればお金に糸目を付けずにどこへでも駆けつけるような人種ではない。しかし、今回のキロ180形の引退は、大好きだった国鉄グリーン車の事実上の終焉という、鉄道趣味の根幹に関わる特別中の特別の出来事なのだ。だからこそ東京から遠路はるばる関西まで行くのである。

 

 「R28形リクライニングシートへの熱い思い」として、以下に3つの項目を公開する事にする。

-1.R27系統リクライニングシート

-2.R27系統リクライニングシートの思い出

-3.自宅にあるR26形リクライニングシートの改修記

 

 2-1.R27系統リクライニングシート

 ここで、「R27系統」という呼び方をお許しいただこう。キロ180形グリーン車に用いられている原形の座席はR28形リクライニングシートである。ナロ20形車両のR16形やモハ20系(後に151系に改称)のR17形から基本的な意匠が受け継がれており、国鉄終焉期に各地でグレードアップグリーン車が登場するまでは在来線特急形グリーン車の座席はほとんどがR27形であった。細かな仕様の違いはあったが、1980年代の特急・急行のグリーン車は、一部の例外と新幹線を除けば日本全国ほとんど同じR27系統の座席であったと言っても差し支えないほどであった。

 上記の説明だけでは難しいかもしれないので、今回はそれを詳述しておこう。私が知る限り、R27系統と括れるのは下記の座席達である。肘掛の形状でR27系統だと分類している。座面がバケット化されていても区別しない。枕が可動かどうかも区別しない。テーブルの形状も区別しない。ただし、背もたれの形状を著しく変えられてしまうととたんに関心が無くなってしまうのは自分でも不思議である。

 

R27系統リクライニングシート一覧】…ここは主に元号表記にする。

(公開当時は私が知る範囲内を記していた。その後、長年不明だったR19/R20/R22/R29について201111月に知る事ができた。本職の人から教わった事を我が物顔で公開する事を躊躇していたが、正確さに欠くような記述を公開し続けるわけにもいかないと思い直し、20111223日に追記した。)

R15…ナロ10形特急客車(昭和32年登場)

R16…ナロ20形特急客車(昭和33年登場)

R17…サロ25形特急電車(昭和33年登場)…純毛モケット、ラジオ機能付き

R18…サロ157形特別準急電車(昭和34年登場)…R17のダウングレード版、合成繊維モケット、ラジオ機能は無し

R19…シートピッチが広いスロ62

R20…キロ80形特急気動車(昭和35年登場)…可動枕、当初はラジオ機能付き

R21…サロ152形等の急行形リクライニングシート装備車の初期車

R21T…上記R21に肘掛横のテーブルを加えた座席

R22…気動車の急行形リクライニングシート装備車の初期車

R23…キロ80形特急気動車…可動枕、ラジオ機能は無し

R24…主に181系特急電車、更にサロ481形の初期車等

R26…急行形やサロ113近郊形に使われていたと言われる。肘掛横のテーブルの形状が特徴らしいが、サロ113形にテーブルは無かった様に記憶している。

 

 

R27R24の設計改良版であり、国鉄末期の電車特急のグリーン車は日本全国ほとんどがこれであった。サロ481、クロ481、サロ581、サロ489、サロ183、サロ189はいずれも、ローズストライプの段モケットのこの座席が基本であった。また、ここに記したR15R29もほとんど似たような形状である。急行形グリーン車でもR27と同じテーブル形状の座席を装備した車両もあり、実質的に各座席の形式を識別する事は難しいのだ。だからこそ最大勢力となったR27を代表させて「R27系統」や「R27系列」という一括りの表現でも通用するのである。

R27B…キロ182形特急気動車、サロ185形特急電車・・・ワインレッドのバケットシート

R28…キサロ90形・キロ180形他、特急・急行形気動車

R29…キロ80形特急気動車…可動枕

 

