寝台急行銀河号 オロネ24形プルマン式A寝台車 20034月 2003/4/20日 公開)

 

「寝台急行銀河号」のA寝台車で東京から大阪まで移動した。

 

今回のテーマは、

1. 「寝台急行銀河号」を称える

2. 「寝台急行銀河号」A寝台車で東海道を往く

 

  

1. 「寝台急行銀河号」を称える

 東京-大阪間には、両都市間を2時間台や3時間前後で結ぶ新幹線が多数運転されている。また、両都市圏の各都市間を細かく結ぶ低廉な高速バスも活況を呈している。空に目を転じてみると、新幹線に対抗すべく飛行機も数多く運行されている。そのような東京-大阪間に、全車両寝台車で運転される「寝台急行銀河号」がある。

 昭和39年の東海道新幹線開業以前、東京-大阪間には多数の急行列車が走っていた。もちろん夜行急行も活況を呈していた。現在、首都圏と関西圏を結ぶ夜行列車は「寝台急行銀河号」だけである。ただし、関西圏から首都圏への移動に利用しやすい寝台特急はいくつかある。

 寝台急行列車は定期列車ではこの「銀河号」だけである。寝台車の連結されている急行列車は他にも見られるが、寝台専用の定期普通急行列車は「銀河号」だけである。そもそも、JRの急行列車自体が今や希少な存在である。

 昭和25年に急行列車として初めて名前がつけられたのがこの「銀河号」である。また、3等級まであった時代に、数ある東海道夜行急行の中で1等・2等のみで編成されていた名士列車が「銀河号」のルーツである。

 20系特急形寝台客車を初めて急行に格下げ使用したのはこの「銀河号」である。こんなところにも名門急行の片鱗がうかがえる。その後も14系、24系(B寝台は2段式の25形)と姿を変え、寝台特急とあまり違わない姿で現在も走り続けている。ただし最近では、ほとんどの寝台特急に個室車両が連結されている。その点を考えると、開放寝台のみで編成された「寝台急行銀河号」は一昔前のブルートレインの姿を今に伝える存在だとも言えよう。

 それにしても編成が短くなったものだ。乗客が少ないのである。所定では最高でも寝台車が8両である。多くの場合、2両減車されている。最近では14系座席車による臨時の「急行銀河○号」なども見られなくなった。余談だが、数年前に下りの「臨時急行銀河○号」のダイヤで「臨時寝台特急サンライズゆめ号」が運転された時は驚いた。あれで東海道電車特急なの…って。

 昔はA寝台車が2段式、B寝台車が3段式となっていた。しかし昭和49年、2段式のB寝台車が登場した。それにより、2段式開放寝台のプルマン式A寝台車は急激に存在意義を喪失していった。実際に、その当時は2段式のB寝台車編成に2段式開放A寝台車は組み入れられなかった。元々3段式のB寝台車が2段式へと改造されていく過程で両者の併結が見られるようになった。現在ではA寝台車、B寝台車ともに個室化が進み、プルマン式A寝台車を連結している列車はきわめて少なくなった。現在、プルマン式A寝台車を連結している列車は「寝台急行銀河号」、「寝台特急日本海32号」、「急行きたぐに号」だけである。ただし、「急行きたぐに号」のサロネ581はサハネ5812段式に改造したものなので、元よりA寝台車の車体構造を持って生まれてきた車両は「寝台急行銀河号」と「寝台特急日本海32号」のオロネ24だけしかない。ちなみにオロネ24100番台はオロネ14の電気系統などを改造して24系に編入したものである。元より、オロネ14とオロネ24に外観上の差異はほとんど無い。

 「寝台急行銀河号」を取り巻く状況が上述のようになった現在、東京-大阪間を移動する為に2段式開放寝台のプルマン式A寝台車に乗る理由は自己満足以外にないかもしれない。しかし、私は「寝台急行銀河号」が大好きである。“A寝台車を連ねた寝台急行”なんて今どきすごすぎる存在である。“旧型の”プルマン式A寝台車で夜の東海道を往けば、往年の名士列車の幻影を味わえる。また、乗り物らしい工夫が随所に見られる車内の意匠にもかなり惹かれている。

