鉄道旅行記 2008年夏  200871日予告開始  20081012日全面公開)

 

 今年の夏も旅行に行ってきた。私の勤務先の都合だが、今年は盆休みが短い。一方で、7月後半には3連休が2回あった。旅程の取捨選択でいろいろ迷っていたのだが、思い切って心残りを可能な限り一掃する事にしたのであった。北海道に行って、「特急まりも号」に惜別乗車し、稚内にも行ってきた。さらに、キャンペーン中の山口に行って、マイテ49に乗車し、その夜の「寝台特急はやぶさ・富士号」にて東京に戻ってきた。“青春18きっぷ”と“優等列車”と“航空機”を組み合わせた旅程にしたのであった。

 

この夏の旅の目的となった主なテーマは、

1旅程 北海道旅行

さようなら、道内完結型夜行列車 / 「夜行臨時特急まりも号」

宗谷本線最北紀行

2旅程

往年の一等展望車マイテ49

最後の東海道・山陽ブルートレイン「寝台特急はやぶさ・富士号」

 

 

【第1旅程】  奥羽越・北海道旅行

★★★北海道旅行に使用するきっぷを決定するまでの考え★★★  2008712

 今回の北海道旅行の候補として考えたきっぷは、「ぐるり北海道フリーきっぷ」、「北海道&東日本パス」、「青春18きっぷ」の3つであった。せっかくだから、決定までの考えを公開しておこう。

 

 ●「ぐるり北海道フリーきっぷ (45,200円)」 

【長所】

25日(金)に定時に帰宅すれば「寝台特急北斗星号」にぎりぎり間に合う。

・北海道内で特急にも乗り放題。

【短所】

・連続5日間で使用しなければならないので、25日(金)夜から使い始めたとしてもどうしても無駄が生じる。

・実際に計画を立ててみたが、特急を使ったからといってそれほど満足度が高い旅程にはならなかった。

・通常は35,700円だが、7月〜9月は45,200円と高い。高い金額を出すにもかかわらず、実質的に2.5日〜3日程度しか使えないし、それゆえにたいした旅程も組めない。→よって廃案。

 

 ●「北海道&東日本パス (10,000円)」 

【長所】

・「急行はまなす号」の自由席に乗れる。

【短所】

・連続5日間で使用しなければならないので、25日(金)夜から使い始めたとしてもどうしても無駄が生じる。

・この旅程とは別の旅行の為に「青春18きっぷ」を買わなければならないが、この旅程で「北海道&東日本パス」を買ってしまうと、旅行日数が過剰になってしまう。

・夜行の「急行はまなす号」の自由席で席にありつけなかったら悲惨だ。

・なによりも、たいした旅程が組めない。→よって廃案。

 

 ●「青春18きっぷ」と他の交通機関の組み合わせ

・他の旅程も含めて「青春18きっぷ」を過不足なく使える。

・最近は航空機に安く乗れるようである。私はナマ料金でしか航空機に乗った事がなかったが、今回は驚くほど激安の航空券を探し出す事ができた。かつては航空機は高額なものだと思っていたが、最近はそうでもないらしい。旭川から東京まで2時間弱で14,800円なんて驚くほどだ。もっと早く買えば13,800円で買えていたぐらいだから、もはや言葉も出ない。航空機や優等列車をも含めた交通宿泊費が「ぐるり北海道フリーきっぷ(45,200円)」よりも高くついたら腹が立つので、安い航空券を探してみたのであった。

・航空機や優等列車をも含めた交通宿泊費が「ぐるり北海道フリーきっぷ(45,200円)」による旅程よりも安くつくにもかかわらず、満足度の高い旅程が得られる。→これに決定。

・今回は“青春18きっぷ”そのものにもこだわってみた。79日にはJR北海道の某駅より“赤い青春18きっぷ”が届いた。

  

 

2008725日(金)

 28日(月)は仕事が休みなのだが、この週末は世間では普通の週末なのである。従って、何か仕事上のトラブルに巻き込まれれば旅行自体がつぶれてしまう危険性があった。無事を祈りつつ24日まで大変な思いで仕事をこなし、25日夜には無事に出発する事ができたのであった。

 

★★近所の駅から、いきなり楽しい旅が始まった★★2008729日公開

 鉄道旅行記としては「快速ムーンライトえちご号」から始めてもいいのだが、それに乗り込むよりも前に特殊な出来事があった。旅行に出発する際に、自宅近所の駅において、残業にて帰宅が遅くなった“旅行会社の美人の○○さん”を見かけた。私は通常、知り合いの女性を見かけても、あいさつぐらいはしても話しかけたりはしない。なぜなら、私のようなくだらない男に長時間拘束されるのは女性にとって苦痛だと思うからである。しかし、この日の私の行動は違っていた。私が今夜から旅行に行く事を彼女は知っているので、私は彼女に話しかけたのである。私は、「あなたへのストーカー行為をやりに来たのではないですよ。」と、まずはギャグをかましておいた。当然ながら、彼女は私が今から北海道旅行に向かうという事を知っていた。この先、彼女と別れるまで、20分間ぐらい会話を続けたのであった。

 何を話したかは公開しないが、当然ながら北海道旅行の話に及んだ。「カシオペア」や「北斗星」の話も飛び出した。そこで、私は何を血迷ったのであろうか、「北斗星の二人用個室A寝台車に一緒に乗りませんか?」って彼女に言ってしまったのである。とんでもないセクハラ発言だ。素性のはっきり知れない男からいきなり「個室寝台車に一緒に乗ろう」なんて、女性からしてみれば超特級のセクハラ以外の何物でもない。

 この夜の私は確かに気がふれていた。旅立ちの高揚感が私を狂わせたのか、夏の高揚感が私を狂わせたのか、彼女の美しさが私を惑わせたのか、理由はさておき、上記の様な行動に出てしまったのである。私は今まで自分から女性を誘うような事はした事が無かった。しかし今回は、冗談まじりとはいえ、女性に対して「北斗星の二人用個室A寝台車に一緒に乗りませんか?」なんてよくそんなキ千ガイじみた事が言えたものである。

 彼女と別れた後、私は何か他にも変な事を言っていないかが繰り返し気になり、この後の「快速ムーンライトえちご号」の車内でほとんど眠れなかったのであった。

 

 

新宿2310→新潟(翌朝)451 3763M「快速ムーンライトえちご号」 6連 モハ485-1057

 普通車の座席は座面がスライドできる物に交換されていたが、それよりも、前の席の下に足を入れられる様にした方が劇的に居住性が良くなると思うのだが…。

 高崎までは普通乗車券なので、気が向けば大宮→高崎間は「急行能登号」のグリーン車にしようかと考えていた。しかし、過去の例から考えて、すぐに眠ってもいいように「快速ムーンライトえちご号」に乗り通す事にしたのであった。

 

2008726日(土) …青春18きっぷ1日目

 今回も水上にて停車中の団臨を見かけた。越後湯沢では「急行能登号」を見かけた。越後湯沢を過ぎると、「急行能登号」のすぐ後を追いかける「寝台特急北陸号」を見かけた。

 この日の「快速ムーンライトえちご号」は、小出に臨時停車し、到着は310である。小出駅構内には意外と多くの人影が見られた。

 新津では大阪行きの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」を見かけた。

 なぜこれほど深夜帯の事を覚えているかというと、眠れなかったからである。通路側の席を指定しておいたので、何とか足を伸ばせたから体がだるくなったわけではない。件の“旅行会社の美人の○○さん”と別れた後、私は何か他にも変な事を言っていないかが繰り返し気になり、車内でほとんど眠れなかったのであった。結果的ではあるが、どうせ眠れないのであれば、大宮→高崎間は「急行能登号」のグリーン車に記念乗車しておけばよかったと思った。

 

新潟454→村上550 白新線・羽越本線3921M 6連 クハE126-5

村上556→酒田818 羽越本線821D 3連 キハ40-503

 この道のりで北海道へ向かうのは6年振りであるが、乗客が多くない気がする。かつては「快速ムーンライトえちご号」でも「快速ミッドナイト号」でも乗り合わせる面々がみんなこの列車に乗っており、4連でも結構混んでいたものであった。200212月に「快速ミッドナイト号」が無くなったので、青春18きっぷでこの旅程を選ぶ人が少なくなったのであろうか? あるいは、この日が7月の普通の週末だからなのだろうか?

