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◇「人と本」−■BC-AD15 ■博物百科等 ■動物 ■植物 ■昆虫

博物学書や著者などについての紹介です。
参考文献によって記載内容が異なることがちょくちょくあります。


16世紀
著 者 生没年 著 作 刊行又は執筆 概 要
ブルンフェルス・オットー
Brunfells Otto
?〜1534 「本草写生図譜」
Herbarum Vivae Eicones
1530 ドイツの医師。 植物のありのままを描写した本草書。画はハンス・ヴァイディッツによる。
この時期から植物の忠実写生が行われ、魔術的要素の排除がはじまる。
ヒエローニュムス・ボック/トラグス
Hieronymus Bock/Tragus
1498〜1554 「本草書」
Herbarium oder Krauterbuch und speis-Cammer
1539 ドイツの医師。ゲスナーの友人。
レーオンハルト・フックス
Leonhard Fuchs
1501〜1566 「植物の注釈書」
De historia stirpium Commentarii insignes
1542 ドイツの医師、貴族。古典医学の再興に貢献した。
ゲスナーの「植物誌」と出来を競った本著は五百枚以上の実物に忠実な美しい図版が付され、その後、約200年もの間、図版の複製が他の書物に引用されることもあった。
ウィリアム・ターナー
William Turner
1520〜1568 「新本草書」
A new Herball
1551〜1568 英国植物学の父と呼ばれたターナーの英国最初の本草書。
ドドネウス・レンベルトゥス(ドドゥンス・レンベルト)
Dodoneaus Rembertus
(Dodoens Rembert)
1517〜1585 「草木誌」 1554 ローマ皇帝マクシミリアン2世及びルドルフ2世の侍医、後にライデン大学医学部教授。
ライト
Lyte,H
「新本草誌」
Nievve Herball
1578 フックス、ドドネウスの図版がもと
マッティオリ
Pietro Mattioli
1501〜1577 「ディオスコリデス注釈」

「植物詳述誌」

1554

1579

イタリアの医師。後年、皇帝マクシミリアン2世の侍医も努めた。「ディオスコリデス注釈」は大ヒットの売れ行きだった。
ゲスナー
Gesner Conrad
1516〜1565 「ドイツ植物園誌」
Horti Germaniae
1561
ド・ローベル
de L'Obel

ピエール・プナ
Pena,P

1538〜1611

「新植物稿」
Stirpium Adversaria Nova
1570 ド・ローベルは、フランス生まれの英国の植物学者、ロンドレの弟子。プナはフランスの植物学者。本著はエリザベス女王にも捧げられた当代を代表する植物学書。
アンドレーア・チェザルピーノAndrea Cesalpino 1519〜1603 「植物について」
De Plantis Libri.16
1583 ピサ大学教授、ピサ植物園園長、ローマ教皇クレメンス8世侍医、植物学者として16世紀の最も偉大な人物の一人とされる。
植物学を独立した科学として初めて扱った。
デラ・ポルタ,ジャムバッティスタ
Della Porta,Giambattista
1535〜1615 「植物観相学」 1588 イタリアの科学者。占星術的本草学を主張した−自然物が秘める薬効はその外観に現れる(蠍の尾に似た植物は蠍の毒に効く等)
他に「自然魔術」の著作が残り、望遠鏡についての記述がありガリレオ以前に望遠鏡を発明したとも言われる。
ヨアヒム・カメラリウス
Joachim Camerarius
1534〜1598 「薬草園」
Hortus Medicus


「植物の象徴とエンブレム百選」
Symbolorum et
Emblematum Centuria

1588


1590

ドイツの植物学者、医師。(小カメラリウス) ニュルンベルクに広大な庭園と植物標本を所有。

動植物の詳細な図版であるが、主に植物の図版は象徴的な 意味合いを持たせた構図となっており、図版自体に様々意味を持たせた。

コロンナ
Colonna,F
1567〜? 「植物の価値」
Phytobasanos
1592 イタリアの植物学者。古代著作の知識の重要性を提唱した。
ジェラード・ジョン
Gerard John
1545〜1611? 「本草書」 1597 英国の医師。ホルボーン植物園を管理・実験場とし当時のベストセラーとなった。 しかし内容はドドネウスの「本草書」(1554)の翻訳にすぎない。

