鉄道旅行記2007年春  「JR発足20周年・青春18きっぷ」 / 野岩鉄道・会津鉄道   2007422日公開)

 

 この春の青春18きっぷはいつもと異なる。このきっぷは通常ならば近年では11,500円であるが、今春は「JR発足20周年・青春18きっぷ」として破格の8,000円で発売された。

 また、私事だが2月に実家で赤ちゃんが生まれた。本当ならばすぐに会いに行きたいところであったが、私自身の自宅の引っ越しがあって1ヶ月ぐらい延期せざるを得なくなった。せっかくだから「JR発足20周年・青春18きっぷ」を使って赤ちゃんに会いに行こうと考えた。

 当初の予定では4日分で関西の実家へ2往復し、後の1日分を野岩鉄道と会津鉄道に乗りに行く為に使おうと考えていた。そのようなわけで今回は関西の実家への往復が主要目的なので、「JR発足20周年・青春18きっぷ」としての旅行記を公開するつもりが無かった。しかしながら、後述の通り餘部橋梁を訪ねる事になったのでいっそ旅行記として公開する事にした。

 しかし今夏は、鉄道と言うよりも目的地志向の旅を予定している為、このコーナーの扱いを大きく変更するかもしれない。

 

今回の主なテーマは、

1. 第1旅程(2007/3/16(金)2007/3/18(日)

目的:帰省・餘部橋梁 (首都圏→関西の実家経由→山陰・餘部橋梁→首都圏)

ダイヤ改正前の「快速ムーンライトながら号」 山陰本線 餘部橋梁

 

2. 第2旅程(2007/3/24(土)

目的:野岩鉄道・会津鉄道

「東武特急スペーシアきぬ号」 「快速AIZUマウントエクスプレス号」 水郡線

 

3. 第3旅程(2007/4/6(金)2007/4/8(日)) 

目的:週末帰省(首都圏→関西→首都圏)

ダイヤ改正で大きく変貌した「快速ムーンライトながら号」 大阪駅

 

4. 【番外】JR発足20周年記念 青春18きっぷへの思い 

 

 

 ネタはたくさんあるので、主要テーマは本文中で色を変えて両端に★印をつけておく。

 

 

1旅程(2007/3/16(金)2007/3/18(日)) 目的 : 帰省・餘部橋梁

 まずは316(金)夜に首都圏の自宅を出発し、翌晩に関西の実家を出発してUターンしようかと考えていた。しかし、その構想通りにはいかなかった。ダイヤ改正日をまたいで運転される317(土)大垣発の「快速ムーンライトながら70号」の指定券が入手できなかったのだ。その夜は私の実家に赤ちゃんの両親がいるので私の居場所なんか無い。それゆえに日帰りにするかどこかに宿泊するかという事になった。赤ちゃんとの対面時間を確保する為に宿泊を選ぶ事とし、この機会に兵庫県辺りに宿泊して名勝餘部橋梁を見に行こうと考えたのである。なお、私は通常ならば日曜日に疲れるまで出かけるような事はしないが、今回は次の水曜日である21日が休日なので、18(日)に朝から晩まで列車に乗り続けても大丈夫だろうと判断した。

 

 

2007/3/16(金)

品川23:53→大垣(翌朝)6:55 東海道本線391M「快速ムーンライトながら号」 9連 サハ373-3

 316(金)の夜は仕事がなかなか片付かず、「快速ムーンライトながら号」に乗れるぎりぎりの出発を余儀なくされた。「快速ムーンライトながら号」および臨時の91号は出発時刻の遅さがありがたい。しかし、318日のダイヤ改正により出発時刻が繰り上がってしまう。

 東京発の「快速ムーンライトながら号」に乗るわけだが、この夜は珍しく品川から乗り込む事になった。品川駅では、318日のダイヤ改正によって「快速ムーンライトながら号」は大幅に変わる事が繰り返し案内されていた。

 

2007/3/17(土)

