2011
年のゴールデンウィーク旅行記 (2011年6月26日公開)
2011年のゴールデンウィークは、愛車メルセデス・ベンツ560SELで東京から近畿へ帰省し、さらに四国まで行ってきた。
今回の主なテーマは、
●
・
淡路島 (兵庫県)・
祖谷/かずら橋/大歩危駅 (徳島県)・
高知市周辺 (高知県)・
嶺北/早明浦 (高知県)・
日本一の大杉 (高知県)・
国道32号線の旧道/土讃線の廃線跡 (高知県)・
土佐北川駅 (高知県)・
瀬戸大橋/与島 (香川県)●
国道25号線 (奈良県・三重県)
★★★旅程について★★★
今回は、高規格道路の名称については各高速道路会社の営業路線名を基準に記す事にする。
《
厚木
《
2011年4月30日(土)、 近畿の実家→淡路島→四国》阪和自動車道→阪神高速→第二神明道路→神戸淡路鳴門自動車道→高松自動車道→高知自動車道→徳島自動車道→井川池田
《
2011年5月1日(日)、 四国→与島→近畿の実家》国道
《
2011年5月3日(火)、 近畿の実家→国道25号線→東京の自宅》阪和自動車道→西名阪自動車道→国道
《今回の高速道路料金》
2011
年4月29日(金)・厚木→京田辺本線 ETCマイレージ超過
1,200円・京田辺本線→門真本線 ETC特別割引
300円・門真本線 ETC特別割引
350円・岸和田本線 ETC早朝夜間割引
**0円2011
年4月30日(土)・
***→堺本線 ETC特別割引 **0円・松原
JCT入→芦屋 ETC阪神高速 560円・芦屋→神戸本線出 ETC阪神高速
400円・須磨本線 ETC
200円・垂水第三→鳴門本線 ETC特別割引
1,000円・鳴門本線→井川池田 ETC特別割引
1,000円2011
年5月1日(日)・大豊→吹田本線 ETC特別割引
1,650円・坂出本線→早島本線 ETC特別割引
1,000円・吹田本線 ETC特別割引
350円・岸和田本線 ETC早朝夜間割引
**0円2011
年5月3日(火)・
***→堺本線 ETC特別割引 **0円・松原本線 ETC特別割引
300円・天理 ETC特別割引
300円・亀山→厚木 ETC特別割引
1,000円
★★★旅行記★★★
旅行記を公開するに先立って、本線走行中に撮影した写真について誤解の無いように注記しておこう。他者と絶対にぶつからない状況においてシャッターボタンを押しただけであり、ファインダーを覗いたり画面を確認したりはしていない。脇見運転はせず、安全運転が最優先である事は言うまでもない。
2011
年4月29日(金) 《東京の自宅→近畿の実家》「非名阪」と呼ばれる方の国道
愛鷹
PAなんて入口のところでさえ渋滞であった。そこは通過して正解であった。富士川
SAで食事にした。それはいいが、あまりの混雑のため、駐車区画ではないところへ停めるように案内された。マナーが悪い車だと思われるとイヤなのだが…。日本坂
PA、三方原PAを経て、伊勢湾岸道に入った。出発から
12時間経っても御在所SAまでしか辿り着けず、非名阪を通る事を諦めざるを得なかった。非名阪を通れないのならば、伊勢湾岸を選ばなかったのに・・・。目的としたい部分は外が明るい時間帯に通れるように、できるだけ出発地点から早い方に持ってこようと思った。土山
SAで食事にした。京滋バイパスを初めて通った。故郷の枚方市津田を
80km/h以上の速度で駆け抜けるなんて、30年前には想像もつかなかった事だ。実に感慨深い。一般道に下りる前の岸和田
SAに立ち寄り、出発から16時間後、ようやく実家に到着した。16時間もかかったのは初めてだ。
2011
年4月30日(土) 《近畿の実家→四国》
当初は淡路島を復路に通る予定であったが、淡路島は近畿なので明るい時間帯に通る事にし、翌日の暗くならない時間帯に瀬戸大橋を通るように予定変更した。
私の
560SELが兵庫県に入るのはこれが初めてである。この先、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、岡山県を私の560SELが通るのは、今回の旅程においてが初めてである。阪神高速
