「鉄道旅行記 2005年夏」 からのシングルカット

高知よさこい紀行 2005812日(金)  2005924日公開)

 

 ここでは、「鉄道旅行記 2005年夏」のうち、土讃線「特急南風11号」に乗車するところから高知を去るところまでを取り上げる。

 

テーマは、

1. 土讃線および「特急南風11号」

2. 高知市内の国道

3. よさこいまつり

4. はりまや橋

5. 銭湯

6. 「臨時快速ムーンライト高知号」のグリーン車

7. 高知を去る

 

  

1. 土讃線および「特急南風11号」

★阿波池田から先は特急でワープ★

 青春18きっぷで旅行しており、昨夜の首都圏から阿波池田までは普通列車を乗り継いできた。阿波池田には14:04に到着した。阿波池田から先、高知へ向かう普通列車は15:30発の4265Dまで無い。しかし、1410発の「特急南風11号」に乗れば、高知にはその1530よりも前の1516に到着できるのである。ここは、特急でのワープを選択する。さて、ワープの選択ならばいくらでもある。同様に100km弱のワープならば、岡山→阿波池田間を「特急南風9号」でワープして、阿波池田からはもう1本前の普通列車4251Dに乗り込むことだって考えられる。しかし、高知着は私の選んだ乗り方の方が早いのである。クリティカルパス等の理論やOR手法を用いる計画立案の仕事もしているので、このような効果比較や計画がおもしろくて仕方がない。

 通常の旅行では乗換えなどで長く滞在できる街では散策などを楽しむのだが、今回はとりわけ高知を目的地にしているので、阿波池田での滞在はもとより考えていない。そんなに高知に行きたければ飛行機か特急乗り継ぎで行けばいいだろうと言われるかもしれないが、青春18きっぷと特急列車でのワープをうまく組み合わせる事も醍醐味なのである。

 普通列車の乗り継ぎに比べて、高知の滞在時間に3時間の余裕を生み出す事ができる。阿波池田⇔高知間は、特急列車でおよそ70分であるが、普通列車だと2時間半もかかる。JR四国では特急列車と普通列車では利便性にあまりにも差がありすぎる。ちなみに、4265Dは、阿波池田15:30→高知1803である。

 いろいろ撮影したいので、外が明るいうちに高知入りしたい。時間に余裕を持ちたい理由のもうひとつは入浴である。私は皮膚があまり丈夫ではなく、自分の汗でもかぶれる場合があるので入浴は欠かせないのだ。1999年夏、青森市で入浴したものの体のほてりがなかなか収まらなくて時間がかかってしまい、列車への乗継が危ない事があった。とりわけ地方に行くとタクシーをすぐに捕まえられそうにもないので要注意である。そのようなわけで、入浴の為にも高知滞在時間を確保したかったのである。

 理由は後ほど記すが、「特急南風11号」で朝倉まで行く事にした。しかし、阿波池田駅の自動券売機の特急券の欄には旭や朝倉の表記が無かった。旭や朝倉は近年になって停車する特急が増えたからなのか、特急停車駅としての記載が見当たらなかった。一応駅員さんに確認したところ、100kmまでの特急券を購入すればいいとのことであった。なお、ここで言う特急券とは、自動券売機で買える自由席特急券のことである。

 

 

阿波池田14:10→朝倉1527(実際は5分ほど遅れ) 土讃線41D 「特急南風11号」 2000系気動車4連 2115

 

JR四国特急★

 今回は普通車自由席でじゅうぶんである。混んでいればグリーンに移ればいいと思っていた。しかし、4両編成の列車はグリーンも含めて満席であり、デッキにも多くの人が座り込んでいた。他の乗客と話したところ、始発の岡山からこのような混み具合との事だ。洗面所やトイレに行く事も困難なほどである。

 JR四国名物の「短編成激混み特急」・・・2連や3連も珍しくなく、激しく混んでいる事が多い。お盆帰省とよさこいまつりだけが原因ではなく、慢性的に座席が不足しているのだ。特急主体ダイヤなのにこれでいいのか。

 大田口で行き違った上りの特急が遅れた影響でこの列車も遅れ気味である。単線でありながら特急の本数を増やしていった結果、遅れが慢性化している。

 多客期には、高松発着の予讃線特急「いしづち号」は多度津での乗換えを強いるなど、JR四国はとんでもないダイヤ構成になっている。決して安いとは言い切れない特急料金を払っている乗客の為にも少しは改善しろよと言いたくなる。

