2005
年年末から2006年年始にまたがる帰省 (2006年2月4日(土) 全面公開)(2005年11月12日(土) 予告開始)
2005年11月頃から帰省についての思いを綴ってきた。あまり気が進まなかったが、結局、帰省してきた。
時系列に沿って記しているが、主なテーマは、
★帰省も
★実家にある私の原付が動かなくなった★
(2005年11月からの、当初のテーマ) ★南海電鉄和歌山港線の廃駅廃線めぐり★ ★「急行きたぐに号」乗車★ ★「寝台特急出雲号」惜別乗車★
(2005年11月12日(土)記)
さて、
2005年の年末が近づいてきたわけだが、ここのところ気分がすぐれないので2001年の年末と同様に帰省せずに自宅に引きこもっていようかと考えていた。この秋、首都圏にある自宅の近所に両親と住む為の不動産を購入した。そのような事情もあり、関西の実家の住所で登録してある私の金融資産について住所変更をしなければならない。また、実家用の原付を新たに確保できそうなので、近いうちに私の原付を再び首都圏の自宅へ持ってこようと思っていた。そのようなわけで、関西へ帰省する理由自体はあるわけだ。
★私の原付が動かなくなった★
昨夜(
11月11日)、実家から電話があった。せっかく電話がかかってきたので、この冬は帰省しない旨を伝えようかと思った。ところが、実家にある私の原付が動かなくなったらしい。11月7日ごろにエンジンがかからなくなったとの事だ。風化しかけてるよ、とも言われた。実家ではこの車両を修理に出しに行く気は無いらしい。とりあえず裏庭で保管しておいてくれる事になった。実家では私の原付を週に
2〜3回ぐらいは乗っていたらしい。最近では流れにあわせて市街地を走っていると激しく煙を吐いていたとも聞いた。また先日、ライトを修理した時には車両が終焉間近であることをバイク屋さんから告げられたらしい。たしかに寿命といわれる距離の2倍ぐらい走っている。私は新車の頃から大切に乗ってきた。勾配区間を好んで走ったのは事実であるが、フルスロットルでの運転は避けてきたし、急加速なんてしたことも無かった。また、長い間乗らなかった時期も度々あった。
1998年頃にはあまりにエンジンがかからないので、その当時同じ寮に住んでいた同僚にエンジンをかけてもらったこともあった。今回はバッテリーが弱っているのか、点火プラグが汚れているのか、あるいは他に原因があるのか、いずれにせよ私ならば何とかできるかもしれない。大学生の頃から大切に乗ってきたこの原付で再び近所を走れるものだと楽しみにしていたら、突然の悲しい知らせであった。「もう一度私と一緒に走ってくれないだろうか?」・・・せめてあと
2ヶ月元気でいてくれたなら・・・。
首都圏で乗っていた私の原付がなぜ今関西にあるかというと、
2002年年末の帰省時に船を利用して乗って帰ったからである。3年ほど前に実家にあった原付に安全面での不安があったので、その代替として私の原付を使ってもらいたかったのだ。さて、実家用の新たな原付だが、親戚のおばさんの原付が私の実家にやってくる事になっていた。その原付の購入費は私の母が出したそうなのだが、親戚のおばさんは原付をやめて安い自動車に乗り換えたらしい。そのようなわけで、その比較的新しい原付を我が家にくれることになっていたのだ。予定を前倒しして
11月11日に私の実家に届けられたようである。
★船での
Uターン構想★さて、原付に乗って関西→首都圏間を移動するならば、船を利用することになる。
2002年年末の帰省時にはマリンエキスプレスを利用したわけだが、もうマリンエキスプレスの航路は存在しない。船舶輸送をめぐる状況は年々厳しくなっており、日本各地で航路の縮小が続く。しかも最近は原油価格の高騰が海運業界を更に窮地に追い込んでいる。ただし、仮にマリンエクスプレスの航路があったとしても、出発時刻にあわせて那智勝浦港まで200km以上走る気はない。今回の構想では、国道
