モーツァルトの手紙




 1    1777/10/2(モーツァルト21歳)ミュンヘンより 父宛 
更新日時:
2009/05/06
・・・まる三日間、ザーレルン伯爵のところで、たくさんの作品を暗譜で弾きました。・・・
ザーレルン伯爵がどんなに喜ばれたか、ご想像頂けないでしょう。
なんといっても伯爵は音楽がわかります。
というのは、ほかの貴族たちが嗅ぎタバコをつまんだり、鼻をかんだり、咳ばらいしたり、おしゃべりをし始めたりするのに、伯爵はいつも「ブラヴォー」を口にしていましたから。僕は伯爵に言いました。
「選帝侯がここにいらしてさえくだされば、きっと何か聴きとって下さったでしょうに。
選帝候は僕について何も御存知ありません。僕がどんなことをできるか御存知ないのです。
にかくお偉い方々は誰の言うことでも信用なさって、けっして試してみようとはなさいません。ほんとうにいつだってそうなんですから。
僕は試験をしてみていただきたいと思います。選帝候はミュンヘンのあらゆる作曲家をお呼びになるがいいのです。イタリア、フランス、ドイツ、イギリス、スペインから何人お呼びになってもかまいません。僕は誰にも負けずに書く自信があります。

 2    1977/10/14 アウクスブルクより 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・そこにいる人たちがみんなひどく礼儀正しいので、僕も大いに礼儀正しくしていました。
というのも、人がしているようにするのが僕の習慣で、それが一番いい結果になるからです。」
・・・・・
「僕は食後にシュタイン(クラヴィコード製作者)さんを訪ねたいと言ったら、息子さんが早速に自分で案内しようと申し出てくれました。・・・
僕は彼らに僕が何者であるか言わないように頼んでおいたにもかかわらず、フォンランゲンマンテル氏はうかつにもシュタインさんに
「ここでクラヴィーアの名手をご紹介させていただきます」と言って、にやにや笑いました。
・・・・・・シュタインさんはついに、「もしかして、モーツァルトさんじゃありませんか?」
「いや、とんでもない。僕はトラツォーム(Trazom)と申します。
それにあなたに宛てた手紙もここに持っています。・・・それよりも僕らを広間に入れてくださいな。僕はあなたのピアノフォルテを拝見したくてたまりません。」
「ええ、結構ですよ。お望み通りにいたしましょう。でも、私は思い違いはしていないつもりですが。」彼は戸を開けました。
僕はその部屋にある三台のクラヴィーアの一つにすぐ駆け寄りました。
僕が弾くと、彼は自分の気持を確かめようと、切る手ももどかしく封を開けましたが、署名を見ただけで「ああ!」と叫び、僕を抱きしめました。彼は十字を切り、しかめっ面をし、まったく喜んでいました。・・・」

 3    1777/10/17 アウクスブルクより 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・僕がシュタインさんに、彼のオルガンを弾きたいな、オルガンは僕の情熱を燃やしているものですからと言ったら、彼はひどく驚いて言いました。
「なんですって?あなたのような大ピアニストが、甘さもなければ表情もない、弱音や強音どころかいつも同じ調子の楽器を弾きたいんですか?
「そんなことはまったく問題ではありません。オルガンはなんてったって、僕の目と耳にはあらゆる楽器の王様ですからね。」
「それなら、どうぞ。」こうして僕らは実際に一緒に出かけました。
僕は彼の話からすぐに、僕が彼のオルガンでは大して弾けないだろう、いわばまったくピアノ風に弾くだろう、と考えていることに気づきました。

