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ガイウス・プリニウス・セクンドス
Gaius Plinius Secundus(23〜79)

ローマの遥か北、コムムに生まれ、ローマに出て教育を受けた。その後、ゲルマニアで軍務(47-51)、 52年にローマに戻った。68年に皇帝ネロが死去し、ウェスパシアヌス帝時代になると重用され ヒスパニア(スペイン)総督となった。
ミセヌムの艦隊司令長官だった79年に、ウェスウィウス火山噴火 (ボンペイの街が溶岩や灰で埋った噴火)の観察を続け非難不可能となり、生命を落としたといわれる。 詳しくは、住民の避難を指揮した後も観察を続け、その際の有毒ガスが死因ともいうが、 一説には、すぐに助け起こされたとの記録もあり、何故、助けた従者はガス死しなかったのか?、 また、遺体が放置された挙句、2日後に付近の海岸で見つかった、奴隷に襲われたなど明確なところははっきりしない。

一般に大プリニウスと呼ばれる。甥も学者で小プリニウスと呼ばれ、大プリニウスの死の記述を残した 書簡集が有名。

『博物誌』

大プリニウスが友人であり、後の皇帝ティトスに献じるため著した全37巻からなる天文地理、 動植物、薬物、鉱物、芸術品等、 紀元1世紀における知識を全て詰め込んだといっても過言では無い まさに百科全書。
この著書は近代に至るまであらゆる博物学・自然学の聖典ともいうべき存在であり、 その後の博物学書の多くに引用されている。

但し、全ての内容をプリニウス自身が実際に確認した訳では無く、先人の書や風聞、伝承が多く 引用されており、真実、幻想おりまぜた内容となっている。(一角獣や不死鳥、巨人なども実在 するものとして記載されている。)
第1巻でティトスへの献辞と共に、先人の約500人、2000の書物から各部抜粋引用している ことを明言。
先人の著作などを忠実に記載したため、体系的、科学的正確さに欠けるなど批判される事もあるが、 翻せばそれは当時の人々の考えや、様々な逸話の宝庫、忠実さであり、古代を知る上での最重要書籍の一つであ ることは間違い無い。

グーテンベルクが活版印刷を開発し、聖書の次に印刷した古典はアリストテレスを差し置き 「博物誌」だった。(1469年刊行)
※プトレマイオス『地理学入門』が先?

それまでも手写本で読まれていたが、これによって、学者、詩人、一般人に急速に普及し、 中世博物学大ブームの火付け役、ひいては大航海時代の航海者達に夢見させる世界を形成した。


◎著作
■Historia Naturalis 『博物誌』
■『ゲルマニア戦記』
■『文法上の曖昧な表現』
■『騎兵の槍術』
■『弁論術学習案内』
他多数の著作があったらしいが現存は『博物誌』のみ


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