南多摩尾根幹線道路…の周辺 (20021021日公開) 2016618日更新

 はじめに誤解の無いように記しておく。このコーナーは廃道探険の一部として公開しているが、南多摩尾根幹線道路は廃道ではなく現役の道路である。

 この道は、昭和43年に東京都が立案した都市計画道路である。中央高速道と東名高速道をショートカットする片側4車線の大動脈になる予定であった。しかし、この道路の建設には紆余曲折があり、都市計画道路決定から30年以上が経った現在でも側線が供用されるだけに留まっている。この為にほとんどの所で上下線が大きく離れているのである。また、“幹線”を名乗りながらも町田街道上に多摩・稲城方面への道であることを明確に表記した標識が無いなど、その興味は尽きない。200210月 公開開始に際して)

 (200210月)多摩ニュータウンは自然の地形を随所に活かした街並みを持ち、美しい公園や遊歩道も多いので私の出没スポットになっている。ところで、200210月中旬に多摩ニュータウンをネタにした映画がテレビで放送された。それを観て気が向いたのでこのコーナーを作成することにした。本当は“首都圏お別れ記念”にこのコーナーを公開する予定であったが、作成を早めることにした。

 せっかくなのでその映画について記しておこう。その映画とは「平成狸合戦ぽんぽこ」である。録画しておいて週末に観た。私は、なじみの地名や景色が登場する映画などが大好きである。アニメながら、多摩川を渡る京王6000系特急やプラットホームの端の方がカーブにかかる聖蹟桜ヶ丘駅などが見事に描かれており、そういう点にはかなり萌えた。

 

 

 

2016618日公開)…今年48日から930日まで、多摩市立図書館本館にて「おねかん-南多摩尾根幹線道路のいまむかし」というミニ展示が行われている。文字通り小規模な展示であるが、当該道路に関する資料のリスト等もあり、南多摩尾根幹線道路ファンにはお勧めである。私は今月見に行ってきた。なお、この本館は廃校を再利用した施設であり、そっち系の愛好家も楽しめるかもしれない。

 

2008928日取材2008111日公開)…長池公園付近の旧道を久々に通ってみた。2004年の年末頃までは自動車でも通れたのだが、もはや、かつて片側1車線ずつあった幹線道路には見えない。

 

 余談だが、このコーナーはローカルなネタゆえか近隣の人からの反響が大きい。同様の趣味を持つ近隣の人で集まったら結構盛り上がるかもしれない。そうは言うものの、最近は道筋変更のような大きな変化が無く、私自身も取材を行っていない状況である。2008928日には私のウェブサイトへのお客様がはるばる関西からお越しになったので、上述の旧道散策や周辺の廃道探険へと案内したのであった。

 

20071223日取材20071223日公開)…長池上小山田陸橋付近の宅地造成地を見てきた。1ヶ月前にタマホ○ム多摩ニュータウン店ができたみたいだ。

 せっかくだから過去の写真と並べてみよう。

2006年) 2000年)

 廃道というより、街の変遷を捉えた感じだ。土地に歴史あり、ってところか…。

 

 

2006716日取材2006716日公開)…多摩市唐木田3丁目の工事現場に行ってみた。

 先日200679日)写真を公開した場所である。なんと、道ができかかっているではないか。

 

 上掲の写真の反対側へと回ってみた。車道も通すつもりなのか? 

 しかしながら、こちら側から奥へ通じる道はどれも、自動車がじゅうぶん通行できるものではない。写真右側が工事現場である。

 写真前方の道はとても狭く、かつて私の自動車で進入して大変だった事があった。普通に走るだけでも大変な道なので、対向車が来たらどうしようもない。このような道では、自動車の場合は運転するだけで必死だが、今回は原付なので安心である。後続車や対向車を気にすることなく取材できた。なお、この写真の少し先では「よこやまの道」を造成中であり、当該部分は今月下旬に公開するとの案内が貼られていた。

