豪華寝台特急「トワイライトエクスプレス」 20091230日乗車) 2010131日(日) 公開)

 

 諸般の事情により、2009年は2008年とは異なって旅行の楽しみが低下していた。そのようなわけもあって、2009年年末から2010年年始にまたがる年末年始の帰省は新幹線で単純に往復するだけの予定であった。しかし、旅程に凝ってみて、引退間近の「急行能登号」のグリーン車に乗り、さらに「寝台特急トワイライトエクスプレス号」に乗り継いで帰省する事にしたのであった。

 

【帰省往路の旅程】

20091229日 新宿23:10→大宮23:40 「臨時快速ムーンライトえちご号」

20091230日 大宮0:01→高崎1:03   惜別乗車「急行能登号」グリーン車

20091230日 高崎1:13→新津4:36   「臨時快速ムーンライトえちご号」

20091230日 新津4:40→大阪12:52  「寝台特急トワイライトエクスプレス号」シングルツイン

 東京→関西間の移動としては一般的ではない道のり…、一晩に3本もの夜行列車…。まるで鉄道マニアみたいだ。

 

  

★★★豪華寝台特急の車両への思い★★★

 「寝台特急北斗星」やその後に続いた豪華寝台特急群は“新しい列車”という印象があった。しかしながら、「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」も登場からすでに20年が経過したのである。

 1988年(昭和63年)、上野⇔札幌間に豪華寝台特急「北斗星」が登場した。同年、大阪⇔青森・函館間に運転されている「寝台特急日本海」がグレードアップされて札幌まで延長される計画があるという記事が新聞に載った。大阪と札幌を結ぶようになったその豪華寝台特急こそが、1989年(平成1年)に登場した「寝台特急トワイライトエクスプレス」なのである。私の中では、「寝台特急トワイライトエクスプレス」は「寝台特急日本海」の発展版といった印象がある。

 

 私にとっては、2425B寝台車の中でも0番台は古い車両で、100番台は新しい車両という印象があった。「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」は、0番台も多く改造して登場させたので長く走らせる気がないのだろうかと思っていた。そうは言うもの、0番台と100番台の車齢の差は最大でも6年程度であり、今から思えば大した差ではないのだ。

 ロイヤルのように改造によっていくらでも贅沢に作れるような車両にあまり関心は無い。また、窓並び等の編成美という点でも「北斗星」以降の改造による新形式には関心が持てなくなったのであった。

 

 

★★★「トワイライトエクスプレス」は札幌行き下り列車が主体★★★

 一般的に、寝台列車には乗客を拾う区間と降ろしていく区間がある。乗せるか降ろすかを決め付けられているわけではないが、具体的に言うと、深夜のせいぜい1時頃に停車した後は、4時台ぐらいまで客扱い停車を行わないのだ。大阪行き上り列車の「トワイライトエクスプレス」の場合、なんと、前の日の夕方16:19に北海道の洞爺を出てから新潟県の新津に4:23に着くまで12時間以上も客扱い停車を行わないのである。それにしても、これはずいぶん偏った時刻設定だ。

 一方、札幌行き下り列車の「トワイライトエクスプレス」の場合、新津を19:40に出ると、次は洞爺に7:17に着く。これは豪華列車でのゆったりとした旅行を楽しむのに最適な時刻設定だと言えよう。

 「トワイライトエクスプレス」は、札幌行きと大阪行きとでは停車駅が同じである。これほども有効時間帯にかかる区間が異なるので、他の夜行列車と同様に上下の列車で停車駅を別々に設定してもいいのではないかと思う。特に上り列車は、青森駅を通る時刻でも有効時間帯なので、函館あたりからもじゅうぶん集客できるはずである。

 そもそもこの「トワイライトエクスプレス」という名称は、“日本海に沈む夕陽を見ながら旅する列車”というコンセプトに基づいて名づけられたものである。つまり、大阪発札幌行きが主体なのだ。だからこそ、サロンカーの座席も日本海側に向けられているのだ。もっと言ってしまえば、「トワイライトエクスプレス」は大阪発札幌行きが主体であり、札幌発大阪行きは回送を兼ねたおまけで走らせているようなものなのであろう。

