2008.Apr.1

伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』

 読んでる最中から思っていたことだが…
 ネットの掲示板で袋だたきにされそうな本だな、と思った。
 協力者が次から次へ現れるのは変とか、何年も放置してた○○が動くはずないとか、最後が○○なのは予想がついたとか…

 特に不自然に思えたのが、大学時代の同級生たち。
 卒業して2、3年の設定ならばともかく、彼らはみんな三十代で、最近は疎遠になっていたという設定にもかかわらず、警察に追われている男にあんなに親身になれるものだろうかと。
 彼らの結びつきが、昨日まで会っていたかのように強固だから、全員がいまだ大学生のように見えてしまう。
 主人公の元・恋人にしても、結婚して子供もいる立場なら、昔の恋人など他人も同然のはずで。
 自分には無関係、と距離を置くほうが自然だし、協力させるにしても最後にたった一度「電話を取り次ぐ」程度にしておいたほうが、読者としてはノれたような気がする。その程度だって、彼女の立場からすればすごい決断だろう。

 だけど、
 それらの欠点を補って余りあるほどのパワーはある! それだけは認める。
 完成度を気にして大人しくなるより、このほうがよかったのかもしれない。

「病院の場所は分かる?」
「俺を誰だと思ってんだよ」
「首相暗殺の犯人でしょ」
「元、宅配ドライバーだ」

 という台詞に(たぶん作者が意図した以上に)感情移入してしまいました。
 追い詰められた人間の切るタンカとして、妙に説得力があった。
 読み返してみると、この台詞の前の地の文も
「少しでも自らを鼓舞させるつもりで、決め台詞さながらに言った」となっていて、映画化するなら、ここをクライマックスにして欲しいぐらい、いい台詞だなと思った。

 も、これに関してはリアリティだとか何だとか言いません。
 伊坂幸太郎はこれでいいや。

kaji

投稿者 TEH Editors : 00:00 | 読書(ミステリ)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.ac.cyberhome.ne.jp/~kajihiro/cgi-bin/tt_cgi/tt_tb.cgi/243

コメント

コメントしてください




保存しますか? はいいいえ