「臨時寝台特急日本海号」
(2012/8/15〜16乗車 2012/10/6公開) 2012年夏の旅行記からのシングルカット
「寝台特急日本海号」は
私の中では、「寝台特急日本海」は消えた存在ではない。それは臨時列車としてまだ残っているからという理由ではない。「寝台特急トワイライトエクスプレス」というのがあるが、あれは「寝台特急日本海」をグレードアップして札幌まで延伸させたものだという認識がある。私にとって「トワイライトエクスプレス」は、「日本海
81、82号」あるいは「日本海1、6号」なのである。
乗車日の
1ヶ月前に旅行会社に駆け込んだが、満席で取れなかった。8月5日に空席を見つけてすぐにプッシュホン予約をした。プッシュホン予約は初めてであったが意外とすんなりできた。さて、夕方から乗り込んで翌朝遅くまで寝台車に乗るというのは初めての体験である。個室ならば居場所が明確なのだが、開放寝台だとどのように過ごせばいいのだろうか。上段の場合、好きなだけ寝ていられるし、自分の居場所も明確だ。一方、下段の場合、朝
7時ごろには起こされて上段の客を座らせなければならないのではないかという不安がある。「銀河号」のように朝早く着く列車は、上段の客は上段にいたままの方が多かったように記憶している。上段がいいのか下段がいいのか事前には本当にわからなかった。それよりも取れた席が車端寄りなのが気になった。車体中央寄りへの変更を
2回ぐらい希望したが、叶わなかった。
2012
年8月15日(水)青森
16:21→大阪(翌日)10:27 奥羽本線・羽越本線・信越本線・北陸本線・湖西線・東海道本線 9004レ→8004レ オハネ25-127
「
JR西日本の車掌が見られるのは珍しい」と周囲に聞こえるように何度も言っているキモヲタがいた。ちなみに、JR西日本の車掌2人が青森から大阪まで乗務する。
モタレが省略されていない事に好感が持てる。
定期列車時代とは異なり、新青森には停車しない。なんと
1番線を通過する。単線区間で寝台車に乗るのは初めてだ。(おっと、東海道の新樽井経由は?といったツッコミは無しだ。)駅を通過する際に左右に大きく振られる。複線区間でも国鉄型配線の駅では多少左右に振られるが、単線の場合は揺れ方がその比ではないのだ。以前、「紀伊号」について「単線の駅で大きく揺れて眠れなかった」という感想を読んだ事があるが、まさにこの事かと思った。
JRの主要看板列車である「トワイライトエクスプレス」も夜間はこの区間を通るダイヤである。寝心地という点においては、いい評判は得にくいかもしれない。
「臨時日本海号」の所要時間は、下り青森行きがおよそ
16時間、上り大阪行きがおよそ18時間だ。定期列車末期には、上り下りともに15時間弱であった。上り大阪行きは定期列車末期よりも
3時間も延びている。青森から大阪まで、かつての「はくつる号」と「銀河号」のそれぞれの所要時間を合わせたよりも長い時間をかけて走る。とりわけ直江津での1時間近い停車時間が特徴的だ。他に、目立つ停車時間を足しただけで2時間に及ぶ。直江津を境に東側が
JR東日本で西側がJR西日本である。「日本海号」を臨時化するにあたって、JR2社のそれぞれの迷惑をお互いに及ぼさないように直江津での長時間停車が設定されたのではないかと思う。青森行き下り「日本海号」の場合は12分間停車する。東日本側は単線や強風の影響で大きく遅れる場合を見越してなのか、大阪行き上り「日本海号」は52分間も停車するのである。単線区間を長く走り、しかも機関車交換や後続特急電車の通過待ちをしてでも
15時間弱、表定速度70km/h弱で走っていた定期列車末期の「日本海号」は、なかなか立派だったのではないかと思う。
ここで編成を紹介しておこう。
1
号車 オハネフ24-25 白帯2
号車 オハネ24-7 白帯3
号車 オハネ25-210 金帯4
号車 オハネ25-32 金帯(引戸、洋式トイレ、ローレル賞プレートを取り外した跡あり)5
号車 オハネ25-127 金帯6