17世紀
著 者 生没年 著 作 刊行又は執筆 概 要
シャルル・ド・レクリューズ(カルロス・クルシウス)
Clusius de l'Ecluse Charles
1526〜1609 「稀産植物誌」
Rariorum
Plantarum Historia
1601 フランドルの植物学者。博物学者ロンドレに師事し、1573年にローマ皇帝マクシミリアン2世に招かれウィーンの植物園の管理や晩年はライデン大学教授となった。 チューリップを初めとした外国産植物の栽培に尽力した。本著はスペインやオーストリア等の植物相について今まで発行した著作(自著)の集大成でその後の植物学の発展に大きく寄与した。
クロード・デュレ
Claude Duret
「驚嘆すべき植物の物語」 1605 ボラメッツ、スキタイの子羊、植物鳥について等。
ピエール・ヴァレ
Pierre Vallet
1575〜? 「国王アンリ4世の庭園」
Le Jardin du tres Chrestirn Henry 4
1608 フランスの植物学者。花を愛でたアンリ4世の后に捧げられた。
スウェールト・エマヌエル
Sweert Emanuel
1552〜? 「花譜」
Florilegium Emanuelis Sweerti
1612 オランダの薬種店主兼園芸家。ルドルフ2世の庭園管理を行い、支援をうけ本著を刊行した。
日本の平賀源内も入手した園芸目録。
ベスラー
Basilius Besler
1561〜1629 「アイヒシュタットの庭」
Hortus Eystettensis
1613 南ドイツにあった司教の所有する『アイヒシュタットの庭』の植物図譜カタログ。 著者ベスラーはドイツの薬種商・園芸家。ドイツ南部にあり渡来植物を栽培していたアイヒシュタット司教邸の庭園を管理していた。この庭園の珍奇植物図譜のカタログが本著。 その後、30年戦争にてこの庭園は灰に帰した。
ド・パス
De Passe
1590〜1664? 「花の園」
Hortus Floridus
1614 オランダの彫刻家。本著の図版はその後も多くの書物に引用された。
パーキンソン・ジョン
Parkinson John
1567〜1650 「太陽の庭・地上の楽園」
Pradisi in sole Paradisus Terrestris,
1629 英国の園芸家。ジェームズ1世の顧問薬剤師。園芸がブームとなっていた英国での初めての本格的な園芸書となった。
ド・ブリ,ヨハン・テオドール
De Bry,Johan Theodoor
1562〜1620 「花譜」
Florilegium Renovatum et Auctum
1641 ベルギーのルーアン生の園芸家。 ブリが管理を任されていたヨハン・シュヴィンデンの大庭園の全貌を描いた。昆虫画家メーリアンと親類関係あり?
ベスラー
Michael Rupert Besler
1607〜1661 「博物万象図」
Author of Gazophylacium Rerum Naturalium
1642 ニュルンベルグの薬学者、植物栽培家。
ヨハネス・バウヒーン
Johannes bauhinus

ヨハネス・ヘンリクス・シェルレルス
Johannes Henricus Cherlerus

1541〜1613

「一般植物誌」
Historia plantarum universalis
1651
ファン・レーデ・トート・ドラーケステイン
Van Rheede tot Draa-kestein
「マラバル植物園」
Hortus Indicus Malabaricus
1678〜1703 インドのマラバル地区総督。
ニーマイア・グリュー
Ne-hemiah Grew
1641〜1712 「植物解剖学」
The Anatomy of plants
1682 英国の植物学者。ライデン大学で学び、医師として開業の傍ら植物の研究を続けた。 ロバート・フックから顕微鏡についての原理を学んだ。細胞(cell)の命名者。※フックと共同命名?
ジョン・レイ
John Ray
1628〜1705 「植物新方法論」
Methodus Plantarum emendata et nova
1682 英国の聖職者・博物学者。 植物を子葉や花弁により分類するといった近代的な自然分類構成を提唱したが、リンネ分類体系の影に隠れる。しかし、レイの構想は後にアントワーヌ・ジュシューに引き継がれ復活した。
ルドルフ・ヤコブ・カメラリウス
Rudolph Jakob Camerarius
1665〜1721 「植物の性についての書簡」 1694 ドイツの植物学者。雄しべと雌しべの役割を発見した。
トゥルヌフォール
Tournefort Joseph
1656〜1708 「植物学の基礎」

