鉄道旅行記
「周遊きっぷ 和歌山・高野山ゾーン」 2004年から2005年にまたがる年末年始 (2005年1月16日(日) 公開)
この年末年始も関西に帰省することにした。当初の冬休みの計画では、残念ながら関西の滞在が
2005年3月のダイヤ改正で「寝台特急あさかぜ号」が廃止になる。大阪から東京へのUターン時にはぜひともこれに乗りたいと考えていた。また、「寝台急行銀河号」のコーナーで詳述するが、「寝台特急あさかぜ号」の廃止に関連して「寝台急行銀河号」のプルマン式A寝台車にも乗りたいと考えていた。
また、首都圏発着で関西地区の周遊きっぷゾーン券を利用する場合は、東海道区間で新幹線を利用すれば、出発地⇔ゾーン間の運賃が
5%しか割引にならない。しかし、在来線を利用する旅程だと出発地⇔ゾーン間の運賃が通常通り20%割引になるので、周遊きっぷを使う利点が活きてくる。(※片道ごとに新幹線か在来線か選択できる。距離の規定もあるので、詳しくは大型時刻表などをご覧いただきたい。)なによりも、もう何年も帰省しているわけだが、そろそろこんな人生は終わりにしたいと思っている。このような事情もあり、実家周辺の関西地区の鉄道を自由に乗降できる周遊きっぷは今回の帰省にうってつけなのである。
今回の帰省は、往路の「寝台急行銀河号」も、復路の「寝台特急あさかぜ号」も、「周遊きっぷ」も、全て一つの思考で繋がっているのである。
今回の主なテーマは、
1.
周遊きっぷ2.
帰省計画の変更3.
「寝台急行銀河号」A寝台車下段4.
南海電鉄「特急こうや号」で行く世界文化遺産・高野山5.
新大阪⇔大阪間など 周遊ゾーン内JR特急乗りまくり6.
(番外編)関西地区「シュプール号」の思い出7.
縮小されゆく東海道本線大阪駅8.
さようなら伝統のブルートレイン「寝台特急あさかぜ号」
主なテーマは本文中で
色を変えて両端に★印をつけておく。
★周遊きっぷ★
かつて周遊券というのがあった。ミニ周遊券やワイド周遊券にはよくお世話になったものだった。長年愛用されてきた周遊券は、企画きっぷの多様化に伴い
1998年3月に廃止された。しかし、その代替としてその時の改正で周遊きっぷが登場した。周遊きっぷはルールが煩雑で、周遊ゾーンでの有効日数がごく一部を除いて
5日間と短くて使い勝手が悪い。また、東海道区間の新幹線を利用する場合にはあまり割引にならない。不評のためにゾーンの廃止や縮小が繰り返された。私も周遊きっぷには見向きもしなかった。「周遊きっぷ 和歌山・高野山ゾーン」は、かつてよく使っていた「京阪神ミニ周遊券」や「南近畿ワイド周遊券」とは異なり、南海電鉄や和歌山地区のバスなどが利用できる。また、
JRの周遊ゾーン内で特急・急行の自由席に乗降自由なのはワイド周遊券と同様である。
★帰省計画の変更★
いつもお世話になっている近所の大手旅行会社では今回もマニアックな要望に応じてくれた。今回は、青春
18きっぷや安い指定券ではなく、急行A寝台券などの高額きっぷが主体となる。「寝台特急あさかぜ号」は、寝台の位置のみならず、号車番号にまでこだわった要望にも応じてくれた。24系ブルートレイン全盛期を彷彿させる、数字の大きな号車を希望した。現在の「寝台特急あさかぜ号」は編成が短く、通常は客車9両である。しかし、多客期には13号車まで増結される。13号車は喫煙車なので、禁煙の12号車を望んだのである。しかし
12月24日に、私が1月の代休を5日に充てることが決まり、冬休みが1日伸びてしまった。帰省計画の変更が生じたのである。周遊きっぷは、他の周遊きっぷへの変更はできるが、往復乗車券などの他のきっぷに買い換えるためには
420円の手数料を払ってキャンセルしなければならない。いろいろ検討した結果、周遊きっぷはそのまま使うことにした。往路の「寝台急行銀河号の
A寝台車」にも変更は無い。しかし、11月からマニアックな予約をしていた「寝台特急あさかぜ号」は変更を余儀なくされた。
2004
年12月29日(水)自宅を出発する。今回も時間に余裕を持って東京駅に着いておいた。「寝台急行銀河号」の急行寝台券は高額である。今回私が「寝台急行銀河号」の為に持っているきっぷは、周遊きっぷとは別に、急行
余談だが、
