■2001年 3月
3.06「人はなぜ..」
3.07「煎餅屋..」
3.08「正義の..」
3.09「酒は..」
3.10「誰が..」
3.11「中国..」
3.12「カレー..」
3.13「電車で..」
3.14「デジタル..」
3.15「本の..」
3.16「春が..」
3.17「腹筋..」
3.18「バスチ..」
3.19「初めて..」
3.20「看板猫..」
3.21「花粉症..」
3.22「恐竜の..」
3.23「玉川上..」
3.24「原宿に..」
3.25「日々の..」
3.26「その歌..」
3.27「野球拳..」
3.28「おお...」
3.29「秘儀...」
3.30「競合...」
■2001年 4月
4.1「原稿...」
4.2「歌丸...」
4.3「1万字...」
4.4「魔の...」
4.5「会議は...」
4.6「脳人間...」
4.7「今日と...」
4.8「時間...」
4.9「無題」
4.10「喜びの...」

2001.3.6.tue.
人はなぜ日記を書くか
日記はどう書き始めるべきか。いや、その前に、そもそも日記とは何か。出来事を忘れてしまわないための記憶補助装置。書くことでうっぷんを晴らしたり、罪を洗い流したりする、自分だけの懺悔スペース。気に入らない奴を記しておく悪魔のリスト。思い出のデータベース。それとも、読まれることを前提にした文学。いずれにしても、他人から読まれてもいい日記と、読まれては困る日記の2タイプがあることは確かだ。近頃の若い女子たちは、この2タイプの日記を巧みに使い分けている。わざと、読まれてもいい方の日記を彼氏の目につきそうなところに置いておいて。自分がいかに彼氏一筋であるかをアピールしたりといった戦略的日記活用法を駆使している。彼女たちこそ、日記のスペシャリストだ。それに比べれば、この私などは日記の幕下付けだしだ。相撲のわからない人のために、違うたとえ方をすると、世界不思議発見に出演しているときの野々村誠だ。ということで。突然、結論にもっていくけど。こんなことをしている場合ではなく、納期の迫っているコピー原稿を書かなければならない。続きは明日の日記で。

2001.3.7.wed.
煎餅屋とトリシエ監督
午前8時に目覚し時計に叩き起こされた。普段なら、もう1時間くらいゆっくり夢の世界で遊んでいるところだが。きょうは、午前11時から打合せがあるから仕方ない。某ソフトメーカーのカタログの打合せだ。なんでもデータ処理時間が大幅に短縮できるという。作業効率を飛躍的に高め、クオリティアップとTCP削減を実現する、IT時代に必須のツール。自動筆記のように宣伝文句が頭に浮かんでくる。言葉が耳からこぼれないように首を微妙に揺らしながらオリエンを受けた。しかし、A4ペラ(表裏)というのは、足首が細く、腰がワイングラスのようにくびれているシルルエットの美しい人が振り向いたときと同じくらいがっかりした。煎餅屋だっていまどき1枚では快く焼いてはくれないだろう。販促ツールの制作はここ数年、明らかに激変している。林家こん平師匠風にいえば、おまんまの食いあげ。あがったり干上がったりだ。デザイナーもカメラマンも、顔を合わせると、早くやめたいという話がでてくる。そうはいっても、簡単に職を変えられるわけもなく。また、口でいうほど本気でもなく。みんな、なんとかがんばっているわけで。継続こそ力。捨てる神あれば拾う神あり。トルシエ監督の影に目鼻の大きいピノキオみたいな通訳ありだ。ところでこの日記のことだけど。この日記は読まれることを前提にして書いている。だから面白おかしく読んでもらえばそれでいい。コピーライターという、わけのわからない仕事に就いている男の日常生活を垣間見るのも、また人生の一興。カレーライスの福神漬けだ。私としては軽音楽ならぬ、軽文学路線を狙いたいと密かに思ってはいますが。ま、思うのは私の勝手と開き直ったところできょうはおしまい。


  2001.3.8.thu.
正義の味方は「どうなってるの?」

午前9時30分起床。夜中にWWF、バットマン、スーパーマンというケーブルテレビ のチャンネルをはしごしたのでまだ眠い。子供の頃は、NHKと教育テレビ、民法が3 チャンネルくらいしか映らなかったのに。47チャンネルだの、32チャンネルだ の。選ぶチャンネルは増えたけど、選ぶ数が少なかったときの方がテレビを見る楽し みは深かったような気がする。水を一杯飲み、やかんで湯をわかし、テレビをつけ、 新聞をとりに。紅茶を飲みながら新聞に目を通す。「森おろし」ってなんだか地酒み たいだな。そういえば「鬼殺し」っていう日本酒があった。名前の由来は鬼を殺して しまうほどうまいから。じゃ、「人殺し」っていうのもあるかもね。「あるわけない じゃん」と、自分で自分に、このところ凝っているサマーズ(前バカルディ)の三村 ツッコミをしたら一気に目が覚めた。 仕事部屋まで徒歩7歩。雨でも濡れないのはいいけど、あまりに近すぎて気分の切り 替えがなかなかできない。仕事部屋に入り、CDを選ぶ。いくつか、かけてみてコステ ロに決めた。窓の外には小さな公園が見える。空にはシュークリームのような雲。も ともとなかったやる気が、トムを見つけたジェリーのようにどこかに走り去った。何 も手をつけぬうちに昼になり、そばを食べお茶を飲み、「思いっきりテレビ」を見て ほうれん草の胡麻和えを食べなければと呟き、再び仕事部屋へ。ストーンズのCDで脳 細胞にビートのミサイルを打ち込み、このままだと間に合わなくなると自身を脅迫 し、資料を開き、インターネットに接続し関連情報を入手して情報を整理。昨日、打 ち合わせたA4裏表のリーフレットの構成案を明日の夕方までにデザイナーに送らな ければならない。情報をまとめているうちに夕飯。スパゲッティを食べてワインを少 し飲み、テレビを見るともなく眺めて、再び仕事の続き。深夜、バットマン、スー パーマンを見て、起きると「どうなってるの?」だ。


