Make−Believe ―策士の望み―
 望みがあった。
 人と同じものを、自分も欲しかった。手を伸ばしてみる。得られない。
 分かっている、偽物だと。けれど仕方ないのだ。それでも欲しい、欲しい……。

 夕日を見て、感傷にひたるほど、安っぽい人間ではないはずだ。そう思いながら、開いた本の真ん中に落とした指は、次のページを繰ろうとしない。ため息をついた。顔を上げて、窓の外を眺める。夕日だった。
 人と同じものを、自分も欲しかった。どうしても、欲しかった。得られないことは、分かっていた。だから、偽物を。そうと分かってなお、求めた。
 人と同じものが、欲しかった――。


 放課後、生徒会室。
新橋(しんばし)コモチ、あなたを生徒会にスカウトします」
 宣言した。有無を言わせぬその雰囲気。生徒会長、石英(せきえい)ミノリ。
 学園の王者と言われる彼女。けれど臆すこともなく、コモチは答えた。
「せっかくですが、お断りです。生徒会になど興味はありません」
「そう言うと思ったわ、予想通り」
「……」
「だからもちろん、次の手も用意してある」
 生徒会長は余裕の表情で、コモチを見つめる。
「望みがあるでしょう?」
 ドキリ。心臓を、掴まれたような感覚。信じたくはないが、やはりこの女は王者であるらしい。
「あなたの望みを叶えるわ。それが叶ったら、生徒会に入りなさい」
 有無を言わせぬその雰囲気。
 コモチは何も言えず、立ちつくした。


 放課後、第三調理室。
(生徒会長、石英ミノリ……)
 パラパラと、読むわけでもなく本のページをめくりながら、ぼやく。
 あの女、生徒会長……王者だなんだと言われて、彼女が言えば誰でも言うことを聞くとか。そんなことがあり得るのか。いや、あり得ない。現に自分は、彼女の言葉に反したではないか。
(……違う、そうじゃないんだ)
 彼女は言った、予想通りだと。そしてコモチを自分の言う通りにさせるために、事前に作戦を練っていたのだ。
 つまり、誰でも彼女の言うことを聞くというのは――彼女の言うことを聞きたくなるように、あるいは、聞かざるを得なくなるように、仕向けるということだ。
 コモチだって、もし、望みが叶うのなら、生徒会に入ってやってもいいと、思う。
(しかし、私が何を望んでいるか、知っているのか……)
 そう、それなのだ。結局、会長はコモチの望みがなんであるかを聞かなかった。それどころか、望みが叶えば生徒会に入るという約束さえとりつけようとしなかった。
(というより、ぶっ飛んでいて、何も言えなかったんだけどな)
 ハァ、と、ため息をつく。どうなるのか、これから先。少し気になる。

 コモチの大げさなため息を聞きつけたのか、黙々と料理をしていた弓野(ゆみの)クオが声を上げる。
「もう少しで出来るからなー。揚げたてはうまいぞー」
 ぱちぱちと音のする揚げ油から、きつね色の物体が引き上げられていく。
(コロッケか……)
 嫌いではない、好きでもない。むしろ気になるのは、まだ揚げられていない白い色のコロッケたちが収納されているバットの数なのだが……。いちにいさんし……。
(誰が食べるんだ、そんなに)
 コモチは今度はクオに聞こえないように、ため息をついた。
 クオはいつも、小食のコモチには明らかに多すぎる量の食事を用意する。くせ、なのだろう。以前、仲のよかった女の子が、ひどい大食いだったらしい。その女の子は、クオの料理をいっぱい食べて、いつも美味しいと言ったらしい。そしてそれは、クオにとってこの上ない喜びだった、のだろう。
 コモチにとっては、面白くない話だった。もう知り合って、何ヶ月にもなるのに。クオはまだ、コモチがそれほどたくさん食べないということを、覚えない。
 クオの料理は嫌いじゃない。寮で出る食事よりも、カフェテリアのメニューよりも、ずっとずっと美味しいと思う。だけど、それが、どうしたというのだ。コモチにとっては食べ物は食べられればそれでいい、それだけのものだった。なのにいつも瞳を輝かせて、美味しいかと問うクオに、コモチはなんと答えればいいのか……。

