帰省記
2006年5月 在来線昼行特急で往き、フェリーと原付で戻る。 (2006年5月31日(水)公開)
目的地指向型の旅行ではないが、行程があまりにも特殊なのでの
6月からの業務の移り目を機に長い休暇をもらえる事になったので、5月下旬に帰省して原付を航送してくる事にした。実家では私の原付が余剰になっており、事あるごとに棄てるように促されていた。
5月下旬は気候が良いので原付で走るには好都合である。また、この時には腕時計ROLEXをオーバーホールに出していたので、激しい振動が伴う原付を運転するにはこういう点でも都合が良かった。
今回の旅程は、
1.
(往路) 首都圏→関西圏間を在来線昼行特急でいく2.
関西にて3.
(復路) 原付とフェリーでUターン 和歌山港→徳島港→東京フェリーターミナル4.
(復路) 原付 東京フェリーターミナル→自宅
主なネタは本文中で色を変えて両端に★印をつけておく。
1.
(往路) 首都圏→関西圏間を在来線昼行特急で移動する首都圏→関西圏間を在来線昼行特急で移動する。東海道在来線の長距離昼行特急が絶滅した今日にそのような事が可能なのか疑問に思われるかもしれない。しかし、「特急あずさ号」と
1日に1本だけある大阪行きの「特急ワイドビューしなの16号」を組み合わせれば可能なのである。先ほどのゴールデンウィークに「特急あずさ号」と大阪行きの「特急ワイドビューしなの
16号」という経路を考えていたところ、おもしろい事に気づいた。なんと、八王子から塩尻、名古屋、京都経由で大阪市内までだと運賃が8,190円である。東京都区内から大阪市内まで東海道本線経由だと8,510円(非分割購入の運賃)であり、八王子から塩尻経由の方が運賃は安いのである。
★いつもの旅行会社へきっぷを買いに行った★
帰省前日の
5月20日(土)、いつもの旅行会社へきっぷを買いに行った。次の4点を買い求めた。1.
乗車券 八王子→大阪市内 経由(塩尻・名古屋・京都)2.
自由席特急券 八王子→塩尻3.
特急券(新幹線乗継割引) 「特急しなの16号 普通車禁煙席」 塩尻→京都4.
新幹線特定特急券 京都→新大阪今回も、よくお目にかかる入社
3年目の女の子が対応してくれた。私のマニアックな注文に苦戦しているようで申し訳なかった。ようやく発券された乗車券には「経由(中央東・中央西・東海道)」と記されていた。なお、上記
4枚のきっぷのうち、3と4の間で別の注文用紙になった。そのような訳で、最初に提示された「特急しなの16号」のきっぷは割引になっていなかった。私は備考欄に“乗継割引”の旨を記しておいたのだが、彼女はよくわからなかったらしく、先輩社員に確認して作り直していた。「いつも変わったきっぷばかりですみませんね。」と言っておいたが、私は変な客だと思われている事だろう。
私は昼の列車では普通車自由席かグリーン車指定席のどちらかを選ぶ事が多く、普通車指定席を選択する事はめったに無い。しかし、「特急しなの
16号」だけは指定席にした。なぜなら、「特急しなの16号」はただ1本だけの大阪行きであり、もしも塩尻まで乗る「特急あずさ17号」が遅れたとしても、確実に名古屋以遠まで特急列車に乗せてもらいたいからである。自由席券だとこういうわけにはいかない場合も考えられる。ところで、きっぷを注文する時には「特急ワイドビューしなの
16」と記したのだが、券面には「ワイドビュー」という文字は無かった。また、窓側は満席であった。
2006
年5月21日(日)★中央本線「特急あずさ
17号」★八王子
12:32→塩尻14:35(実際は4分ほど遅れ) 中央本線 67M「特急あずさ17号」 9連 クハE257-113この「特急あずさ
17号」は11連ではなく、「特急かいじ号」に多く見られる9連である。この時間帯は需要が少ないのであろう。そうは言うものの自由席に乗車するという事で緊張していた。空席が無ければ2,000円追加してグリーン席に移ればいいが、このE257系は普通車でじゅうぶんだと思うので、とりわけグリーン席に移りたいとも思わない。最後尾の
3号車に空席を見つけた。日曜日の昼過ぎの下り列車ゆえか、ガラガラであった。なお、昼食時間帯であるが、八王子発車直後にやってきた車内販売では弁当は売り切れていた。
この区間で特急列車に乗るのは初めてである。小仏峠をどれくらいの速度で駆け上がるのか興味津々であった。勾配区間では
