◇「人と本」−■BC-AD15 ■博物百科等 ■動物 ■植物 ■昆虫
博物学書や著者などについての紹介です。
参考文献によって記載内容が異なることがちょくちょくあります。
16世紀 | ||||
著 者 | 生没年 | 著 作 | 刊行又は執筆 | 概 要 |
メランヒトン・フィリップ Melanchton Philipp
ルター・マルティン |
「坊主仔牛」と「教皇驢馬」に関する小冊子 | 1523 | 当時、実際に発見されたという怪物に対する論考。著者2人は、これを神罰として宗教的プロパガンダに利用したと推測される。 | |
ヘクター・ボエティウス Hector Boethius |
1465?〜1536 | 「スコットランド誌」 Scotorum historiae |
1526 | スコットランドの地誌と記録。伝説的な事象を記載した色合いが強い。 |
ポリドオ・ウエルギリオ Polydorus Vergilius |
「異象年代記」 | 1526年ロンドンまでの記事異聞を集成。オブセクエンス『異象論』に関係。 | ||
デューラー・アルブレヒト Durer Albrecht |
1471〜1528 | 「人体均衡論四書」 Vierb Bucher von Menschlicher Proportion |
1528 | |
アンドレアス・ヴェサリウス Andreas Vesalius |
1514〜1564 | 「人体の構造」 De humani corporis fabrica |
1543 |
ベルギーの解剖学者で後に、神聖ローマ帝国カルロス5世の侍医となる。相当の自信家だったらしく
先輩医学者への皮肉などを若い時から言い、一部の周囲の人間からは嫌われる存在だったという。 本著は古代より続くガレノス医学が権威を振るう中で、解剖による再確認を行いガレノスの間違いを 正したが、一方では彼もガレノスの呪縛から抜け切れなかったのか、ガレノスの間違いを そのまま踏襲し、人体の不思議は神の創造物たる所以だとも言った。 本著は医学上の新発見よりもその芸術的なまでの精密な挿絵により、人体構造の再確認といった意味合いが強い。 しかし、解剖学を新発展させた書として、同年に出版されたコペルニクスの著作と共に近代科学の記念碑 的出版物となった。 |
ニコラウス・コペルニクス Copernicus Nicolaus |
1473〜1543 | 「天体の回転について」 De revolutionibus orbium coelestium |
1543 | 地動説を科学的に提唱した最初の本だが、教会から禁書扱いとなる。 |
コンラッド・ゲスナー Conrad Gessner |
1516〜1565 | 「動物誌」 Historiae Animalium |
1551〜1587 | 中世における最大の動物学書。 |
アンドレ・テヴェ Thevet Andre |
1503〜1592 | 「東方地誌」 「南極フランス異聞」 「世界地誌」 |
1554 1555 1575 |
フランシスコ会修道士の天文学者。地誌官の職についていた。
各地の動物や風俗など自身が旅行した以外の場所も、
旅人からの口述を元に驚異図版と共に著した。が、実地見聞では無い嘘を真実と言い張り、モンテーニュなどに批判された。 なお、「南極フランス異聞」では、当時リオデジャネイロに住んでいたテヴェにより現地の先住民の生活が著されたが、 そのイメージは食人などが描かれており当時のヨーロッパ人に衝撃を与えたのみならず、アメリカ大陸全般へのイメージを植えつけてしまった。 |
オラウス・マグヌス Olaus Magnus |
1490〜1557 | 「北方民族誌」 Historia de Gentibvs Septentrionalibvs Romae |
1555 | スウェーデンの大司教。後にローマ教会の大司教になった。ヨーロッパ北部の百科事典。 |
セバスティアン・ミュンスター Sebastian Munster |
1489〜1552 | 「世界誌」 | 1556 | ドイツの地誌学者による各地の驚異図版。 |
ゲオルク・アグリコラ Georgius Agricola |
1494〜1555 | 「金属について」 De re metallica |
1556 | ドイツの医師で時代を代表する鉱物学者。当時の鉱物知識に関する集大成。 |