 なお、「トワイライトエクスプレス」は登場から今日に至るまで不定期列車である。行楽期のように毎日運転される時期もあるが、基本的に大阪発が月・水・金・土曜の運転であり、札幌発が火・木・土・日曜の運転である。

 

 今回私が乗車した新津→大阪間は、乗客を降ろしていく区間である。そうは言うものの、新津から大阪まで8時間以上も豪華寝台特急の旅を楽しめるので、私は今回の乗車を決めたのであった。新津より前からこの列車に乗っている他の乗客たちは、前日夕方の16:19以前に北海道から乗車しているのだ。私が乗車した「トワイライトエクスプレス」が新津の一つ手前の停車駅を出発した頃、私はまだ仕事中だった。つまり、私が仕事を終えて帰宅し、「急行能登」や「快速ムーンライトえちご」に乗っていた時間帯にも、「トワイライトエクスプレス」は私が乗り込む次の停車駅である新津を目指して走っていたというわけなのだ。すごい旅路だ。

 

★★★「トワイライトエクスプレス」乗車★★★

新津4:40→大阪12:52  「不定期寝台特急トワイライトエクスプレス号」シングルツイン オハネ25-523

   8002レ 運転区間:(前日)札幌14:05→大阪12:52 

 

 ここで、新津から大阪まででおもしろい比較をしてみよう。

・「急行きたぐに号」              583系特急形電車   7時間39分 585.4km(米原経由)

・「寝台特急日本海号」            EF81形電気機関車  7時間59分 565.9km(湖西線経由)

・「寝台特急トワイライトエクスプレス号」   EF81形電気機関車  8時間12分 565.9km(湖西線経由)

 遠回りしている急行が最も速い。線路状況が良い特急街道を、少ない停車駅で、電気機関車が牽引する短い編成で行くにもかかわらず、「トワイライトエクスプレス」のこの区間の表定速度は70km/hに届いていない。逆に言うと、特急街道故に、日中は足の速い電車特急を先に行かせる必要があるのだ。また、両寝台特急は、共に大阪行きにおいては敦賀にて機関車の交換を行うのである。

 ちなみに、「トワイライトエクスプレス」は、札幌行きより大阪行きの方が全区間の所要時間が1時間程度長い。

 

 

 4:36に「臨時快速ムーンライトえちご号」で新津に着くと、すでに「寝台特急トワイライトエクスプレス号」が停車中である。驚いた事に、ここから「トワイライトエクスプレス」に乗り込む乗客が他にもいて、私の後に一人が続いていた。

 当該ホームに降り立った次の瞬間、発車2分前なのに、なんと目の前で乗降扉が閉められた。確認を行っていた9号車の車掌に手を振って扉を開けてもらった。びっくりした。何閉めてんだよ! 機関車の番号の確認も行わず、乗り込む事を優先した。

 

★夜中は個室を施錠★

 自室に荷物を置いて洗面所から戻ると、部屋の扉が開かない。困ってしまったし、新津から宮内までの乗車券も買いたいので後ろの車両へ車掌さんを探しに行った。7号車のミニサロンで、検札中の車掌さんに出会った。いろいろ伺ったところ、夜中は個室を施錠しているとの事だ。5号車と6号車は車両の構造が同じなので、隣の車両のトイレに行った乗客が、そのまま隣の車両の個室に入ってしまう様な事もあるらしい。また、扉が開かない時に非常停止ボタンを押す乗客もいるらしい。私は、乗り込んだ時には自室の扉を開けられたのだが、どうやら扉の建て付けが良くないようだった。その後も何回か扉を開けるのには苦労したのであった。ちなみに、各個室の扉には「5号車」、「6号車」と明記されており、同じ構造の車両だからといって簡単に連結位置を組み替えたりはできなさそうである。