 4    1977/10/23 アウクスブルクより 父宛
更新日時:
2009/05/06
「・・・ところでシュタインの娘さんのことを話しましょう。彼女が弾くのを見たり聴いたりして笑わずにいられる人は、彼女の親爺さんと同じく《シュタイン(石)》で出来ているに違いありません。この娘はけっしてクラヴィーアの中央部にではなくて、まったく高音部に向かって座るのです。そうすれば、体を動かしたり、しかめっ面をする機会が増えます。目をむき出したり、にやにや笑ったりします。ひとつの主題が繰り返されるとき、2度目に彼女はゆっくりと弾きます。3度目には、もっと一段とゆっくりです。パッサージュを弾くときは、腕を高々と上げ、パッサージュを際だたせるので、指でなくて腕で弾いているに違いありません。しかもまったく苦労して重々しく、不器用にやるのです。でも、一番傑作なのは、あるパッサージュで(油のようになめらかに流れなくてはいけないところで)、どうしても指を変えなくてはならないのに、そんなことにはとんとおかまいなく、むしろ時には中断して、手を挙げ、それからまた実に気持ちよさそうに始めます。その弾き方だとミスタッチがいっそう増えるのですが、それがしばしば奇妙な効果をあげます。
こんなことを書くのは、ただパパにピアノの演奏と教育について一つの考えをお伝えして、いつか役立てていただきたいからです。
シュタインさんは娘さんにまったくのぼせ上がっています。彼女は8歳半で、いまだになんでも暗譜で覚えてしまいます。彼女はものになるかもしれません。才能をもっていますから。でも、こんな弾き方では伸びないでしょう。けっして早く弾けるようにはなりません。つとめて手を重くするようにしているのですから。
彼女は音楽で最も必要不可欠なもの、一番難しいもの、特に大事なもの、つまりテンポを身につけることは決してないでしょう。なにしろ幼い頃から、拍子はずれの弾き方に専念してきたのですから。
 
『天才から見た凡人』の感想はとても面白い。何より、今では習うことのできないモーツァルト先生の貴重なレッスンのようで、大変貴重な資料ではないだろうか。モーツァルトが、一番重要なことはテンポだと言っている点がとても興味深い。
 

 5    1777/10/31 マンハイムより 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・・・それから僕らは一緒にリハーサルに行きました。僕が当地の人たちに紹介されたとき、笑いをこらえることができないのを感じました。
僕の名声を知っている人たちは、じつに丁重で、敬意に溢れていました。ところが、僕のことなぞまるきり知らない連中は、僕をじろじろと眺めますが、たしかに小馬鹿にしています。彼らはきっと、僕が小柄で若いので、僕のなかには大きなものや成熟したものはびそんでいるはずはない、とでも考えているのでしょう。でも、いずれ彼らもわかるでしょう。
 
モーツァルトの人生で、同業者による嫉妬・嫌がらせ・侮辱がどんなに彼を苦しめたか計り知れない。天才は熱狂的なファンをもってはいても、この時代、フリーとして生計を立てることが出来なかった為、貴族社会の注文で作曲することが大半だった。その宮廷には、自分のポストにしがみつくサリエリみたいなのがいっぱいいて、えげつない嫌がらせを受けたかもしれない。
そういった点で、クラッシック音楽の歴史に置いて、モーツァルトと、ベートーベンが生まれた順番と、絶妙な生まれた時代のずれ、これが大きく、2人の偉大な作曲家の運命を分けた。
ベートーベンは貴族社会が崩壊し、強力なスポンサーが付いてフリーランスとして、自分の芸術を思う存分極められた。またピアノの質がよくなり進化したという点でも幸運であった。聴覚障害という運命をのぞけば・・・
モーツァルトの時代、クラヴィーアからピアノへの発展途上であり、もし、現代のようなピアノをモーツァルトが見たら、どんな曲が生まれていたであろうか・・・。モーツァルトファンにとっては、残念でたまらない、はかない夢。
ただ、近代のようなアクロバット的な超難曲・難解な曲は作らないかもしれないと思う。
ピアノは本当の名器であれば、音色そのものが美しいのであって、その音色を活かすためにシンプルな『歌』で充分だ。ペダルでごまかすような曲や、超絶技巧はモーツァルトの好みだろうか・・・?
 

 6    1777/11/8 マンハイムより 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・・・明日はカンナビヒ邸で、お父さんの霊名の祝日と誕生日を祝って、クラヴィーアを弾きましょう。今日、僕ができることは、親愛なお父さん、僕が毎日、朝に夕に心の底から望んでいること、つまり健康と長寿と愉快な気分とをお願いすることよりほかありません。その上希望したいのは、今お父さんが、まだ僕がザルツブルクにいたときのように不機嫌にならないことです。確かに、僕がその唯一の原因であったことは認めなくてはなりません。みんなは僕に辛く当たりましたが、僕にはそれは不当なことでした。お父さんは当然のことながら同情をしてくれましたが、−−−あまりにも大きすぎました。僕がザルツブルクからあんなにも急いで去った最大の、いちぱん重要な理由はそこにあったことがおわかりでしょう。僕の願いがかなえられることも祈っています。
さて、音楽の祝辞で終えなくてはなりません。これ以上新しい音楽が作れなくなるまで、長生きなさるようお祈りします。では、ごきげんよう。どうぞもうちょっと僕を愛してくださるようくれぐれもお願いします。そして、僕がこれから得ようとしている知恵入れの、僕の小さい狭い知恵箱に新しい引き出しができるまで、この貧しい祝辞をどうぞお受け取りください。パパの手に1000回のキスを、そして死のときまで
 親愛なお父さん
であってください。            あなたのいとも従順な息子
                       ヴォルフガング・アマデー・モーツァルト
 