 見てのとおり、モケットやテーブル形状が違うだけで逐一形式が変えられていたようである。 

 上記の一覧において欠番になっている座席についても軽く触れておこう。もちろんこれらはR27系統ではない。

R1…マイテ49-1(昭和29年) 一人掛け

R2…クロ151形特急電車(昭和35年登場) 一人掛け

R11R14…スロ60形(昭和25年登場)〜スロ51/53形等、 特別二等車のはじまり

R25…新幹線15/16形(昭和39年登場)

R30…サロ381形特急電車(昭和48年登場)

  写真はクロ381

 

R31…新幹線215形(昭和57年登場)

  

 

R32…新幹線162000番台車(昭和56年登場)

R33R35…新幹線100系(昭和6061年登場)

R36…国鉄末期のキロ182500番台やキロハ186形で登場し、R27の後継座席だと注目されていた。だが、在来線グリーン車の横3列化の流れの中で、とうとう主役にはなれなかった。

  

 キロハ186形…平成14年頃には、すでに肘掛横のテーブルは撤去されていた。

 

 なお、R37以降については触れていない。

20101016日公開 ここまで)

20101023日公開 ここから)

 上記コーナーについて補足である。「国鉄グリーン車」という表記に異論が来ると困るので追記しておく。

 国鉄運賃が三等級制から二等級制に移行したのが昭和35年の71日であり、従来の一等が原則として廃止され、従来の二等が一等に、従来の三等が二等へと変更された。その後、昭和44510日に運賃が一本化されて一等車がグリーン車へと改称された。

 昭和35年に登場したクロ151形は従来の一等車級の車両であるが、直後に旧一等の廃止が決まっていた為に二等の中の上級車として登場した。

 スロ60形〜ナロ10形等は特別二等車として登場した。後の国鉄特急・急行形のグリーン車のルーツは、これら特別二等車なのである。R27系統のリクライニングシートの源流であるR15形リクライニングシートを装備したナロ10形車両は、特別二等車として出発したのである。

 

 2-2.R27系統リクライニングシートの思い出

 大好きだったR27系統リクライニングシートに乗った思い出について述べておこう。

 私が物心がついてから初めて乗ったグリーン車は、「特急くろしお号」のサロ381形車両(R30形座席)であった。グリーン車趣味を実行に移した第一歩であり、大いに感動した。しかし、図鑑で見て衝撃を受けた「特急グリーン車の座席」とは何か違うような気がしていた。小中学生の頃はカメラを持ち歩いていなかったので、何がどう違うのかわからなかった。

 

(1987年乗車) サロ381形に複数回乗った後の198712月、東京駅にて「急行東海1号」のサロ165形車両に乗り込んだ。座席の色が特急形と異なる事ぐらいは元から知っていたが、この時に初めてサロ381形車両の座席との形状の違いに気づいたのであった。フットレストの位置がやたら高く感じた。それとほぼ同時にフットレスト脇のペダルの存在に気づき、フットレストの高さを調整できる事を理解した。当該フットレストは、高さを変えても床面との角度が変わらない造りになっており、その仕掛けにはたいそう驚いた。また、全体の配色と肘掛の形状にたまらなく感動した。サロ165形車両に乗り込んだ時の、あの震え上がる程の感動と興奮は、今でもよく覚えている。

(1987年乗車) 上記のサロ165形車両と同じ日にサロ110形の特急サロ格下げ車に乗った。こちらもR27系統の座席だが、臙脂1色のモケットに張り替えられていて、肘掛カバーも廃止されていた。余剰となった特急グリーン車を転用した乗り得車両であり、これを狙って乗ったのだ。安価に快適な座席を楽しめ、座席の配色をも含めて、当時好きだった「南海特急サザン」のような気分であった事を覚えている。

(19871992年乗車) その後も「急行東海1号」や「大垣夜行」でサロ165形車両に乗った。大垣夜行ではほぼ全席がフルリクライニング状態であった。その時にやたら肘掛に目が向いた様に記憶している。