26号線→和歌山港→徳島港→東京フェリーターミナルという行程を考えている。この行程では東京到着が寒い早朝5:00である事が気になっていた。しかし、2006年1月3日徳島発の便は6時間遅いダイヤのようであり、東京到着が昼の11:00なので幾分寒さがやわらぐであろう。この冬ならばこれにしたいと思った。さて、徳島港→東京フェリーターミナルのオーシャン東九フェリーには客室等級別に
2種類の船舶がある。私は2等寝台のみのカジュアルフェリーに乗りたかったのだが、2006年1月3日徳島発の便はカジュアルフェリーではなく、2等寝台が無いスタンダードフェリーになるようである。私は自分の場所が明確にならない夜行の乗り物は嫌なので、2等や1等ではなく1等寝台を利用する事になりそうだ。
★今後の帰省案★
さて、今後の帰省についてはいくつかの構想があった。
・
2006年夏・2007年G.W.には自動車で帰省し、鉄道模型などの貴重品の大引越しを敢行する。
しかし、愛車の560SELも原付同様にいつ動かなくなるかわからない。両親だっていつまでいてくれるのかわからない。そう考えると激しく鬱になってきた。いつまでもあると思うな、なんとやら…である。
★結局、今年末も帰省する事になりそうだ。★
また、全くの別件だが私が介入して調整しなければならない問題が関西で勃発した。その問題・原付の点検・両親の健康状態の確認・金融資産の住所変更、・・・気は進まないが、今年末もどうやら帰省する必要がありそうだ。
往路は普通乗車券を利用する予定だが、気分がよければ「寝台急行銀河号」、気分が快復しなければ普通列車で帰省することにする。時間帯によっては新幹線にするかもしれない。
Uターンの方法は原付の状態次第である。
(
2005年12月27日(火)記)★帰省する気になれないが、結局は今年末も帰省する事になりそうだ。★
ものすごく気分がすぐれないので、帰省しない方向で考えていた。気分がすぐれない時に帰省の事を考えると、若い頃の苦い記憶やその後の人生の後悔が意に反して次々と蘇ってきて、家族をも含む誰とも顔をあわせたくない気分になってくる。平日の仕事中はそのような事は考えないが、休日は救いようが無く、土日の
2連休でさえ辛く感じるほどである。先程の23(祝)・24(土)・25(日)の3連休は一人自宅でうずくまっていた。当然ながら帰省のきっぷも用意していないわけだが、
12月28日発の「寝台急行銀河号のA寝台車」の空席状況は、2〜3日前ぐらいから確認するようになった。昨日まで空席があったのだが、今夜調べたところ満席になっていた。これで帰省しないという踏ん切りがついた。今夜は更に、衣類は持って帰って来なくてもよいという旨のメールが実家から来た。そこで、帰省しない旨を伝えるべく実家に電話をした。
実家にある私の原付は
2006年春に保険などの契約が切れるので、廃車にするかどうか納得がいくように見極めたらどうかと告げられた。他にも私がやらなければならない用事があるらしい。ろくでなしの息子なんか帰って来ない方がいいだろうと思っていたのだが、帰って来いと言われたのでとりあえず帰ることにした。
★原付で首都圏まで戻ってくるのは困難そうである★
さて、
2002年年末に原付で帰省した時に着て帰った防寒コートについて問い合わせてみたのだが、それは既に実家には無く、親戚宅へ持って行ったらしい。これでこの冬の原付でのUターンは絶望的となった。せめて次の夏あたりに原付でUターン出来ればいいのだが…。
★帰省するならばブルートレイン★
とりあえず明日、「寝台急行銀河号の