 写真左側にも道が見える。せっかく原付で来たので進入してみた。こういう道は原付が有効である。夏だし原付もあるので、多摩丘陵の里山をたびたび訪ねるのも楽しいだろう。多摩丘陵の里山についてのコーナーを新設してもよさそうだ。

 

200679日公開)…多摩市唐木田3丁目にある交差点が昔から気になっていた。南側は廃道ではないのか。実際に道は無いわけだが、道が描かれた地図は実在するのである。

 ここしばらくは工事中の様子なので、赤信号で停車するたびに写真を撮っていた。さて、昨夜200678日)通りがかったところ工事現場の規模が拡大していた。夜なので撮影を諦めた。本日取材に行こうかと思ったが、天気が悪いのでやめた。

 4月に撮影した写真を公開しておこう。今後、この地点も目が離せない。

 

2006430日取材2006430日公開)

 長年にわたって、南多摩尾根幹線道路の稲城側の端は、どこが端なのか判断に苦しむところであった。稲城五中入口の交差点から向陽台2丁目方面へと大きく迂回する仮設道路が長年供用されてきた。しかし、今年2月、稲城五中入口の交差点から向陽台公園通りへと通じる竪谷戸大橋が開通した。

新設された竪谷戸大橋…向陽台公園通りと交わる前方の交差点こそが南多摩尾根幹線道路の稲城側の端だと言えよう。なお、この橋の下には武蔵野貨物線が走っている。

 

 ここは、南多摩尾根幹線道路の旧仮設道路が通じていた所である(稲城市向陽台2丁目)。撮影者の私がいる道路の写真右側は、かつて通行止めであった。写真左側こそが旧本線であり、かつてはここを通る車は全てここで直角に右左折していたのである。

  

2006211日取材2006211日公開)

 長池上小山田陸橋付近の宅地造成地を見てきた。もはや廃道の痕跡を見つけることすら困難である。

 

 さすがにここまで変わってしまうと、町田市と八王子市の境界線がわからない。このようにして景観は変遷していくのだ。やがて、ここに道があったことすら忘れ去られる日が来るのだろう…。

20003月の写真)

 

200599日取材2005910日公開)

 長池公園付近の新道が7月に開通した。この付近の変遷を見届けてきたが、これもそろそろお仕舞いか…。 と思いきや、なんと今年3月に公開した廃道が無くなっているではないか。ますます目が離せない。

 

 宅地造成中である。廃道は町田市と八王子市の境界線になっていたわけだが、この造成地はどちらに属することになるのだろう。そういう点にも目が離せない。

20053月の写真)

 

今年7月に開通した長池公園付近の新道の様子を載せておこう。

 ここでも工事中の様子が見える。

  

2005730日公開)…今月7日に長池公園付近の新道が開通した。先日の夜、実際に走ってみた。少し南西にある小山長池トンネル内も車線が増やされており、道路標識が新設されていた。今回は廃道ネタや旧道ネタではないが、変遷を見続けてきた場所の現状ということで記載しておく。

 詳しくは東京都のサイトでも公開されているが、気温が下がってきたら取材に行こうと考えている。

 

2005528日取材2005529日公開)…今回も、工事が進む長池公園付近を取材した。

 旧道と南多摩尾根幹線道路の交差部分を長池公園から望んでみた。立体交差部へと向かう新道の開通も近そうだ。それにしても、稲城・多摩方面への案内標識はより一層立派になって復活している。ほとんど見る人がいない標識なのに…。

 

 さて、だんだん暑くなってきた。私は真夏の炎天下に自分の車を出動させる気はない。休日にうまく曇っていれば、適宜取材を継続する予定である。そのようなわけで、写真が撮れる時間帯にここを走ることはしばらく無いかもしれないので、次に取材する時には新道がすでに開通している可能性もある。

 

2005326日取材2005327日公開)…本日は2つ公開する。

. 北行本線と南行本線の間にも廃道が見られる。

多摩市聖ヶ丘付近の新しい廃道

 