(1988) 一つ心残りがあった。サロ110形の特急サロ格下げ車は前述のとおりモケットが変更されるのだが、工事日程の関係なのか、一部の車両は特急時代のローズストライプの段モケットのまま運用に就いていた。しかし私は、希少となった急行列車を優先すべく、「急行東海1号」のサロ165形車両に乗り込んだのであった。「急行東海1号」のサロ165形車両には前年にも乗っていたので、特急形の内装のサロ110形を選んでおけば良かったと今でも思うのである。結局、図鑑で見たローズストライプの段モケットのR27形リクライニングシートには1回も乗れなかったのであった。

 

 1990年頃になると、R27系統の座席自体は残っていても、モケットの色が変わっていたり、改造されている座席が多くなってきた。

 

1994年乗車) 「急行たかやま号」キロ28-6002…最後の急行形全室グリーン車。しかもユニット窓の6002。モケットは灰色系。

2000年乗車) 「特急さざなみ号」サロ183形車両…R27改形座席であり、肘掛以外のほとんどの部分が著しく変更されていた。モケットはピンクと黄色であった。形状・配色ともに、あまりにもブサイクだった。当該「特急さざなみ16号」は途中の君津まで普通列車として運転されていたが、この区間はあきらかにグリーン券を所持していない連中がたくさん乗っていた。グリーン車乗車史上、最悪の思い出だ。

 

 2000年頃になると、原形のR27系統の座席はほとんど見られなくなっていた。2005年から「特急はまかぜ号」にわざわざ乗りに行くようになった。

 

(2009年乗車) 20103月のダイヤ改正で「急行能登号」が臨時化され、同時にサロ489形車両が定期運用から退いた。その車両も、「特急はまかぜ号」と共に、白い肘掛カバーが奢られた希少な存在であった。

 

 背もたれの幅が広く改造されており、R27形の美しさは感じられない。大好きなR27形がこのような形で残っていた事は知っていたが、改造されたこの座席への熱い思いはなかった。ただし、白い肘掛カバーは特筆に価した。

 

 

 

 

(番外) 国鉄末期には、短編成化で余剰となったグリーン車の座席が普通車のグレードアップに充てられる例も見られた。先駆けて、四国では1980年からキロ28形車両をほぼそのまま普通車へと格下げしていた。つまり、R27系統の座席は普通車としての歴史も持つのである。そのような普通車としての乗車体験も記しておこう。

(19962002年乗車) 座席を換装された165系電車による「快速ムーンライトえちご号」は良かった。私が初めて乗った1996年夏には茶色系の縞模様のモケットであり、フットレストもあった。だが、1998年夏にはフットレストが無くなっていた。また、2002年夏には背もたれの形状が変わっている座席も見受けられた。

 

 1998年夏にはフットレストが無くなっていた。

  

(19961997年乗車) サロ581形グリーン車の内、一部の車両は客室前後の6列をソファに変えてサロ581100番台となり、「シュプール号」等のサロンカーとして用いられる事もあった。私はその運用を狙い撃ちにし、「臨時急行シュプール妙高・志賀3号」に2回乗った。緑色のモケットであった。「臨時急行シュプール妙高・志賀3号」は583系電車と485系電車の併結運転で話題を呼んだ。583系側が寝台車とフリースペースのサロンカーであり、485系側が座席のグリーン車と普通車であった。なお、この列車のグリーン車はR27改形リクライニングシートのサロ481形であった。つまり、同一編成内でフリースペースとグリーン車にほぼ同じ座席が用いられていたのである。

 

(2003年乗車) サロ改造のクハ455600番台…東北や九州では、サロ455形等の急行形グリーン車を先頭車化改造して、グリーン車時代の座席をそのままに運用に就く車両もあった。その多くは、後にグリーン車時代の座席が撤去されているが、2003年には幸運にもグリーン車時代の座席が残されている車両にめぐり合えた。座席は向かい合わせに固定され、フットレストやリクライニング機構およびテーブルは撤去されている。モケットは見てのとおり他の普通車同様である。デッキは廃止され、車端部はロングシートである。