「植物学指針」
Institutiones rei herbariae

1694〜1695

1700

フランスの植物学者。ジャルダン・デ・プラント園長。 リンネ以前に分類と属の概念を提唱した。
クパーニ・フランチェスコ
Cupani Francesco
1657〜1710 「カトリックの庭園」 1695 イタリアの聖職者・植物学者。 1650年にシチリア島でスイートピーを発見し、著書に記した。
ムンティンク
Munting Abraham
1626〜1682 「植物異聞」
Naauw Keurige
Beschryving der Aardgewassen
1696 オランダの博物学者。
ヤン・コンメリン
Jan Commelin
1629〜1692 「アムステルダム薬草園稀少植物図誌」
Horti medici Amstelodamensis rariorum
1697〜1701 オランダの植物学者、アムステルダム薬草園長。ヤンの死後は甥のカスパーが著作の刊行を続けた。後にリンネがコンメリナ家の業績を称えツユクサ属の名前に 「コンメリナ」と名付けた。

18世紀
著 者 生没年 著 作 刊行又は執筆 概 要
ルードベック
Rudbeck Olof
1630〜1702 「薬草大全」
Campi Elysii
1701 スウェーデンの博物学者。人間のリンパ液発見等、当時を代表する科学者であった。本著は当時、知られていた全ての植物1万以上を図譜化しようとした途方もない書だったが、図版完成後に多くが焼失されてしまった。
ヴァルモン 「珍しい植物の自然と技巧」 1709 貝から鳥が生まれる迷信など。
ブールハーウェ
Boerhaave Hermann
1668〜1738 「植物索引」 1710 オランダの科学者。 彼の自邸庭園にはリンネも訪れ「オランダの奇跡、パラダイス」と言ったそうな。
1709年にライデンで植物学教授となった時、植物の一覧が無いことを知り、早急にカタログを作成。3,700の植物を整理した。 1720年には、南アフリカと北米の植物を追加した6,000近くの植物を整理した完全版?を刊行した。
ミラー・フィリップ
Miller Philip
1691〜1771 「園芸家事典」 1724 英国の園芸家。大英博物館の始祖ハンス・スローンに見出され、1722年にチェルシー・ガーデンの管理者となった。
本著は英国にて園芸ブームの元になった。
40歳の時、リンネ植物学に熱中し晩年「美麗有用珍奇植物図譜」(1771)を刊行した。
ジョン・マーティン
John Martin
1699〜1768 「稀少植物誌」
Rariorum
Plantarum Historia
1728〜1736 ケンブリッジ大学植物学教授。チェルシー薬用植物園で栽培された外国産植物(主にメキシコ、西インド諸島か)の図示。
カルル・フォン・リンネ
Carl von Linne
1707〜1778 「自然の体系」
Systema naturae
1735 スウェーデンの博物学者。近代的分類学の祖。本著は動物・植物・鉱物の約18000種を記載し、種の「二命名法」を確立した。 (但し、1758年の第十版以降)
この分類体系(雌しべ・雄しべの数を重要視)は見分けが容易であり、一般に広く受け入れられたが、植物が受粉するなどという<性的>な 意味合いが非難されることも少なくなかった。
ヴァインマン
Johann Wilhelm Weinmann
1683〜1741 「薬用植物図譜」
Duidelyke vertoning eeniger duizend in allevier waerelds deelen wassende
1736〜1748 南ドイツのレーゲンスブルクで最古の薬種店店主。
アルファベット順に配列された薬用植物図譜で18世紀最大の植物学書と言われる。 栗本丹洲など江戸日本の博物学者にも影響を与えた。
グロノヴィウス
Johan Frederik Gronovius
1690〜1762 「ヴァージニア植物誌」
Flora Virginica
1739〜1743 ライデンの学者家系に生まれ、医学と植物学を学ぶ。
ディレニウス
Deillenius
1687〜1747 「コケ植物誌」
Historia Muscorum
1741 ドイツ生の英国の植物学者、オックスフォード大学教授。後年、リンネが学名を付けた際にディレニウスの著作の影響があったといわれる。
ゲオルグ・ディオニシウス・エーレト
George Dionysius Ehret
1708〜1770 「花蝶珍種図録」
Plantae et Papiliones Rariores
1748〜1762 スイス生まれの植物絵師。外国産の花蝶図譜でその絵の美しさにリンネも絶賛した。
クリストファ.ヤーコブ.トレウ
C.J Torew
1695〜1769 植物精選百種図譜
Plantae Selectae

