鉄道旅行紀
2007年12月〜2008年1月 (2007/12/7(金)予告開始) (2008/2/9(土)全面公開)少しずつでもいいから見たいという要望にお応えして、旅行記を数回に分けて公開してきた。
今回の旅程は、
第
:
第
2旅程(2007年12月28日(金)〜2007年12月29日(土) (青春18きっぷ2日目)):
第
3旅程(2007年12月29日(土)):
第
4旅程(2007年12月29日(土)〜2007年12月31日(月) (青春18きっぷ2〜4日目)):
第
5旅程(2008年1月5日(土)〜2008年1月6日(日)):
第
6旅程(2008年1月13日(日) (青春18きっぷ5日目)):
(
2007/12/7(金)公開)★★旅行構想時点の予告編★★
私は寒いのが苦手なので、冬は冬眠したいぐらいなのだが、
2007年の夏は帰省こそしたもの構想していた旅行はできなかったので、この冬は思い切って出かける事にした。冬の青春18きっぷを使うのは9年ぶりとなる。なお、今回の青春18きっぷは用務での利用も考えており、有効に使えればなお良いと考えている。
私がいつも行っている旅行会社では、いくぶん前から指定券の事前受付が中止となった。いつも丁寧に対応してくれる美人の○○さんからその事を直接聞かされたので、「私のようなマニアックな客が迷惑だったのだろうか」と本気で凹んでしまった。客として拒絶されてしまったような悲しい気持ちになった。しかし、後で知ったのだが、事前受付は全社的にトラブルが多かったので取りやめたとの事だった。
そのようなわけで、いつも行っている旅行会社では
1ヶ月よりも先の予約ができなくなってしまったので、今回は自分の行動範囲内で別の方法でもきっぷを予約してみた。JR東日本の「えきねっと」に登録して使ってみたが、これって使えるのか? 駅窓口や旅行会社においては、「ムーンライトながら」については臨時便が出ている時には必ず指定券が入手できていたのだが、「えきねっと」では1枚も指定券を入手できなかった。12月28日東京発の下り列車の指定券が入手できなくてイライラしている。少なくとも12月29日と30日は青春18きっぷを使いたいと考えているのだが…。
最主要テーマは、南九州のおもしろい列車たち
他には、関西に行く用務が
(
2007/12/11(火)公開)冬旅行予告の追記 年明け編
1月5日、大阪発の「寝台急行銀河号」B寝台車乗車。A寝台下段は獲得ならず。12月5日に買いに行けず、8日に購入した。ちなみに、1月4日大阪発のA寝台下段も埋まっていた。でも、そもそも大阪から東京へのUターンは楽しいものではないので、A寝台を積極的に選択する必要もない。A寝台は大阪行きの方がいい。負け惜しみかもしれないけど…。
1月11日東京発の「快速ムーンライトながら号」の指定券が取れた。いつもとは異なる旅行会社に頼んでおいたら取れた。ここの旅行会社もいいよなぁ。
(
2007/12/16(日)公開)★最強の東海道往復★
さっそく
1日分使ってきた。下り「快速ムーンライトながら号」で関西へ向かい、翌日中に東京の自宅へ戻ってきた。青春18きっぷの旅程としては、自分史上最強の東海道往復なので、記念に記しておこう。2007
年12月14日(金)〜2007年12月15日(土) (青春18きっぷ1日目)
目的地に数十分滞在して、すぐさま東京の自宅へと折り返した。復路の東海道本線もできるだけ楽に行けるように旅程を組んである。尼崎駅の書店にてこの日発売の鉄道某誌を購入し、新快速
3250Mに乗り込んだ。大阪駅からでもじゅうぶん座れるほどの込み具合だったので、わざわざ尼崎まで行く必要が無かったみたいだ。13:45頃、茨木駅の手前で緊急停止した。どうやら後続の普通列車において、小学生が線路内に立ち入った為に停車信号を発したとの事だ。13:49に運転を再開し、その後も8分程度の遅れで進んだ。米原や大垣では特に混乱は無かったが、大垣1番線ホームでは同じ日の朝と昼の2回も「大垣ダッシュ」に関わる事になった。大垣からは特別快速5116Fで乗り換え無しに浜松まで行けたが、浜松着は4分遅れであった。浜松で2分接続の460Mには乗らず、駅弁を購入して後発の静岡行き836Mに乗った。愛野の手前でこちらを追い抜いていった「新幹線特急こだま546号」を掛川で追い抜いた。静岡からは373系特急形車両による東京行き普通列車338Mに乗った。特急形の338Mは人気が集中するのではないかと心配していたが、驚いた事に横浜までずいぶん空いていた。また、特急形車両である旨の案内放送は無かった。関西から首都圏まで、浜松→静岡間以外は、転換クロスシートやリクライニングシートの快適な車両ばかりであった。停車中も特段寒くならないのがうれしかった。今回の青春
