![]() 机の中から教科書を引っ張り出し、鞄へ詰め込んでいたケイタに、テンの声が降った。 「黒はね、模擬喫茶行かないか」 「あ、はい」 ケイタは顔を上げる。模擬喫茶に行くのはこれが二度目だ。 ミトから聞いた話なので、本当のところはよく分からないのだが、どうも模擬喫茶の店長は、テンとユイと共通の友人で、テンとユイが仲違いしている間、テンとは会わない約束をしていたらしい。 おそらくテンは店長がその人だと気付いたのだろう。最初に訪ねた時以降、テンの口から模擬喫茶の話が出ることはなかった。ケイタが一人で「ミオ」に会いに行ってもよかったのだろうが、テンをおいて甘いものを食べるのも気が引けたので、結局行かなかったのだ。 そうだ、テンはユイと仲直りしたのだ。全くの元通りの関係でないとしても、二人は仲直りした。だから、テンは、店長のいる模擬喫茶へ行ける。 「よし。楽しみだな」 テンはそういって、いったん自分の机へ戻っていく。テンはいつもパタパタと不思議な歩き方をするけれど、今日は少し浮き足立っているように見えた。荷物をまとめる間も、背の羽がフワフワとリズムを刻んでいる。 「 クラスメイトの 「あ、神楽坂だ。黒はねと模擬喫茶行くんだ」 「高等部でやってるヤツ?」 「うん、一緒に行くか」 神楽坂が、二・三歩、飛び退いた。そのままの姿勢でピシッと固まっている。何秒か経った後、神楽坂はギギギとこちらに首を向けた。ケイタは苦笑してしまう。 「き・た・み……!」 ケイタは頷いて、一緒に行きましょうと、ニッコリ笑って見せた。神楽坂の表情がぱぁっと明るくなる。とても嬉しそうだった。 神楽坂がテンをどう思っているのか、実際のところを聞いたことはない。それでも嬉しそうなテンを見つめて、それ以上に嬉しそうにしている神楽坂を見たら、彼がテンをどう思っているかなんて、言葉で聞くよりも明らかだった。 テンの方は神楽坂をどう思っているのだろうか。それもやはり分からなかったけれど。一度は拒絶した相手。テンと神楽坂の間に、ユイとの間のような決裂があったわけではないだろう。それでもテンは神楽坂のことを気にかけていた。必要以上に仲良くならないように距離を保とうとしていた。それが、今日は。 (テンさんは、変わったんだ) ケイタは前を歩くテンの背中を眺めながら、思った。 男子と仲良くしないようにというのは、父親の言いつけだった。以前のテンはそれをかたくなに守っていた。でも今のテンは、自分の意志で、誰とどれだけ仲良くなるか、決められる。 「いらっしゃいませ〜! あ、テンちゃん!」 模擬喫茶で出迎えてくれたのは、制服の上に白いフリルのエプロンをつけた「ミオ」だった。 「水色先輩、こんにちは。パフェ食べに来た」 「こんにちは、テンちゃん、ケイタさん、来てくれて嬉しいです。そちらの方は?」 ミオは神楽坂を見て、ケイタの方へ顔を向けた。 「同じクラスの神楽坂さんです。神楽坂さん、こちらは」 ケイタがミオを神楽坂に示すと、神楽坂はすかさず言った。 「 「だから、それは違うって何度も……」 「分かってるよ。言ってみただけ」 神楽坂とのやりとりを見て、ミオはクスクスと笑っていた。 「それじゃあ、お席へどうぞ」 テンはそれを聞いて席の方へ飛んでいった。神楽坂もその後についていく。 「あの先輩、僕たちチケットを持っていないんですけど」 「あら、気にしないで下さい。テンちゃんやケイタさんは特別です。お友達も」 「いいんですか?」 「ええ。店長もきっといいって言うと思います」 席について、程なくして、ミオは以前と同じくやたら大きなパフェを持ってきた。器のてっぺんから、カットされたバナナが飛び出している。チョコレートパフェだった。 細長いスプーンは三本。ミオはクスクス笑うだけで、行ってしまったので、ケイタはまたテンに全部食べられるパターンかと肩を落とした。神楽坂も少々困惑している。と。 「よいしょっ」 テーブルの上に標準的な大きさのパフェが二つのったトレーが置かれた。ハッとして見る。 「北見、久しぶり」 「コモチさん、どうしてここに?」 「会長命令で手伝いに来てるんだ。先週からなんだか急に忙しくなったって」 確かに模擬喫茶は賑わっているようだった。席はだいたい埋まっているし、こうしている間にもお客がちょこちょこやってくる。 「はい、どうぞ。……はい」 コモチはお盆のパフェ一つずつ、ケイタと神楽坂の前に置いた。ケイタよりも小柄なコモチの、たどたどしい手つきは少しはらはらする。それでもパフェはちゃんと配置された。 