2012
年夏の旅行記 (2012/8/19日 公開開始 2012/10/14更新)
今回の主なテーマは、
第
「リゾートやまどり」
第
2旅程(2012/8/13月〜2012/8/16木)羽越本線運休
第
3旅程(2012/8/18土)関西から東京への
第
4旅程(2012/9/1土)
(
2012/8/19日 公開)「リゾートやまどり」(
2012/8/25土 公開)羽越本線運休 / 羽越廃隧道(
2012/9/9日 公開)羽越本線酒田→秋田(⇔大曲)→「リゾートしらかみ5号」→「特急スーパー白鳥33号」(
2012/9/17月 公開)青森駅⇔恐山(
2012/10/6土 公開)「寝台特急日本海」(
2012/10/13土 公開)立山黒部アルペンルート / 立山砂防工事専用軌道(
2012/10/14日 公開)おわら風の盆 / あとがき
(
2012/8/19日 公開 ここから)第
1旅程(2012/8/4土)2012
年8月4日(土)★★リゾートやまどり★★
八王子
7:05→大宮7:56 9551M「臨時快速はちおうじやまどり号」 485系電車6連 モハ484-703近年、
JR東日本ではシートピッチ1,200mmの立派なリゾート列車がたくさん登場しており、それらが普通車として運用されている事に驚いている。窓割とシートピッチもうまく合わされており、座席だけを取り替えた安易な改造とは根本的に異なる。JR東日本は何ゆえに、日々運用されるわけでもないリゾート列車に力を入れるのであろうか? 特急グリーン車が段々としょぼくなっているのとは対照的である。2011年に「リゾートやまどり」が登場した。座席は253系グリーン車から転用されたものである。特急グリーン車時代に1,090mmで配置されていた座席が、「リゾートやまどり」では1,200mmで配置されている。グリーン車時代と同様に横は3列であり、枕にはカバーまで付けられている。例外的に6両のうち1両(2号車、モハ484-703)はシートピッチがなんと1,550mmであり、これにはかなり驚いた。
「リゾートやまどり」はお座敷電車の「せせらぎ」と「やまなみ」を再度改造して生まれた車両である。
ほんの3年前に乗車した「せせらぎ」もすでに過去の存在なのだ。
シートピッチ
1,200mm…特急形グリーン車のシートピッチの標準である1,160mmを上回っている。「リゾートやまどり」は485系特急形電車なので、特急グリーン車として運用されてもなんら不思議はないぐらいの車両である。
シートピッチ
1,550mm…フットレストと背面テーブルについては、あまりに広すぎて使えないので省かれている。好みが分かれるところだろう。グランクラスの1,300mmや、かつての「ムーンライト高知」のグリーン車の1,400mmをも上回る。1,550mmといえば、向かい合わせ座席のシートピッチとしても通用する数値ではないか!
「リゾートやまどり」は吾妻線に乗り入れる臨時特急や臨時快速を中心に運用されている。特急にせよ快速にせよ全車指定席扱いである。このハイグレードな車両を自宅の近くで乗れる機会を得た。この夏の
4日間、八王子発着の、しかも快速として運転された。せっかくなので乗りに行く事にしたのであった。残念ながら終点の万座・鹿沢口までの指定券が取れず、大宮までの乗車となった。念願の2号車の残り1席を入手できた。特急やグリーン車とは異なり指定券の料金は距離に関係ないので、できれば遠くまで乗りたかった。
大宮
8:18→立川8:58 9472M「臨時快速ホリデー快速河口湖3号」 183・189系電車6連 モハ183-1044この日は武蔵野貨物線を通る臨時列車を併せた旅程を考えてみたが、どうしても乗り換える時間が取れそうに無いのでこれを取りやめた。大宮という事で鉄道博物館も考えたが、さすがに早朝
8時から開館しているはずも無く、これも諦めた。この日の大宮駅ではいろいろな臨時列車が出ていた。「ホリデー快速河口湖
3号」が来る事を知ったので、それに乗って立川まで戻ってきた。この列車は183系・189系特急形電車6連で、最後尾の1号車が指定席だ。大宮駅、武蔵野線内停車駅、立川駅、この区間内で乗降する乗客も多く見られた。この経路での直通列車がめったに無いので、その区間でも重宝されているようである。
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2012/8/19日 公開 ここまで)
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2012/8/25日 公開 ここから)第
2旅程(2012/8/13月〜2012/8/16木)この旅程は、東京の自宅を出発して青森を観光し、「臨時寝台特急日本海号」で青森から関西の実家へ向かう旅程である。
それにしてもこの「臨時寝台特急日本海号」の運転日は、青森発は
大阪行きの「臨時寝台特急日本海号」は新津
0:30発というそこそこ都合のいい時間帯なので、当初は新津から関西まで乗る事を考えていた。しかし、この旅程を組んだ場合、この夏の青春18きっぷの使用予定は計4日分にしかならない。一方、青森県で長年行きたいと思う場所があった。そこへは東日本方面の旅行に便利なきっぷを使う際に行ってみようと考えていた。しかし、旅行だけの機会というのはなかなか得られるものではない。今回は青森に行けば青春
18きっぷをちょうど5日分使いきれる事になるので、思い切って東京→青森→関西という旅程を組む事にしたのであった。
2012
年8月13日(月)新宿
隣がデブだ。臭いよりはましだが、辛い一晩になりそうだ。このデブ、頻繁に姿勢を変えるし、こちらの領域を侵犯してくる。
この車両は特急形普通車だが、さすがに横
4列席というのはゆったりしているとは言いがたい。今回は普通列車の普通車扱いだからいいようなものの、JR東日本の新しい特急形グリーン車も横4列だ。特急形グリーン車ぐらいは、デブでもゆったり乗れるような設備を提供すべきではないかと思った。私は細いので横4列席でも不満はないのだが、さすがにデブの隣で長時間過ごすには居心地が悪い。2012
年8月14日(火) …青春18きっぷ1日目高崎を発車しても通路を挟んだ隣の席に誰も来ないので、車掌氏に断ってそちらに移った。
新津では大阪行きの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」に出会わなかった。「トワイライトエクスプレス」が遅れているみたいだ。
新潟到着直前の車内のデッキで、鉄道趣味仲間に会った。彼は年齢の不釣合いな女性と一緒にいた。どうやら旅程の相談を受けているらしい。羽越本線に運休や遅れが出ているとの事だ。
最近はスマホを持っている人が多く、パソコン並みにネットにアクセスできるみたいで情報の伝播が速い事に驚いた。私の
この先、彼は私とは別の旅程であり、彼女は函館まで行きたいらしい。この列車の下車が近づいてきたので、「(彼女への説明は私が)引き継ぎましょうか?」と申し出たが、彼は大丈夫だと言っていた。
新潟
4:56→村上5:52 白新線・羽越本線3921M 6連 クハE126-2新潟での乗り換えは、以前は「ムーンライトえちご号」を降りた同じホームの向かい側であったが、今回は遠くのホームまで行かなければならない。
乗り換えたところ、私の隣の奴が咳き込んでいた。そこへ、先程の女性が向かいの席に来たので、私は彼女の隣に移り、旅程が大丈夫そうかと声をかけた。どうやら女性二人組らしい。大学生ぐらいだろうか。誤解の無い様に記しておくが、私は彼女達に接近したかったのではない。咳き込んでいるくせに団扇で扇いでいる下品な奴の隣から逃げたかったのだ。