115系が強い。そのようなわけで新鋭特急車両のE257系がどのような走りを見せるのか楽しみにしていた。中央本線の東側は過密区間の為に高尾までは概ね
95km/hに制限されている。実際は快速電車に挟まれて特急列車はかなりノロノロ走っている。高尾を通過してからどれくらいの速度になるのかずっと見ていた。この列車の八王子から先の途中停車駅は、甲府・小淵沢・茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷・塩尻である。なんと、八王子から甲府までの
86.7kmを無停車で駆け抜ける。八王子停車中には、大月に停車しない旨が放送された。八王子から甲府までの所要時間は59分であり、90km/h前後で走っている事は想像がつく。カーブが続く小仏峠を
90km/hで駆け上がる。並走する中央自動車道にわずかに負けている。しかし、新小仏トンネルの直線登り勾配で120km/hにまで加速した。さすが新鋭特急車両だ。速度が抑えられていたのはカーブが原因らしい。相模湖駅を約80km/hで通過した。その後も特に速度は上がらず、90km/hでの走行が続いた。
新桂川橋梁では
120km/hに達した。また、笹子トンネル内においては、登り勾配で120km/hを見せたが、下り勾配では40km/h台という走りを見せた。石和温泉付近では110km/h運転を見せたが、総じて90km/hで走る時間が長かった。過密区間でもないのに直線区間でさえも
90km/hで走り続けるのは、幹線の電車特急として今ひとつがんばりが感じられない。もちろん1966年に181系で登場した頃よりも速くなっている事は判るが、非電化単線の山岳路線でも可能な限りがんばっているJR四国土讃線の気動車特急とは対照的な気がした。確かに中央本線は名立たる山岳路線なので連続高速運転は困難なのかもしれない。
183・189系置き換え用のE257系よりも前に、カーブに強い振り子式のE351系が「特急スーパーあずさ号」として投入された。しかし、新宿⇔松本間で十数分程度の短縮効果しかないという事で、JR東日本は高価な振り子式車両の続投を見送った。そうは言うものの、E351系専用ダイヤの列車の表定速度自体はそれなりに高いのも事実だ。茅野・上諏訪・下諏訪・岡谷と
4駅連続で停車する。茅野→上諏訪間では、3号車の乗客は9人だけであった。
上諏訪では、遅れている上りの「特急スーパーあずさ
22号」待ち合わせの為に4分ほど発車を遅らせた。ほ〜ら来た。こういう事態を予測していたので「特急しなの16号」を指定席にしたのだ。仮に事故などの影響で「特急しなの16号」に乗れない場合でも、名古屋までの自由席ならば後続列車に乗ればよいが、なんと言っても私は確実に名古屋以遠まで特急列車に乗せてもらいたいのだ。塩尻駅
2番線に到着した。「特急あずさ17号」から5番線発の「特急しなの16号」に乗り換える客が多かった。塩尻駅ホームの売店名は、1・2番線ホームの店が「あずさ」、5・6番線ホームの店が「しなの」となっている。
★中央本線・東海道本線「特急(ワイドビュー)しなの
16号」★塩尻
14:52(実際は5分ほど遅れ)→京都18:36 中央本線・東海道本線 2016M「特急(ワイドビュー)しなの16号」 8連 モハ383-3塩尻駅では名古屋方面も「上り」と案内されている。中央本線は元々、東京から信州を経て名古屋へ至る路線である。かつては名古屋⇔松本方面を直通する列車は塩尻でスイッチバックを行っていた。しかし
1982年からは、東京⇔松本方面および名古屋⇔松本方面が進行方向を変えずに直通できるようになっている。下りの「特急しなの
11号」が遅れてやってきた。それに合わせて1番線から発車する高尾行きの普通列車の発車を遅らせていた。
長野発の「特急しなの
16号」は5分遅れで塩尻に入線した。16号とその次の18号は6連ではなく8連である。2両しかない自由席はかなり混んでいる様子だ。6分遅れでいく場合の到着予定時刻が案内された。
383系は381系の後継となる振り子式特急電車である。「特急しなの号」は我が国で初めて振り子式車両が投入された列車である。この路線がいかにカーブの多い山岳路線であるかを物語っている。
383系普通車のシートピッチは1,000mmもあるのでゆったりしているが、振り子式車両特有の上下方向の揺れと混雑した車内により、先ほどの「特急あずさ号」ほども快適だとは思えなかった。
