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第33巻〜37巻 『鉱物・金属・絵画・石・建造物・宝石』

第33巻「鉱物」
第34巻「金属及び彫刻」
第35巻「顔料及び絵画・画家」
第36巻「石及び建造物」
第37巻「宝石」

最後の5巻は最も多彩な内容が語られる。 貴金属を論じるうちに指輪と騎士身分の発生に及び、また銅の話から 彫像、その代表的作品・作家、そして絵画の歴史・作品・作家・絵具と その製法、陶芸、大理石の話から歴史的あるいは公共的建造物について、 水道や舗装について、また各種の石、石灰、セメント、ガラスなどが著 され、その間にも、それぞれの材料の薬物としての効用についても記述 している。

最後の37巻「宝石」では、昔から人間がいかに宝石に魅せられてき たことか本文から伺えます。
そして一番最後に、この世の最も高価な産物20数種の名を挙げた上、 創造の母なる自然を祝福し、プリニウス自身への仁慈を乞うて、全37巻 の締めくくりとしている。


磁石 「第34巻」「第36巻」「第37巻」

>「第34巻42章」磁石の逸話
鉄は磁石の影響を受けて、その力を長く保持し、他の鉄を引き付ける唯一の物質である。 鉄が他の鉄を引き付け、指輪の連鎖のように吊るされる光景を見ることもあり、人々はこれを 「生きた鉄」と呼ぶ。
建築家ティモカレスはアレクサンドリアのアルシノエ神殿の天井を磁石で造り、王妃の 鉄の像を(磁力で)空中に浮遊させようとした。しかし、王妃自身と工事を命じたプトレマイオス2世 も他界したため、この計画は中止された。」

>「第36巻25章」磁石の語源
磁石は別名シデリティス(鉄石)、またヘラクリオン(ヘラクレスの石)と呼ばれる。 ニカンドロスによれば、イダ山で磁石を発見した者の名前をとって、マグネスと呼ばれる ようになったという。
しかし実際にはヒスパニアを含む多くの場所で見つかり、ある羊飼いが放牧中に自分のサンダルの 鉄と杖の先端が磁石にくっついたのを始まりと言う説もある。

>「第37巻15章」何で流布した?不思議な伝承
ダイヤモンドは磁石に対して非常な反発性を持ちっていて、磁石の近くに置くと、磁石が鉄を 引き付けるのを妨げ、磁力を失わせてしまう。」
・・・このダイヤモンドの反発性は何故か広く流布し、少なくともゲルウァシウス「皇帝の閑暇」1214年には 記載されてました。


迷宮 「第36巻19章」

「今までに建造された最初の迷宮は伝説によると、3600年前ペエスキス王、またはティトエス王に よってつくられたという。 ヘロドトスは、その仕事を全て『十二王』によってなされたものとしている」

プリニウスは当代の有名な迷宮を4つ紹介していますが、ここでは最古のエジプト『十二王迷宮』を紹介します。 なお、プリニウスもヘロドトスからの引用で下記内容です。

>ヘロドトス「歴史」より
「十二王は共同で記念物を残すことを決め、モイリス湖のやや南方『鰐の町』とほぼ同じ 線上に『迷宮』を建てた。
私は自分の眼でこの迷宮を見たが、それは真に言語に絶するものという他はない。 (中略)『迷宮』はピラミッドすら凌駕するのである。

迷宮には屋根のある中庭が12あり、6が北向き、6が南向きで、正面入口が相対し、 かつ全て接続しており、同じ外壁で囲まれている。部屋数は各層がそれぞれ1500、 両層会わせて3000ある。」

キルヒャーの著作「バベルの塔」から、次のような記述もあります。
「街ひとつほどの規模もあり、エジプトの12の地方と守護神にしたがって区分されている。 この迷宮には神官が1人住んでおり、迷宮はこれら神々の験力を集める魔法呪法の儀式に利用された。」

>備考
ヘロドトスはこの迷宮を、「十二王」によるものとしていますが、実際には古代エジプトの アメンエムハト3世(BC1842-1797)の葬祭神殿といわれています。
またヘロドトスは、「迷う」といった記述は残してませんが、ストラボン「地誌」によると 「方向感覚を失う」という記述があり、迷宮が迷路の役割を果たしていたか否か今もって分かりません。

さて、迷宮/ラビリンスが「両刃の斧」の意という説がありますが、今日では疑わしいとされており、 ラビリンスの語源もこれまた謎のままです。


七不思議 「第34巻・第36巻」

ビザンティンの数学者フィロン(前1〜2世紀)の著書『世界の7つの美しき建造物』から由来される。
もともとは、不思議の意味では無かったのですが、ギリシア語からラテン語訳の際、不思議に誤訳されました。

また、後世の人々の判断で、フィロンが選定した『バビロン城壁』の換わりに、 『アレクサンドリアのファロス灯台』が数えられるのが 一般的でプリニウスもそれに習っているので、ここで紹介します。(資料まとめ途中ですが・・・)