コンラッド・リュコステネス Corad Lycosthenes(Conrad Wolffhart) |
1518〜1561 | 「異象及び予兆の年代記」 | 1557 | オブセクエンス『異象論』と、ウエルギリオ『異象年代記』を統合しかつ、その他、古代、当時の有名著作を引用(挿絵等)した。 |
ピエール・ボエスチェオ Pierre Boaistuau |
「世界劇場」 | 1558 | 古今の著書からボエスチュオが文章を抜粋し作成した1冊の百科全書。 | |
「不可思議物語」 | 1560 | リュコステネスの『異象及び予兆の年代記』の仏訳が基本で、いくつかの先人著作から増補したもの。一般市民にも大ヒット。 | ||
アンブロワズ・パレ Ambroise Pare |
1510〜1590 | 「怪物と驚異について」 | 1573 | フランス宮廷外科医で近代医学先駆者(義足などを作った)による怪物誌の古典。 |
デュ・パルタス Du Bartas |
1544〜1590 | 「聖週間」 La Semaine ou Creation de Monde |
1578 | 聖書『創世記』に基づく天地創造の詩。動植物についても多々詠っている。 |
ウィリアム・ギルバート William Gilbert |
1540〜1603 | 「磁石について」 De magnete |
1600 | 英国の物理学者。磁気・摩擦電気について初めて科学的実験を行い、地球を一つの巨大磁石とする地球磁気論を打ち出した。電気(electrics)の命名者。 |
ファブリチオ Geronimo Fabrizio |
1533?〜1619 | 「胚の形成」 The Discoverie of Guiana(De formato foetu) |
1600 | パドヴァ大学の解剖学者。「人」だけでなく「動物」の比較解剖学の創始者。 鶏の発生の様子を初めて図解した人。 |
「卵と雛の形成」 De formatione ovi et pulli |
1621 | |||
ヘフナゲル・ゲオルゲ Hoefnagel George |
1545〜1600 | 「アルケティパ」 Archetypa |
1592 | オランダの画家。ルドルフ2世の博物標本を元に多数の博物画を残した。「アルケティパ」は息子のヤコブが父の原画を元に銅板画し刊行した。 |
17世紀前 | ||||
著 者 | 生没年 | 著 作 | 刊行又は執筆 | 概 要 |
バートン Robert Burton |
1577〜1640 | 「憂鬱の解剖」 The Anatomy of Melancholy |
1610 | 英国の宣教師、作家。「憂鬱」は中世医学の四体液の一つでその原因、兆候、発病についての研究内容。 |
リチャード・ハクルート Richard Hakluyt |
1552?〜1616 | 「パーチャス巡歴記」 Purchus his Pil-grimes |
1625 | 英国人による探検航海の記録を蒐集・編纂した探検史の資料。 |
ニッコロ・カベオ Nic-Colo Cabeo |
1585〜1650 | 「磁気哲学」 Philosophia magnetica |
1629 | イタリアのイエズス会士。 |
ガリレオ・ガリレオ Galileo Galilei |
1564〜1642 | 「世界の二大体系についての対話」(天文対話) Dialogo di Galileo Galilei Linceo |
1632 | プトレマイオス派(天動説)とコペルニクス派(地動説)と中立的立場の人間による対話の形式を取りながら、天動説を否定した。 出版翌年にガリレオは宗教裁判にかけられ、自説を撤回させられ禁書となった。 |
アタナシウス・キルヒャー Athanasius Kircher |
1602〜1680 | 「磁石あるいは磁気の術」 Magnes sive de Arte Magnetica |
1641 | キルヒャーの磁石著作の決定版。 |
トマス・ブラウン Sir Thomas Browne |
1605〜1682 | 「俗信論」 Vulgar Errors |
1646 | 英国の医師。古来より伝わる俗説や迷信が大真面目な本に記載される中で、理性に反する事象であると痛烈に批判、論破した。他に「医師の宗教」「壺葬論」などの著書がある。独特のその散文句は、様々な分野の書物にしばしば引用される。 |