2001.3.9.fri

酒は世に連れ、世は金に連れ
なんとか夕方にリーフレットの構成案を送る。A4の裏表でも、4ページものでも、 手間暇は同じ。料金は裏表の方が当然安くなるけど。仕事にかかればそんなことは関 係ない。やるべきことをやるだけだ。こういうのは職人の姿勢と似ているかもしれな い。金じゃねえ。自分がやるべきことをきちんとやったか。自分を裏切らなかった か。そのことのほうが金よりもずっと大切なんだ。もちろん金は多いほうがいいし、 払ってもらえないと大変だ。でもそれはあとからのこと。仕事の内容と料金とは必ず しも一致しないことは、他の仕事でも一緒だと思う。だから人間関係も重要になって くる。気持ちよく仕事ができて、適度なお金になれば、それで十分。あとは一杯の、 いや三杯くらいの酒があれば言うことはない。そう、たぶんない。かな?



  2001.3.10.sat.
誰が儲けているのだろう
今週は、土、日をまるまる休める。フリーだと、どうしても週末に仕事を受けて休み 明けに提出というケースが多くなる。「人が休んでいるとき、遊んでいるときに働く のが商いの鉄則だ」と、この不景気にも儲かっている会社特集のテレビ番組の中であ る社長さんが言っていた。同じようなことを景気絶好調時に(いまは下降ぎみだけ ど)、アメリカのベンチャー企業の社長さんもインタビューで答えていた。確かに、 人より多く儲けようと思えば、そういうものかもしれない。しかし私の場合、人が休 んでいるときに働いてはいるけど、人が働いているときに休んでいるから鉄則外だ。 フリーのコピーライターは、いや、コピーライターという仕事自体、儲かる商売じゃ ない。一品一品商売で大量生産ができない。著作権料もないし、単価もしれたもの だ。ま、中には儲かっている人もいるかもしれないけど。僕のまわりにはいない。広 告業界でいえば、メディアをもっていると儲かる桁がちがってくる。なんといっても まだまだ土地(メディア)をもっている者が強いのだ。日本ではアイデアはなかなか 金になりにくい。


2001.3.11.sun.

中国四千年のスピリット

午前9時30分起床。早めに昼食を食べて、国分寺駅前にあるスポーツクラブ「レヴァ ン」へ。もともとでぶしょうのナマケモノだから、スポーツクラブはいつも見学した だけで挫折してしまう。それなのに、今回は1年以上続いている。私にとっては、コ ニシキがダイエットに成功するよりも簡単で、イチローが大リーグで3割以上打つこ とよりも少しむずかい。継続している理由は、ひとえにひとりの中国人におうところ が大きい。その人の名は羅競(ラキョウ、中国名:ロウチン)。湖北省、武漢(ウー ハン)に生まれ、中国のカンフー・チャンピオンとなり、中国カンフーチームのコー チだった人物だ。その人が気功のクラスをもっているので、週二回、せっせと通って いる。 気功といっても、超能力的な要素はどこにもない。呼吸に合わせて身体を動かし、気 を整えていくという点では太極拳に近い。違いを私なりに大雑把にいえば、いま教 わっている気功(練功十八法)は太極拳から武道性を取り除いたものだと思う。羅競 先生によると、中国では気功も太極拳もカンフーというジャンルに入るらしい。羅競 先生は本物の武道家だ。武道家はなによりも自分と戦う術を知っている。そして死と 隣り合わせで戦うことにより、はじめて肉体で理解する、生きることの本質。羅競先 生のクラスに通うのは、その本質を自分の身体で感じたいからだ。もちろん本場の中 国文化にふれたいということもある。羅競先生は元コンサドーレ札幌、現ガンパ大阪 にいる吉原宏太選手80%に、ボクシングの世界チャンピオン畑山選手20%をブレンド したようなイメージ。みのもんたが言うところの、レヴァンのお嬢様方の人気者でも ある。



  2001.3.12.mon. 
カレーには華麗なコピーを
午前9時起床。昨夜から読みはじめたリチャード・パワーズの「舞踏会に向かう3人の 農夫」の世界に入り込む。美術館で見た第ニ次世界大戦当時の古い1枚の写真から物 語は始まる。見ることにより人は影響を受け、また見られたことにより対象も変化し ていく。たとえ誰からも顧みられることのない写真でも、1枚の写真には時代そのも のがレンズで切り取られている。多くの人々の生きた記憶も数多くの写真と同じよう に歳月とともに色あせ、やがて時間の中に埋もれてしまう。それでも一人一人の存在 はやはり時代の物語を綴っている。久しぶりに物語を楽しめる作品だ。 午後2時に制作プロダクションから電話。横浜にできたカレーミュージアムに出店す る、カレーショップが店で売るパッケージのコピー制作の依頼。カレーのテーマパー クということなので、パッケージのコピーにも物語性を加えて欲しいとのこと。そ う、人々は物語を求めている。「時間がなくて悪いけどあさっての昼までにコピーが あるとうれしいんだけど」。断る理由も金もない。さっそく店長の書いた素案とパッ ケージデザイン、他店が出しているパッケージ等の資料をFAXで送ってもらう。舞踏 会に向かった3人の農夫には少し待ってもらおう。 *「舞踏会へ向かう三人の農夫」みすず書房 リチャード・パワーズ著 柴田元幸訳 