  
七不思議
『博物誌』
記載箇所
概 要
『ギザの三大ピラミッド』 第36巻
16〜17章
『エフェソスのアルテミス神殿』 第36巻 21章 「雲にそびえるエフェソスの大神殿を見たとき、他の景観はすべて陰にかくれてしまった・・・フィロン」

前560〜546年頃に第1次神殿が建設され、全長425フィート、幅225フィート、高さ60フィート、 127本の円柱があった。356年に放火で焼け落ち、その後第2次神殿が建てられた。
5世紀頃、ビザンティン皇帝テシオドウス2世の異教排除により、神殿は徹底的に破壊され、 現存は復元された円柱1本のみ。

以下、「博物誌」から少し抜粋。
「工事監督の建築家ケルシフロンは、入り口にある巨大な石塊を、所定の場所へ移動させる事が 出来なかった。 苦悩したケルシフロンは自殺の腹を決めようとしていたが、沈思している内に眠ってしまった。
ところが、彼が眠っている間に女神が現れ、死んではならぬと励ました。そして翌日には、石そ れ自身が移動したかのように移動していた。」

『バビロンの空中庭園』 第36巻 20章 人々は王の空中庭園と驚嘆し、天地の間に浮かんでいるという伝説を生んだ。

古代メソポタミアの都「バビロン」市街内に築かれた庭園。
ネブカドネザル2世(BC605〜562)が王妃アミティスのために、故郷の山や森林に似せて建設した。 庭園は一辺約125mの正方形の上に、4辺各々に5段のテラスがあり、高さ約25mと推定されている。

空中庭園の驚異は形状や規模ではなく、ユーフラテス川から水が引かれ、各テラスへと供給するという 完成されたシステムにある。しかし、水の汲み上げ方法や、正確な所在地は今もって謎である。

厳密には「博物誌」にバビロンの空中庭園の記載は無いのですが、左記章に懸垂庭園の記載があるので 、以下少し引用です。 「エジプトにある、テーベの懸垂庭園都市は、そこの住民の誰にも気付かれずに、その下に隊列を 整えて、軍隊を進めることができた。」

『ハリカルナッソスのマウソロス王の墓廟』 第36巻 4章 BC4世紀のカリア人の王、マウソロス王の墓廟。

長さ約33m、幅26m、高さ34m全てに純白の大理石を用い、当代1流の彫刻家を総動員した彫刻の見事さは 墓標というより、キリシアの神殿を彷彿された外観だったという。
1402年にハリカルナッソスは聖ヨハネ騎士団に占領され、墓廟も聖ペテロ要塞とするため破壊されその姿 を変えた。現存は階段と円柱の一部のみ。

博物誌の中で「七不思議」の単語記載があるのはこの部分のみ。

『ロードス島の青銅巨人』 第34巻 18章 BC304頃、アレクサンドロス大王下のデメトリオスに攻撃されたロードス島の人々が戦勝記念に建設した青銅製の太陽神ヘリオス像。

巨像の高さは36m、プリニウスは「ほかのすべての像にまして驚嘆する」といった。 巨人像の股の間を船が往来する想像図があるが、巨像高さが36mであれば、 股下は10数mと推測される。
当時の船の高さは約20mで股下通過は不可能だが、巨像の現存期間は地震による 倒壊で約66年間と7不思議の中で最も短く、詳細な資料も残っていないため、 どのように立っていたかは謎のままである。

『オリンピアのゼウス像』 第34巻 19章
第36巻 4章
彫刻家フェイディアスにより、BC430頃に製作された。

台座を含めた高さは約12.2m。

パウサニアス「ギリシア案内記」から引用。
「ゼウス像の本体は木製で、体の露出部分には象牙、衣服には黄金がはられていた。 オリーブの枝をあらわした冠をつけ、右手には象牙と黄金製のニケ(勝利の女神)の像を持ち、 左手には金属で作られた錫杖を持ち先端には鷲が止まっていた。」

ストラボン「地誌」から引用。
「神は座っているが、頭はほとんど天井に届き、もしもお立ちになったら神殿の屋根を破るであろう」

『アレクサンドリアのファロス灯台』 第36巻 18章 プトレマイオス一世の命により建設が始まり、BC250頃の完成といわれる。

ファロス島の東端約1.2km地点に建設された。
ユフスの「入門書」によると灯台は3層構造で、
『第1層は正4角形で高さ71m、1辺36m、4隅は正確に東西南北を向き、トリトンの像が立っていた。 第2層は正8角形で高さ34m、 第3層は円柱形で高さ9m、 その上に円錐状の屋根があり、頂上には高さ約20mのポセイドン青銅像が立っていた。』

灯台としての機能も優れ、重油を燃やした光を反射鏡に集め、反射鏡を 回転させながら360度を照らし、その光は56km先でも確認できたという。 796年の地震で破損し、その後、灯台の下に宝があるという『噂』により破壊された。


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