 さて、この「快速ムーンライトながら号」だが、喫煙コンパートメント席という最悪の席しか取れなかった。この373系車両はデッキと客室との間に扉が無いので、デッキ傍のコンパートメント席では寒いのではないかと心配していた。しかし、それは杞憂であった。

 

★ながら小田原席取り物語…最終章★

 国府津到着前から車内の動きがあわただしくなった。小田原から自由席になる車両においてなるべく居住性の良い席を確保しようと多くの人が走り回っていた。私も禁煙の非コンパートメント席を探しに行ったのだが、すでに手遅れであった。私の向かい側にいたおっさんはずいぶん慣れている様子であり、もっと早くから別の席の確保に乗り出していた。

 件の国府津あたりからセルフ車掌が立ち客に空席を割り当てていた。そいつは奇声を発しながら車内をあっち行ったりこっち行ったりしていたので、通路を挟んだ近くにいた若い女性客たちに笑われていた。某ローカル線でもセルフ車掌を見かけたが、そいつは当該路線の地元民なのであえて記載することを避けた。今回は人物が特定されにくいであろうから記しても差し支えないであろう。セルフ車掌って、良く言えばボランティアなわけだが…。

 小田原では大量に乗り込んできた。しかもこの夜は臨時の91号が出ていないので、下りの「ながら客」が全てこの列車に殺到するのである。デッキ付近は満員電車さながらである。身動きが取れなくなる恐怖が頭をよぎった。かつて臨時の大垣夜行に乗った時のひどい記憶がよみがえってきた。

 そのような「ながら小田原席取り物語」もこの夜が最終章である。しかし、このような惨状は今夜が最後なので記念に味わっておこう。デッキに人が固まってくれたおかげで寒い思いをしなくてすんだ。

 

 それにしても足を伸ばせないのが辛い。立ちっぱなしの人たちよりましとは言え、体がだるくて何度か立ったり座ったりを繰り返した。今後はコンパートメント席しか取れないような場合は見送る事にする。もう懲りた。

 373系電車のこの列車は、9両編成に3箇所しかトイレが無い。長時間停車する浜松駅ではトイレに長い列ができた。

 大垣ダッシュ後に乗り換える東海道本線の下り列車は、夏以外の季節では車内が寒い。

 

 ここから先は関西の実家へと向かい、生後1ヶ月の赤ちゃんに初対面する。

 

 

(実家)→大阪15:15 阪和線・大阪環状線4148M 「関空快速・紀州路快速」 8連 サハ223-5

 「関空快速・紀州路快速」の車内では、「なんで電車のくせに信号で止まるの?」というおバカな会話をしている女性たちがいた。西九条において京都行きの「関空特急はるか号」を追い抜いた。どうやら東海道本線のダイヤが乱れているみたいだ。

 

大阪15:241528)→篠山口16:291632) 東海道本線・福知山線2739M  「丹波路快速」 221系電車4連 クハ221-60

 大阪を4分遅れで発車した。

 福知山線の宝塚以北を日中に通るのは初めてである。三田や新三田ではまとまった下車が見られた。このあたりから先は渓谷などもあってなかなか眺めが良い。篠山口には3分遅れで到着した。

 

篠山口16:321635)→福知山17:35  福知山線2549M  6連 モハ113-7556

 こちらも接続を受けて3分遅れで発車した。113系ながら転換クロスシートの快適な車内である。

 終点の福知山を目前に、特急対向待ちの為に丹波竹田で7分間停車した。この7分間で趣味的におもしろそうな事もできそうにないので、ホームに降りて電話にて要件を済ませた。

 

★山陰本線(福知山→鳥取)初乗車★

福知山17:40→豊岡18:57 山陰本線441M 2連 クモハ112-3802 ワンマン

 北近畿タンゴ鉄道の線路としばらく並んでいる。なんと北近畿タンゴ鉄道の2駅分も並んでいるではないか。

 対向の普通列車は立ち客が多い。また、441Mの和田山での乗降は多い。どうやらこの辺りでは和田山に求心性があるみたいだ。

 だんだんと外が暗くなってきた。

 