 

 2003年夏の九州にて

  

(19981999年乗車) JR北海道が夜行列車用に用意したドリームカーも特急グリーン車から転用された座席が備えられている。これらはリクライニング角度が更に増強され、背もたれの幅も広げられ、特急グリーン車を凌駕するほどの座席になった。「快速ミッドナイト号」に使われていたキハ27形車両は既に廃車されているが、オハ14形車両が「急行はまなす号」で活躍中である。私はこの座席が好きなので、「快速ミッドナイト号」ではカーペット車ではなく、ドリームカーを選んでいた。しかし、夜は横になって眠る方が楽だと思い、後に乗った「急行はまなす号」ではカーペット車を選択するようになった。

 

「急行はまなす号」のドリームカー。肘掛カバーこそ無いが、配色は美しいと思う。

 

 上述の座席達は、「急行はまなす号」のドリームカーが最後の存在である。

 

 私は、普通車へと転用された座席にグリーン車の幻影を追い求める気持ちは無い。やはり、グリーン車趣味の原点としてのR27系統リクライニングシートなのである。

20101023日公開 ここまで)

  

20101030日公開 ここから)

 2-3.自宅にあるR26形リクライニングシートの改修記

 「キロ180形車両の引退」から話が外れるが、当該座席への思いという点では大いに関連があるので、自宅にあるR26形座席についてこのコーナーで触れておく。

 私の自宅にはこの系統の座席がある。2008年に入手し、2009年に改修を行った。この座席が好きだという思いと、改修を通じて見えてきたこの座席の高い品質について触れておこう。

 

【まずは写真から】

 

改修前(左)…改修前は左の写真しか公開していなかった。足回りの錆は隠しているし、モケットの綻びも写りにくいように撮影している。よく見るとフットレストの錆はお分かりいただけるだろう。モケットは、実は右の写真の様であった。

改修前(右)…白いカバーの下はこのような状況であった。言い換えれば、カバーを被せれば鑑賞にはほとんど問題が無いと考えていた。背もたれ上部はかなり傷んでいるが、横もかなり傷んでいた。(壁のコンセント付近に注目)

改修後(下)…約30万円かけて改修した。

 

【形式はR26? / 資料が少ない座席趣味界】

 この座席の御提供者様とは「R27」という表現でやり取りをしていた。その当時の私個人としては、実際の形式は不明であった。2009年に、回転ペダルの上に「R-2○型 自在腰掛」という表記がうっすらと残っている事に気づいた。○の部分には丸っこい数字が入っていたのだが、6なのか8なのか判別できなかった。入手経路や特徴等を総合的に判断すると、R26だと解するに相当するのではないかと思う。以後、「R26」と表記する。

 座席の形式や系譜というのは、鉄道趣味界の中においてはなかなか扱われない分野であり、具体的な形式等の資料はほとんど出回っていないのが実情である。このコーナーで記したR1R36の各座席についても、いろいろな読み物に散らばっていた記載から得た知識である。鉄道誌であっても間違った記載が見られ、元々少ない資料との整合を図りながら整理しなければならないので、座席の趣味もなかなか楽ではないのだ…。

 

【自宅内における特例中の特例扱い】

 私は元来、家の外で使う物を自宅の玄関より奥へ持ち込む事に抵抗を感じる性格である。実際、帰宅すると衣類のほとんどを玄関で脱ぎ、靴下なんかは絶対に脱いでから上がるぐらいなのだ。それゆえに、不特定多数の人が土足で使っていた鉄道用の座席は、いくら持ち込む前に洗浄したとはいえ、元来の私の性格からするとリビングルームへ持ち込む事なんて考えられないぐらいなのである。以前、閉店した呉服店で使っていた高級な椅子を母が貰ってきた事があるのだが、私は新居でのそれの使用を拒んだぐらいであった。私がそのような性格であるにもかかわらず、R26形座席を自宅内に持ち込んだのは、それがどうしても好きだったからに他ならない。言うまでもないが、鑑賞専用であり、パジャマ等の家中用の着衣のままでそれに着席するような事はなかった。