 今川を6:30頃通る。1998年の夏、駅の横のお寺らしき場所でラジオ体操を見かけた気がする。その翌年からは見かけなくなったような気がするのだが、記憶が違っているのだろうか。羽越本線のこの時間帯に今川を通るたびに思い出すのである。

 

酒田にて

 ここで、この先南千歳までほぼ同様の旅程を組むおじさんに出会った。彼も私と同様に「臨時快速リゾートしらかみ5号」に乗り、「急行はまなす号」のカーペット車に乗るとの事だ。この後、青森駅で“Yさん”だと名前を教えてくれた。ここでは、この先“Y氏”と記す事にする。

 いつものうどん店で朝食にした。

 明日の朝に新十津川駅へ迎えに来てもらう車の予約をした。その前からハイヤー会社に問い合わせていたが、予約は前日でも大丈夫だと聞いていたのであった。

 

酒田938→秋田1131 羽越本線539M 3連 クハ700-7

 女鹿のように普通列車の多くが通過してしまう駅がある。名前こそメガだが、ミニな駅なのである。そこを注視していたところ、なんと行き違いの「特急いなほ8号」を待たせてこちらが通過したのであった。

 次に秋田から乗る列車は14:10発の「臨時快速リゾートしらかみ5号」である。秋田にて先程のY氏とは別行動となる。

 

秋田での時間

 かつて、「快速海峡号(青森⇔函館)」や「快速ミッドナイト号(夜行:函館⇔札幌)」が走っていた頃でさえ、本州内で寄り道をして、さらに入浴時間を確保しても函館にて余裕で「快速ミッドナイト号」に乗り込む事ができた。しかし今回は、函館よりもはるかに手前の青森から夜行列車に乗り込むわけであり、本州内でかなり時間が余るのである。

 なお、秋田から先を急げば未乗区間の大湊線を往復してくる事も可能である。ただしその場合は、大湊線は外が暗くなってからの乗車になるのでおもしろいとは言えない。そもそも私は“乗りつぶし”に関心はないので、その旅程は元よりやめておいた。

 朝早くおきて東北本線を北上しても「急行はまなす号」に間に合うぐらいなのだが、その道のりは選ばなかった。なぜなら、最近は東北本線に乗る機会が多く、また、別会社化された旧東北本線の区間に高い別運賃を出す気にもならず、しかも701系に長時間乗り続けなければならないので、おもしろくないと判断したからである。

 男鹿線を往復できればいいのだが、それはうまく組めなかった。奥羽本線の秋田⇔大曲間に特に関心があるわけではないが、未乗区間なので単純に往復してくる事にした。これが悲惨な目に遭うとは…。

 

秋田1138→大曲1227 奥羽本線440M 2連 クハ700-3

 複線を単線2本にしたような区間だ。普通列車が走る1,067mm幅の線路と、「新在直通特急こまち号」が走る1,435mm幅の線路が並んでいるのである。秋田の隣の四ツ小屋ではまとまった下車が見られた。

大曲1311→秋田1343 奥羽本線5011M 「臨時特急こまち11号」 6連 E322-25

運転区間 東京916→秋田1343

大曲にて「特急こまち11号」

 大曲1232発の439Mで秋田に引き返してこようと思っていたのだが、駅でもたもた対応されて、439Mが目の前で発車してしまったのであった。

 秋田までの乗車券950円・特定特急券1,150円、合わせて2,100円も散財する事になった。これが90km前後の距離ならば、せっかくだからグリーン車に乗ろうかという気分にもなるのだが、微妙に50kmを超えているところが余計に腹が立つ。乗りたくもなかった特急に51.7km乗る為に100kmまでの特急料金を払わなければならないのである。だったら439Mに追いつけよと言いたいぐらいだが、そういうわけにすらいかないのである。

 私は主要な旅程にお金をつぎ込むのは一向に構わない。しかし、おまけみたいな部分に散財してしまうなんて悔しくて仕方がない。今後、東京駅等で「こまち」を見かけるたびにこの腹立たしい記憶が蘇る事だろう…。

 元より「青春18きっぷ」という安価なきっぷで旅行しているので、金銭の事でガタガタ言いたくはないが、駅の対応がよくない事によって所定の列車に乗り損ねたのは納得しがたい。 O曲駅よ、カネ返せ! 今後は何よりも列車に乗り込む事が最優先であると、教訓になったのであった。自分の失敗なんて晒したくはないが、大曲→秋田間なんかに「特急こまち号」に乗らざるをえなくなった理由として記しておこう。こんな失敗は初めてだ。まぁ、特急に乗っただけでその後の旅程を回復できたのだから、それで良しとしておこう。

 1,435mm幅の線路は一部で複線になっているらしく、上下の列車が行き違い停車する事無しに通過した。

 

★★観光列車「リゾートしらかみ号(くまげら編成)」★★

秋田1410→青森(所定)1932 奥羽本線・五能線8525D「臨時快速リゾートしらかみ5号」 3連 キハ48-703

 「リゾートしらかみ」は観光仕様に改造されたキハ40系の3両編成であり、3編成が存在する。いずれも13号車が立派なリクライニングシートで、2号車が団体に適した準個室仕様のボックス席になっている。リクライニングシートはシートピッチが1,200mmもある。ただし、枕カバーすら付かない仕様になっている。それにしても、近年のキハ40系の躍進には目を見張るものがある。

 秋田駅か「臨時快速リゾートしらかみ5号」の車内で食事にしようかと思っていたが、先程のO曲駅での事がムカついて食事する気になれなかった。

 五能線は1999年夏に寄り道した路線である。今回は、701系を避けて快適な「リゾートしらかみ」に乗りたいから五能線を通る事にしたのである。未乗区間ではないので、眠くなれば寝ておけばよいのだ。

 

 五能線は世界自然遺産白神山地の傍を行く。海岸線も美しく、観光列車を運転するには最適の路線である。景勝地での減速運転もある。私は川のある山の風景が好きなので、海の景観に関心が強いわけではない。しかし、羽越本線や五能線に沿った海岸線は美しいと思う。

 深浦で行き違う「臨時快速リゾートしらかみ4号(青池編成)」が遅れているらしく、深浦駅になかなか進入しなかった。深浦では3分ほど停まるはずだが、どういう予定なのかを尋ねる為に私は車掌室に向かった。青春18きっぷに下車印を押してきたいと言っている乗客がいた。私は、「停車時間が短くなったので、発車まで車内にて待つように案内してはいかがか」と車掌氏に意見を述べた。案の定、3分停車は無くなり、乗務員を交代してすぐに発車する事になった。件の乗客は車掌氏に頼み込んで駅の窓口へと駆けて行ったのであった。私だって3分停車があればいろいろしたいわけだが、列車の定時運行に協力する事も乗客として大切な事だと思う。

 鯵ヶ沢では「臨時快速リゾートしらかみ6号(ブナ編成)」と行き違った。全席指定の「リゾートしらかみ号」が1日に6本も走るのだが、そもそも列車本数が多いとは言えない路線なのだから、一般車を併結するなどして地元客への利便も図った方がいいのではないかという気がした。あるいは、定期列車に「リゾートしらかみ編成」を付けるという手もある。「リゾートしらかみ編成」は一般車と同様のキハ40系なので何とか実現できそうな気もするのだが…。

 さて、この「リゾートしらかみ5号」は、川部と弘前の間を往復してから青森へ向かう。川部にて青森行きの普通列車(659M)に乗り換えれば青森には26分早く着くのである。Y氏がその事を私に伝えに来た。車内放送でもそのように案内された。しかし、私は「リゾートしらかみ5号」に乗り通す事にした。青森まで時間がかかる事は元より承知しており、それでもなお青森でじゅうぶんな時間を持てるのである。そもそも青森に急ぐ用事があるならば、秋田から先も奥羽本線の早い時間の列車を選んでいたぐらいである。Y氏は青森へ先に行ったのであった。

 川部→弘前間は、進行方向が逆になる。また、弘前の駅前は、数日後に始まる「ねぷた」に向けて盛り上がりを見せていた。

 弘前では衝撃的な事を知った。海峡線が架線トラブルにより不通になっているらしい。「急行はまなす号」が運休にならなければいいのだが…。あまり深刻には捉えなかった。

 「リゾートしらかみ5号」の弘前→青森間は客扱い停車が無い。しかも乗客は極めて少ない。弘前→青森間は運転する必要があるのだろうかと思うほどであった。

 先程途中下車してみた川部では、今度は運転停車して「寝台特急あけぼの号」と行き違う。北常盤では「特急つがる98号」を先行させ、「快速深浦号」と行き違った。ここでの9分停車でさらに遅れが延びたのであった。

 

青森にて

★★24日に発生した地震の影響 / 海峡線架線トラブル★★

★食事と入浴★

 「寝台特急日本海号」は所定の発車時刻(1933)を過ぎているが、遅れている東北本線の「特急つがる23号(所定1912着)」を待つ為に発車を遅らせていた。24日に発生した地震の影響により、八戸⇔三沢間で徐行運転を行っており、昼行特急は15分程度の遅れが出ているようである。

 一方、架線トラブルで止まっていた海峡線が20時頃に復旧すると案内された。所定1722発の「特急スーパー白鳥19号」が2時間以上遅れて運転が再開されるようであった。

 東北本線の特急遅延や海峡線の架線トラブルなどで混乱する青森駅の様子をしばらく眺めていた。

 

 199912月に訪れた駅前の食堂に入った。焼魚の定食とホタテラーメンを食べた。昼は昆布のおやつだけだったのでしっかり食べておいた。次は風呂だ。時間に余裕があるのはありがたい。

 食堂から出たところでY氏に出くわした。彼は先に入浴して食事を済ませたとの事だ。一方、私は今から入浴である。行く予定の銭湯は受付が2130までらしい。あと40分程度だ。彼から詳しい道のりを教わった。おかげで迷う事なく銭湯にたどり着いてゆっくり入浴できたのであった。

 

 Y氏は私よりも早く青森に着いた故に、海峡線の架線トラブルの事で悩んだみたいであった。青森駅においては、函館方面への旅行を中止してもらうように張り紙がなされていたのだ。一方、私が海峡線の架線トラブルの事を知ったのは18時半頃の弘前であり、それほど気にならなかったのである。

 ここから 200889日公開

 いよいよ北海道へと渡る列車に乗る時間がやって来た…。この先、急行や特急は、青春18きっぷではなく普通乗車券と急行券や特急券での乗車である。

 「急行はまなす号」の入線を待つホームにて件のY氏が名前を教えてくれた。私も名前を伝えた。なんと、席番が隣である。

 

★★「急行はまなす号」★★

青森2242(実際は23時頃)→南千歳(翌朝)524 「急行はまなす号」 カーペット車 201レ 9連 オハ14-515 ED79-11 DD51-1141

運転区間 青森2242→札幌(翌朝)607

 

