愛車
560SELでいく 1日1,100kmの強行旅程 (2009年6月と7月) (2009年9月2日公開)
第1旅程 2009年6月 東京の自宅→長野県赤沢自然休養林→三重県紀北町→東京の自宅
第2旅程 2009年7月 東京の自宅→三重県紀北町→志摩半島→東京の自宅
第
1旅程夏の鉄道旅行にはいくつかの案があった。森林鉄道が復元されている赤沢自然休養林へも行きたいし、また、所用で三重県へ行く必要もあった。どちらも地理的に東京の自宅と関西の実家との間にあるので、帰省の往路の旅程に組み入れるには都合がよい。そうは言うものの、ひと夏に
2回も帰省するかというと、それも確かではない。そのようなわけで、2つの旅程をまとめて自家用車で1日で行く事にしたのであった。木曽福島駅・上松駅と赤沢自然休養林の間の路線バスは休日には
1日に3往復設定されているが、東京から利用するには不便である。しかも、私の場合には「臨時快速ムーンライト信州81号」に乗らないと旅程が組めない。また、三重県への旅程では「臨時快速ムーンライトながら号」に乗らないと旅程が組めない。「臨時快速ムーンライトながら号」の指定券が取れなくて三重県へ行けない場合には「臨時快速ムーンライト信州81号」での旅程に振り替えて赤沢へ行こうかなどとも考えていた。(後日談:この夏の「ムーンライト信州」は「81号」ではなく「91号」である。)
また、お盆の頃の赤沢自然休養林はトムソーヤクラブ村料金が設定されており、森林鉄道を目的としている私には割高感がある。
赤沢旅程での待ち時間やバス運賃、両旅程における座席車での二晩、等を併せ考えて、
6月夏至前の週末に出かける事にしたのであった。この頃は、猛暑というほどでもないし、日没時刻は遅いし、好きな季節である。
両旅程を鉄道で行く場合の不利な点をわかりやすくまとめておくと以下のようになる。
旅行記を公開するに先立って、本線走行中に撮影した写真について誤解の無いように注記しておこう。他者と絶対にぶつからない状況においてシャッターボタンを押しただけであり、ファインダーを覗いたり画面を確認したりはしていない。脇見運転はせず、安全運転が最優先である事は言うまでもない。
2009
年6月13日(土)近年は中央自動車道を通るのが面白くない。なぜなら出張でよく通るからである。しかも、今回は降りる
ICも出張の時と同じである。せめて自家用車での旅行の時ぐらいは出張時とは異なるSAやPAに立ち寄りたいものである。まずは談合坂SAに立ち寄った。早朝ではあるが、なかなかの賑わいであった。
笹子トンネル…
4,700m以上の長大なトンネルである。「映画/バトルロワイヤル」において、修学旅行中のバスの中で七原秋也がバスガイド氏に襲撃される場所である。
諏訪湖
SAで諏訪湖を眺めながらパンと飲料を口にした。辰野
PAに立ち寄り、伊那ICで中央道を降りた。
伊那と木曽を結ぶ権兵衛トンネルを経て国道
19号線を行く。国道19号線のこのあたりは木曽の印象や宿場町の面影を大切にしているみたいだ。
中央本線木曽福島駅
★★★
赤沢自然休養林/赤沢森林鉄道→個別公開★★★
9:25頃に赤沢自然休養林に到着した。駐車場料金600円には、環境保全の為の協力金が含まれるらしい。
赤沢自然休養林は我が国における森林浴発祥の地である。
“川のある山の風景”…なんて気分がいいのだ。ここで食事にした。山菜うどん
1杯800円というのは普通ならば高く思えるが、景色の良い所で、しかも屋外で食べられるし、魅力ある観光地への応援料金だと考えればそれほどたいそうな出費とも思えなかった。かなり人気の観光地らしく、この日も
11頃には大型観光バスが3台も来ていた。どうやら名鉄の観光コースにもなっているらしい。11時半頃にここを立ち去った。