 7    1777/11/13 マンハイム 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・お父さんの手紙によれば、フォーグラーの本は読んでいないようですね。・・・・・
・・・オーケストラの人たちはみんな、上から下まで、彼を嫌っています。ホルツバウアーにもいろいろ腹立たしいことをしました。彼の本は作曲を学ぶよりも算術を学ぶのに役立ちます。彼は三週間で作曲家を育て、六ヶ月で歌手を養成すると称しています。でもそんなことを彼が実現したためしはありません。彼は最高の大家たちすら軽蔑しています。僕にも面と向かってバッハ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)をこきおろしました。バッハは当地でオペラを2曲書きましたが、・・・第二作は『ルーチョ・シッラ』です。とろこで僕もミラノで同じものを書いているので、それを観たいと思っていました。フォーグラーがそれを持っているとホルツバウアーから聞いたので、彼にそれを頼んでみました。
「心から喜んで、早朝、早速にお届けしましょう。でも、ろくなもんじゃありませんよ。」
二、三日して会ったとき、彼はまったく馬鹿にしたような態度で言いました。
「ところで、なにか良いところがありましたか、あれで勉強になりましたかな?」
「アリアが一つ、とてもきれいです。」・・・
「まあ、バッハのいやらしいアリアですよ、けがらわしいやつめ、そうだ『いとしいひとみよ』だ、きっとポンスに酔って書き上げた代物に違いない。」
僕は髪の毛をつかんでやろうかと思いました。でも聞かなかったふりをして、僕は黙って立ち去りました。彼は年をとりすぎて、選帝候のもとでの仕事にもう耐えきれなくなってさえいます。
 

 8    1977/11/22 マンハイム 父宛
更新日時:
2009/07/26
今夜は6時にガラ・コンサートがありました。カンナビヒ夫人の妹さんと結婚しているフレンツル氏がヴァイオリンで協奏曲を弾くのを楽しく聴きました。彼はとてもぼくの気に入りました。
御存知の通り、僕はむつかしい技巧を特に好む者ではありません。ところが彼はむつかしいものを弾くのですが、それがむつかしい曲だという印象を与えません。自分ですぐ真似られると人は思うのです。そしてそれこそが本物です。
彼はしかも非常に美しい、まろやかな音をもっています。一音といえどもおろそかにせず、すべての音が聴こえます。あらゆる音が明快です。弓をあげるときも、下げるときも、一気にきれいなスタッカートができます。そして二重トリラーにいたっては、彼のような演奏をいまだかつて聴いたことがありません。彼は僕にとって魔法使いではなくて、じつにしたたかなヴァイオリニストです。
 