2001.3.13.tue

電車でおいしいトマトをつくる
午前中に、カレーのパッケージの下案、2方向をつくる。ひとつは物語性の強いも の。もうひとつは製品によったもの。昼食後、さらに2案に手を入れる。きょうは気 功のある日なので、2案をアウトプットし、国分寺の「レヴァン」へ出かける。電車の 中でさらに原稿を推敲。場所が変わると、違う角度から見やすくなる。第二の ワークスペースは人によって様々だと思う。喫茶店や公園という人もいるだろうし、 トイレの中だと集中できるという話も耳にする。私の場合は、電車だ。流れる風景と 適度な揺れが、脳細胞を心地よく刺激する。なによりも狭くてざわざわしていて、一 見、集中できなさそうだけど、そうした悪環境の中でやると、余計に集中しければい られない。わざと悪い条件にしておいしいトマトをつくるのと同じやり方だ。気功と シャワーでスッキリした帰りの電車でも原稿を推敲。結果、1案はやり直すことにし た。製品によったものは面白くない。で、物語性の強いアプローチでもう少し食べる 人の気持ちに添ったものを考えてみることにした。帰るまでになんとなく書きたい方 向は見えてきたので仕事部屋に戻り、一気にまとめた。夕食後さらに推敲。あと は7時間ほど寝かして。コピーもカレーのルーと同じように寝かせることが大切。夜、先週提出していたA4裏表の構成にOKが出た。今週、金曜日午前中コピーUP。来週月曜日にはデザインにコピーを入れたものを校正としてもっていきたいとのこと。



 

2001.3.14.wed.
デジタルの向こうにクサヤが見える
午前中、カレーのパッケージのコピーに少し手を入れ、テキスト原稿を制作プロダク ションへEメールで送る。いやはや、Eメールとは便利なのものだ。つい数年前ま で、時間に余裕があればテキストをフロッピーにおとして郵送したり、急ぎのときは 電車に乗ってアウトプット原稿とフロッピーを制作プロダクションまで持っていった ものだ。いまではパッと送るだけ。こうしてほしいという要望があっても同じフロア にいるようにすぐ対処できる。デジタル世界の「どこでもドア」だ。ただ顔を合わせ る機会が減ると、営業的な面ではマイナスな点もあるかもしれない。以前いた会社の 上司で、一日中、クライアントの各事業部を人工衛星のようにまわっている人がいた。彼が歩くと、不 思議と人が集まってきて、「あっ、そう、そう」と仕事の話をもってきた。他社の営 業は彼が歩いたあとには小さなチラシの仕事もないとこぼしていた。元上司には人間 としての圧力があった。部下としてはうっとおしか ったけど。人間臭さはクサヤ級。最近ではクサヤもいいなと思えるくらい酒も年齢も 重ねてきた。 パッケージのコピーはデザインしたパッケージ案にはめこんでクライアントのチェッ クを受けにいくそうだ。昼飯に親子丼を食べ、午後からA4裏表のコピー制作。とりあえず入れるべきものをすべて書き上げた。


2001.3.15.thu

本のフルコース
午前9時起床。生卵をかけたご飯と納豆、味噌汁、昨夜の残りの煮物を食べる。食 後ゆっくり新聞を読み、仕事部屋へ。ビル・エバンスの「アローン」をかけなが ら、昨夜書きあげたA4裏表のコピー原稿を推敲。昼食後「舞踏会に向かった三人の農夫」を読む。途中、気分転換に、ポール・オース ターの「空腹の技法」に箸をのばす。だいたい常時、3、4冊は並行して読んで いる。一冊だけだと本の味に飽きてしまう。トンカツを食べるとき、肉、キャベツ、 肉、ご飯、ときどき味噌汁と、味や歯ごたえに変化をつけるように。本も単品よりラ ンチやフルコースで食したい。 午後、玉川上水路を散策。武蔵野美術大学の前を通り、玉川上水に向かってのびる散 策コースを日課にしている。普段、座ってばかりの仕事で、打合せでもないと外にで ることもない。気分転換と筋肉保持のために散歩は欠かせない。時間は60分
1本勝負。玉川上水路は太宰治が入水自殺したところ。いまは整備されていて飛び込んでも 腰くらいまでの深さしなかなさそうだ。場所は違うだろうし確か入水自殺の日は大 雨だったはず。太陽のもとでは緑豊かで気分もいいが、夜になると真っ暗 で先が見えなくなる。雨でも降ると、死はすぐそばに座って微笑んでいるような気が する。そんなこんな、なんの役にもた立たないことを考えながら歩くのが楽し い。 戻って再びA4裏表の原稿を推敲。*「空腹の技法」新潮社 ポール・オースター 柴田元幸/畔柳和代 訳


  2001.3.16.fri.
春が花粉症を連れてやってきた
午前9時30分起床。A4裏表のコピー原稿を最終チェックしメールで送信。午後から自分のホームページ「WORK SHOWCASE」(作品リスト)にのせ る文章を書く。このホームページが営業力を発揮して仕事を運んできてくれるといい のだが。なかなかそう簡単ではないだろう。私の場合、営業といえば、新聞の求人募 集広告でスタッフ募集のあった企業へのコンタクトと仕事仲間のデザイナーからの紹 介くらい。飛び込みは基本的にしない。効率の問題と、コピーライティングのみの営 業では売り込みしにくい。いまはホームページをデジタル世界の飛び込み営業マンに 使えないかと思案中だ。去年の暮れは仕事が集中し、忙しかったが、今年に入ってま た流氷みたいにどこかに消えてしまった。とくに3月は決算期だから例年、仕事は余 りないのだが。とにかく身体だけは鍛えておこうと、腕立て伏せ、腹筋をはじめた。 筋力コピーライターになって、「筋肉番付」のサスケに出場して、ファイナルアン サーで賞金獲得して、ついでにタイムショックのトルネードスピンでぐるぐるまわる ぞ。景気という気まぐれな生き物にふりまわされそうな春が、花粉症とともに玄関の 扉を叩いた。

2001.3.17.sat.