 「北海道&東日本パス」が使える時期だが、自由席の席が確保できないというほども混んでいない様子である。

 2210頃、DE10形に牽引されて「急行はまなす号」の編成が4番線に入線してきた。

 Y氏とは席番が隣だが、間に階段があった。

 

 「急行はまなす号」に乗るのはこれで2回目である。1999年夏、札幌から青森まで「急行はまなす号」のカーペット車に乗った。さすがに、札幌から一気に青森まで来られるのはありがたかった。今回はその逆の行程である。

 「急行はまなす号」やキハ27形時代の「快速ミッドナイト号」の普通車指定席の座席は、優等列車用のグリーン車の廃座席を転用したものであり、その座席が付いた車両はドリームカーと呼ばれている。背もたれの幅は広げられ、リクライニング角度はグリーン車時代よりも大きくなっている。この座席へのこだわりがあったからキハ27形時代の「快速ミッドナイト号」ではドリームカーばかり乗っていたのであった。だが、1999年夏に「急行はまなす号」のカーペット車に乗った時に考えが変わった。やはり夜は横になる方が楽なのである。「快速ミッドナイト号」にもカーペット車があったのだが、鉄道車両らしくない内装なので特に気に留めていなかった。一方、「急行はまなす号」のカーペット車には2階部分があり、落ち着いて寝られそうなので初めてカーペット車を選んだのであった。1999年夏には2階席を取れたのだが、今回は1階席しか取れなかった。

 

カーペット車(普通車指定席)…この車両は2両しか存在せず、車両が検査に入る時には連結されない。定員が極めて少ないが普通座席車扱いである。寝台料金不要で横になれるので、指定券の入手が困難な人気車両である。2階部分は通路から離れており、落ち着いた空間を確保する事ができる。しかも、梯子ではなく階段が用意されているのがすばらしい。

 

ドリームカー(普通車指定席)翌朝撮影…見てのとおり、特急形グリーン車の座席をさらに居住性を良くすべく改造した座席である。座って乗るだけならば絶対にこれだ。定員が少ないので、多客期には編成から外されて一般の14系座席車に変更される場合がある。

 

 「急行はまなす号」は通常は7連であり、3号車と7号車のスハフ14形が自由席となる。この夜の編成は増結有りの9連であり、自由席が編成端になっていた。3号車に注目!

1号車 スハネフ14-551 B寝台車

1号車 オハネフ25-7 B寝台車

2号車 オハネ24-503 B寝台車

3号車 スハフ14-556 一般の14系座席車なのに、この夜はドリームカーと同様に指定席扱いであった。

4号車 オハ14-515 普通車指定席カーペット車

5号車 オハ14-505 普通車指定席ドリームカー

6号車 オハ14-503 普通車指定席ドリームカー

7号車 スハフ14-501 普通車自由席

8号車 スハフ14-506 普通車自由席

 

 

青森駅にて発車を待つ「急行はまなす号」…先頭に立つ機関車は、ED75形からの改造によって誕生した津軽海峡専用のED79形である。函館側のパンタグラフが常用されている点が注目点である。つまり、交流電気機関車としては珍しく前側のパンタグラフを上げて本線を走行する場面が見られるのである。

 

 地震の影響で遅れている東北本線の「特急つがる29号」からの乗り継ぎ客を待つ為に約25分遅れで発車する事になった。車掌氏が言うには、仮に発車を1時間遅らせても南千歳や札幌には定刻に着くとの事である。青森を発車する頃には、私は半分ぐらい眠りかけていた。

2008727日(日)

 深夜帯の停車駅であっても到着を告げる放送が入るようである。函館停車中に目が覚めた。函館からも多くの乗客が乗り込んで来て、その荷物が私の足に当たったから目が覚めたのである。足元を人が通って落ち着かないから1階席は避けたかったのである。

 函館停車中の放送によると、列車は18分遅れとの事だ。電気機関車が牽引する区間でも7分しか回復しなかったようであり、翌朝に南千歳へ「特急まりも号」よりも先に到着できるのか不安になってきた。

 函館では進行方向が変わり、機関車も交代する。

 次の長万部では定刻どおりの到着だと放送が入った。

 半分寝ぼけていたので何時頃の事かは覚えていないが、「特急まりも号」が時間通りに走っているかを車掌氏に尋ねてみた。特に遅れの情報は無いとの事であった。

 

 南千歳到着よりも前に室内灯が明るくなり、おはよう放送が入った。

 私が下車する南千歳では、Y氏がホームまで見送ってくれた。彼は長い夏休み中であり、私よりもはるかに長い日数北海道を楽しむようである。

 

南千歳を発車する「急行はまなす号」…北斗星塗装を纏ったDD51形ディーゼル機関車が単機で長い車列を先導する。なんともカッコイイ。

 

★★★さようなら、道内完結型夜行列車 / 惜別乗車「夜行臨時特急まりも号」★★★

南千歳540→札幌620 千歳線・函館本線9048D 「臨時特急まりも号」 5連 キハ183-6

運転区間 釧路(前夜)2330→札幌620

 道内のみの夜行列車としては最後まで残っていた「まりも号」がこの夏を最後に廃止される。それこそかつては周遊券族等が宿として利用した道内のみの夜行列車が完全に無くなるわけだ。旅行スタイルもずいぶん変わりゆくものである。気動車と寝台客車の混結というものすごい編成であり、編成を見るだけでもおもしろい。なお、晩年の道内のみの夜行3列車「利尻号」、「オホーツク910号」、「おおぞら1314号→まりも号」は、いずれも気動車と寝台客車の混結という編成であった。今回はこの編成の列車に乗りたいが為に北海道までやってきたのである。

 北海道は広い。本州の方が広いのだがそれはさておき、道内のみの夜行列車に活路はないだろうか。釧路系統は夜行列車や寝台車の需要が比較的高かったと聞く。だからこそ「まりも号」が最後まで残ったのだろう。2001年夏に根室まで運転された「北斗星まりも号」にはすごく興奮したものであった。また、道内の特急列車がいくら速くなったとは言え、道内各地域間の移動はかなり時間がかかる。そこで、行楽期には函館と最果て地域とを結ぶ道内夜行特急を走らせてはいかがだろうか。この場合、運転距離が長いので特急らしい速度で運行しても問題は無いだろう。有効時間帯を外れる札幌の面子を気にするようであれば、札幌を通さないようにすればいいとも考えられるのである。函館から道東や道北へ行楽期だけでも夜行特急を走らせれば、結構な需要が見込めると思うのだが…。

 「特急まりも号」に乗るにあたっていろいろ旅程を考えてみた。釧路行きに乗る場合、釧路から先は釧網本線→石北本線の旅程となり1998年夏の旅程と同じのなのでおもしろくない。一方、札幌行きに乗る場合、釧路方面から乗る日にたいした旅程が組めない。私は釧路も網走も根室もすでに行った事があるので、道東に特に目新しさは無いのである。いろいろ考えた結果、「臨時特急まりも号」については、宗谷本線へと向かう旅程の中で「急行はまなす号」から降りて短区間だけ乗るという結論に至ったのであった。「臨時特急まりも号」は、南千歳から札幌まで「急行はまなす号」の後を追うように走るのである。このダイヤを見逃さずに旅程に組み込んだのだ。

 

 「気動車+寝台客車」という強烈な編成を公開しておこう。

5号車 キハ183-101 普通車自由席

4号車 キハ182-42 普通車自由席

3号車 スハネフ14-508 B寝台車

2号車 キハ182-43 普通車指定席

1号車 キハ183-6 普通車指定席

 この編成のキハ183系は、初期の車両ばかりである。特に出力が高いわけではない気動車4両で無動力の寝台車をも動かさなければならないのである。しかし、走行速度が低い列車なのでこれでも大丈夫なのだ。

 

キハ183-6(指定席)の車内…モケットこそ張り替えられているが、登場時からの古い形の座席である。隣の2号車の座席は更新されていた。なお、乗車率は写真のとおり高くはない。

 

 スハネフ14のテールサインは白地に赤で「特急」と記されていた。

 

 寝台車内の通路の窓には乗客が貼り付けたと思われるカメラらしき物を見た。これは前日の奥羽本線440Mでも見られた光景だ。車窓を漏れなく撮影する事が流行っているらしい。

 

札幌に到着した「夜行臨時特急まりも号」

 

「特急まりも号」から回送列車に変わって札幌駅を出る編成…写真左が元ブルートレインのスハネフ14形寝台客車、写真右2両がキハ183系特急形気動車。塗装が変更された寝台客車が気動車編成にきれいに収まっているが、強烈な編成である事に変わりはない。

 さようなら、道内完結型夜行列車「特急まりも号」。

 

  

札幌からは、青春18きっぷ2日目の旅となる。 ここから 2008823日公開

★★札幌から旭川までの見事な旅程★★

 札幌からは再び青春18きっぷの旅となる。この日は、旅程に余裕があり過ぎた前日とは異なり、内容が詰まった見事な旅程なのである。

 この先は宗谷本線で稚内へ向かう事がメインイベントなのだが、宗谷本線の列車にうまく乗り継ぐ為に旭川へ向かう旅程も見事なのである。

 函館本線の滝川⇔旭川間は普通列車があまりにも少ない。「急行はまなす号」や「特急まりも号」を下車した後になるべく早めの普通列車を乗り継ごうとしても、滝川に839に着いてから3時間以上もその先へは進めず、稚内へ行って旭川まで戻ってくる旅程が組めないのである。