18きっぷは帰省の日程と絡めた九州旅行以外に、用務にも使う予定であった。いきなり使う事になった。実は、先日に母が緊急入院したと聞いたので、今週末はどの列車に乗るかは別として関西に行く予定にしていたのだ。正直言って、公開はしていなかったが2003年年末の悪夢の再来だと思った。今回は術後すぐに退院して親戚の家にいるとの事なので訪ねてきた。私は長男なので本当ならば私が対応すべきだが、親戚任せで申し訳ない。当然ながら渡すべき物は渡してきた。ところで4年前、2003年年末は新幹線で往復するという面白味の無い帰省であったが、その時は母が倒れて父と母が別々の所に入院したという事情があったのだ。年老いてゆく関西の両親、東京にある仕事と不動産、うまくいかない関西への転職…。どうすりゃいいんだよ…。青春18きっぷは、東京から関西へちょこっと帰省する必要がある私にとっては経済的にとてもやさしいきっぷだ。2008年1月11日の下り「快速ムーンライトながら号」の指定券も取れているので、似たような行程で帰省しようかと考えている。
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2008/2/9(土)公開)★★時刻表★★
この冬は大掛かりな旅行をするので久々に大型の時刻表(
JTB版12月)を購入した。最近は小さな時刻表で事足りるような出掛け方が多かったのでずいぶん久しぶりである。以前はダイヤ改正の度に大型時刻表を買っていたが、近年は頻繁にダイヤ改正が行われるので買うのを止めたのであった。さすがに情報量が違う。おもしろすぎて読み耽ってしまった。
(
2008/1/6(日)公開)★帰省★
この冬の旅は、南九州のおもしろい列車が主要テーマである。東京の自宅から関西の実家へと向かい、そこから九州へ向けて出発するわけである。
東京から関西へ向かう為のこの夜の夜行列車は、希望としては「臨時快速ムーンライトながら
91号」なのだが、「臨時快速ムーンライト信州81号」の指定券しか入手できていなかった。明朝出発すると、翌晩の「寝台特急なは・あかつき号」に乗るのが大変そうなので、実家への到着時間を考慮すると「信州」であれ「ながら」であれ夜行列車で出発したい。2007
年12月28日(金)自宅で「えきねっと」をいじっていたら、
20:35頃に「快速ムーンライトながら号」の定期便も91号も空席が出た。91号を大垣まで確保した。この場合、前から気になっていた琵琶湖北側の未乗区間にも行けるし、実家で休憩する時間も得られる。急に楽しくなってきた。「臨時快速ムーンライト信州
81号」と「臨時快速ムーンライトながら91号」とでは、自宅を出発する時間に2時間以上の開きがある。雨の中、慌しく出発する事になった。東京駅に到着したのは、「臨時快速ムーンライトながら91号」の発車約10分前であった。なお、「臨時快速ムーンライト信州81号」の指定券はキャンセルとはせず、後日の別の指定券へと変更して延命を図っておいた。
東京
23:26→大垣(翌日)5:55 東海道本線9391M「臨時快速ムーンライトながら91号」 10連 モハ188-25横浜では「湘南ライナー」の通過待ちとなる。また、大船を無停車で通過する。大船を通る頃には日付が変わっているわけであるが、
JR東日本としては小田原までの運賃を徴収したいのであろう。東京→熱海間は定期乗車券でこの列車を利用する事はできない。
2007
年12月29日(土) (青春18きっぷ2日目)大垣
10連の「臨時快速ムーンライトながら91号」の乗客を4連で引き継ぐわけだ。あいかわらず多数の立ち客がいる。
米原では、
★★琵琶湖の北周り初乗車★★
★初乗車 北陸本線米原→近江塩津 、 湖西線近江塩津→堅田★
この先は、湖西線の堅田までは初乗車区間となる。東京から関西への単なる帰省が、ここを通る事によって楽しい旅行へと変わったのである。
米原
6:49→近江塩津7:24 北陸本線129M 2連 クハ520-3ここは、今でこそ大阪方面からの直通電車も通っているが、かつては電化方式の違いからさまざまなドラマが繰り広げられた。
また、木ノ本から敦賀への「柳ヶ瀬越え」と呼ばれるルートが存在した事にも興味がある。