10月の新潟県中越地震の影響で上越線経由の夜行列車は運休している。ただし、北陸方面と首都圏を結ぶ「急行能登号」は12月30日から1月3日に限り運転されるようである。それにしても寒い。この寒い時期にプラットホームで列車を待つ気がせず、
22:40過ぎに銀の鈴待ち合わせ場所から9・10番線ホームへと上がった。
★「寝台急行銀河号」プルマン式
A寝台車下段★ 東京23:00→大阪(翌朝)7:18 東海道本線101レ「寝台急行銀河号」 24系客車9連 オロネ24-102(
101レ 運転区間:東京23:00→大阪(翌朝)7:18)
2004
年12月30日(木)「寝台急行銀河号」を降りてから一度実家へ向かう。
せっかく南海電鉄を利用できるきっぷを持っているので、
★南海電鉄「特急こうや号」で行く世界文化遺産・高野山★
新今宮13:43→極楽橋15:15 「特急こうや7号」 30000系電車4連 30003(運転区間:難波
13:41→極楽橋15:15)
2004
年12月31日(金)大晦日は何かと面白いのでずっとうちにいる。
2005
年1月1日(土)★(番外編)年末と正月★
正月ってそんなにいいのか? 私に言わせれば、正月とは年間を通じて最もつまらない時期である。
12月のような高揚感が無い。一年を振り返るような面白いテレビ番組は無いし、クリスマスイルミネーションのような華やかさも無い。どこに行っても静まり返っており、はっきり言っておもしろくない。街中が眠ったような状態なので旅行する気にもならない。しかも元旦の翌日からはさっそく「Uターンラッシュ」という言葉が新聞やテレビに登場して気分が沈んでくる。私は年末は好きだが、正月をも含めて1月というのはどうも好きになれない。この日はずっとうちにいて鉄道模型を運転したりしてすごした。
2005
年1月2日(日)★新大阪⇔大阪間など 周遊ゾーン内
JR特急乗りまくり★せっかく周遊きっぷを持っているので再び出かけることにする。
今回利用する周遊きっぷは新大阪⇔大阪間も周遊ゾーンに入っている。この区間は、「雷鳥」系統の北陸特急や「北近畿」系統の福知山線特急が高頻度運転されており、更に智頭急行鉄道や
JR東海からの乗り入れ特急もある。また、周遊きっぷのゾーン券では乗車できないが寝台特急も多く見ることができる。かつての京阪神ミニ周遊券では急行自由席を利用できたので、京都⇔大阪間で「急行ちくま号」・「急行たかやま号」や、大阪→新大阪間で「急行きたぐに号」に乗ったことがあった。また、私が大阪で勤務していた頃は、新大阪⇔大阪間は通勤経路内だったので、通勤が楽しくて仕方がなかった。
そのようなわけで、今回は周遊きっぷで新大阪⇔大阪間のさまざまな特急に乗ろうと考えていた。いろいろ凝った計画を練っていたのだが、実際は他の用事も兼ねて出かけたし、寒い季節は出かけるのが億劫ということもあり、結局夕方になってしまった。
「特急はるか
(運転区間:関西空港
16:18→京都17:31)「関空特急はるか号」に乗るのは初めてである。
新快速
「北近畿」系統の特急にも乗ってみたいと考えていた。本数の少ない「特急文殊号」に乗る為に、ここは特急を我慢して新快速で大阪駅へと急いだ。
「特急文殊
(運転区間:天橋立
15:02→新大阪17:24)「北近畿」系統の特急に乗るのは初めてである。隣の新大阪までしか行かない列車だからなのか、ホーム下の階段の所では案内表示が出ていなかった。
列車は遅れていた。
6〜9分の遅れの案内が出た。最終的には8分遅れだった。新大阪17:36発の「特急スーパーはくと11号」にはなんとか間に合いそうである。「特急文殊
2号」は大阪駅11番線着発である。新大阪・京都行きの特急は多くが10番線なのでこれは珍しい。大阪でほとんどの乗客が下車した。新幹線に乗り換える人は少ないのであろうか。やはり大阪地区の交通の中心は大阪駅なのだということを再認識した。座席の枕カバーには「北近畿ビッグ
Xネットワーク」という刺繍があった。この車両は
183系を名乗っているが、183系800番台電車は485系交直流電車から交流機器を取り除いたものであり、JR東日本で見られる本来の183系電車とは根本的に異なるのである。しかし、デッキには三相切換スイッチがあった。なんなんだこれは?