A寝台車」のキャンセル待ちをしてみる。夕方の新幹線で帰省する事も可能であるが、この先の人生でブルートレインに乗れる機会もそう多くは残されていないであろうから、可能な限りブルートレインを選択したいのである。今年は「あさかぜ」、「さくら」、および「彗星」という3つの寝台特急が鉄路から退いた。つい先日には「出雲」の引退が発表された。大好きな「銀河」だって廃止の噂が常に飛び交っている状況であり、引退を迎える日はそれほど遠くない未来かもしれない……。
愛車原付との別れは近いかもしれない。大好きなブルートレインは縮小されてゆく。両親は年老いてゆく。なんだか辛いなぁ…。
(
2005年12月28日(水)記)★「寝台特急出雲号」での
Uターン構想★原付と船による
Uターンの構想が潰えたので、来春廃止になる「寝台特急出雲号」を京都→東京間で乗車しようと考えた。本日は午後に少しだけ勤務する予定だったので、出勤前に近所のいつもの旅行会社に立ち寄った。明日は休暇の予定であったが、夕方まで勤務する事になりそうだ。「寝台急行銀河号」もいいけれど、新幹線で早めに帰ってもよいような気がしてきた。さて、どうなる事か…。
1997年に京都→東京間で「寝台特急出雲2号」に乗車したことがある。この当時は京都23:57発だったので新大阪→京都間の自由席新幹線特急券をあわせて購入すれば「寝台特急出雲2号」の特急料金を半額にすることができた。
現行の「寝台特急出雲号」はオロネ
25以外の客車は金帯化されているとはいえ、EF65-1000、オロネ25-0、オシ24という往年の組み合わせが見られる唯一のブルートレインである。DD51が単機で長大編成の旅客特急を牽引する点も見逃せない。なんとか乗りたいものであるが、残念ながら帰省の決断が遅すぎたな…。
(
2005年12月29日(木))★新幹線での帰省が決定★
本日東京発の「寝台急行銀河号」か「新幹線特急のぞみ号」で帰省するつもりだが、いずれにせよ一度帰宅してから出発することにする。自宅に戻る前に旅行会社に立ち寄った。今回は昨年度の新卒の女の子が対応してくれた。さすがにそろそろ新人という表現もそぐわない頃だな…。「寝台急行銀河号の
A寝台」は満席であった。B寝台も含めて全て満席とのことだ。夕方から新幹線で帰省することにして、大阪までの乗車券と新幹線自由席特急券を買い求めた。
★「寝台特急出雲号」の乗継割引について旅行会社とのやり取り★
Uターン時の「寝台特急出雲号」にキャンセル席は発生していないようである。ところで、特例を除けば新幹線から在来線特急へは当日中の乗継ならば割引になる。東京行きの「寝台特急出雲号」は京都0:35発である。では、同じ日付の新幹線特急券を購入すれば乗継割引になるのであろうか。0:00〜0:35に新幹線は運転されていない。さて昨日、この「寝台特急出雲号」の乗継割引特急料金について質問を投げかけていた。JRに尋ねておくと言ってくれたが、昨日は時間が無かったので答えは特に必要無いと告げておいた。
本日は尋ねてみた。「ちょっと難しい質問ですが・・・」と前置きして話したところ、別の店員さんが昨日の記入表を持ってきた。どうやら調べておいてくれたようだ。先ほどから対応してくれていた女の子はなぜだか笑っている。何がおもしろいのかわからないので、質問に至った経緯を話した。「昔ね、京都
23:57発の「寝台特急出雲2号」が走っていた頃には、何の疑問も無く乗継割引特急券が買えたんですよ。」と私が言ったら、彼女はかなり笑い出した。もしかすると“変な客”だと思われているのかもしれない。そういえばこの店では、私が店に入っただけで予約していた切符を出してくれる場合もある。変わった切符ばかり注文するから、おそらく覚えられているのかもしれない。おっと、あまり詳しく書くと人物特定される恐れがあるのでこれくらいにしておこう。
★新幹線は速い★
自宅を
18時頃に出て、慌しく土産を買ってから東京駅へと向かった。東京