3号神戸線はかなりの渋滞であった。岸和田SAに立ち寄っておけばよかったと思った。神戸京橋ニイハオPAに入った。同行者は、都市部の高速道に特有のこのような狭いPAがあるという事に驚いていた。月見山から第二神明道路に入る。
★★★淡路島★★★
垂水
JCTからいよいよ神戸淡路鳴門自動車道に入る。私の
560SELが初めて本州を離れた。
淡路ハイウェイオアシスは上り
SAと下りSAの行き来が自由との事だ。それにしても風が強い。島内走行中はずっと風が強く、横風の注意を促す表記が随所に見られる。この日だけではなく、いつも風が強いのであろう。二輪車なんかフラフラしながら走っている。恐怖の強風と言ったところか。
先ほどの
SAで私が貰ってきた地図を同行者が気に入ったみたいだ。残念ながら1枚しか持ってこなかった。そこで、淡路島の中でもう一ヶ所停まる事にした。緑
PAに立ち寄ったが、ここの接客設備は自動販売機とトイレしかなく、パンフレット類はトイレの建屋の中にしかなかったので、早々に立ち去った。淡路島南
PAに立ち寄った。立派な売店もあるが、四国の直前という事もあり、四国の案内ばかりだった。
★★★四国上陸
/徳島県★★★大鳴門橋を経ていよいよ徳島県に入る。
まずは大毛島を通過し、続いて小鳴門橋を通り、いよいよ四国本島に入る。
四国本島上陸
徳島県は後ほど訪ねるので、高松自動車道においてはまずは徳島県内を通過して香川県に入る。
★香川県
/愛媛県★計画通り、津田の松原
SAにて食事にする。香川といえば讃岐うどんだ。うどんには長い行列ができていた。セルフで作るのだが、あまり手際よく作れなかった。高松自動車道を西へ進む。入口に桃の意匠を施されていたトンネルがあった。このあたりは香川県の各地と岡山県の各地が桃太郎発祥の地を主張しあっている土地柄だ。
香川県内走行中は、先の尖がった山がよく目に付く。
愛媛県に入る。今回の四国旅行では愛媛県は通るだけの予定である。
★★徳島県三好市★★
川之江
JCTで高知自動車道へ入り、続いて川之江東JCTで徳島自動車道に入った。目的地は祖谷である。四国には平家落ち武者伝説が残る地が多く、祖谷もそれだ。計画通り、一般道に下りる直前の池田
PAに立ち寄った。井川池田ICで自動車道を下り、国道32号線で小歩危大歩危を行く。祖谷口駅近くから徳島県道32号線に入る案も無いわけではなかったが、道の狭さが予測できなかったので廃案にした。国道32号線にだって見所は多いのだ。
国道
32号線、小歩危大歩危の景勝地を行く。道の駅大歩危は妖怪屋敷も併設されている。山城町はコナキジジイ伝説発祥の地らしい。
★★★祖谷
/かずら橋(重要有形民俗文化財)★★★目的のかずら橋は日の入りまでの営業なので、道の駅大歩危よりも後の道中の撮影を後回しにして、まずはかずら橋へと向かった。
秘境と言われるが、大歩危駅への入口からかずら橋までの道(県道
45号・32号)はずいぶん整備されていた。大型観光バスと頻繁にすれ違った。アクセスが良すぎて秘境感があまり感じられない。狭い道を予想していたので、走りやすいのはありがたかった。後に知ったのだが、かつては有料道路だったみたいだ。道中には善徳
1号トンネルと善徳2号トンネルがある。宗教的に価値のありそうな面白い名称が印象的であった。ところで、ボンネットバスがやたら狭い道を行く写真を見た事があるのだが、あれは小便小僧方面への道だったのであろうか? 今回はそのような走りにくい道に遭遇しなくて良かった。
山奥に広大な駐車場があるのには驚いた。この「かずら橋夢舞台駐車場」には地下部分もあるのだ。
また、駐車場の背後に見える家々に着目して欲しい。山の斜面にへばりつくように建っており、落ち武者の隠れ里と言われる祖谷の特徴的な風景である。
かずら橋は、隠れ住んでいた落ち武者達が、敵から見つかった時に橋を切り落として外敵の進入を防げるように設けられた。
たくさんの観光客が載っているが、大丈夫なのか?