“それらしき物件”を見つけて大喜び。小川線の遺構であろうか、往路に見つけて復路に撮影した。
木曽の森林鉄道は規模が大きかったのだが、不思議と遺構はほとんど目にしなかった。もしかすると、車で走った道こそがその遺構だったのかもしれないが、橋梁やトンネルといったわかりやすい遺構にはほとんどお目にかかれなかった。
あまりに空気がおいしくて気分がいいので、上松駅ヘ向かう道中の中程までは、久々に車のスライディングルーフを後方に全開にした。両側の窓も開けていたのでオープンカー並みの開放感であった。
これもまた有名な景勝地である寝覚ノ床にも立ち寄ろうかと思ったのだが、どこがそうなのかわからず、また駐車場を見つける事ができずに通過してしまった。この日は祭があるとかで楽しみにしていたのだが、まぁ仕方が無いだろう。
道の駅大桑に立ち寄った。車内で休憩しようかと思ったが、暑いのですぐに出た。
国道
19号線の本線横に休憩できそうな木陰を見つけたので、そこに車を止めてしばらく休憩した。道の駅賤母に立ち寄った。古風な家並みが再現された道の駅である。
中津川
ICから中央道に入り、東海環状自動車道を経由して伊勢湾岸道へ入った。伊勢湾岸道…ここは片側
3車線の立派な道路だが、道路の継ぎ目を通過する時の衝撃が気になるぐらい大きい。海を越える橋状の道だから仕方が無いのだが、片側3車線の立派な道だけに、その走り心地はいささか残念である。今回も80km/hで走る貨物車の後ろについてゆっくり走った。本音を言えばもっと速度を落としたいぐらいの道だ。刈谷ハイウェイオアシスに立ち寄った。近年、ハイウェイオアシスと名の付く施設が他にもできているようだが、ここは際立って充実しており、ものすごい賑わいであった。
伊勢道・紀勢道を行く。紀勢道に限った話ではないが、片側一車線の対面通行になる直前に猛烈に追い抜かそうとする車に遭遇する時がある。あれは怖いからやめて欲しいものだ。
奥伊勢
PAで伊勢うどんを食べた。伊勢うどんを食べたのは十数年ぶりだったので忘れていたのだが、汁はどんぶりの底の方にしかない。汁系の物を口にしたかったので、失敗したと思った。
現在の終点である紀勢大内山
ICより南も高規格道路の建設が進んでいる。確かに便利ではあるが、どのようなストック効果が見込めるのであろうか。紀伊半島内の都市間移動が活発になるとも思えにくい。紀伊半島東側は、かつてはいわゆる「陸の孤島」と言われる所が多かった。隣村に行く為には山をひとつ越えねばならず、トンネルができる以前には海路が利用されていたぐらいの地である。やがて狭小ながらもトンネルができ、自動車が通れるトンネルもできた。今では立派な国道42号線が紀伊半島の周辺部分を通っている。社会資本整備の欲求もどんどん高度化していき、現在では高規格道路が望まれているのである。
用事が完結せずに、三重県には再び行く事になりそうだ。
復路は、紀勢大内山
ICを通り、紀勢道・伊勢道・伊勢湾岸道・東名道を通って厚木ICで降りて、東京の自宅に戻ってきた。日中は
100km/hで運転しても平気だが、周囲が暗くなる夜間は速度を落として80km/hぐらいで走るのが疲れないと改めて思った。今年は、東名高速道路全通
40周年との事で、立ち寄った中井PA等にはポスター等が張られていた。
さすがに強行旅程であった。前夜に
2時間程度しか眠っていないにもかかわらず、24時間、1,000kmを超える旅程であった。自動車で旅行として楽しめる距離は1日あたりせいぜい600km程度だと思っていたのだが、今年4月に800kmを超える旅程を体験した。それから2ヶ月も経たないうちに大幅に記録を更新してしまった。さすがに深夜の運転はおもしろいとは言い難いが、運転しようと思えば意外とできるものだと知った。メルセデスベンツは長時間運転しても疲れない車だと言われている。私は他の自動車を所有した事が無いので実感して比較はできないが、これがそうなのかなと、ふと思ったのであった。なお、誤解の無いように記しておくが、長時間運転においては疲労状態にある事を意識し、無理な運転は慎むべきである。
