2008.Jan.27

『明日のアトム』

 昨年10月のブログで告知しておりました、友人の公演に行ってきました。

 友人からメールをもらったとき、題材のT先生というのはあの大先生をモデルとした架空の作家かと思っていたのですが、行ってみると、手塚治虫大先生その人であることを隠そうとしてはいない内容でした。この大先生の歴史を、仕事場の隣で原稿を待っている編集者たちの会話で描く。思いつきそうで意外と出てこないアイデアだし、漫画に対する愛情も感じられて、いい脚本だったと思います。

 私はアトムにはあまり愛着のない世代ですが、ブラックジャックは大好きでした。「軍艦島」の存在も、ブラックジャックに出てくる「要塞島」のモデルになった島として子供の頃に知った。(島の建物について知ったのはもっと後ですが)。『ブラックジャック』が虫プロの倒産と、『COM(主宰していた雑誌)』の廃刊でどん底だったころ、起死回生の作品として登場したという話もなんとなく知っていたので、話がブラックジャックの頃になると「さあ、来るぞ来るぞ」と待ちかまえて、見事ブラックジャックの話題に突入するあたり快感でした。

 話は先生の学生時代から始まり、亡くなる直前で終わるので、スタートが昭和26年ごろ、ブラックジャックの頃が昭和48年ごろ、亡くなる前が平成元年ごろ… になるんでしょうか。登場人物たちの衣装や小道具に、もっと意識的に時代色を出しても面白かったかもしれないですね。初期の頃はみんな帽子をかぶってたりとかね。再演がありましたら、ご検討ください m(__)m。

kaji

投稿者 TEH Editors : 18:51 | 映画&TV&演劇 | comments (7) | trackbacks (0)

2008.Jan.19

『キサラギ』

 最近ミステリネタの書き込みばかりしていますが(笑)。
 今回も、それ系の映画の話です。

 もともと密室の会話劇というのが大好きで、古くは『12人の怒れる男』から、『12人の優しい日本人』、岡嶋二人『そして扉が閉ざされた』など、その手のものにはすぐ食いつきます。なのにこの映画は見るのが遅れた。苦手な役者が出ていたとか、そういう訳ではないんですけどね。

 このシチュエーションで最も難しいのは「数人を一室に閉じこめる」ことと「そこで事件の話を始める」ことだと思いますが、フィクション設定を作ったり、地震で倒壊したマンションの地下に閉じこめたりと(古処誠二『少年たちの密室』)、過去の作品が苦労してきたことを「アイドル・オタクのオフ会」という設定であっさり通過してしまったのはすごい。ミステリ劇を書きたい人にとっては、憧れのシチュエーションだもんねえ… よく思いついたもんだ。

 評判に違わぬ出来だったと思います。中盤を過ぎると先読みできる部分もあるんだけど、それも伏線をしっかり張っているからこそ。だいたいがミステリ・オタクというものは、気づいたor気づかないを評価の基準にしてしまうと、ほとんどの作品がNGになってしまう。それよりむしろ伏線が収束していく楽しさのほうが大事。その点では『…優しい日本人』より高得点を付けたい。後半の伏線となる台詞をそうと気づかせない、前半のやりとりは見事だったかも。

「××××に気づかないわけはないだろ」というツッコミどころもこの際OKだ(笑)。この手の映画はどうしても、多少強引に話を進めなきゃならないところはあるもので、この映画も初対面の五人が、わずか半日で「アイドル自殺の真相」にたどりつくまで話を進めなきゃならない。その負担の大きい部分を、主役の小栗旬が一人で担当することになったのがちょっと気になった。場を盛り上げる役と話を進行させる役を、両方背負ったという意味で。