 クオと初めて会った時のことは覚えている。彼が調理室に来る少し前に、鍵を使って中に入った。弓野クオ、特権生。特権区は第三調理室。分かっていた、調べてあった。コモチの持っている鍵は、学園中のどの部屋も開けることが出来たし、パソコンに差せば学園のネットワークにつながっている情報をなんでも手に入れることが出来た。だから、選んだのだ。たくさんいる特権生の中から、一番理想に近い彼を。
 彼は驚いた。自分しか入れないはずの調理室に、先客がいたのだ。コモチは鍵が開いていたから入ってしまったと、うそぶいた。そしてこう付け加えた。
「実は今、お腹がへってるんだ」

 クオは優しかった。突然現れたコモチのことを、すぐに受け入れてくれた。いつでも遊びにおいでと言ってくれた。なんでも好きな料理を作るから、と。
 クオは優しい。いつもまっすぐで、思いやりがある。赤い色の瞳がとてもきれいで、中華鍋を軽々操るその腕はたくましくて、好きだった。疑うことを知らず、どんなことも好意的に受け取る。そんな彼といると、自分もなんだかいい人になったような気がした。
 だけど、だけど。いい人になったような気がしても、それは気だけで。何も、変わらない。分かっている。自分はずるい手で、クオに近づいた。自分だけが使える、反則みたいな方法で、クオを調べ懐柔した。クオは知らないのだ。コモチが調理室にたまたま迷い込んだ腹ぺこではなく、閉じた扉を開いて侵入した狡猾な策士であることを。
 欲しかったのだ。どうしても。人と同じものが自分も欲しかった。だから手に入れた。偽物だと分かっていたけれど、手に入れた。望みは叶わないのだ。そう思う。だから偽物でも、我慢するしかないのだ。


 放課後、図書館の参考室。
「新橋コモチさんですね、こんにちは」
 声をかけられる。コモチは読んでいた本から視線を上げて、声の主を見た。黒髪の少年。まだ寒くもないのに、なぜか首にマフラーをしている。襟章を見るに、中等生なのだろうが……知らない。
「あなた誰?」
 図書館での私語は禁止されている。コモチは小さな声で返した。
「生徒会特命使、北見(きたみ)ケイタといいます。少し、お話いいでしょうか」
 少年はニコリと微笑んだ。柔らかだけれど、どこか油断ならない微笑み。生徒会長と少し似ている。コモチは観念して、彼と共に図書館を出た。