 滝川→(深川)→旭川間を通り抜けるには、この区間を特急列車で移動するというのが一般的な考えであろう。ここで着目すべきは各特急停車駅間の距離である。滝川→旭川間は53.3kmだが、滝川→深川間は23.1kmであり、ここはわずかに25kmを下回るので、乗車券の他にJR北海道特有の25kmまで300円の安価な自由席特急券で乗れてしまうのである。しかも私は、深川→旭川間においては数少ない普通列車929Dまで活用するのだから、見事な旅程だと言えよう。

 私は、特急列車に乗るにしてもグリーン車に乗るにしても、距離や乗車時間を考慮して選択しているのである。それゆえに“失敗によって”51.7kmを特急列車に乗ってしまった前日の出来事が余計に悔しいのだ。ちなみに自由席特急料金は、滝川⇔旭川間53.3km1,100円なのに対し、滝川⇔深川間23.1km300円、深川⇔旭川間30.2km600円である。何が言いたいのかお分かりいただけるだろうか。

 さらに、列車の本数が少ない区間もある札沼線をも活用して時間を有意義に使うのだから、我ながら旅程作りの天才だと思う。

 

 上記のすばらしい点をわかりやすくまとめておこう。

1.函館本線で長過ぎる待ち時間を作らずに、列車本数が少ない区間もある札沼線の旅をも楽しむ。

2.行止まりの新十津川駅から函館本線の滝川駅へ抜ける。

3.滝川→深川間23.1kmだけ安く特急列車に乗り、さらに、深川→旭川間においては数少ない普通列車929Dを活用する。

 

 

★★札沼線初乗車★★

札幌641→石狩当別725 函館本線・札沼線531D 4連 キハ40-401

 「特急まりも編成」の回送を見送って、札沼線の列車に乗り込んだ。

 札沼線という名称は、かつてこの路線が石狩沼田まで延びていた事を示している。現在は新十津川が終点であり、浦臼⇔新十津川間は1日に3往復しか走っていない。

 札沼線に特にこだわりがあるわけではないが、普通列車しか乗れない切符を使っているし、うまく旅程に組み込めたので札沼線に乗ったのである。

 桑園で函館本線から別れて札沼線に入る。桑園の隣の八軒からあいの里教育大までは複線区間である。石狩当別までは列車本数も多い。沿線に学校も多く、都市路線の様相を呈している。札沼線には学園都市線という愛称が付けられている。

 石狩当別駅近くのコンビニで朝食を購入した。

 531Dとして4連でやって来た編成のうち、札幌寄りの3両が532Dとして733に折り返していった。先程の531Dの先頭車としてやってきたキハ40-401が新十津川へと向かうわけである。キハ40400番台2両は札沼線の末端区間の専用車であり、キハ40系の中で最も強力なエンジンに換装された車両である。

石狩当別751→新十津川928 札沼線5423D 単行 キハ40-401

 石狩当別の隣の北海道医療大学までが札幌近郊路線として扱われている。この先は完全なローカル線である。

 沿線では、おびただしい数のトンボらしき生物が飛び交っていた。

 石狩月形では列車行き違いがある。対向列車には小学生とその引率らしき団体さんが乗り込んでいた。

 石狩月形は有人駅であり、ここより先に列車交換ができる駅は無い。石狩月形の次の豊ヶ岡では駅周辺に建物が何も見えない。ついに秘境区間に突入したかと思ったのだが、そのような駅は豊ヶ岡だけであった。

 浦臼から先は1日に3往復である。さすがにこのあたりまで“学園都市線”と呼ぶのはいかがなものかと思う。浦臼駅自体は11線の構造である。

 閑散秘境路線を想像していたのだが、並行する国道275号線沿いには商店や民家が立ち並んでいる。ただ単に鉄道の利用が少ないのだろう。13往復区間の鶴沼では下車客が見られた。

 2006年に廃止された中徳富駅跡を見つけようと思って見ていたが、それらしき痕跡を見つける事はできなかった。そのような訳で、この先の宗谷本線においては、2006年に廃止になった駅の痕跡を見つける試みはやめたのであった。

 新十津川到着前に、私が呼んでおいたハイヤーが駅に着くのが見えた。

 

新十津川駅…駅周辺に建物は多く、5423Dからの下車客も多かった。

新十津川…1890年に、奈良県十津川村で水害に遭った人たち約600世帯が集団で移住して開拓した土地である。

 

★★札沼線新十津川駅→函館本線滝川駅★★

札沼線新十津川駅→函館本線滝川駅 ハイヤー

 ハイヤーの運転手氏を待たせるわけにはいかないので、撮影を手短に切り上げて車に向かった。また、運転手氏は私を写してくれたのであった。

 札沼線は行止まりの路線であるが、私は単に行って戻ってくるのではない。新十津川駅は函館本線滝川駅まで石狩川を挟んで3kmほどであり、旅行誌等では徒歩で行ける裏技的に紹介されている。しかしながら、ここで滝川駅まで歩いて滝川から旭川まで特急列車に乗るよりも、滝川駅までハイヤーで行って滝川から深川まで特急列車に乗り、その先を普通列車にした方が余計な出費は無いし、楽だし、賢明なのである。何度も言うようだが、我ながら旅程作りの天才だと思う。

 道中気になった事がある。北海道なのに、道路には横長の信号機が見られた。

 

★★7891000番台 スーパーカムイ★★

滝川949→深川1002 函館本線3007M 「L特急スーパーカムイ7号」 5連 モハ789-1002 

運転区間 札幌900→旭川1020

 「L特急スーパーカムイ号」については、785系と7891000番台が完全に共通運用されており、どちらが来るかはわからない。

 「L特急スーパーカムイ号」および「快速エアポート号」といえば、「uシート」と呼ばれる普通車特別席が用意されている。普通なのか特別なのかよくわからないが、グリーン車ほどではないものの格上扱いの普通車指定席なのである。意外に思われるかもしれないが、私は「uシート」には関心が無い。それどころか配色が美しい7891000番台の普通車一般席に乗りたかったのだ。赤系のモケットとヘッドレストの形状が美しいと思うのである。

 

 1分遅れでやってきた。やったー、念願の7891000番台だ。なんて運がいいのだ。

 

 配色と形状が美しい座席を楽しんだ。 

 

 深川では途中下車しなかった。「L特急スーパーカムイ7号」からまとまった下車があって改札口が混雑しており、前日のO曲駅みたいな目に遭うと悲惨だからである。しかも、「L特急スーパーカムイ7号」は1分ほど遅れているみたいなので安全な行動を選択したのであった。

 なお、今時ご丁寧に「エル特急」と案内されていたので、このコーナーでも「L特急スーパーカムイ7号」と表記する事にした。また、個人的に「特急スーパー○○号」という二重形容かつ品が無い特急列車名は嫌いなのだが、「スーパーカムイ」についてはなかなかカッコイイと思う。よく見れば英語とアイヌ語の融合名称である。

 

深川1007→旭川1040 函館本線929D 単行 キハ54-504 リクライニングシート車

 複線電化幹線を単行気動車が行く。

 この区間は長いトンネルで貫いている部分が多いが、石狩川の対岸にはかつて旧線が通っていて神居古潭という駅があった。

ここから 2008830日公開

旭川にて

 旭川では35分の乗り換え時間があるので、今夜世話になるホテルを訪ねて、空港行きバスの乗り場を教えてもらった。

 

★★★宗谷本線最北紀行 宗谷本線新旭川以遠初乗車★★★

旭川1115→名寄1235 宗谷本線3321D 「快速なよろ1号」 単行 キハ40-830

 いよいよ、メインイベントの宗谷本線最北紀行である。

 羽幌線も名寄本線も天北線も深名線も無くなった今、宗谷本線は他の地域へ通じる鉄道路線が無く、単に行って帰ってくるだけの路線になってしまった。

 

 旭川駅では、5番乗り場と6番乗り場の間に高架の新駅を建設中である。

 「快速なよろ1号」は4番乗り場から15分の発車だが、隣のホーム3番乗り場に14分に到着する「特急オホーツク3号」の到着を待たずに発車した。そもそも北海道では3分以内は接続とはみなされないと何かで読んだ記憶がある。しかし、列車本数が少ない地域なのだから、こんな意地悪なダイヤにしなくてもいいのではないかと思う。この先の新旭川で石北本線を分岐しており、新旭川までは実質的に網走行きの「特急オホーツク3号」の前を走る事になる。

 

 名寄までは高速化改良が行われており、この区間は新型特急ならば130km/hで疾走する。永山や和寒などの主要駅もよく見ておいた。士別ではまとまった下車があった。さすがに特急停車駅では人の動きが大きい。

 

 進行方向右側の名寄公園に「SL排雪列車・キマロキ編成」が見えてくればまもなく名寄に到着する。

 キマロキ編成は、名寄本線の跡地に静態保存されている。日中に時間が取れればキマロキ編成を訪ねたいところだが、名寄での乗り換えは3分である。

 

名寄1238→稚内1639 宗谷本線4329D4333D 単行 キハ54-508 転換クロスシート車

 名寄で乗り換えると、旭川駅で購入した駅弁(三色すし)を食べた。

 宗谷北線運輸営業所が管轄するキハ54の車内には沿線自治体の広報誌が置かれている。

 

 豊清水では列車交換の為に4分ほど停車する。下りてみた。駅前には何も無いが、使われていないと思われる錆びついたバス停のポール立っていた。駅舎内には自転車があり、利用客自体は皆無ではないのだろう。

 

 音威子府では、4329Dは副本線にある短いホームに停車する。ここでは12分停車だ。副本線のホームは短い故に特急列車は入線できないらしいが、改札口へは便利な乗り場なのである。

音威子府…かつてここから天北線が分岐していた。天北線こそがかつての宗谷本線であったが、1930年には幌延経由で稚内に至る路線に本線格を譲り、平成に入った1989年には廃線となった。

 音威子府駅駅舎内には天北線資料室がある。ここには昭和30年代の音威子府駅を模した鉄道模型のジオラマが展示されているが、北斗星塗装のDD51形が置かれているのには笑ってしまった。

 

 最北への道をさらに進む。

 

 雄信内では列車交換の為に4分ほど停車する。下りてみた。

 雄信内は特急停車駅ではないが、JTBの大型時刻表では横の太線が入れられている。どんな主要駅かと思っていたら、駅前はこんな感じだ。おもしろすぎるぞ北海道!