第
2旅程 2009年7月4日(土)再度三重県まで行く事になった。
8月の帰省の際に鉄道で行こうかと考えていたが、予定を早める事にした。上記の6月の旅行記を公開しようかどうかと考えているうちに再度愛車にて三重県まで行く事になった。本当は夏に愛車を出動させる気はないが、7月4日の天気予報は雨や曇りのようなので、急遽出かける事にした。予報では雨や曇りだと聞いていたが、実際はそこそこいい天気になってしまった。夏の炎天下に愛車を出動させたくないので、出発をためらった。しかし、前回出かけた
6月13日よりも最高気温が低そうなのと、基本的には曇りらしいし、また、出発の機会を逃すと解散総選挙等で身動きがとれなくなる可能性もあるので出かける事にしたのであった。厚木
ICへ向かうにあたっては、国道129号線を主体にするのではなく、国道413号線を選んだ。
日本平
PAで食事にした。駐車しているだけで車内が暑くなるので、一箇所での停車時間を短くする為に、かけうどんをすばやく食べて、歯磨きは次の停車地点である牧の原SAにて行う事にした。
2007年5月に廃止された豊橋料金所跡を行く。
美合
PA付近から渋滞に巻き込まれた。伊勢湾岸道に入り、湾岸長島
PAに立ち寄った。
三重県での用事を済ませた。
★★国道
42号線…本線横の旧隧道★★
写真左側が現役の三船トンネル、写真右側が廃道の三浦隧道。
紀北町付近の国道
42号線を走っていると、車道トンネルの横に細い歩道トンネルがあるのが気になる。それらの歩道トンネルは、その見た目から判断して旧道だろうと思っていた。上掲の三浦隧道は廃道になっているようである。6月に通った時に存在に気づいたので、7月に撮影した。抗口まで行ってみた。こちら側の抗口(松阪側)の前には木が植えられており、足元には流水が見られる。また、隧道の向こうの抗口(尾鷲側)まで見通す事ができる。私は暗い隧道に入り込むのは苦手なので、取材はこの程度である。この付近のトンネルについて帰宅後に調べたところ、歩道トンネルに転用された旧隧道の一部は、国登録有形文化財になっているとの事だ。
国土交通省中部地方整備局近畿国道事務所のサイトが非常に充実している。(官公庁サイトなので紹介しても差し支えないだろう。)国道本線の横に見える細いトンネルについては、
4月に来た時には尾鷲から熊野にかけて見られるものだと記憶していたのだが、どうやら紀北町に多いみたいだという事に6月に気づいた。4月には緊張していたので、記憶の一部が違ってしまっていたのかもしれない。
★★志摩半島★★
往路そのままに復路をたどるのは面白くない。そこで今回は伊勢志摩国立公園に立ち寄る事を考えていた。また、三重県は「映画
/学校の怪談4(東宝・1999)」の撮影地も多く、時間があればそれらも探してみたいと思っていたのだ。しかし、この決断が疲弊に繋がるとは・・・。
復路は、紀伊長島から先は荷坂峠を行かず、国道
260号線経由で伊勢志摩方面へ向かう事にした。
荒涼とした風景の中を行く国道
260号線国道
260号線は、道筋変更の痕跡がわかりやすく、廃道見物しながらの道中はなかなか面白い。外が明るいうちは楽しめる余裕があった。錦峠を行く。この峠は、旧道も国道から降格されていない珍しい形態である。
誰もいない国道本線上に小さな子供がいた。高速で通過する車にはねられたら大変だと思ったのであわてて引き返した。私がその場に戻った時には保護者らしき人が迎えに来ていた。
