霊場恐山(青森県)
2012年8月15日訪問(
2012年夏の旅行記からのシングルカット 2012/9/23日)
衣を纏った多くのお地蔵さんが立ち並ぶ光景、浜辺で風車(かざぐるま)がカラカラ回る光景、これらのなんとも不思議な光景を見たいと
恐山を組み込んだ旅程を何度か考慮したことがあったが、下北半島の奥の方は意外と遠く、北海道への鉄道旅行を優先させてきた故に今まで訪れる機会を得る事が無かったのである。
恐山は、
862年に慈覚大師が開山したと言われている。私は宗教的な事柄に関心は無いので、細かな情報をお求めの方は他の案内等をご覧いただきたい。開山は5月1日から10月31日までなので、そこは注意されたい。
2012
年8月15日(水) …青春18きっぷ2日目この日は、青森駅前のホテルを出発して、長年の念願であった恐山に行き、「臨時寝台特急日本海号」で青森を離れる。青春
この後の恐山で入浴する予定であるが、もしも予定が狂って入浴の機会を逃すと辛いので、朝もシャワーを浴びた。私は肌が丈夫ではないのだ。
下北駅
9:00→霊場恐山9:43 下北交通バス大湊線の下北駅から恐山行きのバスに乗るが、この
昨日の旅程でむつ市まで到達してもよさそうに思われるかもしれないが、恐山行きのバスの時刻と、旅程の余裕を見込んでと、ある程度栄えた都市にて質の心配のないホテルに宿泊したいなどという種々の理由があり、むつ市ではなく青森市で宿泊したのであった。
むつバスターミナルで高齢者の団体が乗り込んできて、車内はにぎやかになった。
★★冷水★★
バスが市街地を外れて山の中へ入っていくと、録音音声による案内放送が流れた。みんな意外と聞いているみたいで、冷水(ひやみず)の案内では笑いが起きていた。この冷水を
1杯飲めば10年長生きし、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで長生きする、との事である。さらに、この話を聞いただけでも3日長生きするとの事だ。さすがにおもしろい。
下北駅発恐山行きのバスは、その反対行路のバスよりも所要時間が
3分長く設定されている。よほどの勾配なのかと予想していた。確かに勾配区間であるが、速度に大きな影響が出るほどでなはない。恐山の手前の冷水という停留所で3分間停車する。3分長い所要時間の理由がわかった。ここ冷水で水を汲む旅客が多い。こういう名水の場所では、一人や二人で多くの容器を持ち込んで水を汲もうとする奴が必ずいる。
3分間しかないし、水を求める他の旅客にも迷惑なので程々にしてもらえないだろうか。
なお、恐山の手前で道路工事の箇所があり、長ければ
4分間ぐらい信号で止められることになる。★★★霊場恐山★★★
念願の恐山に到着した。駐車場にはかなり多くの自動車が・・・。観光客が多そうだ。しかし、タクシーの姿がない。ここは恐山以外に何も無く、しかもバス以外ではみんな自動車で来ているのだ。関東地区からのレンタカーも見られた。周囲に人家や門前町も無く、予想していたのとは異なる状況だ。
私は根本的に宗教が嫌いであり、宗教的な光景にも関心はない。しかし、ここ恐山はなぜか惹かれたのである。
売店
1件と食堂1件がある。他に「霊場アイス」という屋台がある。食堂は、いかにも地方観光地的な対応だ。他に競合業者も無く、それなりのサービス水準であった。水はセルフサービスとの事だが、「暇だから大サービスで入れてあげる」と言われた・・・。また、売店ではみやげ物の他に、境内にて供える為の風車や小さなお地蔵さんも売られている。500円の入場料を払って境内に入る。
祭壇のある建物に入ってみたが、遺影らしき写真や故人の遺物と思われる物がたくさん並んでおり、いかにも霊場といった感じがする。
風車の一つ一つに水子への思いが込められていると思うと、なんだか切なくなってくる。
順路の至る所に「○○地獄」との表札が立っている。ここは極楽浄土というよりは、むしろ地獄の光景なのだろう。
戦没者の霊を祀る像もある。そうだ、この日は終戦記念日だ。死者や霊について思いを馳せるには最も適切な時期であろう。
順路では故人の遺品であろう物が置かれてあったり、至る所で死者への思いを込めて石が詰まれており、なんだか死後の世界にやって来たような気になってきた。
風車が回る浜辺の光景・・・この光景をどれほど見たかった事か。念願かなって大満足だ。
小さい子供が風車を拾おうとして、親から「水子がついて来るからやめなさい」と止められている場面を見た。私自身、これらの風車を撮影はしたものの変なものが写っていなければいいのだが、と思った。
境内には温泉があり、入山者は自由に入る事ができる。また、宿坊があり、宿泊する事もできる。とりわけ温泉に関心があるわけではないが、ここの温泉をあてにしていた。この後の寝台特急に乗り込む前に汗を流しておきたいのだ。硫黄泉ゆえに長湯してはいけない旨や換気すべき旨が注記されている。私は少しお湯に入ったが、寒くなるぐらいまで冷水を浴び続けた。
入浴後に境内を出て、件の霊場アイスを食べた。また、売店ではあまり栄えあるみやげ物を置いていなかった。その中から
1つだけ何とか選び出したような感じで買い求めた。バス停横にある休憩所は「原子力発電施設等周辺地域交付金施設」である。経済的に原子力の交付金に頼らざるをえない地域の実情について色々考え込んでしまう。この休憩所には旅ノートが置かれているので見てみた。ここは観光目的や、イタコさん目当てなどで一時的に訪れる人だけでなく、恒常的に信心していて頻繁にやってくる人もいるみたいである。病気の治癒などの現世利益を目的とする、他の宗教と同様の信者も多いみたいだ。
霊場恐山→大湊駅 ハイヤー
さて、当初の予定では下北駅
しかし、何らかの事情で大湊線や青い森鉄道が遅れて「日本海」に乗り遅れたら、何の為に青森まで来たのかわからない。そこで、恐山から大湊駅まではタクシーに乗ろうと
1週間前に考え直したのであった。青い森鉄道は文字通り
JR線ではないので、遅れた場合に「日本海」が待ってくれる事を期待できないのである。
★★後日談★★
陸奥横浜出身で、やや高齢の女性の同僚がいる。恐山に行ってきた旨を彼女に話すと、恐山に関して他にも話を聞けた。さすがに地元の人であり、ネット等で自分で調べた以上の事を聞けた。
恐山へ続く道は、○○(地名)あたりから亡くなった方の霊が並んでいて、来てくれる人をうれしそうに待っていてくれるらしい。見える人には見えるとの事だ。
他には、若くして亡くなった人に対しては、年頃になると“お嫁さんの代わりのもの”をお供えに行くらしい。子供に先立たれた親の悲哀を感じさせる話である。亡くなった子供が学校に上がる年になるとランドセルを供えるという話は一般的によく聞くが、それの“お嫁さん版”なのであろう。
また、有名観光地ゆえに小学校とかの遠足でも行った事があるのかと尋ねたところ、「遠足では行かない。子供が行くようなところではない。子供が行くと(霊に)引っ張られてしまう。」との答えであった。信仰の対象になる山というのは結構各地にあるのだが、遠足や合宿で賑わっている東京の高尾山とはあまりにも対照的だと思った。
その後も色々調べてみたのだが、近年では遠足で恐山へ行く小中学校もあるようである。件の同僚が子供だった半世紀ぐらい昔と現在とでは恐山への交通事情が大きく異なる。アクセスが容易になったのに伴って、恐山に対する人々の心理的な距離も縮まっていったのだろうと察する。