19:13→新大阪20:49 東海道・山陽新幹線11067 「新幹線特急のぞみ67号」 727-21(
11067 運転区間:東京19:13→広島23:19 停車駅:品川・新横浜・名古屋・京都・新大阪・新神戸・岡山・福山)発車間際に乗り込んだわけだが、自由席には空席も見られた。本日は帰省ラッシュが本格化して、下りの新幹線は軒並み乗車率が
100%を超えているらしい。品川・新横浜と乗客が増え、この列車の自由席車もデッキに立客が出た。20:49新大阪着。この時間帯でもこれから乗る人たちで混雑していた。それにしても新幹線は本当に速い。18時過ぎに首都圏の自宅の最寄駅を出て、夜には関西の実家である。この速さは魅力だ。新幹線…それは東京⇔大阪間という心理的物理的距離を瞬く間に駆け抜ける魔法のような存在…。そう、私にとってもシンデレラエクスプレスなのだ。
(
2005年12月30日(金))★原付…★
実家横に保管されていた自分の原付に歩み寄った。車両の再起不能を覚悟していた。しかし、キックスタート一発で勢いよくエンジンが回りだした。エッ! なんとも言えない安堵だ。さすがに長い間乗っていない場合の特有の症状は見られた。ウインカーなどが順調に作動しなかったが、試運転しているうちに回復してきた。「東京まで乗っていくんだったら、整備してから乗って行きなさい。」と家族に言われたが、よく見たら実家の原付の方こそタイヤの空気圧が良好ではなかった。これはすぐに直したが、なんだか実家の原付の整備状況が心配になってきた。いろいろな事を確認する為にも帰省しておいて良かったと思えた。さて、さっそく船での
Uターンを考えた。オーシャン東九フェリーに空席状況を確認したかったが、時間が遅くて電話がつながらなかった。
(
2005年12月31日(土))★
Uターン時の切符を確保せねば★オーシャン東九フェリーに電話してみた。徳島
1月3日発の東京行きは満席とのことだ。船でのUターン構想は完全に潰えた。自宅で
JRの空席状況を調べてから「寝台急行銀河号」の切符を買いに行った。やはり「寝台特急出雲号」は満席のようである。「寝台急行銀河号」のA寝台は数日前からすでに満席のままであり、B寝台にした。まぁ、「寝台急行銀河号」に乗れるだけでもありがたい。さすがに2004年年始のように激混みの新幹線自由席に乗るのは避けたいのである。「フェリー」、「出雲」、「銀河A寝台」…今回の帰省はあらゆる決断が遅すぎた・・・。「寝台特急出雲号」はキャンセル待ちを依頼した。★南海電鉄和歌山港線の廃駅廃線めぐり★
この日は自動車で出かけたので、
南海電鉄和歌山港線の廃駅廃線めぐりに行ってきた。
(
2006年1月3日(火))★「寝台特急出雲号」の切符が取れた★
朝の
8時半頃にみどりの窓口から電話が入った。1月4日京都0:35発の「寝台特急出雲号」の寝台券が確保できたとの事だ。「寝台急行銀河号」には申し訳ないが、今回ばかりは廃止間近の「寝台特急出雲号」を優先したい。★★古豪581・583系電車による唯一の定期列車「急行きたぐに号」★★
大阪
23:27→京都(翌日)0:01 東海道本線501M 「急行きたぐに号」 581・583系電車12連 クハネ581-36(
501M 運転区間:大阪23:27→(翌日)新潟8:30)
(2006年1月4日(水))
京都
0:35→東京6:57 東海道本線4レ「寝台特急出雲号」 24系客車12連 オハネ25-144(
4レ 運転区間:(前日)出雲市17:39→東京6:57)
★帰省…しんどいよ★
2006年年始のUターンが終わった。いつまでもあると思うな、親と金と愛車とブルートレイン…。なんだかUターンが歳を追うごとに精神的にきつくなってきた。未定ではあるが、もしかすると両親は今年中に首都圏に移り住むかもしれない。一日でも早く帰省の必要が無い生活に移行したいものだ。