豊岡18:59→浜坂20:07 山陰本線185D 2連 キハ47-5

 翌朝餘部橋梁を効率良く訪ねるには、餘部駅よりも西まで行く必要がある。今回の旅の目的地である餘部橋梁をこの列車で通過するわけだが、夜なので特に餘部駅で降りる事はしない。なお、餘部駅は餘部橋梁のすぐ傍である。

 

浜坂20:48→鳥取21:36 山陰本線547D 2連 キハ47-1037

 できれば浜坂辺りで宿泊したいと考えていた。しかし、浜坂で宿泊できる所が無いので次の主要駅である鳥取まで行く事になった。

 鳥取の手前の福部を発車した。なかなか鳥取に到着しない。今回持ってきている時刻表は交通新聞社の小型全国時刻表(ダイヤ改正後)である。これの本文には福部駅が載っていないので家に帰ってから調べたところ、なんと福部から鳥取まで11.2kmもあるではないか。県の中心駅から隣の駅まで10km以上って…。鳥取駅からだと一気に郊外まで行くようなものであり、都会ならば私鉄特急並みの無停車距離である。これにはたいそう驚いた。

 この日のこの列車は鳥取目前で足止めを食らい、到着が数分遅れた。

 鳥取駅前のホテルを確保した。

 

2007/3/18(日)

鳥取528→浜坂610 山陰本線520D 2連 キハ33-1002

 なんと珍しいキハ33である。これは50系客車から気動車へと改造された車両であり、2両しか存在しない。

 

浜坂613→餘部628 山陰本線160D 2連 キハ47-10

 浜坂駅は、駅舎に面する1番乗り場から右方向の鳥取方面行きが発車する。大阪方面は、特急といえども地下道を通ってから乗り場に向かう。

 いよいよ旅の目的地である餘部である。この駅にはいわゆる「駅ノート」が置かれている。

 

★★餘部橋梁★★

餘部橋梁…山陰本線の有名な撮影地点であり、鉄橋そのものが観光資源となっている。1909年に着工し、1912年に開通した。長さ310.59m、高さ41.45m、総工費331,535円。11基の橋脚と23連の鉄桁を持つトレッスル橋である。

 628着の160Dで餘部駅に降り立ち、「特急はまかぜ2号」を撮影して、7:20発の162Dでここを後にする旅程である。どうせ撮るからには見栄えのいい列車を撮りたいと思っていた。

★強風の恐怖★

 ここは有名な撮影地点であるわけだが、残念ながら事故や事件の現場でもあるわけだ。198612月に回送列車が海からの突風にあおられて橋から転落し、橋の直下の水産加工工場を直撃した。列車乗務員や工場従業員がその犠牲となった。これ以来、この区間は風による規制が強化された。私もこの事故は鮮明に覚えている。

★鉄橋を撤去★

 上述の通りここは風による規制が強化されたわけだが、それによってとりわけ冬季における定時運行が困難になった。これも含めた種々の理由により、コンクリート橋へと架け替えられる事になった。この取材の直後である20073月下旬から橋の架け替え工事が始まる。

 

 鉄橋の架け替えを目前に撮影者が殺到しており、「ヲタどもの蛮行が目に余るべ〜」などと記す予定であったが、この日居合わせた十人ほどは皆さん行儀が良かった。

 案内によると、意外と多くの民宿があるではないか。鉄橋の下まで行ってみた。定番とは異なる視点で「特急はまかぜ2号」を撮影しようかと考えていたが、やはり定番の撮影場所がいいと思った。

 撮影場所には列車の時刻が記されている。ダイヤ改正によって変更が生じたのか、652分通過と記されている「特急はまかぜ2号」が648分頃にやってきた。橋の直前は25km/hの速度制限がかかっているので、「特急はまかぜ2号」はゆっくりとした足取りで通過していった。

 

 なんとなく雨っぽいものが降ってきた感じだ。水滴が23粒あたったようだ。

 

餘部7:20→豊岡8:18 山陰本線162D 2連 キハ47-1133

 餘部から女子学生2名が乗り込んだ。ここはヲタ専用駅ではなく、地元の人にとっては実用に供される駅なのである。

 162Dからも同業者が多数降りてきた。

 この冬は各地でスキー場が早々と店じまいをするほどの暖冬だったのに、いきなり寒くなりだした。雪がちらついている。

 