 時折、新津や長岡からの乗客もあるらしい。その場合は見つけ次第車掌さんが向かって、個室の扉を開けて案内するそうである。どうやら私のように本州内だけの利用者もいるらしい。“北海道の他移動”と言ったところか…。

 

 この時点で早朝とはいえ、この先8時間以上の豪華寝台特急の旅が始まった。

★★編成の華  サロンカーと食堂車を訪問★★

食堂車(ダイナープレヤデス)…早朝4時台から準備が始まっていた。

 

サロンカー(サロンデュノール)…長岡あたりから照明が明るくなっていたように記憶している。座席の色が美しいのが印象的である。

 

 この列車は24系客車のグレードアップという次元ではないように感じた。車両の連結面においては幌が見えないような造りになっており、これには驚いた。また、通路の壁等は色の濃い木目調の化粧板に覆われており、実に格調高い。機能的な装置も実にうまく処理されている。すごいハイグレードだ。24系客車がここまで化けるものかと驚いた。

 

★★★シングルツイン その1★★★

 シングルツインとはシングルなのかツインなのかよくわからない不思議な名称であるが、これは基本的に一人個室B寝台である。寝台料金は9,170円であり、開放A寝台上段の9,540円に近い価格帯である。また、追加料金で補助ベッドを利用すれば二人でも利用できる。

 オハネ25520番台は、往年の名車ナロネ20形を髣髴させる個室配置なのがすばらしい。これでB寝台なのだから時代も変わったものである。開放A寝台の上段と下段を併せたぐらいの空間を一人で占有できて9,170円なのだから、これに乗ってしまうと開放A寝台に乗ろうという気になれないぐらいだ。

 

 上段の補助ベッドは、通常の二段式寝台の上段よりも高い位置に固定されており、三段寝台の上段といってもいいような位置にある。乗り込んだ際に、車掌さんがソファーを解体して下段の寝台を設定してくれた。下段は上下の空間も大きくて快適であるが、私としては窓から入ってくる光の変化が気になって眠りにくそうだ。私ならば、座るならば下のソファー、眠るならば上の補助ベッドというわけだ。

 

★★食堂車の予約が取れた★★

 「トワイライトエクスプレス」の食堂車での朝食は乗車後に予約が必要になる。私のように早朝から乗車する場合だと予約はできないのではないかと半ばあきらめていた。ところが、乗車後の検札の際に車掌さんに申し出たところ、食堂車の乗務員に確認に来させるとの事であった。新津か長岡あたりから準備を進めていた乗務員の方が私の部屋に来て、チーフに確認してくる旨を伝えてくれた。結局、7時半からの予約が取れた。やったー、22年ぶりに食堂車での食事だ。しかも、在来線の食堂車での食事は初めてである。

 7時半からという事なのでゆっくり眠れないのは仕方が無いが、眠る事よりも「豪華寝台特急トワイライトエクスプレス」の旅を楽しむ事の方が重要だ。

 

▲▲朝の6時台から案内放送を連発するのはやめてほしい▲▲

 直江津発車後に「ハイケンスのセレナーデ」が流れ、直江津の案内放送が流れた。なぜに直江津発車後に直江津の案内をするのか? 直江津発車後にもこの列車に乗っている乗客にとって直江津は関係無いはずである。北陸本線と信越本線が交わるだの、どこの自治体と合併しただのと案内された。

 さらに、30分間ほど日本海に沿って走っている旨が案内された。この時期だと外が暗くてよく見えないだの、市街地やトンネルでは見えないだの言っている。見えるか見えないのかわからないぐらいだったら、朝の6時台から案内放送を連発するのはやめてほしい!

