鉄道旅行記 2005年夏 2005108日(土)全面公開)

 

 今年の夏も“青春18きっぷ”で旅行してきた。今回は、初乗車区間は無く、“青春18きっぷ”を使って高知のよさこいまつりや山陽・中国方面のおもしろい車両を訪ねることが主体となる。この為、「青春18きっぷの旅」という扱いにはしなかった。

 公開が遅くなってしまったが、旅行当時の所感をありのままに綴った。

 

 

今回の主なテーマは、

1.旅行計画…テーマの選定など

2. 高知よさこい紀行…土讃線・「特急南風号」・高知市内の国道・よさこいまつり・「臨時快速ムーンライト高知号」2005924日(土) 先行公開)

3. (番外編)和歌山市の鉄道取材…高架化工事中の紀勢本線・南海和歌山港線の今秋廃止になる3駅・旧ホームが残る紀伊中ノ島駅2005827日(土) 先行公開)

4.関西⇔九州間のブルートレインを撮影(今秋「彗星」廃止)

5. 「臨時快速瀬戸内おさんぽ号」…乗り損ねたグリーン車を訪ねて

6. 「急行つやま号」…急行なのにキハ48

7.「特急はまかぜ6号 グリーン車」…R27系統(R28形)リクライニングシートへの熱い想い2005917日(土) 先行公開)

上記237はシングルカット化した。

 

 

今回の旅程は、

★高知へ向かう(首都圏→高知)★

811日(木) 夜、首都圏出発「臨時快速ムーンライトながら91号」

812日(金) 東海道・山陽・土讃線経由で高知へ / 高知取材 / 夜、高知発「臨時快速ムーンライト高知号」

 

★帰省(関西にて)★

813日(土) 朝、関西の実家着 / 和歌山市の鉄道取材 / 夜、関西発「臨時快速ムーンライト九州号」

 

★山陽旅行…おもしろい列車を訪ねて★

814日(日) 「臨時快速瀬戸内おさんぽ1号」 / 「急行つやま号」 / 「特急はまかぜ6号 グリーン車」

 

Uターン(関西→首都圏)★

815日(月) 夕方、関西の実家出発「快速ムーンライトながら号」

816日(火) 朝、首都圏の自宅着

 

 812日(金)〜816日(火)…青春18きっぷ全5日分を連続使用。

  

主なネタは本文中で色を変えて両端に★印をつけておく。

 

 

 

★★旅行計画★★ 2005710日(日) 予告開始)

 今回は、“青春18きっぷ”を使って高知のよさこいまつりや山陽・中国方面のおもしろい列車を訪ねることが主体となる。

 旅行の話から逸れるが、実は、帰省をしなければならない現状にもどかしさを感じている。しかしながら私が首都圏を離れるのが難しそうなので、実家を関西から移す方向で話が進んでいる。ところが、不動産の確保で難航している。バリアフリー設計と駐車場確保に大きな関門があるため、希望する物件に移り住むのは2年近く先になりそうな気配である。そのようなわけで、あと数回は年老いた両親の元へ帰省しなければならない。

 そうは言っても、もしかすると帰省が不必要となる生活が年内にやってくるかもしれない。そのようなわけで、今回の夏の旅は西日本方面に行くことにした。

 また、今回は私にとっておもしろい列車を訪ねる事を主体にした。ではここで、今回の旅程の候補に挙がった、ぜひとも乗っておきたい車両について列記しておこう。

 他にも「寝台特急北斗星号」のA寝台二人個室や、一般形気動車による「特急はやとの風号」も気になるのだが、今回の旅程に馴染むものではない。いつの日か乗る機会を得たいものである。

 

 さて、今週末はいつもの旅行会社へ指定券の注文に行ってきた。 今回も美人の○○さんが担当してくれた。 「ムーンライト各号」の指定券が取れなかったら、すぐさま計画変更の必要がある。それにしても、「ムーンライト山陽号」が消えていたのは衝撃的であった。山陽の旅程に大きな誤算が生じた。

 そういえば、このごろ青春18きっぷネタの雑誌がやたら多い気がする。中高年向けのものが目に付く。実は、この旅行会社にて美人の○○さんから「乗車券は18きっぷですよね。」と言われた。確かにそうなのだが、自分の歳のせいなのかなぜか妙に照れくさい気分になった。言われるよりも前に特急グリーン車も予約しておいて正解だったと思う。

 

 さて、ここからは本題の旅行記である。本文は2005108日(土)にようやく公開できたわけであるが、旅行当時の所感をありのままに綴った。

 

★時刻表★

 かつては旅行計画の度に千円程度の大型時刻表を購入していた。JTB版は図書館でも見られるので交通新聞社版を買うことが多かった。巻頭の特集によって選ぶこともある。20057月号は諸般の事情によりJTB版を購入した。

 昔は大型時刻表を持って旅行に出かけていた。しかし、西日本方面へ行くならば交通新聞社の「全国携帯時刻表(500円)」がお勧めである。阪和線のような高密度路線でも各駅停車まで詳しく掲載されている。先の冬の帰省と同様に、今回も「全国携帯時刻表(500円)」を持って出かけた。

 

 

★高知へ向かう(首都圏→高知)★

2005/8/11(木)

品川23:55→大垣(翌朝)555 東海道本線 9391M「臨時快速ムーンライトながら91号」 10連 クハ189-509

 関西方面へ向かうよくある旅程なので通常ならば「特記事項無し」とするところだが、変わった出来事があったのでこのコーナーで取り扱うことにする。日付が変わってからの最初の停車駅である横浜までは普通乗車券で乗る。12日横浜から青春18きっぷを使い始める。