「生徒会長から、勅令を受けました」
「どんな?」
「あなたの望みがなんであるかを聞き出し、その望みを叶えるために尽力するように、と」
「ふーん」
 図書館前のベンチ。座るとコモチは両足が地面につかないので、ぶらぶらと持て余す。
「時間はいっぱいありますから。まずは仲良くなることから始めませんか」
 にこやかに、言う。コモチはなんだか彼が不気味だった。
「私は、会長の勅令なんか知らないし、あなたと仲良くする義理もない」
「望み、叶えたくないんですか?」
「……」
「決して悪いようにはしません。どうか、僕があなたの望みを叶えるお手伝いをすることを、許して下さい」
 北見は真剣なまなざしを見せた。嘘はないように思う。だけど分からない。
 生徒会特命使は、生徒会長の勅令を受けて働く生徒会役員だ。だから北見が勅令をなすために動くのは、当然のことだろう。だけど。
「……それをして、何かあなたにメリットがあるの?」
「そうですね……」
 北見は苦笑いを見せた。
 生徒会長の勅令は、絶対。それが下れば必ずなされなければならない。そう言われている。だけどそれは、言われているだけだ。勅令だからといって、無理なことは無理だし、出来ないことは出来ない。それは当たり前ではないか。
 だとしたら、紙切れでしかない勅令状を、北見が守る理由とはなんなのか。
「きれいなこころになりたかったんです」
「……はい?」
 突拍子もないセリフに、コモチは思わず聞き返した。すると北見は恥ずかしそうに笑って言った。
「ヘンテコな話だって、分かってます。だけど、どうか馬鹿にしないで下さいね。僕は真剣なんですから」
 北見が見つめるので、コモチは頷いた。分かった、馬鹿にしない。
「僕は、きれいなこころになりたかったんです。そのために、人助けをしようと思いました。困っている人、辛い思いをしている人、そういう人たちに手をさしのべて、救ってあげられるような、そんな人間になりたかったんです」
「……」
「だけど僕は、ひとりじゃ誰も助けられなかった。助けようとしたら、助けなんか要らないって言われたんです」
 北見は視線を落として、悲しみのようなものを表した。
「それで会長が、僕を憐れんで、僕に特命使の役をくれました。会長が勅令を書いてくれるんです。誰々を救えって。だから例えば、あなたが僕の助けなんか要らないと言っても、僕は勅令のために、あなたを助けられるんです」
 北見は今度はちょっと笑って見せる。悪戯っぽい笑い方だった。
「そうして困っている人を助けて……辛い思いをしている人を救って、僕は自分のこころをきれいにしたいんです。それが、メリットでしょうか」
 言って、自分で納得したのか北見はうん、と頷いた。
(……確かに、これは、ヘンテコだ)
 口には出さないが、思う。
 だって、おかしいじゃないか。「きれいなこころ」になるために、人を助けるなんて……。順番が、逆じゃないか? 自然に困っている人に手をさしのべて助けられるような人間なら、きれいなこころと言ってもいいと思う。だけどこれじゃまるであべこべだ。
(……違う、必死、なんだ)
 自分は真剣なんだと、言った時の北見の瞳。強さと、悲しさが見えた。
(偽物だと分かっていながら、それでも欲しいと、思う――)
 同じ、同じだ。この少年は、コモチと同じ。ああ、そうか。生徒会長は、何人もいる手駒の中から、わざわざこの少年を選んだのだ。この少年ならば、コモチが受け入れると踏んで。
「……分かった。北見ケイタ。望みを話す。協力して欲しい」

 北見は、コモチの望みを馬鹿にしなかった。人と同じものが欲しいだなんて、当のコモチですら下らないと思うことを、北見は馬鹿にしなかった。北見はコモチに深く同情して、コモチの望みが叶うことを、心から願った。北見がコモチの手を握って、「コモチさんの望み、必ず叶えましょう」と、そう言った時、確かに少年のこころは輝いて、きれいなものになっているように見えた。
 不思議、だった。


 放課後、調理室。
(しかし、叶えるって、どうするつもりなんだ)
 ページの谷間にしおりを抜き差ししながら、コモチはぼやいた。昨日の北見のことだ。
 コモチの望みは、抽象的で、叶えると言ってもどうすれば叶ったことになるのか、コモチ自身も判断出来ない。簡単に叶う望みなら、人の手なんか借りない。ため息をつく。
「コモチ、お腹へったのか」
 クオが声をかけてくる。
(違うよ、クオ……)
 心の内で反論する。クオはいつだって、コモチのため息を空腹と結びつける。
(違う、違うよ、クオ。ここにいるのは大食いの彼女じゃなくて――私なんだよ)
 なんとなく泣きたくなった。
 コモチは本を閉じると、席を立って、クオの方へぺたぺたと歩いていった。野菜を切っているクオの背中に、自分のおでこを押しつける。
「あ、こら……包丁持ってる時は危ないからダメだって」
 クオは包丁をおいて、流しでさっと手を洗う。振り向き、膝を折ってコモチの身長に合わせた。
「メガネが曲がってる」
 そう言ってこちらに手を伸ばして、直してくれた。クオがメガネを直した、その手を握る。少し湿って冷たい。
「クオ」
 名を呼んで、見上げる。クオの赤い瞳に、自分が映るのが見える。そう、そうだ、自分はクオの瞳に映っている……今、クオの瞳に映っているのは、私なんだ。
 なのに、なのに――。
「待ってろ、今作ってるからな。お腹いっぱい食べたら、すぐ元気になるから」
 クオは微笑んで、コモチの頭をがしがしと撫でる。
(違うよクオ、違うよ……)
 料理に戻ったクオの背中。コモチは悲しくて、たたずんだ。


