本のある風景
 

その日は夏の入口で、室内にいて蒸し焼きになるにはもってこいの日だった。部屋の隅にある扇風機は不気味な音をたて飛び立つ準備をはじめ、喘息気味のクーラーは嫌な匂いを吐き出しながら喘いでいる。やれやれ、今年の夏は暑くなりそうだ。そんなことをボンヤリ考えながら、デスクの隅に置いてある本に手を伸ばした。ポール・オースターの「リヴァイアサン」。仕事が忙しくてずっと読むのを我慢してきた。買ったばかりの本にはじめて触れるときはいつでも胸の高鳴りを覚える。性的な興奮といってもいい。本のカバーは紙の肉体を包む衣服だ。その手触りは女性の衣服に触れた記憶を思い起こさせる。ページをめくると、印刷の匂いが立ちのぼり、鼻腔をくすぐる。仕事が集中したせいで、活字禁欲期間が長く続いていた。もう息が詰まりそうだ。あせる気持ちをおしとどめ一度本を閉じる。ぎりぎりまで我慢するのが僕の流儀だ。我慢するほど読む瞬間の喜びは大きくなる。買って初めて本を開くときはなおさらだ。本はいつも上から3冊目を選ぶことにしている。2冊目では誰かが触っているかもしれないし、4冊目ではどうあっても人の手に触れていないものが欲しいという、その心根が卑しくて嫌だからだ。本の横腹を軽くなぜると、心なしか本が熱く感じられる。さあ読むぞ。一気に、ぐいと本を開いたそのとき、背中に刺すような視線を感じた。
振り向くと、その殺気は本棚の端の方で崩れ落ちている本の山から発せられているようだった。そこは購入したものの、読む気持ちがなくなり打ち捨てられた本の姥捨て山だった。

僕は「リヴァイアサン」を閉じて机の上に置いた。そして何気なさを装い立ち上がり、「太陽に吠えろ」の山さんみたいにホンネを腹の奥底に隠し、殺気の方向にゆっくりと近づいていく。
ロシア作家たちの本が思慮深く、僕に挨拶をよこしてくる。彼らはよく知っている。ここでは誰が主人なのか。主人に逆らえば古本屋に屈辱的な値段で売り飛ばされてしまうのだ。しかし彼らは決して屈服したわけではない。ロシア作家の本たちは常に革命の機会を狙っている。この間、気を許していたら、本棚の上の方から「カラマーゾフの兄弟」が僕の頭の上に落ちてきた。ちょうど本の角の部分が額に当たって少し血がでてきた。文庫本だからよかったようなものの、チェーホフ全集に襲われたら額の軽い傷くらいではすまない。ロシア作家の下はアメリカ作家の居住区になっている。フィッツジェラルドはヘミングウェイに寄り添うようにしている。スティーブ・エリクソンは迷宮に引きずり込もうと手ぐすねを引いている。「ハイホー」。親しげに呼びかけてきたのはボネガットだ。ここんところ、ずいぶんご無沙汰していた。言い訳をしようとすると、「そういうものだ」とため息交じりにボネガットは呟き、カポーティに肩を支えられるようにして倒れてしまった。僕はボネガットを無視することにした。下の段に目を移すと、そこには魅力的な「ボバリー婦人」が優雅に微笑んでいる。思わず手を伸ばしそうになるのを必死でこらえた。ああ、思い切って感情を教育されたいものだ。目を横に移すと、カフカが蝙蝠のように逆さにぶら下がり、こっちを見ている。頭がクラクラしてきた。次の本棚に移ろうとすると、「堕落せよ」と安吾が酔っ払いながら怒鳴りつけてくる。もう堕落しているよと口答えしようとすると、まるでそう言おうとしているのがわかっていたかのように、「おまえのは自堕落だ」とまたまた怒鳴られた。屁理屈にイノチを賭けている男に腰の据わっていない屁理屈の初心者が勝てるはずもなく、すごすごとその場を引き下がった。