 どうやら私の隣席の女性とその後ろの席の女性がお連れのようである。後ろの席の女性の隣は見知らぬ男性とのことなので、後ろの席の女性と席を代わってあげた。窓側だということもあり、とても喜んでもらえた。

 

2005/8/12(金)  「臨時快速ムーンライトながら91号」の車内にて日付が変わる

 さて、最近はアスベスト被害が急激に注目を集めており、アスベストが使われているこのような国鉄型車両の淘汰が加速するかもしれない。

 座席の質が高い10号車を選んで乗ったわけだが、冷気がまわってこずに暑かった。車両のくたびれた感がぬぐえない。

 なんと、乗り遅れた客を待つ為に小田原で後続列車の接続を待ってからの発車となった。所定では1:10発であるが、1:26頃発車した。熱海から先は他社にまたがるのに大変である。いくらこの列車自体に時間的余裕があるとは言え、貨物列車に影響が出たら困るであろう。遠くから見ただけなので確かな事は言えないが、子供連れが十人位乗り移ったように思う。

 終点大垣到着前には、「大垣ダッシュ」で必死に走らなくて済むように4号車辺りまで進んでおいた。

 

大垣601→米原638 東海道本線 205F 4連 モハ223-2158

 醒ヶ井などの駅では「米原市」と変えられた標記を見かけた。

 

米原644→網干932 東海道本線・山陽本線 2311M新快速 12連 サハ223-1020

 私の夏休みの日程とよさこいまつりの開催期間を考慮すれば、今回の高知訪問は812日しか選択肢がなかった。そう、よさこいまつりの為に実家がある関西を素通りして高知へ向かうのである。

 女性車掌による車内放送は明瞭で感じの良いものであったが、放送の度に目が覚めるほどの大音量であった。

 網干ぐらいまで来ると12両編成だと空席も多くなる。隣に人がいるならば空いている席に移ればいいと思うだろう。しかし、大阪から私の隣席に乗ってきた若い女性は大きな荷物を身の回りに置いたままずっと眠っていた。時々目が覚めていたようので空席がたくさんあることぐらいわかっていたであろうに、オレみたいな変な男の隣でよくもまぁ熟睡できるものだ…。私は窓側にいたし、彼女の荷物が多かったので、私が席を移ることは困難であった。

 網干で「歯磨き時間」を取る。実はこの2311Mと次に乗る719Mは西明石でも乗り換えが可能であるが、所要時間の差を活かして「歯磨き時間」を捻出した。

 

網干948→相生957 山陽本線 719M 4連 サハ223-1019

 網干には車両基地がある。この列車はこの先、前4両だけでの運転となる。

 

相生1032→岡山1134 山陽本線 1313M 3連 クモハ115-1513

 転換クロスシート化された3両編成の電車は、接続を受けて激混みになった。この列車の発車間際になって、8両編成の後続臨時列車がある旨が放送されたが、そちらの臨時列車に変更する乗客はほとんどいなかった。隣に座ってきたおばさんは青春18きっぷのマニュアル本を見ていた。どうやらモデルコースが記されており、それに従って行動しているらしい。とりわけ今年は青春18きっぷネタの本が多く出回っており、時刻表を見ながら旅程の工夫すらしないようなドシロウト旅行者が多いようである。

 岡山到着前には0系新幹線に追い抜かれた。

 

岡山

 よくあることだが、乗り換え時間が短い場合には、その次の列車の乗り換え案内がなされる場合がある。とりわけ次に乗る「快速マリンライナー27号」も乗車時間が長いので立ちっぱなしというわけにはいかない。そのようなわけであらかじめ乗り場を調べておいた。急いだ甲斐があって座席にありつけた。

 さて、ここまで西へ西へと進んできたわけだが、ここから南へと進路を取り四国を目指す。南海道へ南下移動…。

 

岡山1144→坂出1223 宇野線・本四備讃線・予讃線 3147M「快速マリンライナー27号」 5連 5203

 「快速マリンライナー号」は、JR四国5000系とJR西日本2235000番台の混成部隊である。この列車にはグリーン席がある。四国寄り先頭車両の2階がシートピッチ1,000mmのグリーン指定席であり、1階がシートピッチ980mmの普通指定席である。どちらもリクライニングシートである。また、運転席の後ろ側もグリーン扱いである。JR東日本の普通列車用グリーン車のシートピッチが970mmである事を考慮すると、「快速マリンライナー号」の場合は1階席よりも2階席、および眺望の良い方が上級という位置づけになると受け止めることができよう。

 早島から窓側に移れたので、内海多島群景観を眺めながら四国に渡る。瀬戸内海に浮かぶ島々にも行ってみたいものだ。

 すっかり高架化された坂出駅に降り立つ。

 

坂出1233→阿波池田1404 予讃線・土讃線 253D 65582連 キハ65-26 

 久々に乗客全員が座れる列車である。キハ58とキハ652連だが、デッキと客室が仕切られた急行仕様が息づいていた。ただし、冷房の効きが悪くて車内は暑かった。

 多度津には少林寺拳法の総本山があり、学生時代も本山合宿で訪れたことがあった。

 多度津停車中におにぎりを購入し、車内で食べた。停車時間が長い琴平で歯磨きをした。

 讃岐財田でまとまった下車があった。ここから県境をこえる猪鼻越えにさしかかる。

 坪尻には後進で進入する。「なぜバックするの?」とおじさん二人連れに尋ねられた。「スイッチバックです。後で説明します。」とだけ言い残して撮影の為に急いで列車から出た。すぐさま発車である。では、私が彼らにした説明をここに再現しておこう。「坂に弱い蒸気機関車の時代には、きつい坂の途中に駅を作ることはできませんでした。そこで、本線から外れた水平な所へ駅と引込み線を作りました。土讃線にはこのような駅が二つあります。」