湖西線との乗り換えとなる近江塩津に到着。今季において初めて旅らしい気分を味わえた駅だ。駅舎や待合室にも趣があった。
本当ならば
2駅先の敦賀まで行きたいところであるが、近江今津方面へのダイヤを考慮してここで乗り換えとなる。
近江塩津
7:37→近江今津7:58 湖西線4842M 2連 クモハ521-5この区間は、都会近郊にしては珍しい閑散区間だ。特急列車は頻繁に通過するが、普通列車の本数は少ない。交流電化であった湖西線永原〜近江塩津間も
2006年秋には直流化されたわけだが、直流電化後のダイヤ改正の前には普通列車が1日に8往復しか走っていなかったぐらいだ。そのようなわけで、今回もこの区間のダイヤに合わせて行動しているのである。
近江今津
8:08→京都9:17 湖西線・東海道本線1817M 6連 モハ116-310湖西線は近代的な高規格路線であり、踏切が無くて高速試験にも用いられる。主要駅以外は駅の構造自体に特色を見い出す事が難しく、鉄道風景としてはおもしろいとは言えない。
京都の手前の山科で東海道本線の新快速に乗り換えてもよかったのだが、東海道本線に合流する付近から眠ってしまった。
京都
9:29→大阪9:58 東海道本線3219M新快速 サハ223-1026?車内では、よくわからないきっぷを買ってしまって困っている高齢の女性にいろいろ教えてあげる事になった。
★★関西で気になる工事中の駅 大阪駅・天王寺駅・紀和駅★★
東海道本線大阪駅では縮小工事が進んでいるが、今でも旧
9〜11番のりばの一部を見る事ができる。
紀和駅を取材してから南海沿線の実家へと向かう為に和歌山へ行く。
大阪
10:34→和歌山11:58 大阪環状線・阪和線4531M→4531H 紀州路快速 3連 クモハ223-2
関西本線天王寺駅では、阪和線と関西本線(大阪環状線)の連絡線の複線化工事が進んでいる。
和歌山
12:17→和歌山市12:23 紀勢本線7239M クハ104-502 クモハ105-502和歌山市
12:32→紀和12:34 紀勢本線7238M紀和
12:48→和歌山市12:51 紀勢本線241M紀勢本線紀和駅は高架化工事が進んでいる。切断された跨線橋が写真中央に見えるが、
2007年8月31日から使用中止になっている。この跨線橋はかつて私がこの駅を撮影する時によく使っていた。跨線橋の廃止と引き換えに写真右側の仮踏切が設けられて、2007年8月22日から通行できるようになっている。
実家で休憩後、この日の夜から「寝台特急なは・あかつき号」の惜別乗車と九州旅行に出発した。
(
2008/1/12(土)公開)新大阪
20:35→三ノ宮21:10 東海道本線31レ「寝台特急なは・あかつき号」 11連 オハ14-302 EF66-51「寝台特急なは号」
31レ 京都20:02→熊本(翌日)7:36 JR九州24系客車5連「寝台特急あかつき号」
31レ→33レ 京都20:02→長崎(翌日)8:55 JR西日本14系客車6連新大阪駅:九州方面ブルートレインのりば…ここから九州へと旅立つブルートレインは
2008年3月に姿を消す。
三ノ宮
21:17→新大阪21:43 東海道本線3314M新快速 モハ222-2015三ノ宮で「寝台特急なは・あかつき号」を見送り、「臨時快速ムーンライト九州号」に始発駅から乗る為に新大阪まで戻る。
2008/1/27(日)公開)
★★★九州鉄道旅行★★★
新大阪
21:59→博多(翌日)7:47 9231レ「臨時快速ムーンライト九州号」 東海道本線・山陽本線・鹿児島本線 8連 オハ14-251(牽引機
EF65-1126/EF81-410/ED76-91)さぁ、いよいよこの冬の旅の最大の目的である九州へ向けて出発する。
西海道へ西下移動…。先程の「寝台特急あかつき号」もオハ
14形であったが、この車両もオハ14形である。14系座席車の200番台や250番台はリゾート仕様車として深く倒れるリクライニングシートが取り付けられている。一昔前は、この客車は「シュプール号」の運用で忙しくて、冬の「臨時快速ムーンライト○○号」に充当される事は無かったのだ。この冬は「シュプール号」そのものの運転が無く、時代が変わったものだと実感する。先程、九州行きの寝台特急に乗っていたわけだが、「臨時快速ムーンライト九州号」で九州へ向かう。通常の乗車券相当のきっぷを持っていればブルートレインに乗るが、青春
18きっぷを持っている場合はやはりこちらを選択する。「臨時快速ムーンライト九州号」は山陽区間を寝台特急並みの所要時間で駆け抜けるので利便性が高い。