若き天才モーツァルトの、『美学』はとても貴重。

 9    1777/11/29 マンハイム 父宛
更新日時:
2009/07/26
「親愛なるお父さん!
きょう午前、24日付のお手紙たしかに受け取りました。それでわかったのは、もしひょっとしてなにかが僕らの身の上に降りかかったら、お父さんは幸不幸に順応できないだろうということです。これまで僕ら四人は、この通り、幸福でもなければ不幸でもありませんでした。そして僕はそのことを神に感謝しています。
あなたは僕ら二人(モーツァルトとその母)を大いに非難していますが、それは不当なことです。僕らは必要でない出費などいささかもしていません。・・・
・・・なぜ僕らがまだここにいるかって?そう、僕が理由もなくどこかに滞在するとお思いですか?でも誰だって父親にはやはり−−−いいです、あなたにその理由を、そう、事のいっさいの経過をお知らせしましょう。でも、神にかけて言いますが、僕がそのことについて何も書きたくなかったのは詳しい事が書けなかったからで、それに、不確かな便りだと当然あなたは心配し、心を痛めたでしょう。それは僕が常に避けようとしてきたことです。でも、もしあなたがその原因を僕の怠慢や呑気や無精のせいにあるとお考えでしたら、あなたのご立派な意見に感謝すると共に、あなたが僕を、あなたの息子を、わかっていないのを心から残念に思うよりほかありません。
僕は呑気者じゃありません。ただ、あらゆることに備えて覚悟しています。したがって、なにごとも辛抱強く待ち、耐えることができます。僕の名誉とモーツァルト家の名声がそれで傷つかないかぎり。でもあらかじめお願いしておきますが、早まって喜んだり、悲しんだりしないでください。
どんなことが起ころうとも、健康でさえあれば、それでいいのです。
幸福というものは−−−ただ想像の中にだけあるのですから。
 
単純な一般論で、天才とは、凡人には理解し難い、少々風変わりなキャラクターというイメージがあるが、21歳にしてはなんと地に足の着いた、しかも彼の幸福論は哲学さえ感じる。

 10    1778/1/17 マンハイム 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・フォーグラー氏は間違いなく僕と知り合いになろうと望んでいました。彼がこれまで何度うるさく僕に訪問するように言っていたか、それはいちいち書けません。彼はそれでもついに自尊心に打ち克って、初めて僕を訪ねてきました。・・・
ただし、食事の前に、彼は僕の協奏曲を初見で弾きまくりました。第一楽章はプレスティッシモで飛ばし、アンダンテはアレグロ、そしてロンドはまさにプレスティッシッシモです。低音部はたいてい書かれたものとは違って弾き、ときどき、まったく異なった和声やメロディさえも弾いていました。あの速さでは、そうするよりほか仕方ないでしょう。目が譜面を見ることもできないし、手が捉えることもできませんでも、それがなんだというのでしょう?初見で弾くなんて、僕にとってはウンコをするのと同じことです。
聴き手たちは(その名に値する人たちのことを言っているのですが)音楽とクラヴィーア演奏を見に来たというよりほかありません。彼らはその間、彼と同様に、ほとんど聴くことも、考えることも、また感じることもできません。とてもがまんできる代物でなかったことは、容易におわかりでしょう。僕は、「あまりにも速すぎる!」と彼に言うにさえいたらなかったのですから。それに、ゆっくりと弾くよりも速く弾く方がずっと楽です。パッサージュの中のいくつかの音符を見落としたって、誰も気づきません。でもそれが美しいでしょうか?速い箇所で右手と左手を変えたって、誰も見も、聴きわけもしません。それが美しいでしょうか?
そして初見で読むという技術は、いったいなにから成り立っているのでしょうか?要するに、その作品をしかるべき正しいテンポで演奏するということです。すべての音符、前打音などを、それにふさわしい表情と様式感で表現して、演奏者自身がそれを作曲したかのように思わせることです。

 11    1778/2/5 ザルツブルク 父レオポルト・モーツァルトより
更新日時:
2009/07/26
「・・・私はおまえを非難しようと思っているのではありません。おまえがこの私を、自分の父親としてだけでなく、またおまえをいちばんよく知っていて、いちばん頼りになる友人として愛してくれているのを知っているし、それに、私たちの幸不幸を、そればかりか私のかなり長かった生涯、あるいはまた私のそう遠くない死もまた、神様の次にはいわばおまえの手にゆだねられていることもおまえはよく知っていて、理解していることも私には分かるのです。
私にはおまえのことが分かっているのだから、私は喜び意外のなにものも望むべきではありません。その喜びは、おまえの声を聞き、おまえに会い、そしておまえを抱く父親の喜びが奪われているので、おまえが留守のあいだ私を慰めてくれるはずの唯一の喜びなのです。」
 
この親子間には、とても強い愛情と絆を感じるが、反面、性格が正反対くらい違う。この父親は息子には『重い』のでは?

