支那大陸論序
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 それは首里城の「琉球貢表」から始まった。平成16年、那覇の首里城に行ったときのことである。展示のひとつに、乾隆帝時代の清朝に琉球王朝が朝貢として贈ったもののリストであるという「琉球貢表」があった。なんとその正文は満洲文字で書かれていたのである。印刷されたようにきれいに書かれた満洲文字。その隣に、ガリ版刷りのように粗末な漢字の文書がある。

 相手の公用言語に合わせて書かれたのが満洲語のものであり、漢文は琉球王朝用のものであったのは明白である。これを見ても何だろうと首を傾げるだけで見学者は誰もその意味を理解しないのであった。私は満洲文字というものがあり、清朝の第一公用語が満洲語であることは黄文雄氏らの著書で知っていたから、このことは論理的には当然のことのはずであった。

 だが眼前の満州文字で書かれた公文書は衝撃的だった。乾隆帝は1735年〜1796年の治世、清朝の中興の皇帝。18世紀である。太祖ヌルハチから100年以上後の人である。満州族は漢族に同化していったと言われることが多い。ところが王朝成立の100年後にも満洲語は生きていたのである。このことからは宮廷をはじめとする北京周辺では満洲語が使われていたと考える方が普通である。

 そして英語のmandarinは北京語のことであるが、北京官話とも訳され、元や清朝の宮廷で官吏が話していた公式言語だという。これらの事をつなぎ合わせると、論理的には北京語は満洲語であるという、従来の常識からすれば馬鹿馬鹿しい結論が導かれるのである。それを演繹するとそれには止まらない結論が導かれた。それが本論である。

 もちろん私は言語学は何も知らない。それどころか中国語のイロハも知らない。本書は言語学などから導かれた結論ではない。各種の公刊図書を論理により推測したものに過ぎない。それ故に常識にとらわれないですむ。その結論は奇妙なものであった。だが本書の結論は現在の「中国」世界の現状を説明する一助となると信じている。

 漢民族とは何者であるかを理解するのは、漢民族が少数民族を支配している、と言われる中国を理解するに益があると信じている。むしろ常識となっている中国の民族構成は、過去の歴史的経過やヨーロッパなど他の地域の歴史と現状と比較すれば、矛盾に満ちていると云わざるをないのである。

 遠い昔から、漢民族は周辺の異民族から攻撃を受け、時には支配される。しかし、永い間に蛮族である異民族は、高い文明を持つ漢民族の文化の影響を受け、次第に漢民族化されてしまう。常に大陸の中央には不変の文化文明を持つ「漢民族」がいて、周辺民族を同化してしまうというわけである。

 しかしヨーロッパなど他の地域が民族の争いを繰り返した歴史をみると、それはあまりに不自然なことではないか。外敵に繰り返し支配され、抗争を繰り返し民族の移動を繰り返しながらも、相変わらず不変の漢民族なるものがいる。支配されても支配しても、不変の漢民族がいる。そのようなことは歴史的にありえないのである。各種の民族に支配されたにもかかわらず、何の影響も受けず普遍の漢民族がいるなどということはありえない。

 中国四千年の歴史において漢民族が一貫して存在した。実はそのような主張はギリシア、ローマに始まる四千年の歴史に、一貫して不変の「ヨーロッパ民族」が存在したなどと言うのと同様に、荒唐無稽であると考えるのがむしろ自然である。

 なぜ漢民族に同化されるか。その答えを漢字に求める人がいる。しかしヨーロッパにしてもベースはアルファベットという共通の文字がある。漢字の表意文字という特殊性に注目する人もいる。しかし古典たる漢文を読めるのは古来支那人の中でも極めて例外である。現実に通用するのは北京語、広東語という漢字表記すら必要のない口語なのである。長い間、言語は表記手段がなかった。

 漢文は中国の古代の言語の文字表記ではないという。単なる意志伝達の手段であるという。大多数の支那人が読めもせず、支那のいずれかの言語の文字表記でもないものが「漢民族」の連続性の保証であるはずがない。漢民族という言葉は各時代において、政治的に利用されているのに過ぎない。ある民族が大陸に居住する他の民族を支配して政権を取るための錦の御旗に過ぎない。ある民族とは、血族を中心としたパンと呼ばれる結社かもしれない。そのグループがわれこそは、支那大陸を支配する正統たる漢民族なるぞ、といって支配権を主張するのである。