 

 それにしても暑い。冷房装置が無い車内の温度計は30℃を越えている。当然、みんな窓を全開にしている。

 

 幌延で23分停車する。あまりに暑いので音威子府に続いてここでも水を購入する事になった。

 かつては幌延から羽幌線が分岐していて、それが留萌本線に繋がっていたのだが、今では羽幌線は無い。

 幌延から列車番号が変わる。

 

 最北へ向けて荒涼たる道をさらに進む。

 

 乗客は10人程度であったが、兜沼にて小学生とその引率の教員らしき団体さんが乗り込んできて一気に賑やかになった。

  

 抜海-南稚内間では車窓に利尻島が望める場合がある。利尻島は天気がいいからといって必ず見られるものでもない。車窓から利尻島を見られた私は、なんて運がいいのだ。

 

 草原の前方に都市が見えてきた。都市と荒野が隣接しているところが北海道の風景の特徴だと思う。いよいよ念願の最果ての町に着く。気分は最高潮…。

 

★★★いよいよ南稚内駅・稚内駅★★★

 多くのホテルが駅前に立ち並ぶ南稚内に到着した。かつてここでは、音威子府で分岐した天北線が合流した。兜沼から乗り込んできた団体さんはここで下車した。

 南稚内駅の北側には車両基地があり、南稚内-稚内間には回送列車も設定されている。なお、車両基地には長い車庫がある。かつて鉄道が輸送の主役だった頃、北海道においては厳寒期に列車の運行を確保する為に、とりわけ優等列車用の編成をまるごと車庫に入れて夜通しエンジンをかけっぱなしにして保温していたという歴史がある。  

 

 南稚内-稚内間には短い距離ながらも高架区間があり、都市鉄道のような姿を見せる。

 

日本の鉄道の最北限 宗谷本線稚内駅

 現行の日本における、線路の北の果てである。よく考えてみると、この地球上に東の果ても無ければ西の果ても無い。しかし、北の果てと南の果てはあるのである。

 

 ひとつ上の写真の反対側の風景である。駅外から駅構内を望む。

 

稚内駅前の様子

 

有名な北防波堤…かつてここには稚泊航路の為の稚内桟橋駅があった。なお、稚泊航路は1945年のソ連軍の侵攻によってずっと休止されている。

 

 現・南稚内駅…稚内駅として1922年に開業

 現・稚内駅…鉄道駅の稚内港駅としては1928年に開業

 旧・稚内桟橋駅…稚内港駅構内の仮乗降場扱いで1938年に開業

 

 実は、稚内1710発の4336Dよりも前に、1651発の「特急スーパー宗谷4号」で南稚内駅を訪ねてみようかと考えていた。なぜなら、稚内市は稚内駅と南稚内駅の両方が主要駅だから見ておきたいと考えていたのだ。しかし、前日出会ったY氏が稚内市をよく知っていて都市内や両駅周辺の様子を聞けたし、また実際に往路に南稚内駅周辺を凝視したので、南稚内駅の訪問は見送る事にしたのであった。

 

 稚内や根室においては、どうしても国境を意識してしまう。国境…、それは17世紀のウエストファリア条約以降であっても流動的であるのが現実である。現在の我が国も領土問題を抱えているが、今回は特にそれには触れず、国境への思いを馳せるだけに留めておこう。ちなみに、我が国の統治が及んでいない所で私が行ってみたいと思う所は、樺太、北方領土、朝鮮半島、台湾といった具合である。…仲良くできないものかね。

 

稚内1710→名寄2050 宗谷本線4336D4338D 単行 キハ54-512 リクライニングシート車

 大満足で稚内を後にした。

 往路と同様に南稚内までの区間をよく見ておいた。

 町が途切れた抜海では女子学生が1名下車した。

 兜沼では列車交換の為に3分ほど停車する。下りてみた。

 特急停車駅の豊富でも列車交換の為に4分ほど停車する。下りてみた。

 幌延では24分停車するのだが、この頃はすでに眠くなっており、この駅は往路に下車したので眠っておいた。ちょうど幌延に停車している間だけ眠っていた。

 幌延から列車番号が変わる。この先は宗谷本線の上り最終列車となる。

 

 19時を過ぎた問寒別から寒くなり、乗客4人全員で扇風機を止めて窓を閉めた。寒がりの私は、自分の横の窓については二重側の内側の窓まで閉めた。

 

 天塩中川-佐久間で線路上に鹿が出た為に緊急停車した。北海道ではよくある事だ。旅行者にとっては北海道らしさを感じる出来事かもしれないが、鉄道事業者や農業者にとってエゾシカは厄介者なのである。汽笛を鳴らしても鹿はなかなか線路上から出て行こうとはしなかった。

 ここでおもしろい事に気づいた。天塩中川→音威子府間は、4338Dは筬島を通過する1駅停車で所要31分である。一方、「特急サロベツ号」と「特急スーパー宗谷4号」は2駅通過の無停車で同じく所要31分である。なるほど、名寄以北は、せいぜい85km/h程度で走っているのだろうと想像がついた。

 

名寄にて

 名寄で約1時間待ちである。宗谷本線は主要駅を跨いで普通列車に乗るには不便な路線なのである。

 ここで食事を予定していた。駅前の店はどこもここも閉まっており、コンビニだけが営業していた。しかし、1時間も滞在するのに全国展開のコンビニ弁当というのはつまらない。駅前の商店街を歩いてみた。ほとんどの店でシャッターが閉まっていたが、歩道に流れるローカルな内容のラジオ放送が印象的であった。営業中の1軒目の飲食店を見つけたが、店の人と客が話し込んでおり、入れそうな雰囲気ではないので入るのをやめた。2軒目の飲食店に入った。注文してからの待ち時間が長く、メニューは種類が少ないわりに高額で、満足な食事ができなかった。

 

名寄2156→旭川2327 宗谷本線334D 単行 キハ40-761

 名寄駅は2130から翌朝500の間は待合室が施錠されており、その間はトイレも利用できない。

 名寄にて車内に大きな蛾が入ってきて、若い女の子達が大騒ぎしていた。デッキの扉を閉める事で一応の解決を見たが、ワンマン運転ゆえに彼女たちは下車時には蛾がいるデッキを恐る恐る通って下車していった。

 

 夜で暗くて外がよく見えないわけだが、この区間を往路に乗った「快速なよろ1号」では通過してしまった駅のうち、気になる駅をよく見ておいた。

 蘭留は、かつて客車編成の「急行利尻号」が塩狩峠越えの補機を連結する為に運転停車した駅である。

 

 永山あたりから乗客が増え出した。新たな乗客が扇風機を点け出したので、私は別の席へ移った。

 

 旭川に到着した。大満足の宗谷本線の旅が終わった。

 

旭川宿泊  

 今回は青春18きっぷそのものにもこだわった旅である。青春18きっぷで割引が受けられるホテルを選んだ。本当の事を言えば、その割引価格よりも安いホテルは他にもある。さらに言うと、宿泊したホテルは青春18きっぷによる割引よりもインターネット予約による割引の方が百数十円安いのである。しかし、インターネットやクレジットカードで何かを申し込むとキャンセルや変更が生じた時に何かと面倒なので、百数十円高くついても青春18きっぷによる割引で申し込んだのであった。

 

宿泊と旅情について…夜行列車を特集した書籍なんかで時々述べられているが、ホテルってそんなに旅情が無いのか? 私はそうは思わない。重い荷物を客室に置いて身軽な姿で見知らぬ街へと飛び出す思いは、非日常そのものである。また、テレビを点ければ地域特有の番組やCMも目にする事ができる。地方の見知らぬ街での宿泊は旅情満点だと私は思う。

 

 さて、日曜日の夜から月曜日にまたがる深夜なのだが、旭川駅前にはものすごい数のタクシーがいた。客を拾えるようには思えないが、いつもあんな感じなのだろうか?

