新選組の軌跡を辿る旅

晴れのち雷雨、そして晴れ。〜日野    2007年5月15日  (ブログ記事を一部修正)

第二回特別展「新選組 京都の日々」。
なんとかもう一度行きたいと思っていましたが、期間終了まで1週間を切った15日、友に付き合ってもらって、なんとか行ってくることができました。


さて、この日の朝は、日焼けを気にしなければいけないほどの快晴で始まりました。
日野駅改札口で待ち合わせた私たちは、今の私の体力を考えて、バス停へ。
神明への上り坂は、けっこう長くて急ですもんね。
10時過ぎの駅やバスの中は、女子大生で溢れていました。



新選組のふるさと歴史館

バスだと、新選組のふるさと歴史館まではあっという間。
今日は本陣も回る予定なので、両方入れる共通券を購入しました。

第二回特別展「新選組 京都の日々」。
3月13日に一度見に来ているはずなのに、手術を前にして気もそぞろだったせいか、どの史料を見たのか、はっきり覚えてない。(苦笑)


山崎丞はもともと壬生村に住む鍼医だったという説は、どのくらいの割合で信憑性があるんだろう?
新選組の活動を大きく支えていながら、その人物像はいまだに謎に包まれていて、最も興味をそそられる隊士ですよね。

巡邏中の新選組に尋問されることを、「“ちょっとコイ”に逢った」と書いてあるのは、慶応元年(1865)の大口大和守の書状写。
この表現、笑えますよね。“ちょっとコイ”にあう・・・。(爆)
もちろん尋問された本人にとっては、笑いごとではないのですが。

3月に来たときも見ましたけど、壬生寺地蔵院嘆願書控。
新選組が境内で大砲調練をするので、お堂は壊れるし、参詣人は減るし・・・と、まさに綿々と苦情が綴られています。

伊東甲子太郎と鈴木三樹三郎兄弟が公家大原重徳から拝領した短冊と、それを故郷の母に送った送り状。
「差し上げますので、御大切に箱へ入れて御仕舞い置かれるように。」
兄弟の尊王の志と、母への思いが伝わります。

伊東甲子太郎歌集“残しおく言の葉草”は、今回初めて見ました。
展示されていたのは、山南さんへの追悼歌が書かれたページです。
「山南氏の割腹を弔て
春風に吹さそわれて山桜 ちりてそ人におしまるるかな
(他3首)」
やはり、いい歌ですよねぇ。

文久4年(元治元年)7月の、小島鹿之助の日記。
25日に「京都大火之由」と禁門の変の第一報が入ったので、情報を得るために人を江戸に遣わし、自分は日野の佐藤彦五郎のところへ行った。
そして28日に届いた情報は、「近藤戦死之凶聞」。
「いよいよ心痛す。」の文字に、鹿之助の不安が表れています。

慶応二丙寅正月新聞所収の、「新選組の近藤勇らが奇兵隊を説得しに遣わされた」という風説。
永井さまに随行して広島に行ったこと、こんな風説になって広まっていたんですね。

今回、印象に残った史料は、こんなところでしょうか。
テーマソング、もっと大きな音量で鳴っているのかと思いましたが、エントランスホールに流れていただけなので、ちょっと印象に残らなかったかな。


受付に戻って、『日野宿関係論考一、日野宿関係史料集二』と『新選組 京都の日々』とを購入しました。
特に前者は、近藤勇宛の佐藤彦五郎書状草案が載っていて、大変興味深いです。

ふるさと歴史館の監修も務めている宮地正人氏によれば、この書状の草案は、文久3年8月頃のもの。
上洛していた将軍家茂が、江戸に帰府したこと。
飯倉3丁目から出火した火事が大火となり、飛び火によって江戸城西の丸が焼けたこと。
京から戻ってきた浪士組が、庄内藩お抱えの新徴組となったこと。
5月に、幕府を批判した張札があったこと。
・・・などが書かれています。