豊岡833→福知山9:42 山陰本線428M 2連 クモハ113

 「但馬の願い」として、山陰本線の複線電化高速化を掲げる看板が沿線のいたるところで目に付いた。

 ワンマン運転であり、ホーム側の全ての扉が開く途中駅は江原・八鹿・和田山となる。なお、養父市の中心駅は養父ではなく八鹿である。

 

 福知山駅で餘部鉄橋のオレンジカードを購入した。今時オレンジカードって・・・。

 

★山陰本線(綾部→亀岡)初乗車★

福知山1023→園部11:37 山陰本線1134M 2連 クモハ115-6538

 

園部1139→京都1223 山陰本線2212M 快速 4連 モハ112-5715

 園部では慌しい乗り換えであったが、八木で5分も停車する。

 二条では降車客が多かった。

 

 

 後は東京の自宅を目指してひたすら列車に乗り続けるだけである。京都12:30発の新快速3238Mが山崎付近で踏切の安全確認を行った為に5分ぐらい遅れている。また、後続の普通列車も遅れている。そのようなわけで2番乗り場は人があふれかえっており、とても座席にありつける様子ではなかった。京都駅にて昼食にする。食事時間などの余裕時分を持ちながらも速く進めるので、東海道本線をまっすぐ進む事にする。3238Mを見送ったので中央本線経由は選択肢から外れた。

 首都圏まで戻ってきた。この日からPASMOが登場する。また、私鉄やバスでもSuicaが使えるようになった。某私鉄路線にてSuicaを初めて使った。

 

 

 

 

2旅程(2007/3/24(土)) 目的:野岩鉄道・会津鉄道

 はじめに誤解の無い様に記しておくが、野岩鉄道と会津鉄道はJR線ではない。つまり青春18きっぷの旅程ではないという事である。そうは言うものの、青春18きっぷの時期だからこそ乗りに行こうと考えていたのである。

 この日は、野岩鉄道と会津鉄道を経由して福島県入りし、須賀川市で私用を済ませて自宅に戻る行程である。予定では、日光線に初乗車して今市駅から東武に乗り換える構想であった。しかし、朝起きる事ができなかった。仕事がある日に起きられないという事は無いが、どうも休日の遊び事の場合は「まぁ、いいか」と思ってしまう。そのようなわけで所定の時間に起床できず、日光線乗車の構想は潰えた。しかし、代替案を用意しないほどのバカではない。東武鉄道の始発駅である浅草から出発する事にした。

 新宿駅を710分頃通った。「週末快速フェアーウェイ号」の指定券を購入していなくてよかった。「特急日光号」の特急券を購入していなくてよかった。

 浅草駅にて、西若松までの乗車券と鬼怒川温泉までの特急券が1枚になった券を購入した。

 

浅草8:00→鬼怒川温泉9:57  東武鉄道 伊勢崎線・日光線・鬼怒川線 1103「特急スペーシアきぬ103号」 6連 107-2

 

20063月のダイヤ改正で大きく姿を変えた東武特急★

 20063月のダイヤ改正で東武特急は大きく変貌を遂げた。特別料金の必要なロマンスカー系統の列車は全て特急へと統一された。従来の急行も特急になったわけである。また、料金体系も見直されて従来の急行料金並みの特急料金も設定されている。なお、急行は一般列車種別へと変更された。

 この改正ではなんと言ってもJRとの相互直通運転が始まった事が有名である。かつては国鉄と東武とで日光観光客輸送を巡って熱い戦いが繰り広げられた時代もあったわけだが、今では両者が手を組んでいるのである。隔世の感がある。新時代の到来である。→参照 日光観光客輸送物語

 それにしても浅草発新栃木行きや春日部行きがなぜに「けごん号」を名乗っているのか理解に苦しむ。目的地にちなんだ特急列車名称にするのならば、春日部といえば有名なあいつの街ではないか。「特急 オラのゾウさん 号」にでもすれば?