揺れるつり橋、足元はスカスカ。小さな子供を抱いて渡っている人もいた。今のかずら橋には、補強の為のワイヤーが入っている。通行は片道のみであり、大人
500円である。
祖谷ではボンネットバスが多く活躍している。タクシー会社やホテルもボンネットバスを所有している。先ほどの国道
32号線でもボンネットバスとすれ違った。観光モノレールもあり、祖谷の山奥へ泊りがけで訪ねてもいろいろ楽しめそうである。なかなか盛況みたいだ。
整備された県道。民家風の意匠を施された門が面白い。門には「ようこそ祖谷へ」と記されている。
いやー、本当に凄いところであった。
★★★祖谷
/土讃線大歩危駅★★★往路と同じ道をかずら橋から戻ってきて、大歩危駅に立ち寄った。短いながらも駅に向かうだけの道があり、いかにも駅前の雰囲気があった。
「アンパンマン列車」こと「特急南風
24号」と並ぶ、愛車560SELこの駅は
2008年3月15日から全特急が停車する。特急は下りも上りも1番線発着のようだ。
完全な無人駅であり、コナキジジイが駅長らしい・・・。こういう像って、子供が怖がりそうに思うのだが…。
★★★高知県★★★
国道
32号線を南下し、高知県に入る。★土佐穴内の案内★
穴内は「あなない」と読む。内という字を「うち」ではなく「ない」と読む。これは北海道の地名によく見られる傾向である。実は、この穴内川流域にはアイヌからの移民伝説がある。実際に川の上流域と下流域とでは、指紋等の民族的な違いが見られるらしい。決定的な実話かどうかは分からないのでこれ以上の言及は避けておこう。まぁ、珍しい読み方だという事だ。
★大杉駅以南★
大杉駅を訪ねる。このあたりから暗くなった。
残念ながらこの先予定していた旧道や鉄道廃線跡の探検はできそうにない。(後述するが、翌日再訪する事ができた。)
大杉駅の南側にて旧道に入る。大杉トンネル近くの鉄道廃線跡を探しに行こうとしたが、もう暗いし、道もはっきり分からないのでこれは早々に打ち切った。
再び旧道を南に進む。事前に仕入れていた情報どおり集落があった。他には企業もあり、少々驚いた。
このあたりから小雨が舞いだした。国道
32号線を高知市へ向かう。橋上駅の土佐北川駅について同行者に説明したところ、是非見てみたいと言い出した。翌日訪れる事にして、今回は通過した。
角茂谷駅の南側から旧道に入る。旧道とは言うものの、国道本線と遜色がない走りやすい道であり、なぜに
600mぐらいのトンネルを新設して本線から外したのか不明である。この旧道区間には民家は一軒も無いし、分岐する道路も無い。本格的に雨になった。
★繁藤の案内★
海抜
347m、JR四国最高所に位置する繁藤駅。1972年に発生した繁藤災害について同行者に説明した。この四国の山越えがいかに険しい道のりかを説明したのだ。
★根曳峠から高知平野へ★
高知平野へ向けて根曳峠を下る。
今は若宮温泉の案内が掲げられている所には、以前は邪馬台国が土佐にあったと主張する案内が掲げられていた(ように記憶している)。邪馬台国、若宮温泉の廃墟、病院の廃墟はかつて雑誌で取り上げられた事があり、私も一度行った事がある。今回の旅程でも考慮してみたが、道があまりにも狭いらしいので、
560SELでの訪問は見送る事にしたのだ。
同行者が、南国市内の沿道の花がきれいそうで明るい時間帯に見たいと言い出した。
私としては大杉駅から南側の国道
32号線沿いの目的地は暗い中でも通ってきたのでじゅうぶんだという思いがある。根曳峠を登らせるのは車がかわいそうだ。
★高知市に到着★
県道