2. 先月から頻繁に公開している長池公園・長池上小山田陸橋付近についてである。

まずは、先月には閉鎖されていた旧道である。

 旧道はこのような形で復活していた。写真左側に写っている曲線部分がこの道の素性を物語っている。

 さて、車両こそ進入できないが、歩行者の立入りまで禁じている様子は無い。もちろん歩いてみた。車で通り過ぎる時とは異なり、ずいぶんといろんなものを見ることができた。ヤバ過ぎて写真はとても公開できない。危険物取扱者の資格を持つ私には、ここの本当の恐ろしさがよくわかる。土地や道路の管理者は、不法投棄された産業廃棄物群を早く何とかした方がいい。謎の小屋周辺はマジで恐怖地帯だ。

 

 旧道を進む。米軍の由木通信所の前を通る。長池上小山田陸橋から下ったところに廃道が見えるということは、20041225日に公開したとおりである。

 現在は廃道周辺の八王子市側の草木が刈り取られており、南多摩尾根幹線道路の南行本線の歩道からでもこのように廃道を見ることができる。廃道には倒木の他に道路標識も残っている。ちなみに、傾いた速度標識の下あたりで舗装が途切れているようである。

 上記の廃道がよく見える辺りから南方面へおよそ1.7kmの区間は、南多摩尾根幹線道路の街路築造工事が進行中である。

 

 本日2005327日(日)は、ロードレースの為に南多摩尾根幹線道路は部分的および一時的に通行止めとなる。ずいぶんのどかな事だと思う。この道は今でも重要な路線であるが、さらに超重要幹線道路になってしまえばそんなこともできなくなるだろう。

 

2005313日公開…廃道探険は単に風景写真を撮っておしまいではない。その道路の沿革やかつての交通流に思いを馳せる事も大きな楽しみなのである。今回は、とりわけ廃道ネタというわけではないが、南多摩尾根幹線道路について私の憶測を公開する。

 首都東京の都心部には、地下鉄をはじめとする膨大な地下網が張りめぐらされている。それらについては、秘密の通路が隠されているとか、軍事施設を転用したものだとか、その噂は諸説飛び交っているようである。信憑性が高いものから疑問符をつけたくなるものまでさまざまである。

 そのように東京都心の地下について思いを巡らしていたところ、南多摩尾根幹線道路の事が頭に浮かんできた。現状のこの道路の起終点には何があるか。そう、米軍基地である。稲城側には多摩サービス補助施設(旧・日本陸軍多摩火工製造所)があり、町田側の相模原には相模総合補給廠(旧・日本陸軍相模陸軍造兵廠)がある。さらに、沿道には由木通信所もある。

 また稲城では、地上に顔を出す武蔵野貨物線を見ることができる。この鉄道路線は南武線に平行する形で存在する貨物線であり、そのほとんどが長大なトンネルの中にある。新鶴見⇔府中本町間は昭和51年に開通したとされるが、なんとその一部は米軍基地の真下を通っている。米軍基地には日本の法律が及ばないので、米軍に接収される前から鉄道用の地下空間が確保されていたと考える事も可能ではなかろうか。この路線にもさまざまな軍事的な噂があるわけだが、それらの噂の一部もあながち否定はできないだろう。貨物線ゆえに、特殊な臨時列車でなければ乗れる機会が無い。

 さて、かつて東京が空襲などによって不測の事態に陥った場合には大本営を八王子に移すように計画されていたらしい。多摩・八王子辺りにも隠された軍事施設にまつわる噂がある。同様に、多摩・八王子を通る南多摩尾根幹線道路自体にも軍事的な噂がある。南多摩尾根幹線道路はいつもどこかで工事しており、仮にこの道路の周辺の地下になにかしらの秘密があったとしても不思議ではないかもしれない。

 米軍基地、軍用鉄道、多摩・八王子辺りの地下施設、それらを沿道に持つ南多摩尾根幹線道路、絶え間無い工事…、これらを結びつけたのはあくまでも私の妄想ワールドなので、話半分に読んでもらえばよい。秘密にしておくべき事や国家機密は絶対に公表しないので、各種関係者は安心していただいてよい。

 

2005227日取材2005227日公開)…今回は、今月24日にお伝えした旧道の周辺について公開する。

 