 件のおじさん二人連れは、徳島の阿波踊りへ向かうとのことであった。

 

阿波池田

 ここはこの先の旅程を判断する場所である。天候などの事情により「よさこいまつり」が中止になってしまえば、この辺りで高知へ向かうことを打ち切ればいいのである。この阿波池田か、あるいは先ほど徳島線の列車と行き違った一つ隣の佃から徳島へ向かい、フェリーと南海電鉄を乗り継いで実家に帰省すればいいのである。しかし本日は快晴であり、予定どおり高知へ向かう。

 阿波池田から先、高知へ向かう普通列車は15:30発の4265Dまで無い。しかし、1410発の「特急南風11号」に乗れば、高知にはその1530よりも前の1516に到着できるのである。ここは、特急でのワープを選択する。さて、ワープの選択ならばいくらでもある。同様に100km弱のワープならば、岡山→阿波池田間を「特急南風9号」でワープして、阿波池田からはもう1本前の普通列車4251Dに乗り込むことだって考えられる。しかし、高知着は私の選んだ乗り方の方が早いのである。そのようなわけで、この駅にて特急券と乗車券を購入する。

 通常の旅行では乗換えなどで長く滞在できる街では散策などを楽しむのだが、今回はとりわけ高知を目的地にしているので、阿波池田での滞在はもとより考えていない。そんなに高知に行きたければ飛行機か特急乗り継ぎで行けばいいだろうと言われるかもしれないが、青春18きっぷと特急列車でのワープをうまく組み合わせる事も醍醐味なのである。

 普通列車の乗り継ぎに比べて、高知の滞在時間に3時間の余裕を生み出す事ができる。阿波池田⇔高知間は、特急列車でおよそ70分であるが、普通列車だと2時間半もかかる。JR四国では特急列車と普通列車では利便性にあまりにも差がありすぎる。ちなみに、4265Dは、阿波池田15:30→高知1803である。

 いろいろ撮影したいので、外が明るいうちに高知入りしたい。時間に余裕も持ちたい理由のもうひとつは入浴である。私は皮膚があまり丈夫ではなく、自分の汗でもかぶれる場合があるので入浴は欠かせないのだ。1999年夏、青森市で入浴したものの体のほてりがなかなか収まらなくて時間がかかってしまい、列車への乗継が危ない事があった。とりわけ地方に行くとタクシーをすぐに捕まえられそうにもないので要注意である。そのようなわけで、入浴の為にも高知滞在時間を確保したかったのである。

 ところで、今年3月に発生した宿毛駅事故により、本当ならば宿毛発着となる列車は東宿毛発着で運転されている。しかしながら、乗車案内表示には「宿毛」と記されていた。

 

阿波池田14:10→朝倉1527(実際は5分ほど遅れ) 土讃線 41D「特急南風11号」 4連 2115

 ★★ここから先、今夜高知を去るまでを「高知よさこい紀行」として独立コーナーにする。★★

 

高知2258→大阪(翌朝)541 土讃線・予讃線・本四備讃線・宇野線・山陽本線・東海道本線 9238レ「臨時快速ムーンライト高知号」 3連 オハフ15-42 

 今年5月、JR東海の14系客車4両がJR四国へ譲渡された。老朽化したJR四国の12系客車に代わって多客臨を引き受けるものと思われる。そうなれば「ムーンライト高知」のグリーン車も終焉を迎えるであろう。なんと2号車のカーペット仕様のグリーン車は洗面所が壊れて使用停止になっていた。そろそろやばそうだな。

 新改で対向の特急と行き違いの為にスイッチバック運転停車を行う。先ほど、土讃線にはスイッチバックの駅が二つあると記したが、もう一つがここである。さて、この列車は上り京都行きであるが、かつては下り高知行きがこの駅で運転停車をしていた。「快速ムーンライト高知号」は出発時刻などを調整しやすい列車のはずである。高知の発車時間を少し遅くすれば隣の土佐山田で列車行き違いが可能である。それにもかかわらずわざわざスイッチバックを行っているのは機関車の運転技術を風化させない為ではないかと私は思う。

 

 さて、常識の無い乗客が近くにたくさんいた。

 高知で列車に乗り込んだ時には私の隣席に学生風の男がいたが、どうやら直後に連れの女性と場所を代わったらしく、私の隣に女性が来た。男女数人のグループらしく、その通路を挟んだ隣にも連れの女性が移ってきたようだ。昨夜のように彼女達を隣同士にしてやろうかと申し出たが、通路を挟んだ隣の隣が無関係の女性なので席を代わらなくても結構だと答えが返ってきた。この答えにずいぶん感心した。ここまでは良かった。しかし、同じグループの男どもが夜中に入れ代わり立ち代わりやってきて話していた。これは気忙しかった。しかも、最初私の隣にいた男は深夜帯にもかかわらず近くの席の人たちに席を代わってもらえないかと交渉していた。私にはそんな事を言ってこなかったが、非常識極まりないアホである。そのアホは私の隣にいるきれいな女の子に気があるに違いない。よくわかったよ…。

 私の後ろは学生風の別の男三人連れがいた。青春18きっぷよりも普通乗車券の方が全体の旅程では安くつくかもしれないと車掌に言われたらしく、車掌が立ち去ってから乗車変更をめぐって大声での会議が始まった。しかも、「電波が届かねぇ」などと騒いでいる。アホは時刻表も持たずに携帯サイトで調べようとしているみたいだ。こういう愚民どもがいるので耳栓で自衛する必要がある。

 

2005/8/13(土)  「臨時快速ムーンライト高知号」の車内にて日付が変わる

 多度津では予讃線からやってきた「快速ムーンライト松山号」との併結を行う。驚いたことに「快速ムーンライト松山号」の先頭は、DE10ではなくEF65であった。ほとんど眠っていたのでこのあたりの担当機関車がどのように変更されたのかわからなかった。ちなみに高知からの機関車はDE10-1138である。