ヨハン・ヨンストン Johann Johnstone |
1603〜1675 | 「禽獣虫魚図譜」 | 1650〜1653 | ポーランド生まれのスコットランド人の博物学者。本著はゲスナー、アルドロヴァンディの著作の延長上にあり多数の図版がある。蘭語版が日本にも輸入され、平賀源内も入手した。 |
ガスパール・ショット Gaspar Schott |
1608〜1666 | 「珍奇学あるいは自然と人工の驚異」 | 1667 | ドイツのイエズス会士。後にアウグスブルク大学数学教授。 本著は「珍奇自然学」や「珍奇技術学」など 各巻に珍奇の文字が付され、内容も多岐に渡る全11巻。 |
17世紀後 | ||||
著 者 | 生没年 | 著 作 | 刊行又は執筆 | 概 要 |
ジョン・アモス・コメニウス Johann Amos Comenius |
1592〜1670 | 「世界図絵」 | 1658 | 子供向けの教養書。図像による知識伝達の革命と言われる。 |
マルチェロ・マルピーギ Marcello Malpighi |
1628〜1694 | 「肺の構造についての書簡」 De pulmonibus epistola altera |
1661 | イタリアの解剖学者でボローニャ大学やピサ大学で教鞭をとった人。 カエルの肺を使った生理学実験を行い、動脈と静脈が毛細血管を介して繋がっていることを著した。 |
「卵内の雛の形成」 De formatione pulli in ova
「孵化した卵」 |
1672 1675 |
卵内の発生の様子を顕微鏡で確認し、前成説を唱えた。 | ||
ロバート・フック Robert Hooke |
1635〜1702 | 「顕微鏡図譜」 Microgra-phia |
1665 | 英国の物理学者。自作の顕微鏡を用いて昆虫や植物など自然物の図譜を描いた。「細胞(cell)」の命名者。 |
グラーフ Regnier de Graaf |
1641〜1673 | 「雌雄生殖器新研究」 De mulierum organis generationi inser-vientibus tractaus novus |
1672 | オランダ人。スワンメルダムの友人。哺乳類の卵胞を発見した。 今日「グラーフ細胞」で知られる。 |
ハルトゼーカー Nicolas Hartsoeker |
1656〜1725 | 「屈折光学試論」 Essaiy de Dioptrique |
1694 | 生命の発生に対し、精子論を唱えた。本書では顕微鏡観察により、 精子の中に微小人間が存在すると著した。 |
18世紀 | ||||
著 者 | 生没年 | 著 作 | 刊行又は執筆 | 概 要 |
ツァーン Joannes Zahn |
17〜18世紀初 | 「世界の驚異すべき事物の鑑」 | ドイツの博物学者、地図製作者の書。 | |
ルンプフ Rumpf Georg Eberhard |
1627〜1702 | 「アンボイナ島の博物誌」 D'Amboinische rarite-tkamer behelz |
1705 | ドイツ生まれのオランダの博物学者。オランダ東インド会社に雇用され、アンボイナ島で多数の新種生物を発見したが、 ファレンティン等に成果を流用された。 |
ハンス・スローン | 1660〜1753 | 「ジャマイカの自然史」 Natural History of Jamaica |
1707 | 大英博物館の創設者。膨大な博物学資料、美術品などを収集した彼のコレクションは 大英博物館が創設される礎となった。 |
ヨハン・ヤーコプ・ショイヒツァー | 1672〜1723 | 「神聖自然学」 Physica Sacra |
1723 | 聖書で語られる事跡の全てを図像化しようとした途方も無い企ての図版集。
聖書図解の到るところに当時の最先端科学書の挿絵がドッキングされている。 なおショイヒツァーは、ヨーロッパで発見されたオオサンショウウオの化石をノアの洪水で死んだ人間の化石と提唱した。これは約百年後、キュヴィエが 分類学を確立するまで信じられた。 |
ファレンティン Valentijn Francois |
1666〜1727 | 「新旧東インド誌」 Oud en nieuw Oost-Indien |