 

2008728日(月) この日は振り替え休日 

 いよいよ北海道を離れる日だ。

 

 ホテルの客室から高架化工事中の旭川駅を望む。右前方が札幌・函館方面である。

 旭川は北海道第二の大都市だが、月曜日の朝9時前後でも道路はそれほど混んでいるようには見えなかった。

 駅のKIOSKへみやげを買いに行った。旅行に出発する際に約束したあの人にはやや高価な物を購入した。フフフ…。

  

旭川駅前950→旭川空港10:25 旭川電気軌道(旭川空港線バス)

 旭川駅前バス停は始発の乗り場ではないが、最前列の席に乗れた。バスは結構な乗車率であった。

 北海道らしいこのような道を愛車で走ってみたい。

 

旭川空港11:25→羽田空港13:10 (実際は10分遅れの運行) SKY604便 機種737

 クレジットカードでの予約をしていた航空券を受け取り、荷物の検査場に向かった。私は大きな鞄を持っていたが、そのまま乗ってもよいとの事であった。ちょうどその時は私の魔法瓶は空であったが、美人検査員さんが中を開けて確認していた。

 折り返しSKY604便となる機体の到着が遅れており、実際は1125から機内への案内を開始し、1135発となった。航空機のダイヤにもずいぶん余裕が無いものだ。

 

 航空機に乗るのは6回目である。かつては航空機運賃は高額なものだと思っていた。さらに、最上級席へのこだわりもあったのだが、近年の激安の航空機運賃を知って今回から考えを変えた。

 私は基本は鉄道好きだが、航空機に乗るのも好きである。離陸の時の加速とかドキドキ感がたまらない。

 航空機は雲の上に行ってしまうとおもしろくない。このように地上が見える時が楽しいのである。高い所が大好きだ。

 

 以前はスーパーシートばかり乗っていたので前方の席しか乗った事が無かったが、今回は全席一般席なので、翼の動きが見える後ろの方の席を予約した。翼を見ていると動きがおもしろく、クッタ・ジューコフスキーの定理について思いを馳せてしまう。

 

 後ろの席はバカギャル2人組だった。私は上空で眠っていたのだが、激しい揺れとそれに伴う彼女たちの叫び声で目が覚めた。こいつらは携帯電話を使わないように乗務員から頻繁に注意を受けていた。次に携帯電話をいじりだしたら怒鳴りつけてやろうと思っていたが、離陸後から着陸後まではいじらなかったようであった。着陸直後には再び注意されていた。このように他人を危険に巻き込んでもなんとも思わないバカって隔離できないものなのか?

 

 今回乗った航空機は座席の前後間隔が狭いのには驚いた。航空機においては、シートピッチが鉄道の特急普通車程度でも格上の席として扱われるぐらいだから、航空機の一般席なんてこんなものなのだろう。しかし、国内線で2時間程度ならば何とか我慢できるだろう。今後は安い航空運賃を活用して短い日数で遠くへ行ってみようと思った。ただし、安い運賃の運輸事業者は安全面にやや不安がある。実際にスカイマークエアラインズでは乗務員が確保できなくて欠航が相次いでいる。とりあえず、航空機の場合は無事に飛んでくれればそれでいい。

 それにしても速い。昼に北海道の旭川を飛び立って、その昼のうちに東京である。本当に魔法のような速さだ。人類はすごいものを発明したものだと感心する。それと同時に、こんなに安く乗ってもいいものなのかという後ろめたさも感じた。

 東京国際空港(羽田空港)に無事到着した。大満足の北海道旅行が終わった。ありがとう、北海道。

 

 

【番外】  200894日公開)

 2008812日(火)夜からの帰省を目的とした旅行予定を公開していたのだが、812日(火)まで出張が入ったので、その夜の「臨時快速ムーンライトながら91号」に乗るのは難しくなった。

 出張が入ったから旅行予定が潰れたという事も公開してしまったので、810日(日)から813日(水)までの移動について少しだけ公開しておこう。

 

2008810日(日) 出張に出発

 前日入りの出張だ。同行者が2名いるのだが、この2名は車の運転ができず、また、私も右ハンドル車の運転が困難なので、全員公共交通機関で行く事になった。出発が平日ならば職場から高速バスで行かされるところだが、休日の出発なので私は自由に特急グリーン車で行く事にした。高速バスとの差額は当然ながら自腹である。なお、目的地は高速バスで行く方が便利なのである。

 ところで、多客臨時の特急で183系や189系の編成に乗ろうかなと思っていたところ、それらの編成からグリーン車が消えているではないか。E351系の「特急スーパーあずさ号」に乗る事にした。

 

八王子1632→塩尻1824 中央本線23M「特急スーパーあずさ23号」 グリーン車 12連 サロE351-4

運転区間 新宿1600→松本1834

 E351系は、JR東日本が所有する唯一の振り子式特急車両である。しかし、製造コストのわりには劇的な速達効果も見込めない事から、わずか5編成しか製造されなかった。古い183系の置き換え用としてはE257系が主体になったのであった。

 E351系専用ダイヤの列車は、E257系による列車より速いのは事実である。八王子-甲府間86.7km無停車の列車同士で比較しても、この区間でも数分の開きが出ている。

 

 サロE351には客室半ばに不自然な仕切りがある。これは、かつて禁煙席と喫煙席とを区切っていた間仕切りの名残である。今では全車禁煙である。なお、サロE351にはトイレ洗面設備が無い。

 

 毛布を探してみたが、客室内には無かった。この座席にはシートヒーターが付いているから毛布が常備されていないのであろうか。後ほど車掌氏が毛布を持ってきてくれた。

 茅野で多くの下車があった。この茅野にて、通路を挟んだ反対側の人が忘れ物をして下車した。届けようとしたが間に合わず、それを塩尻駅の駅員氏に渡しておいた。

 下諏訪通過中に放送が入った。なんと、中央西線が倒木の影響で不通になっているとの事だ。塩尻では、1803発の名古屋行き「特急ワイドビューしなの22号」が足止めされていた。驚いた事に、窓口では発車を遅らせている特急の指定券を発券できるようである。

 

出張先

 出張先では、ホテル近くの駅へ何度か赴いて816日発の「寝台特急はやぶさ・富士号」の寝台券を頼んでみた。「寝台特急はやぶさ号」の禁煙の空席が出たのだが、もたもた対応されているうちに無くなってしまった…。

 

2008812日(火) 帰着 

岡谷1937→八王子2135 中央本線84M「特急あずさ34号」 9連 クハE257-111

運転区間 松本1921→新宿2209

 高速バスが満席なので、3人で鉄道利用にした。この場合は鉄道の交通費が支給されるのだ。

 この列車は、「スーパー」が付かない「特急あずさ号」としては珍しく小淵沢には停まらない。

 ガラガラの自由席で同僚と食事や会話を楽しんでいたが、甲府から混みだした。

 「特急あずさ34号」は、茅野から甲府までの40分近い無停車とは対照的に、甲府を出ると、石和温泉、山梨市、塩山、と5分おきに小刻みに停車する。

 

 なんと、八王子駅にて、816日発の「寝台特急富士号」の寝台券が取れた。しかし、喫煙のスハネフだ…。とりあえず残り1席だけなのでこれを購入した。同時に、12日夜の「臨時快速ムーンライトながら91号」の指定券を手放した。これにて、「SLやまぐち号」と「寝台特急はやぶさ・富士号」を目的とした第2旅程に行ける事が確定したのであった。

 出張が決まった時点で、この夜の「臨時快速ムーンライトながら91号」の旅程を諦めた。だからと言って、出発時間を遅くできる「臨時快速ムーンライト信州81号」で出かけようとも思わなかった。この夜はゆっくり眠って、翌日の日中の列車で関西へ帰省する事にしたのであった

 

2008813日(水) …青春18きっぷ3日目  200897日公開)

 東京の自宅から関西の実家への帰省である。目が覚めるまで寝て、昼近くから東海道本線経由で帰省した。あまりにも通り慣れた道であり、もはや旅行気分ではない。

 「快速アクティ号」から乗り継いだ熱海1414発の1445Mは、わずか3連で激しく混んでいた。沼津の先では、進行方向左側に貨物駅の予定地がある。貨物駅予定地を示す札と貨物駅断固阻止の意思表示をする札が交互に立っているような感じだ。私は、混雑して座れないこの列車には乗り続けず、興津始発の列車に乗り換えた。それでも静岡から先は同じ旅程になる。

 静岡では、先程の1445Mで顔を見たような乗客が多数乗り込んできた。ところで、先程の1445Mから大きな荷物を持った乗客が多く目に付いたので時刻表を調べてみた。案の定、「臨時快速ムーンライト九州号」に繋がるスジだ。時間帯をずらす事を考えてみた。

 この先の旅程を睨んで、豊橋で駅外に出て食事にした。豊橋駅はすっかり新しくなっていた。

 金山1915始発の2535Fに乗り込んだ。この列車は大垣で乗り換える事なく米原まで行けるのである。金山発車後には、名鉄快速特急との競走が見られた。少し後に発車した名鉄快速特急がこちらの快速2535Fに追いついてきたのだが、結局はこちら2535Fが引き離した。時刻表を見たところ、その名鉄快速特急は中部国際空港発の名鉄岐阜行であり、この先の岐阜までの停車駅数は2535Fと同じである。名古屋と尾張一宮発車後にも同じような競走劇が見られた。駅発車後の加速は名鉄快速特急の方が高そうだが、駅間の運転速度は2535Fの方が高そうである。結局、JR快速の方が1分早く岐阜に着くダイヤになっている。

 東海道本線は何度も通っているが、興津と金山は今回初めて途中下車した。

 

 

2008814日(木) …実家滞在

 

2008815日(金)

 この夜から山口へ向けて出発するのだが、実家でパソコンをいじっていたところ、なんと翌夕九州発の「寝台特急はやぶさ・富士号」のB寝台車が禁煙・喫煙ともに空席が出ていた。禁煙席へ変更したかったので、すぐさま実家最寄のみどりの窓口のある駅へと向かった。なんと、「寝台特急はやぶさ号」のB個室が取れてしまった。「寝台特急はやぶさ・富士号」のB個室ソロは、開放B寝台と同じ料金でありながら設備が良い個室であり、寝台券の入手が困難な人気車両である。すでに禁煙席が取れていれば、今回の個室獲得は無かったであろう。なんて運がいいのだ。

 

 

【第2旅程】 「往年の一等展望車マイテ49」と「寝台特急はやぶさ・富士号」  2008930日公開)