 放課後、中等部の屋上。
「……私はその子の身代わりなんだ」
 コモチは両手でフェンスを握って、隣で同じようにしている北見に言った。
「彼はいつも、私じゃなくてその子を見ているんだ」
 なんだか自分のはらわたを自分で解体するような、そんな気味の悪い感じがする。口に出してみると、それがあまりにも本当のことで、挫けそうになる。
「私は、彼に傷があるのを知っていて、近づいた。わざと、彼が失った女の子と、似た言動をとるようにした。そうすれば、彼は受け入れてくれると思ったから」
 案の定、クオはすぐにコモチを受け入れた。失ってしまい、それによって傷ついていた、その喪失を補うものとして、コモチを受け入れた。だからそれはクオの優しさではなく、弱さだったのだ。
「私はそうして、彼の弱さを利用したんだ。傷ついた彼につけ込んだんだ」
 ため息をつく。視線を北見に向けると、北見は真剣な顔で、コモチの話を聞いていた。また、フェンスの向こうに視線を移す。
「しっぺ返しというのかな。私はそうして彼の傷を利用したのに、今度は彼が傷の所為で私を誤認するのが、辛くなった」
 欲しかったんだ、どうしても欲しかった。でも得られなかった。だから、偽物でもいいから欲しいと思った。でも手に入れたら、偽物であることがどうしても辛くなった。
「こんなのは……わがままか?」
 聞いてみる。北見は真剣に話を聞いてくれていたけれど、なんだかそれが逆に恐くて、今度は顔を見られない。
「うーん……わがまま、ですか」
 おそるおそる見ると、北見は風に舞うマフラーを押さえて、なんとはない表情だった。
「それが、コモチさんの望み、なのでしょう? 本当の自分を見て欲しいっていう。望みを持つことは、多かれ少なかれわがままなことですよ。今あるもので満足しないってことですから。だから、わがままは仕方ないんじゃないですか」
「……」
 やっぱり、北見はヘンテコだ。そう思う。
「じゃあ、わがままでなくなるためには、望みを捨てなくてはならないのか」
「そうですよ、でも、望みは、捨てられないでしょう?」
「……」
「どうすれば、叶うでしょうか……コモチさんの望み」
 北見は伸びをして、空を見上げた。言い方が、なんとなく空々しくて、いたたまれなくなる。
 分かっているのだ。この北見は。コモチの望みがどうすれば叶うか、分かっている。でも言わない。コモチが自分で言い出すまでは、言わない気なのだろう。
(……こいつも大概策士だよな)
 ため息をついた。

 答は簡単なのだ。諦めればいい。多くを望まず、今に満足すればいい。自分の手に入れたものが、偽物であろうとなかろうと、それが手元にあることを、喜べばいい。
 クオの料理を食べて、美味しいと笑ってやればいいのだ。そうすればクオは喜ぶし、コモチはずっとクオの側にいられる。それでいいじゃないか。それ以上をなぜ望もうか。

「……言ってみたらどうですか? その彼に、自分は小食なんだって。食べるのはそんなに好きじゃないんだって」
「――え?」
「そうしたら少し、コモチさんのこと見直すんじゃないでしょうか。今、無意識に前の彼女の影を見ているなら、そのことを遠回しに指摘してあげたら、気をつけるようになるんじゃないでしょうか」
「……そんなんで、いいのか? というか……私は今までわざと」
 わざと、前の彼女に似せた言動をとっていた。それを覆して、いいのだろうか。そうすることで、感づかれるのでは。自分がクオの傷につけ込んだということを。
「目の前にいる人を、その人だと分からないなんて、失礼なことですよ。だから例え無意識だったとしても、コモチさんがわざとそうしていたとしても、彼はちゃんとコモチさんのことをコモチさんだって分からなきゃいけないんです」
「……そうなの、か?」
「そうですよ」
「でも、感づかれたら、どうしよう。私が彼の傷につけ込んだって、私がそういう卑怯なヤツだって、彼に分かってしまったら?」
 見上げると、北見は笑っていた。
「本当の自分を見て欲しいのでしょう? それがコモチさんの望みだったのではないですか?」
(……あ、あぁ)
 コモチはため息をついた。北見め。嫌なヤツだ。
「コモチさんは、卑怯者。コモチさんは、策士。それは変わりません」
(……)
「だけどそうだと分かった上で、それでも付き合ってくれるとしたら、それが一番いいことじゃないですか?」
(それは、そうだけれど)
「僕だって偽善者です。でも、そうと分かった上で、コモチさんは僕を信用して相談してくれているじゃないですか。僕は同じことだと思います」
 北見は笑った。似たもの同士だと思った、コモチと北見。だけれど北見はもっと真摯で、だからコモチより数歩、先にいるのだ……。