1724〜1726 | オランダの旅行家。1685年に東インドのアンボイナ島で管理官ルンプフに会った。 ルンプフが記述してきたアンボイナ島の博物誌を無断で流用し、帰国後は日本を含むアジア地域の自然史を刊行した。 |
ケーツビー・マーク Catesby Mark |
1683〜1749 | 「カロライナ自然史」 Natural History of Carolina |
1731〜1743 | 英国の博物学者。北米の動植物に関する最初の彩色図鑑。 |
ブリッケル Brickell John |
1710〜1745 | 「ノースカロライナ自然誌」 The natural History of North Carolina |
1737 | 新大陸アメリカに移住した初期の人々が記録した動植物の記録。 |
アルベルト・セバ Albert Seba |
1665〜1736 | 「万物図」 Thesauvus |
1734〜1765 | オランダの珍奇収集家の目録。セバの標本室にあった怪物ヒュドラを博物学者リンネは一目でインチキと見破ったとか・・・。 |
ニーダム John Turbeville Needham |
1713〜1781 | 「顕微鏡による新発見の説明」 Anaccount of some new microscopical discoveries |
1745 | 密閉された空間内に肉汁を設置し数日後に微生物が発生することを確認し、自然発生は実在することを著した。 しかし、イタリアのスパランツァニ(Lazzaro Spallanzani 1729〜1799)に実験方法の不確実さを指摘され、自然発生の問題解決はパスツールの登場を待つことになる。 |
ゴーティエ・ダゴティ Jacques-fabien Gautier Dagoty |
「彩色筋学総論」 Myologie complete en couleur et grandeur naturelle |
1746 | 「解剖学の天使」という背中の皮を剥がされた有名な解剖図を収めた本。最初の彩色された解剖図譜らしい。 | |
ビュフォン,ジョルジュ=ルイ・ルクレール Buffon,Georges=Louis Leclerc,Comte de. |
1707〜1788 | 「一般と個別の博物誌」 Histoire Naturelle,generale et Particuliere,avec la Description du cabinet du roi. |
1749〜1804 | 迷信を省いた博物書の先駆け。 |
ディドロ(編) Diderot Denis ダランベール(編) |
1713〜 1784 1717〜 |
「百科全書」 Encyclopedie |
1751〜1780 | ディドロと科学者ダランベールを編纂者として、当時の知識人を総動員した 18世紀のフランスにおける最大の百科全書。本巻17巻、図版12巻、補巻4巻、索引2巻の全35巻 |
エーリク・ポントピダン Henrik Pontoppidan |
1698〜1764 | 「ノルウェー博物誌」 | 1752 | コペンハーゲン大学総長代理かつ司教による北極近辺の自然等。クラーケンの記述が良く知られる。 |
ヴォルフ Caspar Friedrich wolff |
1733〜1794 | 「発生論」 Theoria generationis |
1759 | 植物や鳥の成長(器官形成)を観察して、後世説の具体的根拠を示した。 |
レダーミューラー Martin Frobenius Ledermuller |
1719〜1769 | 「顕微鏡による心と眼の娯しみ」 Mikroskopische Gemuth-us und Augener gotzungen |
1759〜1762 | 微生物の形態について |
スメリー(編) William Smellie |
1740〜1795 | 「ブリタニカ百科事典」 Encyclopedia Britannica |
1768〜1771 | 印刷業者コリン・マクファ−クワ (Colin Macfarquhar 1745?〜1793) と銅版画家アンドリュー・ベル (Andrew Bell 1726〜1809) が企画し、博物学者スメリーを編者とした。従来のアルファベット順ではなく、主要テーマの 関連項目をまとめて論文形式にしたことに特徴がある。 |