「美花図譜」
Plantae et Papiliones Rariores

1750〜1773

1750〜1786

ニュルンベルクの医師として皇帝も診た。解剖学者。植物学者。
アルブレヒト・フォン・ハラー
A,von Haller
「スイス産植物誌」
Historia stirpium indigenarum Helvetiae
1768 アルプス山脈の植物相(標高と範囲による植物分布)について詳細に記載した。特に蘭の記述が詳しい。
ニコラス・ヤコイン
Jacqin Nicol-aus
「ウィーン植物園誌」 1770〜1776
ビュショー
Pierre Joseph Buchoz
1731〜1807 「植物図譜」 1776 フランスの博物学者。最初、官職に就いていたが転身して多数の博物学書を刊行した。植物学書には主に中国の植物が描かれたが、ビュショー自身の評判も悪く、三百巻以上も編纂したのに 学界からはほとんど相手にされなく失意のうちに人生を終えたという。
ミュラー
Muller Philipp
1725〜1776 「リンネ式性分類体系図解」
Illustration of the Sexual System of Linnaeus
1777
ビュラール
Pierre Bulliard
1742〜1793 「フランス本草誌」 1780〜1795 フランスの植物学者。全13巻。ビュラール自身は多色石版を彫版した。
ツュンベリ
Carl Peter Thunberg
1743〜1828 「日本植物誌」
Flora laponica
1784 リンネの後を継いでウプサラ大学の教授となり、後に学長になった時代を 代表する一級の植物学者。
オランダ東インド会社の医師として1775年来日し、翌年の帰国まで日本の植物を研究した。リンネの二分法に基づいて日本の植物相を分類した。
カーチス・ウイリアム
Curtis William
1746〜1799 「カーチス・ボタニカル・マガジン」
Curtis's
Botanical Mag-azine
1787〜 英国の植物学者。ロンドンで薬剤師や大学の植物学助手を勤めた後、ブロンプトンに植物園を開園した。世界最初の植物学専門雑誌を刊行。
プレンク
Joseph Jakob Plenck
1738〜1807 「リンネ分類式薬用植物図譜」
Icones Plantarum Medicinalium Secundum Systema Linnaei
Digestarum
1788〜1803 リンネ分類体系にて整理された薬用植物図譜。ウィーンのハプスブルク家ヨーゼフ2世に捧げられた。
アントワーヌ・ジュシュー
Antoine-Laurent de Jussieu
1748〜1836 「植物の属」
Genera Plantarum
1789 フランスの博物学者。ジャルダン・デ・プラント教授。リンネの人為的な雌しべ・雄しべの性体系的植物分類の欠点・批判が高まったころ、 自然分類的な形態の安定した花弁などを重視した近代の基礎となる分類体系を構成した。刊行がフランス革命と同年だったため「植物学の革命書」といわれる。
エラズマス・ダーウィン
Erasmus Darwin
1731〜1802 「植物の愛」
The Botanic Garden