 12    1778/2/7 マンハイム 父宛 (モーツァルト22歳)
更新日時:
2009/07/26
「フォン・シーデン・ホーフェンさんの結婚式がもうじきあげられるという話、お父さんを通じて、もっと早く知らせてくれるとよかったですね。それなら僕が新しいメヌエットを書いてあげたのに。彼の幸福を心から望みます。
でも、それはおそらくまた金銭結婚以外のなにものでもないでしょう。僕はそんな結婚をしたくありません。僕の妻を幸福にしたいとは思いますが、彼女の財産で幸福になろうとは思いません。だから、僕が妻子を養えるようになるまで、このままでいて、自分の貴重な自由を楽しみましょう。
フォン・シーデン・ホーフェンさんには、金持ちの奥さんを選ぶ必要があったのです。それで貴族になれる。高貴な人たちはけっして好みや愛情で結婚せずに、ひたすら利害やその他もろもろの付帯目的があって結婚します。妻がお役目をはたし、がさつな相続人を生み出したあとまで、妻を愛するなどということは、身分の高い人たちにはふさわしくないことです。
しかし、僕ら貧しい平民たちは、愛し愛される妻を選ばずにはいられないばかりか、そうしてさしつかえありません。そして、そうできますし、そういう人を選ぶでしょう。なにしろ僕らは貴族でも、上流階級でもなく、名門でも、金持ちでもないどころか、平民の、とるにたらぬ、貧しい人間ですから、僕らの財産は頭の中にあるのですから。そして僕らの頭をちょん切らないかぎり、誰もそれを奪うわけにはいきません。・・・・
 
僕は弟子を取らなければまったくやっていけないでしょうが、そういう仕事には生まれついていないのです。当地でほやほやの実例があります。
僕は二人の弟子を持てるはずでした。僕は両方に三度ずつ行きましたが、そのうちの一人が家にいなかったので、もう二度と行きませんでした。気に入れば、僕だって喜んでレッスンをします。ことに天分があって、楽しんで学ぼうという意欲が見られるなら。
しかし、一定の時間によその家を訪ねたり、あるいは家で待ったりしなくてはならないなんて、とても僕にはできません。たとえたくさん稼げても、それは僕には不可能なことです。そんなことはクラヴィーアしか弾けない人たちにまかせましょう。
僕は作曲家で、楽長となるように生まれついています。神様がこんにも豊かに与えてくださった作曲の才能(と高慢でなくそう言えます。今ほどそれを感じているときはありませんから)、それを埋もらせてはいけませんし、埋もらせることはできません。そして、たくさんの弟子を持てば、そうなるのが落ちでしょう。そりゃ不安定な職業ですからね。
僕は、実を言えば、作曲の為ならクラヴィーアは犠牲にしてもいいくらいです。クラヴィーアは僕の余技にすぎませんからね。でも、ありがたいことに、とても強力な余技ですが。」

 13    1778/2/9 ザルツブルク 父レオポルト・モーツァルトより
更新日時:
2009/07/26
「・・・夜中はけっして徒歩で出かけてはいけません。
おまえは、自分にこれほどまでに非凡な才能をお与え下さった神さまにお借りしているものがあることを毎日考えなさい。このことをこんなにしょっちゅうおまえに忘れぬよう注意しているのを悪く取らないでください。私がおまえの父親として何に責任があるかをおまえも知っているはずです。私がこの前〈懺悔〉について注意したことにはおまえも腹がたったろう。
私の立場に身を置いてごらん。そしてその上で、私がそうする義務がないかどうか言ってくれまいか?
神よ!いつおまえにまた会えるのだろうか!
おまえに百万回キスをし、おまえのいちばん信用のおける本当の友にして父親の
                                           レーオポルト・モーツァルト」

 14    1778/2/12 ザルツブルク 父レーオポルト・モーツァルトより
更新日時:
2009/05/06
愛する息子よ!
4日付のおまえの手紙を、私は驚きうろたえながら読み終えました。・・・
・・・この手紙では息子の欠点ばかりが分かってしまう。
誰の言葉でもそのまま信じてしまい、そのあまりにもお人好しの心をみんなの甘言やお世辞によって笑いものにし、万事につけ、みんなが自分の前で見せつけるお芝居に勝手にあっちこっちとあやつられ、思いつきや、根拠もなく充分に熟考もしないで空想した見込みを実現させようとし、他人の利益のために、自分自身の名声や利益を、そればかりか、自分の年老いた律儀な両親に必要な利益や助力を犠牲にしてしまう。・・・
愛する息子よ、どうかこの手紙を熟慮して読んでおくれ。・・・
子供のおまえが安楽椅子の上に立って、私のために『オラーニャ・フィガターファ』を歌ってくれて、最後には鼻先にキスし、そして、私がおじいさんになったら、おまえは私をガラスケースに入れて外気から守ってくれて、ずっと自分の傍に置き、大切にしてくれるって私に言ってくれた、私にとっての幸せな時はもう過ぎてしまったのだ。
だから辛抱して私の言うことを聞いておくれ!