ドゥルリー・ドゥルー Drury Dru |
1725〜1803 | 「自然史図譜」 Illustrations of Natural History |
1770〜1782 | 英国の銀細工師、昆虫学者。昆虫の分類に尽力した。 |
ゴールドスミス・オリバ− Goldsmith Oliver |
1728〜1774 | 「大地と生物の自然史」 An History of the Earth and Animated Neture |
1774 | 英国の小説家によって、ビュフォン『博物誌』を自由編訳し、英国初の 一般向け博物学書としてベストセラーとなった。しかし、ベストセラーとして1世紀もの間、いくつもの版が重ねられたが故に、肝心のビュフォン『博物誌』翻訳が阻害されることとなった。 |
ビュショー Pierre Joseph Buchoz |
1731〜1807 | 「動植鉱物百図」 Premiere(& Seconde)Centurie de Planches |
1775〜1781 | フランス初期の博物百科図譜。植物編が全て中国の薬草を記述しているが不正確な内容らしい。 |
ヨハン・ベックマン Johann Beckman |
1739〜1811 | 「西洋事物起源」 | 1780〜1805 | ドイツの大学教授、科学技術史の先駆者。リンネとの親交もあった。近代技術史の歴史を豊富な逸話と共に紹介した。プリニウスからの引用も多々ある。 |
ラマルク(植物編) ボナテール(動物編) |
「方法百科」 Encyclopedie methodique |
1782〜1832 | フランスの百科事典。「方法」は当時に於いて「分類」と似た意味にあたるそうです。 | |
ギルバード・ホワイト Gilbert White |
1720〜1793 | 「セルボーンの博物誌」 | 1789 | セルボーンの牧師。当地にて野外観察を行い動物の習性を著した。本著を読んで 各地の牧師たちが「私も観察して博物書を著してみよう」という人も結構いたらしく一般に博物学を広める切っ掛けにもなった本。 |
ハリス Thaddeus Mason Harris |
1768〜1842 | 「聖書の博物誌」 The natural histroy of the Bible |
1793 | 英国の牧師。聖書に出てくる鳥獣虫魚、植物、鉱物等に解説を加えた事典。 |
ジョージ・ショー | 「博物学補遺」 The naturalists Miscellany |
1789〜1813 | 18世紀後半における英国最大の博物図版。全26巻。 | |
大英博物館 British Museum |
「大英博物館珍品図録」 | 1791 | 当時の開館初期の展示品は<珍奇な品>が多く、1791年のカタログには 「二重殻卵」「バベルの塔の残骸」「世界の目」「無脚鳥」など妖しげだった。 | |
バートラム・ウィリアム Bartram William |
1739〜1823 | 「北米旅行記」 Travels Through North and South Carolina |
1794 | リンネの友人だった植物学者の父と共に米大陸を探検し、ヨーロッパに多くの標本を送った。アメリカ産生物の最初の本格的図版。 |
ラ・ペルーズ John Francis Galaup de La Perouse |
1741〜1788 | 「ラ・ペルーズ世界周航図録」 Voyage de La Perouse autour du Monde |
1797 | ラ・ペルーズが科学探検船ブッソル&アストロラブ号を率いて1785-88年に行った航海図録。 ラ・ペルーズは非キリスト教圏の太平洋諸島民に敵意を抱いていたため、図版には「野蛮人」が多数登場してしまう。この艦隊は太平洋で行方不明(遭難)となり、1826-29年にかけて行われたデュモン・デュルヴィルの探検航海にて船の残骸が発見された。 |
ウィルクス・ジョン Wilkes John |
1727〜1797 | 「ロンドン百科事典」 Encyclopaedia Londinesis |
1797〜1829 | 博物誌に重点を置いた英国最初の百科事典。 |
ペナント・トマス Pennant Thomas |