「ゾーノミア または有機生命の法」
Zoonomir;or The Laws of Organic Life

1789

1794〜1796

英国の医師、詩人、植物学者など多岐に渡る経歴がある。チャールズ・ダーウィンの祖父。
リンネ植物体系学に影響を受け、それを長詩で表した。また、種は外因による発達するといった進化論の原型的な理論を著した。
ジェイムズ・サワビー
James Sowerby
1757〜〜1822 「イギリス産植物図譜」 1790〜1814 イギリスの博物学者。自著やカーチス「ボタニカル・マガジン」をはじめ多くの博物学書の図版を担当した。 19世紀に活躍した博物絵師一族サワビー家の始祖。
「ロンドン・リンネ学会紀要」
1791〜1875
ロクスバラ
William Roxburgh
1727〜1797 「コロマンデル海岸植物誌」
Plants of the coast of Coromandel
1795〜1819 東インド会社がインドのコロマンデル海岸で収集した植物の栽培をカルカッタ植物園で行ったときの監督ロクスバラの業績。
ド・カンドル
De Candolle
1778〜1841 「多肉植物」
Plantarum Historia Succulentarum
1799〜1831 当時として珍しいサボテンの図鑑。ルドゥーテも原画作成に関わった。

19世紀
著 者 生没年 著 作 刊行又は執筆 概 要
ベッサ・パンクラース
Bessa Pancrace
1772〜1835 「北米森林樹木誌」
Traite des Arbres et Arbust-es
1800〜1819 フランスの植物画家。ルドゥーテの弟子。
ジョージ・ブルックショー
Brookshaw George
「英国果実誌」
Pomana Britannica
1804〜1812
テュルパン
Turpin
Pierre-jean-Fran-cois
1775〜1840 「植物組織図説」
Esquisse D'Organographie Vegetale

「花神の教示」
Lecons de Flore

1804

1819〜1820

フランスの植物学者、絵師。植物を正確に描写する名手といわれる。
ロック
Joseph Roques
1772〜1850 「家庭有用薬草」

「薬用植物誌」

1804

1821

フランスの植物学者・医者で、後にモンペリエ植物園の管理を担当した。 「家庭有用薬草」はその名の通り家庭用の薬草図鑑。「薬用植物誌」はヨーロッパ原産種ばかりでなく外国産も含めた毒草に重点をおいた図鑑。原図はオカールによる。1838年には増訂版が刊行された。
ジョーム・サンティレール
Jaume Saint-Hilaire
1772〜1845 「フランスの植物」
Plantes de la France
1805〜1809 フランスの植物学者。
ルソー
Jean-Jacques Rouseau
1712〜1778 「植物学」
La Botanique de J.J.Rouseau
1805 哲学者ルソーが書簡形式で残した植物学誌に花絵師ルドゥーテが彩色図譜を捧げた本。
ソールズベリー 1761〜1829 「ロンドンの楽園」
The Paradisus Londinensis
1805〜1807 英国が海外から持ち込んだ南アフリカ、インド、中国、オーストラリアなどの異国植物図譜。
フッカー・ウィリアム
Hooker William
1779〜1833 「ロンドン園芸協会紀要」
Horticultural Transaction
                           

