2014年ゴールデンウィークの鉄道旅行 2014427日予告開始 2014531日全面公開)

 

 2014年は、426日から11連休の大型連休の人も多かったらしい。一方、私は仕事の都合で今年度からいずれの大型連休も中型連休程度になってしまった。言うまでもなく、帰省や旅行への影響も大きかった。しかしながら、はじめの構想どおりに北海道へ行ってきた。

 今回のテーマは、下記の通りだ。

1旅程

小田急ロマンスカーで箱根へ 2014515日公開)

2旅程

東京→北海道→関西

・「臨時寝台特急あけぼの号」 2014515日公開)

・廃止直前の江差線(木古内⇔江差間) 2014518日公開)

・函館本線(山線) 2014525日公開)

・「臨時寝台特急トワイライトエクスプレス号」 シングルツイン 2014531日公開)

3旅程

Uターン 2014531日公開)

 

 

 

 前述の通り連休が小さくなってしまった。また、51日に神奈川県で用事があり、55日には関西で用事がある。そのようなわけで、今回の帰省は下記の@A案のどちらかであった。まずはA案に決めてきっぷも用意していた。

 @案 神奈川県での用事の後、小田原から新幹線で大阪に向かう。

 A案 新宿から「臨時快速えちご春の夜空号」に乗り、新津で「寝台特急トワイライトエクスプレス号」に乗り換えて大阪に向かう。

 

 元々、今回の大型連休は北海道へ行きたいと考えていた。定期運用から引退した「寝台特急あけぼの号」、廃止間際の木古内⇔江差間、函館本線山線、「寝台特急トワイライトエクスプレス号」をテーマにしたB案だ。

 3月の時点ではゴールデンウィークには「あけぼの号」に再会できると思っていたので、定期運用の最後を見送りには行かなかった。

 

 いろいろ考えた末、B案すなわち北海道旅行をする事にした。決断が遅かったので「寝台特急トワイライトエクスプレス号」のきっぷがなかなか入手できず、426日にようやくB寝台のきっぷが取れて旅行できる事になった。さすがに23時間も乗るので個室がいいと思う。

 きっぷの効力を比較した結果、全旅程を普通乗車券にした。しかしながら、複雑なきっぷを頼んだので旅行会社の人たちを困らせてしまった。人に迷惑をかけるのは辛い。気になった。

 

 

 

201451日(木)

【第1旅程】 小田急ロマンスカーで箱根へ

新百合ヶ丘8:10→箱根湯本9:25 「特急はこね5号」 7304

 首都圏のコーナーにおいて、箱根へ行く際には小田原駅にてトコトコきっぷを購入する旨を記した。しかし今回は、トコトコきっぷを買わない旅程を組み、往路復路ともに箱根湯本直通の特急に乗る事にした。

 そもそも新百合ヶ丘⇔箱根湯本間でも町田⇔小田原間でも特急料金は同じである。どうせならば新百合ヶ丘⇔箱根湯本間で乗りたいものである。

 平日には面白い特急がある。過密ダイヤゆえに新宿駅に乗り入れできない設定の列車があり、この「はこね5号」は新百合ヶ丘始発である。

 平日とはゆえ大型連休期間だからか、前展望は完売、後ろ展望は残席わずかであった。

 

 

 展望や連接車体で華のあるLSEだが、洗面台の位置だけはどうもいただけない。

箱根湯本13:49→町田14:48 「特急はこね24号」 30455

 今回は自家用車で行ってもよいような用事であったが、この夜の「寝台特急あけぼの号」に乗り遅れると困るので列車で行ってきた。また、10分でも15分でも早く帰宅したかったので復路も特急に乗ってきたのであった。

 

【第2旅程】 東京→北海道→関西

★★★臨時寝台特急あけぼの号★★★

上野21:33→青森(翌日)12:19 9021レ「臨時寝台特急あけぼの号」 24系客車7連 オハネフ25-125

 

 臨時列車に格下げされた「特急あけぼの号」のダイヤはすごい事になっている。1980年時点の「急行鳥海号」よりも遅いではないか。宮内や長岡で長時間の運転停車をしているのはわかるが、あまりにも鈍足化されすぎである。

2014年 「臨時寝台特急あけぼの」 上野21:33→秋田8:57  (青森行き)

1980年 旧型客車「急行鳥海」 上野21:13→秋田8:17

 

 臨時化された「あけぼの」の旅客車は6両であり、B個室ソロが5号車につき、それ以外の5両がB寝台車だ。ソロは列車系列による居住性の差が大きく、天井が低い所へ入り込む事に苦痛を感じる私としては「あけぼの号」のソロは乗りたくない。ブルートレインらしさも含めて開放B寝台を選択した。1席だけ残っていた下段を運よく確保できた。

 20131月末にてプッシュホン予約が終了したので、今では開放寝台と言えども旅行会社かみどりの窓口に頼まなくてはならない。尤も、私自身、プッシュホン予約は2012年に「日本海号」で1回利用しただけだ。

 

 上野駅13番線ホームでは、「あけぼの」のヘッドマークとテールマーク付近にロープが張られ、警備員による整理が行われていた。また、勧誘や寄付を求める行為を禁止する旨の注記も見られた。いろいろ事件があったのだろうと察する。

 最後尾の1号車を先頭にして推進運転で入線してきたが、先頭のオハネフ25の顔が汚い事に驚いた。前夜の旅塵をそのままにしているみたいだ。

 

 進行方向先頭より、EF64-1031、カニ24-109、オハネフ25-117、オハネ24-552、オハネ24-49、オハネ25-216、オハネ25-211、オハネフ25-125

 

 24系客車は、4号車が白帯以外は、金帯であった。その4号車だけ「奥羽線経由」と表示されていた。この車両の経歴を窺い知る事ができる。

 

 モタレは付いていなかった。

 家族連れが向い合せになりたいらしく席を替わってくれるように頼まれた。

 上野発車後の放送をもって「おやすみ放送」とされ、翌朝は酒田到着前から放送を再開するとの事だ。また、各停車駅の到着時刻は各自の指定券を見るようにとの案内であった。

 大宮では、上野を4分後から発車した普通列車973Mに追いつかれた。

 夜間まで通路で“鉄道の話”をしている人達がいて、ついに近くの乗客を怒らせた。

201452日(金)

 森岳到着前に目が覚めた。それにしても昼頃まで運転してくれて起床時刻を気にしなくてもいい寝台列車は快適だ。深夜に何度か目が覚めたが、10時近くまで眠れた。森岳は、特急は停車するが快速の「リゾートしらかみ」は停車しない。

 

 

 それにしても気になるのは各停車駅での停車位置である。客車列車は編成の長さに関係なく機関車が前の方に停まると思っていたのだが、最後尾1号車が「あけぼの車掌基本」という表記の位置に停車する。

 

 初めて通る路線ではないが、さすがに秋田まで来ると遠くまで来たという旅行気分が高揚する。北上に伴い、東京ではすっかり散ってしまった桜の花も姿を見せる。

 

 

 このような長時間録画が流行っているようだ。前述の通り窓ガラスが汚いが、上野駅入線直後から場所取りが行われていた。

 

 下車に先立って外の寒さを確かめるために弘前にて車外に出てみた。動けば暑くなるかもしれないぐらいの、私から見てちょうど良い感じであった。あぁ、ゴールデンウィークは、日本全国どこも快適だ。

 新青森到着前には東京方面の新幹線について丁寧な乗り換え案内が行われた。これは意外な気がした。臨時化された「あけぼの号」にはヒルネ運用がないので、上野、大宮、高崎からの乗客に対して東京方面の乗換え案内が奇異に感じた。しかし、日本海側の駅から乗り込んで盛岡方面へ向かう乗客もいるかもしれない。実際昔は、列車本数が少ない路線では寝台料金を払ってでも夜を越さずに寝台列車に乗る需要もあった。