 望みがあった。人と同じものを、自分も欲しかった。
 笑いあえる相手が欲しかった。ただその人がその人であるという理由だけで、優しくし時を共にし、助け合えるような相手が欲しかった。たった一人でいい、特別な誰か。他のみんなが持っているような相手が、自分も欲しかった。
 気に入られようと、偽って、輪の中へ入っていった。すぐに分かった、そうして得られたのは偽物だということが。それでも失いたくなかった、偽って偽って偽って、やがて疲れてしまった。
 それでも欲しかったのだ。本当の関係が。

 自分が自分だと思われたい。自分が卑怯者だと知られたくない。同じ、違う、相反する思い。どちらかを叶えるために、どちらかを捨てなくてはならないなら。
(それならば私は、自分の最初からの望みをとるべきなのだな)
 自分を自分と知った上で、それでも付き合ってくれる、本当の関係。一番最初に望んだのは、偽物じゃない。けれど得られなかったのだ、だから偽物でも、それにすがった。
 自分を偽ることは辛い。本当の自分を見て欲しい。だけど、失うのが恐い。だから偽る。辛い、恐い、辛い、恐い……。ぐるぐると、そんな風にして今までやってきた。だけどこれからは――。
 自分が卑怯で愚かな策士だと、気付かれても、それでもまだ、クオは自分を受け入れてくれるだろうか。
 自分が北見を偽善者と知って、それでも受け入れたように――?