374号・384号線に入り、高架化された高知駅のすぐ南側をとおり、県道16号線を経て20時過ぎに国道33号線沿いにあるホテルに到着した。560SELを停められるホテルを探すのに苦労したが、1ヶ月ぐらい前になんとか決めていた。しかしながら、ホテルに到着してみるとちょっとした不都合があり、それに対応してもらった。
高知へ来たからには、夜は皿鉢料理かかつおを食べたいと考えていた。
21時を過ぎた頃、雨の中を帯屋町へと向かったが、ほとんどの店が閉まっており、居酒屋のような店ばかりしか開いていなかった。結局、お好み焼き屋に入った。
→2005年夏に高知を訪れた時の様子はこちら
2011
年5月1日(日) 《四国→近畿の実家》9
時半頃出発した。
★★国道
33号線の現道および旧道★★雨の中出発し、国道
33号線を西へと進む。高知市からいの町にかけて国道33号線の道のりが大きく変わっているところを見たかったのだ。土佐電鉄の線路と同様に国立高知大学方面へ向かった。旧々国道だ。
旧々国道部分の県道
274号線には土佐電鉄の線路がある。曙町あたりは、土佐電鉄が道路の北側を占有する。すなわち、高知市街地へ向かう電車は左側を進行する事になるが、これは問題ない。しかし、伊野方面に向かう電車は、道路上の右側を進行する事になる。つまり、この道において東に向かう自動車は、電車および対向車両と正面衝突しないように、対向車線に避難しなければならないのだ。なお、上掲の写真においては、私の車は西に向かっている。
国立高知大学
朝倉駅の前の道は、いずれもすでに国道ではない。旧国道で咥内の坂を越え、高知市からいの町(
旧伊野町)に入る。この区間は県道386号線になっているが、なぜか国道33号線の距離標識が少し残っていた。枝川小学校の近くで国道
33号との交差点がある。国道本線はこの交差点で右左折しなければならない。この国道は、ここで右左折せずにまっすぐ伸ばす計画もあるみたいだ。
★★国道
33号線の北側を通る山越えの道★★八代通の電停の前を右折して枝川小学校の前を通り、山越えの道を目指す。
★八代八幡宮(有形民俗文化財)★
山を越える手前で八代八幡宮の前を通った。ここは有形民俗文化財である「廻り舞台」が有名である。
山越えのこの道は、高知自動車道の新設工事の際に大きく道のりが変わったみたいだ。頂上付近では墓地が造成されていた。
★★★県道
33号線(南国伊野線)★★★県道
6号線で高知市鏡を目指す。険道として有名な県道33号線南国伊野線を通りたいのだ。そうは言うものの、県道33号のいの側は名だたる険道であり、行けそうにないと判断した地点で引き返す事にしていた。南国伊野線で南国市や根曳峠を目指す考えだ。
県道
33号線南国伊野線…いの方面へは直ちに進めなくなった。高知市鏡草峰で折り返す。さすがに狭い道には入れない。
県道
33号線南国伊野線…鏡や土佐山の多くの区間もなかなかの険道ぶりだ。このあたりも1日2往復バスが走っている。ちなみに、高知市鏡は2005年に高知市と合併するまでは鏡村であった。同様に、高知市土佐山は2005年に高知市と合併するまでは土佐山村であった。
県道
33号線南国伊野線…道が立派になっている区間もある。写真右側が立派な現道であり、写真左側が廃道である。上述の廃道を見ているうちにバスが先行した。バスには乗客の姿が無かった。バスの後を追った。
★★★県道
16号線/嶺北へ★★★地図を持ってきており、また、事前にも確認していたのだが、道路標識を誤認して道を間違えてしまった。高知市土佐山庁舎付近の交差点で、県道