 

 さて、「あけぼの号」は最後まで残った上野と青森を結ぶ夜行列車だ。「あけぼの号」が廃止(臨時化)された事に伴い「津軽海峡冬景色」の情景がついに消える、という意見が出回っていた。しかし、これは違う。「あけぼの」から青函連絡船に乗り継いではいけないという訳ではなかったが、「あけぼの」は対奥羽本線北部の列車であり、青函航路との接続に主眼を置いた列車ではなかった。上野発の夜行列車で青森駅から連絡船に乗るといえば盛岡経由の列車なのである。ちなみに、かつての東北本線は青函航路に合わせて列車番号がつけられていた。

 

 青森では、臨時特急の「白鳥77号」にすぐに乗り換える事ができる。しかし私は、青森駅で「あけぼの」の回送を見送りたい事や、青森が好き、木古内での長過ぎる待ち時間を避けたい、という思いがあり、13:00発の「特急スーパー白鳥11号」を選択した。

 

 青森では、長岡からの牽引機EF81がすぐさま切り離され、海の方へ行ってしまった。車番を確認できなかった事を残念に思っていたところ、回送する姿を見られた。EF81-139だ。

 オハネフ25-117の車体には「ゴロンと」のマークを剥がした後がくっきり残っていた。

 1号車側にDE10-1761が連結されて回送される時を待つ。駅構内には撮影のマナーへの呼びかけの掲示がなされていた。

 回送の発車が12:50との事なので、それまでは駅の外へ出て買い物とかをしてきた。

 

★津軽海峡  津軽今別駅周辺★

青森13:00→木古内14:20 4011M「特急スーパー白鳥11号」 789系電車7連  モハ788-202(指)、モハ789-222(自)

 左右を見たいがために出歩きやすい通路側の指定席を確保していたが、空いている自由席へ移った。残念ながら前後の展望スペースは立入禁止になっている。指定席券を持っていたのは、指定券からの変更だからである。

 青森を発車してすぐに信号所での行き違い停車だ。であれば、もっと遅く青森を発車しても良いのではなかろうか。この系統の特急は一部の臨時列車を除いて新青森発着だが青森駅においても始発終着列車のように長く停車する。件の「臨時特急白鳥77号」は新青森を12:04に発車しており、理由はどうであれ、新青森を7分後に発車した客車特急「あけぼの」に追いつかれた事になる。「あけぼの号」は大宮では普通列車に追いつかれたが、一方で青森では電車特急に追いつくのである。

 

 

 ここでの見どころは新幹線の工事の様子である。津軽今別駅を通過の際にはデッキへ出て左右両側を撮影した。今回は通過するだけだが、変遷の様子をじっくり見たい駅だ。19987月に訪ねた事がある。

 

 「特急スーパー白鳥号」の座席の背面には青函トンネルの通過に関する時刻表が貼られている。また、車内の電光掲示板にてトンネルの名称等が記されるので、青函トンネルの前に点在する小さなトンネルを青函トンネルだと勘違いする事も無い。

 「特急スーパー白鳥号」は、青函トンネル内をJRの在来線としては最速の140km/hで駆け抜ける。青函トンネルに新幹線が開業した後も貨物列車が並存するなどの種々の制約によって、ここでは140km/hしか出せないみたいである。

 青函トンネル内の廃止された2箇所の海底駅は、今でも避難設備としては機能しており、そこだけ明るいのでよくわかる。

 北海道に上陸し、新幹線の工事の様子がよく見える中、木古内に到着した。

 

2014515日 ここまで)

2014518日 ここから)

★★★廃止直前の江差線(木古内⇔江差間)★★★

 江差線の木古内⇔江差間が511日を最後に廃止される。この区間は2002年にも乗った事があるが、昨年あたりから旅程の案として意識していた。念願叶って再訪する事ができた。

 木古内⇔江差間は、木古内から分岐していた松前線と同時期の昭和63年に廃止されてもおかしくはなかった。しかし、路線名で区切ったところ江差線は五稜郭口での利用状況がそこそこ良かったので、利用状況が悪い区間をも含めて江差線全体として生き延びてきたという経緯がある。わかりやすく言うと、木古内から先の部分は、松前線であっても江差線の当該区間であっても利用状況が良くなかったという事だ。今回は江差線のうち木古内⇔江差間が廃止されるのだが、江差に達しなくても江差線の名前は残る。

 この区間が廃止になるという事は、ある振興局管内から鉄道が消えるという驚くべき事態なのである。つまり、鉄道が通らない振興局ができてしまうという事だ。

 振興局といってもわからない人が多いようだが、わかりやすく言えばかつての支庁である。支庁と呼ばれていた北海道の行政区画が、20104月より振興局と名を改めた。9つの総合振興局と5つ振興局になり、総合振興局と振興局は同格という位置づけながらも、振興局における道行政の一部については総合振興局の管轄下に置かれている。格下の振興局扱いされたところからは反発もあったようだ。一方、意外な事だが、北海道庁も所在する北海道の中心都市であり政令指定都市でもある札幌市が在する「石狩」は、“総合”がつかない方の振興局なのである。こういうところにも地理や行政に関する趣味的なおもしろさがある。

 さて、記念きっぷ類がいくつか出回っているが、「木古内⇔江差」の往復乗車券を購入して使用した。

 

木古内14:47→江差15:54 124D 2連 キハ40-1812

 車内にて昨夜「あけぼの」で席を替わった埼玉県からの親子に再会した。奥様は旅程の全てを夫に任せているとの事で話の要領を得なかった。夫氏が戻ってきたのでいろいろ話をした。この江差線が混んでいると困るので、「特急白鳥77号」とバスを乗り継いで木古内よりも手前からこの列車に乗り込んだらしい。ここの娘ちゃんは「あけぼの」の車内でも私に話しかけてきてかわいらしかった。下段寝台で飛び跳ねても頭を打たない姿が印象的であった。

 立ち客が出るほどではないが、2両の列車はそこそこ混んでいた。

 渡島鶴岡を列車が発車する頃、駅にはパトカーが来た。

 渡島鶴岡を出てすぐに禅燈寺の境内を通過する。ここでは山門と本堂の間を列車が走り、その場面を撮影する人たちがたくさんいた。

 次の吉堀には警察官がいた。

 峠を越えて上ノ国町に入った神明には警察官の姿が無かった。管轄する警察署ごとに扱いが異なるのかもしれない。この区間の廃止に伴って駅の備品を盗む連中が出てきたから警備する方も大変だ。

 

 

 湯ノ岱ではお約束のスタフ授受だ。

 

 湯ノ岱を出てしばらくすると「ありがとう湯ノ岱小学校」との看板が見られた。この地域の過疎ぶりをさらに見せつけられた思いだ。

 先ほどの親子を含め上ノ国での下車客が多かった。後ほど上ノ国駅へ訪れるという旅行者が、駅舎が民家風だと言うので、商工会館を併設している旨やかつては急行停車駅であった事を説明してあげた。

 沿線の人々から手を振られる中、終点の江差に到着した。

 駅前には「おもてなしプラザ」という店があり、来駅証明書などを無料で配布していた。私はここで土産として「江差開陽丸バタークッキー」を購入した。江差線惜別の関連品が置かれている臨時の売店らしいが、駅職員とのやり取りを見ていたところJRとは関係ない人たちが運営しているみたいである。

 124Dの折り返しのとなる江差16:16発の4177Dに乗れば、新幹線へと乗り継いで当日中に東京まで帰る事ができる。すなわち、東北新幹線を使えば東京から江差まで日帰りが可能なのである。実際に当日中に東京まで帰るという人がいた。4177Dは多くの乗客と共に江差を後にした。