 寝かせてくれないおかげで、トンネル駅として有名な筒石駅を見る事ができた。なお、宮内→糸魚川間は初めての乗車である。

 さらに、糸魚川の案内が入った。フォッサマグナやヒスイについて伝えられた。先ほどの直江津のように鉄道関係の案内をするとすれば、糸魚川における直流交流の切り替えを案内してもよさそうであるが、その案内は無かった。で、糸魚川駅を通過する案内が入った。通過駅に案内が必要か? 頼むから静かにしてくれないか!

 

★★★シングルツイン その2★★★

 個室内の放送の音量を変えられないものかとスイッチ類を探してみたが、そのようなスイッチは見当たらなかった。耳栓をしてもどうも眠れなかったので、食事後に眠る事にし、7時頃には寝床を下段ベッドから上段の補助ベッドへと変更した。誤解の無いように記しておくが、二組用意されている寝具類は一組しか使っていない。 

 上段の補助ベッドは、上下の空間は狭いが窓が無いので、余計な光が目に入ってきにくいから私としては眠りやすい。列車に乗り込んだ際には、車掌さんが下段寝台を設定してくれたのだが、自分の意思で上段の補助ベッドを選んだのだ。

 

★★★食堂車 ダイナープレヤデス★★★

 朝食は完全予約制となっている。私が指定された時間帯は2組目の7:308:00であり、7:20頃に案内放送が入った。名前を告げると指定の席に案内された。なお、ダイナープレヤデスでは、浴衣、スリッパ、携帯電話での通話、喫煙が禁止されている。 

和定食(税込み1,575円)

 

 少ない停車駅、食堂車での食事…“往年の特別急行列車の旅”といった気分だ。本当にすばらしい。

 

★★眠る★★

 高岡を出発した頃から再び眠った。金沢は完全に眠っていて気がつかなかった。

 加賀温泉の案内が入ったように思う。

 芦原温泉にて特急通過待ちの案内が入った。それは良いが、芦原温泉にて乗り換えられるわけでもないのに、追い抜いていく特急列車の案内が必要か? 「和倉温泉始発の・・・」なんていらんだろ。ここでは大阪行き「特急サンダーバード14号」を先に通過させた。

 福井も完全に眠っていて気がつかなかった。

 

 

★★敦賀にて機関車交換   編成について★★

 敦賀停車中の放送で目が覚めた。機関車交換で15分ほど停車するので、散歩してみてはいかがかとの放送である。あまりにも勧める案内放送なので着替えて車外に出た。また、ここでは同駅に停車する大阪行き「特急雷鳥16号」を先行させた。

機関車交換位置に集まる人々

 1号車スロネフ25形の前で食堂車乗務員のKさんが私の写真を撮ってくれた。「トワイライトエクスプレス」はハードのみならず、ソフト面でもすばらしい。乗務員のサービスが際立って良いのだ。

 

 敦賀にて編成を見渡したので、ここで紹介しておこう。

EF81-車番不明(青森→敦賀間 牽引機)、104(敦賀→大阪間 牽引機)

スロネフ25-501  A個室

スロネ25-501   A個室

スシ24-1      食堂車ダイナープレヤデス

オハ25-551    サロンカー/シャワー

オハネ25-523   B個室

オハネ25-522   B個室

オハネ25-511   B個室/ミニサロン

オハネ25-561   Bコンパートメント

オハネフ25-501  Bコンパートメント

カニ24-10

 

 かつては、寝台特急としては主に「日本海号」と「つるぎ号」を牽引していたEF81形だが、当時は地味な存在だった。しかし、今では全ての客車寝台特急の先頭に立っており、また、我が国を代表する豪華3列車の専用牽引機としての地位までも確立しているのだ。

 「トワイライトエクスプレス」の車両はブルートレインと同じ24系客車であるが、その車体は見てのとおり青ではない。ダークグリーンに黄色い帯が巻かれており、いわゆるブルートレインの定義には当てはまらない。

 

★スシ24形★

 ここで食堂車のスシ24形について触れておこう。スシ24形は、余剰となって大量に廃車や休車になっていた特急電車のサシ481形とサシ489形を改造して24系客車に編入した形式である。車体断面形状があまりにも異なるので編成中でも目立っている。