車内では羽越本線の運休について会話が飛び交っていた。私に質問に来る旅客が他にもいた。
★★羽越本線運休★★
私は楽観的に考えていた。私にとってこの日は絶対にこなしたい旅程があるわけではなく、夜に青森駅前のホテルに着けばいいだけである。また、
4年前も旅行中に乗る予定の路線が運休になった事があるが、私が乗る時点では運休が解除されていたぐらいであり、1時間ぐらい先の事を気にしても仕方がないと考えていたのだ。しかし、青春18きっぷで北海道まで行きたい旅客にとってはかなり不安みたいだ。村上に到着した時点で事の重大さに気づいた。なんと、青森行きの「寝台特急あけぼの号」が抑止されているではないか! この先進めないという事がよくわかった。
村上到着を告げる車内放送において、「羽越本線は大雨の影響で一部列車に遅れや運休が出ています。詳しくは駅係員にお尋ねください。」ってあまりにも無責任ではないか。村上⇔酒田間は確実に運休だって事ぐらいはわかっているだろうに、駅係員に尋ねろとは何なのさ。東京あたりでは、駅や車内の表示にて近隣路線の運休等の状況が常に配信されている。東京圏と比べてはいけないのかもしれないが、村上到着まで情報が伝えられない事が大いに不満であった。
村上駅では、駅窓口や駅構内にいる車掌氏に質問が殺到していた。また、改札窓口において美人駅員氏が、旅客に希望の行き先を尋ねて人数をメモしていた。
混乱する村上駅。足止めされた「寝台特急あけぼの号」の姿も見える。
米坂線に回るという事で坂町へ引き返す旅客もいた。彼らだって羽越本線の運休についてもっと早く情報が伝えられていたら、新潟なり坂町なり、あるいはもっと手前で手を打てたであろうに。なお、米坂線に回ると新庄に達するのさえ昼過ぎである。私はこのまま羽越本線の運転再開を待つ事に決めていた。
この方面に初めて来た旅客や北海道まで足を延ばす旅客はやきもきしているが、不謹慎ながら、私はこの非常事態を楽しんでいた。私のところへ質問に来る旅客の一人でも多くに最善の案を提供したいと思っていた。
羽越本線の村上⇔酒田間は午前中の運休が決定している。また、代行バスも出さないと情報が出ていた。どうしても「リゾートしらかみ
5号」に乗りたいという旅客がいた。急ぎたいならば何人かでレンタカーを借りればどうかと提案した。彼は駅前のレンタカーを探しに行ったが、さすがにこの時間帯では営業していない。私は、先程から話した旅客の何人かに希望者を募ったりした。旅客同士の連帯感が一気に高まり、なんだかおもしろい事になってきた。駅前には徐々にバスが据え付けられてきた。どうやら酒田までの代行バスが出るらしい。しかし、代行バスが酒田までしか行かない事に不満を抱く旅客達が駅員に詰め寄った。ここでも私の出番だ。私のところへ質問に来る旅客の一人でも多くに最善の案を提供するのみならず、過熱化する旅客達の
JRへの要望を沈静化させなければならないと思い、行動に出た。駅員氏が「すみません」しか言えない中、私は旅客達に向けて「酒田までは新潟支社、その先は秋田支社。いくらなんでも、旅客全員について広域な救済を求めるのは現実的ではない。新潟支社の限界の酒田までバスを出してもらえるだけでもじゅうぶんではないか。」 また、「現場は指令の指示に従わなければいけないのでこの場で勝手な判断はできない。」という旨を発言したところ、場が一斉に静まった。支社の境界の説明で納得したと言ってくれた旅客もいた。また、私ぐらいの説明をJRの人がしてくれたらいいのにとも言われた。おぉ、なんだかこの日の私は世の中の役に立っているぞ! おいおい駅員さんよ、せっかくフォローしてやったのに礼の一言も無いのかよ?
さて、酒田で朝食を予定していたが、この先どうなるかわからないので、開店した駅の売店で食料を購入した。
バスが
2台ぐらい待機しているが、坂町からバスやタクシーをまだまだ呼び寄せているらしい。すでに待機しているバスもあるのになぜ我々を乗せない? 午前7時を過ぎて、「あけぼの号」の乗客をバスで振り替え輸送するとの案内が入った。バスやタクシーの運転手さん達は
JRのサイン待ちとの事で、早くしてくれと伝えてほしいとの事だ。旅客のもう一人と私とが連絡係や案内係みたいな感じになってきた。振り替え輸送するにしてもなぜ我々を乗せようとしない? そのうち、「あけぼの号」からぞろぞろ旅客が降りてきた。いくらなんでもここで特急料金の払い戻しなんかされたらもっと時間がかかるではないか。確認してみたところ、特急料金の払い戻しは各旅客の目的地の駅で行うらしい。
「あけぼの号」から降ろされた旅客達が代行バスに乗り込む。
さて、先程の若い女性二人組だが、一人の体調が悪くなってきたみたいだ。また、時間帯が遅くなってしまった場合は「急行はまなす号」に乗ればいいという事を先程教えていたのだが、どうやら私の言葉どおりに「急行はまなす号」に乗る事を検討しているようだ。そこで、青森⇔函館間だと急行自由席と特急自由席は数百円しか違わないので、
3時間以上早く着ける「特急スーパー白鳥号」を教えておいた。一般人は、時刻表を持っていても柔軟な旅程変更が難しいみたいだ。だからこそ私みたいなのが役に立つのだ。私に相談に来る旅客が他にもいた。どんな質問にでも即座に対応できている自分が気持ちイイ!
「あけぼの号」の乗客に向けた案内放送は入るが、他の旅客に対しては代行バスの案内放送すらなかった。非常事態を三人ぐらいの駅員で対処しているので大変そうだが、さすがにこれは窓口に言いに行った。「代行バスが発車する事を知らずに待合室にいる人もいる。代行バスを出すなら出すで、案内放送ぐらいしてはいかがか。」 男性駅員氏に向けて言ったのだが、手前にいた美人駅員氏が「すみません」と言って早速放送していた。
村上駅
7:30頃→酒田駅9:35頃 国道345・7号線 代行バス 瀬波タクシーのジャンボタクシー鉄道の羽越本線は何度か乗っているが、このあたりの道路を行くのは初めてである。ジャンボタクシーの前席に乗せてもらい、前面展望をたっぷり楽しむ事にした。羽越本線といえば、線路の付け替えによる旧線跡や廃隧道が点在する。
件の女性二人組も同じ車に乗ってきた。私の後ろの席に来たが、なにやらこちらに聞こえないように内緒話をしている。別に聞く気はないが、「…きこえ…」と聞こえてきた。思うに、「あのおっさん(私の事)に聞こえたら話しかけられるのがウザイので、聞こえないようにしよう」と言っているのではなかろうか。確かに、旅先でイケメンと出会えばいい思い出になるかもしれないが、私のようなくだらないキモイおっさんに何度も話しかけられるのは迷惑であろう。この先、もう彼女達に関わらない事に決めた。
さて、村上の市街地を抜けて国道
★羽越廃隧道★
廃トンネルや旧道跡、旧線跡が点在していておもしろい。
勝木にてようやく国道
7号線に入った。国道7号線においても廃隧道が目に付いた。楽しくて仕方がない。
羽前水沢駅にて足止めされている、札幌行きの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」を見た。羽越本線の運休は想像以上に深刻な状況だ。この列車は、朝は北海道の洞爺から客扱いを開始する。つまり洞爺以遠にいるはずの旅客を乗せていた列車がまだ山形県内にいるのだ。(続報は、この夜の青森のホテルでのネタとして公開)
国内どこでも言える事だが、非都市部の国道は信号が無いので意外と速く進む。鶴岡や酒田の都市部では信号が多くなり、なかなか進まなくなった。酒田
9:38発の541Mに間に合わせるように指示があったのかもしれないが、酒田市街地においては運転手氏がさかんに時間を気にしていた。赤信号で停められる度に呼吸や鼻息が荒くなっていくのがよく感じられた。代行タクシーの運転手氏の健闘もむなしく、