 

★★江差観光★★

 4177Dで折り返して函館へ向かうには木古内で長い待ち時間が発生するので、もうこの先訪れる事がないであろう江差の街を歩く事にした。

 

 駅前に停まっていたハイヤーに乗り込み、まずは檜山振興局へ向かった。駅からそれほど遠くはない。振興局は言うまでもなく観光地ではないが、私個人的には江差で最も見たかった所だ。

 次に、市街地を経由して海沿いの国道沿いの町役場へ向かってもらった。

 市街地から下る坂より、海に見える“開陽丸”と“かもめ島”を説明された。昔の街並みを再現した“いにしえ街道(いにしえ夢開道)”では、網元として栄えた“横山家”の前で停めてくれた。このあたりは事前に調べて来ず、運転手氏が案内してくれた。

 町役場に入ってみた。町の今月の人口は8,525人との事だ。市ではなく町に振興局のような重要な役所があるというのがなんとも興味深い。

 町役場からは徒歩で江差郵便局を訪ね、道指定文化財の“横山家”、重要文化財の“中村家”、江差町道路元標、等を見て回った。

 

 

 江差町郷土資料館(旧檜山爾志郡役所)は、いかにも北海道開拓時代を思わせる意匠の建物だ。17時を過ぎていたので入館できなかった。こちらから見て左側の建物は旧留置所だ。そこだけ少し見られた。

 

 どこか食べられる所がないかと探し歩いているうちにフェリー乗り場、開陽丸、かもめ島も訪ねた。結局、無料の江差周遊観光バスの範囲には行けた事になる。当該無料観光バスは、4177Dで江差を離れる観光客を対象にした時間帯までしか運行されておらず、124Dで江差に来ても乗る事はできない。(このバスも511日を最後に運行を終了。)

 開陽丸の隣の公園では、いたずらが続くようだとトイレを閉鎖するとの注記があった。また、新しい自動販売機は置かれただけで営業していなかった。自動販売機は何かしらの被害があったのだろうかと思った。かもめ島には密漁を禁じる注記が見られた。もしかしてDQNが多発する町なのか?

 それにしても食べられる所が無いので、中歌町から函館バスに乗って江差駅に戻った。バスは市街地を通るが、市街地で降りたとしても次に駅まで行けるバスの時刻までに食事ができそうにもないので、そのまま江差駅まで行った。

 聞き耳を立てるつもりはないが、バスの乗務員同士の会話によると振興局の前のバス停の名称が5月より“支庁”の部分が“振興局”へと変わったらしい。はっきり聞こえたわけではないし、帰宅後に調べてもわからなかった。それが事実だとすれば、4年以上“支庁”という呼び方が生き残っていた事になる。

 このバスは下車する際に、運賃よりも先に整理券を入れなくてはいけないらしい。

 駅前には運送業者しか営業していない。もはや江差駅は人が集まる場所ではないのだ。件の「おもてなしプラザ」は閉まっていた。駅では、記念きっぷ売り場やスタンプは片付けられ、124Dで到着した頃には点いていたストーブも消されていた。駅前にて市街地とは反対方面にも行ってみたが食べる所は無い。22時前の函館まで空腹に耐える事が決定した。

 駅周辺を散策した。南が丘小学校の窓には「ありがとう江差線」と貼られていた。

 

 

 江差駅の裏側には臨時駐車場が設けられていた。この場所もかつては側線で賑わっていた事だろう。

 

江差19:07→函館21:24 137D 2連 キハ40-1800

 列車が入線する19時前には数人が集まった。迎えに来ている人や旅行者を含めて数人であるから寂しいものだ。137Dは江差からの最終営業列車となる。この駅のみどりの窓口は17時で閉まるが、“廃止前ぐらい19時まで営業すればいいのに”という声も聞こえてきた。

 

 

 国鉄末期から登場した、貨車を転用した駅舎。この種の駅舎も老朽化で姿を消しつつあるが江差線ではよく残っていた。ただ、駅舎というよりは“顔がある車両”の廃車体なので、煌々と光が出ているのがなんとも不気味だ。

 

 私は速度などが見たくて時々デッキに出ていた。本物の駅ではない“天ノ川駅”目当ての乗客もデッキに出ていた。運転士氏が「あれが、天ノ川」という旨を知らせてくれた。

 湯ノ岱では旅行者風の人たちがたくさん乗り込んできた。先頭の乗降扉はスタフ授受を撮影する人たちで混んでおり、「こいつら邪魔」と呟きながら乗ってくる、大きな荷物を背負った邪魔な人がいた。

 木古内での停車時間では再び駅から出てみた。

 木古内から先、五稜郭までも江差線であるが、この区間は本州と北海道を結ぶ動脈路線であり、特急列車が100km/hで走行し、長大貨物列車も走る。しかし、137Dは最高でもせいぜい65km/hで走行していた。

 五稜郭では上野行きの「寝台特急カシオペア号」と行き違った。私のちょうど目の前がED79の前面であった。五稜郭は函館の隣の駅である。特急列車を行き違い停車させるぐらいならば「カシオペア」の函館発車時刻を3分程度遅らせればいいのではないかと思った。そう言えば、カヤ27以外の「カシオペア」の実物を見るのはこれが初めてではないかと思う。

 137Dは五稜郭から函館本線に入り、85km/hで走行していた。

★はるばる来たぜ函館★

 五稜郭からの飛び出し区間の運賃210円を払って函館駅に降り立った。久々に降り立った函館駅はずいぶんきれいになっていた。函館駅へは新幹線は乗り入れないが、私個人的には、青森駅と函館駅は北への玄関口としてどうしても外したくない思いがある。

 駅前のホテルに宿泊する。ホテルに入る直前に飲食店に声をかけられたので、ホテルに荷物を置いてからそこへ食べに行った。スタッフが34人いるのに、おばあさんが1人で調理していた。せっかく北海道まで来たので北の味覚を楽しんだ。

2014518日 ここまで)

2014525日 ここから)

201453日(土)

函館6:22→長万部7:41 5001D「特急スーパー北斗1号」 7連 キハ280-101

 五稜郭から先の乗車券はあるので、五稜郭までの運賃210円を払って函館駅に入った。「特急スーパー北斗1号」には函館から長万部まで乗るのだが、自由席特急券は函館→森620円、森→長万部1,130円で用意してある。函館→長万部だと1,800円だ。

 大沼公園には停車しない旨の注意の案内放送がなされた。

 それにしても、この特急列車には独立した洗面所がないのが不便だ。

 長万部駅でかにめしを積み込むので希望数を集計するとの案内が入った。JR北海道は車内販売に力を入れているみたいだ。黒字の新幹線をどんどんドライにして行っている某社に見習わせたいぐらいだ。

 列車交換の為に運転停車した大沼は大きな駅だが、多くの特急が停まる大沼公園は11線の駅である。そうは言うものの、大沼公園の駅前は観光地らしい華やかさが見られた。

 

 途中停車駅の八雲は、今回の旅行の着目点の一つである。北海道新幹線において新八雲駅が計画されており、八雲の町を見てみたかったのだ。なぜ、現行の八雲駅ではなく新八雲駅なのか。東京などの都会では狭い土地をやりくりしての線路の付け替え工事とかを目にしているので、八雲駅やその周辺に新幹線を通せる土地が無いとは思えなかった。盛岡以北の新幹線は不思議な事がいっぱいだ。

 八雲でついにカメラの容量がいっぱいになってしまった。何という事だ。最重要旅程の「トワイライトエクスプレス」がまだなのに、「あけぼの」や「津軽海峡線」や「江差線」で動画等もたくさん撮影したからだ。旅行の出発に際してカメラの容量を確認してバッテリーも充電してきたのだが失敗した。