16号線を高知方面ではない方に進路をとったのだ。なんと、工石山を登る事になってしまった。根曳峠よりもきつい道を通る事になってしまったのである。ごめんよ愛車560SEL…。工石山へ向かっていると気づいた時点で、予定を変更する事にした。工石山を通り、早明浦ダムと大杉を観光し、昨夜暗くて満足に見られなかった旧道を再び通って、高知平野に向かう事にした。再び高知平野に向かう理由は、南国
SAにて高知の土産を買おうと考えていたからである。
工石山 赤良木隧道
車が少ないのにやたら立派な歩道が併設されている。採掘場との間に大型車が通るみたいだ。案の定、小学校があった。
相川小学校…校庭の鳥居が印象的であった。
実家へ戻ってから知ったのだが、この小学校は
2009年3月に廃校になったみたいだ。どおりで、「通学路」という標識が見当たらなかったわけだ。嶺北4か町村には、1997年度に小学校22校、中学校7校があったが、2010年度には、小学校7校、中学校4校にまで減少したらしい。
国道
439号線に入る。道の駅土佐さめうらに立ち寄った。同行者が民芸品の土産を買った。同行者が言うには、このあたりは休耕田が少なく、農業が立派に継続されているように見えるらしい。
★早明浦ダム★
早明浦ダム…「四国の水瓶」と称される巨大ダムである。
再び国道
439号線を東へ向かう。国道439号線は国道マニアには有名な道であるが、このあたりはいわゆる酷道区間ではない。
★★特別天然記念物
/日本一の大杉★★国道
32号線に入り、大杉駅を再訪した。道の駅大杉に立ち寄ろうとしたところ、日本一の大杉が道の駅から
400mしか離れていないとの事なので、そちらを先に訪問する事にした。
施設整備協力金200円を支払って八坂神社の境内に入る。
この大杉は以前にも訪ねた事がある。推定樹齢
3千年と言われているが、補修跡がやたら目に付き、無理に延命させているような痛々しさがある。境内には「日本一大杉資料館」があり、民具等が展示されている。私はこういうのも好きだ。
大杉のある八坂神社の傍には、美空ひばり氏の遺影碑と歌碑がある。また、その遺影碑と歌碑の傍には休憩できるような椅子と机があるのだが、その机には立派な大きい石が用いられているという事に同行者は驚いていた。
道の駅大杉で食事にする事にした。かつおや皿鉢料理にはありつけなかったが、大杉付近にもここならではの立川そばなどの名物がある。私は名物が詰まった定食にし、同行者はゆずの寿司にした。
道の駅大杉では土産物が充実している事に驚いた。ここで予定を変更する事にした。この道の駅大杉で土産を買い込み、昨夜暗かった旧道を再訪した後は根曳峠を下らずに、大豊
ICから帰る事にしたのである。
★★★大杉駅の南側の旧道
/ 土讃線の廃線跡★★★昨夜暗かった旧道を再び行く。
右カーブで大豊トンネルに入るのが本線で、左に入るのが旧道だ。昨夜とは異なり、大杉トンネル付近の鉄道廃線跡は考慮しない事にした。
旧道から土讃線の廃線跡を見つけて大喜び。まずは廃鉄橋。土讃線は現役の路線であるが、災害対策で線路の付け替えが何度か行われており、山間部では廃線跡を随所に見る事ができるのである。
前述のとおり、旧道沿いには集落や企業もある。
対岸には土讃線廃線跡の廃シェルターが見えた。やはり外が明るい時間に通ると、いろいろ見つけられて面白い。
国道
32号線の本線を再び南へと進む。
★★★土讃線土佐北川駅★★★
土佐北川駅は、災害対策の為の路線変更に伴い
1986年3月に現在の地へ移転された。穴内川にかかる橋そのものが駅になっている。珍しい構造の駅に同行者は驚いた様子だ。私達が着いてすぐに上りの信号が青に変わった。特急が通過する様子を撮影できそうだ。
「特急南風