 正直言って、当時の私は、車体断面形状があまりにも異なるスシ24形を好きになれなかった。その後も、東海道ブルートレインで営業から外されたオシ14形やオシ24形を転用すればいいのにとさえ思っていたぐらいだ。そうは言うものの、今回は、そのスシ24形から多大な感激をいただいたのだから、人生はわからないものである。

 先に登場した「北斗星」のスシ24形が500番台なのに対し、後から登場した「トワイライトエクスプレス」のスシ24形が0番台である。改造車なのに0番台とは珍しい。なお、スシ240番台は「トワイライトエクスプレス」の登場に先駆けて銀帯を纏った青い車体で登場し、しばらくは臨時列車等で活躍していた。

 スシ24-1は、489系電車のサシ489-3として19721月に新製され、19883月に24系客車へと改造された。屋根上のAU12形クーラーが初期車である事を物語っている。

 

 

★★敦賀→近江塩津間 初乗車★★

 北陸本線の敦賀→近江塩津間は初乗車区間である。敦賀→新疋田間には有名なループ線がある。勝手な言い分で恐縮だが、このループ線の案内を詳しく行ってくれるのはありがたかった。サロンカーにて、案内放送に従って右を向いたり左を向いたりしていた。これは楽しかった。

 

★旅の終盤  滋賀・京都・大阪へ★

 再び眠った。琵琶湖の案内放送まで入った。大津京にて特急通過待ちの案内が入った。私は、特急通過待ちをどこで行うか事前に知っていた。湖西線を随分ゆっくりと走るのがよく実感できた。普通に走れば京都まで電車特急をかわせそうな感じである。よほど余裕を設定しているのだろう。大津京では大阪行き「特急サンダーバード18号」を先に通過させた。「特急サンダーバード18号」は、富山を「トワイライトエクスプレス」より1時間13分も後に出発した列車だ。

  

 京都からの到着案内には「ハイケンスのセレナーデ」が用いられた。

 京阪間においては、下りの「トワイライトエクスプレス」と3分後にすれ違う旨の案内もなされた。

 新大阪を発車後には、「北海道からの列車の旅はいかがでしたでしょうか…」と放送が入った。私は、“北海道の他移動”なのだが…。肉声による通常の放送に加えて、「いい日旅立ち」から始まる録音によるトワイライトエクスプレス特有の放送が流れた。やはり終点まで乗るのはすばらしい。新大阪までの途中駅で下車していたら聞けない内容である。このような列車は、終着駅まで乗るか、あるいは始発駅から乗るか、できれば始発駅から終着駅まで乗り通すのがいいだろうと思う。

 

★★あとがき★★

 昼過ぎまで8時間以上も乗れるのでじっくり眠れるものかと思いきや、案内放送がうるさすぎる感がある。朝遅くまで寝ていたい乗客もいるだろうから、こういう点でもう一工夫ほしいものである。案内放送が車掌個人のはからいだとしたら、私の乗車感想は個人攻撃になってしまう危険性がある。しかし、「トワイライトエクスプレス」として継続的にうるさい案内放送を行っているのだとしたら、ぜひとも再考してもらいたいものだ。

 発車時の衝撃が無いというのも客車寝台列車としては極めて珍しい。敦賀にはトワイライトエクスプレス専用のEF81形機関車が6両用意されているが、これらは専用塗装のみならず、密着自動連結器への交換と緩衝装置の強化がなされている。また、カニ24形電源車の機関車側の連結器も密着自動式へと交換されている。車両側の工夫と運転する人間の意識の高さでここまで劇的に乗り心地が良くなるものかと感激した。発車時の衝撃で目が覚めてしまうような事は全く無かった。

 車両、サービス、運転技術、全てにおいて「トワイライトエクスプレス」に対するJR西日本の強い意気込みが感じられた。車両としても列車としてもかなり良かった。また乗る機会を得たいと思う。

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