腹筋という名の幸せ

今週も、土、日がまるまる休める。休めるのはうれしいのだが、来週の仕事のスケ ジュールがまるでないのは少し不安だ。フリーは、仕事がない日は常に失業だ。2週 間、仕事の電話が何もこなかった日もある。ケンカをした後、恋人の連絡を待ってい るみたいに、それこそ電話をときどき見つめてしまう。アルバイト雑誌を本屋でめ くってみたりもする。たまにプロダクションから連絡があっても、以前に渡した資料 を戻してほしいとか、そんな業務連絡だったりする。仕事がきてもそれがお金になる のは数ヶ月先で、明日をどうしようかと、考えるほど不安感でいっぱいになる。 そんなときは酒でも飲んで寝てしまえと20代だったら思うのだが。いまそんなこ とをしたら、自己嫌悪で精神は腐敗し、体力も低下し、ますます落ち込んでいく。こ んなときはまず腹筋、腕立て伏せ。悩む前に、腹筋、腕立て伏せ。ずっと読んでいな い、トーマス・ マンの「魔の山」を読んで、脳の筋肉も鍛えよう。仕事で時間がないときは、あれも したい、これもしたいと思うのだが、時間がなくてできず。時間があるときはありす ぎて何をしたかったのかわからなくなり、もちろん先に金の入ってくる保証もないの で何もできない。いや、腹筋、腕立て伏せくらいはできる。風呂場の鏡を見てなんと なく筋肉がついてきた気がして、ちょっとうれしいくらいが、本当の幸せかもしれな い。幸せをつかむのにもいろいな筋肉がいるのだ。



 
2001.3.18.sun.
バスチーユはどこだ
きょうは、気功の日。いま最も気がかりなのは、羅競先生のクラスがなくなるかもし れないということだ。この4月、レヴァンがテッィプネスと合併する。それによりプ ログラムも大きく変わると思うのだが。もうあと2週間くらいしかないのに、4月か らのスケジュールが発表されない。羅競先生にも、やってくださいとも、やめてくだ さいとも、なんの話もきていないようだ。羅競先生によると、いま話が何もないのは 続けていいということではないかと。確かに、常識的には、なんの話もなくいきなり 来月からクラスはなくなりましたというのはひどいと思う。羅競先生とレヴァンの契 約形態がどうなっているのか、わからないけど。3ヶ月単位でプログラムが変わって いくので、おそらくその間の契約なのではないか。となると、羅競先生の「大丈夫 じゃないか」という話を素直によろこべない。まず、情報がクローズされていること が問題だ。スタッフやユーザーの方に企業の顔がむいていない。合併の混乱なんて理 由にならない。もしなくなれば、公民館をかりて羅競先生に教えてもらおうか、とい う声もでてきている。こんな感じで市民は立ち上がり、フランス革命につながってい くわけだ。ひとつの声が次の声を生み、ふくらんでいく。あきらめさえしなければ、 希望はつながる。バスチーユはここにも諫早湾にも四万十川にもどこにでもある。


2001.3.19.mon.

初めてでも懐かしい図書館
午後9時30分起床。モーニング・ミュージックにストーンズのアンプラグドアルバム 「STRIPPED」をかける。「ブラックリムジン」にのりながら、「舞踏会に向 かった三人の農夫」をラストまで読む。「何年も前に考えたことをメイズはもう一度 考えた。本当の力と本当であるように見えるだけの力とは、いったい何が違うのだろ う。」主人公の言葉だ。答えは文中にはない。優れた問いかけは多くの答えを含んで いる。それぞれが自分で答えを見つけるしかない。 午後、小平市立中央図書館へ。この不景気、タダで読めるものなら、できるだけそう したい。ま、子供の頃から図書館は好きで、本を借りるわけでもないのによく小学校 の図書館に行ったものだ。引っ越して新しい街に着くと、まず蕎麦屋とラーメン屋を チェックし、その足で近辺の図書館を散策するのが大きな楽しみのひとつ。古い本の 匂いは、人がずっと住んでいる家屋の匂いと同じように、初めてでも懐かしい匂いが する。小平市立中央図書館は、中央と名がついているように、蔵書の数も多く、地域 の資料などもある立派な図書館だ。しかし好みからいえば、団地の中にある小平市立 津田図書館のように地域に根付いているこじんまりとした図書館が好きだ。暖かい日 差しがあふれる空間に、適度なざわめきと本のページをめくる音が心地よく響き、時 間が伸びをする猫みたいにゆったりと流れていく。


 

2001.3.20.tue
看板猫のいる酒屋店
浅草の田原町にある徳本寺に墓参り。お彼岸ということで町は、人も霊もラッシュア ワー並みの混雑だ。大きな西本願寺の前に、コンクリートで武装された小さな寺、そ れが徳本寺。墓はビルの谷間に挟まれ、都会の寺といった感じ。先祖は旗本だった と、死んだ父親から聞かされたが。その信憑性はともかく、昔は貧乏な旗本でも入れ る町の寺だったのだろう。墓には父親と、父親の父親の代の人たちが眠っている。祖 先といわれる旗本の墓がどこにあるのかは知らない。田原町駅前で買った日本酒を供 える。ふたをあけ、一口飲み、それから墓の正面に置いた。日本酒は10人も座れば いっぱいになる焼き鳥屋くらいのスペースしかない、小さな酒屋で買った。自動扉の 向こう側に、愛嬌のある顔をした猫が、招き猫みたいにちょこんと座って迎えてくれ た。猫は酒を選ぶ間も、私のズボンの裾に身体をこすりつけるなどサービス満点。酒を買い、出て行くときも、ちゃんと扉の向こう側で見送ってくれた。しかも股を 広げ、身づくろいをする濃厚サービス。まさに看板猫だ。帰りにもう一度、猫を見よ うとしたらシャッターが降ろされ店が閉まっていた。宮沢賢治の世界にでてきそうな 「注文の少ない酒屋店」。キツネにでも化かされたのか。とするとさっき一口飲んだ 酒は。 墓参りを一緒にした母親と妹と妻の4人で昼食。バイキングでたらふく食べて死にそ うになった。