2007
年12月30日(日) (青春18きっぷ3日目)深夜帯は糸崎・広島・徳山にて運転停車があった。実は、よく眠れなかったのである。幸い隣の席に人が来なかったので少しは楽な姿勢を取れたはずだが、どうも足を伸ばせないのが辛い。
「臨時快速ムーンライト九州号(含:「ふるさとライナー九州号」)」を終点博多まで乗るのは初めてである。現地が平日ダイヤだと博多着が
門司から先発する
2329Mに乗り換える乗客も多かった。門司駅では青春18きっぷに日付印を押してもらう乗客が他にもいた。門司の駅員さんは「「ムーンライト九州」の車掌に言ってやる」っと怒っていた。さすがに8連に1名乗務はきついのか、検札に手が回らない部分もあったようだ。下関駅では眠っていたので弁当を購入できなかった。門司駅で買おうと思っていたのだが買えなかった。
KIOSKの美人店員さんに尋ねたところ、弁当は後5分ぐらいで来るらしい。しかし、この会話の7分後にこの列車は発車してしまう。とりあえず発車までに弁当を入手する事はできなかった。
さて、折尾から筑豊本線を経由しても「特急はやとの風
4号」に間に合う事は分かっている。あるいは、鹿児島本線を直進したとしても、川内で新幹線から在来線に乗り換えても「特急はやとの風4号」に間に合う事も分かっている。しかし今回は、何らかの事情が発生して主要部分の旅程が崩れてしまわないように、南九州での乗り換えに余裕を持たせる事にした。睡眠の確保もかねて、博多まで「臨時快速ムーンライト九州号」で行った。その先はどんどん南下していけばいいのである。博多到着前まで良く眠れたのでこれは正解であった。
博多
8:12→大牟田9:16 鹿児島本線1383M快速 4連 クモハ810-10 鳥栖サハ811-10工事が進捗中の博多駅にて駅弁(博多玄海ちらし)を購入して乗り込んだ。転換クロスシートなので、車内で食事しても違和感が無い。近年は地方の主要都市では転換クロスシートの普通列車が多くてうれしい。
JR東○本にも見習ってほしいぐらいである。3面のプラットホームを持つ南福岡では特急通過待ちの為に長く停車する。JR九州では暖房効果を高める為に長い時間停車する場合には3扉のうちの両端側の2扉を閉める。
荒木・羽犬塚・瀬高でも後の
2329Mに乗り換える事が可能である。歯みがきの時間を確保する事と、主要駅を訪問する事も兼ねて、大牟田で乗り換える事にした。大牟田
9:37→熊本10:32 鹿児島本線2329M 3連 サハ813-106熊本では随分と南側に離れたホームに着いた。慌しい乗り換えとなった。
熊本
10:35→新八代11:05 鹿児島本線6337M 815系2連各座席の区切りがはっきりしたロングシート車だ。
新幹線ホームへと向かう「特急リレーつばめ号」専用の連絡線を右手に分かつと、新八代に到着する。
新八代駅の新幹線側の駅前にはホテル以外に何も無い印象であった。
★★★南九州におもしろい列車たちを訪ねて…★★★(独立コーナー) (2008/1/23(水)公開)
新八代→鹿児島中央→吉松→人吉→熊本の旅程は独立コーナーとした。ここから先、特急列車に乗る区間は普通乗車券と特急券であり、青春18きっぷではない。
新八代11:49→鹿児島中央12:29 九州新幹線7F「特急つばめ7号」 6連 826-105 822-105
800系新幹線車内を楽しみにしてきた。全車普通車ながら、座席は横4列でとてもゆったりしている。しかも、背もたれが高いので豪華な印象も強い。さらに、座席の肘掛や背面が木材なのが斬新だ。また、桜のすだれの他にイグサののれんなども付けられており、いかにも九州の車両らしい。
鹿児島中央13:16→吉松14:46 鹿児島本線・日豊本線・肥薩線7024D「特急はやとの風4号」 2連 キハ47-8092
特急なのにキハ
47…この異端の列車に乗りたくて南九州までやってきた。この冬の旅の主役である。キハ47やキハ147は乗降扉が車両の中央寄りについており、当然ながらデッキは無い。特急料金を徴収する特急列車でありながら、乗降扉から入った所がすぐ客室である。おもしろすぎる。
吉松14:48→人吉16:03 肥薩線1256D「しんぺい4号」 2連 キハ47-9082
私は、ものすごい高揚感を得られるような路線乗車の旅はもうできないのではないかと思っていたのだが、そんな事は無かった。肥薩線のこの区間はおもしろかった。このおもしろさを上回る路線はそう無いであろう。スイッチバックあり、ループあり、駅周辺に人家らしきものは見当たらないので秘境ムードも満点である。線形の不利を観光要素として逆手にとって成功した事例と言えよう。また、つばめレディさん達の旅の演出も見事であり、大変素晴らしかった。