 

 さて、「スペーシア」もずいぶん停車駅が増えた気がする。今回乗車する「特急スペーシアきぬ103号」は、北千住・春日部・栃木・新鹿沼・下今市・新高徳・鬼怒川温泉の順に停車する。実際に私の隣には、春日部から新鹿沼までの乗客がいた。もはや行楽地直行形の列車の時代ではないのであろう。

 この107編成はJR線乗り入れ対応車であり、東武の席番表とJRの席番表があわせて取り付けられている。なお、2007318日から東武特急も全車禁煙となった。

 

 

 朝食べずに家を出てきたので、車内にて遅めの朝食にする。このような特急形車両は食事などもできてやはり快適である。

  

 噂には知っていたが、どうも走りがにぶい。複々線区間においては通勤形車両に追い上げられる始末である。

 東武動物公園では「特急りょうもう号」との行き違いの関係なのか運転停車をした。運転停車中には、春日部で追い抜いた区間急行に追いつかれた。

 朝だからダイヤに制約があるのかと思って時刻表を見てみた。すると、こんな走りっぷりながら、なんと「特急スペーシアきぬ103号」は最速便ではないか・・・。「スペーシア」は日光線の勾配区間に対応する為に全電動車編成らしいが、そんな事よりも平坦区間でもっと速く走ればいいのではないか。

 

 杉並木の案内放送が終わると下今市に到着である。

 下今市ではJR東日本の485系電車が留置されていた。この専用の485系編成はシートピッチが1,100mmに改装された豪華車両である。

 

★東武鬼怒川線・野岩鉄道・会津鉄道 初乗車★

 下今市から先は初乗車区間となる。先程までは速くないといえども本線らしい走りっぷりであったが、下今市から先は狭隘なローカル区間となり、こまめに加減速を繰り返すノロノロ運転となる。私は、このような私鉄特急の末端区間におけるノロノロ運転が好きだ。いかにもはるばる乗り入れてきたという実感がある。

 「快速AIZUマウントエクスプレス号」への乗り換え案内が複数回繰り返された。特急形車両で運転されるが快速列車であり、乗車券だけで乗れるという事、ホーム前側に停車中の短い2両編成である事、乗降用の扉が2両の連結部分にしかない事が案内された。

 私鉄らしいカーブが続く単線路線に突然大きな駅が現れた。「特急スペーシアきぬ103号」の終点である鬼怒川温泉駅に到着である。

  

鬼怒川温泉10:01→会津若松11:57 東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道・JR只見線 31173118D「快速AIZUマウントエクスプレス号」 2連 8503 8502

 「快速AIZUマウントエクスプレス号」は東武鉄道・野岩鉄道・会津鉄道・JR東日本と4つの鉄道会社をまたいで運転される。土曜休日には会津若松から磐越西線の喜多方まで延長される。

東武鬼怒川線の鬼怒川温泉駅  1番線に「特急スペーシアきぬ103号」が到着。2番線からは「快速AIZUマウントエクスプレス号」が接続する。

 「AIZUマウントエクスプレス」のキハ8500系車両は元は名古屋鉄道の特急車であり、JRの高山本線に乗り入れる「特急北アルプス号」用として1991年に登場した。同時期に高山本線「特急ワイドビューひだ号」用として登場したJR東海のキハ85系と同等の性能を持つ特急形気動車である。2001年に「特急北アルプス号」の廃止に際してこの車両の去就が心配されたが、会津鉄道への再就職が決まった。まだまだ車齢が若く、廃車解体されてしまうには惜しい車両なのである。

 

 とりあえず座席を確保する為に進行方向後ろ側の8503に乗り込んだ。休日で行楽客が多いにもかかわらず、満員になることもなく列車は発車した。肘掛の高さと窓框の高さが揃うような眺望のいい車両である。8503のトイレのあった場所は調整中となっていた。ちなみに、このキハ8500系は通路ごと嵩上げされているのでトイレに入る時には一歩降りる事になるので要注意である。