 24日に公開した写真の場所を、南多摩尾根幹線道路を挟んで望んでみた。

 撮影者の私が立っている場所は、上小山田方面へと通じる道であり、写真右側は急勾配になっている。なお、この道と写真下部で車が走っている南行の本線の歩道部分は、わずかではあるが平面で接続する部分がある。

 目の高さのやや左寄りに見えるのが、24日に写真を公開した旧道である。勘がいい人ならば、撮影者の私が立っている道と遠くに見える旧道に何かしらの関係があったことが推測できるであろう。

 この写真ではわかりにくいが、目線の高さのところでは工事が進行中である。写真左側には長池公園が見える。

 

 旧道と南多摩尾根幹線道路の交差部分を長池公園から望んでみた。

 左下に見えるのが旧道である。南行の本線の向こう側には、上小山田方面へ向かう車が見える。

 

 長池公園から斎場方面を望んでみた。

 右寄りには斎場へ向かう新道が見える。また、その新道と上小山田方面へ向かう道の新しい交差点が写真中央に見える。ここ1年ほどでこのあたりの地形もすっかり変わってしまった。下寄りには、南多摩尾根幹線道路の工事現場がはっきりと見える。

 

 このあたりは工事が進んでおり、ますます目が離せない。

 

20052月取材2005224日公開)…今回は、不法ゴミ捨て場にされてしまった旧本線が閉鎖された事をお伝えする。これは20041225日公開分の、上から2つ目の写真の道についてである。

 20052月中旬には、このように既に閉鎖されていた。何度か取材を試みたのだが、悪天候に見舞われたり、現地に着いた頃には辺りが暗くなるなどで、まともな写真が撮れなかった。このあたりは工事が進行中なので、近いうちに再び取材に行きたいと考えている。

 

20041223日取材20041225日公開)…今回は、斎場付近から長池上小山田陸橋の北側までをまとめて公開する。

もしかすると、今後はこのコーナー全体を地点ごとに並べ替えた方がいいかもしれない…。

 

 2004年の夏から秋にかけて取材した斎場付近である。写真中央のように旧道が復活している。ここはかつて本線であったが、南多摩尾根幹線道路から分岐して斎場へ向かう道として新たな使命を全うしているのであろう。さて、写真中央から左側に分岐していた急勾配の道は仮設だったようであり、既に消えていた。

 今回、斎場付近から長池上小山田陸橋の北側までをひとくくりに紹介するのにはわけがある。直進する南多摩尾根幹線道路が敷かれる事によって、その周囲には旧本線の遺構が分断された形で点在している。今回は旧本線をなぞってみたいと考えたのである。

 上掲の写真の地点を前方に進むと南多摩尾根幹線道路と交差する。少し前までは上小山田方面へ向かう細い道へと直進していたのだが、今では上小山田方面へ向かう道の方が分岐する形に改められている。

 更に昔、南多摩尾根幹線道路がこのあたりに敷かれる以前には、上述の道は長池公園付近では下掲の写真の道へと直進していた。

 

 この道はかつて本線であったが、今では米軍の通信設備に行く以外に何の使命も無い。南多摩尾根幹線道路を跨ぐ形で大きな逆S字を描いており、大掛かりなUターン路としてしか使い道が無い。

 不法投棄がものすごく、片側の車線はゴミで埋め尽くされている。現役の道でありながら廃道テイスト抜群である。写真左側には長池公園がある。

 この先の通信設備を過ぎると、長池上小山田陸橋で南多摩尾根幹線道路を跨ぐ。橋からそのまま坂を下ると下掲の写真の光景に遭遇する。

 

 この地点は、20003月に取材した写真も公開している。写真中央に見えるのが旧本線である。また、斜めに横切るガードレールは、現行の南多摩尾根幹線道路を含む本線が長池上小山田陸橋の地点を通っていた頃の名残である。緩やかなカーブを描いている事がお解りいただけよう。つまり、この写真には2つの廃道が写っているのである。なお、現在では南多摩尾根幹線道路と旧道は交差する形に改められている。