残念ながら速度計を見る事はできない。
風光明媚な信濃路・木曽路を行く。
★木曽高速★
写真中ほどに見えるのは国道
19号線である。別名「木曽高速」と呼ばれる悪名高い無法暴走道路だ。高速道路料金をケチる貨物自動車が夜間の一般国道を高速で駆け抜けるらしい。また、危険物を積載している車両は中央自動車道の長大な恵那山トンネルの通行を禁止されている事も「木曽高速」の一因となっているとの事だ。
この日は上松に臨時停車した。
八王子から甲斐路・信濃路・木曽路と駆け抜けて、東海道の名古屋が近づいてきた。
この列車の車内販売は名古屋までの営業である。
新幹線への接続もとるらしく、「ひかり
378号」16:58発は14番線、「のぞみ39号」16:57発は17番線に急ぐように案内された。名古屋には
16:53到着予定と案内されたが、実際は名古屋駅到着直前に足踏みしてしまい16:57に到着した。名古屋付近では列車の運転順序も変更になった事だろう。名古屋は9分遅れの発車となった。名古屋から大阪までは振り子機能を切った状態で走る。
名古屋を
9分遅れで発車したが、岐阜では6分遅れにまで回復した。元より名古屋→岐阜間は無停車でありながら新快速よりも遅いスジが引かれているので、17分で走ればそれくらいの回復は可能なのだ。岐阜からの乗客も多い。大阪行きの「特急しなの
16号」は名阪特急としての役割もあるのだ。また、木曽福島から大阪への乗客もあり、直通特急列車としての威力を最大限に発揮しているかのように思えた。すごいぞ「特急しなの16号」!
★新垂井経由★
名古屋から先は「快速ムーンライトながら号」でもおなじみの区間なので、おもしろくないだろうと思う人もいるかも知れない。しかし、それは違う。昼行旅客特急列車としては珍しく大垣を無停車で駆け抜ける。ここから先が特殊なのだ。
東海道本線には関ヶ原に急勾配区間がある。太平洋戦争中に輸送力を増強する為に大垣→関ヶ原間に勾配緩和用の下り列車専用の別線が建設された。その別線上に新垂井駅が設けられ、下りの普通列車が新垂井経由で運転されていた時期もあった。新垂井駅は
1986年に廃止された。現在、この別線は下りの特急・急行・貨物しか走っていない。高性能の電車特急にとっては単なる遠回りになっているのが実情だ。「特急しなの
16号」で新垂井駅跡を通過する。普通列車の乗客には見る事ができない光景である。
次の停車駅の米原からは
JR西日本管内となる。米原には17:53分到着予定と案内されたが、大阪圏のアーバンネットワークに影響を及ぼさない為か実際は定刻に2分遅れの17:49に到着した。米原で
JR西日本の乗務員に交代する。おかしな事にここから先、車内放送において「ワイドビュー」という言葉が登場した。「特急ワイドビューしなの号」と名付けたのはJR東海なのだが、自社であるJR東海管内では「特急しなの号」と案内され、他社であるJR西日本管内において長ったらしく「特急ワイドビューしなの号」と案内されているのである。米原より先は新快速よりも所要時間は少しだけ短いのだが、停車駅が少ないのでゆっくりとした走りになる。なんと
221系の快速に追い抜かれた。快速が次の膳所に停車している間に抜き返したが、追い抜かれる時には2号車車内ではどよめきの声が上がった。
「特急ワイドビューしなの
JR東海のワイドビュー特急車両が、JR西日本管内に堂々の乗り入れ。(写真は最後尾の1号車)
八王子から京都まで在来線特急だけで来た。八王子→京都間の表定速度は、乗換時間を含めても
2
.関西にて(5月21日〜)★友人と会う★
「特急ワイドビューしなの
16号」を京都で下車して、ここで友人に会う。彼とは小学4年生の時からのつき合いだ。社会人になってからの待ち合わせ場所は多彩であり、羽曳野、南紀白浜、五反田、池袋、京都といった具合だ。
★京都から新大阪まで新幹線★
京都
20:05→新大阪20:19 東海道・山陽新幹線 137A「のぞみ137号」 727-15先程の友人とメールのやり取りをしているうちに新大阪に到着した。新大阪駅では「寝台特急なは・あかつき号」を目撃した。また、新大阪から大阪まで乗った普通列車は
201系であった。★
JR西日本管内でSuica★大阪市内で別件で下車した。その後の移動において、
JR東日本のSuicaをJR西日本管内の自動改札機で初めて利用した。
★平日に休むという事★