 

 

★ようやく関西の実家に帰省した。★

★★この日は和歌山市の鉄道取材に出かけた。★★

 

★★山陽旅行…おもしろい列車を訪ねて★★

 夜からは、おもしろい列車を訪ねる山陽旅行に出発する。このページに限って言えば、ここが最主要コーナーであると言えよう。

 ところで、今回の旅行の計画段階では「臨時快速ムーンライト高知号」のグリーン車の惜別乗車を考えていた。高知旅行は12日であり山陽旅行は14日なので、13日は青春18きっぷを使わずに乗車券とグリーン券で阿波池田から大阪までグリーン車に乗り、14日の0時過ぎから乗車できる「臨時快速ムーンライト山陽号」から再び青春18きっぷを使おうかと考えていた。しかし、「臨時快速ムーンライト山陽号」が運転されないのでこの構想はつぶれてしまったわけだ。「臨時快速ムーンライト山陽号」のダイヤが生きていれば、岩徳線の初乗車も旅程に組み込めたのだが…。

 

★関西⇔九州間のブルートレインを撮影(今秋「彗星」廃止)★

 さて、今年10月のダイヤ改正で「寝台特急彗星号」が廃止になる。現在は「彗星」と「あかつき」が併結されているが、ダイヤ改正後は「あかつき」と「なは」が併結となる。二十余年前の夏と同様に新大阪駅にて関西発九州行きのブルートレインを見ようかと考えていた。しかし時間の都合で、大阪駅にて今夜は「彗星・あかつき」を、明晩は「なは」を撮影する事にする。

 大阪駅の新3番線は機関車が立入禁止の所まで行ってしまわないので、停車列車の先頭部分を撮影する事ができる。さすがに「彗星」の惜別撮影者が多かった。「彗星」に併結されている「あかつき」の座席車に三ノ宮まで乗ろうかとも考えたが、「彗星」の廃止が発表された85日の翌日には席が取れなかった。なお、寝台特急の短区間乗車は、本来の利用者に迷惑がかからない範囲にとどめておくべきであろう。

 

 

 新大阪始発の「臨時快速ムーンライト九州号」に乗るべく新大阪駅へと向かう。

 新大阪駅の天井はアスベストが剥き出しである事が発覚したために、それを覆い隠すようになっていた。

 

新大阪2201→下関(翌朝)534 東海道本線・山陽本線 9231レ「臨時快速ムーンライト九州号」 8連 オハ14-251 EF65-1137

 「臨時快速ムーンライト山陽号」が設定されない影響なのか、6連だった「臨時快速ムーンライト九州号」が8連になっていた。5号車にもスハフ14が入っていた。また、以前は京都発着だったが新大阪発着になっている。

 ここでも常識のない乗客に出くわした。私の前席にいた二人組みは座席を向かい合わせにして、大音量でラジオをつけたりしていた。おまえら消えてくれ。こういう愚民どもがいるので耳栓で自衛する必要がある。

 私の隣席はほぼ同年齢の“同業者”であった。彼とは姫路あたりまで話し込んだ。彼は「SLあそBOY」が目的とのことだ。私が初めて九州に行ったのは1996年の夏であり、その時に「SLあそBOY号」を旅程に組み込んだ。さて、その「SLあそBOY号」だが、蒸気機関車58654の老朽化により、平成17828日、もうすぐ運行が終了される。586548620形蒸気機関車であり、大正11年に誕生して以来昭和50年まで九州各地で活躍し、昭和63年に「SLあそBOY」として復活した。復活運転を始めてから17年になる。最近では単独での列車牽引ができなくてディーゼル機関車に助けてもらっており、見ているだけでかわいそうだ。復活蒸機の中でも最高齢である。近年は寿命を15年程度に割り切った車両も登場しているという事を考慮すれば、復活運転だけで17年というのもすごい話である。今回は「SLあそBOY」を旅程に組み込まなかったが、蒸気機関車58654への惜別として記しておこう。

 

2005/8/14(日)  「臨時快速ムーンライト九州号」の車内にて日付が変わる

 それにしても暑い。寒がりな私でも暑い。冷房の様子を見にいたら送風になっていた。車掌さんに少しだけ申し出てみようかと思った矢先に“冷房2”までランプがついた。なんとか眠る事はできた。

 あと一駅先の九州まで行きたいところであるが、旅程の関係上、今来た山陽本線を引き返すことになる。「臨時快速ムーンライト九州号」は早朝の厚狭にも停車するが、厚狭で下車しても下関で下車してもその先の旅程は同じとなる。

 

下関543→新山口649 山陽本線538M 4連 クハ115-3021 モハ114-3509

 先ほど乗ってきた「臨時快速ムーンライト九州号」がまだ下関に停車しているうちにこの列車は発車する。あぁ、九州は目の前なのに・・・。

 山口県内の山陽本線を昼行列車で移動するのは初めてである。転換クロスシートの車内にて実家から持ってきたおにぎりを食べた。

 現在や過去の特急停車駅をじっくり見ながら東へと進む。新幹線と接続となる新下関はかつてキハ181系の「特急おき号」が停車した。小野田もかつては寝台特急停車駅であった。厚狭・小野田・宇部、3駅連続で選択停車駅であった。

 この列車は徳山行きであるが、この列車を新山口で下車して、当駅始発の列車に乗り換えることにする。

 