人吉16:09→熊本17:34 肥薩線・鹿児島本線1078D「特急九州横断特急8号」 3連 キハ186-5
この「特急九州横断特急
8号」については、積極的に選択したというよりは、時間の都合で選んだという感じであった。しかしながら、キハ186の登場によって旅の主役級へと一気に躍り出たのであった。この時季、東京だと
17時でも外は暗い。ここ九州ではまだまだ外は明るく、この列車の熊本到着まで車窓を楽しめた。熊本到着後は再び青春
18きっぷの旅となる。
熊本17:37→荒木19:02 鹿児島本線5346M 2連 クモハ815-5 クハ814-5
外は暗くなってきたし、朝来た道をそのまま戻るだけなので、旅行気分もそろそろ終わりであろう。
ロングシートの隣席に乗ってきた連中が嫌な音を発し始めたので、船小屋にて後ろの車両に移った。船小屋は、新幹線の駅が予定されている。
荒木19:10→博多20:05 鹿児島本線 4372M快速 8連サハ811-101
この列車は羽犬塚始発で、先ほどの荒木で
5346Mを先行したわけだが、鳥栖にて5346Mに追いつかれる。
博多駅前では、過去に
2回訪ねたラーメン店を探してみたが、見当たらなかった。1,2番線ホームにある立ち食いのラーメン店に立ち寄った。列車内で眠れなくて空腹になると困るので、駅弁(駅舎竹篭弁当)を購入した。
博多20:39→大阪(翌日)6:34 鹿児島本線・山陽本線・東海道本線9232レ「臨時快速ムーンライト九州号」 8連 オハ14-204
(牽引機 ED76-91/EF81-451/EF65-1126)
博多発車後間も無い箱崎にて運転停車し、博多後発の「特急きらめき2号」を先行させる。この停車は信号停車と案内された。下関までよく眠った。
検札の際に翌日12月31日の日付印をもらおうとしたが、最初に降りる駅で押してもらうように言われた。
その後も新山口を通過するあたりから明石到着前までよく眠った。
2007
年12月31日(月) (青春18きっぷ4日目)大阪駅では
実はこの後、
1月5日に大阪を発車する東京行きの「寝台急行銀河号」に乗る予定だ。もしも「寝台急行銀河号」に乗車するのが1月4日ならば12月31日の岡山から東京都区内への普通乗車券にしても良かったのだが、1月5日だと有効日数の関係でそれができない。岡山から関西の実家までは青春18きっぷ1日分を使う事にしたのであった。
(
2008/2/2(土)公開)★★★まもなくラストラン…ありがとう「寝台急行銀河号」★★★
2008
年1月5日(土)大阪
「寝台急行銀河号」で
Uターンする。安さだけを求めるならば残り1日分の青春18きっぷを使ってUターンしてもいいわけだが、さすがに数日間実家にいた後で朝早くからUターンする気は無い。なんといってもこの冬は、終焉間際の「寝台急行銀河号」を絶対に外したくないのである。2005年正月のUターンでは「寝台特急あさかぜ号」に惜別乗車、2006年正月のUターンでは「寝台特急出雲号」に惜別乗車、そして2008年正月、ついに馴染み深い「寝台急行銀河号」に同じような思いを抱いて乗り込む事になった。しかしながら、列車のラストランは3月であり、東京在住で実家が関西にある私としてはこの乗車が最後になるとは考えていない。だから今回は惜別乗車ではないのである。いや、惜別乗車にしたくないのである。
2005年正月の「寝台特急あさかぜ号」や2006年正月の「寝台特急出雲号」には一般の乗客も多かったが、この夜の「寝台急行銀河号」は圧倒的に同業者が多かった。車外でも車内でもほとんどの人が何かしら撮影していた。乗車前に確認したところ、当然ながら全席が埋まっていた。
乗客の行動以外はいつもの乗車となんら変わりない。特記事項や目新しい写真は無い。
2008
年1月6日(日)関東地区に入ってからだと思うが、トンネル内の明暗の繰り返しで目が覚めてしまった。開け放されていた通路のカーテンを閉めると随分収まった。このように、寝台までに二重で光を遮断してくれるのがありがたい。同じ下段寝台でもプルマン式
横浜到着直前に抑止がかかった。横浜駅で転落事故があったとの事で、結局、横浜到着は
7分遅れとなった。遅れにより、横浜を出ると「特急成田エクスプレス3号」と並走する事になった。客車の「急行銀河号」の方が速かった。東京へは6分遅れで到着した。