2001.3.21wed 
花粉症暦4年、まだまだ未熟者ですが
午後9時30分起床。ビートルズ「リボルバー」のCDをかけながら、仕事部屋の片付け。花粉症のため、なんで身体からこんなに液体がでてくるのだろう、脱水状態になるのでは、と思うくらい鼻をかんでいる。背中を丸めたティッシュがごみ箱からはみ出し、新種の生命体のようにアチコチで増殖している。花粉症暦約4年。ずっとならなかったので、花粉症なんていう都会のモヤシたちのかかる現代病とやらには、こちとら負けやしないんでいと、江戸っ子&茨城県民のハーフである私は思っていた。ところがどっこいしょ。予告も警告もなく、いきなりかかっちまったではないか。なってから知ったのだが、花粉症を発症させる花粉アレルギーレベルは、銀行預金の利息のように何年もたまっていって、満期を超えるといきなりでてくるというではないか。利息も何もかもそっくりそのままお預けしますから、どうぞお好きなように。とはいかないらしく、貯まったものは引き出すことになっておるのだと、融通のきかない法の執行官のように、抗体反応を司る細胞は言うのであった。花粉症は体内に侵入した異物に対処する抗体の過剰反応。ウイルスのような敵か、そのへんを歩いている通行人のような花粉かぐらい区別しろよ、まったく。「これは決まりですから」イシアタマは身体の外側だけでなく内側にもいる。 夕方、人材に関する広告制作を手掛けているプロダクションから電話で、ITエンジニア向け求人募集雑誌にのせる記事広告の依頼。クライアントは某ソフト開発&コンサルティング会社。来週、さっそく取材とのこと。


 

2001.3.22.thu
恐竜の歌が聞こえる
鶯の歌う声で目が覚めた。そっと起きてカーテンを開け外を見てみるが、朝日のシャワーを浴びている裸木に鶯の姿はない。あきらめて再び寝床に戻る。するとまた鶯が鳴きはじめた。これは鶯の鳴き声を聞いて目が覚める夢なのか、それとも鶯が森の中で見ている夢なのか。鳥は恐竜の祖先だという説がある。歌うような鳴き声の恐竜もいたかもしれない。鶯の声に導かれるように太古の匂いが一瞬、鼻腔によみがえる。もう眠気は消えていた。 いつもより少し早めに朝食をとり、仕事部屋へ。図書館で借りたトルーマン・カポーティの「叶えられた祈り」を読む。カポーティの最後の小説だ。カポーティは自分の代表作にしようと20年近くこの小説と格闘したが、ついに完成することはなかった。「叶えられなかった祈りより、叶えられた祈りのうえにより多くの涙が流される。」冒頭にある聖テレサの言葉は、この小説自身にも当てはまる。カポーティも読者もこの小説でより多くの涙を流すことはできなかった。今日は一日、本を読んで過ごした。

2001.3.23.fri
玉川上水のココ・シャネル
午前中、求人募集の記事広告のための資料が宅配便で届く。今回は、特集の中の記事広告ということで、取材する内容も細かく決められている。一読し、プロダクションの担当者に電話。不明点を質問し、追加してほしい資料提供のお願いをする。取材は来週の木曜日、午前10時から。後ほど取材する相手の簡単な履歴等の資料をメールで送ってくれるとのこと。宅配便で届いた資料をさらに詳しく読み、インターネットで取材対象となる企業のホームページを見て取材内容を掘り下げる。 夕方、玉川上水を散策。きょうは小金井公園方向に向かって歩くことにした。この道にはスターがいる。鶏の「コッコ」だ。名前は勝手につけた。犬の「しろ」や文鳥の「ピーちゃん」と同じように安易な命名と思われそうだが。「コッコ」は「ココ・シャネル」からきている。胸をはり尻を優雅にふる、エレガントな身のこなしがその由来だ。くどいようだが、決してコーコッコッと鳴くからではない。「コッコ」は道の真中で悠然と地面を突付いている。近づいても逃げるどころか、横にどこうとさえしない。仕方なく道の端を通り過ぎる。しばらく行き振り向くと「コッコ」が羽をバタバタさせて必死にこちらに向かって走ってくる。その姿は、母ちゃんにイタズラを怒られて自宅の八百屋を飛び出していくジャイアンのようだ。ココ・シャネルはカラスに追いかけられてジャイアンに変わってしまった。


 

 

2001.3.24.sat
原宿にトマトを見に行く
ラフォーレ原宿で開催しているTOMATO PROJECTのイベントを見に行く。久しぶりの原宿はなんだか眩しく、人の多さにもびっくりした。まるで田舎から出てきたばかりみたいな感想だけど。町は町そのものが生きている。年をとり、ときには死んでしまうこともある。原宿の町は年齢を身体や精神に刻んできた私に比べ、相変わらず若く、その若さに嫉妬し、同時に疎外感を抱いてしまった。駅前でラーメンと高菜チャーハンのセットを食べ、ラフォーレ原宿へ。TOMATOの展示物はインタラクティブな作品が少ししかなく、平面が中心だった。全体的な印象はただ食べられればいいといった立ち食い蕎麦屋みたいな印象だ。立ち食いだって味にこだわった美味しい店は多い。たとえば小田急新宿駅にある箱根蕎麦みたいな。インターネット時代のアートが見られると期待していたのに。今回のTOMATOの、できあいの冷凍そばを暖めただけのような内容に、700円は高い。帰りに吉祥寺の地下街に寄り、買い物。リニューアルオープンセールをしていたので食材やワインを買い込む。トマトのできはよくなかったが、美味しいワインにはありつけた。