 

★名称★

 「南風号」という列車名称は昭和25年から続くものであり、おそらく「銀河号」に次いで2番目ぐらいに長寿の列車名群に属するのではなかろうか。

 JR四国には“本線”と名のつく路線が無い。かつては予讃本線・土讃本線・高徳本線・徳島本線の4本があったわけだが、JR化後の昭和63年に本線と呼ぶのをやめたのである。

 

 

★四国山地越え★

 さて、本当ならば一番後ろのデッキまで移動して後部展望を楽しみたいところであるが、前向きの座席と後ろに向けた座席の間で楽な姿勢を取れたのでそのままそこにいた。そこからでも横と後ろの展望を楽しめた。

 録音による大歩危小歩危の景勝案内放送が入った。乗客たちは放送内容にしたがって右や左の車窓に目を向けるわけだが、列車はすぐにトンネルに入ってしまう。

 右へ左へ、左へ右へ、制御振り子装置を作動させながら2000系特急はカーブが続く山岳の隘路を80km/hを超える速度で駆け抜ける。線路の継ぎ目を越える時の揺れは結構激しく、内臓を下から突き上げられるような感覚である。

 

 十年以上前に初めて土讃線に乗った時には「本当にこの先に文明都市があるのだろうか」と不安になったぐらいであった。高知は陸の孤島と言われている。高知は他県との間を険しい四国山地に阻まれており、その為に文化や経済の交流は船を通じて大阪とのつながりが強かったという歴史的経緯がある。単純に「四国4県」とひとくくりにできないのである。その為か、大阪⇔高知間の飛行機の便数は現在に至るまで意外なほど多い。

 土讃線の四国山地越えの区間は多くの死傷者と長い歳月を経てようやく全通した。現在でも自然災害との闘いの連続である。線路の付け替えも何度か行われており、それゆえに旧線跡を車窓から望むことができる。線路を付け替える際に穴内川に架ける橋そのものを駅にした土佐北川駅が有名である。

 さて、穴内川は「あなないがわ」と読む。内という字を「うち」ではなく「ない」と読む。これは北海道の地名によく見られる傾向である。実は、この穴内川流域にはアイヌからの移民伝説がある。実際に川の上流域と下流域とでは、指紋等の民族的な違いが見られるらしい。決定的な実話かどうかは分からないのでこれ以上の言及は避けておこう。まぁ、珍しい読み方だということだ。土佐穴内という駅もある。また、高知には音読みと訓読みがごちゃ混ぜになった読みにくい地名が多いと言われている。

 

★天坪越えから高知平野へ★

 海抜347mJR四国最高所に位置する繁藤駅、天坪越えである。災害にまつわる悲しい歴史がある繁藤駅から高知平野へと下る。スイッチバックの新改駅を過ぎると進行方向右下に高知平野が見えてくる。徐々に高度を下げていく様は飛行機の着陸態勢を思わせる。峠を下りきったところで土佐山田に到着する。

 平野に降り立つと120km/h運転が戻ってくる。一昔前は「ただいまの速度…」というのが表示されていたのだが、見かけなくなって久しい。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線との連絡駅、後免に停車。ここでようやく座席にありつけた。

 一昔前は阿波池田⇔高知間(営業キロ82.7km)を無停車60分の2000系特急もあったのだが、現在では国鉄時代と同様に全ての特急が土佐山田と後免に停車する。また、単線でありながら運転本数を増やした事により、阿波池田⇔高知間の所要時間は標準で70分程度に延びてしまった。

★いよいよ高知に到着★

 土佐一宮付近に新設された車両基地を横目に通り過ぎるとまもなく高知に到着する。6分ほどの延着であった。

 高知をすぐに発車するとの案内が入った。高知駅北側の車両基地はすでに移転しており、その跡地はぽっかりと空いている。また、高架化工事中のようである。

 旭・朝倉・伊野に停車する特急が格段に増えている。急行時代は急行停車駅であったが、一昔前には特急は一部しか停車しなかった。しかし今では、一部の特急が通過するだけであり、ほとんどの列車がこれらの駅に停車している。