 

 

2. 「寝台急行銀河号」A寝台車で東海道を往く

 「寝台急行銀河号」に乗るのはおよそ7年ぶりとなる。自分では常連のつもりだったのだが、しばらく乗らないうちに7年も経ってしまった。時が経つのは速いものである。

 東京-大阪間の移動はいつもの事なのだが、なぜか今回は長距離旅行前のような緊張が伴う。緊張の正体の一つをはじめて理解した。それは、絶対に乗り遅れてはいけないというプレッシャーである。

 新幹線に乗るならば東京駅まで来てこれから乗る列車を決めても構わない。また、「快速ムーンライトながら号」の場合は、仮に乗り遅れたとしても座席指定券が安く、昼の移動に切り替えればいいだけなのでほとんど痛みはない。しかし、「寝台急行銀河号」の急行寝台券は高額である。今回私が持っているきっぷは、乗車券とは別に、急行1,260円と寝台9,540円で10,800円もする。これで乗り遅れたり、キャンセルし遅れたら非常に痛い。そのようなわけで、発車時刻の1時間前には東京駅に着いておいた。東京駅に着くまでに事故などで足止めを食らったら悲惨である。

 そういえば、少年時代はうれしい事を待つ時間も楽しいものだった。かつて大阪駅で「寝台急行銀河号」を長い時間待った事を思い出した。

      

 「寝台急行銀河号」の編成は、2210分過ぎに東京駅10番線を品川から神田方面へと回送されていく。数十分後に乗り込むブルートレインに心をときめかせる。4月上旬、深夜のプラットホームは結構寒い。

 東京駅の案内表示では“7両”となっているが、寝台車は6両だけである。機関車の次位の電源車カニ24も含めて7両ということなのか。一般の乗客は機関車や電源車・荷物車を意識しないと思うのだが…。

 それにしても編成が短い。食堂車・車内販売・公衆電話・シャワー…何も無い。寝台特急の多くも似たような状況である。ブルートレインのかつての華やかな頃を知るファンとしては寂しい現実である。

 2249分、神田側から「寝台急行銀河号」が入線してくる。EF65-1108、カニ24-11、オロネ24-103、オハネ25…と続く。カニ24-11の飾り帯は銀テープである。ハネは車齢の関係だろうか最近ではほとんどが100番台である。0番台は1両しか見当たらなかった。印象が若干変わったものである。ハネの飾り帯は全て確認したわけではないが、昔ながらのステンレスであった。

 

 乗降扉からオロネ24に乗り込む。扉を1枚開けた所には乗務員室、ふとんを収納する倉庫、喫煙コーナー、更衣室がある。さらにもう1枚扉を開けた所が寝台客室となる。車内の扉を2枚通ってやっと寝台客室にたどり着けるところがいかにも特別車両らしくて良い。さすがA寝台車である。

 以前は倉庫のシャッターがうるさかったのだが、今回は紙が挟まれており、騒音は無かった。

 

 乗り込むとさっそく検札に来た。非常に丁寧な車掌さんである。検札も放送も非常に丁寧で感じがよかった。

 23時ちょうどに東京駅9番線を発車する。車内放送は、品川発車後から翌朝615分まで緊急の場合を除き中断される。この車内放送の内容や中断時間帯は車掌さんによって個性があり、なかなか面白い。深夜帯に消す電灯にも個性があるのだろうか。今回は、寝台客室内の天井の電灯は全て消されていた。7年前に乗った時には23ヶ所ほど薄く点いていたような気がするのだが…。

  