 

【改修にいたった家庭内の経緯】

 座席を入手した当初、近所のインテリアショップに背もたれを一つ持って、モケットの張り替えの相談に行った。すると、背もたれ1つあたりの1万円程度だろうという話であった。そのようなわけで、10万円あれば全体のモケットを張り替えできるのではないかと考えていた。

 そのまま飾っているだけでも満足なのでしばらくそのままにしていた。また、前述のような性格なので、自宅によその人に来られるのがイヤなのであった。具体的に言うと、職人さん等に来られるのが煩わしいと思っていたのだ。

 そのままにしていたのが、時折訪れる家族の評判は良くなかった。とりわけ座席の足回りの錆が気になって仕方がないとの事であった。2009年終わり頃、「せっかく貴重な物を手に入れたのだから、しっかり手入れして使えるようにしなさい」、「孫が飛び乗っても大丈夫なように、倒れないようにしなさい」という話が一気に進展し、入手から一年以上経ってようやく、改修に着手する事になったのであった。

 

【メインはモケット】

 御提供者様にいただいたモケットの切れ端をインテリアショップの職人さんに見せたところ、すごく質が高い品である事を聞かされた。高級ホテルのソファ用の2倍以上のパイル長があるとの事だ。

 件の職人さんに実際に自宅に見に来てもらったところ、座面や肘掛や背もたれなど、使われている部分によってモケットの造りも違う事を教えられた。他にも、席から立ってもおかしな模様ができない等の機能的な面でも質が高いという説明を受けた。座布団の縫い目の処理なんかも一級品だそうで、それらの理由もあり、「綻びていても、オリジナルのまま置いておくという選択肢もあるのではないか」とも言われた。

 なお、「赤○号」といった色の名前は国鉄内規のものであり、一般的な色の分類ではないという事をこの頃に知った。職人さんと相談した結果、モケット探しは並行して行う事になった。どういう事かと言うと、類似の色の布を探してもらう事に並行して、自分でも本物と同じモケットを探す事にも着手したのである。私は、鉄道用として納品していた織物の業者に問合せてみた。どの業者も、個人への納入ができない旨や、そもそも在庫が無い旨の回答が来た。

 結果、インテリアショップが見本をくれた布の中から選ぶ事になった。予想とは裏腹に布の張替えだけで20万円を超える見積書が来た。

 

【錆の除去】

 錆の除去だけで、一人が専属で丸三日かかったとの事だ。ただし、フットレストのラバー内の錆は除去できなかった。それを無理に除去すると形状が維持できないとの事であった。

 

【塗装】

 現物は傷が付きにくい特殊な塗装だそうだ。職人さんはさすが熟練のプロであり、鋳物である事を一目で見抜いていた。同じ方法で塗装するとなると、ン十万円かかるそうなので、ここは手塗りで対応してもらう事になった。

 

【リクライニングしても倒れないように加工】

 高張力ボルトやら、日本全国で在庫数が100枚を下回った特殊な金属板やらを取り寄せて施工してくれた。

  

【他】

 座席や材料についていろいろ話が聞けた。この座席はきわめて頑丈らしい。バスや飛行機の座席の改修を依頼したお客が過去にもいたそうだが、この座席が最も重くて頑丈だったとの事だ。また、近年のJRの座席、例えば「成田工クスプレス」の座席は国鉄時代の座席に比べて質が良くないとも言っていた。

 

 また、実際に施工できる職人さんがだんだん少なくなってきているそうである。改修に着手するのが何年か遅くなったら、もう手遅れになっていたかもしれない。

 さまざまな施工のうち、モケットの張替えだけは別の職人さんが担当してくれた。背もたれの網袋や、カバー用のマジックテープは元の物を使ってもらった。枕の凹み部分もきれいに再現されたのには感動した。

