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ビュフォン,ジョルジュ=ルイ・ルクレール
Buffon,Georges=Louis Leclerc,Comte de.(1707〜1788)

フランスの博物学者。

ビュフォンは土地の名で伯爵領であることから、一般にビュフォン伯と呼ばれる。
1739年よりパリ王立植物園園長を勤め、同園を加速度的に発展させると同時に一般大衆への開放、また、サン=ティレール、ラマルク、 キュヴィエなど次世代の博物学を担う有望な人材を積極的に登用し、博物学啓蒙に尽力した。
実験により地球の創生時間を新しく提唱したり、大著「一般と個別の博物誌」は当時の博物学の全領域を網羅し、美麗図版と文学的な表現により一般に広く読まれた。

地球創生時間の提唱
当時、一般に普及していた地球の創生時間は、司教アシャー(James Ussher 1581〜1656) が聖書の事跡を 元に算出した紀元前4004年であった。この時間は、化石の存在や地層、山岳形成などを調査していく内に疑問点を 持つ学者らも例外的に存在していたが、対抗できる理論と明確な時間を算出することは出来なかった。当代における聖書の 影響力は強く、地球創生時間に疑念をもった王家要職者が、創生記にうたわれた6日間による天地創造は文字通りの6日間では無く、概念的、 例えば6回目の天地創造により人類が誕生したのではないかと口走っただけでさえ、解任収容されるということもあった。

かような状況下に於いて、ビュフォンは「火」による「熱」を重要視し、新しい理論を提唱した。 すなわち、地球のような大きさの球が現在の温度まで冷却されるには、どれほどの時間が必要か?
これを実験用の鉄球を熱して冷える時間を確認し、鉄球と地球の大きさと冷える時間を相対的に計算して、地球創生時間は約8万年とした。 (実際には、太陽など他の惑星からの熱や、地球上の土砂など他の条件を加味して膨大な計算を行い厳密な年数まで算出した)
次に人間など動植物が生活できる温度まで地球が冷える時間を計算すると・・・人間は約6000年〜8000年前くらいに創造されたのではないかとした。

しかしながら、先の紀元前4004年を否定し、8万年などと提唱したことは、神学者らから言語道断と激しい非難を浴びて結局この主張は撤回することになるが、 地球の歴史は聖書記述よりももっと長いと提唱しはじめたことは、生物は変化するという思想を裏付けていくものとなっていった。

熱による進化論? あるいは変化、退化論
ビュフォンは、「熱」により気温が高ければ高いほど、自然界の有機物質は最大の力を発生すると提唱した。 従って、先の地球の暫時冷却によれば、最初の生物は単純で原始的な微小生物ではなく、大型な生物であり、温度が冷えるに従い自然界の物質はエネルギーを失い、 より小型な生物が生まれたとした。
※この考えは、熱による進化論ともいうべき内容だが、実際は熱が冷えるに従い、完全なものから不完全なものへと退化するといったものに近い。
※また地域の気候変化(気温)に伴い、生物は移動したり、発生順序のズレが生じるとし、各地で発見される化石類の謎を解明する要因も兼ねていた。

ビュフォンの提唱は新大陸アメリカにも及んだ。
新大陸アメリカは旧大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)と比べ、気温も寒く生物も小型なものしか存在しないとした。従って「小型の生物=退化した存在」から 「新大陸=劣等」というイメージをヨーロッパ中に抱かせてしまった。
この状態に危惧した後のアメリカ大統領トマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson 1743〜1826) は、ビュフォンに対し猛烈に抗議すると同時に、 未だ未開地の残るアメリカ大陸にも大型の生物(マンモスなど) が存在することを確認するために探検隊の派遣を熱心に行った。

なお、ビュフォンはやがて来るであろう地球が完全冷却する死滅の日を遅らせる案を提唱したが、人々に受け入れられることは無かった。

『一般と個別の博物誌』
本著に到るまでの博物百科には大小の差はあれ、伝説や俗信の類が含められていた。
ビュフォンはニュートン主義による合理性を追求した自然科学をフランスに初めて導入し、迷信を省いた新しい博物学を提唱した。 ※この著作では、空想上の怪物・幻獣等は一切除外されている。

しかし、先の地球創生時間や進化などの提唱により、反聖書的な内容と受け止められ、神学者などから非難を浴びてしまい、 本著はある種、文学的あるいは慎重な言い回しの表現が生まれている。
それ故に一部の科学者からは中途半端な内容だ、文学者からは文学とは認めない、などといった状況も生まれたが、美しい図版と共に ビュフォン流のその明晰かつ文学的表現が一般受けしたことも要因となり、大衆には大ヒットとなった。

「一般と個別の博物誌」に込められた意味は、古代からの博物学である(動物、植物、鉱物など)の個別の博物学のみならず、 それら個別の研究を繋ぐ総論を提唱した。これは、自然界全体の生物は造物主により創造されたが、一旦創造されたら後は自然の全体的な流れに 影響を受ける。その自然の普遍的影響力について探求したことが一般であり、個別の博物学さえ謎多い研究が続けられていたなかで衝撃的な内容だった。
また、リンネの人為的な分類法に対しては批判的で、自然界を分類することは不可能と考えており、有る程度の分類(個別の博物誌に於いて)は実施するも あくまで自然界の普遍的な順序とした。

「一般と個別の博物誌」はその後も英訳版などを含め膨大な版が刷られたが、有名なのはソンニーニによって、魚類、植物、昆虫の記述を加えた 全127巻の増補編纂版(1799〜1808)で、ジャック・バラバンや、ド・セーヴ・ジャックなど当代を代表する絵師たちにより原図が描かれた。


◎主要著作
1749-1804 Histoire Naturelle,generale et Particuliere,avec la Description du cabinet du roi.44vols
          『一般と個別の博物誌』


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