 異民族王朝とされる元や清の崩壊するときには必ずその手が使われた。しかし倒した当の本人たちは、単に現在大陸に居住するだけであって、漢民族であるという保証は何もないのである。単に現在の血族相続の王朝を倒して政権を奪おうという輩の集団に過ぎないのである。

 よく考えていただきたい。支那大陸の王朝は、必ず前の王朝の一族を絶滅している。これを易姓革命と言う。しばしば禅譲という建前が使われるが、これは事実ではないことがよく知られている。日本の政権移譲が、おおむね平和裏に行われるのに対して、支那大陸における、前王朝の粛清は民族性の相違として扱われる。ところが、これを異民族による政権奪取として考えれば何の不思議もない。政権を奪った、新しい民族が旧支配民族を粛清するのは当然でさえある。そして被支配層においても、新興民族は支配民族として、旧支配民族を弾圧する。まことに全ての「中国専門家」は盲目である。

 琉球貢表のことをもとに、北京語のルーツは満洲語ではないか、と言う説を要約して雑誌「正論」に投稿した。誰かの目に止まり何ら学問的根拠のないこの仮説を補強して、さらに発展させてくれる人がいないかと期待したのである。しかし反応は何もなかった。あまりに奇矯な説であったためであろうか。実は本論も同様なことを期待している。本論は公刊された図書を基に書いたもので、特別な研究や学識によるものではない。私はこの方面に何の学識のない者である。全て直感である。直感が正しいと信じているのみである。

 付言するが後に訪れた時には「琉球貢表」の展示はなかったので問い合わせたところ、臨時展示であったとのことであり幸運だったのである。「琉球貢表」の写真撮影などについて管理センター職員に問い合わせたところ、「琉球貢表」が満洲語であることを職員は認識していた。しかるに展示には満洲語であるという説明が全くなされていなかったので、不思議がっていた観光客もいたが、皆それから先を追求するのは私くらいなものであったろう。

 当時の支那が満洲人に支配されていたが故に満洲語が公文書に使われていたという事実は、中共政府は自慢したくない事実であろう。しかるに管理センターでは暗黙のうちに中共政府に配慮したのであろう。現代日本にはそのような中共政府に対する配慮で事実を隠蔽しようとする人間に満ちている。


目次

1章 支那
  1.1 首里城の満洲文字
 1.2 支那とは

 1.3 支那はヨーロッパである
  1.4 支那とヨーロッパの違い
 1.5 満洲と支那

  1.6 支那王朝の崩壊
  1.7 支那は変質した

2章 支那の言語と文字
 2.1 北京官話
 2.2 康熙帝伝
 2.3 漢文とは何か
 2.4 漢字について
 2.5 漢文と支那の言語との関係
 2.6 漢字が支那の歴史をわかりにくくしている
 2.7 漢字の発音
 2.8 漢字が一音節であることの意味
 2.9 アルタイ語化していた北方言語
 2.10 支那の言語の種類
 2.11 南方中国諸方言の分布
 2.12 北京官話の分布
 2.13 支那大陸の言語分布と民族
 2.14 支那の言語の現代表記法
 2.15 科挙は清帝国全土で行われてはいなかった
 2.16 北京語とは支那言語訛りの満洲語である。
 2.17 「逆転の大中国史」による普通話の見方
 2.18 中華人民共和国(中共)の言語分布図

3章 漢民族滅びる
 3.1 地形と国家
 3.2 異民族の名前
 3.3 清朝皇帝像の謎
 3.4 漢民族とは何か
 3.5 民族名の消えていく支那大陸史
 3.6 満洲化した漢人
 3.7 清朝の性的腐敗は満州族の漢化ではない
 3.8 「中国文化」のルーツ
 3.9 被支配民族が支配者の言語風俗を受け入れるのは当然
 3.10 漢民族滅びる
 3.11 軍管区と言語と中共の分裂

4章 漢民族の末裔
 4.1 漢民族の末裔
 4.2 その他の民族のルーツ
 4.3 近代支那の指導者のルーツ

5章 支那大陸史とヨーロッパ大陸史の違い
5.1 ヨーロッパ大陸の言語と国家
5.2 支那大陸の言語と国家
5.3 支那大陸史の異常さ
5.4 漢民族とは


あとがき

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