 川治温泉では前側の8502の前方の席を確保できたのでそちらに移った。途中駅では降車の他に乗車も見られた。

  

 新藤原から野岩鉄道会津鬼怒川線へと入っていく。

 

★★野岩鉄道★★

 野岩鉄道は1986年に開業した第三セクター鉄道である。開業当時の他の第三セクター鉄道は国鉄の赤字路線を転換して発足したものであったが、この野岩鉄道は国鉄が財政事情によって工事を凍結していた野岩線を引き受ける形で発足したというきわめて特異な経歴を持つ。

 多くのトンネルやコンクリート橋で山間を突き抜けていく特殊な車窓である。しかしながら、智頭急行鉄道のような高規格路線というわけではなく、最高速度は80km/hである。

 上三依塩原温泉口あたりから積雪が見られるようになった。

 会津高原尾瀬口から会津鉄道会津線に入る。ここから列車番号が変わる。

 

★★会津鉄道★★

 会津鉄道は1987年にJRの会津線を引き継いで開業した。現在では会津田島以南は電化区間であり、浅草から会津田島までの直通列車もある。「快速AIZUマウントエクスプレス号」では会津田島でまとまった下車が見られた。

 会津鉄道線内ではジョイント音が小刻みな区間に出くわした。かつて国鉄の簡易線として建設されたこの路線の素性が垣間見えるのである。なお、線内で見かけた除雪用の車両はJR東日本のものである。

 それにしても、キハ8500系のような700ps級の高性能特急形車両が低規格路線において最高でも80km/hに達しないような運用に就くのはもったいない気がする。

  

 沿線風景は、私が出会いたい風景そのものであった。

 この行程は今春の旅行の最大の見所なのだが、最速便という事もあってまとまった時間の停車がなく、途中駅に降り立つ事ができなかったのが残念である。

 

 西若松から先はJR路線であり、再び「JR発足20周年・青春18きっぷ」の旅となる。

 

会津若松1201→郡山1314 磐越西線1230M 3連 モハ454-12

 この455系は「あかべぇ」の装飾がなされた編成である。会津若松では「あかべぇ」仕様の485系もいた。この485系編成は東武直通車両と同様にシートピッチが1,100mmに改装された豪華車両であるが、磐越西線内で臨時の快速運用に就いている。本当ならばこの豪華な485系に乗りたいところであるが、この先の水郡線の時間帯の関係で無理なものは無理だ。

 磐越西線の会津若松→郡山間は3度目の乗車である。今回のこの路線は旅の主題ではないのでここを睡眠に当てる。

郡山駅

 郡山駅はダイヤ改正によって、乗り場の番号が一部付け替えられた。旧2番線が1番線に、旧3番線が2番線に、水郡線乗り場が3番線に変更された。

 郡山で食事にする。駅構内では東京でも見られる飲食チェーン店が多く、あまりおもしろくない。

 

郡山1349→川東1412  東北本線・水郡線328D  3連 キハ110-136

 水郡線では20071月より、キハ110系から片側3扉の新車キハE130系への置き換えが始まった。この328Dは先頭の1両だけ新車であった。新車の香りがきつかった。

 所用の為に川東で下車する。今回は滞在時間を2時間見込んでいた。

 雨が降り出した。予定よりも早く駅に戻ってきた。

 

川東15:56→小塩江1601  水郡線333D 単行 キハ110-135

 郡山行きが来る時刻なのでそれに乗って330Dと行き違う手前の小塩江まで乗った。単行だが、結構混んでいた。

 これにて須賀川市内の全3駅での乗降を果たした事になる。下車経験へのこだわりがあるわけではないが、せっかくなので記しておこう。

 

小塩江1614→上菅谷1844  水郡線330D 2連 キハE130-9 

 キハE130系は新車の匂いがきついが、仕方がないので乗る。

常陸大子

 普通列車しか走っていないローカル線で、驚くほど中心性を持った町に出くわす時がある。いろいろな日本に会えるから旅行は面白いのだ。常陸大子は水郡線の運転上の要衝である。今回はここで10分程の停車時間がある。

