寝台急行銀河号 客車2段式B寝台 200442日 2004411日 公開)

 

 昭和49年に登場した客車2段式B寝台も、今では古典的と言われるようになった。数年前、旅番組で「寝台特急北斗星号」を「レトロなブルートレイン」と紹介しているのを聞いたときには大変驚いたものだった。

 さて今回、週末帰省で関西に戻るために大好きな「寝台急行銀河号」に乗ることにした。今回は取材も兼ねてB寝台に乗ることにした。B寝台車自体は初めての乗車ではないが、これも好きなので久々に乗ってみた。

 乗車前に都心の駅できっぷを買ったのだが、B寝台禁煙下段は既に満席だった。喫煙車には乗りたくないし、今回はA寝台ではなくB寝台に乗りたいので、禁煙上段にした。

 私は神田側から東京駅に入った。その時に待機中の「寝台急行銀河号」の編成を見た。後ろから3両目にオハネフ25の姿が見えた。どうやら減車なしのフル編成のようである。

EF651000番台電気機関車+24系客車の組み合わせ。

 昭和60年のダイヤ改正以前は、14系客車や24系客車の東海道・山陽ブルートレインの先頭には必ずEF651000番台が立っていた。しかし現在、この機関車が充当されるブルートレインは「寝台特急出雲号」・「寝台特急なは号」・「寝台急行銀河号」だけになってしまった。もちろん、EF65形電気機関車が牽引する定期旅客列車はこれだけである。

 それにしても、前から順に、EF65-1000、カニ24、オロネ、オハネ、…、…往年のブルートレインそのものの美しい編成だ。

 

 上段も多くが埋まっていた。車掌さんに尋ねたところ、春休みだということと、週末だということで混んでいるらしい。

 さて、私と同じ区画にいた熟年夫婦は岐阜まで行くらしい。400kmほどの東京-岐阜間を新幹線ではなく急行寝台で行く人も実際にいるようである。この列車は、熱海から先、静岡、岐阜の順に客扱い停車を行う。寝台列車らしく深夜帯は客扱いを行わない。しかし、下りは静岡で、上りは名古屋で客扱いを行う。それにしても、1時ごろの上りの名古屋は理解できる。しかし、2時ごろの下りの静岡には需要があるのかよくわからない。ちなみに、上りの「寝台急行銀河号」は岐阜をノンストップで駆け抜ける。また、昭和62年の上り客扱い停車は、大津、名古屋、富士の順であった。

 大船や小田原などの停車駅では“ながら客”の姿がちらほら見えた。

 発車時の衝撃が全区間を通じてほとんど無かった。また、走行中も騒音や振動が少なくて非常に快適であった。

 

 寝台は濃い緑色のモケットになっている。また、補助カーテンがついていて素晴らしい。上段は、オロネの上段のように寝台の横側に金属の板が無い為に、身体や腕時計などを傷つける心配が無くてよい。

 B寝台上段は、目が届く枕元に荷棚があるのがありがたい。とりあえず寝台の外に荷物を出せる。就寝中も寝台内に大きな荷物を置いておくことがないので快適に眠れる。また、カーテンを開けると通路側の窓から意外と外が見える。

 洗面所についてだが、私の手元には昨年乗ったオロネ24と今回乗った4号車オハネ25-251の洗面所の写真がある。オロネ24の方は改修されて非常に美しくなっていたが、オハネは昔のままだった。隣の5号車には昔ながらの金属製のコップがあった。

 2425形の100番台以降のB寝台車に乗るのは初めてである。寝台側の窓の小ささがやや気になった。通路側のブラインドを開ける乗客はたくさんいたが、寝台側のブラインドが開いている様子は見られなかった。それにしても、梯子の直下のテーブルは、ここで弁当を広げたいとは思わない。

 寝台側のブラインドを開けないという事は、B寝台車の乗客の多くが深夜の貨物列車や朝の快速電車との並走に気づいていないということになる。ちなみに、土休ダイヤにおける件の快速電車は113系である。平日ダイヤと異なり、似たような速度で並ぶ場面は見られにくいようである。また、8年前に並走したのは113系だった。

 

 ブルートレインの多くは、旅客列車のみならず荷物列車としての使命も持つ。この写真は終点の大阪駅3番線ホームで撮影した。残念ながら、ここでは機関車を先頭にした写真を撮ることはできない。また、7号車以外のB寝台車は小窓の100番台以降の車両だった。

 それにしても快適であった。「寝台急行銀河号」の唯一の欠点といえば、うれしさのあまり興奮してなかなか眠くならない事である。「寝台急行銀河号」にはこれからも長く活躍してもらいたい。

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