南海電鉄和歌山港線 廃駅・廃線区間
(2006年1月22日公開) (2007年5月4日更新)
2005年11月に南海和歌山港線の中間駅・全3駅(久保町駅・築地橋駅・築港町駅)が廃止になった。それに先立つ2002年5月には和歌山港駅から先が廃線になった。
関西の実家から行きやすい所にあるので、南海和歌山港線ネタを独立コーナーとして変化の様子を公開していくことにした。
★★★近年の廃止の経緯★★★
これらが
★★★過去の取材★★★
このコーナーでは場所ごとの公開とする。(とりあえず、新しい写真を上方にしておく。)
1.和歌山市駅
7番のりば(
2005年12月_中間3駅廃止後)和歌山港線普通車のりば専用の改札は消えていた。なお、中間全駅の廃止により、和歌山港線を走る列車は四国連絡の特急と急行だけになった。従って、この7番のりばも使われなくなったみたいである。
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2005年8月_中間3駅廃止前)南海和歌山港線の中間駅・全3駅は無人駅なので、和歌山市駅の和歌山港線普通車のりばにはこのような独自の改札が設けられている。
2.
久保町駅跡(和歌山市駅から0.8km) 2005年11月27日廃止(
2007年5月_駅廃止後)プラットホームは切り崩されているが、駅跡だということはわかる。
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2005年12月_駅廃止後)ワンマン運転用のミラーこそ無くなっていたが、駅の原形をとどめていた。
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2005年8月_駅廃止前)和歌山港線の久保町-和歌山港間(2.0km)は和歌山県が第三種鉄道事業者である。“第三種鉄道事業者”とは、車両所有と運転を行わずに線路設備だけ持つ鉄道事業者である。このような1面1線の駅にも何かしら特徴があるのがおもしろい。
3.
築地橋駅跡(和歌山市駅から1.5km) 2005年11月27日廃止(
2007年5月_駅廃止後)駅跡だということはよくわかる。
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2005年12月_駅廃止後)プラットホームは残っていたが、屋根は無くなっていた。
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2005年8月_駅廃止前)周囲に民家は多い。和歌山市駅への利便性の高さをウリにする気は無いようである。
4.
築港町駅跡(和歌山市駅から2.3km) 2005年11月27日廃止(
2007年5月_駅廃止後)かつてここに駅があったとはわかりにくいだろう。
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2005年12月_駅廃止後)プラットホームも無くなっていた。どうやら工事中のようである。
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2005年8月_駅廃止前)すでに廃駅テイストが漂っている。プラットホームは草むらの先にある。列車を待つ客が1人いた。この駅は1956年に和歌山港駅として誕生した。駅の北側はいかにも整地された跡が見られる。住宅を分譲中だが、駅はまもなく姿を消す。
5.
和歌山港駅-水軒駅跡の線路跡(2002年5月25日廃線)(
2005年12月)一部は工場の社有地に変わっていた。写真の右手前には線路が残る。
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2005年12月)一部は歩道に変わっていた。撮影者の私が立っている場所も線路跡だと察する。
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2002年10月)この踏切は、幅が狭いために道路渋滞を招いていることから拡幅か廃止が必要だと言われていたのだが、いまだに改修されていない。なお、和歌山港駅からしばらくは線路が残っているが、この辺りの線路は既に剥がされている。架線や信号設備などは既に見られない。
6.
水軒駅跡(和歌山市駅から5.4km) 2002年5月25日廃止(
2007年5月)線路も残っており、特に変化は見られない。
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2005年12月)下に掲げた2つの写真とは正反対の視点である。できれば下の2つと同じ視点で撮影したかったのだが、草むらの中へ行く気がしなかった。
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2002年10月_駅廃止後)プラットホームや小屋、および架線は既に消えている。
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2001年10月_駅廃止前)これが南海和歌山港線の線路の果ての情景である。ここの側線は廃車の留置や解体が行われた場所でもある。なお、入場にあたっては南海電鉄さんに了承を得た。