18号」がやってきた。なんて運がいいのだ。
こちらの写真の方が、橋上駅である事がよくお分かりいただけよう。この駅は川の両岸から行ける構造になっている。
ふるさと林道北川線における国道
32号線と土佐北川駅の間には、現役の橋の他に古い橋も並んで残されている。駅の林道寄りには通学バスの待合室があるが、まもなく取り壊される予定らしい。
※注記
:JR四国の無人駅への入場について無人駅への入場について
JR四国に問い合わせてみた。券売機で入場券を購入できる駅では入場券を購入し、購入方法がない無人駅では入場券を購入せずに入場してもよいとの事だ。そうは言うものの、他人が管理する敷地内に立ち入るわけだから節度ある行動を心がけなくてはならない。
★★角茂谷駅の南側の旧道★★
角茂谷駅の南側の旧道を行く。こちらも昨夜暗い中で通った道だ。
道マニアならば、ハッと気づく風景であろう。写真左側が旧道だ。前述のとおり、この旧道は国道本線と遜色がない走りやすい道であり、なぜに
600mぐらいのトンネルを新設して本線から外したのか不明である。落石でも多発したのであろうか? 繰り返すが、この旧道区間には民家は一軒も無いし、分岐する道路も無い。
目的は果たせたので、折り返す事にした。繁藤駅の先で給油し、国道
32号を折り返した。
我々が国道
32号を上っていると、先ほどの何も無い旧道から出てくる車があった。「あの人も変わり者なのだろうな・・・」という話になった。大豊
ICから高知自動車道に入る。これで四国の一般道とはお別れだ。
★高知自動車道
/ 愛媛県でも訪問地★高知自動車道では、「日本海まで○○
km」という表記が時々目に入ってきた。険しい四国山地を貫くこの高知自動車道は、片側
2車線でしかも長大トンネルが続くかなり立派な道だ。JR特急が苦戦するのも納得がいくほどである。高知県を出てすぐの馬立
PAに立ち寄った。そこはどうやら愛媛県みたいだ。旅行の計画時には見落としていたのだが、馬立PAに立ち寄った事により、愛媛県も素通りするだけでなく、四国4県全てに立ち寄った事になった。馬立PAは上り線にしか設置されておらず、水琴窟が印象的であった。
★★★瀬戸大橋★★★
坂出
JCTから瀬戸中央道に入る。瀬戸大橋とは、本州四国連絡橋の一つであり、
6本の海上橋と4つの陸上橋からなる。上が自動車道の瀬戸中央道で、下が鉄道の本四備讃線になっている。1988年4月に供用が開始され、国内4島の鉄道が繋がった事により“一本列島”という言葉がその当時は飛び交っていた。
★★★与島
PA★★★瀬戸大橋は、鉄道では通り過ぎるだけである。鉄道で通る度に瀬戸内海の島々が気になっていた。私は、独特の文化を持つ離島にも関心があるのだ。今回はそのような塩飽諸島の与島に設置されている与島
PAに立ち寄るのである。
PA内には列車通過時刻やアンパンマン列車の案内も表示されている。
与島PAは、島の関係車両以外は外へ出られない。ただし、徒歩でPAを出る事はできる。もちろん私は集落まで行ってきた。そこは細い道が印象的であった。頭上の高い所を通る橋によって、島の暮らしもずいぶん変わった事だろうと想像した。
瀬戸中央道においては、他に岩黒島と櫃石島にも
ICがあるが、それらは現住島民と緊急車両と路線バスのみが通行でき、一般車両は進入できない。
★岡山県★
倉敷
JCTから山陽自動車道に入る。
★★桃太郎発祥の地は?★★
岡山県での訪問先として、予定通り吉備
SAに立ち寄った。前述のとおり、このあたりは岡山県の各地と香川県の各地が桃太郎発祥の地を主張しあっている土地柄だ。余所者の私から見れば、「きびだんご」という名称において吉備が優位に思える。いずれにせよ、瀬戸内海での海賊退治が桃太郎の話の起源であるという点では共通しているようである。同行者がきびだんごを購入した。