 

 高知でまとまった下車があった。しかし、驚いた事にここから激しく混みだした。客室内の通路まで人でいっぱいになり、下車できない恐怖が頭をよぎった。旭・朝倉はすぐなので、通路を空けてもらいながら旭到着までにデッキに移った。8両編成にしてもよいほどの乗り具合であった。

 こんなに混んだJR特急に乗ったのは初めてである。扉が少ない車両でこういう目に遭うのはちょっぴり怖い。朝倉で下車したのは私一人だけのようである。乗車券・特急券を記念にいただく事ができた。

 

 

 

2. 高知市内の国道

 高知市内にはなんと6本もの国道が通っている。朝倉駅周辺のルート変更箇所、および六角柱の国道標識を取材した。

 

★朝倉駅前★

 朝倉駅前である。写真前方(東)が高知市街地、撮影者の後方(西)がいの町(旧名・伊野町)となる。左側が旧国道33号線、土佐電鉄の線路が見える中央の道が旧々国道33号線、右側(南)に折れる道が旧国道56号線である。そう、ここは旧一級国道の分岐点なのだ。「特急南風11号」を朝倉で下車した理由はこれである。左側の車線に左折の印があるが、そこが朝倉駅である。ちなみに、旧々国道33号線と旧国道56号線の間には国立高知大学がある。なお、現在の県道番号は、かつての国道毎に分かれているわけではない。

 さて、旧々国道33号線に着目して欲しい。土佐電鉄の線路がある。高知市街地へ向かう電車は左側を進行することになるが、これは問題ない。しかし、伊野方面に向かう電車は、道路上の右側を進行することになる。つまり、この道において東に向かう自動車は、電車および対向車両と正面衝突しないように、対向車線に避難しなければならない。アクロバットである。生で見るとマジでビックリするぞ。ちなみに、電車は朝倉電停においてスタフ交換を行う。釣り掛けモーターの音ともに郷愁を感じさせる。

 

 国道取材と言いながら徒歩というのも如何なものか。高知大学の近くでレンタサイクルを見かけたが、34℃の猛暑だったのと、自転車に荷物を積めないこともあり、これは対象外にした。レンタカーという手もあるが、右ハンドル車の運転に自信が無いのと、よさこいまつりによる市内の混雑を考慮して、これもやめておいた。そろそろ右ハンドル車にも慣れておいた方が良さそうだなぁ・・・。

 

 土佐電鉄626でいの町へと向かう。咥内坂では土讃線や高規格幹線道路と立体交差する。いの町枝川で、国道33号線の新線が元からの線に合流する所を取材してきた。なんと、新線は枝川小学校の真下を通っている。トンネルにも余裕があるようで、車線を増やす事も可能みたいである。

 

 

★有名な六角柱の国道標識★

 いの町から高知市内へ土佐電鉄2002で向かう。

 こちらは高知市内。県庁前交差点には、有名な六角柱の国道標識がある。ここは国道32335556194195号線の起点や終点になっている。なんと、旧一級国道が4本も通っているのである。旧一級国道は中国四国地区の都市では最大の本数を誇る。ここは中国四国地区における国道マニアの聖地となっている…らしい。

 1級国道

 

3. よさこいまつり

 私の夏休みの日程とよさこいまつりの開催期間を考慮すれば、今回の高知訪問は812日しか選択肢がなかった。そう、よさこいまつりの為に東京から高知まで実家にも立ち寄らずに直接やってきたのである。

 実は、このよさこいまつりについてはあまりいい評判を聞いていなかった。情緒もへったくれもない単なる若者の乱舞だと以前から言われていたが、更に評判が悪くなっているようである。

 実際にがなり声が耳障りだったし、地方車(じかたしゃ)もへんてこなエアロ改造車ぐらいにしか見えなかった。なんだか暴○族の集会みたいだという感想もよく理解できた。

 掛け声が脅迫する時の口調のように聞こえた。威勢のいい掛け声と下品な発声は別物である事を理解していただきたい。高校時代の体育祭を思い出した。うちの高校の体育祭には名物の応援合戦があった。まじめに競技すらしない不良どもが、この演目だけははりきっているのがものすごく見苦しかった事を覚えている。そのようなわけで、2年前とは異なり、ほとんど感激はなかった。もう見に来ることもないかもしれないと思えてきた。