東京駅のホームで編成を見てみた。せっかくなので車番も記しておこう。
EF65-1112
、オハネフ25-132(テープ帯)、オハネ25-160(テープ帯)、オハネフ25-131(テープ帯)、オハネ25-252(ステンレス帯)、オハネ25-158(ステンレス帯)、オハネ25-251(テープ帯)、オハネフ25-150(テープ帯)、オロネ24-6(白帯)、カニ24-108(テープ帯)なんと、オロネ
24は6なのだが、私が乗った2007年8月とは異なって車体がピカピカであった。網干総が「19-10」になっていた。しかし車内を見てみると、やはり使用後の下段寝台はくの字に折れ曲がっていた。まぁ、これは開放形A寝台下段の構造上の弱点なわけだが・・・。
東京到着を告げる車内放送においては、「…銀河号、またのご利用をお待ち申し上げて…」という言い回しが心に響いた。この放送を聞いていた乗客のうち、何人ぐらいが再び「銀河号」に乗車するのであろうか。私は来るあの日の乗車を狙っている。
(
2008/1/14(月)公開)2008
年1月13日(日)(青春18きっぷ5日目)★★★冬の只見線★★★
新宿
6:52→赤羽7:06 埼京線655K サハ204-29新宿駅では、東北本線が雪の影響で遅れていたが復旧したとの案内が出ていた。これから出かける方面なので少し心配したが、復旧したのならばまぁいいだろう。
赤羽
7:10→宇都宮8:42 東北本線531M 10連 クハE230-8090中学受験生がたくさん乗っていた。大宮前後までは小学
こちらが宇都宮に到着する時に「寝台特急北斗星号」が上野に向けて発車していった。「
2号」が遅れているのだろう。宇都宮
8:45→黒磯9:35 東北本線1535M 5連 モハ210-3036冬季においては、郊外の路線では車内の保温がなされるように扉の開閉が管理されている。
黒磯
9:39→郡山10:40(4分遅れ) 東北本線2131M クハ700-1503途中駅の電光掲示板にて、磐越西線がどうのこうのと出ていた。読み取れなかったが、何かあるようだ。心配になってきた。
郡山の一つ手前の安積永盛で
4分間の信号停止があった。郡山での3分の乗り換えが気にかかった。私の隣に居た家族連れも10:43発の「快速あいづライナー1号」に乗りたいみたいである。郡山到着直前の車内放送では、「快速あいづライナー
1号」は運休と告げられた。車内ではどよめきが起こった。
郡山駅にて
★磐越西線運休発生 高速バスへと変更★1番線には会津若松行きの719系快速が停車しており、乗り換え客らはそちらへ向けてダッシュしていた。
豪華仕様の
485系特急形電車で運転される「快速あいづライナー号」に乗りたくてこの時間帯を選んできたのでガッカリした。只見線に乗り込むだけならば、もう1時間ぐらい遅くてもよかったわけだ。混雑が予想される只見線に余裕を持って乗り込む事と、485系「快速あいづライナー号」に乗る為に朝5時に起きてやってきたのである。そもそも、今回の旅程は未乗区間が全くないので、楽しむ為にはそれ相応の工夫をしていたのだった。それにしてもなかなか発車しない。
4分遅れの2131Mからの乗り換えを待つにしてはあまりにも長すぎる。猪苗代付近の吹雪の為に磐越西線は運転を見合わせているとの案内があった。断続的に規制値に達しており、運転再開の見通しが立たないとの事だ。冬の雪国の厳しさに直面する事になった。
せっかく朝
5時に起きてここまでやって来たのに、只見線に乗れずに来た道を引き返すのはあまりにもつまらない。ここしばらくは郡山まで来る機会が多かったので何の面白みも無い。手持ちの時刻表でこの先の旅程変更を考えてみた。会津若松へ急ぐ方は乗車券を払い戻して高速バスへ乗り換えるようにと案内が入った。手持ちの時刻表で高速バスの運賃と発車時刻と所要時間を調べた。大きな時刻表を持っていて正解であった。只見線は運休していないようなので高速バスへの乗り換えを決意した。予定では未乗区間が無い旅程なので、豪雪の只見線以外にはたいして期待していなかったのだが、トラブル発生によって旅が急におもしろくなってきた。
どうやらこの時に駅に停車していた列車は、
10:43発の「快速あいづライナー1号」1211M より1時間前に発車予定だった9:43発快速3233Mみたいだ。会津若松行きのバス乗り場は長い列ができている。よく見ると、いろいろな方面へのバスが走っている。成田空港行きのバスは
3名ほどの乗客を乗せて発車していった。
郡山