★新山口★

 2003年、「新幹線特急のぞみ号」の停車に伴って小郡から新山口に改称された。

 かつて、東京毎時0分発は博多行きの「最速ひかり号」であった。「最速ひかり号」の停車駅は名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小倉であった。しかし、私が1987年に015形に乗車した東京1600発の「ひかり29号」のような一部の例外が小郡に追加で停車していた。小郡は山陽区間の新幹線の小駅では一つ上の地位を持っていたわけである。そのようなわけでこの駅に関心があったのだ。

 

新山口720→広島9:48 5340M「快速シティライナー号」 クハ115-218

 変わった形状のクロスシートである。ロングシート部分を削ったためにシートピッチが大きく取られている。ヘッドレストの欠き取りが大きいので背中合わせになったセーラー服集団の話し声がうるさかった。

 大道では遅れてやってきた「寝台特急はやぶさ・富士号」と行き違った。

 寝台特急停車駅の防府は高架ながらプラットホームは1面だけの簡素な駅である。

 徳山も「新幹線特急のぞみ号」が停車する。華々しく登場した「のぞみ」はなんだったのだろう? 「ひかりレールスター」と所要時間がほとんど変わらない「のぞみ」も多い。「のぞみ」停車駅を通過する「ひかり」だってあるくらいだ。かつての「最速ひかり号」の方がよほど威厳があった。いっそ「のぞみ料金」は廃止してはいかがか。

 櫛ヶ浜からは岩徳線が分岐している。岩徳線は旧山陽本線である。本当は「臨時快速ムーンライト山陽号」があればこの路線も訪ねることができたのだ。

 下松の隣の光もかつては寝台特急停車駅であった。

 柳井では、下り列車到着時にJR東日本で聞かれる発車時のメロディが流れて興醒めした。また、上り1番乗り場には「あさかぜ」の乗り場表記が残っていた。

 宮島口は1997年夏に下車したことがあった。その時にはプラットホームに昔の列車名が残っていた。

 

★ヒロシマ★

 8月上中旬、ヒロシマといえば、やはり原爆ドームは外したくない。原爆ドームへは1997年夏に訪ねたことがあった。今回も再訪を計画していたのだが、残念ながら「臨時快速ムーンライト山陽号」が無くなったおかげで、この構想も潰えてしまった。平和の尊さや戦争無き世界について思いをめぐらしたい。今こうして不要不急の旅行ができるのも平和ゆえである。私は闘争や暴力を完全否定はしないが、行き過ぎた闘争と無差別の暴力は絶対にあってはならないと思う。今回は旅程の都合で原爆ドームを訪ねることはできないが、気持ちだけは原爆ドームに向けておこう。今一度、平和への思いを新たにしておきたい。

 さて、この時期は終戦やお盆など、死者への思いをめぐらす時期でもある。帰郷心が高まる季節なのだ。

 

 

★★★「臨時快速瀬戸内おさんぽ号」…乗り損ねたグリーン車を訪ねて★★★

広島1006→三原1224 山陽本線・呉線 9670M「臨時快速瀬戸内おさんぽ1号」 スーパーサルーンゆめじ3

 「臨時快速瀬戸内おさんぽ1号」は、「スーパーサルーンゆめじ」による全車グリーン車指定席の3両編成である。どういうわけか上り列車なのに「1号」を名乗っている。

 国鉄末期からJR初期にかけて新車ラッシュがあった。私が注目した車両の一つが、瀬戸大橋を渡る「快速マリンライナー号」のグリーン車として1988年に登場したクロ212形である。宇高連絡船のグリーン船室に替わる車両だ。「新車だ」という意識を持っていたところ2001年に廃車されてしまった。所用で四国へ行って帰ってきた直後に廃車の予定を知ったので悔しくて仕方が無かった。しかし、クロ212形には姉妹がいた。それが「スーパーサルーンゆめじ」である。JR西日本が1988年の瀬戸大橋線開業時に1編成だけ新製した団体・イベント用の車両で、「快速マリンライナー号」のグリーン車クロ212形と同仕様の3両編成である。「快速マリンライナー号」の車両は1M方式の213系であったが、グリーン車は重い鋼製車体なので電動車はユニット方式の211系(クモロ211、モロ210)となった。また、かつて「快速マリンライナー号」が213系だった時代には「スーパーサルーンゆめじ」が定期列車に組み込まれる事もあった。

 今秋にはキハ40系による呉線観光列車が登場するらしい。そうなると「スーパーサルーンゆめじ」による「臨時快速瀬戸内おさんぽ号」もどうなるかわからない。ちなみに、本日は「臨時快速瀬戸内おさんぽ号」の今期の最終運転日である。

 

 シートピッチはなんと1,300mm。座席は窓側や通路側に向きを変えることもできる。ヘッドレストはご覧のように眺望を考慮した形状になっている。なお、「スーパーサルーンゆめじ」は団体・イベント用という事もあり、テレビやカラオケの機能も用意された。

 実際に乗ってみると、列車の揺れにあわせて座席が左右の水平方向にガタガタ動くのである。建てつけの悪さにはちょっと驚いた。

 このように座席を横向けにすることができる。「快速マリンライナー号」が登場した当時、はじめは乗客を迎え入れる前に座席を横向けに整えていた。しかし、ビジネス利用客も多く、ほとんどの乗客が座席を前向けにしてしまうために、早々に座席を前向けに整えるように変更になった。ところが今回乗車した「臨時快速瀬戸内おさんぽ1号」では、海側の乗客は喜んで座席を横向けにしていた。この車両の特色が活かされた形になったわけだ。

 私の指定席は1号車のクロ212-1001であったが、車掌さんの許可をいただいて先頭の3号車クモロ211-1へ移った。空席に余裕があるらしく、私よりも前にこのように申し出る乗客が他にもいた。クモロ211ならば前面展望とモーターの音を連動して楽しむことができるのである。

 ここでも青春18きっぷのルールを理解していない乗客がいた。グリーン料金を払えば青春18きっぷでこの列車に乗れると思っているらしい。他、最悪なのはこの列車が停まらない途中駅までの乗車券を持った男女二人組であった。車掌とのやり取りをはじめから聞いていたわけではないので確かな事は言えないが、注意を受けただけでグリーン料金を徴収されていないのではなかろうか。どういう理由があろうが、この列車に乗るための最低必要な料金は支払わせるべきであろう。臨時列車の注意を促す駅構内の放送ぐらい聞いておけよ、バカ!