 この数日前、首都圏で自宅近所の花火大会に行った。花火大会は何かをする場ではなく、言わばただ単におとなしく見る場である。祭はこの程度のものの方がいいかもしれないと思うようになっていた。

 しかし、富山県から来た連の演舞を見て楽しくなってきた。曲の中に「よさこい」が入っていないのは訝しく思えたが、富山の当該民謡が好きだったのですっかり気分が良くなった。悪いことばかり思っていても仕方がない。せっかく高知まで来たのだから楽しもう。あと、岡山県から来た連もなかなか良かった。これは鳴子を持たずに旗を持っている人も混じっていたが、なんだかんだ言ったところで勇壮な祭や舞は盛り上がるものである。その後の東京から来た私大生の連はあえて見るのを避けた。こういう連中が来るから「若者のバカ騒ぎ」と言われるのだ。

 これがその富山県から来た連である。音楽は録音しておいた。

 

 ところで、以前使っていたフィルムカメラには「スーパー夜景モード」という機能がついていた。これを用いると舞や炎を幻想的に撮影する事ができ、祭や神楽の情景を撮影する時には重宝した。しかし、現在使っているデジタルカメラにはこのような色気のある機能は無い。単なるブレた写真になってしまうのがなんとも惜しい。

 さて、踊り系の祭については「踊る阿呆に見る阿呆…」という阿波踊りの有名な囃子詞がある。私は典型的な後者である。私は趣味や遊びの領域で人から指図されるのが気に入らないので、当然ながら、目立たない一員として指示通りに踊る為にわざわざ参加したいとは思わない。私が完全に指揮を執っていいのならば参加してやってもかまわないと思っているぐらいである。そのようなわけで、祭は好きなのだが、いつも自分が見たいように見るだけである。それでじゅうぶん満足している。

 

 鳴子踊りについて所感を記しておこう。鳴子は、もともとは農作物を狙う鳥などを音で退治する道具である。鳴子踊りではこれを持ってよさこい節に合わせて踊るわけだ。鳴子は腕の振り終わりから一瞬の間をおいて音が鳴る。これが一種独特のリズムや情緒を生み出していると私は思う。それゆえに、もっと情緒のある踊りができないものかと訝しく思う時がある。

 

 多様性が着目されたり、ルール遵守が強化されたり、「祭」にはいろいろ変遷があるものだ。本来、「祭」とは規範である。また、地域の文化でもある。地方の祭が各地に飛び出しているようだが、私はこれに強く反対したい。模擬演舞ぐらいならば許せるが、無関係な土地にイベントとして定着させる事は文化的にどういう意義があるのだろうか。「YSAKIソーラン」を創めたバカは処罰に値すると思う。各地の民謡との時限的な融合は大いに楽しめるものだが、他地域の文化を無理やり撒き散らすのは犯罪である。動植物におけるワシントン条約のように、何らかの法整備を施すべきだと思う。「日野よさ○い」や「高円寺阿波○り」のようなパクリものの糞イベントは一日でも早く滅亡する事を強く希望する。

 

 余談だが、競演場の傍にある自動販売機の飲料は売り切れているので要注意である。

 

 

4. はりまや橋

日本三大がっかりのひとつ「はりまや橋」

 今でこそ親水公園になっているが、一昔前までは、後方に見える車道のガードレールそのものが「はりまや橋」であった。ここの交差点は、高知市の交通の要衝となっている。

 

 

5. 銭湯

 高知城の近くに夜遅くまでやっている清潔な銭湯がある。よさこいまつりの競演場からも近いので、夜行列車に乗る前には最適であろう。実際に、踊り終わった踊り子さんたちもたくさん来ていた。一方、踊った後に汗を流すこともなく、そのまま貸切バスで帰っていく香川県の連もいた。高知自動車道のおかげで香川まですぐに帰れるわけだが、車内は辛そうだなぁ。

 

 

6. 「臨時快速ムーンライト高知号」のグリーン車

 今回は青春18きっぷの旅程なので普通車に乗るが、この列車のグリーン車はかつてよく乗る機会があった。特筆に価する車両なので記しておきたい。

 「臨時快速ムーンライト高知号」は、一昔前は、週末や休日の前日にも運転される“準定期列車”と言えるほどの存在であった。全車グリーン車の12系客車3両編成であるが、多客期には車両をやりくりして「臨時快速ムーンライト松山号」を併結する。この場合、グリーン車はJR四国の12系であり、普通車はJR西日本の14系(あるいは12系)である。近年では運転期間がだんだんと縮小されてきた。