541Mは全ての代行バス(タクシー)の到着を待ってから発車するとの案内が入った。また、酒田では大阪行きの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」が足止めを食らっていた。
10時前には、この「トワイライトエクスプレス」から乗客がぞろぞろ降りてきた。我々が乗ってきた代行バスに乗せるのではなかろうかと思った。そこのところがどうなったのかは、追跡調査できなかったが…。村上駅にて待っている客から順番に代行バスに乗せていれば
541Mに迷惑が及ばなかったはずである。「あけぼの号」の乗客から先に村上駅を出発させたものの、結局は「あけぼの号」の乗客に普通列車の乗客の到着を待たせた事になる。何ゆえに我々の出発を待たせたのか理解できない。あまりにも手際が悪すぎる。
今回の運休や代行バスについては事後的にも色々考えた。今回の羽越本線の運休に際しては代行バスは出さないと案内されていたのだが、実際は代行バスに乗る事ができた。それは「あけぼの号」が同じ駅で打ち切られたからではなかろうか。つまり、「あけぼの号」が別の駅で打ち切られていたら代行バスの恩恵に与れなかったかもしれないと考えられるのである。「あけぼの号」の乗客の寝台料金が代行バス代に化けたのだろう。「あけぼの号」は
2時間以上遅れているどころか、途中駅での打ち切りなので特急料金は払い戻しの対象になるが、午前6時までは寝台を使えているので寝台料金は払い戻しの対象にはならない。よって、JRとしては高額な寝台料金を払い戻すという損失は免れたのだ。そうでなければ代行バスなんてやってられないだろう。ちなみに、私が乗ったタクシーの酒田駅までの運賃は42,470円と表示されていた。青春18きっぷの旅客を7人ぐらい運ぶだけでこの金額だといくらなんでも割に合わない。それにしても、村上駅での旅客の要望は激しかった。酒田の先の秋田や青森まで代行バスを出せだの、レンタカー代を出してもらおうだの…。そもそも「青春
18きっぷ」や「北海道&東日本パス」の旅客は、路線の運休等で予定通りの旅程にならなくても特急への振り替え等の救済を受けられないのである。普通乗車券の旅客が受けられる救済措置でも対象外とされる場合もある。安いきっぷなのだからそれくらいのリスクは背負うべきであろうと私は思うが、実際は、注記を解せずに過剰な要求を突きつける低水準な客も多いのだ…。
色々バラバラに記してきたが、私の考えをまとめておこう。代行バスやタクシーを出してくれたのはありがたかったが、「あけぼの号」の乗客から先に村上駅を出発させたのは間違いだったと思う。また、駅や車内では適切な案内放送を適宜行うべきであろう。
(
2012/8/25日 公開 ここまで)(
2012/9/9日 公開 ここから)酒田
所定9:38(20分遅れで発車)→秋田 所定11:30(こちらも10分以上遅れ) 羽越本線541M 3連 サハ701-5代行バス(タクシー)の全ての到着を待ち、
20分遅れで酒田を発車した。遅れて発車したとはいえ、秋田から先の「リゾートしらかみ5号」や北海道方面へは、「青春18きっぷ」や「北海道&東日本パス」の旅客のほとんどが予定通りに復した事になる。米坂線に回った皆さんはお気の毒という事だ。車内では、「あけぼの号」からの乗り継ぎ客に対するお詫びと案内が繰り返された。秋田から先、東能代までの旅客は
11:51発の普通列車、それより遠方へは13:08発の「特急つがる3号」、ただし特急券は不要との事である。いくら特急券が不要とはいえ、秋田駅で1時間半も待たされる旅客はなんとも気の毒だ。また、秋田
11:37発の奥羽本線湯沢行き440Mの発車を待たせるとの案内もあった。村上駅にて待っている旅客から順番にバスに乗せなかったという判断が遠くの奥羽本線にまで迷惑をかけているのである。秋田に到着した。私は乗換えで急いでいたのではっきり聞き取れなかったが、“「あけぼの号」の乗客で新青森・青森へお急ぎの方は新幹線での振り替え輸送…”という趣旨の構内放送が流れていたように思う。もしそうだとすると、何の為にゆったりと乗れる寝台列車を選択したのかわからない。途中の駅で起こされ、狭いバスに詰め込まれ、普通列車に乗せられ、人によっては立たされたまま、さらに秋田から盛岡経由に振り回され…。特急料金は払い戻されるにせよあまりに気の毒だ。尤も、特殊な状況を喜んでいるヲタもいるかもしれないが…。
★大曲駅 再訪★
秋田
所定11:37(11:45頃)→大曲 所定12:25(12:32) 奥羽本線440M 3連 クハ700-101大曲駅へ向かう。
4年前の旅行記で大曲駅の事を良く書かなかった。それが心苦しく、心残りになっていたので、今回は表敬訪問みたいなものだ。この列車は秋田を発車して
100km/h超でグングン飛ばす。大曲の手前の神宮寺にて下りの「特急こまち号」との行き違い停車があった。こちらは遅れており、所定ならば大曲に着いている時刻である。「こまち号」に影響はないのであろうか。この列車が大曲に着くと、
12:32発の秋田行きの列車がすぐさま発車した。大曲駅にお金を置いていこうという思いで、ここで高額な乗車券を購入した。
大曲
13:09→秋田14:01(14:05頃) 奥羽本線2441M 2連 クモハ701-324年前の旅程とは異なり、「リゾートしらかみ5号」が秋田を発車する直前に秋田に到着できる普通列車がある。
この列車は、並走する「特急こまち号」に走行しながら追い抜かれる。列車の並走は、複々線が珍しくない都会ならば珍しくないが、地方では珍しい光景である。
対向列車の遅れがあって、
3分程度遅れて秋田に到着した。
★観光列車「リゾートしらかみ号(くまげら編成)」★
秋田
14:10→新青森19:12 奥羽本線・五能線 8625D→8525D→8635D「臨時快速リゾートしらかみ
5号」 4連 キハ48-703短い乗り換え時間の間に「しらかみ弁当」を購入して、「リゾートしらかみ
5号」に乗り込んだ。この「リゾートしらかみ
5号」は4年前と同じく「くまげら編成」である。能代での長時間停車が無くなるなど、いくつかの変化がある。4年前とは異なり、編成の組み換えが行われて3連から4連になっている。また、景勝地での減速地点が、2箇所から3箇所に増やされている。東能代で進行方向が変わる。座席の向きを一斉に替える際、美人旅客が私に微笑んでくれた。また、
7分停車の間にホームから車内を見ると、「リゾートしらかみ5号」に乗りたいと村上駅で言っていた旅客達を見つけた。
それにしても立派な接客設備だ。
シートピッチ
1,200mmで、大きな窓のピッチも座席に合わされている。元よりキハ40系という普通列車用の系列なのだが、もしもJR九州だったら間違いなく特急列車として扱われるだろう。
この列車は、秋田を発車する時点で予約のお客様でいっぱいとの案内があった。私は通路側の席しか取れなかったが、隣の窓側と通路を挟んだ反対側の
2席には始発から終点まで誰も来なかった。それどころか、意外と空席が多かった。羽越本線の「特急いなほ」等の運休により、秋田まで来られなかった旅客もいたのではないかと察する。五能線内では用務客も指定券を用意してこの列車を利用していた。前後の列車の間隔が空いているので、指定券を追加購入してでも利用するのであろう。この列車は往年のローカル急行のような役割も担っているように思えた。
五能線の旅を邪魔しない頃合を見計らって、村上駅で会話した旅客達を訪ねてみた。再会を喜んでくれた。また、彼等が下車する弘前では彼等を見送った。…楽しい思い出をありがとう!
