鉄道旅行記 青春18きっぷ 2001年夏 2001/9/18 公開)

 青春18きっぷをおよそ2年ぶりに購入した。青春18きっぷの旅行が大好きであるが、ここ2年程は日程に余裕がなかったのである。いつもいつも寝台列車や特急グリーン車ばかりを利用しているわけではない。

 

今回のテーマは、(…せっかくなので各日について記そう。)

1.飯田線 (首都圏→関西 帰省) 7月下旬

2.関西→首都圏 Uターン 8月上旬

3.北海道行き中止の為、所用に使う。つまり、北海道の他移動…涙。 8月下旬

4.南武線鹿島田駅→横須賀線(東海道線)新川崎駅 徒歩乗り換え ・根岸線 8月下旬

5.武蔵野貨物線ホリデー快速鎌倉号・御殿場線・身延線 9月上旬

 

1.飯田線 (首都圏→関西 帰省) 7月下旬

 首都圏-関西圏の移動は東海道が主流であるが、青春18きっぷの強みを生かし、かねてより望んでいた飯田線経由で帰省する事にした。さて、旅行気分の始まる中央本線高尾駅から記そう。

高尾6:15→上諏訪8:56 横須賀色1156

 中央本線はスイッチバックの遺構や旧線跡が随所に見られる。その筋のマニアには乗っているだけで楽しい路線である。途中、甲府で6分の停車があったが特急に抜かれる事もなく速く上諏訪に到着した。なお、現在、中央本線の特急停車駅ホームの特急乗車口には183系(および189系)特急形電車の顔をデフォルメした絵が描かれているが、間もなく車両の世代交代が行われる。これらの標識も車両と運命を共にするのだろうか?

 

 信濃境付近では北側に旧線の橋梁が見える。やや右側の中央のがそれである。なお、左奥に見えるのは中央自動車道である。

上諏訪9:17→豊橋15:54 湘南色1153 先程の中央本線の115系とは編成が逆。

 上諏訪→辰野は中央本線である。このうち岡谷-辰野間も中央本線ではあるが、みどり湖経由の短絡線が登場してからはすっかりローカル線になってしまった。ここを走る優等列車は、時間稼ぎをする夜行の「急行アルプス号」だけである。なお、この途中の川岸では上り線が松本方面と記されており、本来の中央本線の上り下りとは意味が異なっている。

 

 辰野駅には「ほたるの町に 呼びもどそう 特急あずさ」と掲げられた看板がある。新線開業により優等列車を取り上げられた町の悲哀を感じさせる。今回は停車時間が短く、動き出す車内からの撮影となってしまいきれいに撮れなかったのが残念である。以前、この看板はホームからきれいに撮影したのだが公開できないのが残念である。

 さて、辰野から飯田線に入る。同じ115系だが高尾から長い駅間を高速で突っ走ってきた先程の115系とは走りっぷりが全く違う。この路線は前身が私鉄であるという経歴から極端に駅間が短い為、発車したらすぐに停まる。

 一面一線だが駅前広場があり、タクシーの営業所まで揃っているような駅も見受けられた。鉄道が輸送の主役であった当時の状況が偲ばれる場面は、他にも幾度となく遭遇した。

 

 伊那市→飯田 は最後尾のクハ115の一部を荷物室として仕切っていた。この光景は中央本線でも見た事がある。

 小町屋→飯島 は車内販売が乗込んできた。この区間は荷物室が車販基地を兼ねているようである。湘南色の近郊形電車、それに国鉄時代からの青いモケット…このような列車での車内販売というのは非常に珍しい光景である。このような組み合わせは“懐かしい”という範疇にも入らない。近郊形電車での車内販売…実に不思議である。この日は帰省シーズンでもない平日である。それにしても小町屋は快速も停まらない駅であるが、やはり小駅には小駅で役割があるらしい。

 それにしてもこの列車、停車してから扉が開くまで9秒ぐらいかかっている。車掌は乗務しているが、キップの発行と回収および放送を業務としており、扉扱いは行わない。扉扱いは運転士が行う。停止位置・計器類の確認後、席を立って反対側のドアを開けなければならない為に時間がかかるとの事だ。

 所要時間6時間37分、一本の昼行列車の乗車時間としては私の最長記録である。この列車は、車両は古く、低規格路線で停車発車を頻繁に繰り返す上、リフレッシュできる長時間停車も少なくてけっこう疲れた。

