往年の一等展望車マイテ49 「SLやまぐち号」の旅  2008816日(土)  

  「鉄道旅行記2008年夏」からのシングルカット       2008107日公開

 

 

 蒸気機関車の復活運転で有名な山口線の「SLやまぐち号」であるが、近年は夏の1ヶ月ほどの土日を中心にマイテ49が連結されて、蒸気機関車も重連となる。蒸気機関車の重連運転にたいした関心は無いが、往年の一等展望車マイテ49に乗る為に山口まで行ってきた。

 

津和野1536→新山口1730 山口線9522レ「臨時快速SLやまぐち号」

 C56-160C57-1、専用125 + マイテ49-2

 

★★★往年の一等展望車マイテ49形★★★  

 マイテ49形は1938年にスイテ37040形として誕生した。三等級制時代の一等車であり、現在のグリーン車とは比べ物にならない雲の上の存在のような車両であった。かつては、お金を出したからといって庶民が上級車両に乗れるような時代ではなかったのである。交通科学館にて保存されていた往年の特別急行一等展望車マイテ49-2は、国鉄末期の1987年に整備の上で本線上に復活し、JR西日本に引き継がれて現在は臨時列車で活躍している。

 

津和野駅の側線にて待機する「SLやまぐち号」の客車編成

 マイテ49-2の実車に対面するのは約20年ぶりである。展望デッキの手すりが嵩上げされて久しいが、白帯一等展望車の雰囲気は健在である。外観上で着目すべきは3軸ボギー台車である。揺れを軽減する為に一つの台車に3つも車輪が付いている。車体構造面においても特別中の特別だったのだ。

 なお、この車両の乗降扉は締切扱いである。それゆえに、入線間際になると隣の5号車乗り場のところには人だかりができた。しかも列にはなっておらず、群がるといった感じでみんな殺気立っていた。そう、この人たちはフリースペース扱いのマイテ49が目当てなのだ。

 何とか車内に入り込みマイテ49に席を得た。ついに長年憧れた車両の車中の人となれたのであった。

 

 事前に知り得た情報によると、一般客はマイテ49にやって来ても、車内の暑さに参ってすぐに自席に戻ってしまうとの事であった。しかしこの日は曇っていてそれほど気温が高くないせいか、マイテ49の車内はほんの少し暑い程度であった。それゆえに多くの一般客もマイテ49を楽しんでいた。なお、この車両のエアコンは、一般的な鉄道車両用ではなく、「霧が峰」であった。これには驚いた。

 

 重厚な一人掛けの座席が並ぶ一等室。写真奥が展望室であるが、一等室と展望室の間には固定の向かい合わせの席がある。どの席にも座席番号が付けられているが、3種類の設備で居住性があまりにも違う気がする。

 

 一等室の重厚な一人掛けの座席は、リクライニング機構が無い戦前の形態である。自在に向きを変える事ができるが、クルクル回ってしまうような椅子ではなく、ある程度力をかけないと向きは変わらない。すごい造りだ。見てのとおり、隣の席との間隔は狭く、足を伸ばすならば通路側を向く必要がある。また、背もたれは高くない。なお、展望室のソファは背もたれがかなり低い。はっきり言って、混雑していない時の特別二等車(スロ60形や後の優等グリーン車)の方が快適ではないかと思えた。

 

 足元にも目を転じてみると、暖房の覆いにも凝った意匠が施されていた。さすが特別車両だ。わかる人にはわかると思うが、各種内装品の造りも良い。

 

 

 マイテ49には譲り合って座るように案内されるのだが、いつもヲタが占拠しており、以前からマナーの悪さが指摘されていた。マイテ49に乗りたい人が代わる代わるやってくる状況でも座席で眠り込んでいる奴もいた。私は、兵庫県から来たヲタ氏と交代で席を使う事にした。しかし、旅程の後半では空席も見られた。

 

 マイテ49から離れて自分の指定席や他の車両にも行ってみた。せっかくなので「SLやまぐち号」の他の客車についても触れておこう。レトロ調に改装された12系客車の専用編成である。5両それぞれに特色を持たせている。明治風の車両は背もたれがやたら低く、あれに乗るのは避けたいと思う。展望車風や欧風は客室内の配色が美しいと思う。

 

 停車駅を発車する際には「ハイケンスのセレナーデ」で始まる車内放送が大音量で流され、車外に出ている乗客にも発車がわかるようになっている。

 各停車駅を発車する際には、2台の蒸気機関車がそれぞれ汽笛を鳴らす。これを聞くだけでも貴重な体験だ。さらに、今回はマイテ493軸ボギー台車が奏でるジョイント音もある。“音の旅”と考えても極めて贅沢なのである。

 

 「おいでませ山口へ」のキャンペーン中という事で乗客には記念品が配られた。

 また、蒸気機関車の重連運転とマイテ連結という二つの見所を一度に持ってくるから沿線は大変な事になっている。駅や沿線の道路には撮影する人がたくさんいた。ひどいのになると、列車の方を見て撮影しながら車を運転しているバカまでいた。沿線住民にとっては、生活の安全に関わるような事態である。

 

 

★★★山口駅★★★

 上りの「臨時快速SLやまぐち号」は、山口駅に10分ほど停車する。私は山口駅にも関心があったので、この旅程は好都合なのであった。山口駅は県の代表駅としては唯一、幹線ではなく地方交通線上にある。非電化単線で乗り場も少なく、駅前の様子にものすごく関心があったのである。言うまでも無く、山口県内の山陽本線には山口駅より大きな駅はたくさんある。

 旧山口市は山陽本線の乗り入れを拒んだから発展しなかったと言われている。平成の大合併の前には、県内に山口市よりも人口の多い市は23あったぐらいである。山口市は現在でも下関市より人口が少ない。

 駅は、改札に面した対面式ホームが3番乗り場となり、跨線橋を渡った島式ホームが12番乗り場となる珍しい形態である。

 

山口駅前の様子。写真の左側が山口駅。

 

山口駅に停車中の「臨時快速SLやまぐち号」…先頭の機関車がホームの端付近に停車しているが、最後尾のマイテ49は車体の後ろの方がホームから外れる。12番乗り場はせいぜい7両編成が収まる程度のホーム長のようである。

 なお、上掲の写真で機関車のナンバープレートは赤くなっているが、この前日までは黒であったらしい。

 

 

 山口の隣の湯田温泉は特急停車駅であるが、11線の簡単な構造である。

 湯田温泉を発車すると終点の新山口にかけては結構な高速運転が見られた。具体的な速度はわからないが、多くの乗客たちがその速さについて話題にしていた。高速旅客形のC57形が速いのはわかるが、小型機のC56形でも意外と速度が出せるようである。

 

 

 往年の一等展望車マイテ49の旅が終わった。

 新山口では、客車編成の回送をDE10形ディーゼル機関車が担当し、蒸気機関車は別の線路を通って自走回送していった。

 

 新山口に17:30に着いたのだが、この時間から新幹線に乗っても当日中に東京の自宅まで帰り着く事ができる。しかし、この後は「寝台特急はやぶさ・富士号」に乗るのである。旅は続く…。

 

 往年の一等車マイテ49に青春18きっぷで乗せていただいたのはそれはそれでうれしいが、なんだか申し訳ない気もする。この車両の歴史的背景や上質さを考えると、フリースペース扱いはいただけない。エアコンと使用停止中の便所洗面所設備を更新すれば、今なお特別車両として十分通用するはずである。交通科学館からわざわざ復活させたぐらい文化的価値の高い車両なので、“走る文化財”としてそれ相応の扱いをするべきであろう。

 

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