「ロンドン果樹誌」
Pomana Londinensis

1805〜1848

1818

林檎と桃に重点を置いた図誌。
編集と原画を担当した「ロンドン園芸協会紀要」は 混乱した品種を再度、整理統合するため珍奇植物の図集ではなく、あくまで学術的精密さを追及した。
なお、『カーチス・ボタニカル・マガジン』や『キュー・ガーデン』園長とは同名別人。
ヘンダーソン
Peter Charle Henderson
1799〜1829 「四季」
The Seasons of Flower-Garden
1806 美術教科書兼用の花図譜。英国の野花を季節ごとにまとめた図譜。
クララ・マリア・ポープ
Mrs.Pope Clara Maria
?〜1838 「花々の美観」
The Beauties of Flora
1806〜1820 英国の女流絵師。植物画の大家。夫ホイートリーが出版した図版集「ロンドンの呼売り」のモデルとなって姿を絵に残す。。
シブソープ
John Sibthorp
「ギリシア花譜」
Flora Craeca
1806〜1840 英国で刊行された地域花譜。全10巻の各巻扉にはギリシア各地の風景画がある。
ミショー
Micheaux Francois-Andre
「北アメリカ樹林誌」
Histoire des Arbres Forestiers de L'Amerique Septentrionale
1810〜1813 フランスの植物学者。1800年前後の3回にわたる北米探検をもとに世界で初めて北米の樹木を記した。 (ベッサ「北米森林樹木誌」1800年が先?)
ロバート・ジョン・ソーントン
Robert John Thornton
1768〜1837 「フローラの神殿」
The Temple of Flora
1812 英国の医師。『リンネ分類学体系新釈図解』(1799〜1807)の再版。リンネ分類学を解説する史上最美かつ最奇といわれる植物図譜。
ショームトン他(編)
Chaumeton,Poiret,
Chamberet,
illustrated by P.J.F.Turpin
1775〜1819 「薬用植物図譜」
Flore Medicale
1814〜1820 リンネ分類法の批判者が多かったフランスで、リンネ分類法を広く紹介した。後刷りにつれて図版数が増している。
エドワーズ
Edwards's
「エドワーズ植物記録簿」 1815〜1847 英国の園芸書。
グリーン
Thomas Green
「万有本草事典」
The Universal Herbal
1816 一般向けの植物学書。図は他書の模写。
ルドゥーテ
Pierre Joseph Redoute
1759〜1840 「バラ図譜」
Les Roses
1817〜1824 ベルギー生まれの画家。フランスに出て「花のラファエロ」と呼ばれる程、植物画の大家となった。 マリー・アントワネットやジョゼフィーヌ等の王妃にも絵画を教授した。「バラ図譜」はバラに関する数多のバラ書物の中でも傑作で、ナポレオン妃ジョゼフィーヌへ捧げられた。
なお、バラ図譜は多数の再刊、再版が行なわれたため、幾つもの種類が存在する。他に「ユリ図譜」「美花選」などの著作がある。
ロディゲス
Loddiges
「植物学の博物館」 1817〜1827 全20巻の園芸誌。ロディゲス一家による刊行物。
リッソ(著)
Risso,A

