■コンラッド・ゲスナー
Conrad Gesner(1516〜1565)
スイスの博物学者。
『書誌学』『植物学』の父と言われる。
チューリヒで毛皮職人の子として生まれた。
幼少時期に親戚の家に引き取られ、貧しい生活ながらも学問を続け、奨学生として
各地の大学で学び、20歳前にはラテン語、ギリシア語、ヘブライ語を習得した。
そして25歳の時に、それら3言語で記された著作目録『書誌総覧』の構想をもった。
■『書誌総覧』
発行地、発行年、発行者、著者の略歴、著書の要約など出版された書のみならず、図書館に
眠っていた未発表の著作を含め、それらを体系的にまとめた百科事典であり、ゲスナーの
名声を不動のものにした。
詳細には『書誌総覧』『要覧分類』『書誌補遺』の3部にまとめられ、10,000を超える
著作、30,000以上の見出しなどまさに古今壮絶の目録であり、ゲスナーが『書誌学の父』と
呼ばれ尊敬される所以である。
■『動物誌』
古今に知られた動物を現実に限りなく近いとした図版と共に論じた動物学書。
これらに収録された図版や資料などはロンドレ、ブロンなど当代を代表する
学者達からも協力をもらった。
内容がアリストテレスに頼っていたり、実観察ではなく先人の著書をまとめた
内容とも言われるが、このように体系的にまとめた大動物書はまさに古今
無く初めてのことであり、多くの動物学名がゲスナーによってラテン語学名が命名され、
リンネへの引継ぎ採用されたという。
また、これまで知られた動物とのことからか、ゲスナー自身見た事がないと言いながらも、
空想上の幻獣が多く描かれ、本著は「怪物誌」とも言われる。
その他、予定として第六巻「昆虫」誌があったが、ゲスナー自身の名
として発刊されることは無かった。
実際には、ゲスナー「昆虫」誌の原稿は、
トマス・ペニー(Thomas Penny 1530〜1588)
トマス・ムフェット(Thomas Moffet 1553〜1604)
などの手をを介し、1634年に刊行。
しかし、この段階ではムフェットにより、削除された重要部分もあり、
補完英訳版が、エドワード・トプセルによって作成され、1658年に発刊された。
■『植物誌』と死去
幼少時より興味を持ち、晩年の5年間は執筆を続けていたという植物学書の刊行はゲスナー
の存命中には成されなかった。
図譜量が余りにも膨大でかつ、動物書に比べ一般受けせず売れないといった理由が重なり、
刊行は死後200年後である。(この出版もゲスナーの遺稿発見という形での編集)
18世紀に活躍したトゥルヌフォールやリンネよりも先に、種の二名法を考えていたり、
新発見の植物を収集していたり等とも言われるが少なくとも、当時の16世紀植物学を遥か
に上回っている学術的内容であり、発行されていれば1、2世紀分の植物学進歩が成されたと言う。
ゲスナーは最後、チューリヒ市内でペストで死去した。
『書誌学』『動物学』『植物学』のみならず、『医学』『言語学』『神学』他など多方面に渡り
名の知られた人物であった。アリストテレスの再来、先人のアルベルトゥス・マグヌスに最も匹敵
する人物と言われ、フランスの博物学者キュヴィエは、ゲスナーを「ドイツのプリニウス」と呼び、
日本の南方熊楠に到っては「我こそは日本のゲスネルならんとす」と心に誓い菌類採集に励ん
だという。
なお『動物誌』『書誌総覧』のみを鑑みると、キュヴィエの『プリニウス』評は「収集者」としての
ゲスナーを良く表現しているとも言えるが、『植物誌』の観察能力は単なる収集者評を上回るものと
される。
いずれにせよ、ゲスナーの膨大な業績とその著書は、今日においても計り知れない価値を持ち、
未だに研究され尽くされていない。
◎主要著作
■1545 Bibliotheca universalis 『書誌総覧』
■1548 Pandectarum 『要覧分類』
■1555 Appendix Bibliothecae 『書誌補遺』
『動物誌』Historiae Animalium
■1551 『第一巻 胎生四足動物』
■1554 『第二巻 卵生四足動物』
■1555 『第三巻 鳥類の性質』
■1558 『第四巻 魚類及び水棲動物〜ギヨーム・ロンドレ、ピエール・ブロンによる論文付』
■1587 『第五巻 蛇類の性質〜ヤーコブ・カロンによる構成』
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