2008815日(金) …青春18きっぷ4日目

 この日関西の実家を出て、一度西方の山口へ行ってから東京へUターンする事になる。実家がある関西を素通りしてUターンするというのはあまり気分のいいものではないが、夏休みの日程の都合で仕方がない旅程なのである。

 翌16日の旅程には未確定部分が多い。「臨時快速SLやまぐち号」と「寝台特急はやぶさ・富士号」が旅程の核であり、その前後は特に決めなくてもいいのである。

 当初の考えでは、「(下り)臨時快速SLやまぐち号」に乗って、未乗区間である三江線と福塩線に乗った後で福山から「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗る予定であった。しかし、「(下り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券は取れなかった。後になってようやく「(上り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券が取れたのである。

 せっかく名車マイテ49に乗れる機会なので、上りのみならずできれば下りも「臨時快速SLやまぐち号」にも乗ろうと考えるようになった。しかし、この旅行に出発する前日においても「(下り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券は入手できなかった。

 

新大阪2159→(翌朝)門司(所定)553 実際は8時頃着

東海道本線・山陽本線9231レ「臨時快速ムーンライト九州号」 8連 スハフ14-202 EF66-50 EF81-411

 「寝台特急なは・あかつき号」がなくなった今、新大阪駅17番・18番乗り場に「九州方面 ブルートレイン」という表記は無い。

 いよいよ「臨時快速ムーンライト九州号」の入線である。あれれ、ヘッドライトの位置が低い。先頭の機関車はEF65形ではなく、EF66形だろうか。案の定、EF66形であった。「寝台急行銀河号」がなくなった今、EF65形が運用に就く旅客列車は関西と九州・四国を結ぶ「臨時快速ムーンライト○○号」だけになっていたのだが、ここにもEF66形が活躍するようになったようである。

 8号車指定席が取れていた。8号車だと展望室の付いたオハフ15形だろうと思っていたのだが、なんと両端がスハフ14形の編成だ。ディーゼル発電機の騒音と振動に一晩中付き合う事になったのである…。

 

★★先行列車が鹿と衝突し、2時間遅れ★★

 姫路をなかなか発車しない。先行列車が有年-上郡間で鹿と衝突して走行不能になり、修理中との事である。姫路を数分の遅れで発車したが、本来は停車しない網干で足止めを食らった。

 後続の221系や223系の列車が続々と網干に到着している。鹿と衝突した先行列車は連結器部分が損傷しておりまだ直らないらしい。意外な事に、上郡行きがこの「臨時快速ムーンライト九州号」よりも先に発車した。

 

 網干での運転停車の間、車掌氏からいろいろな話が聞けた。

 増えすぎた鹿を動物愛護法で殺す事もできず、列車の定時運行に支障が出る事が多くなったらしい。貨物列車ならば機関車が頑丈なのですぐに復旧できるが、電車の場合は機関車に比べるともろいので今回の連結器部分の損傷については復旧に時間がかかっているようである。

 また、2005年の福知山線の大事故以来、JR西日本の車掌は列車運転に関する業務に専念する事になり、青春18きっぷに日付印を押すといった業務は乗客からの申し出によってなされるように変更されたとの事である。

2008816日(土)…青春18きっぷ5日目

 1202時間近く遅れてようやく網干を発車した。網干での運転停車中に日付が変わって、すでに16日(土)である。この「臨時快速ムーンライト九州号」は、東海道・山陽区間を寝台特急並みの表定速度で駆け抜けるダイヤなので、2時間近くも遅れたら絶対に回復不可能である。今回の旅程においては、この列車が遅れても私には全く影響が無い。

 智頭急行線から来て岡山に向かう乗客が山陽本線に乗れなかったとの事で、この「臨時快速ムーンライト九州号」に乗せるらしい。そのような訳で上郡でも運転停車した(1:45)。

 岡山226

 糸崎(運転停車)330 

 

 朝、運転停車する徳山の手前で目が覚めた。気のせいかかなりの速度で走っているように思えた。

 徳山には557に到着した。徳山600発の523Mの前にぎりぎり滑り込んだようである。

 列車が遅れているからといって、新山口のような主要駅に臨時停車させる事も無い。朝の7時頃であっても堂々と主要駅を通過する。その様はまるで往年の特急列車みたいだ。

 下関には2時間遅れの740に到着した。この旅行の出発時点での考えでは、下関にて「(下り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券が取れたら、小野田線と宇部線を訪問してから新山口に向かう予定であった。しかし、「臨時快速ムーンライト九州号」の大幅な遅れによってその選択肢は外れた。九州の門司まで行く事にしたのである。

 門司には8時頃着いた。わずか一駅とはいえ、九州まで来られた事がうれしい。

 

★★おいでませ山口へ デスティネーションキャンペーン★★

 2008年の71日から930日までは、「おいでませ山口へ」というデスティネーションキャンペーンが繰り広げられており、山口県、九州の門司地区、島根県の津和野地区がその対象となる。いい時期に山口方面への旅程を組んだものだと思う。

 

 

門司809→下関815 山陽本線232M 4連 クハ411-106

 関門間を普通列車用の車両に乗るのは初めてである。先頭車両に乗ってみたが、運転席後ろのカーテンが閉められていて、前面展望は叶わなかった。

 

 下関では「寝台特急はやぶさ・富士号」を目撃した。あれの「富士編成」がこの夜に私が乗る「はやぶさ編成」の相棒になるのである。

 門司でも下関でも「(下り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券が取れなかった。もうこれで何の迷いも無く山陰本線経由で津和野を目指す事にする。

 

★★山陰本線 幡生→益田間 初乗車★★

 山陰本線の益田⇔幡生間は、2005年に「特急いそかぜ号」がなくなって以来、ここを走る優等列車は無いのである。

下関855→小串939 山陽本線・山陰本線856D 2連 キハ47-1102

 232Mから1分の接続で小串行きの854Dがあるのだが、小串から先の旅程は一緒になるし、下関にて「(下り)臨時快速SLやまぐち号」の指定券の購入を試みたかったので、854Dに慌しく乗り込むのは避けたのであった。

 

 車内にて、実家で持たせてくれたお弁当を食べた。

 幡生では、廃止になった寝台列車の客車群を見かけた。一部は解体されかかっているみたいである。寂しい光景だ。

 幡生で行き違った861D3連だが、後ろ2両は「みすゞ潮彩」の編成であり、座席指定車両は締切扱いにされている様子であった。

 山口県特有の黄色いガードレールが所々目に付く。

小串946→長門市1055(実際は雨の影響で約10分遅れ) 山陰本線964D 単行 キハ40-2096

長門市1112→益田1301 山陰本線1568D 単行 キハ120-17

 なんと、激しく混んでいるのに小さなキハ120形の単行である。子供連れの方が私の為に席を詰めてくれた。

 ここでの見所は萩市内の駅である。市の玄関駅は、萩ではなく東萩である。この両駅を見てみたかったのだ。ちなみに萩市は三角州の町として有名であり、山陰本線はその三角州を囲むように通っている。

 

 益田では、駅構内にて、実家で持たせてくれたお弁当を食べた。歯ブラシを落下させてしまったので、駅前のドラッグストアにて歯ブラシを買った。

 さすがにUターンの時期という事もあって、益田1325発の「特急スーパーおき3号」の時間帯には別れの場面が多く見られた。

 

★★山口線 初乗車★★

益田1403→津和野1446 山口線2548D 2連 キハ47-3501

 山口線は、県の代表駅である山口駅を通る唯一の路線だが、幹線ではなく地方交通線である。町が開けていない地域を通る路線なのだが、並行する国道は旧一級の9号線なのである。そういう点も見逃せない。

 津和野駅前は、観光地の華やかさに満ちていた。

 

★★★「臨時快速SLやまぐち号」 マイテ49★★★  2008107日公開)

津和野1536→新山口1730 山口線9522レ「臨時快速SLやまぐち号」

C56-160C57-1、専用125 + マイテ49-2

 津和野駅構内で親とはぐれて泣いている女の子を見つけた。長年憧れたマイテ49が目の前にあり、他にも重連の蒸気機関車など撮影したい物がたくさんあるのだが、私は泣いている子どもを放置できない。すぐさまその子を改札口に連れて行って、保護者を呼び出す案内放送をしてもらった。

 

⇒独立コーナー (往年の一等展望車マイテ49 「SLやまぐち号」の旅)

 蒸気機関車の復活運転で有名な山口線の「SLやまぐち号」であるが、近年は夏の1ヶ月ほどの土日を中心にマイテ49が連結されて、蒸気機関車も重連となる。蒸気機関車の重連運転にたいした関心は無いが、往年の一等展望車マイテ49に乗る為に山口まで行ってきた。

 マイテ49-2の実車に対面するのは約20年ぶりである。展望デッキの手すりが嵩上げされて久しいが、白帯一等展望車の雰囲気は健在である。外観上で着目すべきは3軸ボギー台車である。揺れを軽減する為に一つの台車に3つも車輪が付いている。車体構造面においても特別中の特別だったのだ。

 

 10分ほど停まる山口駅では、以前から気になっていた山口駅を見学した。

 新山口に17:30に着いたのだが、この時間から新幹線に乗っても当日中に東京の自宅まで帰り着く事ができる。しかし、この後は「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗るのである。旅は続く…。

 往年の一等車マイテ49に青春18きっぷで乗せていただいたのはそれはそれでうれしいが、なんだか申し訳ない気もする。この車両の歴史的背景や上質さを考えると、フリースペース扱いはいただけない。エアコンと使用停止中の便所洗面所設備を更新すれば、今なお特別車両として十分通用するはずである。交通科学館からわざわざ復活させたぐらい文化的価値の高い車両なので、“走る文化財”としてそれ相応の扱いをするべきであろう。

