鉄道旅行記
「周遊きっぷ 和歌山・高野山ゾーン」 からのシングルカット南海電鉄「特急こうや号」で行く世界文化遺産・高野山
2004年12月30日(木) (2005/1/8 先行公開)
今回は南海電鉄や高野山を周遊ゾーンに持つ切符を持っているので、せっかくだから、南海電鉄「特急こうや号」で世界文化遺産・高野山へ行くことにした。
新今宮
(運転区間:難波
13:41→極楽橋15:15)
他に用事があったので、始発の難波駅まで向かう時間が取れなかった。
「特急こうや号」には、昭和
58年に登場した3代目30000系と平成11年に登場した4代目31000系が就任している。31000系の事はよく知らないが、30000系ならば先頭車は前面展望が期待できる。しかし、1号車は喫煙車なので、反対側4号車の後ろを所望した。確かに後ろの方ではあったが、一番後ろではなかった。丸っこいかわいらしい顔の
30000系4連がやってきた。私より後ろに他の乗客はいなかった。しかし、車掌が女性だったので、乗務員室に近い一番後ろの座席に移ったり、座席を後ろ向けにしたりはしなかった。さて、南海電鉄「特急こうや号」に乗るのはおよそ
15年ぶりである。かつて、30000系電車には大型フットレストが付く赤い座席が装着されており、白い肘掛カバーまで付いていた。豪華設備で名を馳せた2代目20001系の後継者としてふさわしい車両であった。平成11年の改装後はどこにでもあるような特別料金必要車両向けの座席になった。ヘッドレストカバーはピンク色になったが、NANKAIの表記の有無や、色の濃さなど違いが見られる。また、かつてあった車内の売店は消えており、自動販売機が設置されている。南海電鉄の特急停車駅は、ここしばらくでかなり増えた。
15年前の「特急こうや号」は新今宮・堺東・河内長野・橋本に停車していたが、現在では更に天下茶屋・金剛・田園林間都市にも停車する。30000系など高野線の山岳地帯を行く17m級車両は、「ズームカー」と呼ばれる。ズームカーとは、望遠と広角のどちらでも使えるカメラのズーム性能に準えて名付けられた。南海電鉄高野線には平坦線区間と極度の山岳区間がある。条件が全く異なる2つの区間を直通する為に開発されたのがズームカーである、平坦線では100q/hの高速運転ができ、50‰を越える急勾配区間では低速で大きな牽引力を発揮する。
私が見たところ、最高でも
90km/hしか出していなかった。90km/hでもモーターのうなりは高い。この電車は登坂性能は高そうだが、高速走行は得意ではなさそうだ。速度計は120km/hまでである。難波
13:41発の「特急こうや号」は、平日ダイヤでは極楽橋に14:59に着くのだが、休日ダイヤでは、なんと15:15着である。難波から63.6kmなのに所要時間が随分異なる。橋本は
14:30発であり、5分ほど停まる。多くの乗客が降り、4号車の乗客は2人だけになった。ここはJRの和歌山線との連絡駅である。いよいよここからは大型車が入線できない本格的な山岳区間に入る。和歌山線の下をくぐり、紀ノ川を渡る。このあたりはいかにも私鉄らしいカーブが続く。橋本駅の対岸には、国道
370号線が国道に昇格した事を祝う看板も見られた。しばらくは60〜70km/hの走行が続き、国道を走る車より優位である。高野下では上り急行と行き違う為に
14:42頃から14:46まで運転停車する。ここから先、線形はさらに厳しくなる。50‰を越える急勾配と半径100m未満の急カーブが連続する。17m級の短い車体の4両編成だが、急カーブが連続する為に隣の車両の側面までよく見える。35km/h走行が続く。
上古沢では
14:53から15:01まで運転停車する。上りの特急の他、上り特急の後続の急行とも行き違う。平成14年に下古沢の交換設備が撤去されたのだが、それが残されていればもっと合理的なダイヤが組めたであろう。大阪難波直通路線であり、隣の駅まで時間がかかる区間なのに、なぜ交換設備を撤去したのか理解に苦しむ。あたりが雪景色になり、高野山の案内放送が終わると、まもなく極楽橋に到着する。
極楽橋駅は一部のポイントレールにカバーがかけられていた。尋ねたところ、
3・4番線は午前中しか使わないとの事だ。
せっかくの世界文化遺産なので少し観光した。この先観光すると帰りは「特急こうや号」に乗れないのだが、せっかくここまできたからには観光もすることに決めていた。
極楽橋では
5分の接続で15:20発の高野山行きのケーブルカーに乗り換える。極楽橋駅はほとんど乗り換えの為だけの駅なので、改札口へと向かう人影は見当たらない。5分ほどで高野山に到着する。なんと500‰を超える恐ろしいほどの急勾配である。「特急こうや7号」やケーブルカーの乗客は50人ぐらいだった。
10分ほどの接続で、15:30発の南海りんかいバスの奥の院行きがある。
南海りんかいバスは、高野山駅前からバス専用道を通る。この付近のバスも周遊きっぷで乗ることができる。
奥の院に再訪した。別に奥の院に思いがあるわけではない。バスの終点だから訪ねたのである。ここは、物心がついてから
3度目の訪問となる。十数年前に友人ら多くと、平成13年に家族と訪れた。私は宗教は嫌いだが、祀りの形態もここまで定着すれば文化としてその価値を認めてやってもよいだろう。雪を踏みしめて参道を行く。雪を踏む音だけが響く。立ち止まって耳を澄ませば、雪の溶ける音だけが静寂の中に聞こえる。「凛とした空気」とはこういうのを指すのだろうか。
企業の物故従業員の慰霊碑も見られた。殉職者の慰霊碑などは散見されるが、過労死従業員の慰霊碑というものは見当たらなかった。これらも一種のメセナのようなものだろうか。皮肉のひとつも言いたくなった。
さすがに墓所ということもあり、写真撮影は避けた。このような場所では、好むと好まざるに関わらず「“死”とその対極にある“生”」というものを意識してしまう。日常的に意識しない事に思いをめぐらすのもたまには良かろう。
復路は、奥の院
16:36発のバス、高野山17:10発のケーブルカー、および極楽橋17:20発の急行に乗った。ケーブルカーは保温の為に一部の扉しか開放していなかったが、車内は0℃近くまで下がっていた。やはり、旅は一人がいい。見るのも、考えるのも、動くのも、感じるのも、全て自分の感性に素直に従えばよい。無駄なおしゃべりや他の人に歩調を合わせるといったことは、“場を感じる”という点においてはまったくの邪魔である。友人や家族と訪れた時とは異なり、今回の訪問が最も有意義であったように思う。