弘前を発車してすぐ、危険を知らせる信号を受信したとの事で緊急停止した。しばらく停車して発車したが、新青森・青森へは定刻どおりに到着するとの案内が入った。
予定では、青森駅前のホテルに荷物を置いてから、新青森駅を訪ねたり、「急行はまなす号」を見たりしようかと考えていた。そのあたりの予定は旅程に大きく影響しないので、事前に詳細を詰めていなかった。夜の市内の散歩程度に考えていたのである。青森⇔新青森間は、普通乗車券や青春
18きっぷだけで特急普通車自由席に乗る事ができる特例の区間である。しかし、時刻表を改めて見たところ、いくら特急に乗れるとはいえ、青森⇔新青森間の列車がそれほど多いわけではない。そこで、予定を変更して「リゾートしらかみ5号」を終点の一駅手前の新青森で下車し、先に新青森駅を訪ねる事にした。
★新青森駅訪問★
夜で暗いのだが、新幹線の北限の駅として大きく生まれ変わった新青森駅を見学した。
1面1線のローカル駅だったとは思えない変貌ぶりに大変驚いた。
新青森
19:38→青森19:45 奥羽本線4033M 「特急スーパー白鳥33号」 8連 モハ789-202(運転区間:新青森
19:38→函館21:41)新青森駅にて新幹線に接続する函館発着の特急列車は、新青森⇔青森間においては座席が後ろ向きである。また、青森駅では、まるで始発駅や終着駅であるかのような長い停車時間が設けられている。
普通乗車券だけで青森⇔新青森間(
3.9km)において特急普通車自由席に乗る事ができる特例ができた時には驚いた。このような特例が一般論だと誤解されてしまわないか心配である。大阪⇔新大阪間(3.8km)にはこのような特例は無いので注意されたい。座席背面のテーブルには青函トンネルの詳細や列車の通過時刻が記されていておもしろい。
青森で下車する乗客も多かった。
★青森にて★
「寝台特急あけぼの号」は所定では
18:22発であるが、さすがにこの夜はまともな時刻に発車できるはずも無く、青森発は23時過ぎとの案内が出ていた。旅行で青森駅前に宿泊するのはこれで
2回目だ。青森駅は、私の北海道方面の旅行に欠かした事のない印象深い駅であり、なんとなく好きだ。新青森駅の開業でどのような変化があるのか気になっていた。青森でのお気に入りの飲食店は、閉店の時間帯で残念ながら行けなかった。また、地方ではよくある事だが、夜
8時にもなれば閉店している店が多い。食事をする場所を決めるのにやや難儀した。ホテルにてインターネット環境にアクセスする事ができ、この日の羽越本線の運休や「トワイライトエクスプレス」の抑止情報について調べてみた。羽前水沢駅で足止めされていた札幌行きの「トワイライトエクスプレス号」には、なんと旅客が乗ったままだったみたいだ。さすがに山形県から北海道の洞爺以遠まで代行バスというわけにもいかないであろう。その後、酒田にて上りと下りの「トワイライトエクスプレス」が並んだらしい。気長に乗り続けた旅客もいたようだ。長く乗れて喜んだ人もいたに違いない。また、「あけぼの号」は、上り編成は青森方面へ、村上で抑止されていた下り編成は東京方面へ、それぞれ引き戻されるように回送されていったらしい。
主要旅程である翌日に備えて、早めに就寝する事にした。よって、
22:42発の「急行はまなす号」を見に行くのはやめた。「急行はまなす号」は過去に乗った事があるし、今回乗るわけでもない。私は「リゾートやまどり」や「リゾートしらかみ」のような優れた普通座席車にも関心があるが、特急グリーン車用のR27B形リクライニングシートを改造して取り付けられた「はまなす」のドリームカーもすばらしい普通座席車だと思う。あれで窓と座席のピッチが合っていたならば、現時点の全ての座席車の中で最高の存在だと思うのだが…。(
2012/9/9日 公開 ここまで)(
2012/9/17日 公開 ここから)2012
年8月15日(水) …青春18きっぷ2日目この日は、長年の念願であった恐山に行き、「臨時寝台特急日本海号」で青森を離れる。青春
この後の恐山で入浴する予定であるが、もしも予定が狂って入浴の機会を逃すと辛いので、朝もシャワーを浴びた。私は肌が丈夫ではないのだ。
ホテルでは
7時から無料の朝食なのだが、私は7:10発の列車に乗るのでその朝食の恩恵には与れなかった。
さて、青森駅の
1番2番線は海側の線路が撤去されていて、かつてのような長大編成が入線できないようになっている。それにしても、青函連絡船が現役の頃、わずか
3面6線で足りたのであろうか。東京や大阪などを結ぶ長距離列車が昼夜を問わず発着しており、しかもダイヤが乱れた時には単線の奥羽本線の調整なんか大変だったのではないかと思った。
青森
7:10→野辺地7:53 青い森鉄道564M 2連 青い森701-3JRから分離された旧東北本線である青い森鉄道に乗る。この区間は、JRだった頃に特急列車で通った事がある。JRから分離されてはいるものの、青森⇔八戸間はJRの青春18きっぷでも乗車できる。ただし、野辺地以外の途中駅で乗降するには別途運賃を支払わなければならない。新幹線の延伸により地方在来線が分離されるとこのような特例区間がどんどん増えるであろう。
701系の青い森鉄道版なのだが、列車が入線すると早く乗り込もうとする人の姿が目に付いた。なるほど、一部はクロスシートになっており、そこを目当てにする乗客みたいだ。また、優先席を示すシールが大きく窓を覆っており、そこだけ視界が悪い。
それにしてもさすが旧主要幹線らしく
100km/hを超える速度で疾走する。
★大湊線 初乗車★
野辺地
7:58→下北8:54 大湊線723D 2連 キハ100-203、204野辺地では
JRの大湊線に乗り換える。旧東北本線のこのあたりの区間がJRから離籍した事により、大湊線は他のJR線と接続しない離れ小島の路線となった。また、野辺地駅の所属が大湊線へと変更された。さて、この大湊線は、意外に表定速度が高い。その事を記そうと思っていたところ、私以外にも気づいている人がたくさんいるみたいだ。それどころか、有名な辞典サイトでも記されていた。
この路線は最高速度こそ
85km/hでありながら、減速区間が少ないのと、駅間距離が長い事もあり、普通列車も快速列車もなかなかの速達性である。「快速しもきた号」の最速列車は、表定速度がなんと70km/hに達する。ほとんどの私鉄電車特急よりも速いぐらいであり、JRの特急でもこれより遅いものがたくさんある。とてもローカル線の表定速度とは思えない。思わぬ伏兵とも言えよう。「快速しもきた号」は、もしもJR四国だったら、大湊線内だけの走行距離であったとしても間違いなく特急列車として設定されるであろう。「たとえ最高速度が高くなくても、立ち止まらずに進めば意外と速く進める。」…まるで人生訓を示すかのような路線のである。
ちなみに、この路線にもかつては「なつどまり号」という定期急行が設定されていた。その停車駅は現在の快速と同様に陸奥横浜・下北だけであった。
線内で列車交換ができるのは陸奥横浜だけである。陸奥横浜で行き違った八戸直通の「快速しもきた号」はキハ
100系2連の車内が激しく混んでいた。Uターンラッシュであろうか。途中には、道路以外の人工物が見えない原野を走行する場面も見られ、北海道的な風景が展開する。
終点大湊を一駅前にして下北で下車する。ここも大湊駅と同様にむつ市の拠点の駅であり、各方面へのバスも出ている。
駅は
1面1線であるが、かつては1面2線で下北交通大畑線(旧国鉄大畑線)が分岐していた。
下北駅
9:00→霊場恐山9:43 下北交通バスここから恐山行きのバスに乗るが、この
昨日の旅程でむつ市まで到達してもよさそうに思われるかもしれないが、恐山行きのバスの時刻と、旅程の余裕を見込んでと、ある程度栄えた都市にて質の心配のないホテルに宿泊したいなどという種々の理由があり、むつ市ではなく青森市で宿泊したのであった。
むつバスターミナルで高齢者の団体が乗り込んできて、車内はにぎやかになった。
バスが市街地を外れて山の中へ入っていくと、録音音声による案内放送が流れた。みんな意外と聞いているみたいで、冷水(ひやみず)の案内では笑いが起きていた。この冷水を
1杯飲めば10年長生きし、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで長生きする、との事である。さらに、この話を聞いただけでも3日長生きするとの事だ。さすがにおもしろい。
下北駅発恐山行きのバスは、その反対行路のバスよりも所要時間が