 15    1778/2/16 マンハイム 父レーオポルト・モーツァルトより
更新日時:
2009/05/06
「息子よ!
おまえはやることなすことすべて、すぐカッカとし、またせっかちです!
おまえは幼い頃や少年時代とは、今や性格がまったく変わってしまいました。幼児の時も少年になってからも、おまえは子供っぽいというよりもずっと生真面目だったし、クラヴィーアの前に坐ったり、そうでなくてもなにか弾く必要があるときには、誰もほんのちょっとした冗談もおまえに言うのはとてもできなかったのです。そうだ、おまえ自身、目鼻立ちにとても落ち着きがあったので、いろんな国のたくさんの眼識のある人たちが、あまりにも早く才能が芽生えてしまったことや、おまえのいつも落ち着いて物思いに耽っているような顔だちのゆえに、長生きができるのかどうか案じたものだった。
でも今おまえは、私が思うに、あまりにも性急に最初の挑発に乗ってしまって、おどけた調子で誰にでも返事をしてしまうようだ。それがもう心安さといったことへの第一歩なのだが、尊敬してもらおうと思えば、この世の中ではそんなものはあまり多くは求めてはなりません。親切な心を持っていれば、たしかに自由かつ自然に自分の気持ちを漏らすのに慣れていますが、しかしそれは間違いです。
それに、おまえをべたぼめし、高く買い、天にまで持ち上げようて賞賛する人間には、もう欠点もみとめず、すっかり打ち解けて好きになってしまうというのが、まさにおまえのお人好しな心なのです。ところが、小さなころのおまえは、人があまりにもほめすぎると泣き出してしまうほどの極端な謙虚さをもっていたのだ。

 16    1778/2/28 マンハイム
更新日時:
2009/05/06
「・・・パリでは今、グルックの合唱に耳馴れていることはたしかです。まあ僕にまかせてください。モーツァルトの名を輝かせるために、全力をつくしましょう。その点についてはぜんぜん心配していません。
これまでの手紙でどうなっているのか、どういう考えだったのか、すっかりおわかりになったと思います。
僕があなたを忘れるなんて、そんな考えをときどき頭に浮かべるようなことはどうぞやめてください!そんなこと、僕には耐えられません。
僕の本意は、早く僕らが一緒になって、仕合わせになれるよう努力することにあったし、現在もそうだし、これからも常にそうでしょう。でも、それには忍耐が必要です。ものごとがいかにしばしば思い通りに行かないものか、僕よりもあなた自身の方がよく御存知です。
それでももそのうちきっとうまく行くものです。ただ忍耐あるのみです。神に望みをかけましょう。神は僕らを見捨てはしないでしょう。僕を見捨てるはずがありません。
それなのに、どうしてあなたは僕を疑ったりできるのですか?僕の最上にして最愛のお父さんを心から抱擁する仕合わせと喜びを味わえるよう、それが早ければ早いほどうれしいのですが全力をあげて仕事をするのは、僕自身にかかっているのじゃありませんか?そうでしょう!とにかくこの世に利害関係のないものなんてありはしません!バイエルン〉になにか戦争でも起こるようなら、どうかすぐに僕のところへ来てください。
僕には信頼のおける三人の友人がいます。しかもそれらは力強い、けっして克服されることのない友人たちです。つまり、神と、あなたの頭脳と、僕の頭脳です。僕らの頭脳は、たしかに異なってはいますが、それぞれの専門において非常に優秀で、有能で、役に立ちます。そして、今は僕のが劣っていますが、時をかせば専門の領域で、僕の頭脳があなたのに少しずつ追いつくだろうと期待しています。
では、ご機嫌よう!元気で、陽気にお過ごしください。子供としての義務を意識して忘れたことはなく、このように良き父親にいっそう値するものになろうと常に努力している息子を持っていることを、思い出してください。そして、変わることなくあなたのこの上なく従順な
                                          ヴォルフガング・モーツァルト