1726〜1798 | 「地球の概観」 Outlines of the Globe |
1798〜1800 | 英国の旅行家。多数の紀行書には博物学の記述も多い。 ホワイト「セルボーンの博物誌」は、文通相手のトマスに捧げられた作品。 |
ベルトゥーフ F,J,Bertuch |
1798〜1830 | 「少年絵本」 Bilderbuch fur Kinder |
1798〜1830 | 古今の名図譜を集成した大著。副題「新世界図絵」として、コメニウス「世界図絵」を意識した。 少年向けの教養百科にも関わらず、自然界を網羅した広大な範囲にわたる美麗手彩色銅版画をふんだんに収録した。 |
ソンニーニ Sonnini de Manoncourt Charles Nico-las Sigisbert |
1751〜1812 | 「ビュフォン博物誌ソンニーニ版」 Historie natu-relle generale et particuliere |
1799〜1808 | フランスの博物学者。ビュフォンの『博物誌』に魚類、植物、昆虫の記述を加えた全127巻の増補版を編纂。 |
ラ・ビヤルディエ La Billardiere,J.J.Houtou de |
「ラ・ペルーズ探索航海図録」 Historie Naturelle des Singeset des Makis |
1800 | 行方不明のラ・ペルーズ探索の任務を背負ったダントルカストー(D'Entrecasteaux) 指揮の科学探検船。1791-94年にかけて行われ、南太平洋の博物学調査に大きな功績をあげた。 |
19世紀 | ||||
著 者 | 生没年 | 著 作 | 刊行又は執筆 | 概 要 |
ビシャー Marie-Francois-Xavier Bichat |
1771〜1802 | 「一般解剖学」 Anatomie generale.4vols |
1801 | フランスの解剖学者。「組織(tissu)」の命名者。 |
フンボルト Alexander Freiherr von Humboldt ボンプラン Aime Jacques Alexander Bonpland |
1769〜1859 1773〜1885 |
「新大陸赤道地方 (中南米)旅行記」 Voyages aux Regions equinoxiales du Nouveau Continent |
1805〜1834 | ドイツの科学者フンボルトとフランスの植物学者ボンプランが、1799-1804年にかけて当時未知の大陸だった中南米を探検した報告書。 若かりしダーウィンも本著を読みビーグル号上の人になったという。 フンボルトはこの探検旅行の最中、幾たびも生命の危機に直面したというが、その知的探究心や強靭な身体により乗り切ったという。 矢毒を飲んで効果を試したり、電気ウナギを直に触って電撃を食らったなど。ゲーテやナポレオンと会ったらしい。最後で最強の博物学者とも言われる。 |
ペロン&フラシネ Peron&Freycinet |
「オーストラリア博物航海図録」 Voyage de decouvertes aux terres Australes |
1807〜1816 | 1800-04年にかけて行われたフランス博物探検航海。 | |
ジャン・バティスト・ド・モネ・ラマルク Jean Baptiste de Monet de Lamarck |
1744〜1829 | 「動物哲学」 Philosophie zoologigue 「無脊椎動物誌」 |
1809
1815〜1822 |
フランスの博物学者。キュビエのライバル。 ラマルクの進化思想「用不用説」「獲得形質の遺伝」がこれらの著作で述べられる。 |
ナポレオン(勅命) Napoleon Bonaparte |
1769〜1821 | 「エジプト誌」 Description de l'Egypte |
1809〜1822 | ナポレオンが五万の大軍に加え、200人の学術調査団を伴ってエジプト遠征(1798-99)を行った際の調査資料をもとにフランス国力を挙げて出版した大著。 ロゼッタストーンもこの調査で発見した。本の大きさも大きく精密を極める大型図版(894枚)は現在の印刷では再現不可能と言われる。 |
F.G.ルヴロー(編) F.キュヴィエ(編) |
「自然学事典」 | 1816〜1841 | フランスの百科事典。 | |