 解体と組み立ては私の自宅内で行われた。解体に3人がかりで2時間、組み立てに2人がかりで6時間を要した。

 

 なぜこの改修記をすぐに公開しなかったかというと、座席の改修に際して業者との接触が多く、「あっ、あいつのwebサイトだ」ってバレたくなかったからである。だからあえて公開時期をずらしたのだ。キロ180形車両が引退を迎えようとしている今こそが、公開する適切な時節であると思う。

 

 さて、上述のように大切にしますので、引き続きこの形状の座席を譲ってくださる方からのご連絡をお待ちしております。

 

20101030日公開 ここまで)

 

2010113日公開 ここから)

3.キハ181系の思い出

 

 「キロ180形グリーン車」から話が外れるが、キハ181系車両が定期運用からの引退するという点では大いに関連があるので、キハ181系の思い出についてこのコーナーで触れておく。

 

【初めての乗車は、「特急はくと号」キハ181形車両】

 私が初めてキハ181系に乗ったのは、199610月、「特急はくと4号」大阪→京都間であった。そもそも私は、キハ181系に限らず、優等列車や優等車両が好きなのである。京阪神ミニ周遊券で出かけている時に、たまたま「特急はくと4号」がやってきたので、いい機会だと思い、それに乗ったのであった。その日のその編成は特殊であった。連結両数こそ所定の5両だが、なんと自由席は2両ともキハ181形であった。つまり、運転室や機械室の横の通路を通り抜けるという貴重な経験ができたのであった。言うまでもないが、1号車の乗客は、洗面所や便所を利用しようと思えば遠くの3号車まで行かなければならなかったのであった。

 その1996年当時、智頭急行HOT7000系車両による「特急スーパーはくと号」とJR西日本キハ181系車両による「特急はくと号」が運転されていた。HOT7000系にグリーン席が登場したのは199711月であり、それまでの「はくと系統」のグリーン車は「はくと号」のキロ180形だけであった。1997年夏に、智頭急行線内だけを「臨時はくと号」のグリーン車に乗る計画を立てていたのだが、諸般の事情によりその旅程案は流れてしまった。

 

【ローカル特急車両としてのキハ181系】

 キハ181系は非電化山岳幹線の救世主として高出力エンジンを搭載して1968年に登場した。しかし、キハ181系時代の「しなの号」や「つばさ号」を知らない世代の私から見れば、山陰や四国のローカル特急としての印象しかない。それゆえに、どちらかというと地味な特急車両という思いがある。実際、国鉄末期や昭和末期の鉄道誌を見ても、キハ181系特急の扱いは小さかった。例えば特急列車を材題にした書物においては、有名豪華特急が見開き2ページで紹介されているような場合でも、キハ181系の山陰特急は3列車あわせて2ページといった具合であった。それくらい地味な存在なのであった。

 そうは言うものの、昭和末期頃の「特急はまかぜ号」は現在の「特急はまかぜ号」よりも大きな使命を背負っていた。運転本数が現在と同じ3往復とはいえ、大阪⇔鳥取間は当たり前の運転区間であり、米子まで足を伸ばす列車さえもあったのだ。さらに昔は、向日町所属の編成が8連で、米子所属の編成が7連といった具合に、現在の増結時よりも長い編成で走っていたぐらいだったのだ。

 1994年、智頭急行線の開業とともに「特急スーパーはくと号」が登場したことにより、「特急はまかぜ号」は大阪と鳥取を結ぶという重要な使命を失った。現在の「特急はまかぜ号」は兵庫県内の旅客輸送に重点が置かれていると言えなくもないが、実にあいまいな状態に置かれているのである。マイナーな列車ゆえに車両や座席がなかなか更新されずに残っていたのだろう。消え行く旧型を求める観点から言えば、「マイナーなのも、まぁいいなぁ」と言ったところだろうか…。