2001.3.25.sun
日々の努力は良くも悪くも報われる
朝7時20分に起きて、サッカー日本代表とフランス代表の試合をテレビで観戦。まだこちらが寝ぼけている間に、2点とられてしまい、「あれ?」と思っている間に前半終了。このまま終わるはずがないと、朝食も食べずにテレビに見入る。確かにこのまま終わることはなく、さらに3点もとられてしまった。フランスは世界チャンピオンだから強いのはわかる。でも5点もとられるなんてチームとして機能としていなかった証拠だ。最初の2点で完全にポテンシャルが落ちてしまった。世界との距離は近所のコンビニよりもはるかに遠く、月よりもわずかに近い。世界が協力して宇宙ステーションを建設する時代だ。月だって行けない距離じゃない。中田は通用していたし、名波も西澤も自分のプレーができていた(中田に比べるとあきらかに力不足だけど)。自虐的にならず冷静に前に進んでほしい。 午後、気功へ。なんとか羅競先生の気功のクラスはレヴァンで続けられることになった。ひと安心。日々の努力は良くも悪くも報われる。そういうものだ。

 
2001.3.26.mon
その歌声は夜に降る雨音のように
午前9時30分起床。コステロのCDをかけ、新聞を読む。「I can standup,falling love」のサビの部分のところでたまらず立ち上がり、糸の切れたあやつり人形のようなコステロのステップをまねながら口ずさむ。「恋に落ちて、もう立ち上がれないほどだ」なんて。恋と聞いて、「鯉こく」をしばらく食べてないなと舌なめずりしてしまう、青春から300光年も離れてしまった男が歌う歌じゃないんだけど。なんか、いいんだよね。つい一緒に歌いたくなる。「恋に落ちて」と歌いながら、恋を信じていないのもわかるし、それでも恋をしないではいられないとか。歌詞は英語だからよくわからないけど、その声が意味以上の何かを伝えてくれる。理性ではなく感情に響く声として、ヒットラーとジョン・レノンの名を上げ、声の質が似ていると、むかしどこかの雑誌に書かれていた。コステロの鼻にかかった声も、そうU2のボノの声も、夜に降る雨音のように感情に染み込んでくる。 午後、今週木曜日の取材に関する追加資料がメールで届く。私は話すのが得意ではない。自分から話題をふって座を盛り上げるなんて私にとっては空中ブランコ に乗るようなものだ。だから取材は「何を聞くのか」を最初から綿密に考えてある程度のシミュレーションを頭の中でしておく。話すのは苦手だが、人の話を聞くのは嫌いではない。違う考え方や視点と出会えるとなんだか得した気分になる。

2001.3.27.tue
「野球拳」はちょっとだけよ

午前中、某IT企業の展示用パネルのコピーの依頼。超急ぎとのこと。今日中に書き上げてメールで送ることにする。FAXで20枚近く資料が送られてくる。当家のファクシミリは名を「野球拳(やきゅう けん)」という。1枚、2枚と、ひらひら快調に用紙が舞っていく。しかし3枚目くらいから突然ごねだす。ブーブー言いながら身体をふるわせ、「もう嫌!」と紙詰まりを起こしてしまう。だからマネージャーのようにずっとそばにいてご機嫌をとっていなければならない。資料を見ながら、電話で打合せ。パネルは3枚。基本的には資料から使えるところを抜き出し整理してリライト。さっそくメモ用紙にアウトラインを書く。昼食後、アウトラインに肉付け。気功に行き、シャワーを通り雨のように浴びて戻る。パネルにのせる図を検討。多少、変更を加える。夕食後、一気に原稿を仕上げる。テキスト原稿をメールで送り、だいたいの構成と変更した図についての説明を「野球拳」で送る。

 

2001.3.28(水)
おお、戦じゃ戦

午後、会社案内のプレゼンの依頼。4社競合とのこと。競合はあまりやりたくないのが本音だが、企業間競争が激しさを増している中では当然ともいえる。この競合が価格競争に陥らず、勝敗が表現力や考え方で決まることを願いつつ、一方ではそんな事情なんか関係なく「おお、戦じゃ戦」と気分は戦闘モードに切り替わる。スピード&チャージだ。去年だったか、いつの年だったかの長嶋ジャイアンツの標語がなぜか頭に浮かんできた。プレゼンまで二週間もない。さっそく打合せしたいということで今週金曜日に打合せ。 *4/11プレ

2001.3.29(木)
秘儀、下唇呼吸法

午前8時30分、自宅を出て取材先の会社がある新宿に向かう。通勤電車は呼吸もままならないくらいに込んでいて箱で押される箱寿司の米の気持ちがよくわかった。これから箱寿司を食べるときは一粒たりとも食べ残すまいと固く心に誓った。目の前にはポマードべったり中年おじさんの頭、右横は学生風の男の鼻ピアス、左横はOLらしき若い女性の首筋。キレイな空気を求めて身体を少しだけ左側にむけた。これが状況をさらに悪化させた。胸は押され、花粉症で片方の鼻が鼻詰まりで息ぐるしい。このままではOLの首筋あたりにハアハアとした荒い息がかかりそうだ。痴漢と間違われてはたまらない。私は首を後ろに倒して息を天上に吐き出そうとした。しかしチッという怒りの舌打ちミサイルが私の後頭部めがけて発射され、私の首は20度ほど上向いて停止した。追い詰められた私は、ドリフターズの「いかりや長助」のように下唇を思いっきり前に突き出して少しずつ息を吐き出す下唇呼吸法をあみだした。30分間もいかりや長助の下唇のままでい続けるというのは正座をずっとしているのと同じくらい苦痛だ。しかも結構、恥ずかしい。こんな状況では誰も他人のことなんか気にしないと思うけど。暇つぶしに人間観察をしている奴もいるかもしれない。だって目の玉ぐらいしか動かせないんだから。 取材はメインとなる技術者ひとりと、彼の部下ひとりの計2名。撮影は午後に数カットを残したが、コピーライターの私の仕事は午前中で無事終了。「プログラミング言語は世界を理解するための言語」と技術者は言った。言語は文字だけとは限らない。音符もリズムも舞踊も言語だ。私の言語は彼のプログラミング言語ほどには世界を表現できていない。