関東の情報はもちろんですが、彦五郎の考え方や感情が素直に書かれていて、とても面白い。
大火で江戸が混乱しているとき、日野にあって彦五郎は横浜方面を見張り、
「虚ニ乗し醜夷共押来り候ハば、我壱人ニても敵中え欠入、ミニストルと差違ひ死なんものと拳握り罷在候」
だったんですって。
熱いですよね〜、彦五郎さん。

浪士組に参加したけれども、京に残らず東下した多摩の佐藤房二郎・中村多吉・馬場兵助らが、今度は新徴組にも残らず帰郷したのについて、
「彼等如き臆病ものハ取ニ不足」
と一刀両断していたり、
「報国も其報国ニ寄り、尽忠も其尽忠ニ寄り可申哉」
「真之尽忠・報国ハ不折不曲、ただ泰然として、弓竹如し」
とあって、彦五郎の熱い魂をびんびんに感じます。
こんな彦五郎と親しくし、あるいは義兄として尊敬していたのであれば、近藤さんも土方さんもきっと同じような熱さを持っていただろうことは、容易に推測がつきますね。

そして、
「兎ニ角御銘々之御身分御浦山敷、朝夕申暮し居候」
とは、鹿之助さんなんかと申し暮らしていたのでしょうか。
近藤さんもこんな熱い手紙を受け取っちゃったら、彦五郎さんたちの分まで頑張らなきゃ!と思いますよね、きっと。
もちろん、見せてもらったかもしれない土方さんも。

草案の後半は欠けてしまっているのですが、この続き、あるいは他の書状の下書きなども、今後見つかることを期待します。


さてさて、ふるさと歴史館を出て、お昼ご飯を食べに行こうと思ったら、ちょうど雨が降りだしてきました。
急速に空を覆いだした黒雲と、聞こえはじめた雷鳴。
これは酷い降りになりそうだと、しばらく雨宿りさせてもらうことにしました。
展示スペースの最後のところで、ビデオを見ながら雷雨が通り過ぎるのを待ちます。
長居してしまって、どうもすみませんでした〜〜。



日野館で昼食

雨が小降りになってきたので、お昼ご飯を食べに行きました。
今回も、日野館でお蕎麦。
ちょうどお昼どきでしたが、にわか雨のせいか、お客さんはほとんどいませんでした。
珍しい・・・。

この日、雨が降って、一気に大気が冷え込んだんですよ。
それまでじりじりの初夏の陽気だったのが、寒いくらいの気温に。
なので、温かい鴨そばをいただきました。

鴨そば








しょうがをたっぷり入れていただきます。
濃いめの汁が、濃厚な鴨の味にぴったり。


おそばを食べていると、また雨が強く降ってきました。
ガラスの向こうには小さな庭があって、植木や飛び石が雨に濡れています。
“お湿り”という言い方があるけど、通り雨って大好きです。
気持ちが潤うというか、生命力を注ぎ込まれるというか、自然の息遣いを感じるんですよね。

雨が上がるのを待ちながら、デザートをいただくことにしました。
注文したのは、そばがきしるこです。

そばがきしるこ









そばがきしるこ、初めて食べました。

そばがきに負けないくらい、しっかりと小豆の味がして、それでいてさらっとしている。
食べやすくて、とても美味しいおしるこでした。
洋菓子も美味しいけど、和の甘味はやっぱり落ち着きます。

お喋りしながらじっくり味わっているうちに、ようやく雨も上がりました。
ずっと鳴っていた雷も、なんとか遠くにいったようです。

レジに向かうと奥さんが、「良かったら・・・」とおそばを揚げて塩をまぶしたのをくださいました。
「お酒のつまみにでも」とのことでしたが、飲めない私はお茶のお伴にさせてもらいました。
パリパリに軽く揚がっていて、蕎麦の風味と適度な塩味が“やめられない、とまらない”な美味しさでした。