 17    1778/7/3 パリ
更新日時:
2009/07/26
「・・・僕は、コンセール・スピリチュエルの幕開けのために、シンフォニーを一曲書かなくてはなりませんでした。それは聖体の祝日に演奏されて、満場の喝采を受けました。耳にしたところによると、『ヨーロッパ通信』にも記事が出ていたそうです。つまり大受けに受けたのです。
練習の時は、とても心配でした。なぜって、僕は生まれてこのかたこんなひどい演奏を聴いたことがありませんでした。二度も続けてシンフォニーをガーガードンドンかき鳴らすさまは、とてもご想像になれないでしょう。僕は本当にすっかり心配でした。できればもう一度稽古したかったのですが、いつもいろんなものを練習するので、もう時間がありませんでした。そんなわけで、心配と不安と怒りがいっぱいのまま、ベッドに向かわなくてはなりませんでした。
翌日、コンセールにはけっして行くまいと決心していたのですが、夕方には天気がよくなったので、とうとう覚悟を固めました。もし稽古のときのようにまずくいったら、なんとしてもオーケストラのところへ行って、第一ヴァイオリンのラ・ウーセ氏の手からヴァイオリンを取り上げて、僕自身が指揮をしようと。
僕はうまくいきますように、なにごとも神の最大の名誉と栄光のためにあるのですからと、神の恩寵を願いました。さて、いよいよシンフォニーが始まりました。ちょうど第一楽章のアレグロの真ん中に、たぶん受けるに違いないとわかっていたパッサージュがありました。そこで聴衆はみんな夢中になってたいへんな拍手喝采でした。でも、僕はそれを書いているとき、どんな効果が生まれるか心得ていたので、最後にもう一度それを出しておきました。そこでダカーポでした。アンダンテも受けましたが、とくに最後のアレグロがそうでした。
当地では最後のアレグロはすべて、第一楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていたので、僕は二部のヴァイオリンだけの弱奏で八小節だけ続けました。そのあとすぐ強奏がきます。すると聴衆は(僕の期待したとおり)弱奏のところで「シーッ!」。続いてすぐに強奏。それを聴くのと拍手が鳴るのと同時でした。
そこで僕はもううれしくって、シンフォニーが終わるとすぐにパレ・ロワイヤルに行って、おいしいアイスクリームを食べ、願をかけていたロザリオの祈りを唱えて、家へ帰りました。
僕はいつも家にいるのがいちばん好きです。家にいるか、さもなければ、信頼のおけるドイツ人、もしそれが独り者なら善良のキリスト教徒として生きる人、もし既婚者ならば妻を愛し、子供らをちゃんと育てている人のところにいるのが、いちばん好きです。

 18    1778/7/30 パリ 〜ヴォルフガングからアロイジア・ヴェーバーへ(ラブレター?)〜
更新日時:
2009/07/26
「・・・もしあなたがすぐに僕のアンドロメーダの劇唱『ああ、私は前からそのことを知っていたの!』に本気で取り組んでくれたら、どんなにかうれしいことでしょう。というのは、この劇唱はあなたにぴったりと合うでしょうし、それにあなたの名声を大いに高めること請け合いです。ことに表現の点でお勧めしますが、歌詞の意味と力とを細心に考え、アンドロメーダの境遇と立場に真剣にわが身を置いてみてください。そして、その人物そのものであると想像することです。このように続けていけば、(あなたのすばらしい声と、見事な唱法で)またたくまに間違いなく優れた歌手となるでしょう。
あなたにお送りする次の手紙の大部分は、あなたがこの劇唱をどのように歌い、演じたらよいか、僕が望む唱法や演じ方について簡潔に説明することからなるでしょう。でもそれまでは、あなた自身で練習するようお願いします。そうすれば、あとで違いがよくわかるでしょう。それはあなたにとってたいへん役立つはずです。そんなに直したり改めたりするところはないと信じてはいますが、それに、あなた自身、僕が望む通りの表現で歌うでしょうが、経験でそれはわかりますね。
あなたが一人で習得したアリア『わしは知らぬ、どこからやってくるのか』については、どこも直したり、改めたりするところはありませんでした。あなたは僕の望む趣味と唱法表現法とであの曲を歌いましたね。
そういうわけで、当然僕はあなたの能力と理解力に全幅の信頼を置いています。要するに、あなたは有能です。実に有能です。
ただあなたにお勧めしたいのは(そしてこのことはぜひお願いしたいのですが)、僕の手紙を何度も読みなおして、僕の忠告どおりに従ってくれませんか。そして、僕があなたに言うことのすべて、言ってきたことのすべてには、あなたのため僕に出来るかぎりのあらゆることを尽くす以外、いかなる目的もないことを固く信じていただきたいということです。
・・・でも僕にとっていちばん仕合わせ心理状態、境遇はあなたに再会して、心からあなたを抱擁する最高のよろこびが得られる日にあります。でもこれは僕が熱望し、願望するすべてでもありますが、この願望や念願にのみ、僕の唯一の慰めと安らぎを見出しています。
 