ジョルジュ・レオポル・キュヴィエ Georges Leopold Cuvier |
1769〜1832 | 「動物界」 Le Regne Animal |
1817 | ビュフォンの後を継いだフランス最大の博物学者の名著。 |
サン=ティレール Etienne Geoffroy Saint-Hilaire |
1772〜1844 | 「解剖哲学」 Philosophie anatomique |
1818〜1822 | フランスの比較解剖学者。パリ自然史博物館の脊椎動物学教授。 動物の種に関係なく、体内諸器官の相対的な構成要素は変わらないという「関係の法則」を本著で示し「原型説」を主張、 キュヴィエとの論争を行った。 |
フレシネ Freycinet Louis Claude Desauises de |
1779〜1842 | 「ユラニー号・フィジシェンヌ号世界周航図録」 |
1824 | フレシネ指揮による博物航海記録。船長フレシネの妻ローズも男装して乗員となった。 |
デュプレ Duperrey Louis-Isidore |
「コキーユ号航海記録」 Voyage autour du Monde execute sur la Corvette La Coquille 1822-1825 |
1826〜1830 | フランスの博物探検航海記録。デュプレ指揮下、太平洋熱帯部を調査した。図版が凄い有名らしい。 | |
デュモン・デュルヴィル Dumont d'Urville Jules-Sebastien-Cesar |
「アストロラブ号航海記録」 Voyage de la Corvette L'Astrolabe execute pendant les annee 1826-1829 |
1830〜1835 | フランスの博物探検航海記録で最も成功したと言われる。日本近海を含む全世界の海洋生物を調査した。使用船は前回のコキーユ号を改名したもの。 | |
チャールズ・ライエル Charles Lyell |
1797〜1875 | 「地質学原理」 | 1830〜1833 | 全三巻。英国の地質学者。ロンドン大学教授、地質学会会長。キュビエが生命の起源と変化について提唱した「天変地異説」を否定し、「斉一説」を主張した。 |
シーボルト Philipp Franz von Siebold |
1796〜1866 | 「日本」 Nippon |
1832〜1858 | オランダ東インド陸軍少佐として来日したドイツ人医師のシーボルトが監修等した「シーボルト三部作」。 シーボルトが帰国した後も、助手らが本国へ標本を送り続け刊行された。この標本は現在もオランダのライデン自然博物館が所蔵している。 |
F・ゲラン・メヌヴィル | 「博物学図解事典」 | 1833〜1839 | フランスの博物学書刊行家。一般向け百科図譜で科学的図像表現を廃し、絵画美への 志向を強め人気を得た。 | |
ジャーディン・ウィリアム Jardine sir William |
1800〜1874 | 「ナチュラリスツ叢書」 Naturalist't Library |
1833〜1843 | 英国の博物学者。一般向けの博物学叢書(全40巻)で小型本ながらも美麗図版を多く含む。 |
ドルビニ D'Orbigny Alcide Charles Victor Dessalines |
1806〜1876 | 「万有博物事典」 Dictionnaire Universel d'Hist-oire Naturelle |
1837 | フランスの博物学者が編纂したフランス図鑑黄金時代の最後の事典。 280葉に及ぶカラー彩色図版は、プレートル、トラヴィエなど当代有数の画家による原画を備える。 |
テミンク Temminck Coenraad Jacob |
1778〜1858 | 「オランダ領インド自然誌」 | 1839〜1844 | オランダの植民地探検図譜。ウツボカズラ類が多数記載されたことが有名。 |
ジャン・ルイ・ロドルフ・アガシ Jean Louis Rodolphe Agassiz |
1807〜1873 | 「氷河の研究」 Etudes sur les glaciers |
