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ジョルジュ・レオポル・キュヴィエ
Georges Leopold Cuvier(1769〜1832)

フランスの博物学者、比較解剖学者、分類学者。

若くから博物学を学び、1795年、革命も一旦落ち着いたパリに来るのとほぼ同時に、 パリ自然史博物館の比較解剖学助教授に就任。その後、教授を経てパリ大学総長、 著書「動物界」を初め、事実と実験を重要視し、比較解剖学から分類学を確立した。
また、比較解剖から、身体は活動機能に対応した「相関の法則」(各部はある目的に連動して働き、一部の変化は他の各部の身体に影響する )を示し、化石の一部から全体を復原できるなどとも豪語した。
キュヴィエの科学精神溢れる数々の提唱は、皇帝ナポレオンの信頼も得て、国政にも参加、学者として当時最も権威があり、学界の 実権を握っていた。

著書『動物界』
フランスにおいて、ビュフォン「一般と個別の博物誌」と並ぶ2大博物学著作。

キュヴィエは、生物を表面上の外見ではなく、骨格とその機能において、次の4つに分類した。
1.「脊椎動物」
2.「軟体動物(貝類など)」
3.「有体節無脊椎動物(ミミズなど)」
4.「放射形生物(珊瑚など)」
−この4種の間を結びつける骨格・機能を持つ中間種は存在しない。生物(分類された)の起源は各々が別個に創造された−

この、発見(分類)は、シャルル・ボネやラマルクなどにより、古代から当時において 認識されていた「存在の大いなる連鎖」−生物(自然物)は下等なものから、高等(人間)なものへ 全てが連鎖しているという、人類中心主義的な考えを真っ向から否定するセンセーショナルな考えだった。

時にキュヴィエは、ラマルクの進化思想を批判、黙殺したこと及び、反進化論者であったことから、 今日では、覚えられていないような人物かも知れない。
しかし、ラマルクの「進化」に対し、キュヴィエの 比較解剖による事実のみを追求したこの分類は、生物界の相互関係を 改編し、「分類学」を確立したことで進化論の前提条件を作ったといえる。

また、『動物界』は名著として、その後も多くの版が重ねられた。
有名なのは第三版、通称『門徒版』(1836-49) で、 トラヴィエ、ウダールなど当代一流の絵師たちによる精密を極める 手彩色図版約1,000点はフランスの生み出した生物図鑑の最高傑作と言われる。

化石の発見と生命起源−天変地異説の提唱
パリ盆地など国内外のいたる所から次々に見つかる生物の化石、しかしその生物の骨格は 現在の生物とは似ても似つかない、これは一体何なのか?

代表的な論として、同僚のラマルクは生物は「進化−変化」したことで、現生種と化石種は 身体の構造が異なると主張したが、キュビエは一般に「天変地異説」と呼ばれる次のような主張をした。

「生物が変化する場合はあったとしても、その部分は小さく、これほど形の違う生物が「変化」したはずが無い。 過去に地球上に壊滅的な天災が発生したことにより、生物は死滅し、その度に生物は新しく「創造」されたのだ」

・キュヴィエの天変地異説提唱の根拠は要約として、次の3点。
 1.生物は進化しない
   (何千年前にも、犬、猫、人間はいるが骨格の変異も進化もない。変種でさえ骨格は近似している)
 2.自然の階梯論「存在の大いなる連鎖」は否定、生物は種として分類される。
   (分類間の中間種は存在しない)
 3.化石種から見られるよう絶滅種は多数存在する
   (生物連鎖があるなら何故絶滅種が?、連鎖が途切れている。)

キュヴィエ(フランスの博物学者たち)は、地球の年齢は数万年との考えもあったため、これらの疑問とともに導かれる結論は、 絶滅による生命の再創造だった。
(上記1の考えから数万年の地球歴史でこれほど姿が変化するのは不可能)

この天変地異説は、「創世記」のノアの洪水も同時に説明できた為、一時期権威を誇ったが、 次々と発見される化石及び発見地域、地層は、「天災」だけでは説明がつかなくなり (キュヴィエの死後も論争は続き、計20回以上の天地創造が「発明」されたが・・・)、ライエルの「斉一説」に葬り去られた。


◎主要著作
1817 Le Regne Animal 『動物界』
1828 Discours sur les revolutions・・・激変説の提唱

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