豊橋16:00→大垣・米原・大阪

 豊橋から東海道本線新快速に乗る。名古屋からは関西本線にしようかと考えていたが、眠たいし木津川を見る頃には外が暗くなっているかもしれないのでこのまま東海道本線経由で進む事にした。これならば、後発の特別快速米原行きにしておけばよかった。ところでこの新快速は名古屋到着前からどんどん遅れ出した。驚いた事に岐阜では大阪行きの「特急ワイドビューひだ34号」を待たせてダイヤの順序通りにこちらが先発した。特急は既に発車予定時刻を8分ほど過ぎていた。この先の大垣から「特急ワイドビューひだ34号」に乗ろうと考えていた西岐阜や穂積からの乗客は時間通りに来ていれば「特急ワイドビューひだ34号」に乗れたはずである。だから、この新快速から特急への乗り換え客は岐阜で乗り換えさせてでも特急を先発させるべきだと思った。なぜなら、「特急ワイドビューひだ34号」は米原から先、JR西日本という他社路線に乗り入れなければならないからである。昔は特別急行列車様は最優先されていたが、近年はダイヤが乱れた時にはローカル列車の運転整理が優先される傾向が見受けられる。

 大垣で名古屋行きの「特急しらさぎ号」を見た。国鉄色の485系である。サロ481形グリーン車には改造されているとはいえR27形リクライニングリートが健在であった。この度、旧「特急スーパー雷鳥」編成がリニューアルして「特急しらさぎ号」の一部に投入される事になったが、「特急スーパーしらさぎ」とはならなかったようである。

 米原から先、新快速に乗るが終日130km/hになってから乗るのは初めてである。

 

2.関西→首都圏 Uターン 8月上旬

天王寺駅阪和線9番降車ホームには、かつての23:00発夜行列車の乗車案内の遺構が残る。

尼崎11:54→米原13:18 新快速

 東海道本線経由で首都圏に戻る。青春18きっぷの強みを生かして尼崎まで行ってから新快速に乗る。そうすれば、大阪到着時には確実に座席にありつけるのである。大阪12:00発、札幌行きの「寝台特急トワイライトエクスプレス号」も大阪12:00発だが新快速の方が遅れて発車する。しかし、淀川にさしかかる手前で「寝台特急トワイライトエクスプレス号」を追抜いて行く。かつてこの区間は私の通勤路線であり、この方向別複々線区間では各停乗車時に特急との競走や並走を楽しんだものであった。大阪→新大阪では後発の北陸電車特急や夜行電車急行には追抜かれたが、先行する客車寝台特急や関空特急はこちらの各停が追抜いたものであった。

 それにしてもこの2232000番台車両は、通勤客を満載して130km/hで疾走するのだから性能はいいかもしれないが、コストダウンがあからさまに感じ取れる箇所も多い。221系までは存在した窓側の肘掛けがなくなっている。また、窓には遮光ガラスを採用してカーテンを省略しているが、やはり眩しさと暑さは避けられない。苦情が多く、最近ではカーテンを後づけした車両もあるようである。非常に立派なトイレが設置されている事は評価できるが、比較的乗車時間の長い列車にも充当される車両だという事はわかっているのだから、あともう少し配慮が必要だったかもしれない。私は近年よく見かける窓の暗い車両はどうも好きになれない。

米原13:28→大垣13:58

 8番線から発車する。現在の58番ホームは数年前まで710番ホームであった。まだこのホームには昔懐かしいアイテムが見つけられるが23番ホームは新規に作成されたものである。特急と急行しか扱わなかった今はなき1番ホームには何もなかった事が思い出される。

 2両編成の列車は既に満員であった。米原-大垣間は列車本数が少なく編成も短い。ここも天下の東海道本線なのである。大垣では切り取り式の3番線に到着した。この駅は主要乗換駅ではあるが、なんでこのように乗り換えが不便なのだろう。

大垣14:18→豊橋15:37 新快速

 東京からの「快速ムーンライトながら号」の到着でおなじみの1番線から発車する!

 4両編成の最後尾の車両は、クーラーが故障中で修理しながら運用に就いていた。

豊橋15:45→浜松16:18

 先程の新快速は5番線に到着した。この浜松行きは同じく東海道本線上り列車であるが別ホームの8番線から発車する。48番線は東海道本線用だが上り下りの使い分けはは明確ではない。なんとかならないものか?