 この12系客車は国鉄末期に四国に渡った12系客車のうちの6両である。JR四国は当初これらを長距離団体用“普通車”として登場(改造)させた。座席車とカーペット車がある。座席車のシートピッチはなんと1,400mm、レッグレスト・オットマン・読書灯装備で横12列の大型フルリクライニングシートである。これら6両は後に、製造番号はそのままに形式を変えてグリーン車に格上げされた。

 今年5月、JR東海の14系客車4両がJR四国へ譲渡された。老朽化した12系客車に代わって多客臨を引き受けるものと思われる。そうなればこれらのグリーン車も終焉を迎えるであろう。それにしても、なぜに古い客車ばかり四国に集うのだ? この12系も製造番号1桁の初期の車両であり、この度やってきた14系座席車は各形式のトップナンバーが揃っている。

 「臨時快速ムーンライト松山号」を併結する場合は、座席のオロ12は「臨時快速ムーンライト松山号」に供用されるので、「臨時快速ムーンライト高知号」の座席グリーン車は1号車のスロフ12だけとなる。「臨時快速ムーンライト高知号」の普通車はオハフ15である。つまりサービス電源はスロフ12がまかなう事になり、「静かな普通車」と「騒音と振動のグリーン車」が並存するおかしな事になるのである。ただし、2号車寄りの4番席辺りまでは発電用エンジンの騒音や振動は気にならないと思う。

 

スロフ12-6の車内…レッグレストの他にオットマンも付く。ちなみに座席を向かい合わせにしてフルリクライニングにしても、背もたれ同士やレッグレスト同士がぶつかることはない。

 さすがに安い改造をした為なのか、写真左側でもわかるように、客室端のB席は前か後ろがすぐ扉である。ここはさすがに落ち着かないので遠慮したい。いくらなんでも目の前が扉とはいかがなものか。

 シートピッチは1,400mmもある。十年ほど前には国内某航空会社の国際線ファーストクラスのスリーパーシートよりも広かったと記憶している。これで普通列車用のグリーン料金(営業キロ150km超は\1,900)で乗れるのだから破格のサービスと言えよう。広すぎて落ち着かないという感想を聞いた事があるが、私は好きである。余談だが、一昔前は座席の色が若草色であった。

 ところで、今回の旅行の計画段階ではこのグリーン車の惜別乗車を考えていた。高知旅行は12日であり山陽旅行は14日なので、13日は青春18きっぷを使わずに乗車券とグリーン券で阿波池田から大阪までグリーン車に乗り、14日の0時過ぎから乗車できる「臨時快速ムーンライト山陽号」から再び青春18きっぷを使おうかと考えていた。しかし、「臨時快速ムーンライト山陽号」が運転されないのでこの構想はつぶれてしまったわけだ。このグリーン車は関西でも見られるし、何度も乗ったし、とりわけ座席の意匠に惹かれるというわけでもないので、特にこだわらなくてもいいだろう。それにしても、関西と西日本各方面を結ぶ「ムーンライトシリーズ」もずいぶん痩せ細ってきたものであり残念である。

 

 

7. 高知を去る

 いよいよ高知を去る時がやってきた。

 高知駅前はまつりの余韻が残っていた。夜行高速バスの発車や、貸切バスの発車、および列車の出迎えなどもあって賑わいを見せていた。しかし、駅前のコンビニは2230に閉まってしまい、わずかな時間差で利用する事ができなかった。

 高知駅1番線には2000系アンパンマン編成8連が停車していた。また、下りの特急が11分遅れているようである。

 夜行列車「臨時快速ムーンライト高知号」の発車時刻が近づいてきた。3番線から22:58発である。

 

 高知を去るにあたって言い残したい事がある。高知龍馬空港って、恥ずかしいから一日でも早くこの愛称をやめた方がいいんじゃない。なんでもかんでも龍馬頼みって、恥ずかしくないですか高知県のみなさん!

 では、また来ようかな。

 

 

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