2009年旅行記からのシングルカット   2009/10/8(木)公開

★★★「寝台特急あけぼの号」 上野から大宮まで「ゴロンとシート」に乗車★★★ 

  

200995日(土)

 この日は青春18きっぷで福島県まで行っていた。しかし、この日は用務を果たせず、また、旅程としても未乗路線への寄り道もできず、無駄足に近いような外出になってしまった。だが、このまま帰る私ではない。復路の東北本線を乗車中に思い立ち、「寝台特急あけぼの号」に乗る事にした。

 「寝台特急あけぼの号」には「ゴロンとシート」と呼ばれる普通車指定席扱いの寝台車が連結されている。首都圏において近距離だけでも「ブルートレイン・寝台車」を気軽に体験できる「寝台特急あけぼの号」が前から気になっていたのだ。

 宇都宮駅のみどりの窓口で「寝台特急あけぼの号」の特急券を購入した。乗車券が無いと乗れない旨を美人窓口氏から23回言われた。そうは言うものの、宇都宮から乗る「快速ラビット号(3538M)」の上野到着は21:13であり、「寝台特急あけぼの号」の上野発車は21:15である。無事に乗れるかどうか怪しい。もしも「快速ラビット号(3538M)」に遅延が発生した場合、理由を伝えれば特急券は払い戻してくれるかもしれない。しかし、乗車券はそのまま使えると言われるかもしれない。そのようなわけで事前に購入するのは特急券だけにしておいた。窓口氏は訝しげな表情を浮かべていたが、後述のとおり私は「寝台特急あけぼの号」の車内で乗車券を購入している。

 「快速ラビット号(3538M)」は上野駅14番線に着く。隣の13番線には茶色いEF64-37を先頭にした「寝台特急あけぼの号」の姿があり、多くの人がカメラを構えていた。上野駅に到着したものの、自分は乗り換えに不便な位置に居た。急いで13番線に向かった。発車1分前の案内放送が入った。

 

上野21:15→大宮21:39 2021レ「寝台特急あけぼの号」 24系客車9連  オハネフ24-12 EF64-37

「寝台特急あけぼの号」2021レ 上野21:15→青森(翌日)9:56    

 

★★編成および乗車記録★★

 最後尾の車両に飛び乗ろうとした瞬間に車掌氏が制止するような仕草をした。そうだ、最後尾の車両は女性専用車だ。私の指定席は8号車だが、発車間際なので最寄の2号車へ飛び乗った。せっかくだから後部から順に編成を紹介しておこう。

1号車 オハネフ2425  レディースゴロンとシート

2号車 オハネ25-220   B寝台

3号車 オハネ24-49    B寝台

4号車 オハネフ25-129  B寝台

5号車 オハネ24-553   個室B寝台(ソロ)

6号車 オハネ24-551   個室B寝台(ソロ)

7号車 スロネ24-551   個室A寝台(シングルDX

8号車 オハネフ24-12  ゴロンとシート

9号車〜12号車はいつもどおり欠車)

カニ24-25

EF64-37

 

 発車後の車内放送が始まったので、4号車のデッキでそれを聞いていた。そこへ車掌氏がやってきた。特急券を見せて乗車券を買う旨を伝えた。その時車掌氏は発券機を携帯していなかったので、後から持っていくから自席で待っていてほしいと告げられた。

 列車内を前へと進む。5号車6号車は個室B寝台ソロだ。ソロは個室でありながら開放B寝台と同じ料金である故に乗り得だと言われる事が多いが、列車によって設備の差が大きい。天井が低い所へ入り込む事に苦痛を感じる私としては「あけぼの号」のソロは乗りたくない。

 7号車は個室A寝台車だ。デッキと通路の間の自動ドアが故障していた。隣の8号車はオハネフだが、その車掌室側が7号車に向いている。つまり、7号車は個室A寝台車という最上級車両でありながら、片側はダンパの恩恵にあずかれないまま運用に就いているのである。

 8号車は「ゴロンとシート」である。

 

 「ゴロンとシート」はJR東日本が2002年に登場させたサービスである。設備は開放B寝台車であるが、枕、シーツ、毛布、浴衣、スリッパの配備を省略して普通座席車扱いで運用されている。カーテンがあって、横にもなれるし、座席車としては破格のサービスである。指定券の入手が極めて困難な時期もあるらしいが、この夜はあっさり入手できてしまった。

 

24B寝台車初乗車★

 24B寝台車に乗るのは初めてである。2424形は、分散電源方式の14系寝台車の製造を打ち切る形で1973年に製造された。しかし、翌年にはB寝台を2段式にした2425形に取って代わられた為、2424形はわずか1ロット、118両の製造に留まった。

 

 24B寝台車は、全車が1983年頃に3段式から2段式に改造された。写真のように寝台灯を塞いだ跡等も残り、改造の痕跡が見られる。

 

 

 さて、列車は並走する湘南新宿ラインの電車をも追い抜いて意外と快走する。

 先ほどの乗車券の件であるが、8号車で待っていても車掌氏がなかなか来ない。列車は大宮到着に向けて速度を落とし始めた。私は車掌氏に会う為に編成の後ろの方へ向かう事にした。隣の7号車で件の車掌氏を捕まえる事ができた。予想以上に乗客が多くて8号車まで辿り着けなかったとの事だ。用意してくれていた乗車券を購入し、礼を言って大宮で下車した。券面には“秋田運輸区”、“2021”、“経由:東北本線”という文字が印字されており、いい記念になった。

 

EF64形電気機関車★

 

 EF64-37を先頭に大宮を発車する、青森行き「寝台特急あけぼの号」。

 20093月のダイヤ改正で上野口の寝台特急の機関車の運用の一部が変わり、「寝台特急あけぼの号」の上野⇔長岡間の牽引機が長岡車両センターのEF64形になった。それ以前は青森車両センターのEF81形が全区間を通して受け持っていた。EF81形は万能な交直流電気機関車であるが、険しい上越国境に挑む性能という点では山岳機のEF64形の方が適している。乗務員が運転できる機関車の都合や、EF81形の空転による列車遅延回避の為に、機関車の運用が変わったのである。これにより、EF640番台が初めて寝台特急の定期運用を持つに至った。写真のEF64-37は茶色に塗装変更されているが、元々は国鉄時代の新性能直流電気機関車の標準である青15号とクリーム色1号の塗り分けであった。

 

★寝台特急あけぼの号★

 「寝台特急あけぼの号」は、元々は首都圏と奥羽沿線を結ぶ列車であった。奥羽本線が新在直通仕様になっていく過程において「寝台特急あけぼの号」の運転系統も変わっていった。1997年からは、それまで「寝台特急鳥海号」として運行されていた上越線経由の運転系統がそのまま「寝台特急あけぼの号」へと名称を置き換えられて運行されるようになった。つまり、経由路線が大きく変更されたにもかかわらず「あけぼの号」の名称が存置されたのである。ちなみに、「寝台特急あけぼの号」は、現在において上野発青森行き、および青森発上野行きの唯一の列車である。

 

★やはりブルートレインが好きだ★

 ヒルネ区間が無い首都圏において、「ブルートレインの昔ながらの開放B寝台車」を普通車扱いで気軽に体験できて得した気分であった。往年の花形列車が消え去った今であっても、やはり私は14系や24系の客車ブルートレインが好きなのである。

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