 広ではあまり使われていない3番線着発となった。

 呉線はかつては急行や寝台特急も走った幹線であるが、路線の東側には20km/hの速度制限箇所が点在する。確かな理由はよくわからない。

 “グリーン船室”での瀬戸内海の旅が終わると三原に到着である。93.4km100kmまでのグリーン料金で収まる距離である。

 この列車は三原到着の4分後に「2号」として折り返すわけだが、なんと客室内の手入れはなされなかった。座席があっち向いたりこっち向いたりしたまま新たな乗客を迎え入れるようである。グリーン車なのにこれでいいのかなぁ。

 

 

 

三原1228→福山1258 山陽本線 5346M「快速シティライナー号」 クハ115-622 (クハ111-139

 三原・糸崎・尾道と主要駅が連続する。かつては寝台特急の選択停車駅であった。糸崎は現在では寝台特急が停車しないが、かつては糸崎機関区があり、岡山⇔広島間における最主要駅だった時代もある。昨夜乗ってきた「臨時快速ムーンライト九州号」は糸崎にて運転停車を行う。

 さて、この5346Mは昔ながらのセミクロスシートであった。山陽本線のこのあたりでは下関寄りの1号車が弱冷房車となる。弱冷房車のクハ115-622に乗っていたのだが、先頭のクハ111が珍しかったのでそちらに移ってみた。111系の電動車は現存しない。111系・113系・115系は付随車の互換性がある。クハ111-139には扇風機のスイッチも残っていた。しかし、この車両こそが真の弱冷房車であり、あまりに暑かったので早々に立ち去った。

 

福山1300→岡山1348 山陽本線 7736M「快速サンライナー号」 4連 クハ116-15 モハ116-30

 7736Mは土曜休日の運転である。ワンマン運転であった。

 この列車が通過する金光駅は、宗教の臨時列車に対応する為に全部で3本ものプラットホームがある。

 新幹線と接続となる新倉敷はかつて上りの「寝台特急あさかぜ号」が停車した。

 

 

 

★★★「急行つやま号」…急行なのにキハ48★★★

岡山1422→亀甲1532 津山線 952D 2連 キハ120-330

 「急行つやま号」に乗る為に津山線を行く。この先は「急行つやま号」で折り返してくるので、急行停車駅の様子などを予習しながら進む。952Dは岡山発車時からすでに混んでいた。

 この列車で終点の津山まで行っても、7分後に津山始発15:52の「急行つやま号」で折り返すことは可能である。しかし、単線路線ゆえに、もしもこの列車が遅れたりしたらこの列車の到着と同時に「急行つやま号」が発車してしまうだろう。

 津山⇔岡山間の営業キロは58.7kmだが、津山の隣の急行停車駅である亀甲の場合、岡山までの営業キロは49.1kmである。亀甲→岡山なら50kmまでの急行料金で収まるのである。いくらおもしろがって「急行つやま号」に乗りに来たとはいえ、100kmまでの急行料金や割高な地方交通線運賃を多めに出費したいとは思わない。また、亀甲は始発の津山の次の停車駅なので、亀甲から乗っても乗客の動向はじゅうぶんつかめるのである。

 津山ならかつて訪れたことがある。見知らぬ町、ローカル急行の停車駅に降り立つのも楽しかろう。そのようなわけで亀甲で下車することにする。

 亀甲は亀の意匠の駅舎で有名である。ここは依託駅であり、女性が発券していた。なんと、車掌が持っている端末機器で発券しており、発券してもらった薄っぺらい乗車券と急行券には“岡山駅”と印字されていた。

亀甲16:02→岡山1652 津山線901D キハ48 2連 「急行つやま号」 キハ48-1003

 今回の旅の主要テーマの一つ、「急行つやま号」である。

 特別料金を徴収するJRの急行列車ながら、平成も17年になる今日、普通列車用の車両で運転されているのである。前任の急行形車両の老朽化に伴って2003年に車両が置き換えられたのだ。キハ40系には、デッキが無くて乗降扉が車両の中央寄りについたキハ47という車両がある。これが急行仕業に就くと知った時には大変驚いた。当然、鉄ヲタ界に激震が走った。

 しかもこの急行列車は同区間を高頻度で走る「快速ことぶき号」と停車駅が一つしか違わない。同区間の最速便は岡山行き「急行つやま号」の60分であるが、「快速ことぶき号」と数分しか違わない。「急行つやま号」は“特別料金の必要な普通列車”とも言われている。

 「急行つやま号」が急行として残っているのは沿線自治体が優等列車ブランドにこだわるからだとよく言われている。そのような例は全国的にいくつか見られる。また、通学客を排除する列車を設定する為だとも言われている。理由はどうであれ、通過駅が一つ多い以外は快速となんら変わらないというのがおもしろい。

 

 普通列車用の車両が急行仕業に就く事自体はそれほど珍しい事ではない。国鉄時代には臨時急行や北海道各地の定期急行でもそのような事例が数多く見られた。近年も221系の臨時急行があったし、現役定期列車の「急行かすが号」は「快速みえ号」と同じキハ75系が充当されている。しかしながら221系やキハ75系は転換クロスシートを備えたそこそこの車両であり、いくらなんでもキハ47と同列に論じることはできない。2002年まで「急行能登路号」というのがあった。これには普通列車用の415800番台が充当されていた。3扉でセミクロスシートの近郊形電車である。これには驚いた。「急行能登路号」は気動車時代には、新幹線の廃座席を転用した車両もあった一方でロングシート化された車両が仕業に就いた事もあったようである。すごいな、JR西日本の急行列車。

 ちなみに、JR九州ではキハ40とキハ47を改造したキハ140とキハ147が「特急はやとの風号」として現役の特急列車で活躍している。すごいぞキハ40系!