 

 

長万部にて

 長万部駅で「トワイライトエクスプレス」の「シングルツイン」が運良く取れた。禁煙の5号車でないのは残念だが、2段式B寝台(しかも上段)よりはましだ。14系や24系の一般的な開放B寝台は好きではあるが、さすがに「トワイライトエクスプレス」となると秀逸な個室寝台車を選びたいものだ。上段寝台を拠点にして23時間も過ごす事について、「あけぼの号」に乗っている時から気になっていた。

 長万部での朝食を考えていた。駅前のかなやさんへ行った。かにめしならばすぐに用意できるという事で、昨夜もかにの丼を食べたが、待つ気もないのでかにめしにした。店の前に机と椅子を出し始めるところらしいが、霧がかっている天候なので、駅へ持ち帰って待合室で食べた。

 長万部から乗る函館本線普通列車は9:08発なので、時刻や車両だけで見比べれば「スーパー北斗1号」より後の「北斗星」に乗りたいところであるが、今の「寝台特急北斗星号」にヒルネ運用はない。昨年の車両火災等の影響でJR北海道の特急車が不足しているのだから、「北斗星」のヒルネ運用を暫定的に復活させてもいいのではないかと思う。

 駅の利用者が多いらしく、待合室では急遽椅子が増設された。「スーパー北斗2号」が混雑しているらしく、普通車指定席の通路に立ってもよいとの案内があった。

 カメラのデータの整理を進めた。バッテリーも残量が減ってきた。

 

★★函館本線(山線)★★

 長万部駅をも含めて、この辺りはまだ新幹線の槌音は聞こえてこない。2002年にも来たが、新幹線が通る前の今の様子を見ておきたいのだ。

 北海道新幹線のルートは長い間決まらなかったが、なんと、倶知安や小樽を経由する事になった。すでに都市が栄えている室蘭や苫小牧方面に通さない事が不思議でならない。どうやら旭川方面への延長に際して進行方向を変えるのを避けたいのもその理由らしい。

 現在、長万部から先、札幌へは室蘭市や苫小牧市および千歳市を通るルートが主力である。鉄道では室蘭本線と千歳線、国道では37号線と36号線、および北海道縦貫自動車道だ。ところが、路線の名称を見れば倶知安を通る函館本線や国道5号線がかつては主力であった事が窺い知れる。進行方向が変わる事がそんなにいけないのか?

 昔の東海道山陽の時代とは異なり、現在は新幹線に並行する在来線はJRから離される。そう考えると青森や函館の新幹線駅があれで良かったのかという思いがある。

 

長万部9:08→小樽12:19 2933D 2連 キハ40-823

 長万部⇔小樽間は、本線とは名ばかりの完全なローカル線である。定期の優等列車は通っておらず、何年か置きに観光の為の試験的な臨時特急が運転される程度だ。

 長万部駅では発車10分前から改札を始めるが、4番線から東室蘭行きと小樽行きが立て続けに発車するのが紛らわしい。乗り間違えたのかと一瞬思ったぐらい驚いた。

 

 

 黒松内…往年の特急停車駅だ。

 

 さすがに「山線」と言われるだけあって、キハ40では40km/hに達しない場面が見られる。

 上目名駅跡と思われる地点を注視した。前方をよく見に行く私の事を運転士氏が横目で気にしていた。

 蘭越は、JTBの時刻表では太線が入れられている。今回乗車した際もまとまった乗降が見られた。そうは言うものの優等の停車駅としては黒松内やニセコほどではない。近年運転される臨時特急も停車しない。

 ニセコも往年の特急停車駅である。国鉄当時は全国に2つしかないカタカナ表記の駅としても有名であった。

 比羅夫は、駅舎そのものが民宿になっている。

 沿線の山肌には雪が残っている。

 

 倶知安は、後志総合振興局が所在する町である。また、新幹線駅の設置も予定されている。ここも本当ならば町を散策して総合振興局を訪ねたいところであるが、今回は5分停車なので駅を見るだけにする。パッと見たところ、2002年に来た時から大きな変化はなさそうだ。

 

 小沢は、前後の駅から見て谷になっており、かつて蒸気機関車の時代は、ここを発車する際は全力本気の発進だったらしい。

 各駅の写真を撮っていたところ、小沢にてついにカメラのバッテリーがへばってしまった。“バッテリーが,へばってリー!” 今度から充電器を欠かさず持って来ようと痛感したのであった。もう一台カメラを持って来ておいて正解であった。

 

 余市も往年の特急停車駅である。ここから多くの乗車があり、立ち客も大勢出るほどの混雑になった。立ち客と言っても、この列車は2両とも座席が横3列分しかないのである。

 続く、蘭島と塩谷は小樽市内だが、先程の余市の活況が幻だったかのような山線らしい駅だ。

 

小樽にて

 この先は電化区間であり、札幌近郊の路線として、新千歳空港行きの列車なども多数発着する。

 一つ手前の塩谷と同じ市内とは思えないほど賑やかで華やいだ駅だ。この日は観光客で賑わっていた。

 

 多数のランプで装飾された駅構内が美しい。

 JR東日本のスイカをチャージし、また、そのスイカで土産として「運河の月」を購入した。

 北海道新幹線において新小樽駅が計画されている。なぜ、現行の小樽駅ではなく新小樽駅なのか。東京などの都会では狭い土地をやりくりしての線路の付け替え工事とかを目にしているので、小樽駅やその周辺に新幹線を通せる土地が無いとは思えなかった。盛岡以北の新幹線は不思議な事がいっぱいだ。

 

 小樽市は「後志」に在する。余所者が口出しすべき事ではないが、前述の通り小樽市が都市である一方、倶知安町は町である。しかしながら、後志総合振興局は倶知安町に所在するのである。こういうところにも地理や行政に関する趣味的なおもしろさがある。

 

小樽12:34→札幌13:06 3924M「快速エアポート130号」 6連 クハ721-4204

 ここは完全な都市路線だ。

 無事に札幌に到着した。これで予定通り「寝台特急トワイライトエクスプレス号」に乗る事ができる。

 

札幌にて

 車両故障の案内が出ていた。本文は以下(斜字)の通りだ。

53日】

本日1040分頃、函館線妹背牛〜江部乙間にて、オホーツク12号に車両故障(エンジン関係の油漏れ)が発生し、同列車の点検を行っておりました。その結果、1234分に後続列車が運転再開いたしました。それに伴い、旭川〜札幌間及び千歳線の一部の列車に運休・列車の遅れが発生しています。ご利用のお客様にご迷惑お掛け致しますことをお詫び申し上げます。

札幌駅長

 

 この案内には誤記がある。「オホーツク12号」ではない。列車番号の12Dと間違えたのだろう。現場の混乱ぶりが見て取れる。人の失敗を晒したりはしたくないので、写真は公開しない。

 「特急オホーツク2号」がオイル漏れの車両故障で運転が打ち切りになり、その乗客を後続の「特急スーパー宗谷2号」の乗せかえるのだが、その「スーパー宗谷2号」も線路点検の影響で1時間30分ぐらい遅れているとの事だ。

 

 

 「寝台特急トワイライトエクスプレス号」の入線時刻が13:49なので、札幌ではぜひラーメンを食べたいと思っていたが、いろいろしているうちに時間がなくなってきた。北の味覚を買い込んで大阪行き特急列車に乗り込む事にした。

2014525日 ここまで)

2014531日 ここから)