 さて、私は元々、「特急はまかぜ号」やその運転区間、およびキハ181系に対して特に馴染みや思い入れがあるわけではなかった。しかし、キロ180形グリーン車のR28形リクライニングシートにわざわざ乗りに行くような事を繰り返しているうちに、「特急はまかぜ号」や「キハ181系車両」について強烈な思い出を積み重ねるようになっていったのであった。

 

【キロ180形グリーン車の本当の最終日】

 キハ181系車両の引退については当初、2011年春だと発表されていた。ところが、後継のキハ189系車両の必要数が早めに出揃ったという事で、キハ181系の引退の時期が繰り上げられたのだ。

 キハ181系は年度内には廃車されるのだが、定期の「特急はまかぜ号」から引退した後も「臨時特急かにカニはまかぜ号」には12月までキハ181系が充当される。つまり、2010116日は「特急はまかぜ号」の最終日でもなければ、キハ181系車両の最終運転日でもないのだ。それゆえか、あまり盛り上がっていないように感じられるのだが、それは私の欲目であろうか…。

 「臨時特急かにカニはまかぜ号」は以前から普通車だけの編成であった。11月の時刻表が出てすぐに確認したところ、キハ181系が定期運用から引退した後の「かにカニはまかぜ号」も普通車だけのようである。これによって、よほどのリバイバル運転でもなされない限り、キロ180形グリーン車の運用は116日が本当の最終になるという事に確証を持てた。

 

 キロ180形グリーン車のR28形リクライニングシートへの溢れんばかりの熱い思いを胸に、私は2010116日の「特別急行はまかぜ6号」に乗り込むのだ。いざ、姫路へ!

 

 

20101110日公開 ここから)  

 ラストラン2日前には、116日の全ての「特急はまかぜ号(全6本)」に空席が多数出ていた。ほんの少し前までは、6本ともグリーン車は満席だったぐらいだったのだが…。もしかして定期運用からの撤退後に多数の惜別臨時列車が設定されたのではないかと思って調べてみたが、そういうわけでもなかった。また、私のサイトも「銀河号」や「はやぶさ・富士号」の廃止直前の頃ほども反響は無かった。なにか今ひとつ盛り上がりに欠ける気がした。

 115日夕方の新幹線で関西へ帰省した。

 

4.ラストラン当日の様子

 「キハ181系 はまかぜ」のラストラン当日である2010116日は、「秋の関西1デイパス」で朝から出かけていた。「キハ181系 はまかぜ」や「キロ180形グリーン車 R28形リクライニングシート」のラストラン当日だからといって朝からずっと「はまかぜ」に張り付いていたわけではなかった。

 

 “はまかぜ祭“に参加したのは16時半頃からであった。

 

  ★★名優競演! 「古豪キハ181系 はまかぜ」と「国鉄色485系 雷鳥」★★

 大阪駅では、17:10着の「特急はまかぜ4号」と17:12発の「特急雷鳥33号」が並ぶ。「特急雷鳥号」はもう1往復しか残っておらず、来春には廃止される予定である。こちらも貴重な存在であり、「古豪キハ181系 はまかぜ」と「国鉄色485系 雷鳥」の並びも重要な祭なのだ。

 私ははじめ11番乗り場にいたが、「雷鳥」のヘッドマークを撮影した後に10番乗り場に移った。フラッシュを焚かない様に繰り返し案内されていた。10番乗り場には厳しい職員がいて、11番乗り場でフラッシュを焚いたガキを叱りつけていた。私のすぐそばでJRの職員達が「はまかぜ対応」の資料を持って話していた。この日の大阪駅にはJR西日本の社員の他に、警備員や警察官が多数いた。ヲタの大群を迎え入れなければならない鉄道会社も大変そうだ。

 

 大阪駅に到着する「特急はまかぜ4号」…このヘッドマークもこの日で見納めだ。隣が485系「特急雷鳥33号」。

 この「はまかぜ4号」のグリーン車には、私にグリーン車のリクライニングシートを譲って下さった方が乗っており、久々にお会いした。私は「はまかぜ6号」に乗る為にすぐさま姫路へ向かう必要があり、彼とはじっくり話ができなかった。