「特急スーパーはくと
(運転区間:京都
17:12→倉吉20:37)JR西日本所属の181系気動車「特急はくと号」に乗ったことはあるが、智頭急行鉄道所属のHOT7000系気動車「特急スーパーはくと号」に乗るのは初めてである。これは智頭急行鉄道経由の特急列車である。
客室には前面展望画面がついている。増
2号車がついた6連であった。大阪から大量の乗車があった。
(番外):「寝台特急日本海
(
4001レ 運転区間:大阪17:47→函館(翌日)11:27)11番線ホームから見たので寝台側がよく見えた。寝台側は、窓の大きさの違いで25形B寝台車の番台区分が一目で見分けがつく。驚いた事に25形B寝台車のほとんどが車齢の高い0番台車であった。近年は同じ宮原総合運転所所属の「寝台急行銀河号」において25形0番台のB寝台車はあまり見られない。ここからは私の推測である。走行距離が長く、かつ、自然環境が厳しい「寝台特急日本海1・4号」に25形0番台車を集中的に投入して、使うだけ使ってから近いうちに宮原総合運転所で廃車にするのではないだろうか。その代替として、「寝台特急あさかぜ号」の任務を終えた下関地域鉄道部下関車両管理室所属の100番台車両を迎え入れるというわけである。これはあくまでも私の推測なので話半分に読んでもらえばよい。
なんと、フル編成である。更に驚いた事に、しんがりを務める電源車は、先日私が東京から乗ってきた「寝台急行銀河号」に充当されていたカニ
24-104であった。大阪を拠点に東京へ行ったり函館へ行ったりしているのだ。がんばってね、と心の中で言っておいた。
大阪駅では、
17:54発の「特急スーパーはくと10号」には乗らず、2006年に列車名が消滅する「特急雷鳥号」に乗ろうと考えた。また、JR東海からやって来る19時台の特急にも乗りたかったのだが、寒いし疲れてきたのでそろそろ帰ることにした。「特急雷鳥
(運転区間:大阪
18:12→金沢21:02)北陸特急に乗るのは初めてである。懐かしの鉄道唱歌から車内放送が始まった。
この「特急雷鳥
41号」は、最初に運転士を交代するのは敦賀である。その敦賀よりも手前で、先ほどの「寝台特急日本海1号」を追い抜く。JR西日本では、2006年を目途に「雷鳥」系統の列車名を「サンダーバード」に統一する方針を示している。風格と伝統のある列車名がまた一つ消えようとしている。ちなみに、「雷鳥」を英訳しても「Thunderbird」にはならない。アホか。
「特急はるか
49号」 1049M 新大阪18:16→関西空港19:04 281系電車6連 モハ281-3(運転区間:京都
17:46→関西空港19:04)18:16 「特急雷鳥41号」から降りて、同じホームの反対側から今まさに発車しようとする「特急はるか49号」に乗り込んだ。なんと、先ほど乗ったサハ281-102がついた編成であった。
阪和線特急に乗って和泉府中に停車するのは初めての体験である。日根野では
2分遅れとの事だった。終点関西空港に向けて猛スピードで走っていた。関西空港線は線路などを南海電鉄と共同利用しており、ダイヤの構築や異常時の対応はとても大変らしい。開港
10周年だと掲げられた関西国際空港に再訪した。米原行きの「特急はるか(50号)」というものを初めて見た。
それにしても、固定窓で空調完備の特急形車両は実に快適である。駅でドアを開閉するたびに寒風が吹き込んでくる通勤形電車とは大違いだ。夏以外の季節に普通列車を乗り継いだ旅行はする気になれない。
余談だが、大阪地区での鉄道雑感として記しておこう。
3冊持ち帰った。私の家族も長澤まさみさんを知っており、かわいいと言っていた。今回の「シュプール号」だけに限らず、関西地区は私がいいと思う美少女アイドルを起用した広告に恵まれているような気がする…。★(番外編)関西地区「シュプール号」の思い出★
せっかくだから「臨時(急行)シュプール号」の思い出についても記しておこう。十数年前、京阪神・姫路・和歌山などから信州に向けて多数の「シュプール号」が運転されていた。定期列車の「寝台急行銀河号」の発車時刻を変更してまで「シュプール号」が運転された時期もあったほどである。
ある冬、私は「寝台急行銀河号」を大阪駅で待っていたのだが、同じ