 東京都区内からの乗車券はここ札幌駅で終了だ。復路は札幌市内から京都経由で新横浜から東京都西部へ向かう乗車券だ。前述の通り長万部からぐるっと回っているので、長万部よりも山線寄りの駅→小樽駅→札幌市内駅→南千歳駅→長万部駅のどこで区切っても乗車券の効力は同じだ。実を言うと、長万部で区切っても札幌で区切っても合計金額は同じであった。緊急時に備えて南千歳で区切ろうかとも考えたがそちらは高くなった。最安値を算出したいとも思わないので、列車の区切りをも考慮して札幌市内で乗車券を区切る事にしたのだ。

 余談だが、この札幌市内から京都経由で東京へ戻る乗車券は、某旅行会社で発券した際には経由路線数オーバーのエラー表示になってしまった。対応してくれた人が半泣きになっていたので、51日に出発する際には箱根で買ってきた土産を差し上げた。

 

 

 「トワイライトエクスプレス」の5号車シングルツインもしくはロイヤルが空いていないか、最後の確認をした。

 スイカを高額チャージした。スイカは、一万円札を崩す目的や出かけた先の記念として千円ずつチャージしてきたが売店等で使うとあまりにも減りが速いので、思い切って高額チャージした。

 前述の通りラーメンを食べる時間が無くなったので、駅構内にて食料品を購入した。夜は食堂車のパブタイムで食べると決めているが、思惑通りにいかない事や列車の遅延も想定して1食分余裕を見込んで食品を買い込んだ。北の味覚を積極的に選んだので、列車内に持ち込む食品の金額としては珍しく数千円にもなった。

 

★★★トワイライトエクスプレス★★★

札幌14:05→大阪(翌日)12:53 8002レ「臨時寝台特急トワイライトエクスプレス号」 オハネ25-526 シングルツイン

 

 前述の通り、新しい方のカメラが使えなくなった。また、「トワイライトエクスプレス」に乗る事自体も初めてではない。200912月に乗車した際と同じような写真しかないので、全く個人的な乗車体験を記す事にする。尤も、旅行記も乗車体験記もそもそも個人的ではある。

 

 

 「臨時寝台特急トワイライトエクスプレス」と案内される。確かに“臨時列車”には違いない。そうは言うものの、毎日走らないまでも1989年から継続的に運転されてきたので、“臨時”という表現はこの列車には似合わない。

 13:49DD51-1100DD51-1095の重連に先導され、「トワイライトエクスプレス」が4番線に入線してきた。客車は春に全般検査を終えたばかりの第三編成、そして殿(しんがり)を務めるのは、200912月にもお世話になったカニ24-10だ。

 

 

 「トワイライトエクスプレス」は、客車編成3本と4両のカニ24が別個の運用になっている。よって、全検を終えたばかりの第三編成とカニ24とでは車体の輝きが違っていた。

 

 

 発車前のひと時。記念撮影をする人が多い。手稲行きや新千歳空港行き等の案内が表示される中、はるか遠くの「大阪」の行き先表示が、桁違いの長距離列車への期待を駆り立てる。

 

★大阪行きの列車が好き★

 北海道行きの下り列車の方が人気があるみたいだ。しかし私は、故郷が関西で勤務地が東京なので、大阪駅や新大阪駅から東へと走り去るのが好きではない。これは旅行とて例外ではないのだ。むしろ「大阪行き」というのに惹かれるのである。

 

★★シングルツイン★★

 2013年春の改正から、5号車が禁煙車となった。JRの個室車両は、従来は禁煙と喫煙の区別が無かった。個室車両内の空調機器は完全に独立した物では無いらしく、同じ車両の別の個室でタバコを吸われるだけで辛い人もいるらしい。よって、5号車が禁煙化された時はうれしく思ったのであった。そうは言うものの6号車は従来の個室と変わりなく、際立って損した感じはしない。ちなみに、人気のA寝台個室も禁煙と喫煙の区別が無い車両だ。

 今回取れた部屋は、運良く進行方向右側だ。私は、複線区間において駅や配線がよく見える進行方向右側が好きなのである。

 

 それにしても荷物をたっぷり置ける事はありがたい。

 (翌日撮影)

 座る場所、荷物を置く場所、眠る場所を効率よく分けられるところがなんともうれしい。タオルだって干せる。夜行列車の座席車の荷棚からタオルをぶら下げて干している人を時折見かけるが、さすがに下品である。個室はそういうところも気兼ねせずに良い。

 

 (翌日撮影)

 上段の補助ベッドは、上下の空間がこのように狭いが窓が無いので、余計な光が入ってきにくいから私としては眠りやすい。

 

★いい日旅立ち★

 札幌を発車してすぐに「いい日旅立ち」が流れ、それに付随する放送が入る。この「いい日旅立ち」は始発駅発車後と終着駅到着前にしかかからない。この曲は国鉄のキャンペーンソングとしても用いられていたが、今ではJR西日本が多く用いている。そう、「トワイライトエクスプレス」はJR西日本が威信をかけて世に送り出した列車なのである。

 

★シャワー券★

 札幌を出発して10分ぐらい経ってからシャワー券を買いに行った。なんと空いている時間帯の中から好きな時間帯を選べるではないか。青函トンネル内の時間帯を希望した。そもそも私は自宅以外で裸になるのが嫌だ。医療機関ならば仕方がないと思える範囲だ。もしも地上を走行中に脱線転覆事故がありその時に素っ裸だったら救出されるのを待ってほしいと思う。一方、海底トンネル内の事故ならば埋まってしまうか、救出にかなりの時間を要するだろうから地上よりはましなのである。そのようなわけで青函トンネル内でシャワーを使う事に決めていた。

 

★検札★

 青森まで乗務するJR北海道の車掌氏が検札に来た。京都からの飛び出し区間の大阪までの乗車券を求めた。JR西日本の車掌からでもよいかと言われたが、その後、サロンカーにいる私のところまで持ってきてくれた。54日の京都から大阪までの乗車券を、53日に函館運転所の車掌から発券していただいたという事で、大変良い記念になった。

 

★ティータイム★

 ダイナープレヤデスからティータイムの案内が入った。これは知らなかった。せっかくの食堂車体験だという事で行ってみたが、飲料しか出ないとの事で引き返してきた。なお、今回乗車した際の食堂車の案内は前回乗車した際のそれとは異なっていた。浴衣姿、スリッパ履きに加え、持ち込みの禁止が案内された。持ち込みをする下品な客がいたのだろうと察する。

 

★グッズ販売★

 トワイライトエクスプレスグッズ販売の案内があり、サロンカーにて美人乗務員氏から3点購入した。順番に各車両に伺うとの案内であったが、販売を開始するサロンカーにてすでに長い行列ができていた。

 

★車内BGM

 個室内でBGMが聞ける。たいして期待していなかったが、4chが極めて良かった。私は音楽の好みは人に言わない主義だが、今回は特例だ。そのうちの1曲は何かの主題歌で聞いた事があるが、それには関心が無かった。ゴールデンウィークのこの時期にクリスマスソングが混じるのはいただけなかった。気に入った2曲を録音してきた。轍の音が混じっているので「トワイライトエクスプレス」への思いが蘇ってきてそれはそれで心地いいのだが、東京へ戻ってからダウンロードにて購入した。

 なお、車内のオーディオ機器は、車両の改造時期の違いにより、第一第ニ編成と第三編成とでは異なる。互換性が無いのである。

 

★★サロンカーにて★★

 一人旅の男性が声を掛けてきた。札幌からの彼は「トワイライトエクスプレス」に10回ぐらいは乗っているらしい。

 その後、札幌近郊から来た一人旅の男性が加わった。新幹線の話になった。

 

 「6号車○番のお客様はいらっしゃいますか?」と食堂車乗務員が言っていた。何事かと思いきや、夕食や朝食の予定や希望を全員に聞いて回っているとの事だ。

 