 19    1778/7/31 パリより 父宛
更新日時:
2009/07/26
「・・・ここで弟子を取って生活していけるよう、そしてなるべくたくさんのお金を得られるよう、さしあたってできるだけのことをしてみましょう。やがてなんらかの変化があるだろうと甘い期待があればこそ、今そうするのです。なぜかといえば、この地からから解放されたらどんなにうれしいか、否定できないし、むしろ告白しなくてはなりません。レッスンをするのは、当地では楽ではありませんからね。教えるだけでもかなり苦労しますし、大勢弟子を取らなければ、たくさん稼げません。
僕の怠惰のせいだなどと思わないでください。いえ、そうではありません!むしろ、教えるということが、僕の天分に反し、僕の生活態度に反するからです。
御存知の通り、僕はいわば音楽のなかにのめり込んでいます。一日じゅう、音楽と付き合い、よろこんで楽想にふけり、調べたり、熟慮したりしています。ところが、それがここでの暮らし方だと妨げられます。もちろん、何時間かの自由時間は得られるでしょう。しかし、そのわずかの時間は、僕には仕事よりも休息に必要です。
オペラについては、前便ですでにご報告しました。他にどうしようもありません。大オペラを書くか、あるいはまったく書かないかです。小オペラを書いても、わずかしかもらえません。(ここではあらゆるものに税金がかかりますから。)それに、もしそれが不運にもあの馬鹿なフランス人どもに気に入られなかったら、一巻の終わりです。もうなにも作曲を依頼されないか、されてもごくわずかです。そして、僕の名誉だって傷ついたでしょう。
しかしもし僕が大オペラを書けば、報酬はもっといいし、僕の得意な領域でうれしいし、いっそうの拍手を受ける期待ももてます。大作を書けば、名声を得る機会はいっそうふえるわけですからね。もし僕がオペラの注文を受けたら、もうなんの心配も要らないことを請け合います。
この国の言葉は悪魔の作ったものであることは確かで、あらゆる作曲家が出会った困難さのすべてが完全にわかります。でもそれにもかかわらず、その困難を他のあらゆる作曲家に劣らず克服する自信があります。それどころか、ときどき、僕のオペラが本決まりになったときのことを想像すると、身体じゅうが火のように燃えるのを感じ、そして、フランス人にドイツ人の何たるかを知らせてやり、尊重させ、畏敬させてやりたい熱望で手足が震えるのを感じます。
いったいなぜフランス人には大オペラは頼まれないのでしょうか?いったいなぜそれは外国人でなくてはならないのでしょうか?その点僕にとって一番がまんならないのは、おそらく歌手たちでしょう。
さて、もう覚悟はできています。けんかを売る気はありませんが、売られたときには、身を守るすべは知っています。でも決闘しないですむなら、それにこしたことはありません。こびと相手に取っ組み合いなどしたくはないですからね。
どうか近いうちになにか変化が起こりますように!その間僕は、勤勉、努力、そして仕事をきっと惜しまないようにしましょう!・・・」

 20    1780/11/24 ミュンヘンより (24歳) 姉宛
更新日時:
2009/08/01
「・・・さて、お姉さんはもうすっかり元気になったでしょうね!どうぞあんな憂鬱な手紙を二度と書かないでくださいね。
なぜって僕は目下、明るい気分、明晰な頭脳、そして仕事をする楽しさを必要とします。心が悲しいと、それが持てません。・・」
 
〜1〜
つづく


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