 私が駅で行う4点セットがある。@下車印を押してもらう、Aスタンプを押す、B駅舎の写真を撮る、C駅前風景の写真を撮る。ここでは駅前の写真を載せておこう。バスが3台連なっていた。なかなか活気が感じられた。

 

 次の袋田からは外がすっかり暗くなった。

 

★水郡線(上菅谷→常陸太田)初乗車★

上菅谷1845→常陸太田1859  水郡線941D 4連 キハE130-11

 水郡線には常陸太田への支線がある。初乗車。途中駅は11線の無人駅なのだが、今回乗った列車はワンマンにはなっていない。またこの区間には1本の列車しか入線できない。

 この辺りでは完全に雨であった。

 

常陸太田1907→水戸1947  水郡線942D 4連 キハE131-1

 水戸で食事にする。

 

水戸2015→上野2229  常磐線・東北本線1464M 10連 クハE530-12・モハE530-12

 石岡では特急通過待ちの為に数分の停車がある。ここは20073月末で廃線になる鹿島鉄道が出ている駅だ。鹿島鉄道は2006年夏に取材した。 

 ちょうど石岡行きが到着した。停車時間を活かして鹿島鉄道の乗り場を見に行った。お名残り撮影者が数名いた。

  

 それにしても、この日は鉄道趣味的に最も重要な旅程を済ませた時点でもまだ午前中であった。午後からも内容盛りだくさんである。自分で言うのもおかしな話だが、我ながら旅程作りの天才だと思う。一般人には共感されないだろうけど…。

 

 

 

 

3旅程(2007/4/6(金)2007/4/8(日)) 目的:週末帰省(首都圏→関西→首都圏)

 青春18きっぷの4日目と5日目も旅程を考えていた。週末帰省に少しひねりを入れようと考えていたのだ。具体的には、「臨時快速ムーンライトながら91号」で出発して琵琶湖の北側を通り、さらに特急の展望グリーン車で南紀まで足を伸ばそうと考えていたのである。

 しかし、「91号」のキップを大垣まで入手できなかったのと、実家での頼まれ事ができたので、それらの構想は無くなった。「快速ムーンライトながら号」で往復するだけの週末帰省になった。

 せっかくだから、ダイヤ改正で大きく変貌した「快速ムーンライトながら号」について述べておこう。

 

東京23:10→大垣(翌朝)6:55 東海道本線391M「快速ムーンライトながら号」 9連 サハ373-6

大垣23:19→東京(翌朝)5:05 東海道本線390M「快速ムーンライトながら号」 9連 サハ373-3

 

★乗車記…ダイヤ改正で大きく変貌した「快速ムーンライトながら号」★

 2007318日のダイヤ改正については、「快速ムーンライトながら号」が大きく変わる事があらゆる場面で案内されていた。

 使用車種は変わらない。全車禁煙になり、喫煙車に充当されていた車両の座席の肘掛には禁煙のシールが貼られていた。なお、車内の公衆電話機は3180時から使用中止となった。

 定期列車の全車指定席区間が変更になり、下りは東京から豊橋までとなった。これにより、就寝時間帯に突入する前の小田原での大量乗り込みが解消された。また、上り列車では富士・川崎・新橋が通過になった。

 東京発着時間が変更になり、下り定期列車の東京発車時刻が23:43から2310に変更された。東京2310発といえば、かつての「臨時急行銀河○号」や当初の「臨時寝台特急サンライズゆめ号」と同じである。もしかすると近い将来、「寝台急行銀河号」もしくは「快速ムーンライトながら号」のいずれかが消滅するのではなかろうか。あるいは姿を変えた形で統合されるかもしれない。そうは言うものの、両列車の歴史的背景と格はあまりにも違い過ぎる。

 

 

 東京駅10番線では、「寝台急行銀河号」・「快速ムーンライトながら号」・「臨時快速ムーンライトながら91号」と立て続けに発車する。「銀河」を見送った直後に「ながら」に乗り込むというのはどうも気分が良くない。「銀河」の発車が9番線から10番線になったので、両者が並ばないのがせめてもの救いだと言えようか。実際に「ながら」の車内で「銀河はいいよなぁ・・・」と言っているおっさん連中がいた。