 しばらく席を離れていて再びサロンカーに戻ったところ、女性二人が話の輪に加わった。家族連れだとは分かるのだが親子か姉妹か一瞬わからない感じの親子だ。この事例に限らず時々、姉なのか母なのかわからないような女性がいる。彼女もそんな感じだ。京都へ帰るとの事。復路が「トワイライト」のツアーはあるが、往路が「トワイライト」のツアーはないと言っていた。「トワイライトエクスプレス」がツアー列車としてスタートしたという話をした。

 前回乗車した際にサロンカーで見かけたスタンプが見当たらない。車掌氏に尋ねたところ、そのスタンプはJR西日本の車掌の持ち物との事だ。

 

 この列車は、「北斗星」や「カシオペア」が停車する伊達紋別には停車しない。そのようなわけで伊達紋別駅を凝視した。

 

 

 洞爺を出ると、12時間以上先の新津まで客扱い停車を行わない。以前はここ洞爺で後から来る「特急スーパー北斗16号」を退避していたが、減量ダイヤ改正後にそれはない。にもかかわらず、駅本屋のある1番線着発ではない。

 洞爺発車後、「さぁ、これで今夜の顔ぶれは確定ですね。」などと言ってしまった。なんというか、乗客間の連帯感も高まってきたような気がした。

 

 国道37号線を行く車の流れより遅い場面が見られて話題になった。北海道の一般道は速いので、この列車も遅くはないはずと言われた。そうは言うものの、この先遠路はるばる大阪まで行く特急列車が一般車道に負けているのがなんともおかしな光景だ。

 

 事前に特に意識はしていなかったが、秘境駅として有名な小幌駅を見る事ができた。

 朝通ってきた山線が見え、長万部を通過。

  

 森から渡島砂原経由の線に入る。かつては、ここを遠回りしている間に大沼公園経由の座席特急を先に通していた。今となっては謎の遠回りだが、外が明るい時間帯に優等列車でここを通るのは珍しい事である。

 

 北海道志向の観光列車のはずだが、案内放送が無い事が不思議であった。大沼でやっと案内放送が入った。ミズバショウがきれいなので行けば良かった、と言う声が聞こえてきた。確かに朝の「特急スーパー北斗1号」から見たミズバショウは印象的であった。また、11線ながら特急停車駅である大沼公園駅に関心がある旨を話した。

 

 北海道の彼らは函館の裏夜景について教えてくれた。

 私は、仁山駅がかつて信号所であった事やこの辺りの勾配の様子を話し、加速線の現物を示した。

 

 

 新幹線新函館駅建設工事が進む渡島大野駅を凝視する。渡島大野駅は函館駅から17.9kmもあり、それらも話題になった。盛岡以北の新幹線は不思議な事がいっぱいだ。

 

 五稜郭にて運転停車中に京都の娘氏が「(外から)めっちゃ見られてる。恥ずかしい。」と言うので、「トワイライトエクスプレスは外から中が見えにくい。京都で降りる際には外から車内を見てみると良い。」と伝えた。

 五稜郭ではDD51が切り離され、海峡線専用の機関車に付け替えられ、進行方向が変わり江差線へ入る。しかし、五稜郭や青森で車外に出られないので機関車の番号は確認できない。また、青函区間の機関車に「トワイライトエクスプレス」のヘッドマークは取り付けられない。

 

 先程の京都のママ氏が言うには、洗面台からお湯が出ないとの事だ。隣の5号車の洗面所を見に行ったところ、湯水の温度を調整するような機能は無かった。あれれ!これは国鉄ブルートレインより退化しているではないか。三面鏡を付けたりして見た目を豪華にしても、女性客が化粧をどうやって落とそうか困るというのはいただけない。お湯を使いたければシャワー券を買えって事か?

 

★列車シャワー初体験★

 19:54青函トンネルに突入。20時になってシャワー室に行った。それにして臭い。下水臭か?

 時間制限やら何やらと制約が多く、気忙しい。皮膚の都合により、夏だとお湯の使用時間は6分間では足りないと思う。

 

 シャワー室から更衣室を見た様子。

 

 シャワーから出てサロンカーの仲間のところへ行った。ちょうど竜飛の定点を通過したので、ママ氏に先程説明した定点だと伝えた。

 

 

★パブタイム★

 蟹田を過ぎてパブタイムの案内放送が入るとサロンカーにいた人の大部分が食堂車に流れ込んだ。みんな考える事は同じだな。しかしながら青森駅で35分停車するとの事。停まっている食堂車にそれほど価値があるとは思えないので、ステーキピラフを食べ終えると早々に退散した。御飯物はステーキピラフしかないのでそれだけ食べたが、夕食としては物足りないので、札幌駅で購入したうちの一食も食べた。

 

★「トワイライトエクスプレス」の停車駅について★

 青森では再び進行方向が変わり、牽引機がJR西日本のEF81に交代する。車掌も交代する。また、札幌行きの「急行はまなす号」と並ぶ。青森始発の「急行はまなす」さえ発車していない有効時間帯であり、大阪行きの「トワイライトエクスプレス」は函館や青森で客扱いしてもよさそうに思う。唯一点、35分も停まる駅でドアを開けるのは防犯上の緊張があると思うので、そこらの調整は必要であろう。

 「トワイライトエクスプレス」の停車駅が洞爺で区切られている事には諸説ある。一つは、自社管内の取り分を減らしたくないJR北海道が自社内での乗車距離を確保しているとの説だ。これが本当だとすれば“お客様の方を向いていない会社”だという事になる。もう一つは、かつての「日本海1,4号」とで支庁毎に分けたという説だ。これが本当だとすれば、函館発着の「日本海」が無くなった今、渡島に「トワイライトエクスプレス」を停めてもいいではないかと言いたくなる。渡島については上り列車に限った話ではなく、下り列車では早朝ではあるものの五稜郭では「カシオペア」に近接する時間帯なのである。

 

 青森での長い運転停車に続いてお隣の新青森でも運転停車だ。ここでは「特急つがる9号」と行き違った。

 

 

 就寝した。一度目覚めたが、まだ24時前だ。

 

201454日(日)

 直江津から案内放送が始まった。またまたうるさい案内放送が始まったと思った。

 昨夜早く就寝したせいか、7時前には目が覚めた。

 JR北海道管内では大沼と青函トンネルしか案内がなかったが、JR西日本管内では直江津に始まり頻繁い案内が入る。車掌氏に尋ねてみると、案内放送のマニュアルがあるらしく、放送できない場合を除いてほぼ共通の内容を放送しているらしい。

 

 夜の食堂車は外がよく見えないので、明るい時間帯の方がいい。朝食の時間帯に余裕があれば入れてもらおうかと思ったが、この日はもう案内できないとの事だった。

 

★★続・サロンカーにて★★

 サロンカーでは昨夜のメンバーが昨夜の位置にいた。シャワー室の悪臭を避けたいので、サロンカーの前寄りで朝食にした。

 

 子供達に混じってスタンプを押すうちに3家族で乗っている人達とも仲良くなった。私のスタンプ帳を見せると大いに盛り上がった。

 

 牽引機を模ったスタンプがかわいらしい。

 スタンプについて車掌氏に尋ねてみた。別に編成毎に内容が異なるわけではないらしい。ただし、全て乗務員の手作りなので一つ一つは微妙に異なるらしい。手作りというところにも「トワイライトエクスプレス」に対するJR西日本の意気込みが伝わってくる感じだ。

 

 

 食後にサロンカーの“定位置”に戻ると、前夜は会釈した程度の小樽から来た高齢男性ツアー客ニ人組とも話した。

 車掌氏がやって来て、暑かったり寒かったりしないかと尋ねてきた。

 