 

 上掲の旧本線の廃道を反対方向から望んでみた。

 右側が現行の南多摩尾根幹線道路であり、左側に見えるガードレールが旧本線の廃道である。この地点では傾いた道路標識の遺構も見ることができる。なお、前方には長池上小山田陸橋と米軍の通信設備が見える。

 

 余談だが、最近、南多摩尾根幹線道路と交差する町田街道上には右折レーンができた。また、町田街道上には稲城方面への道であることを示す標識も出るようになった。

 

20041121日取材20041219日公開)

 南多摩尾根幹線道路をはさんで、多摩東公園(東京都多摩市)の反対側にはこのような廃道がある。撮影者の私が立っている道と、廃道の奥に見える道は、この写真の右側の交差点で交わっている。しかし元々は、この廃道が示すように直通していたのだろう。ちなみに、ここは川崎街道と鶴川街道を結ぶ山越えの道である。地図と照らし合わせて察するに、この廃道は神奈川県川崎市と東京都稲城市の正式な境界線ではなかろうか? なお、2年ほど前までは確実にこの写真の右側にも廃道があったのだが、取材を先延ばしにしているうちに店舗敷地に変わってしまった…。

 

20041031日取材

尾根緑道(旧・戦車道路)…この道は、南多摩尾根幹線道路とは平面交差しないが、ほぼ直角に交わるかたちで存在する。これは、先の大戦終盤に日本陸軍相模陸軍造兵廠(現・米軍基地)で組み立てられた戦車の試運転のために作られた道である。その後は多摩ニュータウン開発に供するために舗装され、現在は歩道として整備されている。通行人が多い現役の歩道であるが、「戦争遺跡」ということで、このコーナーでも取り扱う事にする。

 

20041031日取材

 この下の写真の場所の、その後の姿である。829日には既にこのように旧道が消えていた。周辺の工事はまだまだ続いている。

 

20047月取材

 斎場の近くでは新道建設工事がはじまっている。写真右側の旧本線はまもなく廃道になるであろう。また、この付近には尾根緑道(別名:戦車みち)などもあり、秋ごろにはレンタサイクルで訪ねてみようかと考えている。

 

20031116日取材

歩行者専用の“幻の側線”に残る道路標識。 電車とレンタサイクルで再訪。

 

20029月取材

 これが有名な“幻の側線”である。これは沿線住民による反対運動の名残である。先ほど、この南多摩尾根幹線道路は上下線が大きく離れていると記したが、この付近は上り線が南側の下り線側に合流する形になっており、この側線は車両通行禁止になっている。“車線”は写真右側のかなり奥を通っている。また、側線沿道には緩衝帯が設けられているのもご覧いただけよう。

 

20029月取材

 “幻の側線”から住宅地方面へと向かう廃道である。いくつかの道路標識が残っている。なお、私は車両通行禁止の所を原付で走行するような事はしない。

 

200011月取材 (20031126日更新) 

 非常にわかりやすい標識だ。文字の消された痕跡がある。すでに交差点は消えている。南多摩尾根幹線道路には廃道と並行する箇所もある。

 

200011月取材

 某交差点から開通前の工事中の道を撮影したものである。南多摩尾根幹線道路は工事箇所が多い。なお、この写真における工事中の道は、現在(2002年)では開通しており回送バスも通っている。

 

200011月取材

 南多摩尾根幹線道路から幾分入った所には、現在でもこのような道がたくさん残っている。私の車では進入困難な道も多い。少し古い地図をひもといてみると、この界隈には細かい道がたくさんあったことを知ることができる。しかし、ここ数年の間にもこの地域の地図は激変してしており、このような道もますます見られなくなっていくことだろう。

 

20003月取材

 南多摩尾根幹線道路からほんの少し入った所にもこのような生々しい廃道が残っている。ちなみに、この写真で原付を停めている道もわけのわからない道である。(本当は何の道か知っているが、一般車両は通る必要が無いであろう。) 

 

  

トップページ 廃道 首都圏 メール