3分長く設定されている。よほどの勾配なのかと予想していた。確かに勾配区間であるが、速度に大きな影響が出るほどでなはない。恐山の手前の冷水という停留所で3分間停車する。3分長い所要時間の理由がわかった。ここ冷水で水を汲む旅客が多い。こういう名水の場所では、一人や二人で多くの容器を持ち込んで水を汲もうとする奴が必ずいる。
3分間しかないし、水を求める他の旅客にも迷惑なので程々にしてもらえないだろうか。
なお、恐山の手前で道路工事の箇所があり、長ければ
4分間ぐらい信号で止められる事になる。
★★★
霊場恐山(→独立コーナー)★★★衣を纏った多くのお地蔵さんが立ち並ぶ光景、浜辺で風車(かざぐるま)がカラカラ回る光景、これらのなんとも不思議な光景を見たいと
20年ぐらいの長きに亘って思い続けていた。恐山を組み込んだ旅程を何度か考慮した事があったが、下北半島の奥の方は意外と遠く、北海道への鉄道旅行を優先させてきた故に今まで訪れる機会を得る事が無かったのである。
念願の恐山に到着した。駐車場にはかなり多くの自動車が・・・。観光客が多そうだ。しかし、タクシーの姿がない。ここは恐山以外に何も無く、しかもバス以外ではみんな自動車で来ているのだ。関東地区からのレンタカーも見られた。周囲に人家や門前町も無く、予想していたのとは異なる状況だ。
私は根本的に宗教が嫌いであり、宗教的な光景にも関心はない。しかしここ恐山は、なぜか惹かれたのである。
売店
1件と食堂1件がある。他に「霊場アイス」という屋台がある。食堂は、いかにも地方観光地的な対応だ。他に競合業者も無く、それなりのサービス水準であった。水はセルフサービスとの事だが、「暇だから大サービスで入れてあげる」と言われた・・・。また、売店ではみやげ物の他に、境内にて供える為の風車や小さなお地蔵さんも売られている。500円の入場料を払って境内に入る。
順路の至る所に「○○地獄」との表札が立っている。ここは極楽浄土というよりは、むしろ地獄の光景なのだろう。
順路では故人の遺品であろう物が置かれてあったり、至る所で死者への思いを込めて石が詰まれており、なんだか死後の世界にやって来たような気になってきた。
風車が回る浜辺の光景・・・この光景をどれほど見たかった事か。念願かなって大満足だ。
小さい子供が風車を拾おうとして、親から「水子がついて来るからやめなさい」と止められている場面を見た。私自身、これらの風車を撮影はしたものの変なものが写っていなければいいのだが、と思った。
境内には温泉があり、入山者は自由に入る事ができる。また、宿坊があり、宿泊する事もできる。とりわけ温泉に関心があるわけではないが、ここの温泉をあてにしていた。この後の寝台特急に乗り込む前に汗を流しておきたいのだ。硫黄泉ゆえに長湯してはいけない旨や換気すべき旨が注記されている。私は少しお湯に入ったが、寒くなるぐらいまで冷水を浴び続けた。
入浴後に境内を出て、件の霊場アイスを食べた。また、売店ではあまり栄えあるみやげ物を置いていなかった。その中から
1つだけ何とか選び出したような感じで買い求めた。バス停横にある休憩所は「原子力発電施設等周辺地域交付金施設」である。経済的に原子力の交付金に頼らざるをえない地域の実情について色々考え込んでしまう。この休憩所には旅ノートが置かれているので見てみた。ここは観光目的や、イタコさん目当てなどで一時的に訪れる人だけでなく、恒常的に信心していて頻繁にやってくる人もいるみたいである。病気の治癒などの現世利益を目的とする、他の宗教と同様の信者も多いみたいだ。
霊場恐山→大湊駅 ハイヤー
さて、当初の予定では下北駅
しかし、何らかの事情で大湊線や青い森鉄道が遅れて「日本海」に乗り遅れたら、何の為に青森まで来たのかわからない。そこで、恐山から大湊駅まではタクシーに乗ろうと
1週間前に考え直したのであった。青い森鉄道は文字通り
JR線ではないので、遅れた場合に「日本海」が待ってくれる事を期待できないのである。
★★観光列車「リゾートあすなろ」★★
大湊
13:00→青森14:41 大湊線・青い森鉄道線 8732D→8527D 「臨時快速リゾートあすなろ下北2号」 2連今回は青森付近の名物ジョイフルトレイン「リゾートあすなろ」に乗るわけだが、これは狙っていたというよりは、ダイヤの都合でのめぐり合わせである。
「リゾートあすなろ」は
大湊駅から「ほっかむり行商隊」という地元の農産物を販売する人々が乗り込んでくる。
各方面からのバスに接続しない為か、大湊や下北を発車してもそれほど乗客は多くない。意外な事に陸奥横浜から多くの乗客が乗り込んできて、野辺地で降りて行った。野辺地では八戸行きの列車にすぐに接続するのである。
座席の形も配色も美しい。これも枕カバーがあればすばらしいのだが。なぜこのような写真を撮れたかというと、大湊線内で私の
2列後ろの2席にいた美人女性客2人が、目の前の席に荷物をぶら下げたまま眠っていたからである。よって、野辺地で進行方向が変わるのだが、私は後ろの席を回転させる事ができなかったのであった。なお、野辺地では、「リゾートあすなろ」同士の並びが見られた。
野辺地停車中に困ったような顔をして車内をうろうろしている若い女性客を見かけたので事情を尋ねてみた。この列車にどうしても乗りたいらしいので、全車指定席だから車掌氏に
510円払って乗ればいいと伝えた。彼女は、車掌とやり取りした後、後部の展望席でおとなしく座っていた。
さて、野辺地⇔青森間においては、小湊の凋落が目に付く。かつては「特急はつかり号」も停車していたが、今では停車しない快速もあるぐらいだ。一方、同様にかつて特急停車駅であった浅虫温泉は、今でも快速が停車する主要駅扱いである。「臨時快速リゾートあすなろ下北号」も浅虫温泉には停車する。
私が見たところ、「臨時快速リゾートあすなろ下北
2号」は青い森鉄道線内を95km/hで走行していた。終点の新青森まで乗らず、青森で下車した。終点の一駅手前で降りるというのは、前日の「リゾートしらかみ
5号」と同様だ。青森と新青森、どちらも私にとっては用事のある駅なのだ。
青森駅の周辺で食事をし、青森駅構内でみやげ物や「日本海」車内で食べる物を購入した。
(
2012/9/17日 公開 ここまで)(
2012/10/6土 公開 ここから)★★★
「臨時寝台特急日本海号」(→独立コーナー)★★★「寝台特急日本海号」は
2012年3月のダイヤ改正で臨時列車に格下げされた。今のところ、多客期には運転されている。
さて、夕方から乗り込んで翌朝遅くまで寝台車に乗るというのは初めての体験である。個室ならば居場所が明確なのだが、開放寝台だとどのように過ごせばいいのだろうか。上段の場合、好きなだけ寝ていられるし、自分の居場所も明確だ。一方、下段の場合、朝
7時ごろには起こされて上段の客を座らせなければならないのではないかという不安がある。「銀河号」のように朝早く着く列車は、上段の客は上段にいたままの方が多かったように記憶している。上段がいいのか下段がいいのか事前には本当にわからなかった。それよりも取れた席が車端寄りなのが気になった。車体中央寄りへの変更を
2回ぐらい希望したが、叶わなかった。
青森
16:21→大阪(翌日)10:27 奥羽本線・羽越本線・信越本線・北陸本線・湖西線・東海道本線 9004レ→8004レ オハネ25-12716時過ぎ、DE10-1122に先導されて「特急日本海号」の編成が入線してきた。青森駅の4番乗り場には、「日本海号」乗車位置を示す表示板が10号車までぶら下げられているが、6連となった臨時の「日本海号」は表示板の位置とは関係なく停車した。
モタレが省略されていない事に好感が持てる。
単線区間で寝台車に乗るのは初めてだ。(おっと、東海道の新樽井経由は?といったツッコミは無しだ。)駅を通過する際に左右に大きく振られる。複線区間でも国鉄型配線の駅では多少左右に振られるが、単線の場合は揺れ方がその比ではないのだ。以前、「紀伊号」について「単線の駅で大きく揺れて眠れなかった」という感想を読んだ事があるが、まさにこの事かと思った。
JRの主要看板列車である「トワイライトエクスプレス」も夜間はこの区間を通るダイヤである。寝心地という点においては、いい評判は得にくいかもしれない。
「臨時日本海号」の所要時間は、下り青森行きがおよそ
16時間、上り大阪行きがおよそ18時間だ。定期列車末期には、上り下りともに15時間弱であった。上り大阪行きは定期列車末期よりも
3時間も延びている。青森から大阪まで、かつての「はくつる号」と「銀河号」のそれぞれの所要時間を合わせたよりも長い時間をかけて走る。とりわけ直江津での1時間近い停車時間が特徴的だ。他に、目立つ停車時間を足しただけで2時間に及ぶ。直江津を境に東側が