「仲良く食べるようにって、店長からのお達し」 コモチがそう言うと、テンは「いただきます」と叫んで、巨大パフェに向かった。 「ふうん、この子がね」 コモチはパフェにがっつくテンを見て、ぼやくように言った。ケイタが聞き返す間もなく、コモチは去っていった。 「南條、ほっぺにクリームついてるぞ」 そう言って、神楽坂はテンの頬に手を伸ばそうとした。神楽坂の指がテンに触れるか触れないかの瞬間、彼の腕は何者かによって掴まれた。 「痛ッ!」 「お前、テンに触ろうなんざいい度胸だな」 神楽坂がユイをにらみ返す。 「誰だよ、お前」 「お前こそテンのなんなんだ。仲良くパフェ喰いやがって、畜生」 「やめてよユイ! 神楽坂に乱暴しないで」 テンが立ち上がった。テンに言われて、ユイはハッと手を引っ込める。 「いや、別に俺はその……」 もごもごと口の中で言葉を泳がせる。どうにもユイはテンに弱いらしい。 「――ユイ君、お冷!」 ユイの背後から声がとんだ。ユイの顔がさっと青ざめる。見ると向こうに怖い笑顔の「ミオ」がいた。いや、あれは「ミオ」じゃない。ケイタはマフラーをつかむ手に力を入れた。あんなに怖いのはもはや「ミト」だ。 「はい、ただいまッ!」 ユイがすっ飛んでく。ユイの身のこなしは素早くて、なのにトレーの上のコップは絶妙なバランスで無事なのだ。ケイタは見とれてしまった。 視線の先にミトがいて、目があった。ミトはまたいつかのように、優しい顔を見せてくれた。ミトの口元が「大丈夫」と動くのを見て、ケイタは息を吐いた。マフラーから手を離す。もう一度視線を上げると、移動してしまったのか、もうミトはいなかった。 「ごめんな、神楽坂。痛かったか?」 「いや、大丈夫だよ」 「ほっぺについてたら、自分でとるから、教えてくれるだけでいいよ」 テンの言葉に、神楽坂は少し残念そうだった。 チョコレートパフェは美味しかった。前回来た時はテンがみんな食べてしまったので、模擬喫茶のパフェを食べるのはこれが初めてだった。テンが食べ終わる頃には、一番忙しい時間帯は通り越したらしく、店の中も穏やかになった。 食器を引き上げに来たのは、ミオでもなく、ユイでもなく、コモチでもなかった。茶色い髪に、赤い瞳の上級生は、テンを見て微笑んだ。テンも羽をパタパタさせて、なんとなく嬉しそうに見える。 「クオ、美味しかった」 「よかったな、テン」 クオと呼ばれた上級生は、テンの頭をポンポンと撫でた。その光景が、あまりに自然で、テンと彼とは旧知の仲なのだと感じた。 「今日は来てくれてありがとう。それから」 クオは神楽坂の方を見て言った。 「さっきユイが乱暴して、ごめんな。アイツ、カッとなるとああで……。悪いやつじゃないんだ。俺からちゃんと言っておくから、どうか赦して欲しい」 クオがあんまりまっすぐ見つめて言うので、神楽坂はしどろもどろしてる。 「えっと、はい……」 「ごめんな、ありがとう」 クオは神楽坂に笑って見せた。クオはまっすぐなのだ。笑顔がまぶしくて、なんだかケイタは自分が情けないような気さえする。そんなまぶしさを、真っ正面から照射されたら耐えられないのは、神楽坂も同じようだった。 「君が《黒はね》だよね?」 クオは今度は、ケイタの方に向いた。ケイタは少しどきりとする。 「テンのこと、ありがとう。よろしく頼むよ」 「……はい」 クオの笑顔は変わらずまぶしいのだが、ケイタはそこにわずかな悲しみを見た気がした。大切なものを、手放すような――。 テンが「クオによろしくされなくても大丈夫だよ」などと言っている。クオはそれに笑いながら同意した。 寮に帰るテンと別れて、ケイタと神楽坂は並んで歩いていた。バス停までは、帰る方向が同じなのだ。 「なあ、北見」 改めるように、神楽坂が言った。ケイタが神楽坂を見ると、その表情は少し陰って見えた。 「俺、北見さえ抑えれば、南條に近づけるって思ってたけど」 「……ええ」 軽く頷く。神楽坂はため息をついて、伸びをするように両手を挙げながら言った。 「なんつーか、強敵が多いなあー」 力の抜けるような神楽坂のセリフに、ケイタは少し笑ってしまった。 それでも神楽坂は、テンをあきらめはしないだろう。恋人になるのは難しいかも知れない。そうだとしても、きっと神楽坂とテンとは、友達になれる。 (テンさんが選ぶなら――神楽坂さんが望むなら) やがてバスが来て、神楽坂は乗り込み、窓からケイタに手を振ってくれた。ケイタも手を振り返す。 道の先には夕日があって、バスはそこへ向かって走っていった。 I have many rivals. ![]() -TOP |