本たちとあいさつを交わしている間もずっと殺気は消えない。いよいよ例の姥捨て山の足元までやってきた。すると突然、山が崩れた。思わず僕は後ろに飛びのいた。崩れた本の中からスティーヴン・キングの「呪われた町」が転がりでてきて、ぱっくりと口を開けた。「やめろ」と、開かれたページから弱々しい男の声が聞こえてきた。「やめてくれ」、今度は絶叫だ。複数の足音がしたかと思うと、声は聞こえなくなった。深い闇の怖いくらいの沈黙がページから伝わってくる。呪われている。僕はへなへなとその場に座り込んだ。もう本を読むどころではない。でも本を読みたい。活字が欲しい。部屋にある本という本から活字が飛び出してきて僕の周りを飛びまわりはじめた。活字禁断症状だ。活字を脳細胞に吸収させたい。運動した後、ビールを飲むみたいにゴクゴクと活字を飲みたい。うつろな目に飛び込んできたのは床に転がっていた相撲取りのように太った本だった。溺れる者が浮き輪につかまるように、その太った本にしがみつき、開いた。そこには、悪魔も神も、娼婦も哲学者も、卑猥も隠微も、勃起も陰唇も、ケプラーの法則もドップラー効果もなんでも望みのものがそろっていた。「広辞苑」。この重さが頼もしい。


ブック・レストラン
本日のコースをご案内申し上げます。
前菜
本日の前菜は二品あります。 まず一皿目はレイモンド・カーバーの「夜になると鮭は」です。 コースのイントロダクションにふさわしく、余計な味をつけず、素材そのものを生かしたシンプルなお料理です。 二品目はアバンギャルドな風味が古くて新しい、 ロートレアモンの「マルドロールの歌」です。味の協奏曲は叙情的な序章で幕を開けます。
スープ
スープは、ヨーロッパの味覚にアジアンテイストを混在一体化した極上の一品、アントニオ・タブッキの「インド夜想曲」をご用意いたしました。舌の上で奏でられる抑制のきいた詩情が幻想のシネマに誘います。
メイン
メインは三品からお好きな一品をお選びいただけます。 まず、その深みと複雑さは味わうたびに新しい発見のある、 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」。 そして、不条理な苦味が忘れられず、虜になってしまう人も多いカフカの「審判」。 また、本日は特別メニューとしてノーベル文学賞受賞シェフの エリアス・カネッティ氏唯一の小説「眩暈」もご用意いたしました。
サブメイン
メイン以外にもサブメインをお楽しみいただけます。 ハイホーの酸味をきかしたカート・ボネガットの「猫のゆりかご」、 冷たいソースと熱い肉汁が溶け合うセリーヌの「夜の果ての旅」、 時間をおかず、すぐにお召し上がりいただきたいボルヘスの「砂の本」、 いずれもグルメならずとも一度は味わっておきたいメニューです。
ワイン
本日、お薦めしたいワインといたしましては、南アメリカ、コロンビア産、マルケスの「百年の孤独」、 オーストリア産、パリ熟成、リルケ「マルテの手記」、 そして、中原中也「山羊の歌」の1934年初版本を つい最近、偶然にも入手することができました。 他にも豊富なワインを取り揃えております。 ご希望があれば、なんなりとお申し付けください。
デザート
ノスタジックで爽やかな口当たりのアーウィン・ショー「夏の日の声」、 豊かな苦味とパンチ力のあるトム・ジョーンズ「拳闘士の休息」、 日本伝統の味覚に独特のスパイスが香る坂口安吾「夜長姫と耳長男」、 いろいろな味をお楽しみいただけるように短編を美しく盛り付けた、 一夜の夢のような一皿をご用意いたしました。 最後に当店自慢のハーブティ、フィッツジェラルドの「ジャズエイジの物語」で、 失ってしまった時間の甘い痛みの余韻に浸りながら、今宵のディナーの幕が降ります。
では、どうぞごゆっくりとお楽しみください。
 
 

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