 放課後、第三調理室。
 コモチは開いたページに視線を落としていた。クオは料理をしている。自分が自分であることを、言ってみてはどうかと、そう諭され。でもどう言ったらいいか分からない。ため息をつく。
「コモチ」
 するとそれを聞きつけて、クオが声を上げる。ああ、いつものパターンだ。
「……コモチ、悩み事が、あるんだよな」
 はて、と、顔を上げる。クオは料理を中断して、エプロンで手をふきながら、コモチの席の方までやってくる。
「ごめんな、俺……鈍感で。コモチは繊細だから、ご飯食べるだけじゃ元気にならないんだよな」
 コモチはポカンとした。なんだろう、いつもと違うパターンだ。
「その……どうしたらいいかな。デート、かな……き、きすとか」
 クオは自分の言った言葉に、自分で驚いたようだった。真っ赤になって、「い、今のはナシだ」と付け加えた。
「ごめん。コモチが、どうしたら元気出るか、分からないんだ……教えてくれたら、その通りにするから」
「……」
 コモチはしばし言葉を失った。その間にクオの顔色は、赤から白へさあっと変わった。
「ご、ごめん、なんか……不味かったかな」
 あまりにクオがまごつくので、コモチは笑ってしまった。こんなクオを見るのは初めてだった。
「ありがとう、クオ。大丈夫だよ」
「えっ……」
「クオが一生懸命考えてくれたから、それだけで元気が出たよ」
「……ホントに?」
「うん」
 クオの瞳に、自分が映っているのが見える。幸せだ、そう思う。
「……でも、なんで突然そんなこと思ったの? 私がご飯食べても元気にならないって、どうして気付いたの?」
 聞いてみる。すると、クオは分が悪そうに頭をかいた。
万里谷(まりや)先輩が、女の子がため息を繰り返す時は、何か不満がある時だって……。だから、簡単に片づけないで、ちゃんと何をして欲しいのか聞くようにって……」
 コモチはまたポカンとしてしまった。
 万里谷ミトというのは、クオが週二回やっている模擬喫茶のウェイトレスだ。クオは模擬喫茶をするために生徒会に後援を頼んだ。そうして配属されたのが、万里谷ミト。万里谷ミトは、生徒会役員ではないけれど、生徒会長の親友で、言ってみれば会長の懐刀だった。
 だから万里谷ミトがクオに助言したというのは――きっと、会長の差し金で。
(ぬかりない……)
 コモチ自身には北見を、クオには万里谷を。まだ他にも手を打っているのかも知れない。
(恐るべし、だ、石英ミノリ)
 だてに玉座に座ってはいない。石英ミノリが、そうすると言えば、そうなるのだ。
「……コモチ?」
 コモチがひとりで感心していると、クオがコモチの顔を覗き込む。
 クオは、言ってくれたのだ。コモチのことを誤認していたと認め、改めると言った。だから、言おう、自分も。自分が卑怯者だと言うことを、言おう。
「ねぇ、クオ。私、この部屋に初めて来た時、自分の鍵で開けたんだ」
「……うん?」
「私ね、学園中の部屋をどこでも開けられる鍵を持っているの。だから、クオと仲良くなりたくて、クオの気を惹くために、わざとこの部屋に入ったんだよ。たまたま、迷い込んだわけじゃないんだ」
「そうだったのか。まあ、おかしいと思ってたんだよ、俺、確かに鍵を閉めたはずだったから」
「怒らないの?」
「なんで?」
 クオは本当に不思議という表情をしている。
「だって人の部屋に無断で入ったんだよ……?」
「もしかしてそれで俺が怒ると思って、悩んでたのか?」
 もうちょっと、違うのだが……、まあ、そう言えなくもない。
「そりゃあなあ、人の特権区に勝手に上がり込んだら、他のヤツは怒るかも知れないけど……でも、俺は怒らないよ」
「どうして?」
「うーん……だって、嬉しかったんだ、お前がいて」
 クオは笑う。なんだか照れているような、はにかんだ笑い。とてもかわいくて、コモチは胸が熱くなった。
「でも私、そんなにたくさん食べられないよ? お料理食べるのもすごく好きってわけじゃないよ? それでも、クオは」
 クオはコモチの頭を撫でた。
「俺さ、料理が好きだ。それは多分、変わらない。だから俺の料理を食べてくれるヤツも好きだ……でも、コモチのことはそうじゃなくても好きだから」
「……どうして?」
「うーん、分かんない。でも、そうだから」
 クオはまた、頬を染めている。
「分かったよ、クオ」
 コモチはクオの手をとる。コモチと違って大きな手だ。
「私もクオが好きだよ」
 微笑む。クオの手を引っ張って、クオの胸に抱きついた。クオは優しく、コモチの背に手を回してくれる。
 そうだ、これが、偽物かどうかなんて、もう考えるのはよそう。クオはクオの見方で、コモチを見ている。そして受け入れてる。だからきっと、怯えることなんてないのだ。
 クオの腕の中は暖かくて、コモチの望みはそこにあると思えた。


 放課後、生徒会室。
「コモチちゃん、望みは叶ったかしら?」
「ええ、会長、おかげさまで」
「それで、入ってくれるかしら? 生徒会」
 お決まりの、余裕の笑み。会長の玉座の右には、万里谷ミトが、左には北見ケイタが控えている。北見は少しだけ、コモチに微笑んで見せた。
「……ええ、入ります。あなたには、参りました」
「そう、それはよかったわ。じゃあ早速だけど、入会の書類書いてね。セイジ、用紙印刷して」
 パソコンに向かっていた男子生徒が、了解の意を述べて、プリンターに紙を噛ませる。
 北見がコモチの側へ飛んできて、これからもよろしくと手を出した。コモチはその手を握って、笑った。

Schemer's Wish
END

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