ガーナ旅行記−その1 ('02/8)


<ガーナ編目次&地図>

1.ガーナへの旅
2.テマ,アクラ
 ・テマ
 ・アクラの野口英世展示室
3.ケープコースト
 ・ケープコーストキャッスル
 ・HANS COTTAGE BOTEL
 ・カクム国立公園
4.水上の村・ンズレゾ/NZUREZO
5.アシャンティの都・クマシ
6.北へ、ボルガタンガへ
 ・テングズグ村と聖地
 ・ボンゴロック
 ・パガ;自転車ツアーと聖なるワニ
 ・国連事務総長との遭遇
ガーナ旅のアドバイス
 ・旅の準備
 ・ガーナ到着後
参考文献

ガーナの地図

1.ガーナへの旅

ガーナといえばチョコレート。これが、ほとんどの日本人が持つガーナのイメージではないだろうか。ガーナへの旅のきっかけは、98年のケニア旅行である。(ケニアの野生遺産参照) このボランティアプログラムでガーナ人Mabelと親しくなり、そして2000年4月、Mabelはオランダ人Davidと結婚し、ハネムーンで日本に来たのだ。で、次は俺がガーナに行くと約束し、2002年8月、遂にガーナの土を踏むことになった。

ガーナで有名なのは、チョコレートの材料であるカカオ豆と金。ガーナチョコレートは商品名であって、ガーナとは何の関係もない。一応ガーナでもチョコレートは製造している。似たような例として「バーモントカレー」や「台湾ラーメン」がある。これらもバーモント州や台湾とは全然関係がない。

しかし、ガーナ旅行は簡単ではない。ビザの取得におもいのほか手間取り、ガーナ大使館に何度も電話し、ようやくビザが届いたのが出発前日。封筒を開封し、パスポートにビザが貼ってあるのを見たときは本当にほっとした。これで旅ができる。

ガーナへは、香港,南アフリカを経由(これが一番安かった)。乗り継ぎの関係で南アフリカのヨハネスブルグで2日間を過ごし、ようやくガーナへ。8月5日の夕方、飛行機はガーナもコトカ国際空港目指し、雲のなかへ突っ込んでいく。「あれっ、なんで雲におおわれてるの?」っていうのが最初の印象。ガーナ=太陽ががんがんに照って、とても暑い国 というイメージが脆くも崩れ去った。とにかく、飛行機は無事着陸し、入国審査をもめることなく終え、荷物もちゃんと届いていた。空港の外では、MabelとDavidが迎えに来てくれていた。タクシーの客引きを気にしなくてもよいので、とても気が楽だ。ガーナは私の想像以上に道路が良く、そして車が多かった。空港からの道路は大渋滞。その渋滞で並ぶ車に群がる物売りの人達。やはり独特の雰囲気がある。

2.テマ,アクラ

大邸宅
MabelとDavidが住む大邸宅
1時間半ぐらいかかって、彼らの家に到着。すごい大邸宅だ。ガードマンがいて、門を開けてくれる。大きな部屋をあてがわれた。翌朝起きてキッチンに行くと、なんとコックさんがいて、朝食を作ってくれた。掃除&洗濯もやってくれる。Mabel、楽してるなあ。 朝食を食べて、庭に出ると、今度は庭師の登場である。なんとも豪華な生活、といってもこれはDavidの会社が借り上げている家である。うちの会社でも海外駐在員は豪華な家に住んでいるし。

テマ〜アクラ間の海岸
テマ〜アクラ間の美しい海岸。
予想以上に波が高く、遊泳はできない。
8月5日の月曜から金曜までは、ここテマTemaに滞在し、近くをぶらぶらしたり、首都アクラにでかけたり。 まだ両替してなかったので、テマの銀行へ。しかし、トラベラーズチェック(米ドル)が受け付けてもらえない。数軒まわってようやく両替してくれた。

8月7日、この日はアクラに住んでいるMabelのお母さんを訪問。12時頃着くと言ってあったらしいが、着いたのは2時すぎ。ガーナ時間である。しかし、短いながらもあたたかいもてなしを受け、楽しい時間を過ごせた。ガーナ料理ケンケ/KENKEY(とうもろこしの粉を発酵させて、木の皮で包んだもの)とスパイシーなスープに入った魚をごちそうになった。

テマの風景
野菜&果物売りの店小学校
家の近くの野菜&果物売りの店左の店の向こう側にある小学校
サッカーの練習風景
近くの空き地というかサッカー場での練習風景。こういう空き地があると、かならずサッカーをしている。コンディションはというと、地面はでこぼこ、ゴールは枠のみでネット無し。素足の選手、片足だけシューズを履いた選手など様々。しかし、とても上手である。

8日は1人でアクラへ。 たくさんの店があり、いろんな工芸品なんかを売っている。さすがにここは観光客も多く、そして物売りもアグレッシブである。大きなドラムを3つも売りつけようとする。「どうやって持ち運ぶんだ?」と聞いたら、なんとバックパックにもなるバッグも売っていた。とにかく振り切って逃げた。

野口英世記念展示室

その後、タクシーをつかまえてガーナ大学医学部付属病院へ行く。(タクシーでないと行き方がわからなかった) 病院で、野口メモリアルガーデン&野口英世記念展示室を探す。野口英世は、ロックフェラー研究所に所属し、アクラで黄熱病の研究を行っていて、その黄熱病で1928年に亡くなった。メモリアルガーデンはすぐに発見。野口英世の銅像と記念碑が建っている。 そして野口英世記念展示室というのが学校内にあり、管理者に部屋の鍵を開けてもらう必要がある。基本的には無料だが、ここはアフリカ。やはりチップを要求される。展示室には、写真,新聞記事,顕微鏡,母からの手紙等が展示してある。ここを訪問するのは、やはり日本人だけなのだろうか? ちなみに、別の場所にあるガーナ大学にも野口記念医学研究所というのがあり、間違えてここを訪問する人も多いらしい。

野口メモリアルガーデン&野口英世記念展示室
野口英世の銅像
野口英世の銅像
病院
野口英世記念展示室のある一角
展示室と顕微鏡
博士が使用していた顕微鏡
新聞記事
死亡を伝える新聞記事

札束この後、首都アクラだったらトラベラーズチェックも両替できるだろうと思って銀行に行ったが、状況はさほど変わらず、銀行巡りをするはめになった。首都でこの状況だから、他の都市では絶対無理と思って、意地で両替できる銀行を探した。なんとか両替はできたが、結果的にこの写真のような札束を持ち運ぶこととなった。

そして週末は、Mabel&Davidと一緒にケープコーストとカクム国立公園を訪問。


ホ-ムへ次のペ−ジへ