 

2001.3.30(金)
競合は参加することに意味はない

IT技術者の取材原稿は来週金曜日午前中にメールで送信することに。午前中、昨日取材時にノートに書いたメモを見る。自分で書いたなんて思えない。信じたくない、汚い字。台風のあとの河を流されていく大量のミミズのようだ。字の存在を根底から否定する革新的な字と言えないこともない、こともない。三重否定だ。なんとか判別しながら取材の要点をまとめ方向性をつめていった。 午後、プロダクションと会社案内の打合せ。今回は大手代理店のPR部門からの仕事で、代理店のCD、AD、プランナーもからむという。私の場合、こういうケースは少ない。代理店とする仕事もプロダクション経由だから、プロダクションの営業やデザイナーと組んでする仕事が多い。ま、その人にもよるんだけど、代理店の制作と組むとどうしても振り回される。相手の思考やプライドみたいなものに合わせるのは結構辛い。それでもいい方向に進めば時間もムダにはならないのだが。船頭がふえると船は迷走する。早くも暗雲が立ち込めてはきたが、船頭がどうであれ一人前の船乗りはいつでも自分の仕事をするまでのことだ。前回の会社案内、オリエン資料、他社の会社案内等を見ながら方向性とスケジュールを打合せし、さらに代理店の制作に対してこちら側がいかに主導権をとっていないようでいて実はリードしていくかという、夫婦円満の秘訣のような話をする。4社競合のうち、1社はあなどれないとのこと。競合は参加することに意味はない。勝たなくちゃ。会社案内は来週水曜日に先方代理店と打合せるため、その前日の火曜日にプロダクションにてアイデアとコンセプトをつめることになった。

2001.4.1(土)
原稿制作は一日にしてならず

午前中、取材したテープの書き起こし。ずっとカセットテープを使っていたのだけれど、テープレコーダーが故障したこともあって、デジタルに記録できる機種に買い替えた。パソコンで編集もできるし、記録した音声データをそのままパソコン上でテキスト変換できるかもしれない。期待はコニシキの腹のようにふくらんだが。そのためには話す人の口元近くにマイクをつけ、なおかつ明瞭にしゃべってもらわなければならない。「もっと大きな声ではっきりと」なんて。取材させていただく立場なのに、学校の先生みたいなことは言えない。しかし何本もカセットテープを持ち歩かなくていいし、重要なポイントに付箋をつけられるなど編集作業上の利点もある。取材原稿のまとめ方は、人それぞれのやり方があるだろう。取材時にきちんとメモをしておき、録音したデータを補助的に使えば効率的だ。でも私の場合、全部書き起こしてからでないと先に進めない。テストでも律儀に一つ一つ上から順番に解いていくタイプ。できるところから進めることが、なんか負けたような気がする。何に負けるのか、わからないけど。厳しい減量に耐えることでボクサーは誰にも負けない自信をもつように、ムダとも思える膨大な言葉を書き取ることで実際に原稿を書くときに確信をもって進んでいける。夕方から会社案内の資料を読み、情報整理。


 
2001.4.2(日)
歌丸さんのアフロヘア

午前中、昨日に引き続き、テープの書き起こし。午後、大量にある会社案内の資料からポイントになる部分を、使用済みのテキスト原稿の裏に書き出していく。自分で書くことで資料は情報に変わっていく。情報を読みこみ、関連付け、考え方の方向性を練り上げる。パッパラパラパラ、スットンキョー。「笑点」のテーマ音楽が、作業終了の合図。「笑点」は子供の頃からずっと見続けている。考えてみると、そんなテレビ番組は他にない。時間の継続を実感できるということは、自分の存在をしっかりとある重さをもって確かめられるということだ。どうか私が死ぬまで続いてほしい。歌丸さんはすでにミイラ化しているから、このまま生き仏としてがんばってほしいものだ。「一度でいいから見てみたい。歌丸さんのアフロヘア」

2001.4.3(月)
1万字の彼方へ

午前中、メインとなる技術者の取材テープの書き起こしを終える。文字にすると約1万字。一日中、話している言葉を文字にすると、何億、何兆字になるはず。私たちは膨大な言葉を空中に吐き出しているわけだ。それがもし虫みたいに形があったら大変だ。たちまち空は暗くなり、地球は言葉に支配される。でもいまだって人間は言葉に支配されている。私たちは頭の中の言葉と頭の外の言葉で現実という幻想を構築している。好むと好まざるとに関わらず、言葉の世界に住んでいるわけだ。さて、1万字をいかに1800字に削るか。一本の木から形を作り出すように、一刀彫りの作業をはじめるか。その前に、明日の打合せのために、会社案内の構成案づくりに入る。全24ページ。コンセプトを考えながら、まず入れるべき要素をページに落とし込んでいく。夕食後、会社案内の構成案を眺めながら、表現アイデアを考える。クライアントの要望は、「わかりやすく、信頼感のあるもの」。別に目新しいことじゃない。どこの会社案内だって必要な要素だ。この会社のアイデンテティはどこにあるのか。ひとりの人間に代わりがいないように、会社だって代わりはない、と言い切れる特長が必ずあるはず。しばらく思考錯誤の山手線をぐるぐるまわった。途中下車し、取材原稿のライティング。


2001.4.4(火)
魔のトライアングル

午前中、会社案内の構成案と表現アイデアに手を入れる。時間がないので、思いついたままのアイデアをなるべく多く持っていくことにする。昼、月見そばを胃に流し込み、プロダクションへ。午後8時過ぎまでずっと打合せ。魔の三角地帯に入り込んだ舟のように、方位磁石が360度ぐるぐる回転し目標をまったく見失ってしまった。前回の会社案内がイラストを使っていて、内容はともかくイラストの使用については社内の評判がよかったと聞いていたので、どうしてもそのイラストイメージにひきずられてしまう。決定打はでないまま、明日の代理店との打合せのためにとりあえず3方向のアイデアをまとめあげた。