実家に着いたのだが、なにやら急に東京に戻らなくてはならないような話が飛び出した。なんだかおもしろくない
Uターンになりそうな雲行きであったが、この話はとりあえず収束した。5月22日(月)は原付を修理に出した。保険の申込やフェリーの予約もした。
それにしても平日に仕事を休んでいるのはなんとも居心地が悪い。私は通常の年次有給休暇であっても、行楽期ではない平日に休む日にはスーツを着て外出しているぐらいだ。
3
.(復路) 原付とフェリーでUターン 和歌山港→徳島港→東京フェリーターミナル2006
年5月某日★南海フェリー 和歌山港→徳島港★
和歌山港
7:20→徳島港9:20 南海フェリー 下り4便 フェリーかつらぎ実家から原付に乗ってきた。本格的に原付に乗るのはおよそ
ここ和歌山港は、鉄道連絡船の雰囲気を色濃く残している。右下に小さく私の原付が写っている。
二輪車は最後に乗り込む事になる。私の原付は、実家に置いている間に前かごがついた「おばちゃん仕様」になってしまった。
「フェリーかつらぎ」の船内。一般席にはお遍路さんの集団がいた。船体前側にはグリーン席がある。グリーン席はかつて
2等指定席と呼ばれていた。500円だが、とりわけ座席に惹かれるわけでもないので一般席にいた。「トラックドライバー専用室」があった。トラックドライバーの為の設備なのか、あるいは…。
★徳島上陸★
徳島港の様子…オーシャン東九フェリー「オーシャンサウス」のデッキから撮影。
オーシャン東九フェリーは南海フェリーの対岸に着発するので、こちらまでぐるっと回ってくる必要がある。写真のやや左寄りに見える末広大橋という立派な橋を渡ってこちらにやってきた。
オーシャン東九フェリー徳島港は思いのほか遠いので要注意である。また、途中の道路は歩道か車道か分かりにくい部分が多くて走りにくかった。ガードレールがある方が歩行者には優しいであろう。
写真右側の船舶は南海フェリー下り
5便だ。あちらは11:20着だが、11:30発のオーシャン東九フェリー上り便へは乗り継げない。
★オーシャン東九フェリー 徳島港→東京フェリーターミナル★
徳島港
11:30→東京フェリーターミナル(翌朝)5:00(最終的な着岸予定は5:10と案内された) オーシャン東九フェリー 上り便 オーシャンサウス
オーシャン東九フェリー徳島港の
2階待合室…天井の剥がれた部分には「頭上注意」の張り紙があった。UFOキャッチャーの中身の少なさには驚いた。一ヶ所に片付けられたベンチが悲哀を感じさせた。営業時間帯でも照明が点けられていない…。昭和の温泉旅館の廃○といった感じだ。時空を超越する旅がいきなり始まった。
いよいよ出航だ。出航時には半時間近くかけて船体の向きを変える。港湾の入口を閉鎖してしまうかのような迫力ある大旋回を見せる。
オーシャン東九フェリーには客室等級別に
2種類の船舶がある。私は2等寝台のみのカジュアルフェリーの日程を選んだ。私は自分の場所が明確にならない夜行の乗り物は嫌なので、2等寝台が無いスタンダードフェリーの場合は2等や1等ではなく1等寝台を利用しなければならないのだ。そこまで出費したいとは思わない。カジュアルフェリーである「オーシャンサウス」は全室
2等寝台なのだが、2・4・6・20人部屋がある。6人部屋を見てみるとカーペット敷きの部分があった。何なのだこの違いは…。本当にモノクラスなのか?さて、寝台の正確な寸法は測っていないが、上下方向は鉄道の
2段式寝台車よりも狭い。3段式寝台車の下段のような感じだろうか。
オーシャン東九フェリーは徳島経由で東京と北九州を結ぶ長距離フェリーである。徳島⇔北九州間は、通常ならば太平洋経由であるが、修学旅行客や天候の都合によっては瀬戸内海経由となるようである。
さて、私はエンジンが付いた乗り物独特のプルプルプルプルの振動が苦手だ。大きな船だから大丈夫だろうと思っていたのだが、ものすごく激しい振動であった。食事場所であるオーシャンプラザの振動はハンパではなかった。お茶やしょうゆが激しく振動しているのを見ていると、脳や内臓もこれくらい揺れているのかと滅入ってきた。
どうやら船内を塗り直してからあまり月日が経っていないらしく、匂いのきつい場所もあった。寝台客室にも独特の匂いがあった。振動と揺れと匂いでだんだん気持ち悪くなってきた。ついに売店にて酔止薬を購入した。
あのプルプルの振動があるので雑誌すら読めないし、考え事すらできない。本当に何もできない。