★タバコとシャワー室に続く、第三の悪臭★

 6号車の洋式トイレに入ると嫌な予感がした。紙が盛られている。もしかして流れないのでは…。嫌な予感が的中し、他人が出した山盛りのブツを見る羽目になった。車掌に申告した。私がやったのではない旨を強調しておいた。全般検査を今春終えたばかりだというのに、旅客の目に付くところだけでもこんな状態だという事は、安全面やその他諸々が大丈夫なのかと思った。

 サロンカーでこの話をすると、車両の老朽化の話題になった。サロンカーの肘掛の一部が完全に外れていた。200912月の乗車体験記にはあえて記さなかったが、老朽化が目に付くところはいくつかある。

 

 使用停止の張り紙が…。

 おっと、ブツの話はそこまでだ。

 

 

 金沢にて読売新聞を積み込むとの案内が入った。

 再びグッズ販売の案内が入った。販売箇所の食堂車へ行ってみた。札幌発車後に売られていた物と同じらしい。

 

★続・車内BGM

 サロンカーのBGMもシングルツインで聞けるBGMも同じ物みたいだ。昨夜は音量を変える人が見られたが、私は思い切って4chに切り替えた。

 車掌氏に尋ねたところ、乗務員は装置のON/OFFを操作するだけで、チャンネルや音量は乗客に任せてあり、とりわけ指定の設定とかは無いみたいである。

 

★敦賀にて★

 

 敦賀では機関車の交換が行われる。青森からのEF81-103が切り離され、EF81-44が先頭に付く。古い方のカメラの容量をやりくりしながら撮影したので、地下道から跨線橋に切り替わった駅をじっくり見る事はできなかった。また、ママ氏も機関車交換を見に来ていたので、車外から車内が見えにくいという事を実際に見てもらった。

 200912月には機関車交換のところに食堂車乗務員も出てきて撮影とかに応じてくれていたが、今回は車掌氏はいたものの食堂車乗務員の姿は見られなかった。

 

 

 敦賀を出た列車は鳩原ループ線を行く。昨夜食堂車で向かいにいた女性客がループ線の案内を聞き入り撮影したりしていた。ループ線が終わると彼女はサロンカーを去っていった。あまり人の事は言いたくないが、その女性は昨夜食堂車で向かいの席に一人でいた。また、ループ線を楽しむところから見ても“鉄子さん”ではないかと思った。こういう言い方をすると一人旅が好きな人々やキモヲタには申し訳ないが、20代か30代位のきれいな感じの女性が一人で乗っている事に驚いてしまった。

 

 近江塩津を通過すると日常的な関西に戻ってきた気になる。「あぁ、関西に戻ってきた。」と言ったが、北海道から来ている人達にとっては逆に近畿圏が珍しいのである。琵琶湖を見て大喜びしている人もいた。滋賀県の面積の1/6が琵琶湖だとの案内を聞いて意外と少ないと言っていた。近畿圏外の人にとっては滋賀県の大部分が琵琶湖で占められている印象らしい。近江今津を通過する際には、竹生島観光への玄関口である旨を説明した。

 

★続・「トワイライトエクスプレス」の停車駅について★

 思うのだが、糸魚川、加賀温泉郷、琵琶湖、これらの案内放送をするのであれば上り列車ぐらい停めればいいではないか。立山連邦の案内については富山に停車するのでいいと思う。加賀温泉郷について丁寧に説明しておいて加賀温泉駅を通過するのは意味がわからない。温泉は車窓風景ではなく訪問地のはずである。琵琶湖についても、竹生島観光の玄関となる近江今津に停めればいいではないかと思う。尤も、湖西線内については、強風の影響で米原迂回になれば当該停車駅を経由できないというリスクが伴う。それにしても、車窓風景ならば案内するのもありと思うが、温泉地を案内だけして通過するというのは意味が無いと思うのだが…。

 

8号車★

 京都にてBコンパートメントから下車する件の親子を見送った。乗車中には8号車や9号車にも何度か行った。8号車の9号車寄りには、タバコの煙が来るから扉を閉めてほしいとの旨の張り紙が昨日からなされていた。乗客が雑に貼った物だと察する。朝8号車を通るといろんな物の入り混じった匂いがした。さすがに換気が良いとは言えない車内で満席に近い乗客が長い時間寝たり食べたりその他諸々しているのだから匂いも篭るわなと思った。

 

 

 京都を出ると、下りの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」とすれ違う。

 

★親友と★

 PHSが圏外になるところを長く通ってきたので、その電源は旅程の大部分で切っていた。京都を出てメールを確認してみると、京都在住の親友が桂川駅へ手を振りに来てくれるそうな。「桂川? どこだ?」と思って程なくして桂川の標識が見えた。指定の位置に彼の姿を捉えた。そうは言うものの、前述の通り「トワイライトエクスプレス」は車外から車内を見る事は困難だ。それにしてもやばかった。もしも彼が京都駅まで来ると私に伝えていて私がそのメールを見ていなかったら、あるいは桂川駅を通過する前に彼からのメールに気づかなかったら、彼の行動を無駄にしてしまうところであった。

 

★やはり遅いのか★

 かつての「下りトワイライトエクスプレス」が21時間で走っていた大阪⇔札幌間を現在の「上りトワイライトエクスプレス」は23時間近くかけて走っているが、駅間は特急列車らしく結構速いものだと前日から思っていた。ところが、12:39頃、内側線を行く各駅停車に圧倒的な速度差で追い抜かれた。その各駅停車は間もなく茨木に停車した。アーバンネットワークの電車の加減速性能の高さを目の当たりにした思いだ。

 

★大阪に到着★

 「いい日旅立ち」が流れ、終点大阪に到着した。「トワイライトエクスプレス」を始発から終点まで、しかも大好きなシングルツインで乗り通すという願いを達成できた。きわめて満足度の高い旅路であった。

 

★印象や思い出は乗るたびに異なる★

 せっかく気分よく旅行できたのでそれでいいと思う。あえてマイナス点に触れる必要も無いとは思う。それでも記しておこう。カメラを思うように使えなかった事は自分の失敗だ。大本命の5号車を取れなかったものの6号車の右側を取れたのでそれはそれで良かったと思う。満足なカメラを持って禁煙の5号車に乗る為だけに再び出かけるかといえば、否だ。思い出はなんといっても心の中にあるし、古い方のカメラがあっただけでも助かったと思う。

 悪臭の件は残念であった。その後もトイレの故障が頻発しているらしく、「汚わいライト」などとあだ名が付かないうち是正した方がいいだろう。

 乗務員もチームによって違うのだろう。食堂車にてやや厳しい言葉が飛び交っていたのが印象的であった。乗客にとっては楽しいクルージングトレインであるが、乗務員にとっては職場なのだ。敦賀駅での食堂車乗務員の対応も前述の通り200912月に乗った時とは違った。また、どことは言わないが運転停車位置を修正する場面があった。列車に限らず世の中は、人によって動いているものだと感じた。誤解の無いように記しておくが、今回の乗務員に不満があったわけではない。

 

★後から知った事★

 帰宅後に荷物を整理していて知った事がある。

 当日は2154に青函トンネルに入ったが、やはりシャワー券を買う時に食堂車乗務員氏が21:45頃と言った通り、“旅のしおり”には21:41と記されている。また、サロンカーで一緒だった人が、「五稜郭に着くのがこんなに遅かったかな?」と言っていたぐらいなので、JR北海道管内で遅れが出ていたのかもしれない。所定では青森駅で40分停車する事になっているみたいだ。もしかすると、普段はDD51だって一般国道の車には負けないのかもしれない(笑)。

 シングルツインの部屋に置かれていた案内を見たところ、ティータイムの事も記載されていた。案内を読まなくてもわかるという思い込みは、大事な情報を逃してしまう危険があるという事を学んだ。