 この夜の「寝台急行銀河号」はレインボー塗装の機関車が充当されていて、みんなそちらを撮影していた。全検あがりのピカピカのB寝台車が連なっていた。私だけはオロネ24-6に着目していた。オロネ24-6が運用に就く事は少ないのである。この夜のオロネは満席であった。

 

 下りの「快速ムーンライトながら号」は静岡駅では上りの2番線に着発する。2:10発である。上りの「快速ムーンライトながら号」は同じく2番線から2:19発である。同じ列車名の同じ系列の車両が同じ場所に似たような時間帯にいるわけだ。案の定、誤乗客を見た。「(女)ここ、私の席です。」、「(男)これは東京行きじゃねぇよ。」…。運行管理する側にとってはラクなのかもしれないが、下り列車は下りホームから発車させた方が親切であろう。

 

 浜松や豊橋では、定期の「快速ムーンライトながら号」から「臨時快速ムーンライトながら91号」に乗り移ろうとする者が散見された。確かに大垣到着時刻を考えると91号は魅力的であるが、あちらは全車両全区間指定席である。

 

 下りの発車時間が繰り上がり、上りが川崎通過になったので、どうも私としては積極的に「快速ムーンライトながら号」を選ぶ利点が少なくなってきた。

 

 

★★工事中の大阪駅★★

 大阪駅は長年かけて行われる改良工事中であり、200748日から旧911番乗り場が使用中止となる。

 11番乗り場から出ていた列車は乗り場や一部の発車時刻が変更されるのだが、同じホームで停車位置を振り分ける事によって捌こうというわけだ。天下の大阪駅が一部の私鉄ターミナルのようなみみっちい運転を行うのかと思うとおかしくなった。

 工事の関係でこの夜の深夜帯に大阪駅を通る東京発着の寝台特急の運転経路が変更になり、大阪停車は尼崎停車に振り替えられた。

 

 

 

 

4. 【番外】JR発足20周年記念 青春18きっぷへの思い 

 気がつけばJR20周年になる。せっかくなので「青春18きっぷ」への思いについて記しておこう。

 「青春18きっぷ」は「青春18のびのびきっぷ」として1982年に登場した。これは通学定期券の売り上げが落ちる時期に収益を確保する事と、若者に列車の旅の楽しさを知ってもらって将来も鉄道を利用してもらおうという趣旨から生まれたものであったらしい。

 中学生の頃、初めて青春18きっぷを使った。友人と友人の友人を含む5人で出かけたわけだが、全員の趣向がバラバラで何もなしえない旅行になってしまった。それ以来、友達と旅行に行くのがいやになった。旅行は一人に限ると今でも思う。実は青春18きっぷについても良い印象を持てなくなっていた。

 大学生の頃、多くの学生が帰省用として大学生協購買部にて1日分だけ買っていた。帰省時には青春18きっぷを利用し、Uターン時には実家で親からお金をもらって特急や飛行機に乗るらしい。はじめから周遊券を購入している私の方が総じて安上がりなのだが、どういうわけか片道だけ青春18きっぷを利用する学生が多かった。その当時、私は青春18きっぷを貧乏くさいものだとバカにしていた。

 大学生の頃の私は、旅行の為だけに乗車券相当のきっぷを買う事に抵抗があったので、必要以外のきっぷを買う事は無かった。しかし、1996年春に青春18きっぷのバラ売りが無くなった時に考えが一気に変わった。5日分で1枚のきっぷであり、これ1枚でいろんなところに行けると思ったのである。ちなみに、1日分毎のバラ売りができないように変更された理由は、当初の思惑に反してビジネス用務客の利用が増えたからだと言われている。

 青春18きっぷは、行動範囲にほぼ制約が無く、任意の日を選んで使える事がうれしい。大きな可能性を持った魅力的なきっぷだと思う。

 

 

トップページ 鉄道旅行記 メール