号車 オハネフ24-19 白帯電源車
カニ24-116 白帯
青森→敦賀
EF81-108敦賀→大阪
EF81-106
4
号車のトイレが洋式である旨は車内放送で伝えられた。
近くにうるさいガキがいて困った。これには私と同じボックスの青年も困っていた。
私の向かいにいる彼も青森から大阪までの乗車であり、何かと話ができて楽しかった。彼は道中に多数の友人と会うらしく、特定の地点に差し掛かると目印となる物を外に向けていた。
弘前→東能代間を通るのは
13年振りである。
大館から同じボックスに乗ってきた女性は足が悪く、下段への変更を申し出ていた。彼女はこの車両の
17番席へ案内されたようだ。満席ゆえに寝台の変更には応じられないと事前に放送されていたが、車掌氏に尋ねたところ、喫煙2席、禁煙2席の調整席が用意されているとの事である。
意外とする事が無く、
20時台でもほとんどの乗客が就寝の状態に入っていた。
2012
年8月16日(木)直江津停車中に目が覚めた。通路にて、「このまま外へ出てもいいんですかね。」と女性客に尋ねられた。ゆかたは寝台車内専用であり、ホームへ出るならば着替えなければならない旨を教えてあげた。
私の上には誰も来ていない。予約が埋まっているとの案内とは異なり、実際にはキャンセル等で乗ってこない客もいるみたいだ。
北陸地方の某駅でうるさいガキの一家が降りた。その時の声で目が覚めたが、引き続き寝た。
敦賀では、
19分停車の間に機関車を交換する。
近江舞子で運転停車し、後続の電車特急の通過待ちを行う。ここで琵琶湖の案内放送が入った。琵琶湖の放送も悪くはないが、敦賀を出てからのループ線の案内があればよかったのだが…。観光案内のような放送は琵琶湖だけであった。
私の場合、東海道の上り優等列車だと静岡駅あたりで下車が近いという意識になるのだが、日本海縦貫線で大阪に向かう時には敦賀を過ぎて湖西線に入っても下車が近いという意識は不思議と湧いてこない。路線名称が違うだけでなんとなく意識も違うものなのだろうか。湖西線内でも横になって眠っていた。
東海道本線に合流する地点で普通列車に抜かれた。その列車が山科駅構内で減速している時にようやく速度が同じになった。なんともゆっくりした足取りだ。京都にはその普通列車の方が先に着いた。
京都では、入線して停車しきらないうちに発車アナウンスが流れていた。所定では
2分程度停車するはずである。何か事情があってゆっくり走っていたのであろうか?
新大阪到着直前には、
18時間に及ぶ寝台列車の旅はいかがであったかとの放送があった。さすがに臨時列車に望むのは無理な話だが、18時間も走るのだから営業する食堂車があれば最高であった。いくら鉄道ファンでも長時間乗るのはさすがにしんどいらしく、24時間ぐらい走る寝台特急を「ブルー(憂鬱)トレイン」などと揶揄する記事を読んだ事があるが、私に関していえば、全くそのような事は無かった。ものすごく楽しいブルートレインの旅路であった。ただし、今回の車掌氏はあまりチャイムを鳴らさなかったので、それはやや寂しかった。
上段に誰も来なかったから言えるのだが、下段で良かった。また、台車に近い区画であったが、乗り心地が悪い事はなかった。
ところで、件の青年が言うには、友人の姿が見当たらないとの事だ。淀川と神崎川を勘違いしているみたいなので教えてあげた。淀川の堤防に友人の姿を確認できたようで喜んでくれた。
大阪駅のホームには警備担当者がいた。現場としても“日本海撮影者の大群”を警戒しているようであった。
大阪到着後には車体の列車表示が変わっていくのがおもしろい。「特急あさかぜ 博多」、「急行あきた 新宿」というのもあった。
今年春のダイヤ改正において大阪駅に青い車体のブルートレインが姿を見せなくなった。淀川の堤防のような有名撮影地点においては多くの撮影者がいた。
今となっては帯の色にも窓の大きさにも整合性が無く、美しいとは言いがたいが、やはり
24系客車が好きだ。再び乗る機会を得たいものである。ありがとう、「寝台特急日本海号」!