JR東日本で西側がJR西日本である。「日本海号」を臨時化するにあたって、JR2社のそれぞれの迷惑をお互いに及ぼさないように直江津での長時間停車が設定されたのではないかと思う。青森行き下り「日本海号」の場合は12分間停車する。東日本側は単線や強風の影響で大きく遅れる場合を見越してなのか、大阪行き上り「日本海号」は52分間も停車するのである。単線区間を長く走り、しかも機関車交換や後続特急電車の通過待ちをしてでも
15時間弱、表定速度70km/h弱で走っていた定期列車末期の「日本海号」は、なかなか立派だったのではないかと思う。
ここで編成を紹介しておこう。
1
号車 オハネフ24-25 白帯2
号車 オハネ24-7 白帯3
号車 オハネ25-210 金帯4
号車 オハネ25-32 金帯(引戸、洋式トイレ、ローレル賞プレートを取り外した跡あり)5
号車 オハネ25-127 金帯6
号車 オハネフ24-19 白帯電源車
カニ24-116 白帯
青森→敦賀
EF81-108敦賀→大阪
EF81-106
4
号車のトイレが洋式である旨は車内放送で伝えられた。
大館から同じボックスに乗ってきた女性は足が悪く、下段への変更を申し出ていた。彼女はこの車両の
17番席へ案内されたようだ。満席ゆえに寝台の変更には応じられないと事前に放送していたが、車掌氏に尋ねたところ、喫煙2席、禁煙2席の調整席が用意されているとの事である。
2012
年8月16日(木)直江津停車中に目が覚めた。通路にて、「このまま外へ出てもいいんですかね。」と女性客に尋ねられた。ゆかたは寝台車内専用であり、ホームへ出るならば着替えなければならない旨を教えてあげた。
私の上には誰も来ていない。予約が埋まっているとの案内とは異なり、実際にはキャンセル等で乗ってこない客もいるみたいだ。
敦賀では、
近江舞子で運転停車し、後続の電車特急の通過待ちを行う。ここで琵琶湖の案内放送が入った。琵琶湖の放送も悪くはないが、敦賀を出てからのループ線の案内があればよかったのだが…。観光案内のような放送は琵琶湖だけであった。
私の場合、東海道の上り優等列車だと静岡駅あたりで下車が近いという意識になるのだが、日本海縦貫線で大阪に向かう時には敦賀を過ぎて湖西線に入っても下車が近いという意識は不思議と湧いてこない。路線名称が違うだけでなんとなく意識も違うものなのだろうか。湖西線内でも横になって眠っていた。
東海道本線に合流する地点で普通列車に抜かれた。その列車が山科駅構内で減速している時にようやく速度が同じになった。なんともゆっくりした足取りだ。京都にはその普通列車の方が先に着いた。
京都では、入線して停車しきらないうちに発車アナウンスが流れていた。所定では
2分程度停車するはずである。何か事情があってゆっくり走っていたのであろうか?
新大阪到着直前には、
18時間に及ぶ寝台列車の旅はいかがであったかとの放送があった。さすがに臨時列車に望むのは無理な話だが、18時間も走るのだから営業する食堂車があれば最高であった。いくら鉄道ファンでも長時間乗るのはさすがにしんどいらしく、24時間ぐらい走る寝台特急を「ブルー(憂鬱)トレイン」などと揶揄する記事を読んだ事があるが、私に関していえば、全くそのような事は無かった。ものすごく楽しいブルートレインの旅路であった。上段に誰も来なかったから言えるのだが、下段で良かった。また、台車に近い区画であったが、乗り心地が悪い事はなかった。
大阪駅のホームには警備担当者がいた。現場としても“日本海撮影者の大群”を警戒しているようであった。
大阪到着後には車体の列車表示が変わっていくのがおもしろい。「特急あさかぜ 博多」、「急行あきた 新宿」というのもあった。
今年春のダイヤ改正において大阪駅に青い車体のブルートレインが姿を見せなくなった。淀川の堤防のような有名撮影地点においては多くの撮影者がいた。
今となっては帯の色にも窓の大きさにも整合性が無く、美しいとは言いがたいが、やはり
24系客車が好きだ。再び乗る機会を得たいものである。(
2012/10/6土 公開 ここまで)
(
2012/10/13土 公開 ここから)第
4旅程(2012/9/1土〜2012/9/2日)長年憧れた「立山黒部アルペンルート」と越中八尾の「おわら風の盆」を、
この旅程は日付指定だ。「おわら風の盆」が開催されるのは曜日に関係なく
9月1日から3日までである。この3日間が休日にかからない限り旅程を組むのは難しい。尤も、8月30日までには前夜祭もあるし、9月4日の越中八尾駅においては見送りおわらもある。2010年は、9月4日が土曜日なので、「寝台特急北陸号」、「見送りおわら」、「立山黒部アルペンルート」という案を検討していた。しかし、3月の時点で「寝台特急北陸号」が廃止されてしまい、この案は潰えてしまった。
2011年は9月3日が土曜日なので、この日の旅行を検討したが、別の用事が入ったので取りやめた。尤も、その用事自体が台風で行けなかったというオチであったが…。
そして今年
2012年、富山駅付近でホテルを確保する事ができなかったが、ついに行く事ができた。取得しなければならない休暇があり、それを
9月3日(月)に充てていた。当初の予定では1日の夜には富山のホテルに泊まり、2日の日中に東京まで帰ってこようと考えていたのだ。しかし、「臨時快速ムーンライトえちご号」で帰ってくるという案を思いつき、ようやく行く事ができたのであった。
「立山黒部アルペンルート」も「おわら風の盆」も、旅の視点という点では、その他大勢の観光客と私とでは大きな違いはないであろう。これらを組み合わせてたった
1日で富山県をたっぷり楽しむ旅程に特徴があるのだ。
2012
年9月1日(土) …青春18きっぷ4日目立川
山男列車の系譜を受け継ぐだけあって、ハイカーの利用が多い。みんな荷物が大きく、八王子を発車する時点で荷棚が“満席”になった。私は自分の荷物は膝の上に置いた方が安心なので置き場が無くても別に気にならない。
今更ながら
189系特急形電車についてである。この系列は、冷房が故障した際に冷涼な外気を取り入れられるように一部の窓が開閉できるようになっている。信州を走る事を目的として生まれてきた189系電車ゆえの装備である。富士見にて
3分間停まるなど、停車時間についても丁寧な案内があった。中央本線の各主要駅をじっくり見てみたい気もしたが、よく通る路線だし、深夜だし、そのまま寝ていた。
事前の情報では、繁忙期の立山黒部アルペンルートは乗り物の待ち時間が長くて
1日で通り過ぎられるかどうかわからず、おわら風の盆まで辿り着けるかどうかわからないとの事であった。もう信濃大町駅に降り立った以上、立山黒部アルペンルートを通り抜ける事にした。いざとなれば9月2日に越中八尾を訪ねればよいのだ。
信濃大町駅では立山黒部アルペンルートの乗車券が売られている。立山までの片道乗車券(
9,390円)を購入した。購入する際にはきっぷの使い方の説明を受ける。右端が扇沢までのバスの券で、その隣の2枚は扇沢で引き換えるとの事だ。それにしても、立山黒部アルペンルートは、自然保護の理由もあるらしいが距離のわりに運賃がかなり高い。
信濃大町駅は登山の拠点らしく、遭難の注意を促すポスターがよく目についた。また、駅前は美しい町並みであるが、コンビニが無くて早朝から食品を調達する事はできない。
★★★立山黒部アルペンルート(中部山岳国立公園)★★★
信濃大町
6:15→扇沢6:55(標高1,433m) 大町アルペンライン時季によってはもっと早い
ところが、扇沢に到着する時点で驚いた。駅の窓口は長蛇の列だ。こんな早朝にどうやって扇沢まで辿り着いたのだろうか? 確かに複数で行くならば信濃大町駅からタクシーで行ってもいいかもしれないが、百人なんか軽く超える数の旅客がいるではないか。
信濃大町駅できっぷを買っておいて正解であった。引き換え側の窓口はそれほど混んでいなかった。
扇沢
7:30(標高1,433m)→黒部ダム7:46(標高1,470m) 関電トンネルトロリーバストロリーバス乗り場の改札はかなり混んでいた。順番待ちを一緒にしてくれる同行者がいない不便さを痛感した。
ここから先の各改札において、旅客の動向はバーコードで管理されている。
トロリーバスには初めての乗車である。
トロリーバスは鉄道の一種類であり、無軌条電車という正式名称がある。では、トロリーバスの進路から枝分かれしている架線の張られていない道路は何なのだ? 非電化区間とでもいうべきなのか?