 

新山口1802→岩国1953 山陽本線570M クハ115-165(日)(20081012日公開)

 この後は「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗って東京に戻るのだが、入浴場所として見つけていた岩国へと向かう。

 

岩国にて

 岩国の銭湯では地元のおじさんに「いい時計してるね」と話しかけられた。彼は錦帯橋を見にいったらいいのにと勧めてくれた。夜だが駅前や商店街は賑やかであり、さすがに米軍基地の町らしく外国人が多く目に付いた。駅前のラーメン店で食事をしたが、メニューの種類が少なくて満足な食事ができなかった。コンビニで2食分の食事を買い込んで22時前に駅へと向かった。

 駅においてその時点でとんでもない事を知らされた。九州地区の大雨の影響で「寝台特急はやぶさ・富士号」が3時間遅れているとの事である。

⇒この先は独立コーナー (最後の東海道・山陽ブルートレイン「寝台特急はやぶさ・富士号」 4時間遅れの名演)

 なぜ所定の発車時刻間際に案内されるのか。3時間も遅れているならば、もっと早く案内があってもいいはずだし、新山口にて「(上り)SLやまぐち号」を降りた17:30頃に案内があってもよかったはずである。この夜は運転されるからいいものの、運休だと言われたらどこかに宿泊しなければならない。17:30頃の新山口にて運休の案内があれば、山陽地区で宿泊せずに当日中の新幹線で東京の自宅まで帰る選択ができるのである。今回は運休ではなく大遅延であるが、新山口にて案内がなされなかった事がかなり不満である。新山口にて遅延がわかっていれば、もっと西から「寝台特急はやぶさ号」に乗り込む選択ができたのである。

 さすがに岩国で3時間も待つのはきつい。もう少し早く寝台車に乗り込む為に、岩国をもって使用を終えたはずの青春18きっぷを使って山陽本線を西へと戻る事する。「寝台特急はやぶさ・富士号」の遅れを考慮すると、ダイヤ上は下松か徳山まで戻っても大丈夫そうである。しかし、そこまでに向かう段階で前夜の「臨時快速ムーンライト九州号」のような大遅延のトラブルに巻き込まれると困るので、とりあえず安全も考慮して柳井まで戻る事にした。少なくとも、当初の予定通りに福塩線経由で福山まで行ってなくてよかったと思った。

 

岩国2250→柳井2322 山陽本線567M モハ114-3009

 

★★柳井にて★★

 柳井では、「寝台特急はやぶさ・富士号」が3時間半の遅れだと案内された。下松あたりまで戻ってもよかったわけだ…。

 2時間以上の遅れなので特急料金の払い戻しは必至であるが、この夜の「寝台特急はやぶさ・富士号」は運休せずに客扱い運転に踏み切ったようである。駅員氏が言うには、通常ならば運休するような事態だが、この時期はUターンの新幹線も満席なので、「寝台特急はやぶさ・富士号」を運休してしまうと、乗客達には新幹線自由席に乗ってもらわなければならなくなるとの事だ。

 それにしても、柳井の駅員M氏はとても対応が素晴らしかった。私の青春18きっぷの券面を見て驚いていたようで、どこを出発点としてどのような旅行をしてきたのかを尋ねられた。私の「はやぶさB個室」のきっぷを見て「いいきっぷを持ってるね」と言っていた。「“はやぶさ”の車掌も忙しいだろう」と言って、わざわざマルスを再起動させて東京までの乗車券を発券してくれた。他にも、駅前にコンビニがある事や、柳井の見所なども教えてくれた。また、この夜に柳井から「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗る予定の人が他にも7人いるらしく、そのきっぷを持った人達に列車が遅れている旨を連絡したとも話してくれた。

 

2008817日(日)

 

 白壁の町並みこそ見られなかったが、深夜の静まり返った駅前の商店街にて金魚提灯をたっぷり見てきた。

 

 「寝台特急はやぶさ・富士号」の遅れは、3時間38分にまで延びていた。深夜帯で列車本数が少なくなればフルスピードで走れるのではないかと考えたが、そうでもないらしい。駅員氏によると、主要駅では運用を終えた普通列車の編成の入れ換え等もあり、主本線が常に空いているという訳でもないようなのである。ちなみにこの柳井駅も始発終着となる列車が設定されており、プラットホームが3面もある。

 駅員氏達は、大幅に遅れている「寝台特急はやぶさ・富士号」の発車まで窓口にいるとの事である。

 1時頃になると、乗客や見送りの人達が集まってきた。駅員氏達は乗客を乗車位置まで案内していた。私も発車のベルが鳴らされない旨の説明を受けた。私は丁寧に礼を言っておいた。本当に対応のいい駅であった。

 「寝台特急はやぶさ・富士号」が遅れたおかげで、予定外に訪れた柳井を楽しめた。また、「おいでませ山口へ」キャンペーン中の山口県を長く楽しめて良かったのではないかと思えた。

 

★★★最後の東海道・山陽ブルートレイン「寝台特急はやぶさ・富士号」 4時間遅れの名演★★★

柳井(実際)113→品川(実際)1415 山陽本線・東海道本線2レ「寝台特急はやぶさ・富士号」 12連 オハネ15-2001

運転区間(所定) 

2レ「寝台特急富士号」 大分1643→東京(翌日)958

42レ→2レ「寝台特急はやぶさ号」 熊本1557→東京(翌日)958  

113、 3時間38分程遅れて柳井に到着する「寝台特急はやぶさ・富士号」

 

B個室ソロのいわゆる2階席…上り列車では、進行方向に向いて座れる。私は天井の低い所が苦手なのだが、この型のソロ2階席は階段の下だと背を屈めずに立てるので大丈夫である。また、R部にもかかわらず大きな窓が付いており、圧迫感は少ない。

 

 大幅な遅延により、“東海道本線昼行客車特別急行列車の旅”が再現された。

 910頃、名古屋を発車した。名古屋から振替輸送の「新幹線特急こだま540号」に乗り換えた人は、「はやぶさ号」から12人ぐらい、「富士号」からはそれより多くとの事である。

 

 日中の東海道本線を進み、本来は停車しない品川にて運転が打ち切られた。そうは言うものの、都内まで運転してくれたのだからありがたいものだ。名古屋や熱海あたりで打ち切られるのと大違いである。客車列車は東京駅では機回しの必要があるので、ダイヤが乱れた場合には東京発着を品川発着に変更される場合があるのだ。

 さて、遅延による特急券の払い戻しは希望しなかった。払い戻しの場合はきっぷを回収されてしまうようだ。「繁忙期・はやぶさ号・ソロ・大遅延」のきっぷなんて今後絶対に入手できないであろう。3,150円が戻ってこない事を選択したわけだが、これは自身で納得した上での選択であって散財ではないのである。日中の東海道在来線のほぼ全区間を特急列車で、しかも客車特急で行くという経験は、この先いくらお金を積んでも実現しないであろう。十分過ぎる価値があった。

 不眠不休の車掌さん、遅延ダイヤを調整した皆様、それに対応した当該列車や待避列車の運転に関わった皆様、本当にお疲れ様でした。

 

 「寝台特急はやぶさ号」よ、乗せてくれてありがとう。2008年夏の旅が終わった。

 

★★★【あとがき】★★★ 

 稚内駅から郵送で取り寄せた赤い青春18きっぷで九州まで行ってきた。JR北海道で購入したものの、JR北海道管内で使ったのは1日だけである。実質的に“北海道の他移動”といったところか。…冗談はさておき、上掲の写真のとおり、多数の下車印が押されている。偶然にも青森と下関が、門司と稚内がそれぞれ隣り合っている。いかに壮大な旅程であったかがお分かりいただけるであろう。

 

 冒頭でも記したが、旅程に工夫を凝らして心残りを可能な限り一掃してきた。大満足の鉄道旅行であった。第1旅程は北海道という地域志向の鉄道旅行であり、第2旅程は車両や列車を目的とする事に特化した旅程であった。第1旅程においても「特急まりも号」のように一部の列車に焦点を当ててはいるが、これは北海道の鉄道の一部分としての着目点であった。一方、第2旅程においては特定の車両や列車そのものを目的にしており、それゆえにそれらの車両や列車を独立コーナーとしても扱った。第1旅程と第2旅程では旅の傾向が全く異なり、別コーナーにしようかとも考えたぐらいだが、「心残りを可能な限り一掃する」という根幹の部分が同じなので同一コーナーとして公開する事にしたのであった。

 

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2008/7/1(火) 予告開始) 

ネタが多いので、順次公開

2008/8/3(日)  大きく整理し、726日(土)の奥羽越旅行記を公開)

2008/8/9(土)  北海道旅行記「急行はまなす号」・「特急まりも号」を公開)

2008/8/9(土)  813日の予定を変更)

2008/8/13(火)  813日の予定を変更)

2008/8/17(日)  81517日の公開予定)

2008/8/23(土)  北海道旅行記 札幌→札沼線→「特急スーパーカムイ号」→旭川を公開)

2008/8/30(土)  北海道旅行記 宗谷本線紀行→東京着を公開 第1旅程完結)

2008/9/4(木)  【番外】 810日〜12日 出張について少し公開)

2008/9/7(日)  【番外】 813日〜15日 帰省・はやぶさB個室獲得、について公開)

2008/9/30(火)  815日〜16日 「快速ムーンライト九州号」→山陰本線→津和野、について公開)

2008/10/7(火)  816日 「SLやまぐち号」マイテ49、について公開)