さらに
PHSが圏外なのも困った。平日に18時間も情報から隔離される事にものすごい不安を覚えた。
女性浴室と売店は
22時までだ。女性浴室だけなぜ早く閉めてしまうのだろうか。入浴した。浴室は私ひとりであった。湯船のお湯は激しく揺れていた。
酔止薬は
1日1錠との事だが、翌朝4:30まで売店は営業しないのでもう1錠買っておいた。
ゲームコーナーやフリースペースのスカイルームは利用しなかった。
徳島港で乗船券を購入する時には、
4ポイントまで使える食事券をもらえる。私は3ポイントしか使う機会が無かった。オーシャンプラザに設置されている寿司の自動販売機はカジュアルフェリーの“名物”らしい。深夜の太平洋上でのテレビ番組は、
BS放送が2局しか入らなかった。なんて退屈なんだ…。大半の時間を寝て過ごした。寝ていたと言うよりは、寝込んでいたと言った方が実態に近いであろう。
朝、ようやく陸地が見えてきた。早く着いてほしい。
東京港が近づくと
PHSがようやく圏内になった。大量のメールが来ていた。6時20分頃まで船内に滞在できるサービスがあるので実際の乗客数はわからないが、5時過ぎに下船口付近に集まっていた乗客は20人強であった。少なっ! この航路は行楽期に運休するという事を考慮しても、貨物の為のものだという事がよくわかる。東京フェリーターミナルでは多くのトレーラーヘッドが待ち構えていた。
下船時にバイク乗りの男性と話をした。私以外の二輪客はいかにも定年退職後といった感じであった。その男性は、天候が悪くて
1日遅らせたと言っていた。私も天候に左右されたわけだが、ここでも行楽期ではない休暇が後ろめたく思えた。
私は一人旅派であるが、以前からいくつかの例外がある。フェリーの旅もその例外だという事を認識した。風景が刻々と変化するわけではなく、読書も考え事もできない。一人だとひたすら退屈でしんどいだけであった。長距離の乗り物を嫌う人の苦しみがよくわかった気がした。列車嫌いの人にとっては、長距離寝台特急なんて苦痛以外の何物でもないだろう、きっと。
誤解の無いように強調しておくが、このフェリーの悪口を言うつもりは無い。確かに私には合わない乗り心地であったが、モーダルシフトという点において立派に役割を果たしているのだ。素晴らしい船舶である。
せっかくフェリーに乗ってきたので港湾について軽く触れておこう。国土大好きの私にとってはこれも外すわけにはいかないだろう。
・和歌山下津港…特定重要港湾
・徳島小松島港…重要港湾
・京浜港(東京港・川崎港・横浜港)…指定特定重要港湾
港湾の領域というのはきわめて大きいのである。
4.
(復路) 原付 東京フェリーターミナル→自宅東京フェリーターミナル
5:20頃→自宅8:00頃 原付後は時間を気にする必要も無く、自宅を目指して走るだけだ。
東京都港湾局専用線の廃線跡(春海橋から撮影)…結構有名らしい。
築地を通る。市場で使われる特殊な作業車の実物を初めて見た。
銀座を通る。電車と徒歩でたびたび来ていた所を原付で通るのはなんだか変な気分だ。
皇居のそばを通る。国道
1号線から国道20号線に入り、国会議事堂や麹町警察署の前を通って四ッ谷方面へと進む。新宿御苑トンネルは原付では通行できないので、国道
20号線から一度離れて新宿駅東口方面へと迂回する。新宿駅を6:20頃通過した。再び国道
20号線を行く。初台では橋げた架設工事が行われている。東京の社会基盤整備はどこまで巨大化するのだろうか。
過密な交通を避ける為に側道や旧甲州街道を選んで走る。
京王電鉄では、調布付近の地下立体化工事が行われている。国領駅の様子を撮影。
無事に自宅に到着した。今回の帰省は時間があったので、本当ならば各地を見ながらずっと陸地を走ってきても良かったぐらいだ。しかしながら天候に恵まれなかったので、実際にこの案を実行する事は不可能であったに違いない。また、長年原付に乗っていなかったので、技術面での不安が無いわけでもなかった。いくら休暇中とはいえ、さすがに無茶はできない。
久々に原付に乗ってみて思い出した感覚がある。乗用車とは異なって加速時には腹筋に力を入れる事になる。また、ヘルメットが重く感じて首や背中がだるくなった。さらに、排気ガスや塵芥に塗れながら都市部を走るのも辛く感じた。加えて言うと、フェリーから続くプルプルの振動も結構こたえた。
まぁいろいろあったが、多様性と意外性に富んだおもしろい旅程であったと言えよう。