ほんとにごちそうさまでした。ありがとうございました。
お腹も気持ちも満たされて、雨上がりの歩道を日野宿本陣へと向かいました。



日野宿本陣

日野宿本陣は、昨年2月以来、1年3ヶ月ぶりの訪問です。
雨上がりの空は青くて、雨に濡れた本陣前の庭木が、陽光にきらきら光っていました。

私も友もすでに来たことがあるので、ガイドの方もポイントだけピックアップして説明してくださいました。
展示物がほとんど交流館などに移されてしまって、ちょっと寂しい。
襖の書などもみんな写真が貼ってあるだけだから、妙に安っぽい印象。
以前はもう少し、説明のパネルとか置いてあったような気がするのだけど。

入館料も200円とお安いし、別に箱根の関所跡みたいにお人形を並べる必要はないと思いますが、さすがにもう少しは展示物を残しておいてくれても・・・。
“都内に残る唯一の本陣”と誇るのであれば、建物だけではなく、内部で営まれてきた日々を思い描けるような道具や器を並べておいてもいいんじゃないでしょうか。
まるで“空っぽな箱”って感じで、正直なところ、ちょっとショックだったのでした。

ガイドの方が、庭の方に通してくださいました。
昭和26年、佐藤家は日野宿本陣を所有しきれなくなって、お隣りの材木商宮崎家に買い上げてもらったんですね。
戦後の復興期だったせいでしょうか、この頃、材木商はとても羽振りが良かったのだそうです。
宮崎家は建物に時々手を入れながら、この本陣をとても大切に所有し続けたらしい。
庭から見上げた屋根瓦には一枚一枚宮崎家の家紋が入っていて、お金をかけて保管に努めていたことが窺えると、ガイドの方から聞きました。


本陣の奥に、グッズショップが出来ていました。
これがね〜、なんとも入りづらい。
事務所みたいな入り口で、ドアも閉まっているものだから。
もっと入りやすくすればいいのに。

ショップでは何も買わなかったのだけど、“Tokyo 水辺 Map”という折り畳んだ地図が置いてあったので、もらってきました。
<浅草・両国>と<芝浦・天王洲>の2種類あって、<浅草・両国>の方はまさに「陽炎の辻」の舞台となるエリアです。

両国橋、蔵前、浅草、吉原・・・。
いや〜。地図を見てると、うずうずしてきてしまいますね。
一度、この地図を片手に、“磐音さまツアー”をしたいものです。(爆)



日野宿交流館

甲州街道を隔てて本陣の向かい側、新しくオープンした日野宿交流館に行ってみました。
2階は日野宿の歴史を紹介する展示スペース。
1階は児童館のようになっていて、ロビーには『写真展 日野宿今昔』が展示されていました。

2階の展示も、無料にしてはなかなかよくまとまっていると思いましたが、面白かったのは1階ロビーの写真展。
半世紀前の日野は、まさに昭和の風景が広がっていました。
これ、地元の方が見たら、嬉しいでしょうねぇ。

それからとても興味深かったのが、小学生が日野宿を探検したレポート。
私たち新選組ファンはつい資料館にばかり足を運びがちだけど、甲州街道沿いにはまだまだ、昔からあるお社やお地蔵さんが残っているんですね。
筆記用具を片手に訪ねて回っている子供たちのアルバムが、とても微笑ましかったです。
こういう小さな史跡には地元ならではの総司についての言い伝えとかがあるみたいですから、一通り資料館を訪問し尽くしたあとは、私たちも子供たちを真似て探検してみるのも面白いかもしれません。



日野図書館

最後は、日野図書館に立ち寄りました。
私は昨年7月に一度来ているのですが、相変わらず新選組や幕末関係の本がずら〜り!
30分ほどだったでしょうか。友も私も、黙々と読み耽ってしまいました。
ここに来ると、時間がいくらあっても足りない感じ。
また、一日お籠もりしにこようかなぁ。



友よ、マニアックな私に付き合ってくれてありがとう。
歴史館では、見るのが遅いものだから、待たせてしまってごめんなさい。
でも、楽しかったね。美味しかったね。

“晴れのち雷雨、そして晴れ”の天気も、すごくいい思い出。
こういう、まんまの自然の中で、彦五郎さんも土方さんも源さんも生きていた・・・。
そんなことが感じられて、とても嬉しい一日でした。

戻る