 グッズだって冊子で紹介されていた。件の販売担当者が冊子にモデルとして登場しているではないか。なるほど、モデルを兼ねるほどの美人さんというわけだ。

 

大阪駅から関西の実家へ

 大阪環状線の12番乗り場の発車メロディが「やっぱ好きやねん」に変わっていた。

 交通科学博物館が閉館した後の弁天町駅を見てみたかったが、せっかく座れたし荷物が多いので復路に見る事にした。

 新今宮からは南海電鉄の区間急行和歌山市行きに乗った。この列車は、ふじと台に登場した大型商業施設への利用を見込んでみさき公園行きを和歌山市行きに延長したものだ。意外にも20分後に発車する「特急サザン」に終点まで追いつかれないみたいである。

 南海本線では、期間限定の「“赤い”ラピート」とすれ違った。

 

【第3旅程】 Uターン 

201455日(月)

 実家を出発するのが意外と遅くなった。今回は東京都区内経由ではなく新横浜までしか新幹線に乗らない。東京経由の方が終電が遅いので、新横浜で乗り換える旅程は避けた方が良かったかもしれないと思った。

 

★弁天町駅★

 46日を最後に閉館した交通科学博物館がどうなっているのか、弁天町駅から見てみた。件の往路ならば列車から出てすぐに見られたが、今回はわざわざ反対側のホームへ行かなければならない。

 

 展示されていた車両はまだこのように見られる。博物館に関する掲示は、駅から一切無くなっていた。スタンプの意匠は変更されていた。

 

 阪和線が遅れているらしく、本来ならば先程乗った「大和路快速」よりも前にやってくるはずの「関空紀州路快速」で大阪駅へ向かった。

 

新大阪19:46→新横浜22:01 9416A「のぞみ416号」 726-529

 乗車券が特殊なので、自動改札は通れず、係員氏に説明して新幹線改札を通った。

 自由席に余裕で座れた。何事も無く東京へ帰れるかと思いきや…。

 三河安城を過ぎた辺りから検札があり、京都から隣に座ってきた女性が私のきっぷや北海道の飲料が気になったらしくて話しかけてきた。彼女は旅行が好きらしい。なんとこの先、新横浜到着までの1時間以上しゃべり続けたのであった。通常は他人の、とりわけ女性の邪魔はしない主義だが、向こうも話をしてくれて大いに盛り上がった。

 前述の通り、今回は品川や東京までは乗らない。一方、彼女は東京まで乗るという。こんな楽しい時に限ってなぜに新横浜で降りる選択をしてしまったのか…。私なんかとでも1時間以上ノンストップで会話ができる女性がいるという事に驚いてしまった。

 速くて便利で快適な移動手段に過ぎない東海道新幹線でこんなに楽しかったのは何年ぶりだろうか。

 

★★あとがき★★

★かかった費用★

 帰宅後に荷物を整理していて、51日から5日までのきっぷやら領収書やらの金額を足していくと10万円ぐらいになった。意外と多くかかっていたみたいだ。

 

★何かと感謝★

 今回は、旅行の多くの場面で“感謝”を感じる事が多かった。自身の健康に感謝、お金に感謝、周囲の人々への感謝、運良く取れたきっぷへの感謝、等々。

 なんといっても健康でなくては旅行はできない。体が健康である事に感謝だ。

 前述のように10万円使ってもびくともしないお金にも感謝だ。5月は同じく10万円ぐらいの自動車税や固定資産税も支払う時期だ。それでもお金に困らない事に感謝だ。

 歳のせいか、近い知人で亡くなる人や倒れる人が時々いる。言うと悪いが、入手困難なきっぷを揃えて旅行する時期だけは避けてほしいと願っている。そういう意味で無事にいてくれた周囲の人々へも感謝だ。

 また、旅行は必ずしも気分がいい時だけとは限らない。ストレス等で心理的な痛みが激しい時は基本的に家にいるのだが、日付限定や時季限定ゆえに仕方が無く重い気持ちを引きずったまま出かける事がある。それほど多くないが過去に数回あった。こういうのの多くは、再訪問したりして思い出を塗り替えたりしている。ところが今回は、心に引っかかる物や痛みが無く、ひたすら楽しさの中に身を置ける幸せ感満点の旅行であった。「こんなに楽しくていいのかな」と時折涙が滲み出てくる事さえあった。それほど楽しい旅行であった。

 

 

★★「トワイライトエクスプレス」への思い★★

 さて、時間軸の関係から記すのが後になったが、旅行記を書き終えないうちに残念な発表がなされた。528日、JR西日本より「トワイライトエクスプレス」の運行を来春で打ち切ると発表された。乗って感激したその月内でのまさかの発表。ショックだった。北陸新幹線の開業に伴う在来線の分離や北海道新幹線の工事の影響もあり、先が長くない事は覚悟していた。頭ではわかってはいたが、現実のものとなるとショックだ。

 1988年(昭和63年)、青函トンネルが開業し、上野⇔札幌間に豪華寝台特急「北斗星」が登場し、大阪⇔青森間を結んでいた「寝台特急日本海」のうちの一往復が函館まで延長された。対東京の「北斗星」が豪華車両をいくつも連ねた有名列車なのに対し、対大阪の「日本海」がB寝台だけの地味な列車である事がなんとも残念であった。同年、その「日本海」がグレードアップされて札幌まで延長される計画があるという記事が新聞に載った。大阪と札幌を結ぶようになったその豪華寝台特急こそが、1989年(平成1年)に登場した「寝台特急トワイライトエクスプレス」なのである。当初はツアー専用列車であり、なんとなくジョイフルトレインのような印象しかなかった。同年12月に一般販売されるようになると、「北斗星」を追い落とすような列車が大阪に現れた事がとてもうれしかった。関西の誇りだとさえ思った。なかなか乗る機会こそ無かったが、「寝台特急トワイライトエクスプレス」は憧れの列車であった。

 豪華ならば何でもいいとは思わない。ロイヤルのように改造によっていくらでも贅沢に作れるような車両にはあまり関心が無い。また、窓並び等の編成美という点でも「北斗星」以降の改造による新形式には関心が持てなくなったのであった。そうは言うものの、24系客車という点において趣味の範囲内なのである。はっきり言って「カシオペア」だの「ななつ星」だの計画中の豪華クルージングトレインだのには全く関心が無い。

 自社管内だけをチョコチョコ走る寝台付きクルージング団体列車にどんな魅力があるのか私にはわからない。時刻表を見ながらどこからどこまで乗ろうかと考えられる列車にこそおもしろさがあると私は思う。私は昭和54年頃の東京発着九州ブルートレインに憧れていたが、それに近い思いを抱ける列車といえば、今では「寝台特急トワイライトエクスプレス号」において他に無いのである。

 「寝台特急トワイライトエクスプレス号」はよく考えれば安い乗り物だ。JR在来線の特急料金は600kmを超えるとそれ以上は上がらない。ゆえに、「トワイライトエクスプレス号」は1500kmもの距離を一本分の特急料金で行ってくれるのだ。今や300kmも走れば在来線長距離列車と言われるご時世において、その5倍も走ってくれるのである。300km相当の特急料金を5回払うよりも安いではないか。寝台料金にしてもそうだ。距離が短い夜行の特急や急行の2倍や3倍の乗車時間があるにもかかわらず一晩だけの寝台料金で行ってくれるのだ。それでいて豪華なサロンカーや食堂車まで付けてくれるのだから、安すぎるとしか言いようが無い。

 来春の廃止にしては発表が早すぎると思うが、考えを変えてみれば、廃止が発表される前の“ノーマルな時期”に乗れて良かったと思う。この先、駅や車内の雰囲気が悪くなっていく事は間違いないだろう。ありがとう、「トワイライトエクスプレス」! まだ乗る機会はあるはずだ。

 

 

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