 上段を選んだ。なぜなら下段よりも安いからである。開放型のA寝台車は上段と下段で寝台料金が異なる。その昔、3段式のB寝台車は段毎に寝台料金が異なっていた。しかし、後に客車3段式B寝台車は同額になったという経緯がある。そのようなわけで、もしも、A寝台車の上段と下段の寝台料金が同額になったら下段に乗ろうと思っていた。せっかくなので安い上段に乗る。 安い方がいいのならば、B寝台車に乗ればよい。あるいは新幹線の普通車でもよい。私は「寝台急行銀河号のA寝台車」に乗りたいのである。ちなみにA寝台車下段の寝台料金は10,500円である。

 東海道本線はよく乗るので、下段の大きな窓からの眺望へのこだわりは特に強くない。ただ、乗り物らしい工夫の見られる下段は意匠的にかなり惹かれるので、下段も撮影するだけでなく一度乗ってみるのもいいかもしれない。

 ちなみに、上段は寝台が平らなのでわざわざ選ぶ人もいるようだ。私は、通気の為にカーテンの一部を開けられる点が気に入っている。

 寝台客室は喫煙コーナーよりも更に静かである。上段の場合、音源となる車輪から遠いので、荷物を動かしただけでも大きな音が響いてしまう。かなりの静粛性である。

 マットレスにシーツをかけるのではなく、“ふとん”が敷かれてある。下段の窓のカーテンだって、厚手のものとレースのものがある。B寝台車との差は確実に存在する。…さすがA寝台車である。

 それにしても、下段の通路側のカーテンは改良の余地があるだろう。B寝台車の一部でさえも補助カーテンがついているのに。

 

 列車種別や車両等級毎に常備品などが定められている。“紙タオル”…さすがA寝台車である。なつかしの紙コップと冷水器も健在である。

 「寝台急行銀河号」のA寝台車には、乗客個人個人専用のスリッパが用意されている。スリッパを共用する事に抵抗のある人にはありがたいサービスである。

 

 「寝台急行銀河号」のA寝台車は寝台の座席化を行わない。上段の乗客は起床後に身の置き所にちょっと困る時がある。私はタバコを吸わないが、喫煙コーナーのソファーとテーブルは有効に使わせてもらった。フリースペースは、近年の列車では特に珍しくもないが、昔は開放型A寝台車のような一部の特別車両にしかこのような設備は無かった。

 

 下段や喫煙コーナーの肘掛けカバーぐらいケチらないで着けて欲しい。せっかくのA寝台車なのにマジックテープがむきだしのままだと手抜きの感がある。最近のブルートレイン全般に言える事だが、マジックテープは使わないのならば外した方がマシである。

 なお、「寝台急行銀河号」のオロネ24のモケットはえんじ色である。かつてのグリーン車のモケットのように重厚感がある色なので私は好きである。ちなみに、かつての開放型A寝台車のモケットは若草色であった。若草色の時代に乗ったことはない。

 

 今回は乗車日も降車日も平日である。仕事での利用客も結構多いらしく、スーツ姿の乗客は私以外にもいた。私だって急に出発が決まったからこの列車に乗ったわけである。「寝台急行銀河号」は、首都圏と関西圏を結ぶ新幹線の最終列車よりも遅く出発して始発列車よりも早く到着するので、このような需要はあるわけである。

 「寝台急行銀河号」のA寝台車は上段下段ともに定員は14名ずつだが、下段13名、上段は私を含めて3名いた。さすがに東海道優等列車らしく、伝統的にA寝台車の需要は高いと聞く。今夜の女性客は1名だけだった。結構若いのにスカートを履いたまま梯子を上り下りしているのには少々驚いた。しかも梯子を下りる時は、その時たまたま通路に下りていた私の目の前わずか数十cmのところで…。 なお昔から、客層を考慮して夜行の乗り物ではあえて上等客室を選ぶ女性がいるらしい。ちなみに2号車B寝台車にはほとんど人がいなかった。

  

 ところで、客車の2段式B寝台車もかなり秀逸な構造だと思う。かつてはこれと似たような形態の“ロネ”だって存在したぐらいである。プルマン式のようにベッドから出たらすぐに通路というわけではないので、気忙しさが少なくて良いかもしれない。