1840 | スイス生まれのアメリカの博物学者。キュビエの弟子。1700に及ぶ魚類化石図版を記載(シーラカンス命名)したり、初めて氷河期の提唱を行い、若くして名声を得る。 その後、アメリカに渡り(魚類化石研究の出版で文無しになったらしい?)、アメリカの博物学水準を世界的水準に引き上げた。ヨーロッパでの名声が高かったこともあり、 アメリカとヨーロッパの科学の橋渡しとしても重要な役割を果たした。講演の話術も巧みで大衆にも凄い人気があったらしい。 |
ディオニシウス・ラードナー Dionysius Lardner |
「百科宝典」 | 1840 | 全11巻。執筆者はスウェインソン・ウィリアムなど。 | |
ゲイ・クロード Gay Claude |
1800〜1873 | 「チリ自然社会誌」 Historia fisica y politica de Chile |
1844〜1871 | フランスの著作家。本著はチリ政府が発行した南米探検紀行で生物相の解明に貢献した。 |
フンボルト Alexander Freiherr von Humboldt |
1769〜1859 | 「コスモス」 Kosmos |
1845〜1862 | ドイツの科学者。 |
チャールズ・ダーウィン Charles Darwin |
1809〜1882 | 「種の起源」 Origin of Species 「人間の由来」 |
1859
1871 |
「種の起源」(原題は長い)は自然淘汰説についての
有名な著作だが、人間そのものの進化を論じるのは、「人間の由来」まで待つことになる。 当時の学会、宗教界に多大すぎるほど多大な影響を及ぼしたが、批判も非常に多く、猿に見立てたダーウィンなどの風刺画がたくさん描かれた。 |
パスツール Louis Pasteur |
1822〜1895 | 「自然発生説の検討」 | 1862 | フランスの化学者、細菌学者で狂犬病の予防接種の開発で有名。
本著で長い間議論になっていた生物の自然発生について、その否定を明らかにした。 カイコ病の研究にも取り組んだ。 |
ベイツ Bates Henry Walter |
1825〜1892 | 「アマゾン河の博物学者」 The Naturalist on the River Amazons |
1863 | 英国の博物学者、ロンドン王立協会会員。ウォレス、スプルースと共に1848-59年にかけてアマゾン河付近にて博物探検調査を行った。この旅で生命の危機にさらされながらも、ベイツは昆虫14,712種を発見した。(内8,000種は新発見) その後、ベイツ自身も旅の経験をもとに進化論の論文を著し、ダーウィンを支持した。 |
トマス・ヘンリー・ハクスリー Thomas Henry Huxley |
1825〜1895 | 「自然における人間の位置」 Evidence as to man's Place in nature |
1863 | 「ダーウィンの番犬」とあだ名される程、ダーウィニズムの保護に活動した。
論争を嫌ったダーウィンの代わりに、進化論を批判する学者、司教などと論争した。千人近い聴衆の前で、オックスフォード主教、
サミュエル・ウィルバーフォースを論破したのは広く知られる。 本著は第1章類人猿誌、第2章人と下等動物の関係、第3章人の化石遺骸についてから構成される。 |
アルフレッド・ラッセル・ウォレス Alfred Russel Wallace |
1823〜1913 | 「マレー諸島」 | 1869 | 英国の博物学者。ベイツらとのアマゾン河探検に別れを告げ、1854-62年にかけてマレー諸島を学術調査した内容。
この調査により新種を多く含む動植物標本12500種以上を採取した。 ウォレスは調査中に自然選択説の考えを持ち、ダーウィンへ手紙を送りその理論の同一さを驚かせた。そして、1858年にダーウィンと共著という形でロンドンのリンネ学会に自然淘汰進化理論の論文を発表した。 また、アジア種とオーストラリア種の動物分布境界線「ウォレス線」を明らかにしたことでも知られる。 |
エルンスト・ハインリヒ・ヘッケル Ernst Heinrich Haeckel |
1834〜1919 | 「自然の造形」 Kunstformen der Natur |
1899〜1904 | ドイツの博物学者・科学者。ハクスリーと並んで進化論を擁護した中心人物。学者であると同時に画家の才能にも恵まれ顕微鏡から見た生物の図版集「自然の造形」を刊行した。 |