 

  ★★ 姫路19:05→大阪20:10 6D 「特別急行はまかぜ6号」 キハ181系気動車6連 キロ180-13 ★★

 

 惜別で盛り上がる時期のはずだが、キハ181系定期運用末期のここしばらくでも6両編成での運転が続いていた。これは所定より2両増結した姿であり、往年の7両や8両よりも短いぐらいだ。

 

 残念ながら姫路から神戸・三ノ宮ぐらいまではグリーン車内の雰囲気は最悪であった。なお、個人攻撃になるような事を私のサイトで取り上げる気はない。

 

 最後の停車駅の三ノ宮を出て、グリーン車内が落ち着いてくると、お別れの寂しさが徐々にこみあげてきた。

 

 踏切が故障した影響で山陽区間で遅れが出ていた。三ノ宮を6分遅れで発車したようだが、大阪には3分遅れで着いた。すごい疾走だったように思う。

 車内放送や走行音を録音している人が多かったが、大阪到着時の放送においても、キハ181系の引退について触れるような特別な案内はなかった。

 

 私がなぜ「6号」を選択したかというと、6号を大阪まで乗った客と、5号を鳥取まで乗った客こそが、当該車両の最後の乗客だからである。よほどのリバイバル運転でもなされない限り、私はキロ180-13の最後の乗客なのだ。 当日の1号や4号、および2号や3号に喜んで乗った人達には申し訳ないが、私の考えでは、最終日の最終列車を終点まで乗る事にこそ価値があるのだ。

 「はまかぜ」には3両のキロ180が運用されていた。残念ながら、最古参のキロ180-4には一度もめぐりあえなかった。最終日に運用されたのは、キロ180-12とキロ180-13であった。どちらも思い出深い車両である。

 

 

5.あとがき

 報道によると、大阪駅で下り最終の「キハ181系 特急はまかぜ5号」を見送ったのはおよそ800人だったらしい。やはり体感どおり、あまり盛り上がっていないようであった。そもそも、2010116日で最後になるのは、「はまかぜ」のヘッドマークとキロ180形グリーン車だけである。「特急はまかぜ号」自体は今後も運転されるし、キハ181系もまだ1ヵ月以上運転の予定があるのだ。

 116日には車内にて記念品が配布されたようだが、「1号」のように時間帯の早い列車だけだったらしい。私は記念品よりもむしろ、“最後の乗客である事”に価値を置いていた。

 

 キハ181系は、20101223日までは「臨時特急かにカニはまかぜ号」として引き続き運用される予定である。私は年末まで関西へ行く予定はないので、今回の「はまかぜ6号」は、キロ180形グリーン車やR28形リクライニングシートとのお別れのみならず、キハ181系とのお別れでもあるのだ。

 繰り返しになるが、私は元々、「特急はまかぜ号」やその運転区間、およびキハ181系に対して特に馴染みや思い入れがあるわけではなかった。しかし、キロ180形グリーン車のR28形リクライニングシートにわざわざ乗りに行くような事を繰り返しているうちに、「特急はまかぜ号」や「キハ181系車両」について強烈な思い出を積み重ねるようになっていったのであった。

 

 「特急はまかぜ号」で最後まで残っていたこの座席は、国鉄時代とは配色が変わっており、また、詰め物もやや増量されているが、それでもなお美しい形状が維持されている事がうれしかった。半世紀以上もの長きに亘って、基幹鉄道の優等列車の優等車両用の座席として君臨し続けたこの形状の座席に対して、惜しみない賛辞を送りたい。

 

 ありがとう、さようなら、名優キハ181系、キロ180形グリーン車。

 ありがとう、さようなら、栄光の国鉄特急グリーン車、R28形リクライニングシート。

 

20101110日公開 ここまで)

 

 

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