11:30→会津若松(12:45頃) 高速バス 東北自動車道・磐越自動車道乗れるかどうかギリギリの順番だ。私の何人か後ろで乗車制限がかかった。高速バスへ乗り換える決断があと
最前列の左通路側に席を取れた。全面展望もばっちりでおもしろい旅になりそうだ。未乗区間はなにも鉄道に限った話ではない。見知らぬ道は道路だって楽しいものだ。ワクワクしてきた。
始発の郡山駅では乗車制限をしたのだが、不思議な事に郡山
I.C.に入るまでの途中の停留所からの乗客は補助席へと受け入れていた。それにしても、
JR路線が運休したのだからJRが代行バスを出してもよさそうなものだが、それは無かった。
吹雪の中、雪で凍った高速道路を行く。自分が運転する場合には絶対に避ける行為だ。すごく貴重な初めての体験である。ものすごい風なので、風が車体を叩く音が響く。揺れる車内では時折どよめきが起こった。また、運転手さんは横風によって頻繁にハンドルを取られていた
。恐怖の強風…。通常ならば所用
65分なのだが、このバスはおよそ75分で到着した。このような自然環境の中を数十名の人命を預かって無事に走り抜いた運転手さんはたいしたものだと思った。朝
5時に起きて来て正解であった。会津若松13:08発の只見線427Dには余裕で間に合う。また、このバスが到着した時間にも磐越西線(郡山⇔会津若松間)は運休中であった。磐越西線が運休した事によって只見線427Dも激しく混雑しないであろう。バス運賃1,000円の追加出費があったわけだが、1,000円の価値を上回るおもしろさと利点を得られたという事だ。
会津若松
13:08→小出17:42 只見線427D 2連 キハ40-2058予定していた食事の時間は無くなってしまったので、おにぎりを
2つ買って乗り込んだ。冬季の只見線は大人気だと聞いていた。冬の青春
18きっぷの時期の休日には、全区間を走破する昼の427Dと430Dは始発駅からでも座れない事があるらしい。磐越西線が運休していたせいか予想よりは乗客が少なかったので、望みどおり発電所が見える進行方向右側のボックス1区画を1人で使う事ができた。後ろのキハ
48-551もクロスシートが付いているが、なんとそちらはデッキ付きのいい車両ではないか。こちらはデッキが無く、扉が開く度に寒風が吹き込んでくる。別に寒くはないし、この路線にはロングシート車もあるぐらいので、ボックスシート車に乗れた事だけでもまぁいいとしよう。キハ48-551に乗り換えたいと何回か試みたが、1人だけで使えるボックスが残っていないのでそれは叶わなかった。しかし、どうも車内が臭い。また、よく見ると両車ともに臭かった。機関からの匂いが入って来ているのであろうか。閉じられている窓の上部から雪が侵入してくるのには少々困った。会津川口⇔只見間は
1日に3往復しか走っていない。そのような区間の中、会津越川では定期券を持った女子高校生が1名下車した。これには驚いた。また、会津横田でも1名の下車があった。1日に3往復といえば秘境駅だと予想してしまうが、この区間は駅周辺に人家が多いのが特徴だ。なんなのだろう…。
雪国の鉄道の情緒が満点だが、これでも例年の
3分の1程度の積雪量だとの会話が聞こえてきた。この写真では人が写っていないが、長時間停車の各駅では多くの人が撮影していた。小出発会津若松行きの
430Dと行き違う会津川口駅ではすごいまつり状態であった。なお、写真の只見駅では駅舎が工事中だ。只見線の主要駅であるが、駅の記念スタンプは無い。
国道
252号線における福島県と新潟県の県境である六十里越は、冬季には通行止めとなる。つまり、この区間の交通は只見線だけになってしまうのだ。その只見線も豪雪によって運休する事がある。冬季における只見線の運休は、沿線の人々の往来を完全に遮断してしまうという事になる場合がある。自然環境の厳しい地域での生活はまさに命懸けなのであろう。
見たい所を見終わったあたりで、外が暗くなった。
只見線のあたりは道やプラットホームに雪を溶かす為のスプリンクラーが設置されている。小出で下車する時には靴の中に水が入ってしまった。
小出では乗り換えの時間があるので、駅前の食堂で食事した。
小出
18:33→水上19:52(4分遅れ) 上越線1744M→8744M 3連 モハ114-1080この列車は通常なら越後中里止まりだが、季節限定で水上まで延長運転される。この延長運転があるからこそ、日帰りでのこの旅程が組めたわけである。