 プルマン式寝台車は寝返りを打つ方向と走行時の揺れの方向が同じなので、脳に流れ込む血液の量が不均一にならないために快眠できるようである。

 

 この列車のA寝台車は1号車である。乗降扉が2号車側にあり、しかも客室全体を一目で見渡せる車両なので、盗難の心配がわずかながら少なくてすむように思える。

 電源車が隣なので、トンネル内ではエンジンの音が他の車両よりも大きく聞こえてしまう。また、電源車の後ろに続く客車は、電源車が吐き出した排気を吸気してしまい悪臭が漂う事もある。カニ24が後部にくる上り列車の方が良い事に気づいた。

  

 列車の乗り心地にはさまざまな要因がある。線路状況・車体全体の他、客車列車の場合には機関士の技術が乗り心地を大きく左右する。今回乗った列車は、東京発車から小田原発車まで、発車時に客車特有の大きな衝撃が全く無かった。これは素晴らしかった。

  

 「寝台急行銀河号」の表定速度は下り上りともに60km/h台中ごろである。決して低い数値ではないが、天下の東海道本線のみを走行する急行列車であるという事を考慮すれば低いと言えよう。実際に、東京-大阪間の所要時間は普通列車の日中最速乗り継ぎパターンの方がわずかに短い。ちなみに、下り「寝台急行銀河号」の東京-大阪間における所要時間は8時間18分である。

 大船→小田原間では並走する貨物列車にかなりの速度差で追い抜かれた。また、沼津などで運転停車をし、貨物列車を先に行かせる。高速貨物列車や寝台特急列車は、東京-大阪間を概ね6時間台後半で走破するが、両都市圏を有効時間帯内に収める必要のある「寝台急行銀河号」は決して速達性を求められているのではないのである。

 余談だが、上りの「寝台急行銀河号」が客扱い停車する沼津も下りは運転停車である。寝台列車らしく深夜帯は客扱いを行わない。しかし、下りは静岡で、上りは名古屋で客扱いを行う。

 大津・京都付近では221系の快速電車と激しい競走劇を展開する。高性能電車に対して、集中動力方式の古典的客車列車が加速で敵うわけがない。こちらは停車駅の少なさで勝負するしかない。向日町付近では、京都後発となるこの快速に再び追いつかれてしまうが、すぐさま抜き返す。「寝台急行銀河号」のすぐ後を「関空特急はるか5号」が追いかけてきているので、客車急行といえどものんびり走っているわけにはいかないのである。私は、喫煙コーナーで朝食をとりながら、221系快速電車との競走を撮影したりして楽しんでいたのだが、快速電車の乗客はあまりこちらに興味を示さない。普通の人にとってはいつもの通勤風景なのだろう。もしも、私がこの快速電車で毎朝通勤できるのならばうれしくて仕方がないのだが…。

  

 A寝台車の常備品である靴磨きブラシが見られなかったので車掌さんに尋ねてみた。最近は、コンビニの発達や靴磨きブラシを携帯している人が多い事もあり、配備を取りやめたそうである。また、盗難もその原因らしい。他にも盗られた物を教えてくれた。要望として報告しておくと言ってくれたのだが、私は単に質問しただけだと言っておいた。

 設備やサービスも時代によって変わるものである。なお、近年でこそ世の中全体でバリアフリーが進んでいるので洋式便所のついた車両は特に珍しくもないが、昔は洋式便所は特別車両にしかついていなかった。もちろん、このオロネ24にも和式と洋式の2つがある。…さすがA寝台車である。

  

 718分、大阪駅3番線に到着する。大阪到着後には車体の列車表示が変わっていくのが面白い。「特急なは 熊本」、「特急出雲 浜田」、「特急あかつき 京都」、「特急つるぎ 新潟」、「急行だいせん 出雲市」、「団体」などの表示にお目にかかる事ができる。しかも、現行仕様の表記である。およそオロネ24には関係が無さそうな表示が多く、目が釘付けになってしまった。もちろん撮影した。

 

 

 

 

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