 
2001.4.5(水)
会議は踊らない

午前中、取材テープを書き起こしたものを読みながら、話のだぶっているところを整理。ひとまずアウトプットし、それにボールペンで書き込みを入れながら、全体のキャッチフレーズと小見出しを考える。昼、タイカレーの冷凍してあったものをレンジで暖め、ご飯にかける。複雑なスパイスがご飯の甘みとからまりあい、舌の上でポリネシアン・ファイアーダンスがはじまる。楽しいお昼のひとときはマギー四郎(漢字、まちがっていたら、ごめんなさい)の手品のようにいつのまにか終わっていた。電車の中で推敲するため、アウトプットした取材原稿を持って家を出る。午後3時から代理店での打合せはスタート。CD-ROMへの展開も同時に提案するということでそっちのスタッフも加わり、総勢20名近く。打合せというより会議だ。予想通り、船頭が多すぎて船は行き先がなかなか決まらない。持っていった案はありきたりでつまらないと即却下された。面白い案をつくりたいAD。クライアントの社長が気に入るものをつくりたい営業。自分の意見をとにかく言いたいCD。船は港をでることもできず、5時間以上続いた打合せの結論は、「もう少し考えよう」だった。結局、決まったことはあさっての打合せ時間だけだった。

2001.4.6(木)
脳人間とトイレで会ったら

午前8時起床。昨夜は疲れて何もする気がおきず、ビールを飲んで寝てしまった。卵をかけたご飯に納豆を一気にのせて腹の中へ。午前中はメインの技術者の取材原稿をまとめる。昼、近所の蕎麦屋で親子丼とたぬき蕎麦のセットを出前してもらう。胃袋って実は、水道管のように脳と直接つながっているのではないか。私たちはモノを口で食べていると思っているが、本当は脳に付いている口が食べていたりして。ま、そんなことがないのは知っているけど。頭が疲れているときは、「ああ、脳が食べている」って感じる。脳に口がついている宇宙人と駅のトイレでばったり会っても私はびっくりしない。午後、メインの技術者の部下にあたる人物の取材原稿をまとめる。インタビューは15分程度だったから、3時までにテープの書き起こしを済ませた。紅茶ブレークの後、会社案内の構成を考える。脳の内部では葛藤が起きている。どうせアイデアを出してもとおりはしないんだと革命派。通る通らないではなくプロとしてやるべきことはやるんだと常識派。脳内審議委員会により、「適当」にやることにした。ときには、「適当」も必要だ。夜、取材原稿のまとめに入る。深夜3時、とりあえず取材原稿を寝かすことにした。

 
2001.4.7(金)
今日と明日の間に

午後9時起床。午後3時まで取材原稿を推敲。本当はもう少し時間がほしいけど仕方がない。取材原稿をメールで送り、会社案内のアイデアを考える。思いつくままに、キャッチフレーズを書き出していく。そこに肉付けしながら、なんとか打合せできる状態までにはもっていった。午後5時45分、プロダクションに着く。そこで1時間ほど打合せ。イラスト発注のことを考慮すると、きょう、まとめないともう間に合わない。午後7から代理店で打合せ。さすがにみんな疲労の色が濃い。それでも、「きょう、まとめないと間に合わない」ということでは共通認識ができていたので、それぞれ考えたアイデアを出し合いながらまとめる方向へみんなが努力した。午後10時、打合せ終了。なんとか2方向が決まる。その後、プロダクションに寄ってこれからの段取りの打合せ。プレゼンのカンプは、最初のコンセプトページと、内容に入ってからの4ページだけでいいことになった。最もコピーライティング作業としては、ページ構成内容を企画書に添付しなければならないので手間隙は変わらない。とりあえずカンプ用のコピーを先に進め、月曜日の朝一番で提出することに。自宅のある駅まで行く最終電車に乗り遅れ、途中駅からタクシーで帰宅。家に着くともう日付が変わっていた。

2001.4.8(土)
時間は敵か味方か

一日中、会社案内のコピー作成。代理店のCDもからんでいるから、そちらのチェックを受けなければならないのがちょっと面倒だ。時間のないことが味方になる場合もある。今回もし時間にゆとりがあったら、CDのチェックでコピー原稿が行ったり来たりして、もっとこんがらがった状態に陥っていたかもしれない。こちらとしては時間のないなか、土日も休まず、(久しぶりに徹夜しちゃいましたと、プロダクションの営業にはさりげなく言っておこう)がんばっているわけで。それは仕事だから当たり前だけど。追い込まれると、腹がすわる。くるならこいと、アントニオ猪木のように闘魂がアゴの先にあらわれでてくるのであった。

2001.4.9(日)
無題

一日中、会社案内のコピーの作成。


 

2001.4.10(月)
喜びのツボ

午前9時起床。すぐに会社案内のコピーの推敲。午前10時30分、プロダクションと代理店のCDにメールで送信。昼を過ぎても何も連絡がこないので、プロダクションの営業に電話。代理店のCDは別の打合せをしていて、まだ見ていないようだ。午後、カンプで使う以外のコピーを仕上げ、夕方、メールで送信。すぐにプロダクションの営業から電話があり、今朝のコピーはおおむねOKで、少し修正は入ったけど、忙しいときに手を煩わせることもないと思ってそのままデザイナーに渡したとのこと。夜、代理店のCDからメールが入り、数箇所、修正が入る。取材原稿に関するメールもきていた。いま校正をしているが、大きな直しはなさそうとのこと。クライアントも喜んでいたとのコメントも。さすが営業。コピーライターの喜ぶツボを心得ている。どんなことでもほめられるのは好きだ。ほめ殺されるなら何千回死んでもいい。

 
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