数台のバスが続行で運転される。単線路線であり、業務用の車両といえどもダイヤに組まれて運転される。
有名な破砕帯を行くが、残念ながらうまく撮影できなかった。破砕帯を突破する困難を描いた「黒部の太陽」には激しく萌えたものであった。
トンネル内で長野県から富山県に入る。近年は仕事で長野県に行く機会が多く、長野県にいい印象が無い。富山県に入ってようやく本格的に楽しくなってきた。
架線の分岐部分を通過する時は、はっきりわかるぐらい大きな音がする。
観光客の皆さんはトンネル区間をどのように思っているのだろうか。私自身、都会の地下鉄はつまらないと思うが、ダム施設のトンネルは面白くて仕方がない。電灯が点いていて内部がよく見えるからよりおもしろいのであろう。分岐しているトンネルなんかを見かけると楽しくてたまらない。
黒部ダム駅に到着した。先程の扇沢と標高はたいして変わらないはずだが、トンネルの中ゆえかひんやりと涼しい。施設内にて暖房がかかっているのが印象的であった。このあたりで薄いジャンパーを着た。私は登山の趣味は無いが、山の気温や天候をなめている訳ではなく、防寒着を用意してきた。
さて、ここから黒部ダムへは
★★黒部ダム★★
子供の頃から水の深い所が苦手であった。しかし、なぜだか一昔前からダムやダム建設用の資材運搬施設に関心を持つようになった。
よくある写真とは反対側から撮影。高さは日本最大の
186m。世界でも最大級のダムで、放水もすごい迫力だ。
黒部湖
8:30(標高1,455m)→黒部平8:35(標高1,828m) 立山黒部貫光黒部ケーブルカーここは青函トンネル内を除くと国内唯一の全線トンネル内のケーブル路線である。乗り場の位置からしてダム施設な感じだ。
黒部湖駅にて、この先の黒部平で乗り継ぐロープウェイの整理券を渡される。そう、黒部平で立ち止まらずに決められたロープウェイに乗れという事だ。
黒部平
9:00(標高1,828m)→大観峰9:07(標高2,316m) 立山黒部貫光立山ロープウェイロープウェイの発車は
それにしても、乗り換えターミナルはいずれもものすごくみやげ物が充実している。
ロープウェイを待つ
20分程度の間に立山そばを食べた。残念ながらうどんを選択できない。かまぼこに「立山」と記されているのが印象的であると同時に、それしか特異点が見当たらなかった。乗務員が乗り込んで、マイク無しに案内が行われる。ロープウェイがワンスパン方式の特殊な路線である事や、高山植物を踏みつけないでくださいといった事が言われた。行き違いのロープウェイには乗務員以外誰も乗っていなかった。それにはバスからの接続が無かったのだろう。
大観峰
9:15(標高2,316m)→室堂9:25(標高2,450m) 立山黒部貫光立山トンネルトロリーバスここでまたまたトロリーバスだ。これで国内の全てのトロリーバス路線を乗った事になる。この区間は雄山のトンネルを行く。このトンネル内には廃停留所(廃駅)がある。
有名な室堂に到着した。ここでは駅から出る人が多い。ほとんどの人にとってはここが目的地なのだ。さすがに拠点というだけに室堂駅と同じ建物に大きなレストランやホテルがある。
室堂駅および同じ建物のホテル立山は、マイナス
立山黒部アルペンルートは
4月中旬から11月末まで通行可能である。真冬には交通機関もホテルも営業していない。ただし、営業こそしていないが、通年稼動ができるように保全されているらしい。
涼しい場所だが、歩いているうちに暑くなってきたのでジャンパーを脱いだ。周囲の人達は登山ルックであるが、私だけが場違いな服装だ。
室堂
10:00(標高2,450m)→美女平10:50(標高977m) 立山黒部貫光立山高原バス室堂でみやげを買い、周囲の風景を一通り見渡し、
乗る際にも下車地点を確認される。旅客の動向をバーコードで管理しており、ふらっと下車するわけにもいかないみたいだ。
高原バスはどんどん下っていく。運転手氏による山の案内が入る。
弥蛇ヶ原では、なんと私以外の乗客全てが入れ替わった。このあたりにも宿泊施設がある。
さすがに同じような景色が続くので、眠くなってしまった。もったいない事に終点の美女平に到着するまで眠ってしまった。
標高
977mの美女平で下車するとさすがに暑さを感じた。このターミナルは建物がきれいだ。また、ケーブルカーの順番待ちを考慮してなのか、待合室はかなり広い。
美女平
11:00(標高977m)→立山11:07(標高475m) 立山黒部貫光立山ケーブルカーこのケーブルカーは麓側に貨車が連結されている。事前に調べたところ貨車が連結されている事が多いとの事だが、逆に、貨車が連結されない事があるのだろうか? 貨車を留置する線路が見当たらなかったので貨車が連結されない事の方が不思議に思う。かつて、美女平と室堂を結ぶバスをこのケーブルカーで運んでいた。その名残がこの貨車なのである。なお、この貨車は現在では旅客の大きな荷物を運ぶのに供されている。そうはいうものの、屋根のない所に荷物を置かれるのはいかがなものかと思うのだが・・・。この貨車の位置に旅客を乗せられたらケーブルカーの乗車待ちが軽減されるであろうに・・・。
立山駅が近くなると立山砂防工事専用軌道が見えてくる。多段スイッチバックが有名な、軌間
立山駅では、きっぷの回収やバーコードによるチェックは無かった。美女平で乗客を乗せる事にて旅客の管理を完結させたのだろう。
立山駅
立山黒部アルペンルートは、狭義では扇沢⇔立山間、広義では信濃大町⇔電鉄富山間と言われている。
扇沢⇔立山間においては、北陸道経由で結ぶバスがある。また、自家用車を回送するサービスもある。いずれも、立山黒部アルペンルートを片道だけ楽しむ旅客をあてにしたものである。
ほとんどの旅客は立山駅で富山地方鉄道線の
それにしてもまだ午前中だ。これからケーブルカーで美女平に向かう旅客達が長蛇の列を作っていた。
立山は、単独の山の名前ではなく立山連峰を指す。また、霊場や霊山として青森県の恐山と並び称される事がある。しかし、立山と恐山とではあまりにも印象が異なる。恐山は前述のとおり死を意識させる場所であるが、一方の立山は観光や登山の山といった印象の方が強く、信仰の部分をほとんど感じる事が無かった。
★★立山カルデラ砂防博物館
/ 立山砂防工事専用軌道★★ほとんどの観光客は立山駅では乗り換えるだけだが、地域を知る事ができる博物館や資料館を好む私にとっては立山カルデラ砂防博物館も主要な目的地である。立山駅から徒歩
2分程度なので、ぜひ多くの人に訪ねてもらいたいものだ。
博物館に隣接している立山砂防工事専用軌道も見る事ができる。こういうのも好きだ。多段スイッチバックが有名な、軌間
610mmのナロー軌道である。この軌道は、日本一の暴れ川と言われる常願寺川の上流の土砂をせき止めるダムを建設する為に敷設された。このダムが無ければ富山市は土砂に埋もれていたと言われている。
立山
12:35→電鉄富山13:35 富山地方鉄道 2連 10033立山駅の構内で食事をして、
12:35発の列車に乗る。
この車両は京阪電鉄から譲り受けたもので、
8編成のうち1編成が今年4月に京阪特急の塗装に復元された。その編成の運用は固定されていないが、その当該車両に巡り合えた。写真右側が富山地鉄塗装を纏った同系列車両である。京阪電鉄では、この系列の車両は平成25年春に引退する予定である。
富山地方鉄道にはかつて、国鉄や
JRの列車も乗り入れていた。名鉄からの3社連絡特急「北アルプス号」も懐かしい。富山地方鉄道は初乗車であるが、もったいない事にここでも寺田を過ぎたあたりから北陸本線と並走するあたりまで眠ってしまった。