ポワトー(画)
Poiteau,A

不詳

「オレンジ図誌」 1818〜1822 柑橘類を扱った博物書の中で最美と言われる。リッソは南仏ニースの薬剤師・植物学者で当地の植物を専門研究した。 ポワトーはフランスの植物画家で、ジャルダン・ド・プラントから派遣されて1796年にハイチに赴き、熱帯種の柑橘類の知識を得た。
ノワゼット
Louis Noisette
1772〜1849 「果樹園」
Le Jardin Fruitier,
Histoire et Culture
1820 フランスの代表的な果実誌。
バートン 「北アメリカ植物図譜」 1821〜1823 ペンシルヴァニア大学植物学教授。北米植物の著作が他国に先駆けられたことに影響を受けて著した。
チャールズ・カー
Charles Ker
1785〜1871 「中国産植物図譜」
Icones Plantarum Sponte China Nascentium
1821 バンクスの指令でウィリアム・カーは中国で植物を採集し、中国人画家に原地植物を写生させた。 その後、チャールズ・カーにより図版集として世に出された。
マルティウス
Martius
1794〜1868 「ヤシ誌」
Historia Naturaris Palmarum
1823〜1853 植物図譜には珍しく植物と人間が描かれる。ヤシが原地人にとって大事な食料源であり重要な関わりがあったことが分かる。
モリス
Richards Morris
「華麗花弁図誌」
Flora Conspicua;
A Selection of the most bel-ornamental Flowering,
1826 小型本だが美麗図版60葉を収める。図像はW・クラークによる。
ドラピエ
Pierre Auguest Joseph Dr-apiez
「園芸家・愛好家・工業家のための植物誌」 1828〜1835 当時人気の温室植物の図譜を含む600葉に及ぶパンクラース・ベッサ原図の手彩色図版。
ブルーメ
Karl Ludwig Blume
1796〜1862 「ジャワ植物誌」 1828〜1851 ジャワのボイテンゾルフ植物園に拠ったブルーメの東アジア植物図譜。
ベリー
P.S.Bury
「アマリリス・ユリ図譜」 1831〜1834 英国の植物図譜。ベリー夫人は当時の代表的女流植物画家の一人。
シーボルト
Philipp Franz von Siebold
1796〜1866 「日本植物誌」
Flora Japonica
1835 オランダ東インド陸軍少佐として来日したドイツ人医師のシーボルトが監修等した「シーボルト三部作」。
シーボルトが帰国した後も、助手らが本国へ標本を送り続け刊行された。この標本は現在もオランダのライデン自然博物館が所蔵している。
ハリソン
J.Harrison
「英国の園芸家の部屋」
The English Florist's Cabinet
1833〜1859 英国、ウァートリーホールの農業家ハリソンが創刊した全27巻の園芸雑誌。のちに、
『The Gardener's Week-ly』
『Gardener's Magazine』と改題された。
バックストン
joseph Paxton
「バックストン植物雑誌」
Paxton's Magazine of Botany & Register of Flowering Plants
1834〜1849 ロンドン万博の水晶宮を設計したバックストンの園芸書。
ベイトマン
James Bateman
「メキシコ・グアテマラのラン類」
The Orchidaceae of MEXICO & GUATEMALA
1837〜1843 中南米の野生ランの図譜集。ラン図譜中最美といわれ、石版植物画としては最大級の本(エレファント・フォリオ ※畳半分くらいの大きさ) あまりの大きさにより (大げさだが)数十人で本を持ち上げる「図書館員の悪夢」と題打たれた戯画も描かれた。
プファイファー
Pfeiffer Ludwig

オットー
Otto Christoph

1805〜1807

1809〜1870

「サボテン類図譜」
1838〜1850 当時はサボテンの採集、栽培、分類が確立せず、図譜として珍しかった。
ベルレーズ
Abbe Laurent Berlese
1784〜1863 「ツバキ属図譜」
Iconographie du genre Camellia
1841〜1843 フランスで刊行されたツバキ図譜で最も華麗といわれる図譜。
ルメール

シャイトバイラー

ファン・ホーテ

1801〜1871

「ヨーロッパの温室と庭園の花々」 1845〜1860 「カーチス・ボタニカル・マガジン」と並ぶ19世紀の代表的園芸誌。
ファン・ヘール
Van Geel
「愛好家の花々」
Florae de L'amateur Choix des Plantes
1847 全16巻の大園芸書’Sertum Botanicum’(1829〜1830) の販売促進を図り、同書のベスト図版200点をセレクションした美花集。
モレン
Charles Morren
「園芸のベルギー誌」
Le Belgique Horticole Journal des Jardin,
1851〜1885
カルステン
Karsten
「コロンビア植物誌」
Florae Columbiae Terarumque
1858〜1861 ドイツの植物学者。コロンビアの植物図譜。
ウースター
D.Wooster
「アルプスの植物」
Alpine Plants
1872 アルプスの植物誌。
ジョゼフ・バンクス
Joseph Banks
1743〜1820 「フロリレギウム」
Florilegium
1980〜1990 英国の博物学者。ジェームズ・クック(James Cook 1728-79)のエンデヴァー号第1次航海に科学班責任者として参加。 後にロイヤル・ソサエティー会長、またリンネ学会の設立、キュー・ガーデン園長など植物学を振興した。
本著は、クック第1次航海に同行した若干23歳の博物絵師シドニー・パーキンソン(Sydney Parkinson 1745-71)が描いた(あるいは標本採集など)新発見の植物を 本国に持ち帰り、バンクスが制作(指揮?)した753点の植物画。当時は刊行に到らず2世紀後に色刷銅版として刊行された。
今日では絶滅に瀕した種もあり植物学の貴重資料でもある。


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