山陽自動車道を走行中に外が暗くなった。疲労を感じたので福石
PAに立ち寄った。ここは定食もあり、満足な食事ができそうなので、ここで食事にした。私はから揚げ定食にし、同行者はそば定食にした。ここでは、揚げ物は10分位待たなければならないとの事だ。福石
PAを出発してすぐに兵庫県に入った。兵庫県は近畿圏内の近所という印象があるので、岡山県にて旅行気分で食事ができて良かったと思う。神戸
JCTから中国自動車道に入る。今でこそ山陽道もあるが、かつては中国自動車道こそが大阪と山陰・山陽・九州を結ぶ自動車の動脈であった。吹田
JCTから近畿自動車道に入る。ここから先は、通った事のある道ばかりだ。松原
JCTから阪和自動車道に入る。岸和田SAに立ち寄り、私の実家へは23:45に到着した。大満足の四国旅行が終わった。
2011
年5月3日(火) 《近畿の実家→東京の自宅》
西名阪自動車道はひどい渋滞であった。天理
PAも凄く混んでいた。女性用トイレは長蛇の列であり、「ディズ二一ランドみたい」と言う声が聞こえてきた。
★★★国道(酷道)
25号線★★★名阪国道ではない方の国道
25号線は、ネット上では非名阪と呼ばれているらしい。高速道路並みの設備の名阪国道も、1.0車線しかないような非名阪も、どちらも国道25号線なのである。非名阪がなぜに3桁国道や県道に格下げされないのか理解に苦しむ。そのような、意味不明な天下の旧一級国道を行くのだ。
奈良から三重に向かう場合、天理ダムについては、はじめはダムの下側を通るが、その後、国道本線はダムの上を通る。天理ダムの上側では、左折してダムの上に進む事になるが、左折せずに直進する道も存在する。通ってみたい道がいろいろあるものだ。
本線を外れて道の駅針テラスに立ち寄った。昼食時という事もあり、あまりにも激しい混雑だった。名阪国道からの利用者が多くて、入るのにも出るのにも多大な時間を要した。運良く駐車場所を見つけられたが、ここで
40分ぐらいかかってしまった。再び本線に戻るが、それにしても、交差する県道や市道の方が立派な所もある。これでも天下の旧一級国道なのである。
この写真のように立派な名阪国道とローカル道路が並ぶ区間もある。どちらも同じ国道25号線を名乗る道だ。車のやや右後方に国道標識(通称:おにぎり)が見える。
この国道25号線には、国道標識(通称:おにぎり)が、道路標識の柱や、橋の欄干、あるいはガードレールに貼られている所が多い。国道番号の標識だけが単体で設けられている所が少ないのが特徴のような気がする。お金をかけたくない道だという事だろうか。
伊賀上野の市街地では片側
1車線ずつの国道らしい姿を見せる。
★伊賀忍者★
上野公園付近では忍者の格好をしている子供を多く見かけた。忍者フェスタが行われているらしい。実は、私は小学校
3年生ぐらいの頃に忍者に凝っていた。甲賀と伊賀の両方の忍者屋敷へ連れて行ってもらった事がある。伊賀の忍者屋敷は残念ながらその後の火災で焼失したようだが、今でも博物館はある。せっかくなので急遽立ち寄ろうかと思ったが、どの駐車場も満車状態なので諦めた。上野公園は伊賀鉄道上野市駅のすぐ近くなので、鉄道でも行きやすい所だから、無理に今回行く必要も無いと思ったのだ。
せっかく伊賀上野を通るのだから何か記念にしたいと考えて、伊賀上野郵便局で入金した。(注:郵便局マニアではない)
新堂駅を過ぎて再び酷道区間に入る。