電鉄富山に到着。これにて立山黒部アルペンルートの旅が終わった。
扇沢で長い待ち行列を見た時には越中八尾まで行けるかどうか不安であったが、この先余裕で「おわら風の盆」を訪ねられそうである。
(
2012/10/13土 公開 ここまで)(
2012/10/14日 公開 ここから)私は祭が好きであり、富山県の越中八尾で開催される有名な「おわら風の盆」にも以前から関心があった。哀調を帯びた胡弓の音色、しっとりとした上品な舞…、“バカ騒ぎ”とは対極をなす美しい祭だ。
富山駅
富山駅は北陸新幹線の工事中で、駅舎の位置は変わり、在来線乗り場は北側に仮設された状態である。
国鉄色の
高山本線は
13:54発より後、特急以外の列車には整理券を持たないと乗車できない。駅構内で整理券を配布していた。おわらは夕方からのはずだが、すでに熱気が高まっている状態みたいだ。
富山
13:54→越中八尾14:19 高山本線858D 4連 キハ120-3514連の列車は混んでいた。私が乗った車両には富山の名所や特産についてのラッピングがなされていた。
おわらの観光客輸送の為に、城端線で運行されている車両も動員されて富山⇔越中八尾間でピストン輸送が行われている。おわらの為の臨時快速は越中八尾⇔富山間の途中駅では客扱いをしない。特急停車駅の速星さえ相手にしない。観光客波動輸送に対応する
JR西日本も“おおわらわ”と言ったところか…。さっそく駅の裏側で踊っている人達を見かけた。
どこの地区がどの時間帯に踊るかは事前に公表されている。しかし、その町内にいれば必ず見られるというわけでもない。具体的な時間や場所を指定しないところや天候しだいで中止にするといった、観光客に媚びない姿勢に好感が持てる。なお、雨が降ると楽器が濡れてダメになってしまうから中止にするとの事だ。
さて、私には富山出身の同僚がいて、彼から富山の話を以前からよく聞いていた。彼によると、「おわら風の盆」で踊っているのは高校生ばかりとの事だ。実際に現地で踊っているのは高校生および小中学生が主体であった。年齢差別がひどいという話を聞いていたが、実際これほどとは・・・。踊り子さんの一団を
PTAが囲っているのが印象的であった。東京でもおわらを踊っている団体があるが、それはいわゆる高齢者の集団である。現地のおわらとは大違いだ。
「夜目遠目笠の内」という言葉がある。これらは女性が美しく見える条件らしい。確かに、口元しか見えない笠というのはなかなかの演出道具だ。夜になればさらに魅力が増すのであろう。
誤解の無いように記しておくが、私はおわらをエロ目線で見ているわけではない。和服や笠には総じて関心が無く、私が女性の服装で最も好きなのは、紺と白のセーラー服である。
男踊りもいいと思うし女踊りはなおさらいいと思うが、男女混合踊りの決めポーズは好きになれない。風紀上いかがなものかとさえ思う。上品の中の唯一の下品だ。
風情ある町並みや情緒ある踊りや音色は日本の多くの所にあると思うのだが、なぜに「おわら」だけがこれほどもてはやされるのであろうか? 何ゆえに他の追随を許さないほどの人気があるのかはわからなかった。そうは言うものの、とてもすばらしいと感じた事に違いはなく、大満足であった。
以前に「よさこい」について苦言を呈した事があるが、祭というのはその地でやってこそ価値があると思う。「おわら風の盆」も全く似合わない町へ持って行かれて変なイベントへと堕する事なく、越中八尾の町と共にあり続けてほしいと願う。
17時から19時までは休憩時間なので踊りは実施されていない。日が暮れた後の夜のおわらを見たい気持ちもあるが、「ムーンライトえちご」の旅程なので17時台に越中八尾を後にする。
越中八尾
17:04→富山17:36 高山本線9927D 臨時快速 4連 キハ40-2136上掲の「忍者ハットリくん」仕様の車両に乗り込んだ。この列車は臨時快速であるが、速星で
10分間の行き違い停車があった。
富山駅にて
富山駅改札内でもおわらの実演が見られた。富山駅の掲示板はおわら一色といった感じだし、すばらしい。
先程まで晴れていたが、少し雨が降り出した。雨が急に強くなる中、マリエにて食事にした。
富山駅へ戻ったところ、
駅構内では落胆の声が多く聞こえてきた。おわら目当ての団体客を率いる添乗員さんは大変そうだ。天候が理由とはいえ、目的を果たせないとクレームをつけてくる客もいるだろう。
つまり、この日は越中八尾にいようがいまいが夜のおわらを見る事ができなかったというわけだ。
高山本線乗車の整理券配布も打ち切られた。私は配布打ち切り直前の整理券も記念に
1枚もらっておいた。
本場の「おわら風の盆」を見られなかった多くの旅客には気の毒であるが、私はホテルを予約せずに夕方に越中八尾を発つ旅程で正解であった。事後的に知ったが、この大雨の影響で高山本線の東八尾⇔速星間が運休になった。越中八尾に長く留まっていれば脱出できなくなるところであった。
富山
18:44→糸魚川20:06 北陸本線467M 3連 クモハ413-8この後の
559Mに乗れば直江津まで行けるのだが、開業100周年を迎えた糸魚川駅を見たいのでこの糸魚川行きに乗った。
糸魚川
20:32→直江津21:11 北陸本線559M 3連 モハ474-52糸魚川で先行する「特急北越
9号」の遅れにより、糸魚川発が7分ほど遅れ、直江津着も5分遅くなった。せっかく直江津駅に降り立ったが、乗り換え時間が5分しかないので記念になるような事ができなかった。
直江津
21:21→長岡22:47 信越本線1355M クモハ115-105121:19着の信越本線「妙高5号」の到着の遅れにより、1355Mは発車を遅らせた。
長岡
23:02→新津23:57 信越本線463M 6連 クモハE127-1長岡で
2時間待てば後述の「臨時快速ムーンライトえちご号」に乗れるが、深夜の長岡で2時間楽しめそうな所や入浴できそうな所を知らないので、新津まで行く事にした。
2012
年9月2日(日) …青春18きっぷ5日目新津
入浴まであと数時間の辛抱だ。大満足の旅程であった。
前述のとおり翌日
9月3日を休暇に充てていたので、午後からも青春18きっぷで出かける予定にしていた。鉄道趣味仲間が勤務する鉄道博物館を訪ねようと考えていたが、雨が降っていたし眠かったので行くのをやめた。これにて今季の旅行が終了したのであった。
★★あとがき★★
「恐山」、「寝台特急日本海」、「立山黒部アルペンルート」、「おわら風の盆」…行きたい所、乗りたい列車、見たい祭、それらの心残りを完全に払拭する旅程であった。もはややりつくしてしまった感さえある。大変すばらしい大満足の旅程であった。
それにしても、お金のある人が多い事を実感した旅路でもあった。寝台特急は一人で乗っても
2,3万円前後かかるが、家族6人で乗っている人もいた。家族での往復の旅費の合計額を考慮すると、月給が吹っ飛ぶぐらいではないのか? また、運賃が高額な立山黒部アルペンルートも、夏休みの最後だというのに家族連れで賑わっていた。彼らがどこからやって来たのかは知らないが、相当な出費に違いない。以前にも記したが、一人での旅と家族を連れての旅とでは負担が大きく異なるのである。一人でこんな贅沢をしていてもいいのかな、という思いもしたのであった。
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2012/10/14日 公開 ここまで)