20km/h制限区間の厳しい峠道にも遭遇した。
この国道沿いには穏やか漁村が並んでいるといった印象を勝手に抱いていたのだが、完全に殺風景な路線である。
1〜2分に1度ぐらいは対向車がやってくるのが安心できた。日本の山道なんて総じてそんな物だろうか。いや、紀伊半島の東側は「陸の孤島」と言われた場所が多い。国道42号線を考えてもわかりそうな事であった。楽しいというよりは心細さの方が強くなってきた。試しに前照灯を消してみた。真っ暗だ。国道本線上で鹿の親子に遭遇した。飛び出してきたので大変驚いた。なんだか非常に疲れる道中である。
そのような心細い運転を続けていると、照明の無いトンネルに遭遇した。トンネルを前にしてたじろいでしまった。あまりにも不気味だ。反射板だけが付いている。続いて、照明どころか反射板すら無いトンネルに遭遇した。完全に打ちのめされた思いであった。屋根と壁に囲まれた乗用車だから進入できるが、徒歩や自転車で行けと言われたら絶対にいやだ。照明の無いトンネルが連続した事によって、この道を選んだ事を激しく後悔した。
ここでふと思った。私にとって「山道」は趣味だろうか。たしかに、川のある山の風景は好きであり、また、里山も好きだ。しかし、荒涼とした所や人の営みが感じられないような殺風景な所がとりわけ好きという訳ではない。あるいは、昼の山道が好きで夜の山道が苦手という事なのだろうか。山道を選んで走っているが、目的を持って取材している訳ではない。いろいろ考えた末、自身のサイトの中でいくつかあるコーナーのうちの「山道」を削除する決心がついた。
それにしても集落が無い。トンネルや峠をいくつか越えて、ようやく次の集落に辿り着くといった感じだ。
南伊勢町という所を行くのだが、用意してきた地図だと現在地が把握しにくかった。志摩方面に向かいたかったが、伊勢方面に向かう事になってしまった。ここで入ってしまった県道
169号線というのもこれまた殺風景な道であった。楽しい伊勢志摩紀行を期待していたのだが、寂しい道をひたすら走り続ける苦行になってしまった。かなり疲弊した。愛車
560SELに無駄な負担をかけて申し訳なく思った。やっとの思いで都市に辿り着いた。
近鉄山田線宇治山田駅…天皇陛下および皇族の方々も乗降なされる重要な駅である。
伊勢神宮へも立ち寄った。
さすがに夜遅くなってしまったという事もあり、「映画
/学校の怪談4」の撮影地である大王崎灯台への訪問は見送った。国道
23号線経由で伊勢ICに入る。なんと、IC入口から料金所までずいぶん遠い。多気
PAに立ち寄った。トイレと飲料の自販機、および運動の為の鉄棒がある程度だ。食事やみやげ物の購入は次のPAで行うように案内が出ていた。私以外にもう1台いただけであった。高規格道の休憩エリアとしては珍しく、空気がおいしかった。この時点で22時であった。亀山ハイウェイオアシスに立ち寄った。満足な食事ができそうにないので早々に立ち去った。
御在所
SAにて食事にした。大阪・京都から成田空港方面に向かう高速バスが停車していた。せっかく通るのだから異なる
PAやSAを利用したい。三方原PAに立ち寄った。
今回も約
1,100kmの長い旅程であったが、6月の旅程に比べて目的地での滞在時間が短かいゆえに全体の所要時間が若干短いので、6月ほども強行旅程だとは感じなかった。
★★あとがき★★
6月の旅程は旅行のおもしろさがあった。しかし、4月、6月、7月と立て続けに同じ所へ行っていると、旅行というよりは単なる長距離ドライブのように思えてきた。今後は、三重県紀北町への行程はよほどおもしろい事でも無い限り公開しない方針である。
また、前述のとおり、自身のサイトの中でいくつかあるコーナーのうちの「山道」を削除する事にする。