 

 普通列車の顔をした“急行列車様”がやってきた。この日はキハ482連である。“あのキハ47”でないのは少々残念であるが、普通列車用の車両である事に変わりはない。2両とも自由席である。

 亀甲では20人弱が乗り込んだ。急行が停車しない法界院に行きたいおばさんは急行乗車をやめた。

 

 窓側に肘掛が無いボックスシート、優先座席の模様がつくロングシート、吊り輪、座席の傍にある便所…これで530円や730円の急行料金が徴収されるのである。同価格帯の私鉄ロマンスカーなどと比べてみれば…。ロングシートにも乗客がいたが、胸中やいかに。

 冷房は程良く効いていた。私も暑かったし向かいの乗客も暑そうだったのでしばらく扇風機をつけた。

 車掌さんに尋ねたところ、お盆なので乗客が多いらしい。ゆったり座れて落ち着いた空間を確保できるという点で、この列車はそれなりのサービス水準を確保しているのではなかろうか。また、新幹線との乗り継ぎならば急行料金も半額になるので、多くの乗客にはそれほど負担感が伴わないのかもしれない。

 私は前寄りのキハ48-1003に乗り込んだ。後寄りのキハ48-5には31人乗っていた。あわせて80人程度である。弓削で4人乗車。福渡や金川でも12人の動きがあった。線内での下車があったのには少々驚いた。

 岡山の隣には法界院という駅がある。岡山⇔法界院間は運転頻度が高い。言わば法界院は主要駅である。この「急行つやま号」はその法界院を通過する。速度を確認しなかったが、法界院の前後数分はかなりの高速運転であった。最高速度の95km/hに達していたかもしれない。法界院よりも手前でチャイムが鳴り、岡山到着を告げる車内放送が入った。なんと法界院をものすごい速さで通過した。ただ単にこの駅に停まらないというだけではなく、ものすごい通過である。さすがにこれだけの速度で通過すれば、「快速ことぶき号」に所要時間で差をつけることができそうだ。また、単線行き違いの為に他の列車を待つ事も無かった。「急行つやま号」は津山線における最優等列車としての面目を保っているようである。

 一点気にかかった事がある。線内で見かけた他の列車はワンマン化改造がなされていたが、今回乗車した「急行つやま号」の車両はそのようになっていない。言い方を変えれば、手を加えていない車両に車掌を乗務させて急行列車に仕立て上げたものではないかと思えた。

 

 

 

岡山1722→姫路1847 山陽本線 1328M 4連 クハ115-1241

 岡山からだと座れない可能性もあるので隣駅の庭瀬まで行ってこの列車に乗ろうかとも考えていたのだが、岡山駅でいろいろ取材しているうちに1700発の下り列車に乗れなかった。

 この車両も転換クロスシートである。岡山地区では、特別料金が必要な急行よりも普通列車の方がいい座席を使っているという現象が発生しているのである。

 

 

 

★★「特急はまかぜ6号 グリーン車」…R27系統(R28形)リクライニングシートへの熱い想い★★

姫路19:05→大阪20:12 山陽本線・東海道本線6D 「特急はまかぜ6号」 7連 キロ180-12

 さて、1328Mを下車してから「特急はまかぜ6号」に乗り込むまでには、大阪方面へは新快速もあれば「特急スーパーはくと12号」だってある。「特急はまかぜ6号」は、同区間を走る特別料金不要の普通列車「新快速」よりも遅いのである。わざわざ「特急はまかぜ6号」を選ぶのはよほどのこだわりがあるからである。

 目的はグリーン車のR28形リクライニングシートである。「特急はまかぜ6号 グリーン車」のネタは独立コーナーにした。

 姫路にてJR東日本のSuicaをチャージし、大阪までの乗車券を購入した。

 「特急はまかぜ号」は、現行ダイヤにおいて神戸駅に停車する唯一の定期特急列車である。神戸市の商業的中心地は三ノ宮であり、全ての昼行旅客特急と一部を除く寝台特急は三ノ宮駅に停車する。神戸駅は東海道本線の終点であり、山陽本線の起点でもある。ポイントレールもあり、始発終着駅としての機能も持っている。また、時刻表での表記ではこの駅が市の代表駅となっている。かつては神戸発着の特急もあり、三ノ宮と神戸とで特急が選択停車していた時代もあったが、すでに三ノ宮が優勢になってから久しい。このあたりの事情を調査した事があったが、ここでは割愛する。

 神戸にてもう一人の乗客が下車した。なんとグリーン車客室内は私一人になった。グリーン客室内の全48席が私の自由な空間になったのである。この状況を何年待ち望んだことか…。「グリーン車内に自分一人だけ」という状況に憧れ続けて十数年、グリーン車に数十回乗り続けてきて初めての事態である。

 今回の旅行で「特急はまかぜ6号」に乗る事については、事前告知を行わないことにした。キハ181系惜別乗車を思い立つ人が出てきて、グリーン車内で一人になれるかもしれないせっかくの機会をつぶしたくなかったからである。

 

 

大阪

 単独運転がもうすぐ終了となる「寝台特急なは号」を撮影した。機関車あたりで十人以上が撮影していたのだが、驚いたことにその半分ほどが女性であった。

 それにしても本日は、「スーパーサルーンゆめじ」・「急行つやま号」・「特急はまかぜ6号 グリーン車」と、我ながら見事な旅程であったと思う。

 