浜松16:18→沼津・熱海・小田原・首都圏

 浜松→静岡の各駅の到着アナウンスでは「停車時間が短くなっております。ご注意下さい。」と駅毎に繰り返される。気忙しい事この上ない。静岡からは車掌が交代し、この注意放送は主要駅のみになった。このアナウンスは登場当時に苦情が散見されたが様だが、いまだに生き残っているようである。

 それにしても天下の東海道本線、113系普通電車とはいえ速い!由比付近では国道1号線および高速自動車国道東海自動車道(東名高速)と並走するが、高速自動車国道の追越車線と激しい競走を演じる。走行車線の車なんかは完全にぶっちぎっている。ちなみに100km/hであった。

 東海道本線静岡エリアの駅は23線のいわゆる国鉄形の駅が多いのだが、どうやら現在変化の様子が見て取れる。具体的に言うと、島式ホーム1本を上り下り共に使っており、そのホームだけ重点的に整備しており、改札口のある1番ホームは閑散としているのである。もちろん全ての駅がそうというわけではない。

 東海道本線でも最後部で新聞輸送を行っている普通列車を目撃した。

 

3.北海道行き中止の為、所用に使う。つまり、北海道の他移動…涙。 8月下旬

 

4.所用に使うが、悔しいので少しだけ足を伸ばしてみた。

 南武線鹿島田駅から横須賀線(東海道線)新川崎駅まで徒歩で乗り換えてみた。新川崎駅では「特急成田エクスプレス号」や「特急スーパービュー踊り子号」を見る事ができた。なお、この駅は新鶴見機関区と隣接しておりその筋のマニアにはたまらないだろう。

 根岸線にも乗ってみた。東海道の移動に使う事のない路線であり、旅行気分も味わえそうにないのでこんな機会ぐらいしか乗る事もないだろう。「臨時特急はまかいじ号」の停車駅だぁ、と思いながら乗っていた。さすがに桜木町は横浜駅の歴史と大きく関わる為、少しは興味が湧く。

 

5.武蔵野貨物線・臨時列車ホリデー快速鎌倉号・御殿場線・身延線 9月上旬

 9月上旬の休日、うまく日程が調整できたので出かける事にした。

西国分寺8:43→大船9:49 武蔵野貨物線 臨時ホリデー快速鎌倉号 東北筋の1158

 この列車は府中本町から先は武蔵野南線という貨物線を走行する。なお、配線の関係で府中本町には停車できない。非常に長いトンネルが続き、「どこを走っているのだ?」と車内のあちらこちらでどよめきが起こっている。路線図を見る為に席を立つ乗客もいる。貨物線なので旅客路線図に載っているわけがない。梶ヶ谷貨物ターミナルあたりで貨物線である事に気付いた乗客もいたようである。

 

稲城市で少しだけトンネルから顔を出し、鶴川街道と京王相模原線を跨ぐ。

 新川崎を通過すると「あっ、新川崎だ。」という声があちらこちらで聞こえた。なお、私は「鉄道ピクトリアル誌 19973月号(特集:大都市の貨物線)」に載っている「東京周辺のJR線線路図」のコピーを常時携帯している。これにはポイントレールやホームの位置などきっちり書き込まれている。この為、どんな列車でもどこを走っているのか説明がつくのである。旅先で乗り合わせた人や一緒に出張に行く人とはこの線路図で相当話が弾んだものである。

 鶴見では乗務員交代の為に3分ほど停まる。9:189:21といったところか。「特急踊り子101号」が通過の後、東海道本線に進入するのだがここの配線だけは件の線路図を見てもわからなかった。横浜は副本線の5番線に到着し、東海道本線の普通列車を先発させる。こちらは戸塚通過の快速であるが後発である。ホームではこの列車が東海道本線ではない事を繰り返し案内している。無理もない。車体は湘南色である。東京行きの「寝台特急富士号」の到着と行き違うように横浜を出発する。ここで(狭義の)横須賀線には入らない。ここだと(狭義の)東海道本線の上り線を横断しなければならない。案の定、戸塚の西側で(狭義の)横須賀線に進入した。