 むしろ、ここにこそベテラン役者を起用すべきだったかも。や、別に芝居がまずかったと言ってるわけじゃないですよ。ただ「仕事は真面目にやってるが、アイドルのファンだなんて恥ずかしくて言えない。だけどオタク同士ならはしゃげる」というキャラは、もっと年齢が上のほうが説得力あったかも。もっとも、それでは興行的にキツかったでしょうが(笑)。この手のマイナー・ミステリ映画にしては珍しく、客席の半分以上が女性で、一瞬「なんで?」と思ったくらいでしたから。

 あと、エピローグ部分がちょっと長かったかな。あの結末にたどりついたら、あとはサラッと終わってよかった気がします。

kaji

投稿者 TEH Editors : 00:37 | 映画&TV&演劇 | comments (0) | trackbacks (0)

2008.Jan.6

三津田信三『首無の如き祟るもの』&道尾秀介『片眼の猿』

※一部、文章が伏せ字になっています。見えてもいいというかたは、文末に文字色を白にして伏せ字部分を注記していますので、選択反転してごらんください。

 年末のベストテンを賑わせた作品の中からのピックアップ。
 まず、三津田信三『首無の如き祟るもの』。
 普段の私の好みを知っている方からは、これを褒めるか? という声が聞こえてきそうだ。

 記述トリック大流行の昨今、作者の方もミステリを読み慣れている読者が相手だと、すぐにネタバレしてしまうことは承知のようで、早い時点でネタが割れても、他の部分で楽しめるように、仕掛けをほどこしている作品が多い。
 だけどその工夫が、私には引いてしまう原因となってしまうことが多いんです。

「バレたらバレたでいいじゃん」と思ってしまう。

『首無の如き祟るもの』は、記述トリックの作品として取り上げたわけではありませんが(注1)、このいさぎよさは私のツボだ。メインのあのトリック以外は何もない。一本勝ちが取れないなら、判定勝ちはいらねえって感じ(笑)。
 この人も有名になってしまったら、あちこちから横やりが入るのかもしれません。プロの有名作家ともなれば、一本取れなくても勝たなきゃいけないこともあるわけで、数年後には作者の幸福な時期の作品となってしまうのかもしれない。

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 例えば「日本版・羊たちの沈黙」のような作品があり、「そうか、これはクラリスがどうやってレクターを追い詰めるのかを楽しむ話なんだな」と思って読み進んでいたら…
 実は記述トリックで、クラリスが犯人でしたと言われた場合。
 確かに意外です、だけど私は驚くより先に脱力してしまいます。
 単なる好みの問題と言われたら、その通りですが。
「私はいったい、何を楽しめばよかったんだ?」と言いたくなります。

 もともと記述トリックは、
「そのトリックに気づいた時点で、容疑圏外にいた人物が、容疑圏内に入ってくる」
 のが正しい使い方(笑)ではないかと思うのですが、日本でこの使い方をした小説として、ままず思いつくのは綾辻行人の初期数作と、泡坂妻夫の「○○○○○○』(注2)でしょうか。記述トリックが明かされても、犯人やトリックの大勢に変化がないものは、枝葉末節を引っかき回しただけ、って印象を受けてしまうのです。

 上記の「クラリス例」の場合、この条件には外れていませんが、「アリバイ崩しだと思っていたら、意外な犯人がよそから出てきた」ような作品にも、私はどうも違和感を感じてしまいます。

 さて、道尾秀介の『片眼の猿』。
 この作品は、帯からして挑戦的ですから、記述トリックの作品であると明言してもいいんでしょうね。これまでの文脈からすれば、これを褒めるのは変で、これは枝葉末節の記述トリックではないかと言われそうですが。

 確かにその通り。

 だけどこの作者は、最後に明らかにされるのは「主人公の耳」と「ヒロインの眼」であることを最初から明らかにしていて、予想もしなかったところから球が飛んできたという印象がない。何を楽しめばよかったの、と途方に暮れることもない。

 要は私は、「次は大リーグボールを投げるぞ」と宣言してから投げて欲しいんですよね、たぶん… だって、せっかくすごい魔球を投げても、誰もそっちを見ていなかったんじゃ、もったいないじゃないですか(笑)。