 今夜は実家に泊まる。今回の帰省で唯一の実家泊である。

 

 

Uターン★

2005/8/15(月) 

 さて、帰省があれば当然ながらUターンがある。青春18きっぷでのUターンでは、今までは関西から首都圏まで一日がかりで移動してきた。しかし今回は、青春18きっぷを2日分使って夜行列車でUターンすることにした。他に旅行の予定は無いし、その方が楽だからである。よくよく考えれば、青春18きっぷでの帰省の回数をもう1回増やすよりも今回のように夜行列車を使った方が実家での滞在時間が長く取れるのである。

 いわゆる大垣夜行の上り列車に乗るのは、1992年のサロ165以来2回目となる。大垣は自宅から遠いので出発してからすぐに乗り込めるという印象がない。しかし考えてみると、大阪からわずか2回目に乗り換えられるところである。

 夜行列車は定期便の「快速ムーンライトながら号」にした。「臨時快速ムーンライトながら92号」よりも大垣発が19分遅いわけだが、乗り継ぎの都合で実家出発時刻も十数分の違いが出てくるのである。旅行会社の美人の○○さんのおかげで1席だけ空いていた禁煙席が取れた。ただし、「快速ムーンライトながら号」の373系は要注意であり、ボックス席や乗降扉に近い席は避けなければならない。「快速ムーンライトながら号」がうまく取れたので「臨時快速ムーンライトながら92号」から変更した。

 よく考えれば、「寝台特急なは号」の撮影は昨夜ではなく、今夜でも良かったわけだ。

 

尼崎2054→米原2221 東海道本線 3530M 新快速

 大阪からだと座れない可能性もあるので尼崎から乗車する。

 米原では、3530M34分後を走ってきた米原着となる「関空特急はるか54号」を見た。それには片手で数えられる程の乗客しか見かけなかった。さすがにこの時期では通勤客の帰宅特急需要は期待できないだろう。

 

米原2233→大垣2304 東海道本線 242F 3136

 転換クロスシートの3136連であり、「快速ムーンライトながら号」への乗り継ぎ組をじゅうぶん吸収できたようである。

 樽井では関ケ原行きの「ホームライナー関ケ原5号」を見かけた。関ケ原行きの列車自体も珍しいが、特急形車両が樽井経由で走るのも珍しい。

 

大垣2319→首都圏(翌朝) 東海道本線 390M「快速ムーンライトながら号」 9連 クモハ373-1

 大垣でも青春18きっぷのルールを理解していない人を見かけた。「快速ムーンライトながら号」に乗るにあたってここから青春18きっぷを使い始めようとしており、日付が変わる大府までは普通乗車券の方がいいのではと駅員さんから親切な提言を受けていた。当該の若い女性は「来る時は1回分でした」などと言っている。青春18きっぷの効力は距離や区間ではなく日付毎に変わるという事を理解していない人もいるみたいだ。

 さて、残念ながら隣席は変なおっさんだ。なんか臭いし、イビキをかいている。しかも頭上の電灯がチカチカ点滅しており最悪な気分だ。サングラスと耳栓が大いに役立った。

 

2005/8/16(火) 「快速ムーンライトながら号」の車内で日付が変わる

 上りの「快速ムーンライトながら号」は熱海まで全席指定なのだが、検札はなかなか来ず、豊橋辺りまでは通路に立つ客や下車客が多い。彼らは指定券を持っているのだろうか。

 さて、デッキに座り込んでいる乗客について気がついたのだが、もしかすると彼らは隣席の奴がキモイから避難してきたか、あるいは足が伸ばせて快適だからデッキに移ったのかもしれない。そのように思えてきた。

 驚いたことに深夜帯でありながら女性車掌が乗務していた。

 1時過ぎの浜松では「寝台特急サンライズ瀬戸・出雲号」と顔をあわせる。こちらはもうすぐ朝を迎えるが、あちらはこれからが夜なのである。

 

 せっかくだから大阪→東京間でおもしろい比較をしてみよう。

大阪21:00→東京4:42  3530M(土休3310M)新快速→242F390M「快速ムーンライトながら号」

大阪22:22→東京6:42  102レ「寝台急行銀河号」

 

 

早朝に首都圏の自宅に到着した。

 この日1日旅行する事も不可能ではないが、明日から仕事なのでゆっくり休むことにする。

 とりわけ青春18きっぷ3日目の山陽旅行は見事な旅程であったと思う。しかしながら、2日目や4日目・5日目はきっぷの効力をじゅうぶん活かしきれているとは言えないだろう。それでも別にかまわない。旅行への熱意が冷めてきたというわけではない。特急列車に乗れる周遊きっぷの期間内でさえも家でごろごろしている日だってあるぐらいだ。きっぷを限界まで使い切るような貧乏臭いことをする必要はないのだ。この夏も存分に楽しめた。

 

 

★編集後記★ 2005108日(土)

 日中の普通列車の旅は楽しいが、夜は宿泊か寝台車がいいと思えてきた。ある程度自衛はしているものの、非常識な乗客や隣に来られたら嫌な乗客への忍耐力が年々落ちてきた。決して体力が低下してきたわけではないが、夜行普通座席車が心理的にだんだんしんどく思えてきた。

 さて、帰省があるから旅行もするわけだ。私は夏が好きであり、普通列車の旅も好きだ。しかし2年後には帰省の必要が無くなる。さすがにひと夏に5日間も普通列車の旅に出かける事は再来年以降はできないかもしれない。そのような事情もあり、もしかすると年中行事としての青春18きっぷの旅は来年の夏が最終章になるかもしれない。

 

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