大船9:58→国府津10:23 東海道本線快速アクティー号 113

 長大編成だがすごく混んでいる。乗り間違えた女の子達がいる。この女の子達は平塚出発後に間違いに気付き、国府津まで来てしまった。平塚→国府津なんてノンストップであり、その他の停車駅も往年の「急行東海号」と大した違いはない。各駅間も長く、なかなか停まらないのは当然である。嘆いたってどうしようもないよ。

 国府津1番線に到着したが、隣のホームの2番線には先行していた普通列車が既に入っていた。御殿場線は2番線と同じ島にある3番線からの発車であり、既に満員であった。

国府津10:30→沼津11:53 御殿場線

 御殿場線は今でこそ単線のローカル線であるが、丹那トンネル開通以前は複線の東海道本線であったという歴史を持つ。複線を単線にした為、鉄道遺構のマニアにとっては乗っているだけで楽しい路線であろう。しかし、旧線跡は随所に見られるが完全に平行しており、痕跡を推理する楽しさはほとんど無い。スイッチバックの遺構にもご丁寧に標識が立っている。

 いくら単線のローカル線とはいえさすがは旧東海道本線。2両編成の313系電車はなんと110km/hで疾走する。

沼津12:06→身延13:58 東海道本線 身延線

 珍しく沼津始発の身延線直通列車がある。123系の2両編成である。2両ともクモハ123だが形態が異なる。この123系は国鉄末期に荷物電車を旅客用に改造したものであり、その形態は11両違っているといっても過言ではない。私の乗った602は片側3枚扉だが、後ろ(車番失念)は片側2枚扉であった。共にロングシート車でトイレはついていない。

 富士で後続の東海道本線普通列車を先に通し、いよいよ身延線に進入する。

 富士宮駅1番線ホームは随分閑散としているような気がした。この駅は富士登山の団体列車などで賑わうらしい。西富士宮から単線になる。上りの「特急ワイドビューふじかわ6号」が遅れている関係で5分ほど停車する。

 十島で対向列車が8分遅れているらしい。後9分お待ち下さい、と車掌が運転席からマイク無しで案内する。停車時間を再度引き延ばされてガックリくる乗客たち。更に車掌は驚いた事を言った。後から来る下り特急を先に通すが、身延から先に特急を利用する乗客はいないか、と問い掛けている。数人の乗客が手を挙げた。しかし、少なくとも後ろの車両の乗客にはこれらのやり取りは伝わっていないだろう。“思いやり停車”が実現するのか?すぐさまホームにはカメラを持った数人の男が降り立った。鉄道マニアに違いない。思いやり停車が実現しようものなら大スクープである。車掌はその後も列車司令と連絡を取っている。結局、特急を待たずにすぐさま発車する事になった。対向列車到着後すぐに出発したが、幸いにも乗客の積み残しはなかったようである。ちなみに“思いやり停車”とは、正式な用語でも現場用語でもないがダイヤが乱れた時に乗り換え予定客(とりわけ指定券を持っている乗客)の為に本来の通過駅に停車させる事をさす。

 このダイヤの乱れは中央本線の接続列車の遅れが原因らしい。JR東日本の影響がJR東海に及び、JR東海の職員がお詫びのアナウンスを行う…。

 

 身延は日蓮宗の町である。駅前の通りは美しいのだが、信号機が無いのにはちょっと驚いた。もっとも車通りは激しくないのだが。

身延14:34→甲府15:55 身延線

 ワンマン運転であり、全ての扉で乗客を扱う有人の途中駅は下部温泉・鰍沢口・東花輪・南甲府だけである。それ以外は無人駅である。市川大門は隣の鰍沢口よりも停車特急が多いのだが無人駅である。全特急の停まるハンコの名産地の甲斐岩間も無人駅である。鰍沢口は運転の要衝とはなっているが停車特急は少ない。ローカル線には珍しい形態でなかろうか?

 この区間でも最後尾の一部を荷物扱いにしている普通列車を目撃した。

甲府16:07→高尾17:44 中央本線

 県都甲府駅の中央本線部はわずか23線しかない。上り主本線は2番線だと察する。

 当駅始発の「臨時特急ビューかいじ192号」は、先発の「特急あずさ64号」の出発の後、あわただしく入線してすぐさま発車してしまった。どちらも2番線である。私の乗る高尾行きは小淵沢が始発で、甲府では3番線に入り特急を先発させる。相模湖では追抜きがあるわけでもないのにどういうわけか停車時間が長いが、他にも相模湖で長く停まる普通列車があるようである。

 

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