名阪国道からもアクセスできる伊賀ドライブインにて、実家で持たせてくれた弁当を食べた。
伊賀ドライブインから先は、
2007年のゴールデンウィークに、反対方向に通った事がある。
ガードレールに貼られた国道25号の標識と、路面に着目して欲しい。天下の旧一級国道…。おっと、珍しく後続車が来た。
国道
25号線の記念をもう1箇所ぐらい欲しいと思ったので加太郵便局にも立ち寄ってみたが、休日はATMも営業していなかった。また、加太郵便局のすぐ西側は道路工事の途中のように見受けられた。
加太の集落を行く。ここも国道25号線だが、2車線分の幅員は無い。
酷道区間は、
2007年ゴールデンウィークの夜に走った時は不安で仕方が無かったが、今回は昼に走っていろいろ見られたので楽しかった。→2007年ゴールデンウィークの夜の様子はこちら
国道1号線に入ってからすぐのところで、道の駅「関宿」に立ち寄った。道の駅「関宿」は関西本線関駅と隣接している。
一般国道の旅はここまでだ。
東名阪道は激しい渋滞であった。御在所
SAでは東北の救援に向かう香川県の自衛隊の車両を見かけた。御在所SAを出てしばらくすると外が暗くなってきた。赤塚PA、遠州豊田PA、小笠PAに立ち寄りながら東京の自宅へと向かった。遠州豊田PAにて実家で持たせてくれたおにぎりを食べた。富士川
SAでは24時近い時刻になっていた。東京の自宅には午前3時頃に着きそうなので、そこで、自宅に到着しても連絡しない旨を実家に伝えた。一般道に下りる手前の中井
PAに立ち寄り、厚木ICで東名高速を下りた。東京の自宅には
5月4日の午前2時50分頃到着した。4月29日に東京の自宅を出発してから戻ってくるまでの総走行距離は2,124kmであった。ここ2年ぐらいの傾向だが、今回も速度を控えめに走ってきた。近畿の実家から東京の自宅まで走った際には、たった一度も100km/hを出さなかった。
★★★あとがき★★★
旅行から
2ヶ月近く経過しているが、その時の思いのまま綴っている。四国の旅程は現地での予定変更が多かったが、重要な項目は全く外していないので心残りは無い。所要時間等を考慮して魚梁瀬森林鉄道跡の訪問も外す事にしたのであった。
本文中では予定変更や道の間違いにも触れているが、それらは自動車で出かけるとよくある事であり、それも旅行の一環だと思う。私はどことなく方向感覚がわかるので、見知らぬ土地でも迷ってしまった事は一度もない。
ところで、私は「
1,000円高速」を世紀の愚策だと思っている。渋滞による損失や環境負荷を考慮すれば、受益者に適正な料金を支払わせて、自動車による交通需要の適正化を図ればよいと思う。そうは言うものの、私も混雑が予想される大型連休に車で出かけているので人の事は言えないのだが…。4月29日に東名高速下り線の激しい渋滞に巻き込まれた時には「1,000円高速」に腹立たしさを抱いていた。JRの割引切符にはゴールデンウェークに使えない物が多いが、それと同様に高速道路も繁忙期ぐらい通常価格にすればいいのにと思った。そうは言うものの、その後は阪神高速と西名阪と東名阪以外では渋滞に巻き込まれる事はなかったので、安く行けて良かったという思いもある。さらにランニングコストについて触れると、ハイオクは
1リットルあたり157円ぐらいで地域差はさほど無かった。
近畿に実家があるからこそ自動車で四国まで行けたと思う。往復
2,000kmを超える泊りがけの旅程を走ると、東京の自宅から日帰りで行ける箱根や奥多摩や長野がたいした旅程ではないように思えてくるぐらいだ。今回の旅程を上回るような自動車での大規模旅行は今後無いのではないかと思うほど壮大な旅程であった。