9・10番線ホームではスキー用品を持った多くの若者達が「シュプール号」を待っていた。ビジネス列車とは異なり、行楽列車特有の高揚感と華やかさに満ち溢れていた。私は一人旅が好きなのだが、例外的にスキーだけは大勢の仲間と行った方が楽しいのである。いくら「寝台急行銀河号」が好きな私でも、冬だけは「シュプール号」の楽しそうな乗客達がうらやましかった。さて、ある時期、本来ならば定期列車の「寝台急行銀河号」が発車する時刻である
22:10に発車する「臨時急行シュプール○○号(列車名失念)」があった。それは高槻→大津間において後発の「寝台急行銀河号」と完全に並んで走っていた。「寝台急行銀河号」が外側線を、「シュプール○○号」が内側線を走行したのである。「シュプール○○号」は京都駅2番線着発であった。大津から先は「シュプール○○号」が先行した。「寝台急行銀河号」からは、並走する列車内でゲームや会話に興じる姿が多く見られた。さすがにこの季節は「シュプール号」が眩しく思えた。そんな私も「シュプール号」に
2回乗ったことがある。485系座席特急形電車と583系寝台特急形電車の併結運転で話題を呼んだ「臨時急行シュプール妙高・志賀3号」に1996年1月と1997年3月に乗った。いずれも大阪→京都間の乗車である。普通車指定席の券で乗車し、サロンカーとして開放されているサロ581にずっといた。「シュプール号」と大好きなR27形リクライニングシートを同時に楽しむことができたのである。なお、この列車のグリーン車はR27改形リクライニングシートのサロ481であった。かつては、「臨時(急行)シュプール○○
x号」という列車がたくさん運転されていたが、現在では数えるほどである。JR東日本では2000年度に「アルペン号」と改称されたが現在では運転されていない。さて、首都圏の自宅近所の駅ではスキー場へ向かう団体向けのバスが出ている。仕事帰りに時々見かけるのだが、駅前はスキールックの若者達が多くて華やいだ雰囲気になっている。かつての「シュプール号」への憧憬を思い起こさせる光景である。
2005
年1月3日(月)明晩実家を出発するので、この日はずっと家にいる。周遊きっぷのゾーン券の最終日である。当初の予定では、このゾーン券の効力を活かして大阪駅まで行くはずであったが、冬休みが1日伸びてしまったので仕方がない。
結局、ゾーン券は有効
2005
年1月4日(火)夜、実家を出発する。実家から大阪駅へ向かう為の某系統の列車は、なんと最終に乗っても大阪駅
大阪駅では、単独運転が終焉間近となる大分行きの「寝台特急富士号」を見た。荷物車からは新聞が多数降ろされていた。増結の無い寂しい編成であった。
駅構内に見られる「あさかぜ」の表示を撮影する人がちらほらといた。
それにしても寒い。大阪駅には改札内に待合室のようなものが無いという事に気づいた。
★縮小されゆく東海道本線大阪駅★
大阪駅の縮小工事が進んでいる。現在の大阪駅には、大阪環状線の
2線と東海道本線の1番から11番までの計13の乗り場がある。なお、1・2番線ホームは工事の為に使用停止中である。下りの
1〜4番と上りの9〜11番は多すぎて、ホーム毎の繁閑差が大きいと私も思っていた。しかし、ゆったりと構えたところが大阪駅の魅力だとも思っていた。車両の展示会など、臨時の用途にも十分応えることができていた。計画では、東海道本線部分は、
4線×2で8本、これに1本加えた9つの乗り場にするらしい。4線×2で8本というだけでもかなり寂しい気がする。ラッシュ時に新快速の乗客と北陸特急の乗客が輻輳して事故を誘発しない為に上りの1本を追加するとのことだ。いくらなんでも天下の大阪駅が
9番線までしかないというのは寂しすぎる。せめて大阪環状線乗り場にも番号をふって、10番線や11番線のような大きな番号を維持してもらいたいと思うのだが、戯言であろうか。
2005
年1月5日(水)★さようなら伝統のブルートレイン「寝台特急あさかぜ号」★
0:30 近い将来消えゆく大阪駅11番線に入線する、終焉間近の「寝台特急あさかぜ号」。
大阪0:32→東京7:33 東海道本線6レ「寝台特急あさかぜ号」 24系客車9連 オハネ25-193
(
6レ 運転区間:下関(前日)16:50→東京7:33)
7:33 「寝台特急あさかぜ号」は東京駅10番線に到着した。鉄道愛好家や鉄ヲタの集団が待ち受けていた。なお、この日は独特の節回しの構内放送は無かった。昨夕の下関から約1,100kmを走ってきた24系客車は、EF65PFに導かれて回送されていった。
2005年年始のUターンが終わった。いつまでもあると思うな、なんとやら…である。