上越国際スキー場前から越後湯沢まではスキー客で混雑した。年々スキー客が減少しており、新潟県のスキー場は冷え込んでいるようである。そういえば、
JRでもスキートレイン「シュプール号」の運転が無くなり、スキー自体がどことなく懐かしいレジャーといった感じが出てきた気がする。水上では、別ホームでの乗り換えとなる。所定
2分の乗り換えながら、この列車は遅れている。凍った狭い階段をみんな走っていた。このような乗り換えでけが人が出なければいいのだが…。水上
19:54(遅れ)→高崎20:56(少々遅れ) 上越線754M 4連 クハ115-1063高崎
21:05→新宿22:57 高崎線・湘南新宿ライン2310Y クハE231-8512
(
2008/2/9(土)公開)★★★この冬の青春
18きっぷの使用予定と実績★★★12月29日と30日は、東京から関西への帰省と九州旅行の為に確実に2日分使う予定であった。他に所用の為に2日程度使う事も予定していた。しかし、12月22日からの3連休に関西へ行く用事が無くなってしまった。さすがに短い期間で5日間も使えるとなると余裕が多過ぎるぐらいである。
12月31日は九州旅行から戻った後で友人と会う予定があったが、これは中止になった。そのようなわけで、12月31日の青春18きっぷは岡山から関西の実家までの使用に留まった。
1月11日夜から関西へ向かう為の「快速ムーンライトながら号」の指定券を確保していたが、とりわけ帰省する必要も無さそうなので、青春18きっぷ5日目の使用予定を変更する事にした。1月4日に青春18きっぷ5日目を使って関西にいる友人たちや親戚の赤ちゃんに会いに行こうかと調整してみたが、こちらも直前になって全て中止になった。そのようなわけで、青春18きっぷ5日目の使用は1月13日の只見線の旅行へと切り換えたのであった。
年末年始についてだが、私は
12月は好きだが1月は好きではない。1月には12月のような高揚感が無いし、はっきり言っておもしろくない。特に正月は街中が眠ったような状態なので旅行する気にもならない。そのようなわけで、1月11日夜からの帰省や用務が元より予定に入っていなければ、只見線のような旅行は九州旅行と同様に12月にしていたであろう。なんと言っても12月の高揚感は何かにつけて盛り上がるのである。
話は大きく変わるが、私の同年代の友人や親戚の多くはすでに子供がいる。子供や配偶者の体調が崩れたりすると会う約束が白紙に戻ってしまうのである。今回中止になった理由は全てそれであった。しかし、考えてみるとこの時季はお年玉をあげなくてはならないから積極的に会いに行く必要も無いであろう。結局、この年始のお年玉は、「寝台急行銀河号」に乗る前に会いに行った親戚の赤ちゃんにあげただけに留まった。予定していた友人たち全員に会えていたらたいそうな出費になっていたであろう・・・。
(
2008/1/14(月)公開)★★★私の旅行における「青春
18きっぷ」の地位の変化について★★★青春
18きっぷは、九州などの遠くへも行けるし、只見線のような優等列車が走っていない線区に乗って楽しむ事もできる。未乗区間が多かった頃は、青春18きっぷで初めての地へ出かける事自体が「楽しい旅行」であった。しかしながら、回数を重ねるにつれて未乗区間が無くなっていき、青春18きっぷは「目的地までの移動手段」というように変遷していった。2005年の夏の旅行記なんかはその典型であろう。また、車両や目的物に魅力を感じる場合には記述内容が厚くなるのだが、一方で、路線に乗ったという場合には単に乗ったという事だけの薄い記述になってしまう傾向がある。
そのような事情もあり、今後の旅行記においては目的対象物だけを記載する事にし、乗った列車の列車番号や車両番号をいちいち公開する事はこの冬の旅行記を最終にする予定である。
この冬の旅程において「青春
18きっぷの旅」と言えるのは、5日目の只見線だけではないかと思う。2日目の北陸本線も旅行ではあるが帰省の延長線上の出来事であり、そもそも初乗車区間の全てを公開しているわけではないから、今後の基準から言えば公開の対象にはならないかもしれない。
★★★冬の旅★★★
私は寒いのが苦手なので冬はあまり出歩かない方である。しかしながら、
2007年の夏はあまりにも暑過ぎて日中に屋外へ出る事さえ困難なぐらいであった。一方、この冬は普通列車の旅でも寒い思いをする事が無く、また、何かとよく動き回る私には暑くなり過ぎない冬の旅行もいいのではないかと思えてきた。冬には冬の情感があり、今まで見えなかった日本の表情に出会えるかもしれない。