Wolfgang Amadeus Mozart
 
1756.1.27〜1791.12.5

〜お気に入り〜
 
交響曲 第39番・・40番・・41番・・
ディベルティメント K136・・
ピアノ協奏曲 第20番・・
2台のピアノのためのソナタ
弦楽五重奏曲 第4番
フルートとハープの為の協奏曲
ホルン協奏曲第4番
魔笛・・フィガロ・・イドメネオ
ピアノソナタ第8番
・・・

1   モーツァルトのすごいところ
H22年1月27日(水) 
『まず、器楽、声楽、宗教曲とあらゆるジャンルを手がけており、
いずれのジャンルでも名曲として世に残る作品を書いている。
コレは誰にでもできることではない。
 
例えばJSバッハは長年教会の音楽監督という職務にあったこともあり、
作品のジャンルは宗教音楽にかたよっている。
 
当時はオペラ作曲の見返りが非常に大きく、需要も多かったので、
バッハはよほど機会に恵まれなかったか、オペラに向いていなかったか・・・
 
ハイドンは「交響曲の父」と呼ばれるだけあって
100曲以上もの交響曲を書きオペラも25曲あまり書いている。
また弦楽四重奏曲など、室内楽の分野でも多大な業績を残しているが、
しかし今日演奏される作品は、モーツァルトに比べれば限られている。
 
楽聖ベートーベンはさまざまなジャンルの作品を残しているが、
ことオペラに関しては成果は寂しい。
ベートーベンのオペラは「フィデリオ」一作、
それも幾度も書き直したあげくである。
 
またこの時代、作曲家は多作であったが
モーツァルトの場合、駄作や失敗作が極端に少ないのが特徴。
名曲の多さでは抜きんでており、高打率のヒットメーカーといえる。
 
おまけにモーツァルトの生涯は36年にわずかにおよばぬ短さであった。
旅に費やした日々も多かったから、
眠ったり食べたりしている以外は、
おおむね五線譜にペンを走らせていた計算になろう。
 
にもかかわらずモーツァルトの自筆譜は
いずれも清書したようにきれいで、
一カ所の書き直しもない。
それはわずか9歳の時の作品においてもそうであるから、恐れ入る。
 
ちなみにベートーベンの自筆譜と比較してみると、
楽聖の筆跡は書き直しだらけで、余白に何かの計算書きやら
「バカヤロー」といった罵詈雑言が書き込まれていたりする。』
(それはそれで面白いけど)
 
(後藤真理子さん著 「モーツァルト」より)
 
 
 
 
 
 

2   ディベルティメント K136
H21年7月22日(水) 
モーツァルトにはたくさんの神童エピソードがある。
確かにそれは面白いけれど、脚色された部分もあるかもしれないし、
どこまで事実であるかはわからない。
 
しかし、父の手紙だけでは多分に「親ばか」的視点もあるであろうが、
当時の新聞に絶賛されている記事が載っていたり、
モーツァルトの演奏を聴いた人が遺した手紙に、
その演奏に驚愕したと書かれていることもあり、
もちろんモーツァルトの神童ぶりは疑う余地はない。
 
でも、
けっして、モーツァルトの神童エピソードをもってして
「天才音楽家」というわけではない。
 
ディベルティメントK136はモーツァルトが15、6歳の時に書かれた曲。
私はこの曲が大好きで、
あの世界で最も有名なクラッシック曲
アイネクライネナハトムジークに匹敵する名曲だと思う。
 
第1楽章の青空を突き抜けるような伸びやかな旋律、
第3楽章は無邪気な沸き上がる楽しさ。
 
そして緩徐楽章、第2楽章の美しさといったら・・・!!!
たかだか15年くらいしか生きていない少年に
なぜこんな曲が作れるのか・・・
あまりの美しさに涙さえこみ上げてくる。
 
芸術には人生経験は必要ないのだろうか・・・
と思ってしまう。
 
モーツァルトの成人してからの短調の曲等は、
まさに人間の魂の叫びを感じるが、
この少年時代に作られたディベルティメントは、
これから輝かしい未来に向かって、
その有り余る神から授かった才能を宿した少年の、
生の喜びが成した傑作なのだろう。
 

3   モーツァルトの容姿
H22年1月27日(水) 
音楽室にバッハやベートーベンと共に、
おきまりのように飾られているモーツァルトの肖像画は、
下の挿絵の真ん中の絵ではないだろうか。
 
実はコレ、モーツァルトの死後に、
バーバラ・クラフトによって想像で描かれたもの!
 