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(注1)記述トリックもありますが、それは付録ってことで。
(注2)『花嫁のさけび』のことです。

by kaji

投稿者 TEH Editors : 16:11 | 読書(ミステリ) | comments (1) | trackbacks (0)

2008.Jan.5

映画『魍魎の匣』

 ※今回の文章には、京極夏彦『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』のちょっとだけネタバレがあります。未読の方はご注意ください。

 お見事でした。

 前作『姑獲鳥の夏』で気になったのは、大詰めで京極堂が現場に踏み込んだ際、ぽつりともらす「妙な結界が張ってあるな…」という台詞。これは原作では、事件関係者に見せたいものがあるのに、その手前に衝立が置かれている。この衝立を皮肉って「妙な結界」と称するわけですが、映画では衝立を見るよりも先に言ってしまい、意味のある台詞が単なるオカルト台詞になってしまった。

 全体的に『姑獲鳥の夏』は上記のようなミスが多く、原作のストーリーを忠実になぞり、台詞もほぼ同一のものを使用しながらピントがずれまくった印象があるのですが、今回は原作のストーリーを大幅に改変しながら軸は外さず、役者の見せ場もちゃんと作った。どちらに軍配が上がるかは一目瞭然。
 おそらくこの監督は、あの長大な原作のダイジェストをやっても失敗する、ということに最初から自覚があり、細かい部分のつじつま合わせは原作を無視して突っ走った。舞台は昭和二十年代であっても、「レトロの皮を被った現代劇」といわれる小説。『犬神家』と同じ方法論では苦しい。それを見抜いている監督にめぐり遭えたことが好結果を生んだ。

 いくつものエピソードを同時進行し、台詞のやりとりのテンポも速いので、原作を未読の人に分かるのかなという気もしたけれど、ある意味それこそが『魍魎の匣』。そもそも京極堂自体が、事件を解決するために出てくる探偵じゃないしね。状況を解体し、整理するまでが京極堂の仕事で、整理されてみれば誰が何をやろうとしていたかは、最初から明確だったじゃないか、というオチがこのシリーズには多い。原作『魍魎の匣』はまさにこのパターンで、未読の観客が終盤に至って状況を把握できるとしたら、原作に非常に忠実な脚本と言えるのかもしれない。
 
 昭和二十年代の街並みは中国で撮影されたようですが、それをまったく隠そうとしていないのが面白い。無国籍で奇妙な街が出来上がった。メインの三人(堤、阿部、椎名)の力関係も分かりやすいし、何より三人とも楽しそうだ。キャラクターも少しずつデフォルメされてきて、次回作への橋渡しも果たした。これだけの実績を残すと、次の『狂骨の夢』も同じ監督になるのかな? いっそエイリアン・シリーズのように、一作ごとに違う監督で見てみたい気もしますけどね。

 いや、それ以前に『狂骨の夢』があるかどうかですね(笑)。今回のは出来はいいと思いますが、大ヒットという雰囲気はないし。シリーズが立ち消えになる前に、地味な『狂骨の夢』よりも『鉄鼠の檻』や『 絡新婦の理』をやって欲しいのが正直なところです。

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 PLAYBOYの一月号で、日本の歴代ミステリベスト100なんて企画をやってたんですね、知らなかった。しかも『マイナス・ゼロ』が第三位にランクインしててビックリ。近年スポットライトが当たらない作品だから、当ててあげたいという人が多いのかな。
 しかし『獄門島』『点と線』『虚無への供物』などが上位に来ないリストを作ることに意義がある、という編集方針は分かるんですけど… やりすぎでは(笑)。『マイナス・ゼロ』は確かに傑作だけど、『虚無』より上に置かれるとちょっと違和感ありました。あ、あと『猿丸幻視行』入れるなら『写楽殺人事件』も入れようよぉ… ってキリがないですね、はい(笑)。

kaji

投稿者 TEH Editors : 06:50 | 映画&TV&演劇 | comments (30) | trackbacks (0)

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