■ジョルジュ・レオポル・キュヴィエ Georges Leopold Cuvier(1769〜1832) フランスの博物学者、比較解剖学者、分類学者。
若くから博物学を学び、1795年、革命も一旦落ち着いたパリに来るのとほぼ同時に、
パリ自然史博物館の比較解剖学助教授に就任。その後、教授を経てパリ大学総長、
著書「動物界」を初め、事実と実験を重要視し、比較解剖学から分類学を確立した。
■著書『動物界』
キュヴィエは、生物を表面上の外見ではなく、骨格とその機能において、次の4つに分類した。 この、発見(分類)は、シャルル・ボネやラマルクなどにより、古代から当時において 認識されていた「存在の大いなる連鎖」−生物(自然物)は下等なものから、高等(人間)なものへ 全てが連鎖しているという、人類中心主義的な考えを真っ向から否定するセンセーショナルな考えだった。
時にキュヴィエは、ラマルクの進化思想を批判、黙殺したこと及び、反進化論者であったことから、
今日では、覚えられていないような人物かも知れない。
また、『動物界』は名著として、その後も多くの版が重ねられた。
■化石の発見と生命起源−天変地異説の提唱 代表的な論として、同僚のラマルクは生物は「進化−変化」したことで、現生種と化石種は 身体の構造が異なると主張したが、キュビエは一般に「天変地異説」と呼ばれる次のような主張をした。 「生物が変化する場合はあったとしても、その部分は小さく、これほど形の違う生物が「変化」したはずが無い。 過去に地球上に壊滅的な天災が発生したことにより、生物は死滅し、その度に生物は新しく「創造」されたのだ」
・キュヴィエの天変地異説提唱の根拠は要約として、次の3点。
キュヴィエ(フランスの博物学者たち)は、地球の年齢は数万年との考えもあったため、これらの疑問とともに導かれる結論は、
絶滅による生命の再創造だった。 この天変地異説は、「創世記」のノアの洪水も同時に説明できた為、一時期権威を誇ったが、 次々と発見される化石及び発見地域、地層は、「天災」だけでは説明がつかなくなり (キュヴィエの死後も論争は続き、計20回以上の天地創造が「発明」されたが・・・)、ライエルの「斉一説」に葬り去られた。
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◎主要著作 ■1817 Le Regne Animal 『動物界』 ■1828 Discours sur les revolutions・・・激変説の提唱 |