にもかかわらず、様々な物で流用されているのは、
モーツァルトの華やかな音楽のイメージに最も合いそうな、
赤い服に端正な顔だちをしているからなのだろう。
 
もちろん写真などない時代。
本当にモーツァルトがモデルなのかよくわからない絵もある。
 
ベートーベンは、
ライフマスクとデスマスクも残されており、
モーツァルトよりはるかに実際の顔がわかっている。
 
モーツァルトのデスマスクは存在したらしいものの、
行方不明とされている。
あの「世界三大悪妻」の一人にされている、妻コンスタンツェが、
モーツァルトの死後、うっかり割ってしまった・・・という噂もある。
 
ちなみに下の、両サイドの絵は、
存命中に描かれた正真正銘の肖像画。
 
左は神童時代に、あのウィーンのシェーンブルン宮殿で、
女帝マリア・テレジアの前で御前演奏をしたときに、
褒美としてマリア・テレジアの皇太子の衣装を賜り、
その晴れ姿を、父が肖像画として描かせた物。
ぽっちゃりしていて、クリクリした瞳がとってもカワイイ。
 
右の絵は、死の直前に、義理の兄によって描かれた、
未完の肖像画。
 
この絵の中の、
鍵盤を見ているのだろうか、下の方を向いて、
どこか遠いところを見ているような見ていないような・・・
暗い色調で、しかも未完というところが、
実際の晩年の(といっても35歳くらい)モーツァルト像に一番近い気がする。
ト短調の40番を書いているところかもしれない。
 
後に、妻コンスタンツェはこの絵が一番似ていると証言している。
 
ただし、小柄な体格であったのはわかっている。
子供の頃の長旅が影響したといわれている。

4   モーツァルトの恋
H22年1月27日(水) 
アロイジアという、とても歌のうまい歌手の、
ヴェーバー家の次女にあたる女性のことが、
モーツァルトは好きだった。
 
彼女に捧げた曲の数々は名曲であり、
天才音楽家らしい。
 
しかも当時の声楽家のレベルは非常に高く、
モーツァルトが彼女に贈ったアリアの中には、
現在のソプラノ声楽家でも歌えないほどの
高い音を使う超絶技巧のアリアもあるそうだ。
 
ところが、アロイジアは他の男性と結婚し、
早い話が、モーツァルトはフラれてしまう。
 
ところがところが、
結局彼が結婚したのは、さほど歌がうまくもない、
ヴェーバー家の三女コンスタンツェであった。
 
歌のうまいアロイジアと違い、
その彼女の将来を心配した母親が、
下宿していたモーツァルトに結婚の誓約書を書かせたとか・・・
 
モーツァルトがどういういきさつで結婚したのかはわからないが、
しかし!
重要なことは、モーツァルト自身は、
浪費家だったという説もあるコンスタンツェのことを好きで、
とても大切に思っていた!ということだ。
モーツァルトは幸せだったのだろう。
(・・・浮気していたという説もあり)
 
ちなみに、そのコンスタンツェの下の妹ゾフィーは、
モーツァルトが死の床に伏せっていたとき、
献身的に看病をしてくれた女性。
父レオポルトがウィーンを訪ねた際に体調を崩したときも、
嫁コンスタンツェではなく、ゾフィーが看病したようだ。
(6人も子供を産んだコンスタンツェは、子育てに忙しかったのだろうか?)
モーツァルトの死後、コンスタンツェはもちろん、
ゾフィーもモーツァルトの伝記の作成の為に証言をして協力した。
 
 


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